2025年5月31日土曜日

赤い天使 昭和41年

増村保造監督、大映、95分、白黒映画、若尾文子主演。相手の軍医は芦田伸介。日中戦争の最中、若尾は中国の陸軍病院に従軍看護婦として派遣される。最初の病院では患者の兵士たちに暴行される。後に前線の野戦病院に赴く。ここで自分を暴行した兵士の一人が瀕死の重傷を負っており、軍医の芦田に頼み輸血してもらうが、兵士は死ぬ。

街の病院に戻り、両腕をなくした兵士を世話する。外出に連れ出し、旅館で相手をしてやる。これに感激した兵士は病院に戻ってから投身自殺をする。軍医の芦田は多くの傷病兵を、ただ腕や脚などを切り落としているだけだと自己嫌悪に陥っている。若尾は励まし、夜の相手をする。

激戦地に芦田が赴任する。若尾は頼んで同行させてもらった。その場所では敵との戦闘だけでなく、コレラが流行り次々と兵士は倒れていく。翌朝援軍が来る予定の夜明けに敵との激戦があった。芦田も軍医ながら戦闘を指揮した。明け方、援軍が来る前に味方は全滅した。若尾は死体を調べていく。芦田の死体も見つかり号泣する。

禁じられた遊び Jeux interdits 1952

ルネ・クレマン監督、仏、87分、白黒映画。第二次世界大戦初期のフランス。避難する人々に独軍の機銃掃射が浴びてせられ、少女の両親及び愛玩の子犬が死ぬ。助けられた者に子犬を川に投げ捨てられる。また空襲があり、少女は川に浮いた子犬を追っていく。

死んだ犬を抱いていると少年に会い、犬の埋葬について教えられる。一人(一匹)では寂しい、他の死んだ動物も埋めようとなる。また十字架を墓に植えると知り、きれいな十字架が欲しくなる。少女は少年の一家の世話になる。きれいな十字架を少女が欲しがっているので、少年はあちこちから十字架を盗んでくる。事故で死んだ少年の兄の墓からも持ってくる。少年の父親はてっきり仲の悪い隣家が死んだ息子の十字架をを盗んだと思い込み、喧嘩になる。最後に少年が盗んだ犯人と分かる。父親は少年を問い詰めるので、少年は隠れる。

警察がやってくる。十字架泥棒を捕まえに来たと思ったが、実は孤児の少女を保護に来たのだった。少年は少女を失いたくないので、条件で十字架のありかを教えると親に言う。しかし少女は連れていかれ、少年は激怒し、隠してあった多くの十字架を川に投げ捨てる。少女は人で混んでいる施設に連れていかれ、待っている。少年と同じ名を呼ぶ声が聞こえたので、自分も少年の名を呼んで人混みの中に消える。

2025年5月29日木曜日

マジカル・ガール Magical girl 2014

カルロス・ベルムト監督、西、127分。この映画を勧めたいのは、あまり類のない展開をするのでそういう映画を見たい人。勧めないのは楽しい結末を期待する人。次にどういう展開をするのか、興味を持って見られる。映画にはパターン化した筋でおおよその見当がつく物が結構ある。全部説明されておらず観客の想像に任せるところがある。

12歳の少女がいる。日本のアニメか何かの魔法少女なるものの大ファンである。白血病にかかっており余命僅かである。その父親は文学の教師であるが今は失業中の身。母親は出てこない。不治の病に侵された娘を父親は溺愛している。娘は父親にとって魔法ガールなのである。娘のノートを見たら好きな魔法少女の衣装、コスチュームを欲しがっているようだ。インターネットで調べるとかなり高額である、という設定になっている。金の工面をしようにも失業中で本を売るくらいでは追いつかない。

別の登場人物が出てくる。精神科医の夫を持つ女。身体も心の方も病んでいる。薬のせいか吐き気を催し、窓から下に向かって嘔吐する。ちょうどその時、下の街路に父親がいた。なぜいたかというと、金がないのでショーウィンドウにある品物を盗もうとして、今割らんとするところだったから。父親は汚物を浴び、女は駆け降りて来て謝り、部屋で服を洗濯して乾かせと勧める。二人は話しているうちに、父親は女を抱こうとする。女は初めは拒否するが、最後は一夜を共にする。後になって父親は自分が寝た女に恐喝をする。金を出せ、さもないと寝たと旦那にばらすぞと。女は金を工面するため、友人に頼み売春を世話してもらう。恐喝で手に入れた金で父親は娘に魔法少女の衣装を買ってやり、プレゼントとして渡す。少女はもらってから衣装の周辺で何か捜している。父親はまたインターネットで調べる。実はこの魔法少女はバトンのような物を持っており、それは別売りでべらぼうに高い、という設定である。この高額商品を買うため、また父親は女に要求する。女はそんな金は出来ないと言うが、父親はまた恐喝し、女は危険を承知で危ない橋をまた渡る。

更に別の登場人物が出てくる。刑務所に服役している眼鏡の中年男である。どんな罪を犯したのか。明示的な説明はない。女と過去に関係があり、女を愛しているので罪を犯した。女を純潔な存在と思っており、そのために刑務所に長年入っていたのである。眼鏡男にとって女は魔法ガールだったのである。出所した眼鏡男のところにけがをした女が助けを求めてやってくる。女はあなたしか頼れる相手はいないと言う。眼鏡男は病院に入れた上、女の夫の精神科医に連絡してやる。やってきた夫は眼鏡男に感謝する。女と眼鏡男が二人きりになってから、女は夫は過去を知らないから、といい自分がこんな目に会ったわけを話す。加害者はあの父親であった。眼鏡男は酒場で父親と対峙し、女との関係をただす。父親は、関係を持ったのは相手もその気だった、和姦だったと言うと眼鏡男は驚く。その後、男を射殺し、関係者を皆殺しにする。恐喝のねたに使われた、二人が寝た際の録音が入っているスマートフォンも奪う。女の病室に行く。しかし録音は渡さない。勝手に理想化していた女への幻滅のせいか。


2025年5月27日火曜日

上野千鶴子、小倉千加子、富岡多恵子『男流文学論』 1989~1990

この鼎談で俎上にのせられている作家、作品は以下のとおり。

吉行淳之介『砂の上の植物群』『驟雨』『夕暮まで』/島尾敏雄 『死の棘』/谷崎潤一郎『卍』『痴人の愛』/小島信夫『抱擁家族』/村上春樹『ノルウェイの森』/三島由紀夫『鏡子の家』『仮面の告白』『禁色』

一体この鼎談の意図は何か。どういう基準でこれらの作家、作品を取り上げたのか。あとがきで上野千鶴子が次のように言っている。これはフェミニズム批評の一つである。フェミニズム批評は一つには不当に忘れられた女性作家の発掘、他は不当に高く評価された男の作家の再検討がある。本書は後者の一つの試みである。二流、三流の作家の作品でなく、論じる値打ちのある作家だけを取り上げたいと思った、とある。上野と小倉はフェミニストだからそれでいいが、自ら作家でもある富岡は文学が時代の流れに追いついておらず、文学の内輪で評価が行われている。それへの疑問があったという。

具体的な批評の実際は読んでもらうしかない。しかし極めて男にとって面白い読み物であるのは確かである。いわば女の見方の一例が分かるから。どんなところに目をつけ、どう解釈するのか。

惜しむらくはこの鼎談自体がもう40年近く前で、取り上げられている作品も今でも読まれ、評価されているのかと思う物がある。『抱擁家族』なぞあまりに男の主人公がおかし過ぎて途中で読む気が失せた。女から見れば男はたいていおかしくて、また作品を批判するのが目的だから、おかしければ好都合なのだろう。名は昔から知っている『砂の上の植物群』も初めて読んだのだが、何しろ70年も前の作品で、ここに書かれている男女の関係などあまりに過去の話になっている。もっと新しい作品を対象にして、新しい鼎談等をしてもらいたいものだ。(筑摩書房、1992年)


2025年5月23日金曜日

ウィッカーマン The wicker man 1973

ロビン・ハーディ監督、英、88分。スコットランド西にある孤島に警官が水上飛行機でやってくる。この島で少女が行方不明になったと連絡がきた。その捜索だと言って写真を見せるが島民は誰もその少女を知らないと言う。

この島ではキリスト教でなく、古代の原始宗教が信じられている。警官はキリスト教徒でこの島の宗教や慣行を非難する。領主に会いに行く。行方不明で島民が知らぬ存ぜぬと言っている少女の墓が見つかったので、発掘の許可をもらう。墓を掘ったら棺桶の中には兎の死骸があっただけだった。警官は各家庭に乗り込み、捜索を続けるが見つからない。五月祭がある。水上飛行機が故障してこの島に留まらざるを得ない。

警官は五月祭の仮装の人物になりすまし、祭りに参加した。生贄として行方不明になっていた少女が現れる。警官は少女を保護しようと、一緒に逃げる。しかし少女が連れて来た所には領主を初め、島民がいた。実は生贄は少女でなく、警官だったのである。これまでそのための芝居を島を挙げてしてきたのである。警官は木を集めて作った巨大な人形に入れられ、人形ごと火炙りに処せられる。

吉行淳之介『驟雨』 昭和29年

主人公は大学を出て3年目の、サラリーマンをしている独身男。女との付き合いは、遊戯の段階からはみ出るようなものにしたくないと考えている。それで赤線街に行って女を買ってきた。ある女との付き合いが始まる。何回か会う。小説の最後では、女に会いに行ったら先客がいた。近くの飲み屋にいるうちに嫉妬を覚えた。

まだ赤線禁止法の前の時代、朝鮮動乱の終わった明くる年という時代である。これで吉行は芥川賞をとったそうである。

吉行淳之介『砂の上の植物群』 昭和38年

主人公の30代半ばの男は定時制高校の教師をしていたが、教え子と噂を立てられ、学校を辞める。化粧品のセールスマンになる。ある日、口紅を塗った女高生と関係を持つ。女高生から頼まれる。自分の姉を誘い、ひどい目に会わせてほしいと。妹に説教しているのに自分は男と会っていて不快だと言う。

その姉はバーに勤めていた。会い、親しくなり関係を持つ。頼まれ縄で縛ったりする。その現場に妹を連れてくる。姉妹とも驚く。主人公は知り合いの床屋から自分の父親が生ませた女子がいると聞かされる。名前があのバーに勤める姉と同じだ。主人公はもしかして腹違いの妹と関係したのかと恐れる。後に、そうでないと知る。

2025年5月22日木曜日

筒井康隆『モナドの領域』 平成27年

片腕だけが河川敷で見つかる。後に別の場所で片脚が見つかる。警察はバラバラ事件として調べる。あるパン屋に話は移る。そこで働いている美大生の男女が外国旅行で、やや長期の休暇を取りたいと言い出す。代わりの男が同じ美大にいて店に紹介する。パン作りをやらせてみるとうまい。片腕の形をしたパンを焼く。本物そっくりである。話題になり売れる。

その店に通う美大の教授がいる。ある日、それまでと感じが全く異なり、予言者めいた言辞を吐くようになる。知らない筈の他人について事実を述べ、それらが悉く当たる、真実と分かる。評判になり、予言を聞こうと公園に大勢集まる。美大の女学生が教授の助手となる。腕の形をしたパンとの関係で、警察もパン店に来ていた教授の様子を見に来る。教授は集まったうちのある若い男に触ると、男は数メートル飛ばされる。若い男は教授を利用し儲けを企んでいた。教授は暴行罪容疑で逮捕される。教授は自らを神(GOD)と呼ぶ。裁判になって検察側は精神病を装った詐欺として告発する。教授は全く動じない。判決は執行猶予付きだった。

最後の方で教授は刑事に告白する。自分は神で、初めはパン作りの美大生、次いで教授に乗り移ったと言う。別の宇宙からこの宇宙でのほつれを直すために来たと。それが片腕や片脚だった。神がどういうものか刑事に哲学的説明をする。役割は終わったので、会ったみんなの記憶を消して終わる。(新潮文庫、令和5年)

2025年5月17日土曜日

明治大帝と乃木将軍 昭和34年

小森白監督、新東宝、104分。乃木将軍を主人公にした映画。以前の『明治天皇と日露大戦争』のフィルムは戦闘場面などで使い回ししているが、乃木将軍については新しい場面が当然ある。まず西南戦争時に乃木が指揮する部隊で連隊旗を奪われ、乃木が自害しようとするところ。友人の諌めで止める。また203高地の攻撃で成果が上がらず、乃木更迭論が出るが、明治天皇はそれを許さなかったとの挿話。最後に明治天皇が崩御し、乃木夫妻が自害する直前までの場面がある。 

2025年5月16日金曜日

筒井康隆『読書の極意と掟』 2011

書名を見ると読書の仕方、読み方の手ほどきでも書いてあるかと思うだろうが、内容は著者の読書遍歴である。つまりその時々で読んだ本の解説を主にした自伝のようなものである。

全体は「幼少年期」「演劇青年時代」「デビュー前夜」「作家になる」「新たなる飛躍」と五部に分かれ、夫々の時期に読んだ本が2ページから3ページで紹介されている。著者の精神的成長が分かるだけでなく、それ以上に紹介されている本が興味深いものが多く、読書欲をそそる。中には今では古くて絶版になり、参照がむずかしい本もある。(講談社文庫、2018)

サラブレッド Thoroughbreds 2017

コリー・フィンリー監督、米、92分。二人の少女の物語。久しぶりに幼馴染の少女は出会う。一人はひどく冷静というか感情があまりないのではないかと思える。以前、怪我をした馬を撃ち殺す役目をかって出た。もう一人は感情を隠し、良く見えるよう振舞おうとしている。冷徹な友からその内部を見透かされている。

感情を隠している子は義父(継父)がいてひどく嫌っている。義父は自分を邪魔者扱いしている、憎んでいると思っている。もう一人に義父への嫌悪を打ち明けると、冷徹な友は殺せばいいと言う。そのために街のチンピラを雇ったが、チンピラは結局何もしなかった。

後になって薬を冷徹な友に飲ませ、その間に義父を殺し、罪は友にかぶせようと一人が計画する。実際に友が薬を飲んでしまうと、もう一人は起こそうとする、薬が入っているのだと教えて。友は聞いても何も言わずせず眠りにつく。その間、もう一人が義父を殺し、血だらけで戻ってきて寝ている友に寄り添う。それから後の話。殺人容疑で冷徹な友は施設送りになり、もう一人は街で今は普通に仕事をしているチンピラに会う。

2025年5月12日月曜日

花嫁吸血魔 昭和35年

並木鏡太郎監督、新東宝、80分、白黒映画、池内淳子主演。池内はダンスの学校に通っている。ある監督の目に留まり、映画の主演に抜擢される。しかしその主役をする予定だった女、池内に恋人が心を移された女など3人は池内をひどく憎む。ピクニックに行った際、池内を後ろから押して転落させ、顔にひどい傷を負わせる。

池内は母親との家庭で、借金取りに追われ池内の映画の出演に期待していたが、映画主演が無理になり、借金のかたに家中の物を持っていかれる。病院を抜け出した池内は帰宅すると、家は空っぽで母親は自殺していた。母の遺書に従い、山中に住む一族である老婆を訪ねる。その老婆によって池内は自分が突き落とされたと知る。

老婆は妖術で池内の顔の傷は治すが、容貌魁偉の化け物に変身させる。池内は新人のスターとして新しい名前でデビューする。犯人の女らは池内に似ているので驚く。この後、池内は化け物として自分を落とした女たちに復讐していく。ただ最後の時に猟銃で撃たれ、何とか逃げるが池に倒れ元の顔に戻って死ぬ。それを池内の元恋人は見ていた。

2025年5月11日日曜日

シェイクスピア『タイタス・アンドロニカス』 Titus Andronicus 1590頃

古代ローマが舞台、敵のゴートを倒した将軍、タイタス・アンドロニカスの凱旋から始まる。タイタスの娘を次期皇帝が皇后にする気でいたが、皇帝の弟が自分の恋人だと言って嫁にすべく横取りする。それで皇帝はゴートの女王を妻にする。女王の息子の一人はタイタスにより処刑された。これを女王は深く恨み、タイタス一族への復讐を誓い、これが以降の悲劇を生む。

タイタスは皇帝のためなら我が子をも手にかける。女王の二人の息子は皇帝の弟を殺し、タイタスの娘に暴行を働いた上、両手を切断し、舌も切って話せないようにする。皇帝の弟殺しは、タイタスの息子たちの仕業と見せかける。このため息子たちは処刑される。劇は終わり近くになると、タイタスを含め主要人物が次々と殺される。あまりにあっけなく、復讐で殺される連鎖になる。(松岡和子訳、ちくま文庫、2004年)

ラ・ポワント・クールト La Pointe Courte 1955

アニエス・ヴァルダ監督、仏、80分、白黒映画。寂れた漁村が舞台。ある一家に検査員二人がやってくる。違法の漁をしていないかという調べなのだが、主人は怒って追い返してしまうところから映画は始まる。

この漁村の出身の男が数日前から久しぶりに帰っていた。その妻が後からやってくる。パリの女である。男たちは珍しそうに女を眺める。男と女は4年前から夫婦なのだが、倦怠期に陥っている。女は男に離婚すべきかどうかの相談に来たのである。漁村を背景として男と女の哲学的な会話が続く。船に乗って槍で相手側を倒す競技があって夫婦で観ている。背景は街である。漁村から来たのであろう。長々と会話し、結果的には離婚しそうもないように見える。祭りが最後の場面でダンスを村の人々が盛大にやる。

2025年5月10日土曜日

セプルベダ『カモメに飛ぶことを教えた猫』 1996

鴎の一群のうち一羽が海に降りると、原油で海面が覆われ、鴎は体じゅう油でべとべとになる。飛ぼうと思っても油で重くなり、翼を羽ばたかせるのに苦労する。ようやくのこと飛ぶが、力尽きて地面に降りる。

そこに黒猫のゾルバがいて、鴎はゾルバに頼む。卵を産むが自分はもう死ぬ。卵から孵る雛の面倒をみてほしい、飛ぶことを教えて欲しい。こうして鴎は死ぬ。ゾルバは孵った鴎の雛をみんなと一緒に育ててやり、後に飛べるよう励まし、それを叶える。

著者のルイス・セプルベダはチリに1949年に生まれる。クーデターがあり、ドイツのハンブルクに移り住む。この童話も舞台がハンブルクである。(河野万里子訳、白水Uブックス、2019年)

シェイクスピア『アテネのタイモン』 The life of Timon of Athens

執筆年代ははっきりせず17世紀初頭か。主人公であるアテネのタイモンは金持ちで友人知人を宴会に招き、大盤振る舞いをしていた。困った者があれば助けてやり、ともかくみんなのために散財尽くした。

その結果、当然ながら貯金、資産は底をつき、タイモンは文無しになる。金が必要なので、かつて自分が援助した、助けてやった者たちに援助を頼むが、誰一人としてタイモンに手を差し伸べない。タイモンは怒り狂い、人の勝手さ、非情さを呪う。また宴会を催すと言うと知人友人らはやって来る。しかしタイモンは石を投げつけるだけである。人里離れ、隠者のような暮らしの末、タイモンは死ぬ。有名な武人、アルキビアデスもタイモンの友人として登場する。やはりアテネに裏切られた人間としてタイモン側ではある(河合祥一郎訳、角川文庫、令和元年)

2025年5月7日水曜日

隆慶一郎『𠮷原御免状』 昭和59年

主人公は松永誠一郎という、熊本の山中で宮本武蔵の教えを受けたという若者。江戸、吉原に来たのは師からの遺言である。そこで知り合った人々。吉原に本拠をおく侍軍団がいる。柳生家とは敵同士の仲だった。素敵な遊女との出会いがある。

ともかく主人公、誠一郎はスーパーマンのような剣の使い手に留まらない。人間として、男として全く完璧なのである。およそ邪念など微塵もない純粋な心の持ち主である。あまりに理想的に主人公が描かれているので、正直呆れてしまった。これほど理想的な主人公は今まで知らない。

強いて言えば昔読んだ『風と共に去りぬ』のレット・バトラーがものすごく男として魅力的に描かれていたので、心に残った。この小説の主人公、誠一郎はあまりに理想的な男なので、絵空事感を強く感じてしまい、途中で読む気が失せた。

2025年5月6日火曜日

十代 恵子の場合 昭和54年

内藤誠監督、東映、80分、森下愛子主演。森下は高校2年で受験勉強をしている。父親が家を顧みず、家庭内の雰囲気は良くない。誘われて喫茶店に出入りし、そこの不良生徒と知り合いになる。

ある日暴力団が森下に乱暴を働こうとした時、その兄貴分に助けられる。森下はその兄貴と付き合うようになる。兄貴分の元からの恋人から乱暴される。後に兄貴から迫られ関係を持つ。兄貴が森下を連れていると、兄貴のそのまた兄貴に当たる者から目を付けられ、森下は乱暴される。森下は妊娠する。病院で堕ろす。兄貴はそのまた兄貴を切り付け、組から逃げるため、森下を連れて田舎に行く。森下の実家ではやくざが来て隣近所に聞こえがしに怒鳴りつける。森下は逃げた先の田舎でトルコに勤める。また兄貴から薬を注射される。兄貴は一旦東京に帰るが、その際に組の者に殺される。

田舎で待っていた森下は、薬で倒れ、たまたま東京の時に知り合った若い男が居合わせ、助けてもらい薬の治療を受ける。何日かして目が覚め、助けられたと知るが、兄貴が東京で刺されたという新聞記事を目にし、気を失う。後に定時制の高校に復帰したと出て、それで幕。

2025年5月4日日曜日

ラブクラフト『インスマスの影』 The shadow over Innsmouth 1936

語り手は興味本位に、かつて栄えたが今は寂れている町、インスマスに気味の悪いバスで行く。町は多くの建物が廃屋であるようだが、人が住んでいる場所もある。それにしても人影を見ない。見かけるのは奇妙な顔つきの連中である。

古い事情を知っているという酒飲みの老人に酒を振る舞い、聞き出そうとする。昔船長がいて、海に住む住人と契約を交わした。次第に陸の人間も形が変わってくる。老人の話はまともと思えなかったが、この町は確かに異常である。夕方のバスで帰ろうとすると故障で明日にならなければ出ないと言われる。しかたなくホテルにもう一泊する。

夜中に物音が聞こえてくる。何者かが部屋に入ってこようとするのである。語り手は窓から逃げ、どうしたらこの町から出られるか考える。ここの住人たちが語り手を捕えようとしているのである。工夫してからくも逃れる。のちになって語り手は自分があの船長の子孫にあたると知る。

2025年5月3日土曜日

けものみち 昭和40年

須川栄三監督、東宝、140分、白黒映画、池内淳子主演。松本清張の小説の映画化である。

池内は料亭の女中をしていたが、池部良から誘われ、別の仕事をするようになる。その前に病気で寝ている夫が邪魔なので、火事を起こし死なせる。池部の紹介による仕事とは、寝たきりになっている、政治家に多大な影響を及ぼす老人(小沢栄太郎)の世話であった。小林桂樹扮する刑事は池内の夫の死に疑問を抱いている。池内の仕業ではないかと疑う。池内は小沢の庇護のもと、池部を慕っている。小林は池内が関係している小沢についても探ろうとする。しかし小林は小沢側からの手回しで警察を首になる。なおも調べようとしたので、闇に葬り去られる。

小沢が死んだ。これで勢力関係は一変する。池内は何もないまま放り出された格好になる。池部についていくが、風呂に入っているとガソリンをかけられ火あぶりで殺される。

2025年5月2日金曜日

過去のない男 Mies vailla menneisyyttä 2002

アキ・カウリスマキ監督、芬蘭、97分。溶接工をしていた男はならず者たちに殴られ、記憶を失ってしまう。貧しいが親切な一家に助けられる。職安に行っても自分の名前すら思い出せないので相手にされない。救世軍の仕事をするようになる。そこの女と相思の仲になる。

手先が器用な男は捨てられていたジュークボックスを直す。救世軍のバンドにジュークボックスの音楽を聞かせ、色んな音楽を演奏できるようにさせる。これで救世軍バンドは広く聴衆を集め、男はその管理者となる。銀行に行って口座を開こうとした時、銃を持った男が来て銀行から大金を出させる。行員と男は金庫室に閉じ込められる。後に助けられ、話題になる。あの銀行強盗が男をつけて会い、事情を話す。会社の経営をしていたが銀行に口座を差し押さえられ、取り戻しに行ったのだと。元の従業員に払う給料を代わりに渡してくれと男に頼む。男はそれを果たす。

男が巻き込まれた銀行強盗が新聞記事になり、それを読んだ実の妻から連絡がある。そこに戻る。夫婦仲は悪かったと分かる。離婚届が認められたと男に話す。元妻は好きな男と暮らしていた。元妻と男に別れを告げ、元の場所に戻る。救世軍の女と再会する。

尺には尺を Measure for measure 17世紀初頭

ウィーンの大公は自分が留守の間、町の支配を代理に任せる。代理は他人に恐ろしく厳格で、結婚予定の男女に子供が出来たというので、男を法令に従い死刑に処すつもりでいる。男の妹イザベラは何とかして兄を助けようと大公を説得する。大公は聞かないが、イザベラの容色に魅せられる。秘密裡に大公と関係を持てば、兄の赦免は可能という。

大公は実は代理を試すため、陰から町の実情を見ていた。大公は以前、代理と結婚する予定だったのに捨てられた女を、イザベラの代わりに代理と密会させる。代理は自分が秘密に女と関係したのに、まだ兄を処刑する気でいる。最後に大公が現れ、代理はかつての女と結婚させ、自分はイザベラと結婚すると宣言する。

以前は喜劇に分類されていたが、今は単純な喜劇でないとして問題劇に分類されているそうだ。(松岡和子訳、ちくま文庫、2016)

真夜中の虹 Ariel 1988

アキ・カウリスマキ監督、芬蘭、73分。炭鉱労働者だった主人公は閉山の憂き目にあい、父親からオープンカーのアメリカン・フルサイズカーをもらう。預金を下ろして別の町に向かう。

数人の男の殴られ、金を取られる。助けてくれた母子と仲良くなり母親とは相思の仲になる。あの強盗の一人を見つけ、やっつけていると、警察に捕まる。牢屋に入れられる。母親の差し入れの中に金属切があってそれを使い、同房の者と逃げる。偽造旅券の入手で同房の者は殺される。主人公は母子と共に船に乗り込み外国を目指す。