2018年8月31日金曜日

金色夜叉 昭和12年

清水宏監督、松竹映画、77分。貫一は夏川大二郎、お宮は川崎弘子である。

カルタ会、その後貫一お宮が並んで帰る。
この映画の特色としてまず目につくのは、熱海の海岸の場面が、砂浜でなく海岸(川?)沿いの自動車道になっているところである。自動車がやって来てもよさそうな道である。ここで貫一はお宮を蹴り倒したりする暴力男ぶりを発揮する。
高利貸しとなった貫一に憤慨するかつての友人たち。荒尾には佐分利信が演じているが、あまり出番はない。むしろ映画の後半では高利貸しの先輩である三宅邦子が活躍する。

お宮と結婚した富山は少なくとも初めの方は人のよい男として描かれる。しかし三宅のいらぬおせっかいで、妻の宮が貫一と逢引していたと誤解し、富山は宮につらくあたる。(この有り得ないような誤解で話が進行する、とは昔から映画、テレビのドラマの定番である。自分は子供の時からその非現実ぶりには呆れていた)
それだけでなく、富山の銀行は左前になり、二人の仲を知らぬ三宅の仲介で仇敵である貫一からカネを借りる。もちろん返せるあてはなく富山は遁走する。

返済期限の日、富山宅を訪れた貫一は宮に会う。
宮を前に散々嫌味を言いまくり、あてつけがましい態度で仕返しをしたつもりの貫一は、宮から思いがけぬ告白を受ける。車が家の前に止まり、富山と三宅が出てくる。自分は卑劣であったと貫一は富山に言い、去る。
正直、こんな男なんかと結婚せずに済んだ宮は、幸運だったと思わせる貫一である。

笠智衆や高峰三枝子その他、俳優たちの若い姿が見られるのも見どころである。
映画の冒頭の出演者、スタッフの名前が画面に出た後、最後に監督の清水宏の名が出る。そこの部分だけ白地になっており、まるで後から挿入したかと思った。

金色夜叉 昭和9年

赤澤大助監督、赤澤キネマ、45分。

この有名な作品の発声映画初期の製作で、浪花節が要所で使われているところは時代を感じさせる。主演の貫一は片桐敏朗、お宮は四条華子という今ではあまり聞かない人たち。

冒頭のカルタ会、原作のように富山のダイヤに感心するところはない。ただダイヤをしているのが目につき、周りの者からよく思われない。その帰り道、寛一とお宮は並んで歩き、富山のいやらしさを語り合う。貫一はお宮の家を訪ねる。父親から熱海に行ったと聞かされる。
熱海でお宮は富山と一緒にいる。その後が貫一との有名な海岸の場面。足蹴にするなど金色夜叉のイメージそのまま。

次の場面では貫一が高利貸になった後、恨みをかっていたので暴行を受けるところ。友人の荒尾が病床の貫一を見舞いに来る。その荒尾にお宮がたまたま会い、貫一と再会させてくれるよう頼む。荒尾の返事はそっけない。ここで映画は終わり。

45分しかないが、国立FAのパンフレットには一部とか書いていないので、これで映画としては凡てなのであろう。元より有名な作品なので、要所と思われるところだけでも良かったのかもしれない。

2018年8月30日木曜日

激怒 Rage 1972

スコット監督、米ワーナー映画、104分、総天然色映画。
「激怒 映画 1972」の画像検索結果『激怒』と聞くと、戦前のフリッツ・ラングの映画を思い出す人が多いかもしれない。全く内容は異なる映画である。

軍の新兵器の事故により被害を受けた男の復讐の物語である。
牧場で野宿をしたところ、朝になって昏睡状態になっている息子を父親は見つける。更に多くの羊も死んでいた。息子を病院に運ぶ。父親も検査を受けるため、入院しろと言われる。

その頃、軍では新化学兵器が、誤って空中から散布された事故の対応を協議している。この兵器を浴びた者は死ぬしかないと言う。
病院では息子は夜中に発作を起こし死ぬ。男は医師に息子に会わせろと迫るが、はぐらかされる。ここの医師たちも軍の兵器による症状と知っていたのだ。

夜中に起きて息子に会おうとする男は、子供の死体を発見する。病院から抜け出す。
医師の家に押入り、真相を聞き出す。銃器等を大量に買い込んだ父親は、兵器を開発した研究所へ行き、守衛、警官を殺して、施設を爆破する。その後に来た軍人らは既に化学兵器は別の場所に移してあったから問題ないという。父親は更に軍の司令部に乗り込み、復讐をしようとする。しかし入口で兵器の影響が身体に回り、倒れて死ぬ。

子供を殺され怒り狂った父親、ただその復讐は竜頭蛇尾に終わる。普通のハリウッド映画なら軍人どもを皆殺しにする、施設の爆破によって兵器はなくなる、といった漫画的な展開になるかもしれない。ただ犬死するだけである。この辺りは現実的であろう。
それにしても軍の新兵器の被害を受け、それに対して復讐を個人で試みる設定自体が漫画的に思えるのだが。

映画で父親のかかりつけの医師は、かつてのテレビ映画『原潜シービュー号』で提督をやっていた俳優が演じていた。

黒い牡牛 The Brave One 1956

ラパー監督、アメリカ映画、100分、総天然色映画。メキシコを舞台に、闘牛用の牛と少年の交流を描いた映画。

「黒い牡牛 映画」の画像検索結果

少年は家から逃げた牛が嵐の中で生んだ牡牛、ヒタノを世話する。牧場主からヒタノを贈呈すると手紙をもらい感激する。しかしその牧場主が事故死してしまい、ヒタノは闘牛用に連れ去られる。少年は牛を追い、メキシコ市までやってくる。大統領に会って、ヒタノを自分に取り返してもらうよう請願する。大統領の手紙を携え、ヒタノが出されている闘牛場へ向かう。

ヒタノは名闘牛士と格闘中であった。勇敢なヒタノに観客は感心し、ヒタノを殺さずにしておくよう声援を送る。とうとう最後にはその声は聞き入れられ、闘牛は中止になる。闘牛場でヒタノに駆け寄っていく少年。ヒタノと共に帰りについた。

動物と少年の心の交流を描いた映画の一つである。メキシコが舞台であるが、言語は英語である。
最後の方の闘牛の場面は迫力がある。大きな闘牛場に一杯の観客、これは映画用に集めたらしいが、当時は闘牛が盛んであったろう。現在のような動物保護が一般になるとこういう映画は作られない。

2018年8月29日水曜日

婦系図より 湯島に散る花 昭和34年

土居通芳監督、新東宝、90分、総天然色映画、天知茂、高倉みゆき主演。

明治時代の人気作『婦系図』の映画化、主税、お蔦の悲恋を描く。
宴会の席、新橋随一の芸者、お蔦は踊りを披露する。若い学者、主税が紹介される。相思相愛の仲になる。
主税の恩師、真砂町の先生の娘も主税を慕っている。主税の先生宅で育てられ、先生夫婦も主税と娘の結婚を願っている。

主税とお蔦は同棲を始める。それがある事件により新聞に出る。先生は信じられない。同僚の前でこの記事が本当なら自分は学者を辞めると言い出す。しかしその後主税の告白で事実を知り愕然とし、激怒する。芸者風情と一緒になって人生を棒に振るのか、自分も辞職する必要がある、病の妻は娘との結婚を生きがいとしている、わかったら死んでしまう。
散々脅かされ、お蔦との離縁を約束する。湯島の境内で、お蔦は事情を聞き、嘆く。主税は九州へ旅立つ。

お蔦は病に臥せっている。主税が東京へ戻ってくると知る。先生の娘が病気のお蔦を見舞いに来る。娘は父親に事情を話す。先生は病床のお蔦を訪ね、謝罪し主税との結婚の仲人になると約束する。電報で主税に来るよう知らせる。しかしその前にお蔦は亡くなる。
夢でお蔦との結婚を見ていた主税は、お蔦の死を聞き絶望する。波が砕ける大きな岩から投身する。その後、先生と娘が自宅で主税の死を話し合う場面が最後。

主税の夢の結婚式の場面など、お花畑が背景となっており、いかにも新東宝らしい。
『金色夜叉』『不如帰』と共に明治時代の人気作で、古い時代に何回か映画化された。いずれの話も現代では設定が現実的でなくなり、映画化の対象でない。しかし古い話も映画として観るなら、現代的でなくとも、あるいはそれ故に楽しめる。

2018年8月27日月曜日

無法松の一生 昭和18年

稲垣浩監督の戦中映画の再公開版。大映京都、79分。


「無法松の一生 稲垣浩 阪東妻三郎」の画像検索結果
阪東妻三郎が無法松を演じ、軍人の妻はこの映画の2年後に原爆で亡くなった園井恵子、可愛がる少年には子供時代の長門裕之、らの出演である。
戦中の軍部、戦後のGHQの検閲による一部削除は有名。

国立FAの「映画にみる明治の日本」特集で、久しぶりの鑑賞であった。映画が始まって第一印象は「画質が悪い!」である。ピンボケでピントが合っていないのかと思った。最近では古い映画もデジタル復元などで、結構いい映像になっているものが多い中、いかにも古い映画を見せてもらったという感じであった。

遠野物語 昭和57年

村野鐵太郎監督、鐵プロダクション=IBC岩手放送=俳優座映画放送=麻布企画、116分。





「遠野物語 映画」の画像検索結果
柳田国男原作の『遠野物語』は、南岩手に伝わる幻想的な伝説を集めている。その中でも馬が女をさらっていく話は有名であろう。

本映画は柳田の原作等を元に、身分違いの男女の愛を描いている。幼馴染の男女は以前から相愛の仲である。成長した今、身分が違いを考えると結婚は無理に見える。特に男はそれを意識する。女には親の決めた婚約者があるものの、男への愛を貫き通そうとする。
日露戦争へ出征した男は戦死する。女は男を待っていて・・・といった話。

幻想的な映像が見られる映画である。

姿三四郎 昭和52年

岡本喜八監督、東宝、143分、三浦友和主演。

黒澤明の有名な作品の現代版、といっても舞台は明治、映画の筋もほとんど同様である。
三浦友和の相手役に秋吉久美子、加納に仲代達矢、秋吉の父親で姿に敗れる柔道家は若山富三郎、宿敵桧垣は中村敦夫、といった製作当時の人気俳優。更に出番は少ない脇役にも、誰でも知っている名優が多く参加している。

文字通り楽しめる映画であり、黒澤の古典作は別格で比較の対象にはならないだろうが、この作品を堪能できる娯楽作品に仕上がっている。

2018年8月25日土曜日

「ほとゝぎす」「不如帰より 浪子」

国立FAの「映画にみる明治の日本」特集で上映された、徳富蘆花原作の明治時代の人気作の映画。

「ほとゝぎす」は池田義信監督、大正11年、松竹蒲田の無声映画、19分。栗島すみ子の主演。
浪子は座敷に座っている。女中と会話。姑に呼ばれる。武男と海岸を散歩。病院での死、あたりが残されている主な場面。

「不如帰より 浪子」は田中栄三監督、昭和7年、オリエンタル映画社、54分。主演は水谷八重子。
発声映画である。トーキー初期であるから、それを映画の初めにうたっている。

武男と浪子の結婚式。浪子に恋していた武男の同期生、千々岩も出席している。新婚旅行が長引き、姑から嫌味を言われる。幸福な結婚生活を送っていた。しかし浪子が病気になる。結核らしい。姑は武男に離縁するよう迫るが武男は承知しない。これから出征するので、自分の不在中、浪子はそのままにしておくと、姑に約束させる。

しかし浪子の父親のところへ使いが行く。父親に浪子は病気だから引き取ってほしいと。父親は、武男は承知かと確認する。浪子は実家へ行き、荷物が帰っているので離縁されたと知る。
最後の場面は、浪子の父親と武男が戦場で一緒にいるところである。

本作は国立FAのパンフレットにも断片と書いていないし、54分あるのでそうかもしれないが、浪子が死ぬ場面もないし、全部ではないのかと思った。映画の終わりには「終」の字は出る。

どうでもいいことを書けば、劇中、空中戦の場面が2度ほどあり、同じフィルムが使われている。ただこの戦争は日清戦争(原作は戦後まもない時期の発表)の筈で(国立FAのパンフレットにもそう書いてある)、当時はまだ飛行機はなかった。空中戦は第一次世界大戦からであろう。

2作の意義はかつての大女優、栗島すみ子と水谷八重子が見られることであろう。