2023年8月31日木曜日

モーム『創作衝動』 The creative impulse 1926

非常に評価されている女流小説家がいる。ただしあまり売れない。その作家宅で食事会が開かれている。上流階級、出版関係が集まる。作家の夫は会社員で全くパッとしない男である。食事会の費用は夫が受け持ち、いつも食事会に出る。しかし退屈な男でみんな相手にするのが苦手である。

ある日驚くべき事件が持ち上がった。夫が作家の妻を捨て、料理人と逃げたのである。食客一同、なんとしても夫を取り返すべきだと主張する。行先も書置きにあったので、そこへ作家は行く。夫は料理人とよろしくやっており満足気である。夫は料理人と共に探偵小説を愛読しているという。探偵小説を書いたらどうだと妻に言う。探偵小説なんて読んだこともない。そこを出て帰宅中、そういえばポーは探偵小説の始祖で、ポーも書いているくらいだ、とだんだんその気になってくる。(白須清美訳、「短編ミステリの二百年1」新潮文庫、2019)

無頼 殺せ 昭和44年

小澤啓一監督、日活、86分、渡哲也主演の無頼シリーズの一。川崎市のやくざの組長が敵方の子分に襲われ、返り討ちにしたが、そのせいで懲役刑となる。敵方のやくざはこの期に勢力を伸ばそうとしていた。渡哲也が川崎に現れたのはそういう時だった。百貨店でやくざに絡まれているエレベーターガールの松原智恵子を助ける。また若いやくざに会い、その仲間は敵方にやられていた。やられた男をやくざ方に運ぶとそこで知り合いの男に会った。今、組長が服役中なので代貸しをしているという。その妻が野添ひとみで妻の妹が松原だと知った。

敵方やくざは、しまを乗っ取るため子分のやくざに相手方から復讐を仕掛けさせ、戦争状態になる。代貸しは相手と手打ちするため東京のやくざに仲介に立ってもらった。敵は手打ちの前に相手をやっつけてしまおうと企む。野添は妊娠していた。大師に夫婦そろって参りに行った帰りに代貸しは敵に殺される。子分たちもやられていた。渡は単身、敵方やくざに乗り込み殲滅させる。

海野弘解説、監修『ハリー・クラーク』パイ・インターナショナル 2014

アイルランドの挿絵画家、ステンドグラス作家であるハリー・クラークの作品集である。挿絵ではアンデルセン童話、ポーの小説、ゲーテのファウストなどの挿絵がカラー、モノクロで収録されている。第二部ステンドグラスではクラークの手がけたステンドグラスが載っている。また題三部として、クラークを巡る人々の紹介がある。父母から始まり、ジョイスのようなアイルランドを代表する文化人、またクラークと時をほぼ同じくする挿絵画家、ビアズリーからニールセンほか、挿絵と共に2ページから4ページかけて掲載され、クラークの生きた時代、文化が分かる。

無頼 黒匕首 昭和43年

小澤啓一監督、日活、86分、渡哲也主演の「無頼」シリーズの一。渡は元から因縁のあるやくざとの戦いで相手方のボスの息子、川地民夫の一騎打ちになる。その時、戦いをやめさせようと、渡の恋人である松原智恵子が二人の間に飛び込んできて、川地に刺され死ぬ。

後になって渡は兄貴分がやっている砂利場に来る。その仕事をする。事故があって怪我をし医院に連れ込まれる。そこの看護婦が松原そっくりで渡は驚く。川地も松原を見つけ同様に驚いてつけ回す。渡は別の兄貴分の居酒屋に行くと、そこで切り盛りしていたのは、渡のかつての別の恋人で兄貴分の妻になっていた。兄貴分はやくざで敵方のやくざとの喧嘩のため、店は滅茶苦茶にされる。更に砂利場も同じやくざが権利を渡せと迫る。渡は敵のやくざと戦い、全滅させて傷を負い去っていく。

踊る大紐育 On the town 1949

ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン監督、米、97分、総天然色、ジーン・ケリー、フランク・シナトラ出演のミュージカル映画。

軍艦がニューヨークに停泊し、一日だけ休暇がもらえた。ケリー、シナトラ等は水兵でニューヨークを満喫しようとする。地下鉄のポスターにあったミス地下鉄という若い女を捜そうとする。ケリーは見つけた。シナトラはタクシーの女運転手に好かれる。待ち合わせで、三人の相手である三人の女は、ミス地下鉄といっても大したことないのに、男らが過大に思っているから、そう見せるよう工夫する。一日の休暇を女たちと楽しんだ三人の水兵は明くる日、ニューヨークから出港する。

2023年8月29日火曜日

バルザック『呪われた子』 L’Enfant Maudit 1831-1837

表題の巻には『サラジーヌ』『エル・ベルドゥゴ』『不老長寿の薬』『フランドルのキリスト』『砂漠の情熱』『神と和解したメルモス』『続女性研究』『呪われた子』が含まれる。

まず表題の『呪われた子』はフランスの宗教戦争の時代、傲岸な老人の貴族と若い妻の間に愛はない。妻の方には好きな若い貴族がいた。女が妊娠する。早すぎる出産では夫は怪しむはずである。それでも生まれた男の子を自分の子とみなす。この男の子は文弱であった。後に生まれた次男は身体が大きく、長じるに及んで剛毅な軍人となる。父親は専らこの次男を愛した。しかしその次男が戦死する。それまで放っておいた長男に嫁をとらせ、跡継ぎを望むようになる。長男には好きな若い娘がいた。相思の仲になる。しかし父親は貴族の娘と結婚させようと決める。連れてくる。愛する二人の男女が共に死ぬ。父親は貴族の娘に自分と結婚しようと言い出す。

『エル・ベルドゥゴ』ではスペインの貴族の娘は延命のため、フランス士官と結婚するくらいなら兄の刃の下、斬首を選ぶ。『不老長寿の薬』は父親の臨終の際、不老長寿の薬を手に入れた男は自分の死に際して使おうとするが、一部のみで後はこぼれてしまった。『フランドルのキリスト』は難破する船でキリストに従い海に上を歩いて助かった人々、その他溺れてしまった人々、もう一つは教会(大聖堂)の中の様子の話。『神と和解したメルモス』は、若い女に入れ揚げた中年の銀行の会計係は、女に捨てられメフィストフェレスのようなイギリス人に翻弄される。『続女研究』はサロンで貴族の男女の会話、女を巡る延々とした議論が続く。(私市保彦他訳、水声社、2007)


コリンズ『法と淑女』 The law and the lady 1875

語り手の若い女ヴァレリアは、結婚した相手には秘密があるようで、気になり事情を聞く。しかし夫は秘密を知らない方がいいのだ、と言って何も教えてくれない。義母とは知らずに会ったが、その義母も不幸な結婚をしたと言うだけで、やはり謎を解いてくれない。語り手は八方手を尽くしその原因を知る。夫には前妻がいて毒死した。その容疑者として裁判で裁かれ、証拠不十分で今なら無罪になるところを、当時は「証拠不十分」なる判決があり、それが下った。つまり無罪ではないわけである。夫は偽名を使い語り手に接近して結婚したのである。語り手は事件当時外国にいてこの事件を知らなかった。語り手は夫の無罪を証明すべく、奔走するのが本小説のあらましである。

語り手の夫はダメ人間で、語り手の献身に全く値しない男である。だからといって尽くす価値がないとは、その妻である語り手は思っていない。愛する夫のために尽くしたい、多くの女はそう思う。特に夫が逆境にあり、自分の助けを求めている、自分の手助けが役に立つかもしれないと思えば一層尽くすのである。解説で訳者は、語り手は「どうしてそこまで彼(夫)のことを思うのか?」夫に尽くす語り手は読者に不可解であろうとある。「なるほど男女の仲は理屈では説明つかぬものである。にもかかわらず、何故?と思わぬ読者がいるだろうか。」「どうして彼女はそんなにユースタス(夫)に尽くすのか、こんな男にそこまでしなくてよさそうなものなのに!」(本書p.352、p.353)と書いている。訳者は損得勘定だけで判断するらしい。

ダメな男に尽くす必要はないのではなく、ダメな男だから一層尽くすのである。脱線だが戦前の溝口健二監督の映画『残菊物語』(昭和14年)では主人公の女は、芸人の夫の出世のため、徹底的な自己犠牲を行なう。男に都合のよい封建的な思想と見えようが、女の意地を感じてしまうくらいである。

『法と淑女』に戻ると、本書の主人公、ヴァレリアは『名無』No Name(ウィルキー・コリンズ傑作選では「ノー・ネーム」と原題そのままで出ている)のマグダレンと共に、積極的な行動する女である。昔、遺作の『盲目の愛』を読んだらやはり女の語り手で、女だから行動に制約がある、男が現れると次々と行動していく、とあってこれが19世紀の普通の姿だったろうと思った。登場人物の中ではデクスターなる強烈な人格と容姿の男が出てきて心に残る。過去の醜聞の解明では推理小説的な部分になっている。毒死が出てきて、これは解説にあるように19世紀半ば、スコットランドっで起きたマデリン・スミス事件に影響されている。この事件に興味があれば昔『密会』という題の旺文社文庫の実録裁判シリーズで出ており、図書館などで見つけたら読めばよい。(佐々木徹訳、臨川書店、2000)


2023年8月25日金曜日

ガンパウダーミルクシェイク Gunpowder milkshake 2021

ナボット・パプシャド監督、米、114分。殺し屋を業とする母親は娘と食堂で待ち合わせをする。母親は自分を殺しに、食堂にやって来た殺し屋どもをやっつけるが、その後失踪する。

娘(主人公)は大きくなり母の仕事を受け継いで殺し屋になっている。命令を受けて金を横領した男を倒す、金の横領は男の娘が攫われ、その身代金を払うためだった。主人公は娘と金を引き換えするボーリング場に行き、相手のギャングどもを倒す。娘を保護するがその際に傷を負った。

母親の仲間たちがいる図書館を装った建物に行く。仲間の三人と、後から長年失踪していた母親も加わり、襲ってきた殺し屋会社の連中と銃撃戦となる。仲間の一人は殺され、娘は攫われた。その娘を取り返しに映画の初めに出てきた食堂を舞台に、女たちとギャング団の戦いになる。娘は取り戻した。

オープン・ユア・アイズ Abre los ojos 1997

アレハンドロ・アメナーバル監督、西、119分。金持ちのプレイボーイである主人公は自分の誕生会に多くの人を招待していた。友人が連れてきたペネロペ・クルスにすっかり惚れ込む。

主人公の元からの恋人は嫉妬し、クルス宅から出て来た主人公を車に乗せる。非難しながら猛スピードで走らせる。車は転倒する。これで相手の女は死んだ。主人公は命を取り留めたものの顔に傷を負い、醜い容貌になった。クルスに会う。バーで待ち合わせたが、クルスは友人を連れていた。やけを起こした主人公は道で寝てしまう。医師団に顔を元通りにすべく要求してきた。初めは仮面を作って主人公を怒らせたが、遂には画期的な治療が出来るようになったという。その手術を受ける。時間が経ち包帯を取ったら元の顔に戻っていた。すっかり幸福になり、クルスとの交際が復活できた。しかしある日、横で寝ていたクルスの顔を見ると、死んだ元の恋人だった。驚愕した主人公は、クルスをどうしたと詰め寄る。しかし相手の女は自分がクルスだと言い張る。最後にはその女を絞め殺してしまう。

映画は殺人の罪に問われた主人公が精神科医と話すところが初めの方に出てくる。映画の多くの場面はその対談での回想になっている。主人公は夢で、ある施設に行って署名する場面を朧気ながら記憶している。テレビを見ている時、それがどこか分かる。医者と刑務官と共にその施設、企業に行く。企業は人生を延ばすため冷凍状態にして、生前の生活と繋いで、あたかも生きているよう夢を見させる治療というか処置を施していた。だから主人公の周りはみんな夢なのだと言われる。この夢を覚ますため、主人公がビルの屋上から飛び降りる。暗闇の中でオープン・ユア・アイズと言われて映画は終わり。

ロバと王女 Peau d’ane 1970

ジャック・ドゥミ監督、仏、89分。シャルル・ペローの童話を元にした映画。カトリーヌ・ドヌーブ主演。王様(ジャン・マレー)は妃が亡くなり、新しい妃を求める。美女を求めていた王は自分の娘であるドヌーブに求婚するに至る。

これを避けようとドヌーブは妖精に相談する。作れそうもない衣装を要求しても王は次々とその願いを叶えてやる。最後には王国の資源の元である金を産む驢馬の皮を要求する。その驢馬を王は殺し、王女に差し出す。ドヌーブは驢馬の皮を着て逃げだす。村で驢馬の皮を被り、下女として働いていた。

王子が来る。王子はケーキをそれが得意な驢馬の皮に注文する。その中に指輪が入っていた。この指輪に合う女と結婚すると言い出す。国中の独身女が呼ばれ、指輪が合うか試される。誰も合う者がおらず、最後に驢馬の皮が呼ばれる。合った。王子はこの女と結婚すると言い、ドヌーブも皮を脱ぎ捨て本来の衣装の王女になる。結婚式には父親の王や妖精も呼ばれる。

2023年8月23日水曜日

フォードvsフェラーリ Ford vs Ferrari 2019

ジェームズ・マンゴールド監督、米、153分、マット・デイモン、クリスチャン・ベール主演。デイモンはレーサーとして優秀であったが、今は引退し車関係の仕事をしている。ベールは中年のかつてならしたレーサーであるが、現在では町の修理工場を経営している。

この2人が、フェラーリに勝ちたいというフォード社の要求でレースに勝てる車の開発に取り組む。何度かレースに出て、最後はルマンレースになる。ベールは優勝確実だったのに、フォード社の意向によってゆっくり走り3車同時にゴールする。自分が優勝だったと思っていたのに、出発が遅かった、別のフォードの車が一等だった。後にベールは試運転中、事故で亡くなる。

アイアン・ジャイアント The iron giant 1999

ブラッド・バード監督、米、86分、漫画映画。スプートニクショック時のアメリカ。

田舎に閃光とともに地響きがした。主人公の少年は、そこに巨大ロボットを見つけた。言葉が喋れず、意思疎通に苦労するが、ロボットと少年は仲良くなる。政府の捜査官が来て、怪しい物体がいるのではないかと探りまわる。少年はロボットをくず鉄屋に隠す。一旦ロボットを見つけた捜査官は軍隊に出動を要請する。軍隊が到着したがロボットは隠れていて見つからない。捜査官は将校にどやされるが、後にロボットを見つける。軍隊は攻撃を開始する。ロボットは戦闘能力を持っていた。しかし少年はそれを使うなと言う。

最後には潜水艦から核ミサイルが発射された。ロボットを狙っている。それはロボットがいる町にミサイルが命中するを意味する。ロボットはミサイルを抱え、宇宙に飛び出しそこで爆破させる。町は救われた。後にロボットは完全に破壊されたのではなく、残っていたと判明する。

ピンク Pink 2016

チョウドリー監督、インド、130分。若い女三人が車で走っている。不安げな表情。少し前に食事に誘われた若い男たちから暴行を受けそうになり、一人の女が相手の顔を鈍器で殴り怪我をさせてしまったからである。

逃げてはきたが、相手の男の傷などは気にかかる。相手方の男のうち傷つけたのは、有力者の身内だった。相手の男たちは女たちに嫌がらせをしてくる。住んでいるマンションを立ち退けとか。遂には直接暴力を振るった女が逮捕される。裁判が始まる。女たちの近所に住んでいる老人はかつて法律家で今は病で引退している。その老人が女たちの災難を見て、味方になり裁判では弁護を勤める。告訴した検察官は裁判で被告の女をいじめ抜く。娼婦をしていたと非難する。

老人弁護士の活躍により最後は女たちは勝利する。映画はいかに女が社会で差別、迫害を受けているかの告発である。

2023年8月16日水曜日

バルザック『ユルシュール・ミルエ』 Ursule Mirouet 1841

ミノレ博士は資産家で田舎の屋敷に戻ってくる。彼の養い子、身内にあたるが私生児である若い娘、ユルシュール・ミルエを溺愛している。博士の親戚である村の者たちは莫大な財産がユルシュールに取られないか、やきもきしている。

ユルシュールは若い男と相愛の仲である。男の母親は貴族として自尊心が高く、ユルシュールの出自を許せないと二人の結婚を認めない。博士は老齢で死にかけた時、初めてユルシュールに財産のありかを話す。それを陰で隠れていて聞いていた親戚の男は、早速その証書等を着服し財産を自分のものとする。

無欲なユルシュールは特に気にもかけないが、盗んだ男はユルシュールが気になってしょうがなく、村から追い出そうとする。男と一緒にその企みにのった男は、ユルシュールに味方する司祭らによって悪事をばらす。ユルシュール方の者によって、盗んだ男の息子にも罪が及びそうになる。ユルシュールは罪を追求するつもりはなかったのだが、男の息子は事故によって無残な死に方をする。母親も精神がおかしくなった。盗んだ男は財産を返し、心を入れ替える。ユルシュールは愛する男と結婚し、幸福になる。(加藤尚宏訳、水声社、2007)

2023年8月15日火曜日

オデッド・ガロー『格差の起源』NHK出版 The journey of Humanity 2022

著者は経済学者、ブラウン大学教授。原著の題をそのまま訳すと『人類の旅路』で、第1部、第2部に分かれ、夫々「何が成長をもたらしたか」「格差はなぜ生じたか」に論じている。邦訳名は第2部のみを指し、内容を正しく反映していないが、こちらの方が売れると思ったからだろう。

まず成長をもたらした要因。成長とは一人当たりの所得の向上を指す。生産力が上昇し生産量が増えても、人口が増加すれば一人当たりの所得は増加しない。マルサスの罠と言われている。だから人類は何千年も成長しなかった。本書では長く続いたマルサス的停滞と近代成長を共に扱う。技術進歩が産業革命を起こし、人口を増やすより一人当たりへの人的投資に資源を投入した。

格差の要因について色々原因を挙げている。過去からの惰性、地理的要因、文化的要因など多くの要因を検討している。なかにはあまり賛成できないものもある。これらの分析から、現代の低開発国の国々が成長していく情報を提供できるのだろうか。

2023年8月14日月曜日

バンブルビー Bumblebee 2018

トラヴィス・ナイト監督、米、114分。トランスフォーマーなるシリーズ映画に出てくる変身ロボットのうち、バンブルビーというロボットがなぜ地球に来たかを描く。

遠い宇宙の彼方の星ではロボット同士の戦争が起こり、そこから逃れたバンブルビーは地球にやって来る。主人公の女の子は父親を亡くし、今でも父が忘れられず、新しい彼氏とうまくやっている母親など家族とは距離を感じている。廃車場の黄色いフォルクスワーゲンを見つけ、それをもらう。その廃車のフォルクスワーゲンが姿を変えたバンブルビーだった。少女はバンブルビーと仲良くなる。

星からバンブルビーを追ってきた敵方のロボット2台は、米軍隊に取り入りバンブルビーを捜させる。見つかったバンブルビーとロボットらとの戦いになる。また敵のロボットは仲間に地球侵略の連絡を図ろうとしていた。その通信は少女らの活躍によって阻止される。バンブルビーは敵のロボットを倒し、バンブルビーが地球の味方と分からせ、バンブルビーは車になって去る。

ウィリアム・ゴドウィン『ケイレブ・ウィリアムズ』 Caleb Williams 1794

著者はフランス革命時代のイギリスの思想家。革命に共鳴した進歩派。本書は後半の逃亡劇等から犯罪小説のはしりとも見られている。そういった見方が出来るものの、著者の社会に対する批判、考えが反映されている小説である。

語り手は書名になっているケイレブ・ウィリアムズという青年である。ある主人に仕える。非常に高潔な人格と見なされているが、暗いところがある。その謎を語り手は知りたく思い、邸の執事から主人の過去を聞く。その過去について好奇心から更に真相を突く止めたく、語り手は逸脱した行為に出る。これが主人の逆鱗に触れ、非難を浴びるに留まらない。身に覚えのない罪を着せられ、以降は語り手は追手から逃れる逃亡者となる。自分の潔白を周囲に納得させたく思うが、相手は尊敬されている地主であり、その主人を裏切った逃亡者の言など聞く者はいない。最後は二つの案があって、どちらが小説として優れているか読者は考えさせられる。

進歩主義者らしく、当時、革命を起こしているフランスに比べイギリスの制度が優れているという世評が高かった時代に、イギリスではこんなに問題があると指摘が度々ある。それにしても本書の登場人物の心の闇の方が、追っかけごっこよりも心に残る。

2023年8月3日木曜日

佐々木徹編訳『英国古典推理小説集』岩波文庫 2023

次の様な構成である。

『バーナビー・ラッジ』第一章より(チャールズ・ディケンズ)(付)エドガー・アラン・ポーによる書評/有罪か無罪か(ウォーターズ)/七番の謎(ヘンリー・ウッド夫人)/誰がゼビディーを殺したか(ウィルキー・コリンズ)/引き抜かれた短剣(キャサリン・ルイーザ・パーキス)/イズリアル・ガウの名誉(G・K・チェスタトン)/オターモゥル氏の手(トマス・バーク)/ノッティング・ヒルの謎(チャールズ・フィーリクス)

まずディケンズの『バーナビー・ラッジ』のごく一部とポーによる書評。実はこれはポーの書評が主であって(付)とすべきなのは『バーナビー・ラッジ』の方である。『バーナビー・ラッジ』は長篇小説であって、全編なら文庫では2冊か3冊になる。それに対して本文庫では9ページのみの引用。『バーナビー・ラッジ』はポーが使わなかった推理小説の基本トリックを使っている(ディケンズが使っているから、ポーは使わなかったのだろうと言われている)、またモルグ街の殺人と同じ1841年の発表である、といった点から推理小説好きの間ではそれなりに有名である。ただし『バーナビー・ラッジ』は推理小説ではない。推理要素も含んでいる時代小説である。肝心のポーによる書評は2文ある。一つは『バーナビー・ラッジ』の連載が始まって間もなくの発表、もう一つは小説が完結してからの書評である。ポーは小説に出てくる殺人の謎を推理した。完結後の書評はポーの推理が間違っていたため、自分の推理を正当化しようというか、自分の案の方がいいと言っている。更に一般的な推理小説論をしている。ともかくポーは推理小説オタクに見える。それに対してディケンズは小説に推理小説的要素を使ったが、それが小説の中心でもない。バーナビー・ラッジ以降も『荒涼館』『辛いご時世』、未完の『エドウィン・ドルードの謎』は犯罪が出てくるし、有名な『大いなる遺産』も全体の枠が謎になっている。ポーは早死にしたため、これらの小説は読めなかった。長生きして一番推理小説的なエドウィン・ドルードを書き継いでもらいたかったと思う。

『有罪か無罪か』(1849) 警察小説のはしりというべきか。法廷の場面も出てくる。『七番の謎』(1877) 親戚のいる田舎に行き、その地で起こった殺人。密室殺人の要素がある。癇癪持ちの郷士なる登場人物が面白い。『誰がゼビディーを殺したか』(1880) 語り手の若い警官は通報を受けて殺人現場に行く。凶器となったナイフの柄の銘が謎を解く鍵となる。『引き抜かれた短剣』(1894) 女流作家による女流探偵が出てくる作品。それだけで歴史的価値がある。細かいところに気がつくなど女らしい。

『イズリアル・ガウの名誉』(1911)は『ブラウン神父の童心』の一篇、これと『オターモゥル氏の手』(1931)は入れる必要がない。誰でも知っており既訳があるし、20世紀の作品である。傑作だから入れたというが、それなら解説にでも書いておけばいい。「『オターモゥル氏の手』こそ推理小説史上の最高傑作であり、これに比べたら本書所収の作品など読むに耐えぬ凡作ばかりである」とかなんとか。これらを入れる代わりに未訳のもの入れるか、あるいは載せずにページを減らして値段を下げて欲しい。要らない物の抱き合わせ販売である。

『ノッティング・ヒルの謎』(1863) これは比較的早い時期の小説であるが最後に収録されている。長さが本書全体の三分の一以上、半分近く占めている長編である。しかも本作は『月長石』(1868)に先立つ、英国初の長編推理小説だそうだ。だったらなぜそれほど知られていないのか。これまで翻訳がなかったのはなぜか。読めば分かるがあまりに「古典的」で、具体的には話にメスメリズムが関係している。メスメリズムといって知っている人はどれくらいいるだろう。動物磁気説ともいい、身体に流れているという磁気を利用して治療する。睡眠・心理療法の一種か。18~19世紀に流行ったそうだ。当時からインチキという批判もあったらしい。たまたま読んでいたポーの『鋸山奇譚』にも出てきた。他にもあるだろう。他に夢遊病が出てくる。夢遊病は『月長石』にも出てきた。

この小説は形式も特殊である。証言、書簡、日記などで言わばすべて会話体から成っている。昔に遡り、同名の母娘が出てくるので混乱しないよう。p.516に簡単な家系図が載っているから参照。双子の姉妹が生まれ、一人は幼い時に誘拐される。成長してからの姉妹はお互い知らずに・・・と全く明治時代の小説か無声映画に出てきそうな話である。犯罪は遺産目当てで、それは珍しくないかもしれないが、更に保険金も犯罪の動機となっている。日本初の保険金殺人は昭和10年に起きた日大生殺人事件と言われている。実際の事件と創作を比べてもしょうがないと言われそうだが、日本の犯罪の70年以上前に、小説に保険金殺人が書いてある。いかに19世紀のイギリスが進んでいたかと分かる。先に書いたメスメリズムとか身分制を前提とした話とか、古色蒼然とも言えるが、古典であるからそうなる。昔の小説を好きな人に勧めたい。

ミッシング・デイ Reclaim 2014

アラン・ホワイト監督、中、馬来、米、96分。

プエルトリコにやって来た若い米人夫婦。養子をとるためである。業者から紹介された黒人の女の子を気に入り、海辺のホテルで楽しい時を親子で過ごす。ある日養子がいなくなった。捜すが見つからない。前から近づいていたジョン・キューザックとその一味に攫われたのである。

しかもこれは養子縁組詐欺で、養子の少女も含め、紹介業者みんなぐるになって行なわれた組織的な犯罪であると警察から知らされる。夫の方は敵から逃げるが、妻は捉えられる。夫は敵のアジトに行く。キューザック一味と戦い、最後は養子の女の子にキューザックは撃ち殺される。夫にも銃を向けるが下す。米国に戻ろうとなって終わり。

2023年8月2日水曜日

黒馬物語 Black Beauty 1970

ジェームズ・ヒル監督、英、105分。アンナ・シュウエルの原作を元に映画化。

牧場で黒い仔馬が生まれた。父親は息子(マーク・レスター)にこれはお前の馬だといい、レスターは夢中になって育て可愛がる。しかし牧場主が死んで新しく主になった息子は傲慢、乱暴な男で馬を取り上げる。男はやけになって黒馬を駆けて走っていた時、馬車は転倒し男は放り出される。

そこを通りかかった老人は男から物を盗み、黒馬を連れて行く。村に帰った老人は長をしている男と競争する。馬に乗って湖を一周する競争で、黒馬に乗った老人は勝ち、自分が長だと宣言する。そののち黒馬は曲馬団に売られる。馬乗りの若い女は黒馬を可愛がる。別の曲馬団の団長が来て、この曲馬団を買収したいと言う。こちらの団長は断る。相手は若い女と黒馬をさらっていく。閉じ込められた女を救うべく黒馬は暴れ、鞭をふるった相手の団長を蹴って倒す。

黒馬はイギリスの貴族に買われ、娘に贈られる。娘は軍隊の若い兵士が好きだったが、父親は結婚を許さない。若い兵士は戦争に行く。娘から黒馬を贈られそれに乗って戦うが戦死する。後に将兵に酒代として黒馬は売られる。黒馬は石炭屋の車引きに酷使されていた。通りかかった若い男と祖母が可哀想に思い黒馬を買う。黒馬は牧場で幸せになる。