2021年1月20日水曜日

白痴 昭和26年

 黒澤明監督、松竹、166分、白黒映画。

ドストエフスキーの原作を黒澤が映画化。265分の映画だったが、会社の意向で166分になった。原作のロシヤ、ペテルブルグを札幌に置き換え、登場人物も日本人にし、時代は制作の頃、戦後間もない時期とした。

森雅之がムイシュキン役、三船敏郎がロゴージン役、原節子がナスターシャ役である。原作が長篇であり、映画化するとなればどうしても脚色や短縮が必要になる。それに今残っているのは元々の映画より100分も短くなっている。それでも観ていて優れた出来栄えであった。正直なところ、この映画で原作を知ろうとする者より、原作を読んだ者の方が評価するのではないか。ドストエフスキーの小説は、本作を含め人間の言動を極端化しているので、何も知らずに観ても消化不良になる恐れがある。ドストエフスキーはあまり映画化にむかない作家だと思う。これまで観た何本かの映画化はあまり高く評価する気にはなれなかった。本作は原作そのままだとか、そういう意味でなく映画として優れた作品になっている。

2021年1月18日月曜日

バルザック『骨董室』 Le Cabinet des Antiques 1839

 

地方都市に住む侯爵デグリニョンは時代に取り残されている。王政復古にも大して恩恵にあずからず、その屋敷で貴族たちの集まるサロンは「骨董室」と冷やかされて呼ばれている。侯爵の妻は出産で亡くなり、一人息子ヴィクチュリアンは、侯爵の妹である叔母によって育てられる。叔母は美人で、町のブルジョワ、デュ・クロワジェから求婚される。断るとデュ・クロワジェは恨みを持ち、侯爵家に復讐を誓う。小説は侯爵家とブルジョワ間の争いが後半の主な主題になる。一人息子ヴィクチュリアンはわがまま放題に育てられ、見栄えも良いので放蕩を尽くす。パリに行かせ修行させようと一家は息子を送り出す。パリでは放蕩に一層磨きがかかり、美人の貴族夫人といい仲になる。好きなだけ贅沢を続け、とうとう手形を偽造してお金を作ろうとする。この偽造手形で裁判をおこし、ブルジョワ、デュ・クロワジェは、息子ひいては侯爵家を破滅させようと企む。元公証人で侯爵家に忠実な老シェネルは、奔走してこの醜聞を食い止めようとする。叔母やヴィクチュリアンの恋人の夫人も同様に手を尽くす。19世紀前半の司法は、まだ情実や駆け引きで動いていた。司法関係者に出世ができる、危なくなるといった説得で裁判を良い方向にもっていこうとする。苦労は実り、ヴィクチュリアンは無罪になる。もっともその後、あまり出世もできなかった。老侯爵やシェネルも亡くなる。裁判では苦汁をなめたブルジョワは最終的に勝利する。

貴族とブルジョワの闘争で、次第にブルジョワ側が勝利していく様を描いている。司法を駆け引きで動かす様は『浮かれ女盛衰記』にもあった。

なお本編その他が含まれる『金融小説名篇集』の最後に編者と漫画家の対談があり、編者がバルザックはこれまで日本で受け入れてこなかった作家である、バルザックは唯物論の作家で儒教風土の日本ではそぐわなった云々と書いてある。こんな意見に納得、同意する人がいるのだろうか。

宮下志朗訳、藤原書店、1999

バルザック『名うてのゴディザール』 L’Illustre Gaudissart 1833

 

ゴディザールとはパリのセールスマンで評判がいい。パリ小物の地方販売で高い売り上げを誇っていた。ゴディザールの腕を見込んで、新聞や生命保険の売り込みを頼む。ゴディザールはトゥーレーヌ地方に向かう。ある男を紹介される。実はその男は少し頭の調子がずれており、それを承知でずるい現地の者はゴディザールに引き合わせたのである。話がかみ合わず、ゴディザールのしゃれを男は文字通り解釈するので、ギクシャクした会話が続き、原語を知っていれば面白いのだろう。最終的にゴディザールは自分が騙されたと分かり、怒る。すると現地人は、そちらこそ生命保険や新聞を売ろうとしていたのではないかと反論する。結局ゴディザールは子供用の新聞を契約させ、損はしなかった。パリの名うてのゴディザールが田舎者に翻弄される様が面白い。

吉田典子訳、藤原書店、1999

2021年1月14日木曜日

バルザック『ニュシンゲン銀行』 La Maison Nucingen 1838

 

あるナイトクラブの一室で交わされる四人の男のお喋り、それを隣室の者が聴くという形の小説。四人のジャーナリストや投機師らが話す内容は、ゴリオ爺さんの娘の恋人のラスティニャックからの資産形成から始まる。恋人の夫であるニュシンゲンは銀行家で、いかにして財を成したかが物語れる。銀行の経営が危ないと見せかけ、債権者の所有を低額の証券に替えさせ、その後に銀行経営が健全であると分かって銀行の資産は上昇し、ニュシンゲンは大儲けする。

こういう方法で儲ける例はあろうし、小説の題材として面白い。フランスの経済の拡張期の話の例であろう。ただし実際の経済でこんなことしていたら信用を無くしてしまい、その後が立ち行かない。小説の読者は経済とはこういうものだと思う者が多いし、話を面白いと思うから成り立っている。

吉田典子訳、藤原書店、1999

2021年1月10日日曜日

バルザック『ゴプセック』 Gobseck 1830

貴族の屋敷で、代訴人デルヴィルはそこの家の娘が好きになっている男の財産について述べる。その関連で、代訴人がかつて指導を受けた金貸しゴプセックの物語になる。代訴人が若い時、同じ建物にオランダ生まれの金貸しゴプセックが住んでいた。ゴプセックから手ほどきを受ける。ある日、ゴプセック宅に貴族夫人がダイヤモンドを金に換えたいと、情人の男と一緒にやって来た。ゴプセックは引き受ける。その後少ししてから、夫人の夫、レストー伯爵がダイヤを取り返しに来る。夫人はゴリオ爺さんの冷酷な娘の一人であり、情人との間に子供まで作っていた。

後にレストー伯爵が危篤状態になり、代訴人は呼ばれる。実の息子である長男のみに財産を継がせたいと思っていた。妻の夫人は何とか夫の財産を自分のものにしたく画策していた。ゴプセック自身の死も語られる。何よりも自分の財産が大事だと思っていたゴプセックも死んではもうどうしようもできない。

代訴人は娘が好きになっている相手がレストー伯爵の息子であり、財産は問題ないと語る。ゴプセックは金貸しと言っても、別に金に汚い男ではない。いくら財産をため込んでも死ぬ時には無力であるという辺りが記憶に残る。

吉田典子訳、藤原書店、1999

2021年1月9日土曜日

侠女 1971年

 胡金銓監督、台湾、179分、武侠映画。

田舎で人相描きをしている男は母と二人暮らし。隣家のあばら家に若い娘が老女と引っ越してくる。男と母は関心を持つが、世を避けて暮らしたいようである。実は若い女は父親が政治の冤罪で死刑になりその復讐を誓っていた。お供の将軍二人も普通人に化けてこの町に来ていた。ある軍人風の男が町にやって来る。女や将軍を捜していたのである。映画はこの女と追撃する政府軍との戦いが主な筋である。絵描きの男は女と組んで、自分は軍師になり政府軍を迎え撃つ戦略を練る。女側と政府側の争いは熾烈を極め、最後に女たちは僧侶に助けられる。高僧は敵方の首領も打ち負かす。女らは出家し俗世間から離れる。後の中国の武侠映画に影響を与えたとされる。

驟雨 昭和31年

 成瀬巳喜男監督、東宝、91分、白黒映画。

世田谷の新興住宅地に住む、佐野周二と原節子の結婚4年で倦怠期に入った夫婦生活を描く。日曜でやることのない佐野は原とつまらない言い合いをし外出する。姪の香川京子が新婚旅行を早々に切り上げて帰って来た。原が事情を聞くと、夫の無遠慮極まる態度に香川は怒っていると分かる。佐野が帰って来て男の事情を話すと、原は香川に代わって佐野にたてつく。隣に小林桂樹と根岸明美の若い夫婦が引っ越してきた。隣の芝生は青いというように佐野は若い根岸に惹かれ、原は人当たりのよい小林に好意を持つ。原が食事を与えている野良犬は近隣の物を持っていったり、幼稚園の園長からは、飼っている鶏が殺されたと文句が来る。

佐野の勤めている会社では人員整理をする。自発的に申し出た者には十万円を加算すると言う。これを聞いて佐野及び同僚は加算金を貰って料理屋でも始めたらどうかと佐野の家に来て相談になる。原にも協力を頼み、原は仕事をするのは満更でもない気になるが、佐野ははっきり断り、原に文句を言う。佐野は田舎に帰るつもりでいたが、今帰ってもきょうだいが家を継いでいるし、米が木になっているいるわけでもないだろうと原から嫌味を言われる。

明くる日に近所の子供たちが紙風船を飛ばして遊んでいて、その風船が佐野の庭に落ちる。取ってくれと子供から言われ、佐野が取って放り投げると原が受け、佐野と原の風船ごっこが始まる。

2021年1月7日木曜日

女の座 昭和37年

 成瀬巳喜男監督、東宝、111分、白黒映画。

雑貨屋を営む実家の老父が危篤となった。その知らせで子供たちが集まる。大したことなかったと分かる。登場人物たちが一堂に会する。老父は笠智衆、その後妻が杉村春子、長男の未亡人が高峰秀子で店を切り盛りしている。長女の三益愛子は下宿屋をしている。夫の加東大介が女と逃げた。捨てられ戻ってくる。次女の草笛光子は華道の先生でまだ独身。次男が小林桂樹でラーメン屋をしている。三女の司葉子は勤め先が倒産し、小林のラーメン屋に手伝いに行く。そこに来た客の夏木陽介は四女の星由里子の友人で、司と知り合い、共に満更でない気になる。

次女淡路恵子は九州に嫁に行ったが、夫の三橋達也と一緒に上京する。いつのまにか腰を落ち着ける。聞いてみると三橋は九州で失業し、東京で職を見つけるつもりだった。夫婦は店を担当するようになる。ある日、宝田明がやって来た。誰かと思いきや杉村春子が捨てて出た元の家の子供が成長していたのである。容姿が優れている宝田に独身を続けてきた草笛が惚れる。実は宝田はこれまで詐欺師まがいの人生を送ってきた。それが分かった高峰は結婚を決意した草笛に慎重を求めるが、嫉妬と思った草笛は平手打ちを高峰にくわせる。高峰は宝田に出入りを遠慮してくれと頼む。高峰に好意を持っていた宝田は心外だった。

高峰の長男は高校受験を控えて勉強を高峰がせかすが、やる気がない。伯父さんの小林がやっているようなラーメン屋がいいと言い出す始末である。テストの成績が悪くしょげて帰る息子。自宅に連絡が入る。電車に息子がはねられたと。気を失う高峰。葬式、高峰は自分が悪かったのではと悔やむ。夏木といい仲になっていたはずの司に見合いの話が持ち上がる。星が夏木にそれを言っても夏木は自分の給料では養えないから無理だと答える。司は見合いの相手と結婚しブラジルに行く予定になった。星が夏木を好きなので、自分に夏木との結婚話を持ち掛けたのだと司は言う。雑貨屋の場所に高速道路が通るので立ち退きになり補償金が出ると皮算用をしていたが、道路は外れると分かる。子供たちは雑貨屋の場所を自分の都合のよいように取ろうと画策していた。

笠と杉村の夫婦は高峰と墓参りに行き、帰りに適当な家を見つけ三人で住もうと提案する。高峰が結婚するなら自分の娘として送り出すと言う。杉村は高峰に好意を持ち、子供らより頼りにしていた。

全体の構図は『東京物語』に似ている。ぱっとしない登場人物たちの生活の様を描く成瀬調の作品である。当時の風俗が良く分かる。

2021年1月6日水曜日

風前の灯 昭和32年

 木下恵介監督、松竹、79分、白黒映画。

郊外の一軒家は老婆とその息子夫婦が住む。嫁の高峰秀子は姑に手を焼いている。たまたま夫の佐田啓二が懸賞のカメラを当て、夫婦は一息付ける気分になったが、様々な者たちに翻弄される。高峰の妹らはこの家からなるべく金を引き出そうとやって来る。また女中が畳を焦がし馘にした。中々家を出ていかず、その部屋に引っ越ししようとする若い者たちともめる。更に家の周りでは金目当てで忍び込もうとするチンピラの若者たちが隙を伺っていたが、家の出入りが激しくむつかしい。かつての知り合いだった若い男が戦争から戻って来る。老婆にお世辞を言いながら家に図々しく入ってくる。実はこの男は凶悪犯で、映画の最後は警官に追われる。60年以上前の東京郊外が舞台で、今なら家が建て込んでいる場所になっているだろう。

2021年1月5日火曜日

江川卓『謎とき白痴』新潮選書 1994

 


ドストエフスキーその他ロシヤ文学の翻訳を多く出している江川による『白痴』論である。既に罪と罰やカラマーゾフで既刊がある謎解きシリーズの『白痴』版である。本書もいつもとおり、ロシヤ語でこんな意味があるといった指摘で、単に読んでいるだけでは分からない事柄を教えてくれる。更にこの小説でいつも気になる点、題名の邦訳である。「白痴」と伝統的に訳されているが、元の単語idiotは日常語の馬鹿を含んでおり、漢語の白痴にはない意味がある。それに加え本書は、ロシヤ語では更に聖痴愚の意味もあると指摘する。そうなら書名としてIdiotはふさわしい。元々日本語と西洋語は、一対一に対応していない、特に抽象概念ならそうである。それを正しい訳語がどこかにあると信じている人がいる。原語の意味を知り、伝統的な訳名の裏にそういった概念があると知るべき。単に現在の訳名を変えても、それだけでは原語に近づかない。

2021年1月4日月曜日

ドストエフスキー『白痴』 Идиот 1868~1869

 ドストエフスキーの長編小説。ドストエフスキーの中では、思想的より芸術的と言われる作品。真実美しい人間として主人公ムイシュキン公爵を描こうとした。主人公ムイシュキンはスイスでの療養を終え、ロシヤに戻ってくる。そこで知り合った人々に率直に物怖じせず、自分の意見を言う。周囲の目を気にせず、正直にふるまうムイシュキンは周りから少し馬鹿ではないかと言われる。この馬鹿に当たる原語がIdiotである。極めて知能が低い状態も指すが、日常的には馬鹿という場合に使われる。白痴よりお馬鹿さんと言った方が小説の大部分ではふさわしい。もっともムイシュキンは実は洞察力が極めて高く、そういう意味では馬鹿と正反対である。恋愛小説の外観を取り、ムイシュキンと友人ロゴージンが美女ナスターシャを巡って三角関係となり、もう一方で、貴族令嬢アグラーヤとナスターシャがムイシュキンを巡る三角関係になる。善人のムイシュキンがロシヤの現実に放り込まれて、当然ながら上手くいくはずもなく最後は悲劇で終わる。

2021年1月3日日曜日

華麗なる闘い 昭和44年

 浅野正雄監督、東宝、94分、内藤洋子主演。

洋裁学校に通う内藤は高級洋装店を経営する岸恵子から引き抜かれ、そこで働く。岸は内藤を贔屓にし、愛人の中年男との会食も連れていく。岸はパリに行きたいので、店は内藤に任せたいと告げる。奮起して内藤は仕事に取り組む。ただ岸が旅だった後、店の経理は乱脈を極め、放っておいたら破産である。金は岸がみんな持って行ってしまった。内藤は獅子奮迅の働きで店を立て直しファッションショーの開催までこぎつける。その間、岸の愛人だった中年男と関係を持ち利用する。ところがファッションショー開催寸前になって岸がパリら戻ってくる。そしてファッションショーは岸のデザインの発表の場となった。また内藤が愛人にしていた中年男が今度は外国に行ってしまったと聞く。自分の店を持つつもりでいた内藤は、岸から今度独立すると聞いたと言って、体よく放り出される。中年男を愛人にしていたので、内藤を好いていた岸の弟の若い男からも見限られる。岸と中年男にいいように利用された内藤は「大人って凄いな」と言って去る。

昭和40年の「赤ひげ」で映画デビューし、翌年のTV「氷点」で大人気になり、45年結婚して外国に行って芸能界と縁を切った内藤の末期の映画である。なぜかあまり話題にならない。同年の「地獄変」の方がまだ聞く。短い芸能期間の間、人気があったのでそれなりの数の映画に出た。他の映画の方が有名である。なぜ本作が話題にならないか、事情でもあるのか知らない。騙されても前向きに考えていくので良いようであるが、自分が大人になったら人を騙すつもりなのか。

2021年1月1日金曜日

ネイト・シルバー『シグナル&ノイズ』 The Signal and the noise 2012


 予測について書かれた本である。様々な情報のうち、有用な分がシグナル、惑わせるだけの雑音がノイズである。如何にしてシグナルを取り出し予測に役立てるか。歴史上のこれまでの予測の実際、どう予測されていかに当たったかどうかを豊富な具体例に即して述べる。リーマン危機、野球の勝敗、天気予報、巨大地震、経済予測、インフルエンザ、ギャンブル、ポーカー、金融市場、地球温暖化、テロが具体的な事例である。方法としては大局的世界観より個別に見ていく、ベイズ方法の有用性、先を読む場合の機械と人間の競争などが取り上げている。大部な書であり、自分の関心のあるところから読んでいく方がいいと思われる。

川添節子訳、日経BP社、2013