2020年5月31日日曜日

悪魔をやっつけろ Beat the Devil 1953

ジョン・ヒューストン監督、米、89分、白黒映画。

ハンフリー・ボガードは妻のジーナ・ロロブリータと一緒にアフリカ行きの船の出航を待っている。ボガードの仲間の悪漢4人が来る。更に英国人夫婦(妻がジェニファー・ジョーンズ)と知り合いになる。ジョーンズはボガードを気に入るが、虚言癖があり自分たちが大金持ちだと吹聴する。それを聞いた悪漢4人はアフリカで、英国人夫婦からせしめようとする。ロロブリータは英国が好きで、ジョーンズの夫を好きになる。

なかなか出航しないので、ボガードともう一人の悪漢は飛行機に乗って行こうと車を出す。エンコばかりしている車で、後ろを押しているうちに動き出し、崖から落ちる。この知らせを聞いたジョーンズ、悪漢どもはボガードが死んだと思いこんだ。もっともその後からボガードらは現れ、無事だったと分かる。アフリカ行き出航の知らせがある。
悪漢どもは英国人夫婦がそんなに金持ちか調べるようにしていた。電報が船に来るが、そんな資産家はいないとある。英国人のトランクを盗み開けてみると、秘書の仕事を得にアフリカ行くに過ぎないと分かった。勝手にトランクを開けられた英国人は怒り船長に言うが、取り合ってもらえない。うるさくなった英国人を悪漢どもは片付けようとしたが、ボガードに邪魔される。英国人は逆に捕らえられて部屋に閉じ込められる。船が沈みボガードらはボートで脱出する。

着いた場所はアフリカの某地でそこの警察に捕えられる。ボガードが丸め込み、みんなは逃れる。英国の警察がやってきてボガードらに役人殺しの手がかりを聞く。ジョーンズが悪漢どもの悪事を暴き、悪漢4人は捕まる。ジョーンズに電報が来る。すると英国人の夫は生きており、ただし中央アフリカにいて来いと書いてあるので卒倒する。

2020年5月30日土曜日

風船 昭和31年

川島雄三監督、日活、110分、白黒映画。

会社社長、森雅之には息子の三橋達也、娘の芦川いづみがいた。三橋は独身だがバーの女、新珠三千代を愛人にしている。かなり新珠は真剣であり、三橋はうっとうしく思うくらいである。
森の恩師の息子である男は浅薄で、愛人だった北原三枝を売りに出している。三橋と北原を会わせ、北原の世話を三橋にしてもらおうと企む。北原は結構三橋が気に入り、愛人と知っている新珠に自分たちの仲を見せつける。そのため新珠は痛く傷つく。芦川は小児麻痺で絵を描くのが好きである。父親の森に連れられ京都に行く。かつて父が下宿していた家の左幸子に案内され京都見物を楽しむ。弟も人が良く、京都が気に入る。

北原に三橋を奪われると信じた新珠は自殺を図る。一命はとりとめたものの、三橋のつれない態度で今度は本当に死んでしまう。新珠を気に入っていた芦川はひどく嘆く。
森は愛人を死なせたにもかかわらず冷たい三橋に平手打ちをくらわす。
社長を辞め、京都に行きたいと言い出す。妻は驚き同行しないと言う。三橋はもちろんだが、芦川に意向を尋ねても拒否され、森は一人で京都に移り住む。あの左の家である。盆踊りの夜、左に連れ出される。あそこを、と左に言われ、見ると芦川が盆踊りを踊っていた。

適当に付き合っている男と真剣な女の仲が生み出した悲劇を描く。

2020年5月29日金曜日

子供たちは見ている I Bambini ci guardano 1943

ヴィットリオ・デ・シーカ監督、伊、80分。

夫婦には幼い息子がいる。妻は以前から男がつきまとい、妻も内心満更でない。一度、家庭を捨てて男と妻は逃げる。その間、息子の世話を誰がするかで一騒動になる。妻は帰ってきた。夫は最初、冷たくするが妻を許すようになる。男はその後も家に押しかけ、嫌がる妻やそれを見ている息子の前で妻を口説く。
夫は家族旅行を思い立ち、妻息子と海水浴へ行って楽しむ。先に夫だけ帰る。あの男がまたやって来て妻に言いより、二人で時を過ごす。息子はそれを見ていて、一人で父親のいる自宅へ帰ろうとする。見つかって母のところへ戻される。実家には子供のみ帰ってきた。母親は男と行動を共にした。息子は寄宿舎に入れられる。父親を叫んで呼ぶが父親は黙って帰る。
その後父親は自殺。寄宿舎へ母親は来るが、息子は母親の下へ寄っていかない。

家庭を捨てて逃げる女の話は聞くが、これはそれを正面から取り上げ、息子の視点で描いている。制作が戦争末期なのに、海水浴場で娯楽を楽しむ人々を見ていると戦時中かと思ってしまう。

2020年5月28日木曜日

Revene リベンジ Revenge 2017

コレリー・ファルジャ監督、仏、107分。
若い女が男3人に復讐する映画。フランス映画らしくかなり衝撃的な場面が平気で出てくる。まさしくヨーロッパ映画という感じ。

砂漠の真ん中あたりかと思うような場所にある別荘。男女が愛欲にふけっていた。明くる日、荒くれ男2人が現れ女は驚く。男は自分の仲間だという。
男が留守の間に、荒くれ男の一人は女に迫り強姦する。男は帰って来ても色気がありすぎるせいと女に言うだけである。女は怒りすぐここから帰りたい。そうしなければ男の妻に言うと脅す。これで男は切れ、女を襲おうとする。女は逃げる。崖淵まで来る。男は女を突き落とす。女は崖下の木に突き刺さる。死んだはずだが、男達が去ってから女は気がつき、身体が刺さっている木から逃げだす。明くる朝男達が来てみると女がいない。男達は3人で女を捜しに行く。
それから後は女が男達を一人づつ血祭にあげていく、という筋である。

非現実的に見えるし残虐過ぎるが、復讐映画ならこのくらい徹底していた方が面白い。

2020年5月27日水曜日

秋津温泉 昭和37年

吉田喜重監督、松竹、112分、岡田茉莉子主演・企画。岡田茉莉子の出演百本作として制作。

終戦間際の秋津温泉(岡山の北県境)から始まる。学生の長門裕之は、肺病を病み秋津温泉の旅館に来る。そこの娘が岡田茉莉子だった。
終戦になる。長門と岡田は惹かれ合う仲になっていた。しかし長門は温泉を去る。岡田は流行らない旅館で暮らしていた。長門が帰ってくる。結婚していたと知る。岡田はショックを受ける。長い間の後、仕事で長門はまた来る。二人は結びつく。一緒に死んでくれと頼む岡田に、長門は常識的なことしか言わない。去っていく。岡田は河原で手首を切り自殺する。

随分前、観て何十年かぶりに再見した。若い時の鑑賞ではかなりいい映画と思った記憶がある。今になって見直すと昔ほどの感銘はなかった。
なぜ違いが生じたか。若い時は、岡田の純粋な愛情に感心したかもしれない。今観ると、長門の役が三無主義(という言葉があった、無気力、無関心、無責任、無感動のうちどれか)そのままで何も魅力を感じない。それがこの役の役柄なのだと言われても、見た目からして長門という役者に魅力を感じない。当初は芥川比呂志だったそうで、その場合は印象が変わっていただろう。女の愛情の対象は理屈でないから、つまらない男でもいい、いやむしろその方が女の愛情の純粋さを表現するのにはふさわしい、と言われそうである。後に戻ってきた長門は、自分勝手と鈍感の塊になっている。(こういう男の描き方が映画では多すぎてパターン化というか陳腐な感じである)自分が歳をとってくると男が魅力的でないと(見た目だけの話でない)、気になってくる。
岡田は美しい。魅力的過ぎるくらいだ。音楽(林光)は情感豊かな浪漫的で心に残るが、やや使い方がくどいと思うかもしれない。

本作の時、岡田は29歳で、この百本記念映画の企画と衣装も担当した。昭和8年生まれの岡田は20歳が昭和28年で日本映画の全盛期である。
戦後で最も有名な女優は吉永小百合だろうが、昭和20年生まれ、20歳は昭和40年という日本映画凋落期である。吉永の百本記念映画は昭和63年(43歳)の「つる-鶴-」である。
戦前生まれの俳優はいい時期に生まれた。吉永以降も含め戦後の俳優は、活躍する場が非常に限られていたのである。

2020年5月26日火曜日

花咲ける騎士道 Fanfan la Tulipe 1952

クリスチャン=ジャック監督、仏、100分、白黒、ジェラール・フィリップ主演。

18世紀のフランス、国王は戦争が好きでいつも戦争をしていた。そのため兵士の補充が必要となった。
ジェラール・フィリップは女好きで、田舎の娘を追い回していた。その父親は怒り、責任をとって結婚しろと迫る。フィリップは逃げる途中、占い師を自称するジーナ・ロロブリータから王女と結婚する相があると言われる。逃げた先では兵士の募集中をしている。フィリップは兵になると署名し、女との結婚から逃れられた。実は女占い師は募兵官の娘で、兵士を集めるため王女と結婚の相があると、誰かれかまわず言っていたのである。
しかしフィリップはすっかりその気でいる。偶然、ポンパドゥール夫人と王女の乗った馬車を盗賊から助ける機会があり、確信する。王女会いたさに忍び込み捕まる。死刑の判決が出る。ロロブリータはフィリップに惚れこみ助けようと画策する。ロロブリータを好きになっている軍曹はフィリップが死ねばいいと思っている。フィリップは牢屋を抜け出し、屋根の上で軍曹と剣合わせをする。
ロロブリータはフィリップの助命嘆願に王の下へ行く。王はロロブリータを気に入り自分のものにしようとする。反抗して逃げた女を捕まえるよう命令する。

出撃命令が出て敵方と戦うフィリップら。うまく司令部を乗っ取り、敵方の戦意を喪失させる。王の命令でロロブリータを捕えた、側近の馬車をフィリップらは追う。何とか救出したかと思ったが、また連れ去られる。
敵を降伏させたフィリップらは国王の前に出る。自分の王女と結婚しろと命令する。その時、国王の養女となったロロブリータが出てくた。

喜劇なので、話の展開はご都合主義的なところはあるが、映画全体としてチャンバラの場面が多いのが特徴。
なおジェラール・フィリップの役名ファンファンが、フィリップの仇名となった。

2020年5月25日月曜日

オープニング・ナイト Opening Night 1977

ジョン・カサヴェテス監督、米、150分、ジーナ・ローランズ主演。

大物舞台女優であるローランズは、最近スランプ気味である。ある夜、劇場前でサインを求めてきた少女と別れたすぐ後、その少女は車に当てられ死ぬ。
ローランズはまずます憂鬱に陥り、役をこなす自信がなくなる。原作者、演出家、その他関係者と意見の食い違い、対立が生じる。
ニューヨークでの初演の日、行方をくらまし、スタッフ一同を慌てさせる。上演中止になるかと思いきや、劇場に姿を現す。しかしかなり泥酔している。舞台に立てるかどうかも危ぶまれる。ともかく開幕、ローランズの演技は覚束なく、途中でまた中止かと思わせるような態である。しかし最後までやり抜き、称賛を受ける。

俳優という職業の危うさ、他人に迷惑をかけるなど厭わないのか、と思わせる行動。映画だからうまく収まったが、実際はどうであろうか。

2020年5月24日日曜日

上海特急 Shanghai Express 1931

ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督、米、80分、マレーネ・ディートリッヒ主演。

当時の中国、北京から上海へ向かう上海特急が舞台。マレーネ・ディートリッヒは上海リリーという名で知られた女。同乗した客の中にはかつての恋人である英国軍人がいた。内心はお互いに惹かれているのに、表面上はよそよそしく振る舞っている。
政府軍と中共軍の内戦時代である。列車は止められ、乗客は検査を強制させられる。革命軍の幹部が捕まった。その引き換えになる捕虜を革命軍は捜していた。英国軍人が捕まる。傲然たる態度で中国人の将校などは鼻にもかけない。その前にディートリッヒを口説いた将校は英国軍人で張り倒されていた。その恨みで英国軍人の眼を潰そうとする。ディートリッヒは革命軍将校にいうことを聞くからと嘆願する。

これで英国軍人は助かったが、自分の前で中国将校について行くと言ったディートリッヒが許せない。誤解のまま上海に着く。駅で二人は抱き合う。人前で接吻する方を軍人はディートリッヒに聞く。ここは自分たちしかいないと言い、ホームの人込みの中で接吻しあう。

2020年5月23日土曜日

悲しみよこんにちは Bonjour Tristesse 1958

オットー・プレミンジャー監督、米、94分、総天然色(一部白黒)映画。サガン原作。

白黒、パリを舞台で映画は始まる。毎日倦怠的に遊び惚けている娘(ジーン・セバーグ)と父親。男と踊りながら一年前のリヴィエラを思い出す。思い出の場面は総天然色になる。
リヴィエラの別荘で、父娘は友人の若い女と一緒にいた。そこへ亡妻の友人の、デボラ・カー扮する女が来る。
女と父は婚約する。母気取りで娘に命令する。それまで父とうまくいっていた、父を独占していた娘にとって不愉快この上ない。婚約まで一緒にいた女その他と共謀して、邪魔をしようとする。元一緒にいた若い女が父親を呼び出す。浮気者の父親は、その女の前で相手の機嫌をとり、婚約者の女を貶す。それを女は陰で聞いていた。娘の制止も聞かず、車で出ていってしまう。
後に父娘がどうやって女の機嫌を直すか、話し合っている時電話がかかってくる。女の車が崖下の海で発見されたと。

現在に戻る。白黒画像の中で、娘は再び幸福になれるかと虚ろな表情で思う。父は相変わらず女たらしぶりを発揮し、娘も父と享楽に時間を過ごす。

2020年5月22日金曜日

美しさと哀しみと 昭和40年

篠田正浩監督、川端康成原作、松竹、106分、総天然色映画。

昔、山村聰扮する小説家は、若い画家の八千草薫と関係し、妊娠させたが流産で終わった。
現在、山村は若い息子(山本圭)がいる。八千草の弟子、加賀まりこは師の八千草に対し同性愛を抱いている。若き日の八千草を踏みにじった山村が許せず、復讐を計画する。八千草は加賀の意図を見抜き、山村父子に近づくなと命令する。
まず山村を誘惑する。続いてその息子である山本も破滅させようとする。

親に対する仇を息子で討つ、と言えば小津の『浮草』を思い出す。あの作品は親がそそのかすのが発端である。本映画では弟子が勝手に、師の命令に背き、間接的な復讐を意図するところが異なる。

2020年5月21日木曜日

ナイアガラ Niagara 1953

ヘンリー・ハサウェイ監督、米、92分、総天然色映画。
マリリン・モンローの映画として名高い。数十年ぶりの再見で、ジョゼフ・コットンが相手役として出ていると気が付いた。

ナイアガラの滝の観光映画のようなところがあり、現地の観光協会のカネで作ったのかと最初思ってしまった。ところが途中で女が逃げる際、柵が簡単に壊れ、危うく落ちそうになる場面がある。危険な場所ですと言わんばかりで、観光協会協賛ではないだろう。
ナイアガラの滝の前のバンガローに新婚夫婦が来る。予約してあった小屋には、モンロー、コットン夫妻がまだ出ていかず、モンローが主人の調子が悪いと言う。新婚は別の小屋に行く。モンローとコットンは仲が悪く、モンローは愛人とコットンを亡き者にしようと企む。しかし人を呪わば穴二つで、大体この辺りは予想通りの展開になる。
モンローは途中から出なくなる。その後もコットンと新婚の妻の話はあり、モンローでなく妻(ジーン・ピーターズ)の方が中心かと思った。もっとも最初の登場人物紹介では一番初めにモンローの名が出てくる。

正直、映画史上最も有名な女優マリリン・モンローが出ていなかったら残ったかどうか危ぶまれる映画である。しかしそんな話でなくモンローがカラーで見られるし、モンロー・ウォークも出てくる。それらを楽しむ映画だろう。

2020年5月20日水曜日

ローラ Lola 1961

ジャック・ドゥミ監督、仏、90分、白黒映画。
アヌーク・エーメ主演、マックス・オルフェスに捧げるとある。

港町ナントで踊り子をしているのがエーメ、その源氏名がローラである。小さい息子がいる。父親は何年も不明である。ひたすらに夫の帰りを待ちわびている。
米の水兵がエーメを気に入りよく店に来る。踊りだけでなく、場合によっては春を売るのでその相手もしていた。
若い男が仕事が嫌になり勤め先を辞める。新しい仕事を捜す。たまたまエーメに会う。幼馴染だった。エーメは踊り子であちこちに行くので久しぶりの再会だった。やる気がなくなっていた男はエーメと新しい人生を初めたいと思う。エーメに自分の気持ちを打ち明けると、愛していない、夫を待っていると返事だった。

男はアフリカに鞄を届ける仕事をする予定だったが、約束の時刻に行ってみると、その店はダイヤの密輸で警察に捕まっていた。片棒を担がされるところだった。
映画はオープンカーに乗ったカウボーイハットの男が、車を飛ばしてくるところから始まる。映画の最後の方でもその男は現れ、エーメに会う。待っていた夫だったのだ。息子と三人で幸せに車に乗って去るエーメ。反対側の道は新しい人生を求めて、あの若い男が歩いていた。

映画ではその他、少女が水兵や若い男と接する場面がある。
音楽はミッシェル・ルグランとあるが、ベートーヴェンの7番第2楽章が映画の最初でも最後でも流れていた。エーメの夫のライトモティーフ?

ヴァン・ダイン『ベンスン殺人事件』 The Benson Murder Case 1926

探偵ファイロ・ヴァンスが活躍する、ヴァン・ダインの推理小説の第一作。
ニューヨークの株式仲買人、ベンスンが自宅で何者かに射殺された。

犯人は誰か。被害者は多くの人間に恨みを買っていた。容疑者はいくらでもいそうに見える。
好事家の素人探偵ファイロ・ヴァンスが友人の検事マーカムに色々助言する。助言に留まらず、警察の捜査を揶揄したり、衒学癖があって芸術その他の知識で聴き手を煙に巻く。実務家の検事はいらいらする。
犯人当ての古典的な推理小説であり、登場人物も限られているので、現在の推理小説愛好家はそれほど驚かないかもしれない。

ただ極めてまっとうな推理小説であって、本作以降推理小説の黄金時代を迎えたほど、多くの推理小説が続いた、続けさせた作品なのである。
探偵ファイロ・ヴァンスの衒学癖を嫌うか、面白がるかによってヴァン・ダインの小説の評価は分かれてくるだろう。
井上勇訳、創元推理文庫、1965

影なき男 The Thin Man 1934

WS・ヴァン・ダイク監督、米、91分。
おしどり夫婦、夫は元探偵である。ニューヨーク滞在中、知り合いの失踪事件に巻き込まれ、夫は不本意ながら捜査に加わり、事件を解決する。

ダシール・ハメットの原作だが、ハードボイルドといった内容でない。確かに犯罪の真相を解き明していく様は推理小説風であるが、むしろ夫婦の掛け合いや飼っている犬が面白く、喜劇的な要素が強い。
年配の発明家が行方不明になる。娘は近々結婚予定である。元妻、女秘書など利害関係者が捜索する。主人公のおしどり夫婦は知り合いであったため、捜査を依頼される。
関係者が次々と殺され、犯人は失踪した発明家ではないかと疑いがかかる。娘は心を痛める。最後に関係者一同を集めた、食事の場で主人公の探偵は真相と真犯人を明かす。
かなり複雑に話は進行し、観ていて筋がつかめないところがある。

現在観るとよくある設定に思われ、たいした感銘も受けないかもしれない。制作当時は人気になり続編が次々とつくられた。その後似たような映画がつくられるようになったため、一番元がそれほどに観えないという古典にありがちな宿命である。

2020年5月19日火曜日

トランプ譚 Le Roman d'un Tricheur 1936


サッシャ・ギトリ監督、仏、77分。
カフェのテラスで回想録を書く男、監督ギトリが演じている。

田舎の少年時代、小銭を盗み罰としてキノコの夕食を与えられなかった。そのため命拾いする。毒キノコで大家族はみんな死んでしまった。親戚に引き取られる。ひどい家で逃げ出す。その後ホテルやレストラン、あるいはモナコの賭博場などで働く。パリへ出る。ロシヤ人に来仏する皇帝の暗殺計画に引き込まれるが、警察へ連絡、事態収拾させる。モナコへ戻りまずホテルに勤め、貴族の婦人から金時計をもらう。

この間第一次世界大戦に動員されからくも助かった。ただ彼を助けた男は不具になった。
賭博場のルーレット台の仕切り役になる。魅力的な婦人と深い仲になる。その婦人は宝石泥棒だった。一度盗みに加担するが、逃げる。
その後、賭博場にやって来た神秘的な美人に惹かれる。二人で組んで儲けようとしたが、うまくいかない。ペテン師となってから大儲けした。ばれないように変装もした。
ある日、賭博場に会ったのが、戦争中自分を助けてくれ、不具になった男である。彼は賭博の妙味を教えてくれ、それからペテンはやらず楽しんだ。ただそのためペテンで得た富は失った。

語り手が回想を書いている最中、隣に来た老婦人はかつて自分に金時計をくれた女とわかる。女は儲け話を提案するが、今は警察官である、だから出来ないと答える。
回想は古い時代のフランスの映像が映し出され、特にパリなどは懐かしい。

2020年5月18日月曜日

ドストエフスキー『賭博者』 Игрок 1866


ドイツの保養地を舞台にルーレット賭博にのめり込んでいく様を背景とする。語り手の青年が仕える将軍や恋人、またその伯母にあたる老婦人などのロシヤ人の他、フランス人、イギリス人、ドイツ人、ポーランド人などヨーロッパの各国の人々が出てくる。
ドストエフスキー自身の賭博好き、また発表される3年前に賭博旅行をした愛人アポリナーリヤ・スースロワとの恋愛事情が生かされている。各国人に対するドストエフスキーの評価が描かれている。

本編で最も有名なのはその成立事情であろう。悪徳出版主との約束で、早急に書く必要があった。小説出版後に結婚したアンナ・スニートキナを速記者として雇い、完成させた。ドストエフスキーを支えた名夫人アンナとの出会いの契機となった作品である。

2020年5月17日日曜日

わたしは、ダニエル・ブレイク I, Daniel Blake 2016

ケン・ローチ監督、イギリス・フランス、100分、総天然色映画。

主人公のダニエル・ブレイクは中年の大工、病気で仕事を止められている。手当の申請手続きをしようとするが、繫文縟礼、パソコンの操作がお手上げで少しも進まない。
たまたま職安で知りあいになった母子家庭の親子と、協力し打開に向けて努力する。母子も引っ越して来たものの、仕事がなく手当を受けられない。ダニエルは大工としての腕で母子を助ける。母親はカネがなくなり、身体を売る仕事を始める。ダニエルが止めに行くが聞かない。
ダニエルは役所の対応に切れ、職安の壁にスプレーで、私はダニエル・ブレイク、と自分の名及び主張を書く。警察が来て連れていかれる。
最後にダニエルは主張を聞いてもらう団体に行くがそこで心臓麻痺で起こし亡くなる。

お役所仕事ぶりを批判し、底辺層の苦難を描いている。

2020年5月16日土曜日

2000人の狂人 Two thousand maniacs! 1964

ハーシェル・ゴードン・ルイス監督による残酷映画、スプラッターというかゴア映画の古典。86分、総天然色映画。

車で南部に向かう若者たち4人、標識を変えられてある町に着く。これに続いて2人の男女の車も同様に着く。
いかにもアメリカ人らしい、村人たちの熱狂的な歓迎を受ける。村の祭りの客だと。訝しげにホテルに行く。後の2人の男女も同様の歓迎を受ける。
この町は実は百年前の南北戦争当時、北軍に住民が皆殺しされた。その亡霊たちが復讐で北部人を血祭に挙げる。
斧で腕を切断される、脚を馬につながれ引き抜かれる、釘だらけの樽に入れられ、転がされる等々の残虐な殺され方をされる。からくも逃れた男女2人は警察に行くが信じてもらえない。百年前の惨事を聞かされる。

1960年代の映画なので、いかにも殺し方が安っぽい、明らかに残酷さ加減が嘘っぽい。それがかえって最近の映画にない不気味さかもしれない。

2020年5月15日金曜日

白日夢 昭和39年

武智鉄二監督、松竹、93分、白黒映画。
谷崎潤一郎の原作の映画化。映画の初めに「『白日夢』の映画化に寄せて」という谷崎の文が字幕で出る。

歯医者で待っていた青年(石浜朗)は、女の患者が気になる。先に呼ばれた女は治療を受ける。その治療を石浜は見ている。女は痛そうである。そこから石浜の白日夢になる。女が医者の男にいじめられる。縛って天井から下げる。その他、様々な手口で女をいたぶる。石浜は助けようとするが、うまくいかない。最後に女を銀座辺りの繁華街の歩道で石浜は刺殺する。自分が殺したと叫んでも誰も振り返らない。その後歯医者の部屋に場面は戻る。女が忘れた品を持って追いかける。車に乗らないかと女から誘われ、同意する。

上映当時、猥褻さが話題になったそうである。確かに当時の感覚からすればかなり過激な場面が出てくる。

2020年5月14日木曜日

旅路の果て La Fin Du Jours 1939

ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、仏、100分、白黒映画。
俳優たちの老人ホームが舞台の映画。

ルイ・ジューヴェ演じる俳優は老人ホームに入る。俳優専用の老人ホームである。入ってみると知り合いが多い。ジューヴェは徹底的に自分勝手で女たらしの男である。かつて自分の恋人だった老嬢たち。子供を産んだ女もいる。しかしすっかり忘れている。
このホームには自分の妻をジューヴェに奪われてすっかり役者人生を諦め、無名の俳優として終わった者がいた。なぜ自分の妻は死んだのか、ジューヴェに問い詰めるが、事故死という答えしか返ってこない。
また代役専門で一生を終わり、一度も舞台に立ったことのない、陽気だがボラ吹きがひどい老人もいる。
ジューヴェはここへ来ても手癖の悪さは止まない。ホームに勤める、少女といっていい若い女まで虜にする。

ホームは経営難で閉鎖の危機に会うが、新聞等の助けにより立ち直る。老人の元俳優たちは劇をやろうとする。あの無名で終わった老人に配役が回ってくる。代役専門の男はぜひ自分にやらせてくれと頼む。相手にされないので無理やり自分が舞台に立つ。しかし肝心の台詞は何も出てこず、恥をかいただけだった。その後、酒を飲んで倒れ死亡する。
ジューヴェは若い女に自殺させ自分のドン・ファンぶりに自己陶酔しようとする。無名俳優が少女を助ける。また自分の妻も事故死でなかったと分かる。
最後は代役専門男の葬式、無名俳優が弔辞を読む。用意してあった文は白々しく、途中で朗読を止め自分の言葉で代役を送る。

俳優たちの老人ホームが舞台、登場人物が俳優役をしているので、芝居じみた台詞、展開も芝居じみている。有名な作品であり、今回初めて観たが感心できなかった。