2021年12月31日金曜日

マッスル 踊る稲妻 I 2015

シャンカール監督、インド、188分。

ボディビルダーの男が主人公である。映画は美女が、婚礼時に醜悪な面相の男に攫われるところから始まる。モデルをある場所に匿う。時間は遡り、これまでの経緯になる。

主人公はボディビルの大会で優勝を目指す。そこに至るまで様々な妨害が入る。この男は美人のモデルの大ファンである。その警護役になり喜ぶ。モデルは相手方の男のモデルから性的嫌がらせを受け困っている。それで自分に憧れている主人公をコマーシャルの撮影に使うよう頼む。主人公は大感激する。だが撮影に慣れていないから、うまく演技できない。監督はモデルに相手に恋していると言え、そうすれば相手もうまく出来る。これを実行しすっかりその気になった主人公は撮影をうまくこなす。

その後、告白が演技と分かりすっかり気分をこわす。その後様々あり、結局女も主人公を好きになって婚約になる。しかし主人公を恨む者が多く、主人公を徹底的に痛めつける計画を立てる。殺すのでは物足りない。医師は注射で、主人公を醜悪極まる面のせむしの怪物に仕立て上げる。これでは恋人の前に出られない。主人公は事故で死んだとされた。嘆くモデルを医師が慰め、結婚に同意される。

映画冒頭の場面は、主人公がこの婚礼時からモデルを盗むところだった。その後主人公は自分を陥れ、怪物にした悪人どもをこれまた徹底的に痛めつける。モデルも自分をさらった怪物が恋人だったと分かる。見た目で嫌いになるわけないと言う。二人は花畑に囲まれた家に移りそこに住む。医者がやって来て主人公の醜悪な見かけが改善していくところで映画は終わり。

女相続人 The Heiress 1949

ウィリアム・ワイラー監督、米、115分。

百年前のニューヨーク。ワシントン広場前に住む医師には一人娘、オリヴィア・デ・ハヴィランドがいる。人見知りをする箱入り娘である。父とパーティに行く。そこで欧州から帰ったモンゴメリー・クリフトに会う。クリフトは積極的にハヴィランドに近づく。ハヴィランドは感激する。
医師宅に訪ねてくる。医師はクリフトに好意を持たない。地味な娘に魅力があるわけがない。財産目当てに決まっている。クリフト本人にも自分の意思を隠さない。すっかりクリフトに夢中になっているハヴィランドはクリフトに結婚の約束をする。娘の心中を察した医師は欧州旅行に連れて行く。熱を冷まそうとした。その間、クリフトは医師宅入り浸っていた。ハヴィランドの叔母(医師の妹)が自分に好意を持っていたからだ。
娘の気が変わらないと悟った医師は帰国する。ハヴィランドはクリフトに会い、駆け落ちしようと約束する。夜中に迎えに来てくれるはずだ。父である医師からの遺産は入らないが亡き母の遺産、年1万ドルがある。しかし叔母は、クリフトは年3万ドルを望んでいるという。結局クリフトは来なかった。明くる朝、クリフトはカリフォルニアに去ったと知る。
恋に破れたハヴィランドは冷酷な父を憎む。その父は肺炎で死ぬ。数年後、クリフトは帰って来た。うらぶれた姿だったが、もう医師はいない。ハヴィランドと結婚できると。ハヴィランドはいったん家に入れもてなす。時間を決めてまた来てくれという。その時間にクリフトは来るが、ハヴィランドは鍵をかけ、冷淡な表情で階段を上っていく。

モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル Monty Python and the Holy Grail 1975

テリー・ギリアム、テリー・ジョーンズ監督、英、92分。

イギリスの喜劇グループ、モンティ・パイソンによるアーサー王伝説を徹底的に茶化した映画である。
騎士たちは馬に乗っていると称して、実際はココナツを打ち合わせて音を出して歩いている。アーサー王は農民たちに馬鹿にされ、フランス兵が陣取る城では散々な目に会わされる。神からの指令で聖杯を円卓の騎士たちと捜しに行く。手足を切断されてもまだ偉そうにしている黒騎士。
フランス兵の城を攻め落とすため、トロイの木馬ならぬ巨大な木の兎で攻め込もうとする。
途中で現代の歴史学者が現れ、解説しようとしたら斬り殺される。この捜査は現代の警察がやる。
聖杯捜しの手がかりを白兎が守っている。たかが兎かと思っていると騎士たちはやられる。
最後は聖杯がある城に攻め込もうとしたら、警察が現れ、カメラを手で隠され映画は終わり。

王になろうとした男 The man who would be king 1975

ジョン・ヒューストン監督、米英、129分。ショーン・コネリー、マイケル・ケイン主演。

大英帝国下のインド。コネリーとケインの二人のならず者は、アフガニスタンの奧にある土地を目指す。その国には宝があるから。ようやく二人は目指す土地に着く。
過去からの言い伝えが現地にあって、コネリーを天から来た神だとそこの住民たちは思い込む。周囲の種族と争いがあって、コネリーの指導の下、それらを下す。コネリーの神としての地位は揺るぎないものとなる。
コネリーはある娘に目をつける。結婚したいと言い出す。神と人との結婚はできないと言われる。それでもコネリーは意地を通し、結婚式が催される。誓いで指環をはめ、花嫁に接吻しようとするコネリーの頬を、元々結婚が嫌だった花嫁は嚙みつく。そのため血が出る。これを見て住民たちは神なら血が出るはずがない。偽物だと騒ぎ出す。コネリーは多くの住民たちと戦う。最後は谷底に落とされて死ぬ。
以上の話を助かったケインが知り合いの作家に物語るという枠組みの映画である。

2021年12月24日金曜日

臨場 平成12年

橋本一監督、東映配給、129分。

主人公は検視官。映画はバスが街中で暴走し、そこから出てきた男が通行人を刺していくところから始まる。検視官らが死体を調べていく。犯人の若い男は裁判で精神鑑定の結果、無罪となる。それから2年後、弁護士と医者が殺された。二人とも以前の殺人事件で、犯人の弁護、鑑定を行ない、被告を無罪に導いた者らである。かつての事件の被害者の遺族が犯人か。今度の被害者の検視で死亡推定時刻に疑義が生じた。死亡時刻を操作しているようである。この他、息子が誤逮捕の結果、自殺した警官にも犯罪動機がある。多くの疑問が並行して進み、最後は主人公のかつての恩師が怪しいようになる。それだけでなく精神鑑定の結果、無罪になった男は実は装っているだけで実は正常だったとも分かる。

最後に謎は解け、また新しい殺人まで起こる。多くの謎が並行して進み、やや分かりにくくなっているのは最近の他の映画と同様。映画は時間が限られて見る方は受け身な訳だから、できるだけ単純化した方がいいと思った。

2021年12月23日木曜日

ダウト 偽りの代償 Beyond Reasonable doubt 2009

ピーター・ハイアムズ監督、米、105分。

功名心にはやる若い記者が検事の悪行を暴いて名をあげようとする。検事役がマイケル・ダグラスで、その名で映画は売っているが、主人公は若い記者である。マイケル・ダグラス演じる検事はこれまで連続して多くの有罪を勝ち取り、次期の知事を狙っている。しかし記者は検事のやり方に疑問を持つ。証拠を捏造して有罪にしているのではないかと。
これを暴くため、計画を立てる。犯罪をわざとやって、起訴された後に、検事が捏造する偽の証拠を掴もうというのである。この非常識な計画を実行するので、何も知らない記者の恋人である検事の助手の女は、なんとかして記者を無罪にしようとする。しかしこの無謀な企みはうまくいかず、有罪になる。その後、どんでん返しの展開があって検事の偽証拠作りもばれるが、記者がひどい男と判明したので、恋人の女は記者を罵って去る。
あまりにこさえ物感が強い展開の映画である。

2021年12月21日火曜日

悪の法則 The Counselor 2013

リドリー・スコット監督、米英、117分。

弁護士は恋人(ペネロペ・クルス)と結婚を決意する。ダイヤを買う。費用のため危ない取引きに関与する。麻薬の取引であるが、それを誰かに奪われる。そのため責任というか、組織から恋人を含めて狙われる。明示的には出ないが、殺される。この強奪の黒幕は、弁護士の知り合いで元から危ない橋を渡っていた悪党の恋人であるキャメロン・ディアスだった。

良くある内容といえばそうだが、他にもブラッド・ピットが出るなと、また会話が面白いので観ていて飽きない映画だった。

2021年12月20日月曜日

女王陛下の戦士 Soldaat van Oranje 1977

ポール・ヴァーホーヴェン監督、蘭、149分。イギリスの女王でなくオランダのそれ。

オランダの第二次世界大戦を描く。その中でかつての学友たちはどう振舞ったか。ルトガー・ハウェルが主人公で、友人らは戦争が始まるや、対独戦に参加するが、直ちにオランダは降服。これ以降ドイツの支配下になる。ドイツに対抗するためイギリスに渡り、そこから対独の闘いをする。英への渡航は危険で、ハウアーの代わりに渡った一人はドイツ軍の飛行機にやられる。デマが飛び交い、イギリスにいるオランダ幹部の一人はスパイとの情報も入る。友人の一人はドイツ軍に協力するようになる。特に当時のオランダの女王がイギリスで指令を出す。女王といえども軍の最高司令官で実際に指揮するのである。最後はドイツに勝ち、故国に帰郷する。

2021年12月19日日曜日

ひとごろし 昭和51年

大洲斉監督、大映等、82分、松田優作主演。

松田は臆病、腰抜けを絵に描いたような侍であった。使える藩で丹波哲郎扮する武士は剣の使い手で藩主の覚えめでたかった。これに嫉妬するその他の藩士たちは丹波を闇討ちしようと企み待ち伏せする。ところが返り討ちに会う。その後、丹波は城下を去る。城主は部下たちを殺され、勝手に城下から去った丹波に怒り狂う。誰か後を追って成敗する者はいないかと藩士に呼びかける。松田が応える。松田は丹波を追う。

刀による勝負では松田に勝ち目はない。それで奇策に出る。丹波が休むところ、食事処などで、松田はひとごろしと大声で呼ばわり、周りの者たちを慌てて逃げさせる。これを執拗なくらい繰り返す。最後には丹波も精神的にくたびれ、切腹をするから、松田に首を持っていけと告げる。松田は首では腐るから、もとどいをくれと言う。

突撃隊 Hell is for Heroes 1962

ドン・シーゲル監督、米、90分、白黒、スティーヴ・マックイーン主演。

第二次世界大戦時、フランスの米軍基地。マックイーンが転属してくる。問題児で格下げされていた。兵士たちは帰国できるのかと期待していた。ところが戦線へ戻る命令が出される。赴いた、ドイツ軍のいる可能性のある土地で、マックイーンを含む数名を残し、後は撤退する。

その間にドイツ軍の攻撃があった。少ない人数と敵方は知らないはず。ドイツ軍をだますため盗聴用のマイクの前で噓八百を並べる。ドイツ軍の小数兵士が襲ってくる。全員を倒せなかったため、ドイツ軍にこちらが少人数しかいないとばれる。ドイツ軍のトーチカを襲おうとマックイーンは提案する。防衛しろとの命令だと上司はきかない。その上司はドイツ軍に倒される。マックイーンは二人を連れてトーチカに迫ろうとするが、その前に地雷原があり、これに触れて一人が死亡、後一人も殺される。マックイーンは何とか戻ってきた。

上官が他の部隊を引き連れて帰って来た。マックイーンの独断専行の行動を非難し、軍法会議にかけると脅す。明くる日ドイツ軍に総攻撃をしかける。マックイーンは英雄的行動で、自らを犠牲にして特攻をしかけトーチカを爆破する。

2021年12月14日火曜日

家なき子 平成6年

細野英延監督、東宝配給、92分。

テレビドラマが評判になったので作られた映画。テレビは見ていないので、映画だけの内容を述べる。主人公の少女(安達祐実)は孤児で犬と一緒にいる。ケーキを盗んで捕まる。周りの大人たちが可哀想と言うので、同情するなら金をくれとどなる。そこへ現れた一人の男。ケーキ屋に金を払って少女を引き取る。実はこの男は孤児を集め、サーカスの団長をしている悪党だった。

そこのサーカスに少年がいて妹と空中ブランコをしている。実際の妹ではないが同様に扱っている。その妹が病気になる。悪魔のような団長夫婦はなんとかしてやらせようとする。しかし妹は落ちて寝込む。少女が知り合いの医者を連れてくるよう犬に命令する。犬が戻った先では、その医者は留学中でいなかった。妹が寝ているので少女は空中ブランコの練習を始める。少女を助けるために手術が必要である。

少年の母親は亡くなっていたが、実の父親は政治家をしているので、初めて少年は訪ねて医療費を頼む。しかし政治家は自分の子供でないと言い断わる。政治家はこれから売り出そうとしているのに隠し子がいては困ると判断した。そのため、少女の知っていた医者が来てくれて手術をし、回復の見込みがあった妹を、注射で殺させる。最後には政治家も少年を助け、自分はサーカスの火事で焼け死ぬ。サーカス団長も死ぬ。少年は別のサーカスに移る。少女は犬と共に去る。

まるで明治時代の小説の映画化のような展開である。これほど現代的でない映画(無声映画でなくて)を観たのはあまりない。

2021年12月13日月曜日

地獄 平成11年

石井輝男監督、101分。

中川信夫の昭和34年の作品、神代辰巳監督の昭和54年の映画とも異なる。内容は若い女が地獄めぐりをする。ダンテの『神曲』の枠組みか。そこでいかに生きているうちに悪事を行なった者どもが責苦を受けるか、よりもむしろ生前の犯罪の描写が主である。
その犯罪は平成の有名事件、宮崎勤の幼女誘拐殺害、オウム真理教などである。和歌山カレー事件も少し出る。宮崎勤事件は幼女に話しかける場面が出てくる。圧倒的にオウム真理教事件に時間を割いている。
地獄に落ちたな悪人どもは残酷な制裁を受ける。安っぽい映像である。
最後の方になぜか丹波哲郎が侍姿で出てきて、地獄の連中をぶった斬る。

アウトロー The outlaw Josey Wells 1976

イーストウッド監督、主演、米、135分。

農家を営んでいたイーストウッドはならず者軍団に家を焼かれ妻子を殺される。時代は南北戦争末期。イーストウッドは南軍の兵士たちに加わる。戦争が終わる。
南軍は北軍にところに行けば解放されると聞かされる。イーストウッドはそれに肯んじなかった。ところが北軍は降伏した南軍兵士を撃ち殺す。その北軍の中にはイーストウッド一家を殺害した、ならず者どももいた。イーストウッドは負傷した若い兵士と逃げる。後に若者は死ぬ。
インディアンの元酋長という老人と知りあいになり、旅を続ける。偶然にインディアンの女を助けることになり、一行で北軍から逃れる旅を続ける。
自分の息子を訪ねてやってきた婦人と若い女を知る。二人は旅の途中で強盗団に襲われたが、イーストウッドが助けた。女二人も旅に加わる。目的の地は鉱山が出尽くして寂れていた。町の者も協力して、近郊の小屋を中心に耕し、生活の基盤を整える。イーストウッドは高い懸賞金をかけられていたので賞金稼ぎどもが狙う。
また北軍一味もとうとう住居を襲いにやってきた。イーストウッドは他の者と協力して撃退し、家族の復讐を遂げる。終わってから一人、旅に出て行く。

2021年12月11日土曜日

サラマンドラ The hills have eyes 1977

ウェス・クレイヴン監督、米、89分。

トレーラーハウスで旅をする一家は草原で殺人鬼一家に襲われる。何人か殺される。殺し合いになり、最後は相手方を倒す。殺伐とした場面が続く映画。敵方にさらわれ、最後は取り返す赤ん坊が可愛い。

2021年12月9日木曜日

グリンゴ Gringo 2018

クリストフ・ベック監督、米、110分。

黒人の主人公は勤める会社の社長の友人であり、これまで尽くしていた。
しかしメキシコに出張に行った際、社長から騙され見捨てられたと分かった。狂言誘拐で身代金をアメリカに戻った社長あて請求する。社長は殺し屋をしている自分の兄を送り込み、主人公を消そうとした。一方、メキシコの悪党どもも主人公を殺したい誘因があり、主人公、殺し屋、メキシコの悪党がみつどもえの闘争となる。
メキシコの悪党は死に、自分の身代金を取ろうとする殺し屋も殺す。社長は悪事がばれ逮捕される。主人公は手に入れた金で新しい人生を始める。

2021年12月7日火曜日

ベックフォード『ヴァテック』 Vathek 1782

イギリス人のウィリアム・ベックフォードがフランス語でものした『ヴァテック』の同名の主人公は9世紀の実在のカリフである。原語に近い発音はワーシクという。この千夜一夜物語ばりの幻想譚は、本能の赴くまま自己本位に生きたヴァテックが破滅に陥るまでが、正編であり、訳本「バベルの図書館」シリーズでは(上)となっている。

異国からやって来た容貌魁偉の男はヴァテックに剣を与える。地下の国に行けば暴対な富が得られると教える。ヴァテックは部下たちを引き連れ、冒険の旅に出る。多くの災難に会い、部下らを失う。美少女に会い、すっかり惚れ込んだヴァテックは自らのものとして婚約者から奪い去る。ヴァテックの母、皇太后は権力を持ち、ヴァテック以上に悪の権化だったが、ヴァテックも皇太后も最後には地獄に堕ちる。

私市保彦訳、国書刊行会

2021年12月6日月曜日

モーリーン・キャラハン『捕食者』 American Predator 2019

本書は21世紀のアメリカの連続殺人犯、イスラエル・キーズの犯罪(分かっているもの)とその捜査、訊問、キーズの生い立ちなどが内容である。まず2012年、アラスカで飲食店のバイトをしていた女高生が行方不明になった事件から始まる。3月にテキサス州で容疑者が捕まる。これが犯人だったわけだが、本書の大部分は容疑者(犯人)と操作側の訊問である。犯人は女高生の犯罪について話そうとしない。それなのに過去の殺人その他の犯罪まで示唆する発言があった。少なくともバーモント州の夫婦の殺害については分かった。女高生の殺害模様も後に犯人から語られるが、多くの目撃者が犯人と被害者の乗っていた車を見たにもかかわらず、見逃していたと分かる。

正直言ってあまり読み易い記述でない。実際の犯罪捜査の記録というせいもあろうが、関心を持って読み進められる本ではなかった。事件を担当した捜査検事がいかに無能であったかが延々と書いてある。しかもなお犯人が獄中で自殺してしまうのである。これで他にも犯した可能性のある犯罪は分からずしまいになった。

村井理子訳、亜紀書房、2021

2021年12月4日土曜日

テイキング・ライブス Taking lives 2004

DJ・カルーソー監督、米加、103分、アンジェリーナ・ジョリー主演。

不気味な若い男が偶然知り合った別の男を殺す場面から始まる。後に連続殺人が起き警察は追う。FBIに応援を頼む。来たのがアンジェリーナ・ジョリー。犯人を目撃したという男からの聴取になる。その男がイーサン・ホークである。イーサンは目撃者なので犯人から狙われる可能性がある。
警察が監視していたのに、イーサンは男に連れ去れる。その前に金を返せと男はイーサンに詰め寄る。男とイーサンが乗る車を警察は追いかける。橋の上で事故炎上し、男は死に、イーサンは助かる。その後、アンジェリーナ・ジョリーとイーサンは相思の仲を確かめ、寝る。
容疑者の死体を母親に見てもらうが、息子でないと語る。その母親が帰る際、エレベーターでイーサンは母親を刺し殺す。イーサンが犯人だったのである。警察は追うがイーサンに逃げられる。アンジェリーナはFBIを馘になる。
7年後、アンジェリーナが一人で住んでいる一軒家、腹は大きい、そこへイーサンがやって来る。アンジェリーナを襲い、腹を刺す。しかしアンジェリーナはナイフを抜き、イーサンを刺し相手は倒れる。偽の妊娠だった。FBIに電話するアンジェリーナで終わり。

ライブ・リポート Line of Duty 2019

スティーヴン・ミラー監督、米英、99分。

アーロン・エッカートは警官で少年相手に雑談していた。その頃、誘拐犯が身代金を取りに来るというので警察は待ち構えていた。犯人は警察がいると知り逃げ出す。警官たちが追う。警察の無線電話で犯人の追っかけを知ったアッカートは近くと知るので、追いかける警察一団に加わる。かなり長い間の追っかけで、ついに路地に追い詰める。向こう側を向いていた犯人はぶり向くと銃を構えている。アッカートは発砲し犯人はたおれた。

これで警察署長からどやしつけられる。署長の娘が誘拐され、その犯人を殺してしまったので、娘の在りかが分からなくなってしまった。銃を置いて謹慎しろと署長は命令する。並行してインターネットを使った素人の私的放送があった。若い女の子二人でやっている。レポートにきた女子は盗聴してアッカートに犯人を殺したのかと詰め寄る。アッカートは誘拐された娘の救出が一番だと女子にも分からせる。女子はアッカートに車を貸す代わりにつきまとい、逐次レポートをし、アッカートの行動はインターネットで多くの者が視聴する。本職の放送局もそのインターネット映像を流す。

アッカートが殺した誘拐犯は兄弟がいて、これが復讐のためアッカートを襲う。街中で銃撃戦になり多くの警官が死ぬ。アッカートが負傷させ警察が捕えるものの、救急車から犯人はまた多くの警官を殺して逃走する。アッカートらは誘拐された署長の娘の居所が分からない。時限があってそれに間に合わないと助からない。犯人は虚偽の情報しか教えない。何度か警察はだまされる。最後には間に合う。

こうした映画の常で、少女レポーターはどんなに危険な目に会っても殺されることはない。正気の沙汰と思えない行動に出るが、映画の約束事で守られている。また誘拐された娘も助かる。もちろん主人公も死なない。こういう決まりの下での映画なので、観客はそれを望んでいるにしても、やはり見ていて覚めるところがある。ルールの下での制作のようなものか。また素人レポーターは嬉々として自分の行動を正義と見なしているが、メディアによって犯罪が伝えられ、それを真似する者がいて新たな犯罪が起こる。こういう犯罪教唆機能をマス・メディアは自覚しているのだろう。

2021年12月3日金曜日

キリング・ゲーム Killing Season 2013

マーク・スティーヴン・ジョンソン監督、米、91分。

90年代のボスニア戦争の場面から始まる。現代のアメリカになる。ボスニア戦争に従事したロバート・デ・ニーロは家族と離れて山中に一人暮らししている。息子から孫の祝いに来てくれと電話があっても行かないと答える。ある日車が故障している時に、見知らぬ男に出会う。車を修理してくれる。その男がジョン・トラボルタである。
デ・ニーロは自分の家に招き、二人は語り合う。トラボルタの出身はデ・ニーロが戦争で行った近くらしいと分かる。明くる日、狩りに行かないかとトラボルタは誘う。デ・ニーロはいったん断るが、翌日二人は鹿狩りに出かけた。この狩りでトラボルタは本性を表わす。実はトラボルタは戦争で、デ・ニーロに処刑されそうになって辛くも逃れた男だった。復讐のため18年間捜し、ようやくデ・ニーロを見つけ出した。
この後は、二人の男が互いに争う場面の連続である。捕まえてもすぐに殺さない。相手に十分言い聞かせたいためだが、それで相手は逃げる機会を作る。映画ではお馴染みの展開である。さんざん戦ったあげく、最後は恩讐の彼方にの世界になる。

2021年12月1日水曜日

『死ぬまでに観たい映画1001本』改訂新版 1001 movies you must see before you die 2015

以下は2015131日第2版発売、改訂新版についての評である。

本書は題名のように観るべきと編者が判断した1001本の映画の紹介である。編者はステーヴン・ジェイ・シュナイダーで、執筆は数十人の分担である。

体裁は古い映画から、つまりメリエスの『月世界旅行』(1902)から、本版ではS・マックイーンの『それでも世は明ける』(2013)までである。毎年改定され、収録映画が異なってくる。見開き2ページ使っている作品から、1ページのみ、1ページに2作品に分かれる。

こういった本では索引が不可欠である。この訳書では冒頭に題名の五十音順があり、日本未公開作品はその後にアルファベットで表記されている(なぜか北野武のHANA-BIが未公開作品の中に入っている。ローマ字のせいか)。巻末に英語及び原語でジャンル別の索引がある。原題が英語でない場合、英語と原語の2回出てくる。その後に監督名がアルファベット順にある。

この1001本の映画、ざっと数えてみたら600本くらい観ていた。題名を知っていても観ていない映画はもちろん、題名さえ知らない作品が多い。この本に掲載の映画を全部観たいと思ったら、時間の制約(これが一番の制約だろうが)以外にも、日本ではみられない作品が結構ある。冒頭の五十音別の後、日本未公開作品(40作ほど)の原題が並んでいる。日本未公開だからDVD等出ていないだろう。昔なら絶望的だが今ならAmazon等で外国から取り寄せられる。しかし日本語字幕が入っているだろうか。人口(購買層)の大きさから中国語字幕は入っていても、日本語字幕はどの程度期待できるだろうか。邦訳がある作品でもDVDが出ていない物が結構あるようで、これを観たいと思えば同様に外国から取り寄せるのか。

取り上げられている作品を古い順にみると、月世界旅行、大列車強盗、国民の創生、ヴァンピール、イントレランス、カリガリ博士、等々。あまりにも古典的、保守本流ばかりかと思っていると、後年には思いがけない作品が出てくる。バーヴァの『血ぬられた墓標』(1960)やウルマーの『黒猫』(1934)など。後者はポーの原作とは一切関係なく、ルゴシとカーロフが出ている。これらの映画は好きである。しかしベスト選に入れる映画かと思った。まえがきに質にこだわった映画ばかり選んでいない、とある。ここで選ばれている映画だけ観るわけでないし、とも思うが、選は好みの問題だからとやかく言ってもしょうがないのだろう。

さて巻末に監督一覧があると先に書いた。これを見ると、一番作品が選ばれている監督はヒッチコックで16作品、ベルイマン、H・ホークスが10、ブニュエル、キューブリック、スピルバーグが9、フォード、ゴダール、ヒューストン、ワイラーが8、キューカー、フェリーニ、スコセッシが7となっている。日本の監督では黒澤明が6作で我が国最高。他に6作選ばれている監督は、W・アレン、アルトマン、アントニオーニ、ミネリ、M・パウエル、O・ウェルズ、ワイルダーである。以上が本書の監督の順位になるのだろう。

黒澤の6作とは『羅生門』『生きる』『七人の侍』『蜘蛛巣城』『デルス・ウザーラ』『乱』である。この選に意(異)見があっても不思議でない。非常に高い評価の小津安二郎はどうか。『東京物語』『浮草』『秋刀魚の味』の3作である。英雑誌の投票で一番になったことのある『東京物語』は、地味で単純な出来事が描かれ、「漫然と見ていると平凡きわまりない映画に思えてしまう」(p.276)とあって、評価に苦労する映画らしい。確かに小津の映画は劇的展開など全くないし、虚心にみればつまらないと思う人がいても不思議でない。溝口健二も3作入っている。『残菊物語』(日本で唯一選ばれている戦前の映画)『雨月物語』『山椒大夫』である。小林正樹も成瀬巳喜男もない。

分野別にみていくと日本のアニメは海外でも人気があるような気がしていた(IMDBのランキングから。これは観客が選んでいる。若い層だろう。)アニメは18作あり、その中で日本映画は『AKIRA』『火垂るの墓』『千と千尋の神隠し』である。

ホラーは100ちょっとの映画がある。日本映画は『オーディション』『鬼婆』『リング』のようである。三池崇史の『オーディション』は欧米人が好む映画らしく、なぜかは興味がある。『オーディション』も悪くないが、日本人が選べば中川信夫の『東海道四谷怪談』や小林正樹の『怪談』の方を先に思いつくような気がする。そこではたと思いついたのは、小林正樹の『怪談』はともかく、『東海道四谷怪談』なんて外国で観られるだろうか、と思ってしまった。米Amazonで検索したら、The Ghost of Yotsuyaで出ているようだ。日本映画でも評価の高い作品なら英語版はあるのだろうが、日本でしか観られない映画も多い。この本で日本未公開の作品がそれなりにある、裏返してみれば日本以外では鑑賞不可能な邦画は当然のようにある。それらに傑作があるかどうかでなく、選ぶ前提の映画が異なっているのである。本書はアメリカ人のためのアメリカ人による名画選である。

写真が違う点、『七人の侍』のところに「ジョージ・ルーカスは黒澤明に強く影響を受け、『スター・ウォーズ』で『七人の侍』のSF版をつくりたがった」(p.293)とあるが、『隠し砦の三悪人』の間違いだとすぐ分かる。日本語版を出した会社は版元に間違いを指摘すべきである。「西洋人だから(間違っていても、知らなくても)しょうがない」などという日本人の気遣い、配慮、あるいは迎合は外国には通用しない。中国人や韓国人は間違いや不利には猛烈に抗議する。日本人はしないから馬鹿にされている、これがグローバル時代の標準である。

本書の日本映画の記述を読むと真面目に見ているのかと思いたくなるが、これがアメリカ人の一つの見方の例として理解する。

2021年11月30日火曜日

セックスと嘘とビデオテープ Sex, lies and videotape 1989

ソダーバーグ監督、米、100分。

ジェームズ・スペイダーは友人の住む町にやって来る。友人の妻は、夫婦生活があまりうまくいっていないのか、精神が不安定であった。その夫である友人というのは、よく言えば精力的で攻撃的で女に対して躊躇しない。妻の妹と情事を重ねていた。妻は、夫と違うスペイダーに関心を持つ。自分の夫婦生活の不満を、スペイダーに話し、相手になってもらうようになる。
スペイダーは女から性生活の実際と意見を聞いて、それをテープに録画する趣味があった。
夫と関係している、妻の妹もスペイダーを知り関心を持つ。スペイダーは妹から性生活について聞きテープに撮る。後にスペイダーは妻からも話を聞いて撮る。後で知った夫はスペイダーを殴り、妻とスペイダーの間で撮られたテープを見る。そこには性的不能になっているスペイダーをむしろ妻の方から慰めるような会話があった。後に夫婦は離婚し、長年疎遠だった妻(姉)と妹の仲直りの場面で終わる。

狼よさらば Death Wish 1974

マイケル・ウィナー監督、米、93分、チャールズ・ブロンソン主演。

ブロンソンが妻とハワイで楽しんでいる場面から始まる。ニューヨークに戻ってくる。ブロンソンのいない昼間、妻とたまたま着ていた娘は自宅で暴力グループに襲われる。妻は死亡。娘は精神がおかしくなった。ブロンソンは警察に任せるだけでなく、自ら犯人捜しを始める。そのきっかけになったのは仕事で訪れた町で、西部劇の実演を見て、また知り合い意気投合した男からの銃の贈与であった。

ニューヨークに戻ったブロンソンは地下鉄等で、暴力をふるう者に遭遇すると銃で片付けた。この行為が続く。自警行動に大衆は喝采し、実際に強盗発生件数が減る。しかし警察は勝手に自警行動を行なう者を許しておけない。復讐だろうと推測した警察は過去に家族等被害にあった者を調べ、ブロンソンを突き止める。ブロンソンにお前の仕業と分かっている、やめろと圧力をかける。最後に暴力グループと撃ち合いになって、自分も負傷したブロンソンは、警察から街を出て行けと言われる。シカゴに着いたブロンソンは駅で脅しをしている連中に向かって指で引き金を引く。

本映画公表当時はアメリカの暴力の発生が特に高かった時期である。批評家の評判は良くなかったが、ヒットし続編が4作ほど制作された。後にブルース・ウィリス主演で再映画化されている。

2021年11月29日月曜日

馬賊芸者 昭和29年

島耕二監督、103分、大映、京マチ子主演。

第一次世界大戦後、間もない頃の福岡。馬賊芸者とは大戦による成金どもから金を巻き上げる芸者を指した言葉である。その一人、京は宴会の場で歌舞伎役者が踊る際の三味線役を断られた。すっかりこの役者に京は腹を立てる。役者の人気投票がある。普通なら首位になるのが、京を断った役者である。京はなんとしてもこの役者を首位にさせたくない。代わりに他の役者(高松英郎)を盛んに盛り立て、金をつぎ込み首位にするつもりでいた。しかし結果はやはりあの役者が首位だった。京は悔しくてしょうがないが、自分が応援した高松から求婚される。嬉しくてたまらない京は相手が巡業から帰ってくるのを待っていた。ところが相手が旅先で急死したとの連絡があり絶望する。

後になって座敷に出ていた時、高松にそっくりの人形師に出くわす。それで京はこの人形師にほれる。ところが後この人形師が、自分の妹分の芸者と将来を誓った間柄と分かり、怒り狂う。妹分を許さない気でいたが、一緒になれない二人は駆け落ちする。逃げた芸者を取り戻そうとする置屋に対して、京は金を金満家から借り、脅して納得させる。最後は志村喬演じる金満家の前で、踊りを踊る京。

映画としての出来はそれほどでもないが、途中、川沿いに福岡の祭りが見られ、また最後に志村が歌って京が踊る黒田節はいずれも見る価値がある。

『本多静六自伝 体験八十五年』新版 実業之日本社 2016

著者は林学、公園学等の専門家で東大教授を勤めた。また蓄財の大家としても有名だったらしい。その自伝である。著者は慶応2年、埼玉県に生まれた。よく自伝にあるように歴史ある家に生まれた。兄弟姉妹は多かったが、著者はきかん気で、餓鬼大将であった。これまた偉人の幼少期の特徴としてよく出てくる。年少期は家が裕福であったが、父の死で仕事をしながらの勉学となる。逆境になってより勉強に励む。上京して山林学校(後の東大農学部の一部)に入る。学業優秀で婿の口がかかる。自分を留学させてくれたらという条件で断るつもりだったが、相手方が承知する。かくてドイツに留学する。留学後は東大の教師となる。その後は専門の知識で、例えば日比谷公園の造園に寄与した、など多くの事業を手掛けた。当時の有名人とも交友があり、後藤新平や渋沢栄一などと付き合いがあった。また蓄財の専門家とも知られていた本多は、所得の四分の一を貯蓄に回す方法を紹介する。

ともかく一所懸命努力すれば何事も成る、といった人生を実践し送った人物である。

蓮見重彦『見るレッスン』映画史特別講義 光文社新書 2020

映画研究者の蓮見が書いた映画論。題名から連想されるような編年体の映画史の本ではない。だから特別講義としてあるのか。内容(章)は次の通り。

現代ハリウッドの希望/日本映画 第三の黄金期/映画の誕生/映画はドキュメンタリーから始まった/ヌーベル・バーグとは何だったのか?/映画の裏方たち/映画とは何か

冒頭に世間で話題になっているような映画ばかりみるのは良くないとある。そういう人もいるだろう。しかしそんな人はこんな本を読まない気がする。映画の見方では、映画の中に驚くような場面がある、それに注目すべきとある。もちろん驚くような場面とは、見巧者でなければ評価できないようなところを指すのであろう。

読んでいて類書と異なるのは、具体的な監督などの名を挙げ、いいとか悪いとかはっきり言っているところである。女の監督を結構取り上げており、ドキュメンタリーの小森はるか、小田香の二人の名は何度も挙げ、称賛というか絶賛している。一方で具体的な名を挙げ、こき下ろしている監督がある。はっきりとした物言いは望まれるが、理由が明示されていない場合がある。素人の映画ファンが好き嫌いを言っているのではない。専門家が活字で主張しているのである。理由がないのは理解できない。みんな具体的に名指しているかと思ったら、トリノで日本映画のシンポジウムがあった際、「特に名を秘す批評家の某氏がくだらないことを長々と述べ始めた。」(p.103)とあって、他の映画人がやめさせろと書いた紙が回ってきた、と笑っている。なぜこの批評家の名を秘すのか分からない。

今の日本には美形の女優がいないと書いてある。分からないでもないが、著者が考えるかつての美形女優を、順位をつけて書いてもらいたかった。

著者の言い分で納得賛成できたのは、映画は90分にしてもらいたい、過去の失われたとされる日本映画の発掘に評論家は努力すべき、という点である。

2021年11月26日金曜日

『ジャン・ルノワール自伝』 Ma vie et mes films 1974

映画監督ジャン・ルノワール(18941979)による自伝と制作した映画についての思い出。専ら自伝として書いてあるのは幼少期。父親が印象派の画家オーギュスト・ルノワールである。どうしても特に若いうちには、父親の名に振り回される時が出てくるのは、偉大な親を持った者の共通であろう。19世紀末から20世紀初めの、フランスの様子の一例が描写されているところは興味深い。幼いうちはガブリエルという親戚の若い女に世話になった。ガブリエルはルノワールの絵のモデルにもなった。ルノワールの絵でガブリエルとジャンを描いた作品がある。

本のより大きな部分は自分の制作した映画についての記述である。1940年にナチスのフランス進攻を逃れて渡米する。特に代表作と言えば『大いなる幻影』と『ゲームの規則』であろう。共にフランス時代、すなわち戦前の作であるが、渡米後も『河』や『南部の人』など有名作を作っている。『河』制作でインドに2年間滞在した経験はルノワールの国家観に影響を及ぼした。フランス人になぜアメリカに住んでいる、フランスに帰って来いと言われると自分は映画国の人間だと答えた。2度の世界大戦はルノワールに国家というものを、時代遅れの遺物と感じさせたようだ。

西本晃二訳、みすず書房、2001年新装版

ホレス・ウォルポール『オトラント城』 The Castle of Otranto 1764

ゴシック小説の鼻祖と言われる小説。オトラント城の城主マンフレッドには息子と娘が一人ずついた。息子コンラッドは世継ぎであるのに病弱な男だった。コンラッドと、城で世話しているイザベラ姫との結婚の日、魔訶不可思議な出来事が起こる。城の中庭に巨大な兜が出現した。その兜によってコンラッドは押し潰されてしまった。嘆く母親や姉マチルダ。この不可思議な出来事の理由は分からない。

しかし城主マンフレッドは次の様な、良からぬ企みを持った。息子がなくなった上は、自分の家の世継ぎが何としても必要である。それでマンフレッドはイザベラ姫に求婚するのである。マンフレッドは傲岸不遜で自分の意志をあくまで貫こうとする。驚いたイザベラ姫は逃げ去る。一方、地下室で見知らぬ若い男を発見する。後にセオドアと名乗るこの青年は田舎者だと言いつつ気品があり男らしい。マンフレッドはこの男を疑い、けしからぬ者であろうと捕まえる。マチルダもイザベラ姫も共にこの青年に好意を抱く。特にマチルダを青年の方も好きになる。そうこうするうちに、外部から騎士の一団がマンフレッドの城にと着する。この騎士たちはマンフレッドに正当な城の持ち主でないと宣言し、城の明け渡しを要求する。もちろんマンフレッドが応ずるわけもない。

等々、の物語が続き、最後には正当な城主がセオドアであると分かる。相思のマチルダと一緒にいる時、マンフレッドは誤って我が娘を殺してしまう。セオドアは絶望する。後にマチルダの思い出を共にするべく、イザベラ姫と結婚する。

千葉泰樹訳、研究社、2012

2021年11月25日木曜日

上野千鶴子『女の子はどう生きるか』岩波ジュニア新書 2021

フェミニスト、社会学者の上野が、女子からの質問に答える形の書である。若い女の子に対する人生相談のようなものと思って読みだした。しかしながらひどく失望した。本書の上野の回答は、今の日本が男中心で、女にとって不利な社会である、その糾弾に終始しているからである。確かに今は昔ほどでないにしても、女にとって不利で不満を感じさせる社会である。昔からの、偏見に過ぎない男優位の思考、慣行、制度等がまだ広く残り、改善していく必要がある。しかしここではどう生きるべきかという個人的な問題を聞いているわけである。社会への批判を聞かされて回答になっているのか。納得できるのか。男中心の社会を説明するため、上野はあまりにも古臭い例を持ち出して来る。例えば男と女の扱われ方の違いで次のように言う。

「昔の親はもっと露骨に子どもの中で投資の対象にする子どもとそうでない子どもを区別していました。尾頭つきの魚は家長と長男にしか食べさせないとか、息子にだけ高等教育を受けさせて娘には教育をつけないとか、兄弟を進学させるために姉や妹を奉公にだすとか」(p.39)

明治時代の話か?この後「びっくりしますね」と続けているが、読んでいてびっくりしてしまう。これを聞いて現代の若者の悩み解決につながるのか。今はいまだいいと思わせ、現状肯定させるつもりか。他の書でも上野は戦前生まれの社会観を持った男を持ち出してきて批判していた。かえって説得力に欠ける。令和の、夫婦共働きが普通の家庭では、当てはまらない例が結構ある。こんな社会批判、社会糾弾の本が高評価を受ける理由が分からない。もし女が評価しているなら、自分たちの不満を有名人が代弁してくれているので喜んでいるのか。この本で何を意図しているのか。自分のようなフェミニストを作るべく思想善導をしているのか。

つくづく思うになぜ上野は政治家にならないのか。女がゆえの、不利に通じているのである。政治の現場で女の地位が少しでも上がるよう、改善するよう、活動したらどうか。今の政治で旧来からの保守や革新、右と左の対立などは全く国民の関心にない。有権者の半数以上を占める女の地位の向上を掲げる政党なら存在意義があるのではないか。

2021年11月24日水曜日

カラスの飼育 Cria Cuervos 1976

カルロス・サウラ監督、西、107分。

『ミツバチのささやき』のアンナ・トレントが少女役。映画の始まりは父親が情婦らしき女と寝ている最中に死ぬ場面である。少女はミルクの入ったコップを洗う。葬儀の際、少女は亡夫に別れの接吻をしない。
母親は以前に病気で亡くなっている。今や両親のいない3人姉妹は叔母によって世話をされる。主人公の少女はなつかない。というより嫌っている。もう喋れない車椅子の祖母がいる。その世話をして少女は死にたいか聞く。否定される。映画の終わりの方で、少女はミルクに劇薬を入れて(この劇薬は回想の場面で母から教えられる)、それを叔母が飲むようにしておく。叔母は飲んだようだ。しかし明くる朝、なんともないようである。
回想が多くて、作りが単純でないが、幼い少女の殺人及び殺人未遂が大きな筋である。大好きだった母親に冷たかった父親は憎むべき存在だった。

ヤング・ゼネレーション Breaking Away 1979

ピーター・イェーツ監督、米、101分。

主人公の男は高校卒業後、大学に行かず仲間3人とつるんでいる。また自転車が好きである。更にイタリアに入れ込んでおり、イタリア語を習い、家でイタリア語を使って父親に嫌がられている。町には大学があり、そこの学生たちとは敵対心がある。しかし一人の女学生を知り、イタリア人のふりをして近づく。イタリアから自転車のチームがやって来た。それらと自転車レースをする。イタリア人に脚を引掛けられ転倒する。それ以降イタリア嫌いになる。あの女学生にも自分はイタリア人でもなんでもなく、ここの土地の人間だと話し、呆れた顔をされる。
町の自転車レースが行われる。大学生のチームとはライバル関係の主人公とその仲間はレースで競い合う。主人公は一度転倒し、その後仲間がやったら差をつけられる。また自分が復帰して最後に優勝を勝ち取る。
主人公は大学に進むこととなった。フランスから女の留学生がやって来た。今度はフランス贔屓になりそうである。

2021年11月22日月曜日

生きるべきか死ぬべきか To be or not to be 1942

エルンスト・ルビッチ監督、米、99分。

ナチスドイツが侵攻するポーランドの、劇場人たちを描く喜劇映画。主人公のキャロル・ロンバードの夫は舞台でハムレットをやっている。ロンバードに恋した若い将校は楽屋に来て、迫る。困惑したが相手の情熱にうたれたロンバードは主人が演じるハムレットの台詞で「生きるべきか死ぬべきか」のところになったら部屋に来てほしいと言う。ハムレット役が台詞を言うと、席から立ちあがって退場する将校が見える。ハムレット役の夫はいたく心証を害する。

ナチスドイツがポーランドに侵攻し、ドイツの支配下におかれる。イギリスに勢力を移したポーランド空軍のあの将校は、ロンバード宛の手紙をポーランドに行く教授に託す。実はこの教授は友軍のふりをしているが、ナチスのスパイだった。ポーランドではロンバードはナチスのスパイになりすまし、情報を探ろうとする。劇場の俳優たちはドイツの将校、兵に化け相手を出し抜こうとする。将校に化けたハムレット役の夫は、ナチスのスパイの教授から、ポーランド空軍の者から妻あての手紙を頼まれてきたと聞き、驚く。後にポーランド空軍の将校も戻って来て、ナチスドイツと戦う。

2021年11月20日土曜日

気狂いピエロ Pierrot le Fou 1965

ジャン=リュック・ゴダール監督、仏伊、110分。

ジャン=ポール・ベルモンドは好きでもない妻と行きたくないパーティに行く。途中で帰宅したベルモンドは、ベビーシッターを頼んでいた、寝ているアンナ・カリーナを起こす。送っていく。実は二人はかつて恋人同士だった。カリーナの家には男がいた。その男はカリーナの情人で、カリーナは殺す。二人は逃走する。映画は犯罪者二人の逃避行が主である。あちこちで盗み等の犯罪をして逃げていく。最後は島へカリーナが別の男と逃げる。ベルモンドは追って島に渡り、男とカリーナを銃で殺す。ベルモンドは頭にダイナマイトの束を巻き、爆死する。