2022年10月31日月曜日

クロール 狂暴領域 Crawl 2019

アレクサンドル・アジャ監督、米、87分。家庭内(地下室)で鰐に襲われる恐怖映画。

ハリケーンが近づいている。暴風雨になっている。主人公の女子は、父親がいる以前の家に捜しに行く。いない。地下室を覗くともう浸水している。降りていき、父を捜しているうちに鰐がいるので驚く。
父親を見つけるが怪我をしている。水はどんどん入ってくる。ここから如何にして脱出するか。沢山の苦労を試みる。
地下の窓から見える。隣の店にいる人間たちに、助けてくれるよう大声をあげる。その連中は災害をいいことに泥棒をしていたのだ。みんな鰐に食われる。
ようやく知り合いの警官が来た。しかしその男も相棒も鰐の餌食になる。一匹の鰐を殺し、地下室から出られた。それで終わりではない。
ボートで逃げようとしたら堤防が決壊し洪水が押し寄せる。ボートはひっくり返り、近くの家に行く。そこでも水位が上がっているので、鰐が来て襲おうとする。苦労して屋根まで上がる。
鰐などの狂暴な動物に襲われる映画は結構ある。工夫して見せ所を多くし、陳腐化を免れている。

魔女がいっぱい The witches 2020

ロバート・ゼメキス監督、米、104分。

語り手(黒人)が子供時代を回想し、説明していく。1968年、まだ子供の時、両親を亡くし祖母に引き取られる。鼠を買ってもらい愛玩する。
スーパーで見かけた婦人を祖母に話すとそれは魔女だと教えられる。魔女から逃げるため知り合いのいる高級ホテルに移る。
そこでやってきた婦人の団体。これはアン・ハサウェイを首領とする魔女の一団だった。集会を開く。偶然、主人公はその部屋にいたため話を聞いてしまう。魔女は子供が嫌いで全国の子供を鼠にする。そのための薬が開発してある。その場で友人の少年だけでなく、見つかった主人公も鼠にされる。また愛玩していた鼠も魔女によって変身させられた女と分かる。
三匹の鼠は祖母に事情を訴え、魔女たちの企みを阻止しようとする。鼠たちは薬を取りに行く。それを魔女たちが飲むスープに入れる。食事の際、次々と魔女たちは鼠に変身し、大騒動となる。変身を免れたハサウェイは祖母と対決する。鼠らの協力によってハサウェイを倒す。
主人公ら三人は鼠のままで良いとし、その後を暮らす。

マーニー Marnie 1964

ヒッチコック監督、米、130分、ショーン・コネリー、ティッピ・ヘドレン主役。

マーニーという名の女をティッピ・ヘドレンが演じる。詐欺師、泥棒であり勤めていた会社から大金を奪って逃げる。実家に母がいる。少女を世話している。ヘドレンには自分より母がよその少女を可愛がっているように見える。
ヘドレンは赤色を見るとか稲妻などにひどく怯える。髪を明るい色に変え、名前を変えて新しい会社に応募する。そこの社長がコネリーである。コネリーは以前ヘドレンがいた会社で盗みを働き、逃げ出した件をおぼろに覚えていた。それでもヘドレンを秘書に雇う。ヘドレンが好きになったからである。ヘドレンが今度も盗みを働こうとした時、ヘドレンを警察に突き出すのではなく、車に乗せて話しだす。ヘドレンの過去の犯罪を知っていると伝える。その上で求婚するのである。ヘドレンは逃げ出したいのだが、弱味があるのでそうもいかない。二人は結婚して船で新婚旅行する。ヘドレンはコネリーを徹底的に拒み、自殺未遂までする。新婚から早々に帰る。
コネリーの義妹はコネリーを好いていたので得体の知れない女ヘドレンに好意を持っていない。盗み聞きでヘドレンが悪事を働いていたと知る。ヘドレンが盗みを働いた前の会社の社長をパーティに招待する。対面するヘドレンと前の社長。ヘドレンは知らぬ存ぜぬで押し通す。
コネリーはヘドレンを母の家に連れて行く。そこでヘドレンの幼い日、事件が起きてそれがヘドレンを男嫌いにしていた謎を解く。記憶を取り戻したヘドレンは正常になる。
この辺り『白い恐怖』と同じで当時のアメリカを席巻していたフロイト理論の応用である。フロイトは思想哲学では未だに巨人であるが、医学科学の面では完全に時代遅れになっている。その当時の米の事情を反映している。

2022年10月30日日曜日

デメンシャ13 Dementia 13 1964

コッポラ監督、米、75分、白黒映画、ロジャー・コーマン製作。

コッポラの処女作となっている作品で恐怖映画である。コーマンが製作者であるからか。
ある城館に住む母親には三人の息子がいる。長男とその妻が湖でボートに乗るところから映画は始まる。姑である母親が財産を残してくれそうにないので妻はいらついている。湖の上で、夫は持病の心疾患を起して死ぬ。妻は夫を湖に投げ込む。夫に死なれたら自分に遺産相続権はなくなる。米国に行ったように見せかける。城館にやって来る。
何年も前、幼い妹が池に落ちて死んでいだ。母親が今でもそれを悔やんでいる。次男は結婚する予定である。夫の妻は姑を亡き者にしようとする。死んだ娘のおもちゃなど遺品を死んだ池の底に置いておく。浮かんできたら母親を驚かせるはずだと期待した。しかし夫の妻が池から頭を上げると、斧でその体を叩き殺害した者がいた。
家族医をしている老人がいる。池を干して調べるべきだと主張する。そこにあったのは娘の死が書いてある碑だった。次男の結婚式の日、家族医は長男の妻の死体を見つける。死んだ娘の身体が横たわっている。間一髪、危なかったが真犯人を射殺する。斧を娘の身体に振り下ろす。バラバラになった身体、作り物だった。

松本清張『黄色い風土』 昭和34年~35年

長篇推理小説で、清張の作品の中でも特に長い小説である。文庫で本文までで750ページある。舞台は熱海が中心で、その他、小樽、名古屋と移る。長いのであちこちの場所に移動し、多くの殺人事件が起こる。6人も殺されるのである。途中で読むのを空けていると、被害者や登場人物の名を忘れてしまう。

主人公は週刊誌の記者である。昭和30年代半ばといえば週刊誌が創刊され間もない時代である。各誌しのぎを削り競争していた。主人公は東京駅で見送りのない新婚夫婦が列車に駆け込むのを目撃する。記者が泊まった熱海の高級ホテルにその夫婦も来ていたらしい。夜、部屋を間違えて服を届けに来た男がいる。部屋番号が431481で間違えやすかったのである。明くる日近くの岬で男の死体が見つかる。投身自殺らしい。当時、自殺の名所だった。警察は自殺と片付ける。記者はその男があの新婚の片割れと分かった。この変事を発端に次々と事件が起こり、人が死んでいく。他殺もあれば自他殺の区別が難しい件もあった。途中から謎の美人が出てくる。沈丁花の匂いがする。記者の赴く、事件がある場所で何度も出くわす。記者は惹かれる。事件を解明せんとする行動とその美人の追っかけが小説の筋を作っていく。

贋札が出てきてそれが追っている事件と関係あるらしい。昭和20年代後半に山梨県で贋札を作っていた事件があった。それに触発されているのか。千円札の贋札が出回り、世間を騒がせた騒動はこの小説が出たすぐ後である。札の肖像を聖徳太子から伊藤博文に替わらせた事件だった。あと昭和30年代半ばの小説なので、戦時中のつながりが出てくる。当時の小説や映画などは戦時中の因縁が良く出てくる。戦争が終わって15年も経っていないのである。

何しろ推理小説なので、記者の憶測が必ず事実となる。実際には多くのうちの一つの可能性に過ぎないのだが、推理小説では絶対にそれが当たるようになっている。美人の追っかけも小説ならでは、である。現実には以前会った美人に再会しようと努力しても絶対に会えない。それが本作では偶然で、くどいくらい何度も会いたい美人に会うのである。
最後に「思いがけない犯人」の真相が明らかになる。清張がこういう書き方をするとは思わなかった。思いがけない犯人に驚いた、というのではない。今では犯人は思いがけない方が当たり前になっているし、その思いがけなさもパターン化している。また小説の終わりのところは活劇映画のような派手さである。読者へのサービスのつもりだったのだろうか。

2022年10月26日水曜日

死亡遊戯 1978

ロバート・クローズ監督、香港、100分。

ブルース・リーが1972年に撮影した一部のフィルムが残っている。後に急逝した。残っているフィルムに、前半部分は別の俳優で撮った映像を付け加えて1978年に公開した。だから前半の代役撮影のところはサングラスをかけている。
話はブルース・リーが映画の中でも有名俳優という設定で、それを悪党が仕切る会社が契約して縛ろうとする。断る。しつこく説得するがリーが聞かないので、殺そうとする。リーは顔面を撃たれる。死んだかと思ったが治療で回復する。ただそれを伏せておいて死亡したと公表する。悪党どもにリーは立ち向かい成敗する。
最後の闘いの場面は本人の出る残されたフィルムである。五重塔のような階段を上っていくと各階で、相手が待っておりリーは決闘し倒していく。巨体の黒人がいてまるでリーが小人に見える闘いもある。

2022年10月25日火曜日

アウトサイダー The Outsiders 1983

コッポラ監督、米、115分。

不良少年(青年)たちの物語。主人公はまだ少年で兄二人と住む。施設帰りのマット・ディロンが偉そうにしている。
野外映画場で、マットらはダイアン・レインを見つけ話しかけ飲み物を買うなど近づこうとする。しかし肘鉄砲を喰らう。レインは主人公らのグループと対立した不良グループの女だった。
主人公と友人は公園で相手側グループに囲まれ危うくなる。友人がナイフで相手側の一人を刺す。後に死んだと分かる。ディロンは二人を古い教会に匿う。後にディロンが二人を連れに来る。
車を走らせていたら、教会が火事になっている。逃げ遅れた子供たちがまだ中にいるという。主人公、友人、ディロンは子供たちを助けに燃える教会に飛び込む。この行為で子供らは助かり、主人公たちは新聞に載り英雄になる。ただ友人は火事の怪我が基で死ぬ。
相手側グループとの闘いが行なわれ勝つ。ディロンは警官に撃たれ死ぬ。

2022年10月24日月曜日

ラン・ハイド・ファイト Run, Hide, Fight 2020

カイル・ランキン監督、米、110分。

高校に銃を持った生徒が乱入し生徒たちを射殺していくという、アメリカで実際に起こった事件を元にしたかと思わせる映画である。主人公は女で、父親から狩猟を教わっているところから映画は始まる。獲物を仕留めた後、苦しまないよう、とどめを刺せと言われる。
事件が発生する。主人公はトイレにいて占領された食堂にいなく、一旦は学校から逃げおおせる。だが仲間の生徒を助けるべく戻る。主人公とテロリスト生徒4人との闘いが描かれる。
本作の特徴はテロリストたちが制圧された後、変装して逃げようとした主犯を主人公が倒すところである。ここで映画冒頭の場面が生きてくる。

ゾラ『愛の一ページ』 Une Page d’Amour 1878

主人公のエレーヌは夫を亡くしており、娘のジャンヌと共に当時はパリのはずれだったパッシーに住む。娘ジャンヌが病気にかかり、医師から治療してもらう。エレーヌは魅力的な女であり、友人の婦人たちから好かれている。娘ジャンヌとは深い絆で結ばれていた。

ある日、エレーヌは妻帯者の医師から愛を告白される。もちろん拒む。医師の妻は自分の友人でもある。医師はいったんは引き下がるが、その思いは続いていた。また娘のジャンヌは過敏で母と医師の間の感情の動きを察していた。医師が母を奪うと思い、嫌うようになる。ジャンヌはその後、病気の発作が出るが、もうあの医師は拒み別の老医師が診るようになる。エレーヌは未亡人であり、医師からの求愛は内心喜びをもたらしていた。到頭最後に二人は秘密に結ばれる。人目を忍ぶ仲になる。

ジャンヌは病気に再びかかる。移転療養に医師もそこへ行くというのでエレーヌが喜んで賛成しているうちにジャンヌは亡くなる。2年後、エレーヌはジャンヌと仲が良かった老人と再婚していた。(石井啓子訳、藤原書店、2003年)

カトマンズの男 Les tribulations D'un chinois en Chine 1965

フィリップ・ド・ブロカ監督、仏伊、110分、ジャン=ポール・ベルモンド主演。

原作はヴェルヌの小説『ある中国人の困難』(映画の原題と同じ、邦訳名「必死の逃亡者」創元推理文庫)である。原作は中国舞台の中国人の話である。

ベルモンドは大金持ちでやることがなく自殺未遂を繰り返していた。婚約者がいてその母親が計算高い。東洋に行って心を変えようとみんな同行する。
そこへベルモンド破産の通知が来る。ベルモンドが今度は本当に自殺しようとしたら、中国人の友人に諫められる。生命保険を契約して受取人をその中国人と婚約者にする。保
険金を得るため、婚約者の母親が初めは中国人に、後には本職の殺し屋にベルモンド殺害を依頼する。邦題はカトマンズとなっているが、香港とチベット、またインドなどアジア一帯が出てくる。
初めは生に関心のないベルモンドだったが、西洋人の若い女(ボンド・ガールで有名なウルスラ・アンドレス)を見て惚れ込み、生きたくなり刺客たちから逃げ回る。
その活劇が主な部分で後の映画に影響を与えたという。ただ既に後の映画で観ているので、この元の映画は新鮮味がない。よくあるアクション物に見えてしまう。もちろん全体として喜劇調なのでむつかしく考える映画ではない。

2022年10月22日土曜日

キートンの大列車追跡 The general 1926

キートン、ブラックマン監督、無声、74分。

南北戦争を部隊にした映画。南軍側が主である。キートンは恋人にせかされ、兵士に応募に行くが落とされる。キートンが機関手なので、汽車を担当させた方がいいと判断されたからである。兵士になれないキートンは恋人から愛想をつかされる。
戦争でキートンは北軍の情報を耳にしたので、それを南軍に知らせるべく北軍の列車を運転して出発する。それに気づいた北軍が新たな汽車を発車させ、追いかけが始まる。このキートンと北軍の汽車の追っかけが映画の主である。また北軍に捕えられていたかつての恋人を救い出し、よりが戻る。
今と違って特撮が出来ない当時、凡て実際に命がけで撮影した映画である。

ビッチ・スラップ Bitch slap 2009

ジェイコブソン監督、米、105分。

砂漠にやって来た女三人。男を痛めつけて宝の在り処を聞きだそうとする。この辺りのどこからに宝が埋まっているはずなのである。映画は何度も回想で過去に遡る。多過ぎと思うくらいである。過去の場面はここに至った経緯の説明なのである。回想にも出た日本人の女が現在にも再登場する。
ともかく若い女のセクシーと暴力を売り物にした映画である。筋の上では最後に新たな発見がある。

新エクソシスト/死肉のダンス La casa dell exorcism 1975

マリオ・バーヴァ監督、伊米、94分。

同じ監督の『リサと悪魔』の改作版である。『リサと悪魔』がお蔵入りとなっていた当時、『エクソシスト』が売れたので、その要素を取り入れ改作したという映画である。
始まりのあたりは『リサと悪魔』と同じであるが、途中からエクソシストが入って来て、平行する二つの映画を観ているようになる。より俗受けを狙って裸の場面を増やしたりしている。
禁じ手とも言える作り方だが、こういう映画がたまにならあってもよい。

2022年10月21日金曜日

松本清張『時間の習俗』 昭和36年~37年

九州、門司の和布刈神社で旧正月夜中に行なわれる神事。これが小説の大きな要素になる。行事が行なわれる頃、関東の相模湖で殺人事件が起きた。被害者の男と一緒にいた女が行方不明になる。加害者かと疑われる。

『点と線』に出ていた刑事がある男に目をつける。しかしその男は和布刈神社の行事に行っていて写真まで撮っている。その行事の後、明くる日の旅館で撮った写真が続くネガフィルムがある。犯行時に九州に行っていたことになる。刑事はその男が真犯人だと疑わない。何らかのトリックがある筈だ。九州の旧知の老刑事に連絡して調べてもらう。更にその九州で新たな殺人事件が起こる。清張の小説でお馴染みの、犯人が都合の悪い人間をまた殺害するという展開になる。

犯人は分かっている。そのアリバイ崩しとフィルムの謎、消えた女の問題などが本書の謎で、それを解き明かしていく。清張は社会派推理小説家と言われ、本格推理小説とは異なる作家という印象があるが、本書はまさに謎解きを主とする本格推理小説である。本格推理小説とは理屈が通っていれば、非現実な設定、現実には有り得ない犯罪実行でも全く問われず、それでよしとされる。本書にはその分類が当てはまる。地方の行事や、今となってはない古い時代の風俗が出てきて、それらは清張の他の小説と同様である。

2022年10月20日木曜日

エルミタージュ幻想 Русский ковчег 2002

アレクサンドル・ソクーロフ監督、露、99分。

ロシヤのペテルブルグのエルミタージュ美術館は、かつてロシヤ帝国の宮殿だった。19世紀のエルミタージュにフランス人の外交官が来て、あれこれ批評する、話をする。それが皇帝を初め、王族貴族たちがたむろする中で進行する。多くの美術品の中で昔の雰囲気を再現する。
説明者がいて現代の立場から語られる。最後は、現代ロシヤを代表する指揮者であるゲルギエフが指揮する演奏も出てくる。
筋はないようなもので、当時のロシヤの貴族社会の幻影を見るようだ。

封神伝奇 バトルオブゴッド 封神傳奇 2016

コアン・ホイ監督、中国、109分。

中国の小説『封神演義』を基にして作られた映画。古代の中国が舞台。紂王の妃、妲己は妖術を使い、紂王を操って悪政を行なわせている。この妲己の妖術に対抗すべく、道士やかつては飛翔できる族だった若い男が立ち向かう。全編、妖術、超能力の闘いが繰り広げられる。コンピューター・グラフィックスによる特撮の連続である。
続篇を作る予定だったが、本映画があまり売れず、そのままになっていて、終わり方が続篇を前提とした中途半端なものである。

2022年10月12日水曜日

ランブル・フィッシュ Rumble fish 1983

コッポラ監督、米、94分、白黒映画。

マット・ディロンが不良で主役、その仲間にニコラス・ケイジ他、後に有名になる俳優がいてみんな若い。ディロンの憧れる兄、ミッキー・ロークが帰ってくる。ロークは伝説的な存在であったが、昔とは変わっていた。ディロンは兄のようになりたいと昔から思っていて、それは今も変わらない。しかしロークは大人になり、不良青年の憧れとはずれていた。
ペットショップで題名になっている闘魚(ランブル・フィッシュ)を見て(ここの場面で闘魚のみ色がついている)ロークは川に帰してやりたいと言う。そのロークは、彼を不快に思っている警官に撃たれ死ぬ。ディロンは兄の遺志を継ぎ、魚を川に帰す。

松本清張『歪んだ複写』 昭和34、35年

副題に「税務署殺人事件」とあるように、税務署内での醜聞から起こる殺人事件が描かれる。

中央線沿線は住宅開発が進み家は建つようになっていたが、まだ人気のない場所も多かった時代。男の死体が発見された。身元が分からない。遡ってある料亭の前の喫茶店で粘っている男がいた。後に料亭から出てくる者を見張っていたと分かる。この粘っていた男が殺された被害者だった。小説では新聞記者が主人公になって事件の真相を究明しようとする。大筋は喫茶店で監視していた男、殺害された男は元税務署の職員だった。汚職があってその責任を被る形で辞めた。しかし上司たちは出世していき、男は我慢できない。料亭に通う上司たちを見張って、恐喝をする。そのため逆に殺されたのが冒頭の事件である。それだけでない。清張の小説によくある事件の捜査に携わる男が殺されるという展開がここでもある。税務署の内情に詳しいという者でその男が新聞記者に語る税務署職員のたかりの実態は、全く言語道断の悪行である。最後に幾つか起こる殺人はエリート官僚の保身が起こしたと判明する。

松本清張はこの小説当時、ベストセラー作家で所得も多かっただろうから、税務署に不愉快な目に会わされてこんな小説を書いたのかと勘繰りたくなる。全国の税務署職員に読ませて感想を聞きたいところである。

2022年10月11日火曜日

大頭脳 Le Cerveau 1969

ジェラール・ウーリー監督、仏、100分、ジャン=ポール・ベルモンド主演。

列車からの大金強奪騒動で、実際にイギリスで起きた強盗事件を下敷きにしている。刑務所に入っているベルモンドは仲間のタクシー運転手の助けにより脱獄する。
ECの大量資金を列車でパリから運ぶ予定である。その大金をいただこうとする。この大金強奪には他の二組の悪党どもも計画していた。イギリスの強盗はデイヴィッド・ニーヴンが扮し、その脳が重いので頭が傾く。これが題名の由来である。あとイタリア・マフィアも盗むつもりだった。マフィアのボスの妹とニーヴンが恋仲になる。
列車でベルモンドと仲間は資金が入る沢山の袋を盗み、外に投げる。後から回収するつもりだったが、同様の計画をしていたニーヴン一味に取られる。そのニーヴン一味をマフィアが警察になりすまし、横取りする。ベルモンドらも資金を追う。
資金はアメリカに向けて出港する自由の女神の複製内にあった。最後は船積みされる時、ベルモンドがぶら下がる中、大量の札束がバラバラ海に落ちてくる。

ブレイン・ゲーム Solace 2015

アルフォンソ・ポヤルト監督、米、101分。アンソニー・ホプキンズ主演。

ホプキンズは超能力の持ち主で、引退していたが、FBIの依頼で捜査に協力する。FBIの若い女捜査官は医学が専門で超能力に懐疑的であり、ホプキンズも女の専門を馬鹿にする。
ホプキンズはその能力を使い、被害者がいずれも不治の病を抱えており、そういう者だけ殺す犯人がいると分かる。しかしその犯人(コリン・ファレル)もやはり超能力を持っていた。それはホプキンズよりも勝っている。
超能力のせいで未来も見える。最後の二人の列車内の対決には女捜査官も巻き込まれる。

2022年10月4日火曜日

ゾラ『ムーレ神父のあやまち』 La Faute de l’Abbe Mouret 1875

ルゴン・マッカール叢書の第5巻として発表された。片田舎の神父ムーレは若いが敬虔で自らの職務を真面目に考えていた。動物好きでやや精神の発達が遅れている妹、世話をやく婦人、また他人に厳しい修道士らが仲間である。田舎なので人々は封建的で娘の結婚を許さない父親の説得等にムーレは努めていた。

村のはずれにパラドゥーという廃墟の城を中心に果樹園や森などを含む領地がある。そこに住む偏屈親爺のジャンベルナは無信仰の知識人である。その姪にアルビーヌという魅力的な娘がいる。小説の第2部ではムーレが病気にかかり、アルビーヌに看病され、パラドゥーでの二人の生活が幻想的に書かれる。まるで夢の中の出来事か何かと想うくらいである。

3部ではムーレは回復し元の教会で仕事をしているが、アルビーヌとの生活を信仰からあまりにかけ離れた過ちと激しく後悔している。マドレーヌが誘いに来る。あんなに世話したからムーレは助かったのではないか。もう自分を愛していないのか、アルビーヌは激しく迫る。神に仕えるムーレは拒否する。しかし内心はアルビーヌに惹かれていた。後にパラドゥーに行く。しかしそこの森や果樹園などかつてアルビーヌと暮らした風景を見ても今やムーレの心は動かない。アルビーヌはもうムーレが自分を愛していない。帰れと言う。後にアルビーヌは自死する。妊娠していたと分かる。アルビーヌを葬るムーレの心は何も説明がない。

清水正和、倉智恒夫訳、藤原書店、2003

デンジャー・クロース 極限着弾 Danger close: The battle of Long Tan 2018

クリフ・ステンダーズ監督、豪、126分。

オーストラリアはヴェトナム戦争で米側について参戦した。戦争で犠牲になった若い豪の兵士たちをモデルにした映画である。オーストラリアの映画と知らなければ、ヴェトナム戦争映画もので米の映画と思ってしまうかもしれない。もっとも英語がオーストラリア発音で、知っていれば分かるだろう。

豪軍とヴェトナム軍の戦闘が主な場面である。豪の指令部にヴェトナム側から砲弾が飛んでくる。兵士たち数十名を部隊に分け、豪軍は闘いに赴く。銃と機関銃が武器である。ヴェトナム側の攻撃が始まる。豪軍は応戦する。
ただ兵士同志の銃による撃ち合いだけでない。豪軍は司令部に連絡して砲弾で敵方を攻撃できる。敵方の位置を無線で知らせる。その位置に向け、大砲(ロケット砲)を豪軍は撃つ。ヴェトナム側は多く死ぬがそれでも怖じ気ず襲ってくる。敵が近くにくると、連絡する砲撃位置が自分たちの近くになる。それが題名の極限着弾である。
ヴェトナム側も豪軍もライフルと機関銃で応戦する。しかしそれ以外に豪軍には大砲による砲弾攻撃や、空軍によるジェット機の殲滅攻撃がある。圧倒的に豪軍が武器で優位に立っているわけである。
米映画の『地獄の黙示録』のヘリコプター攻撃は有名である。本映画は若くしてヴェトナム戦争で戦死した豪軍兵士を描くのが目的だが、武器の差が目についてしまった。

2022年10月2日日曜日

ボードウェル、トンプソン『フィルム・アート――映画芸術入門』 2007

著者は映画学者で米の大学の教授である。本書は大部な書で、映画がどのようなものであるか、形式、タイプ、スタイル、批評分析、映画史、見るための手引き、に分け解説している。

タイプはジャンルを指し、スタイルではミザンセン、ショット、音につき解説する。批評分析では具体的な映画を幾つか挙げて分析している。映画史は欧米の映画史で、それ以外では香港映画を解説している。見るための手引きを読むと、本書がアメリカ人を対象とし、映画を勉強する学生を念頭において書いていると分かる。

小林武彦『生物はなぜ死ぬのか』講談社現代新書 2021

著者は生物学者で、なぜ生物は死ぬような仕組みになっているのか、専門知識で説明する。「生物はなぜ誕生したのか」「生物はなぜ絶滅するのか」「生物はどのように死ぬのか」「ヒトはどのように死ぬのか」「生物はなぜ死ぬのか」の章に分かれ、論じる。

絶滅せずこれまで生き延びてこられたのは、多様性のお陰である。多様性によって進化し環境に適応してきた。そのためには古いものはなくなって、必要となった新しいものが出てこなくてはならない。だから死は生物が全体として生き延びていくためには必要なのである。

生物全体として、また人間全体として死が必要なことは分かる。ただ個々の、具体的には自分という人間が死ぬという事実を納得させるのは哲学等の領域なのか。