2023年6月30日金曜日

合衆国最後の日 Twilight’s last gleaming 1977

ロバート・アルドリッチ監督、米、西独、146分、バート・ランカスター主演。

ランカスターら元軍人たちは脱獄し、ミサイル発射基地に侵入する。そのミサイル基地を設計しているので操作は周知している。ランカスターは大統領に連絡をとるよう命令する。要求を飲まなければ、ミサイルを発射すると脅す。巨額の金や大統領の人質よりも本質的な要求はヴェトナム戦争に関する秘密文書を公表せよというものである。決死隊の突入と失敗。電話でランカスターと大統領とのやり取り。

最後は大統領がミサイル基地に乗り込む。犯人二人と大統領は外に出てくる。狙撃で犯人らは死ぬ。ただ大統領も被弾し、国務長官に文書は公表せよと命令して死ぬ。

ジャーロ Giallo 2009

ダリオ・アルジェント監督、米伊、92分。ジャーロは黄色の意。

イタリアでタクシーの運転手を装い、若い女を切り刻む連続殺人事件が起きていた。それも外国人の女ばかりである。初めの方に、犠牲になる日本人の女が出てくる。モデルの女がタクシーに乗ってやはり誘拐される。姉が心配し、警察に届ける。担当の刑事はこれまでと同様の犯罪であろうと推測する。被害者の最後のうわごとで黄色、黄色と言っている。これは犯人が黄疸を患っているからではないかと思う。犯人の名や家が判明する。もぬけの殻だった。

犯人は姉の家を襲う。妹の在り処を知りたければ言う事を聞けと。刑事が来て犯人と格闘になる。犯人は落下で死ぬ。姉は刑事を責める。妹の在り処が分からなくなったのではないかと。妹は車のトランクに閉じ込められてうめき声を上げているが、見回りの警備員は気がつかない。車の下の血の溜まり。それで映画は終わる。

2023年6月28日水曜日

コリンズ『幽霊ホテル』 The haunted hotel 1878

ある若い女(アグネス)が結婚する予定だった貴族は婚約を破り、伯爵夫人(未亡人)と結婚する。婚約を破棄されたアグネスを、貴族の弟はもとより意があったので、慰め助けようとする。貴族と結婚する伯爵夫人は不思議な雰囲気でやや神がかったような女である。意味不明の予言を口にする。

貴族は結婚しヴェネツィアへ新婚旅行に行く。その前にアグネスが以前使っていた女は、自分の夫を旅行の従者として雇うよう推薦してくれとアグネスに頼む。アグネスは嫌だったが依頼する。それで従者は新婚旅行についていく。ところが従者である夫からの連絡が途絶え、妻は夫は殺されたとわめくようになる。更に貴族がヴェネツィアで死亡したとの報せが届く。

後に縁者がヴェネツィアにホテルを買収、整備する。そのホテルに泊まった縁者の中には恐ろしい夢を見る者が現れた。そこはあの貴族が死亡した部屋だった。伯爵夫人は戯曲を書き、死ぬ。その筋を読むと従者失踪や貴族死亡にまつわる謎が分かった。(板倉厳一郎訳、臨川書店、2000年)

コリンズ『ならず者の一生』 A rogue’s life 1856

一人称形式の回顧的な書き方の小説。語り手の青年は名門に生まれる。しかしながらその一門に相応しいまともな生活を送れそうにない、したくもない。つまり落ちこぼれ、黒い羊であり、小説の題にあるならず者となる。

父親が高名な医師であったため、医師の職業に就く。しかし青年には画才があり、むしろそちらの方に関心を持つ。また後にそれが人生に影響を及ぼす。青年は過去の巨匠の絵を真似し、その巨匠の絵として売る仕事をするようになる。一目惚れした若い女がいて、その父親が化学に関心があると聞く。父親の仕事を手伝うようになると、化学の実験なるものが贋札作りと知る。

娘と結婚したい青年は、父親が娘を隠したところを突き止め、一緒に逃避行する。青年は贋札作りに関わったので警察に捕まり裁判を受ける。オーストラリアに行き、そこで娘と結婚し幸福な生活を送れるようになった。(甲斐清高訳、臨川書店、2000年)

2023年6月26日月曜日

ジュリアン・グリーン『モイラ』 Moira 1950

著者ジュリアン・グリーンは米国人の両親のもと、パリに生まれ育った。『モイラ』は1950年に公表され、舞台は1920年の米の田舎の大学である。著者自身が留学した米ヴァージニア大学をモデルにしているらしい。

主人公のジョゼフ・ディが入学して下宿で知り合った学友たちとの交わりが話の大部分を占める。書名のモイラは女の子の名で小説の後半になって登場する。主人公ジョゼフは、信仰一筋にキリスト者としての生を歩むべきとの信念の塊である。潔癖という言葉では手ぬるい。

他人に対しても厳しい。下宿の女主人が紅白粉を差していると「〈助けてあげなくては〉と、彼は思った。〈そう、彼女が救われるよう、助けてあげなくては〉。そして不意の情熱にとらわれて、彼は自分がこの女性に恥の涙を流させ、約束をさせ、心から悔い改めさせ、さらにはかつて行われていたように自らの過ちを公の場で告白させる姿を思い描いた。なんという勝利だろう!」(本文p.23)女が化粧するだけで罪なのである。

友人に対しても何としても優位に立とうとする。相手の言い分を認めたら負けという発想なのである。こういう人物はいかにもアメリカ人らしいという気がする。脱線するとアメリカの映画をみていると厳格な狂信者が現れ、他者を断罪する場面がある。さらに犯罪者や問題児はその親がこういった狂信者であったと小説などに書いてある。

この謹厳実直居士の主人公が若い女モイラに会ってどうするのか。解説にはネタバレ的な記述が若干あるので(終わり方が意表を突くところがあるから)、読了するまで解説は読まない方がいい。

この文庫で一番感心したのは注が各ページについている点である。注を巻末にまとめて読者を煩わす本がいまだにある。なおp..344に「精霊にとらえられたら、精霊に身を任すべきだ!」とあるが、この精霊は聖霊ではなかろうか。全く別の本でも精霊と書いてあるのを見て同じように思ったりする。(石井洋二郎訳、岩波文庫、2023)

ザ・リッパー Lo squartatore di New York 1982

ルチオ・フルチ監督、伊、90分。

ニューヨークで女が次々と殺されていく。犯人は誰かとなどの推理部分はあるが、専ら残酷な殺しの場面が売り物の映画である。最初、犯人と思しき者が特定されるが、その容疑者も殺される。犯人からの電話がアヒル声でかかってくるのが特徴。

2023年6月25日日曜日

大泉黒石『俺の自叙伝』岩波文庫 2023

俳優大泉滉の父親である。大泉滉といっても古い日本映画をみる人しか知らないだろう。極めて特徴のある顔で一度見たら忘れない。この本のカバーや解説の写真を見たらすぐに大泉滉を思い出した。調べたら著者大泉黒石は大泉滉の父親であった。この本の解説では全く触れていないので書いておく。

大泉黒石は作家である。ロシヤ人の父親と日本人の母親の間に明治26年、長崎に生まれた。母親は黒石を産んですぐ亡くなった。父親は大陸にいた。小学生の年齢になって父親の元、中国に行く。その後ロシヤに行き、父親も亡くなったのでおばに世話になりフランスで学校に入る。ロシヤではトルストイに、フランスではドーデに会ったとある。トルストイやドーデを全く好意的に書いていない。日本に戻ってから初めから作家になろうとしたわけでなく、色々な職業につく。靴作りや牛の屠殺など。浅草山谷堀の北側に昔の町名で亀岡町というところは、牛の一大屠殺場だったと知った。また文庫のカバーに無政府主義者などと書いてあるが、本書で政治主張をしているわけでない。この自叙伝は一番後年でも、大正時代の出来事までである。著者は昭和32年まで生きた。

中央公論の滝田樗陰に認められ、本自叙伝は初めは中央公論に載った。解説は四方田犬彦が書いているが、その解説によると人気があったから、久米正雄や村松梢風から嫉妬で攻撃を受けたそうだ。著者の作家としての最盛期は大正終わり頃らしい。

百年前は先進国でも庶民の暮らしは、今からみると恐ろしく惨めで貧しかった。本書もその一例である。歴史というものは政治史なので、大国になったとか、首相が誰だったとか庶民にとってあまり関係ない記述が多い。当時の庶民の人生の一記録として読める。書名に俺のとあるように自分を俺と呼び、肩肘張らない叙述である。

2023年6月22日木曜日

大下宇陀児『烙印』創元推理文庫 2022

探偵小説作家の大下宇陀児が戦前から戦後にかけて発表した短篇と評論である。収録作は次の通り。「烙印」/「爪」/「決闘街」/「情鬼」/「凧」/「不思議な母」/「危険なる姉妹」/「螢」/(以下評論)「乱歩の脱皮」/「探偵小説の中の人間」

江戸川乱歩、甲賀三郎と並んで戦前より探偵小説の大家と言われてきた大下は、多くの探偵(推理)小説愛好家にとっての保守本流の考えであろう、純粋な謎解き小説こそ推理小説のあるべき姿だとは思っていなかった。ここに納められた評論「探偵小説の中の人間」にあるように、トリック中心の推理小説に飽き足らなく感じている人もいると思う。

自分も純粋かどうかでなく、小説として面白い作品を求める。理屈がとおっていれば、それで推理小説好きは良しとみなすものであっても、そのトリックがあまりに非現実であれば(有名な作品にもある)、読んでいて馬鹿馬鹿しくなってしまう。ここの集成では純粋な推理小説を追求した作品でなく、人間の性(さが)というものを書いている小説である。

絞殺魔 The Boston strangler 1968

リチャード・フライシャー監督、米、119分、ヘンリー・フォンダ、トニー・カーチス等。

実際にボストンで1962年以降に起きた連続殺人事件を元にした映画。老嬢ばかりが被害者の連続殺人事件がボストンで起きていた。警察は犯人を捕まえるため、ヘンリー・フォンダを長とする特別組織を作った。その後も殺人は後を絶たず、老嬢ばかりと思っていたら若い女も犠牲になった。犯人は配管工のトニー・カーチスだった。妻と子供がいる。計画的な殺人ではなかった。女を追い回し、警官に誰何されるので逃げた。捕まった。尋問を受ける。

カーチスは犯罪の記憶がなかった。カーチスは二重人格者なのであった。フォンダは粘り強く尋問を続け、カーチスに思い出させようとする。最後にカーチスは自分の犯罪を思い出し、その始終を語る。ここで映画は終わっている。実際の犯人も連続殺人では起訴されず、別の件で裁判になったという。

ふるえて眠れ Hush, hush, sweet Charlotte 1964

ロバート・アルドリッチ監督、米、133分、白黒映画、ベティ・ディヴィス主演。

戦前から始まる。南部の邸宅でその家の娘と一緒になりたいと妻ある男が父親である主に言うが、即却下される。その男はすぐ誰かに殺された。数十年経った戦後、邸宅は道路を通そうとするため取壊しが決まっていた。しかしその邸宅に今も住む今や老嬢となったディヴィスは断固として立ち退きを拒否する。かつて求婚された男が殺され、今も独身である。欧州から友人オリヴィア・デ・ハヴィランドが帰ってくる。ディヴィスはハヴィランドに自分に協力してもらうつもりだったが、ハヴィランドはむしろ立退きを迫るのでディヴィスは腹を立てる。ハヴィランドのかつての恋人で医者であるジョゼフ・コットンも出入りしている。ディヴィスの精神状態はまともでないように見える。殺された男が今も生きていると思い込んでいるような。話は恐怖映画のように進行する。

実はハヴィランドとコットンが企み、ディヴィスの財産を狙っていた。真相が分かったディヴィスは二人を亡き者にする。自分はその後悠然として屋敷を去る。

2023年6月19日月曜日

バルザック『従兄ポンス』 Le Cousin Pons 1847

『従妹ベット』と共にバルザック最晩年の小説。主人公のポンスは音楽家だが、生涯かけて美術品(絵画)を蒐集し、その価値は膨大であった。ただしこれはほとんど知られておらず、貧乏人と見なされていた。親戚の裁判長宅ほかに美食家のポンスは食客として度々訪れていた。しかし裁判長夫人はポンスを毛嫌いしていた。

後にポンスが紹介したドイツ人の資産家と、裁判長の娘が結婚する話が持ち上がる。資産家は相手が一人娘と分かって、わがままだろうからと結婚を断る。これに裁判長夫人は怒り狂い、凡てポンスの陰謀と罵りその悪評を広め、ポンスの評判は地に落ちる。

ポンスにはドイツ人の音楽家の親友がいた。ポンスも友人も極めて善人(というより世間知らず、鈍感と言った方がいいかもしれない)である。ポンスの下宿のおかみさんはポンスの所有する絵画に膨大な値打ちがあると知り、自分に遺産を残して死んでくれるようお為ごかしで画策する。ポンスの絵画は弁護士から裁判長夫人にも知れ渡る。何とかしてポンスとその相続人になっている友人を亡き者にし、その財産をわが物にしようと強欲な連中は躍起になる。最後には世間知らずの連中は破滅する。(柏木隆雄訳、藤原書店、1999)

谷岡一郎『社会調査のウソ』文春新書 2000

ここではマスメディアに多く掲載されるアンケート結果の類に留まらず、官公庁や学者の出す調査についても問題がある、統計学的に意味がないものがあると指摘している。

確かにアンケートの結果が載っていても、どうして調べたか何も記述がないと、信用できない気がする。本書では世の中に出回っている調査結果なるものがいかにいい加減かを沢山の例を挙げて糾弾している。

それにしてもなぜそのような間違いが今に至るまで続いているのか。統計の基礎について世の中があまりに無知で、それで困っていないらしい。正直なところ、将来改善されるであろうか。不適当や無知がいくら経っても直らないのは、世の中がそれを是認しているからか。

2023年6月16日金曜日

高坂正堯、香西泰『歴史の転換点で考える』講談社 1994

本書は国際政治が専門の高坂正堯京大教授と、エコノミストの香西泰日経センター理事長の共著である。どういう構成かというと高坂と香西の論文が代わりばんこに出てくる。まず高坂が書き、それを受けて香西が書く、更に高坂が書く、といった風である。これは対談より優れている。対談は読みやすいが、目の前の相手に遠慮や迎合する可能性がある。よく考えて執筆する方がいい。

本書は1994年に出版されている。すなわちソ連が崩壊して5年後である。かつてのような体制優劣論争はなくなった。しかしながら日本を含む資本主義諸国は問題ないのか。いやおおいにある。当時は経済では米と日が中心で、それに欧州がEUを作り対抗しようとしていた時代である。今読むと、いろいろずれた議論がある。それはしょうがない。将来のことなど分からない。利点として当時の議論が分かる。ある時代の常識は少し時代が変わると全くそうでなくなり、後の世代の人は何も分からなくなってしまう。

読んで驚くのは、高坂が経済や財政の議論を随分しているのである。相手がエコノミストの香西だから教えてもらおうと思ったのか。自分の専門である政治や歴史の話をすればずっと優位を示せたのに。しかしながら極めて興味深い。高坂のような日本の最大限の知識人、ただ経済を専門としていない、が経済を論じるとどういう発想になるかの例を示しているからだ。そういう意味で期待よりずっと面白い本であった。

2023年6月14日水曜日

ツルゲーネフ『猟人日記』新潮文庫 昭和47年

ツルゲーネフの初期、1840年代後半に書かれた25編から成る短篇集。雑誌に掲載された諸編を後にまとめた。

語り手の猟人がロシヤの田舎、大地を猟をして回る中で知り合った農民(農奴)や地主(貴族)の生き様を描く。よくロシヤの自然を描いたと紹介されるが、自然もさることながら、何より登場する人々が関心の的である。自分の運命を受け入れている、従順そのもののような農奴たち、恐ろしく個性的な地主たちなど読んだら忘れがたい。

ツルゲーネフの作品はこの他『ルージン』以下『処女地』までの長篇、あるいは『初恋』などが有名だが、『猟人日記』はまた別の優れた味わいを持つ。作為を感じさせない、当時のロシヤの自然で生きる人々を情感豊かに描きだしている。ロシヤ文学の中でも特に傑作に数えてもいいのではないか。

2023年6月12日月曜日

乱歩・正史『覆面の佳人』春陽文庫 1997年

この『覆面の佳人』と題された長編探偵小説は、昭和4年に北海道の新聞に江戸川乱歩、横溝正史の合作として連載された。明くる年に『女妖』という題で九州の新聞に連載し直された。執筆は乱歩、正史となっているが、横溝正史の単独執筆らしい。

この昭和初期には横溝正史の名はそれほど有名でなく(横溝正史が著しく高名になったのは昭和50年代以降の、映画と連携した角川商法のたまものである)、乱歩の名によって売ろうとしたようだ。乱歩名義になっている他人による創作、翻訳、子供向け読み物は多く、春陽文庫に入っている江戸川乱歩『蠢く触手』は岡戸武平(博文館社員)の作である。別に乱歩だけの話でなく、昔は高名な学者名で出している本も執筆は弟子がしているなどは珍しくなかった。

また横溝正史の完全な創作でなく、翻案である。つまり原作の自由訳である。読むと驚くべきことはフランスが舞台になっていて登場人物はフランス人、イギリス人、ロシヤ人などであるが、みんな日本名なのである。蛭田紫影、成瀬珊瑚、綾小路浪子など。これはまえがきにあるように、訳補者は黒岩涙香を称賛しており、その涙香の流儀によったものか。翻案の原作者は米の女流作家A.K.グリーン(Anna Katherine Green)とある。ポー以降の19世紀後半の長編探偵小説は仏のガボリオ、英のW.コリンズ、米のグリーンによって代表される。このうちグリーンは古い探偵小説好き以外には知られていないだろう。1878年に『リーヴェンワース事件』The Leavenworth caseを出し有名になった。ただこの翻案の元の作品は不明であり 『リーヴェンワース事件』ではない。巻末の解説も『リーヴェンワース事件』は代表作として挙げており、間違えないようされたい。

さてこの小説の発端は雪の降りしきるパリで事件が起こり、容疑者は口を割らない、と言ったらガボリオの『ルコック探偵』を思い出すのではないか。実際にガボリオ風、涙香風の雰囲気で進む。いわくありげな人物が多く登場し、小説の展開は読者の関心をそそるだろう。後半になって随分殺人事件が多く起こる。推理小説的な要素は犯人が誰かである。さてこの作品の評価である。誰が書いていてもよい。誰が原作でもよい。面白ければ。ただ残念ながらあまり面白いとは言い難い。それでもガボリオ風の小説が好きな人、また横溝正史が書いており、翻案だから横溝の創作部分も結構あるだろうから、横溝ファンには勧めたい。

モンタナの目撃者 Those who wish me dead 2021

テイラー・シェリダン監督、米、100分、アンジェリーナ・ジョリー主演。

ジョリーは森林消防官。以前山火事で人を死なせているので精神的外傷に悩んでいる。ある秘密を知る会計士が殺し屋に付け狙われる。息子と一緒に車で逃げる。殺し屋二人に狙撃され父親は死ぬ。少年はその秘密を持って逃げる。ジョリーは少年に会う。監視塔に登る。殺し屋らはジョリーの知り合いの男とその妻を脅して、行先を聞こうとする。夫婦は殺し屋を巻いて逃げる。殺し屋が放火したので山火事となる。監視塔にジョリーと少年がいると分かった殺し屋らは銃撃する。ジョリーと少年は逃げ、殺し屋を退け火事で死なせる。またもう一方の殺し屋は夫婦に倒される。

2023年6月6日火曜日

大下宇陀児『偽悪病患者』創元推理文庫 2022

大体、昭和一桁に発表された作品を収めてある。収録作品は以下の通り。

「偽悪病患者」/「毒」/「金色の獏」/「死の倒影」/「情獄」/「決闘介添人」/「紅座の庖厨」/「魔法街」/「灰人」/「探偵小説の型を破れ」/「探偵小説不自然論」。

最後の2編は評論。非常に趣向を凝らした筋になっている。兄と妹の書簡で真相が明らかになっていく『偽悪病患者』、子供の無邪気な視線で身内の毒殺を淡々と描写する『毒』、代表作の『情獄』、後の筒井康隆が書きそうな幻想に満ちた怪奇の街『魔法街』など、著者の才能を遺憾なく発揮した傑作集である。

2023年6月5日月曜日

猟奇島 The most dangerous game 1932

ジュードサック監督、米、63分。

船が難破し、若い狩猟家が島に一人だけ泳ぎ着いた。そこに要塞風の屋敷があり、ロシヤ人の主人が召使いと住んでいた。前に同様に難破してこの屋敷に厄介になっている若い兄妹がいた。寝る時、兄は主人に連れて行かれ特別の部屋に入る。寝ていると妹の方が狩猟家の部屋に訪ねた。兄がまだ戻っていないと。狩猟家と妹は兄を捜しに行く。秘密の部屋に入ると、後から主人が召使と一緒に降りてくる。兄の死体を運んでいた。

主人は狩猟好きを自称していたが、その狩猟は人間狩りだった。狩猟家と妹は屋敷から出る。後から主人らが狩猟に追いかける。明け方まで逃げおおせたら勝ちになる。狩猟家は銃で撃たれ激流に落ちた。主人は妹を屋敷に連れて戻る。しかし狩猟家は死んでおらず、屋敷に現れ、主人や手下を倒しボートで妹を連れて逃げた。

2023年6月3日土曜日

ドント・ブリーズ Don’t breathe 2016

フェデ・アルバレス監督、米、88分。

留守の邸宅に忍び込み、泥棒と狼藉を働く三人組の若者がいた。男が二人で女一人である。その中に親が警備保障会社の者がいて情報を得ていた。最後に侵入する家は寂しい地域にある、盲目の老人が住む屋敷である。元軍人であった。

この家に忍び込むが、老人にばれ格闘になる。男二人は殺された。しかもこの家で若い女が匿われていると分かった。女を助ける。なぜ女が匿われていたのか。驚愕の理由があった。その女も老人に誤って殺される。残った侵入した女は、その身代わりにされそうになる。老人をやっつけからくも脱出する。幼い妹とカリフォルニアに向けて旅立つ駅のニュースであの老人は死んでいなく、回復したと知る。

影なき声 昭和33年

鈴木清順監督、日活、94分、白黒映画、南田洋子、二谷英明主演、松本清張原作。

南田は新聞社の交換手をしていた。ある時間違えてかけた先が殺人の現場で、南田は犯人の声を聞く。その後の捜査で迷宮入りとなった。南田は今は専業主婦で冴えない旦那がいる。二谷は新聞社の記者で久しぶりに南田を見かけた。南田の旦那は宍戸錠に世話になっているとして、自宅を麻雀の場として提供する。それが長期にわたって続くので妻の南田は嫌になる。しかも自宅に来た宍戸の声を聞いてそれがあの殺人事件の犯人の声と思い出す。怖くなった南田は偶然再会した二谷に話す。しかし証拠がない。

その宍戸が殺される。動機があり、他の容疑者はアリバイがある。南田の夫が容疑者として逮捕される。そのアリバイ崩し、真犯人の追及が後半の筋である。

2023年6月2日金曜日

どろ沼 The long memory 1953

ロバート・ハーメル監督、英、89分、白黒映画。

主人公の男は裁判での偽証により殺人の有罪判決を受け、12年間服獄していた。出所する。かつて裁判で偽証した連中を捜し出そうとする。酒場で居所を捜していた時、そこで働いている女と知り合う。偽証者には死んでいた者もいた。

偽証した男を見つけ執拗に追う。偽証男は警察に逃げる。酒場で知り合った女は男の住い(古い船)に来る。男が帰れと言っても帰らない。女は今まで不幸な目に会ってきたから、男を見て悪い人間でないと思った。一緒に暮らすようになる。男が捜している偽証した女は今は警察の妻になっていた。男は女の家に行く。子供がいた。男は対面するがもう復讐する気はなくなったと言って去る。

男は偶然から自分が殺したことになっている男に会う。成敗しなくてはとなるが、相手は銃で男を撃つ。致命傷ではない。男が帰宅すると相手が待っていて、男を撃ち殺そうとする。男は逃げ、相手は追う。相手は男の知り合いに撃たれた。その時警察が到着した。男は知り合った酒場の女と去る。

バルザック『ゴリオ爺さん』 Le pere Goriot 1835

パリにある下宿屋。ゴリオ爺さんの他、法科の学生ラスティニャック、悪人ヴォートランなどの他、十人以上の下宿人がいる。ラスティニャックはまだ純真であるが、野望の塊。またヴォートランは初めは正体を隠し、癖のある男としてとおっている。

話の中心であるゴリオ爺さんはつましい生活をしながら、あでやかな若い女が訪ねてくる。みんなは爺さんの女かと勝手な噂をする。実は爺さんには娘が二人いて、貴族や銀行家に嫁している。しかし贅沢や浮気で首が回らなくなっている。ゴリオ爺さんに泣きついてくる。爺さんは娘を目に入れても痛くないほど可愛がっているので、莫大な持参金を持たせた。それでも金を爺さんに無心に来る。ラスティニャックはまだ正義感が強く、爺さんに味方し、次女と恋し合う。爺さんが危篤になっても娘らは見舞に来ない。爺さんは死ぬ。(筑摩書房世界文学全集、水野亮訳)