2021年11月30日火曜日

セックスと嘘とビデオテープ Sex, lies and videotape 1989

ソダーバーグ監督、米、100分。

ジェームズ・スペイダーは友人の住む町にやって来る。友人の妻は、夫婦生活があまりうまくいっていないのか、精神が不安定であった。その夫である友人というのは、よく言えば精力的で攻撃的で女に対して躊躇しない。妻の妹と情事を重ねていた。妻は、夫と違うスペイダーに関心を持つ。自分の夫婦生活の不満を、スペイダーに話し、相手になってもらうようになる。
スペイダーは女から性生活の実際と意見を聞いて、それをテープに録画する趣味があった。
夫と関係している、妻の妹もスペイダーを知り関心を持つ。スペイダーは妹から性生活について聞きテープに撮る。後にスペイダーは妻からも話を聞いて撮る。後で知った夫はスペイダーを殴り、妻とスペイダーの間で撮られたテープを見る。そこには性的不能になっているスペイダーをむしろ妻の方から慰めるような会話があった。後に夫婦は離婚し、長年疎遠だった妻(姉)と妹の仲直りの場面で終わる。

狼よさらば Death Wish 1974

マイケル・ウィナー監督、米、93分、チャールズ・ブロンソン主演。

ブロンソンが妻とハワイで楽しんでいる場面から始まる。ニューヨークに戻ってくる。ブロンソンのいない昼間、妻とたまたま着ていた娘は自宅で暴力グループに襲われる。妻は死亡。娘は精神がおかしくなった。ブロンソンは警察に任せるだけでなく、自ら犯人捜しを始める。そのきっかけになったのは仕事で訪れた町で、西部劇の実演を見て、また知り合い意気投合した男からの銃の贈与であった。

ニューヨークに戻ったブロンソンは地下鉄等で、暴力をふるう者に遭遇すると銃で片付けた。この行為が続く。自警行動に大衆は喝采し、実際に強盗発生件数が減る。しかし警察は勝手に自警行動を行なう者を許しておけない。復讐だろうと推測した警察は過去に家族等被害にあった者を調べ、ブロンソンを突き止める。ブロンソンにお前の仕業と分かっている、やめろと圧力をかける。最後に暴力グループと撃ち合いになって、自分も負傷したブロンソンは、警察から街を出て行けと言われる。シカゴに着いたブロンソンは駅で脅しをしている連中に向かって指で引き金を引く。

本映画公表当時はアメリカの暴力の発生が特に高かった時期である。批評家の評判は良くなかったが、ヒットし続編が4作ほど制作された。後にブルース・ウィリス主演で再映画化されている。

2021年11月29日月曜日

馬賊芸者 昭和29年

島耕二監督、103分、大映、京マチ子主演。

第一次世界大戦後、間もない頃の福岡。馬賊芸者とは大戦による成金どもから金を巻き上げる芸者を指した言葉である。その一人、京は宴会の場で歌舞伎役者が踊る際の三味線役を断られた。すっかりこの役者に京は腹を立てる。役者の人気投票がある。普通なら首位になるのが、京を断った役者である。京はなんとしてもこの役者を首位にさせたくない。代わりに他の役者(高松英郎)を盛んに盛り立て、金をつぎ込み首位にするつもりでいた。しかし結果はやはりあの役者が首位だった。京は悔しくてしょうがないが、自分が応援した高松から求婚される。嬉しくてたまらない京は相手が巡業から帰ってくるのを待っていた。ところが相手が旅先で急死したとの連絡があり絶望する。

後になって座敷に出ていた時、高松にそっくりの人形師に出くわす。それで京はこの人形師にほれる。ところが後この人形師が、自分の妹分の芸者と将来を誓った間柄と分かり、怒り狂う。妹分を許さない気でいたが、一緒になれない二人は駆け落ちする。逃げた芸者を取り戻そうとする置屋に対して、京は金を金満家から借り、脅して納得させる。最後は志村喬演じる金満家の前で、踊りを踊る京。

映画としての出来はそれほどでもないが、途中、川沿いに福岡の祭りが見られ、また最後に志村が歌って京が踊る黒田節はいずれも見る価値がある。

『本多静六自伝 体験八十五年』新版 実業之日本社 2016

著者は林学、公園学等の専門家で東大教授を勤めた。また蓄財の大家としても有名だったらしい。その自伝である。著者は慶応2年、埼玉県に生まれた。よく自伝にあるように歴史ある家に生まれた。兄弟姉妹は多かったが、著者はきかん気で、餓鬼大将であった。これまた偉人の幼少期の特徴としてよく出てくる。年少期は家が裕福であったが、父の死で仕事をしながらの勉学となる。逆境になってより勉強に励む。上京して山林学校(後の東大農学部の一部)に入る。学業優秀で婿の口がかかる。自分を留学させてくれたらという条件で断るつもりだったが、相手方が承知する。かくてドイツに留学する。留学後は東大の教師となる。その後は専門の知識で、例えば日比谷公園の造園に寄与した、など多くの事業を手掛けた。当時の有名人とも交友があり、後藤新平や渋沢栄一などと付き合いがあった。また蓄財の専門家とも知られていた本多は、所得の四分の一を貯蓄に回す方法を紹介する。

ともかく一所懸命努力すれば何事も成る、といった人生を実践し送った人物である。

蓮見重彦『見るレッスン』映画史特別講義 光文社新書 2020

映画研究者の蓮見が書いた映画論。題名から連想されるような編年体の映画史の本ではない。だから特別講義としてあるのか。内容(章)は次の通り。

現代ハリウッドの希望/日本映画 第三の黄金期/映画の誕生/映画はドキュメンタリーから始まった/ヌーベル・バーグとは何だったのか?/映画の裏方たち/映画とは何か

冒頭に世間で話題になっているような映画ばかりみるのは良くないとある。そういう人もいるだろう。しかしそんな人はこんな本を読まない気がする。映画の見方では、映画の中に驚くような場面がある、それに注目すべきとある。もちろん驚くような場面とは、見巧者でなければ評価できないようなところを指すのであろう。

読んでいて類書と異なるのは、具体的な監督などの名を挙げ、いいとか悪いとかはっきり言っているところである。女の監督を結構取り上げており、ドキュメンタリーの小森はるか、小田香の二人の名は何度も挙げ、称賛というか絶賛している。一方で具体的な名を挙げ、こき下ろしている監督がある。はっきりとした物言いは望まれるが、理由が明示されていない場合がある。素人の映画ファンが好き嫌いを言っているのではない。専門家が活字で主張しているのである。理由がないのは理解できない。みんな具体的に名指しているかと思ったら、トリノで日本映画のシンポジウムがあった際、「特に名を秘す批評家の某氏がくだらないことを長々と述べ始めた。」(p.103)とあって、他の映画人がやめさせろと書いた紙が回ってきた、と笑っている。なぜこの批評家の名を秘すのか分からない。

今の日本には美形の女優がいないと書いてある。分からないでもないが、著者が考えるかつての美形女優を、順位をつけて書いてもらいたかった。

著者の言い分で納得賛成できたのは、映画は90分にしてもらいたい、過去の失われたとされる日本映画の発掘に評論家は努力すべき、という点である。

2021年11月26日金曜日

『ジャン・ルノワール自伝』 Ma vie et mes films 1974

映画監督ジャン・ルノワール(18941979)による自伝と制作した映画についての思い出。専ら自伝として書いてあるのは幼少期。父親が印象派の画家オーギュスト・ルノワールである。どうしても特に若いうちには、父親の名に振り回される時が出てくるのは、偉大な親を持った者の共通であろう。19世紀末から20世紀初めの、フランスの様子の一例が描写されているところは興味深い。幼いうちはガブリエルという親戚の若い女に世話になった。ガブリエルはルノワールの絵のモデルにもなった。ルノワールの絵でガブリエルとジャンを描いた作品がある。

本のより大きな部分は自分の制作した映画についての記述である。1940年にナチスのフランス進攻を逃れて渡米する。特に代表作と言えば『大いなる幻影』と『ゲームの規則』であろう。共にフランス時代、すなわち戦前の作であるが、渡米後も『河』や『南部の人』など有名作を作っている。『河』制作でインドに2年間滞在した経験はルノワールの国家観に影響を及ぼした。フランス人になぜアメリカに住んでいる、フランスに帰って来いと言われると自分は映画国の人間だと答えた。2度の世界大戦はルノワールに国家というものを、時代遅れの遺物と感じさせたようだ。

西本晃二訳、みすず書房、2001年新装版

ホレス・ウォルポール『オトラント城』 The Castle of Otranto 1764

ゴシック小説の鼻祖と言われる小説。オトラント城の城主マンフレッドには息子と娘が一人ずついた。息子コンラッドは世継ぎであるのに病弱な男だった。コンラッドと、城で世話しているイザベラ姫との結婚の日、魔訶不可思議な出来事が起こる。城の中庭に巨大な兜が出現した。その兜によってコンラッドは押し潰されてしまった。嘆く母親や姉マチルダ。この不可思議な出来事の理由は分からない。

しかし城主マンフレッドは次の様な、良からぬ企みを持った。息子がなくなった上は、自分の家の世継ぎが何としても必要である。それでマンフレッドはイザベラ姫に求婚するのである。マンフレッドは傲岸不遜で自分の意志をあくまで貫こうとする。驚いたイザベラ姫は逃げ去る。一方、地下室で見知らぬ若い男を発見する。後にセオドアと名乗るこの青年は田舎者だと言いつつ気品があり男らしい。マンフレッドはこの男を疑い、けしからぬ者であろうと捕まえる。マチルダもイザベラ姫も共にこの青年に好意を抱く。特にマチルダを青年の方も好きになる。そうこうするうちに、外部から騎士の一団がマンフレッドの城にと着する。この騎士たちはマンフレッドに正当な城の持ち主でないと宣言し、城の明け渡しを要求する。もちろんマンフレッドが応ずるわけもない。

等々、の物語が続き、最後には正当な城主がセオドアであると分かる。相思のマチルダと一緒にいる時、マンフレッドは誤って我が娘を殺してしまう。セオドアは絶望する。後にマチルダの思い出を共にするべく、イザベラ姫と結婚する。

千葉泰樹訳、研究社、2012

2021年11月25日木曜日

上野千鶴子『女の子はどう生きるか』岩波ジュニア新書 2021

フェミニスト、社会学者の上野が、女子からの質問に答える形の書である。若い女の子に対する人生相談のようなものと思って読みだした。しかしながらひどく失望した。本書の上野の回答は、今の日本が男中心で、女にとって不利な社会である、その糾弾に終始しているからである。確かに今は昔ほどでないにしても、女にとって不利で不満を感じさせる社会である。昔からの、偏見に過ぎない男優位の思考、慣行、制度等がまだ広く残り、改善していく必要がある。しかしここではどう生きるべきかという個人的な問題を聞いているわけである。社会への批判を聞かされて回答になっているのか。納得できるのか。男中心の社会を説明するため、上野はあまりにも古臭い例を持ち出して来る。例えば男と女の扱われ方の違いで次のように言う。

「昔の親はもっと露骨に子どもの中で投資の対象にする子どもとそうでない子どもを区別していました。尾頭つきの魚は家長と長男にしか食べさせないとか、息子にだけ高等教育を受けさせて娘には教育をつけないとか、兄弟を進学させるために姉や妹を奉公にだすとか」(p.39)

明治時代の話か?この後「びっくりしますね」と続けているが、読んでいてびっくりしてしまう。これを聞いて現代の若者の悩み解決につながるのか。今はいまだいいと思わせ、現状肯定させるつもりか。他の書でも上野は戦前生まれの社会観を持った男を持ち出してきて批判していた。かえって説得力に欠ける。令和の、夫婦共働きが普通の家庭では、当てはまらない例が結構ある。こんな社会批判、社会糾弾の本が高評価を受ける理由が分からない。もし女が評価しているなら、自分たちの不満を有名人が代弁してくれているので喜んでいるのか。この本で何を意図しているのか。自分のようなフェミニストを作るべく思想善導をしているのか。

つくづく思うになぜ上野は政治家にならないのか。女がゆえの、不利に通じているのである。政治の現場で女の地位が少しでも上がるよう、改善するよう、活動したらどうか。今の政治で旧来からの保守や革新、右と左の対立などは全く国民の関心にない。有権者の半数以上を占める女の地位の向上を掲げる政党なら存在意義があるのではないか。

2021年11月24日水曜日

カラスの飼育 Cria Cuervos 1976

カルロス・サウラ監督、西、107分。

『ミツバチのささやき』のアンナ・トレントが少女役。映画の始まりは父親が情婦らしき女と寝ている最中に死ぬ場面である。少女はミルクの入ったコップを洗う。葬儀の際、少女は亡夫に別れの接吻をしない。
母親は以前に病気で亡くなっている。今や両親のいない3人姉妹は叔母によって世話をされる。主人公の少女はなつかない。というより嫌っている。もう喋れない車椅子の祖母がいる。その世話をして少女は死にたいか聞く。否定される。映画の終わりの方で、少女はミルクに劇薬を入れて(この劇薬は回想の場面で母から教えられる)、それを叔母が飲むようにしておく。叔母は飲んだようだ。しかし明くる朝、なんともないようである。
回想が多くて、作りが単純でないが、幼い少女の殺人及び殺人未遂が大きな筋である。大好きだった母親に冷たかった父親は憎むべき存在だった。

ヤング・ゼネレーション Breaking Away 1979

ピーター・イェーツ監督、米、101分。

主人公の男は高校卒業後、大学に行かず仲間3人とつるんでいる。また自転車が好きである。更にイタリアに入れ込んでおり、イタリア語を習い、家でイタリア語を使って父親に嫌がられている。町には大学があり、そこの学生たちとは敵対心がある。しかし一人の女学生を知り、イタリア人のふりをして近づく。イタリアから自転車のチームがやって来た。それらと自転車レースをする。イタリア人に脚を引掛けられ転倒する。それ以降イタリア嫌いになる。あの女学生にも自分はイタリア人でもなんでもなく、ここの土地の人間だと話し、呆れた顔をされる。
町の自転車レースが行われる。大学生のチームとはライバル関係の主人公とその仲間はレースで競い合う。主人公は一度転倒し、その後仲間がやったら差をつけられる。また自分が復帰して最後に優勝を勝ち取る。
主人公は大学に進むこととなった。フランスから女の留学生がやって来た。今度はフランス贔屓になりそうである。

2021年11月22日月曜日

生きるべきか死ぬべきか To be or not to be 1942

エルンスト・ルビッチ監督、米、99分。

ナチスドイツが侵攻するポーランドの、劇場人たちを描く喜劇映画。主人公のキャロル・ロンバードの夫は舞台でハムレットをやっている。ロンバードに恋した若い将校は楽屋に来て、迫る。困惑したが相手の情熱にうたれたロンバードは主人が演じるハムレットの台詞で「生きるべきか死ぬべきか」のところになったら部屋に来てほしいと言う。ハムレット役が台詞を言うと、席から立ちあがって退場する将校が見える。ハムレット役の夫はいたく心証を害する。

ナチスドイツがポーランドに侵攻し、ドイツの支配下におかれる。イギリスに勢力を移したポーランド空軍のあの将校は、ロンバード宛の手紙をポーランドに行く教授に託す。実はこの教授は友軍のふりをしているが、ナチスのスパイだった。ポーランドではロンバードはナチスのスパイになりすまし、情報を探ろうとする。劇場の俳優たちはドイツの将校、兵に化け相手を出し抜こうとする。将校に化けたハムレット役の夫は、ナチスのスパイの教授から、ポーランド空軍の者から妻あての手紙を頼まれてきたと聞き、驚く。後にポーランド空軍の将校も戻って来て、ナチスドイツと戦う。

2021年11月20日土曜日

気狂いピエロ Pierrot le Fou 1965

ジャン=リュック・ゴダール監督、仏伊、110分。

ジャン=ポール・ベルモンドは好きでもない妻と行きたくないパーティに行く。途中で帰宅したベルモンドは、ベビーシッターを頼んでいた、寝ているアンナ・カリーナを起こす。送っていく。実は二人はかつて恋人同士だった。カリーナの家には男がいた。その男はカリーナの情人で、カリーナは殺す。二人は逃走する。映画は犯罪者二人の逃避行が主である。あちこちで盗み等の犯罪をして逃げていく。最後は島へカリーナが別の男と逃げる。ベルモンドは追って島に渡り、男とカリーナを銃で殺す。ベルモンドは頭にダイナマイトの束を巻き、爆死する。

2021年11月19日金曜日

軽蔑 Le Mepris 1963

ジャン=リュック・ゴダール監督、仏伊、102分。

冒頭近く、ブリジット・バルドーが裸でうつ伏せで寝ている。隣には夫がいる。バルドーは自分の身体の部分部分をどう思うか尋ねる。夫はみんないいと答える。

夫は脚本を書いていてアメリカから来た製作者に呼ばれる。フリッツ・ラングに『オデュッセイア』の映画化を依頼している。しかしこれまで出来た物は気に入らない。脚本を手直しして欲しいとの要望である。試写会で、ラング(本人が出ている)も同席して一部観た後、製作者は全然脚本と違うと文句を言い始める。映像と文字は異なって当然だとラングは答える。脚本家の夫は出て行こうとするが、製作者から仕事を引き受けてくれるか頼まれ、引き受ける。バルドーがやって来る。製作者はバルドーに自分の家に来ないか、尋ねる。夫の返事次第と答える。夫は差し支えないと返事する。後から夫が来るとバルドーは不機嫌であった。帰宅後、夫とバルドーの間で夫婦喧嘩のような口論になる。夫はバルドーの愛をくどいまで確かめる。バルドーは嫌がる。バルドーは製作者から島でのロケに来ないか誘われ、行く。島の製作者の別荘でバルドーと製作者は接吻をする。夫は見ていて、後でまたバルドーとの言い合いになる。結局のところ、バルドーは製作者と去り、夫は脚本の仕事を断る。バルドーと製作者はスタンドでガソリンを入れた後、車が大型車に挟まれ、二人とも死ぬ。

バルドーの夫役は中年親爺であまり見た目が魅力的でなく、いつも帽子をかぶっている。自宅で上半身裸になっても帽子を脱がない。こういう男は禿が多いのだが、冒頭の寝台場面でhかぶっていなく、禿ではない。映画の中に、名言的な決め台詞が多い。

2021年11月18日木曜日

めまい Vertigo 1958

ヒッチコック監督、米、128分。

ジミー・スチュアートが刑事で、悪漢を追って屋根から屋根へ飛び移る。飛び移りに失敗して樋に掴まってなんとか落ちずにいた。それを助けようとした警官が落ちて死ぬ。スチュアートの高所恐怖症が再発した。それで警察は辞職するつもりでいた。友人がやって来る。妻の行動を監視してくれとの依頼だった。日中の行動が不明らしい。
妻の車の後をスチュアートは追う。墓地や、美術館のある絵の前で眺めるなど。あるホテルに入る。追って入るといつの間にかいなくなっていた。最後はいきなり女が海に落ちる。驚いたスチュアートは飛び込み助ける。スチュアートの家で目が覚めた女に、夫の友人とは告げずに話を聞く。夢に現れる不思議な現象が語られる。スチュアートは女を離れたところに残っている、スペイン風の村に連れて行く。女は教会に入る。スチュアートは追う。塔への階段を、女を追って登っていく。すると高所恐怖症が蘇り、めまいがする。窓から外を見ると、女が落ちていく。塔上から身投げしたのか。
この女の死にスチュアートは痛く打ちのめされる。友人は謝る。その後もスチュアートは鬱になり、病院で治療も受ける。その後、ある日街であの死んだ女にそっくりの女を見つける。後を追い、話す。もちろん死んだ女ではなかった。食事に誘う。それだけでなく、死んだ女と同じ服装などをさせようとする。これには相手の女が、死んだ女の身代わりにされているのかと怒る。それでもスチュアートは諦めない。
スチュアートが帰った後、女が過去の事件の種明かしの回想をする。やはり女は以前、死んだと思われていた女だった。友人は自分の妻を殺したかった。それで似ている女を捜し、スチュアートに妻と思い込ませ、追跡させていた。混んだ細工でスチュアートが女を教会に連れて行くようにした。女は塔上に上って、待っていた友人は自分の妻を落とす。スチュアートが目撃した墜落死はそれだった。スチュアートは女を前と同じように、教会に連れて行く。塔上まで行く。女はその時現れた影に驚愕し(教会の女だった)、はずみで下に落ちて死ぬ。

スターリングラード史上最大の市街戦 Сталинград 2014

フョードル・ボルダルチェク監督、露、131分。

数か月に及んだスターリングラード攻防戦の初期の露独の戦い。映画は東北地震の救助で各国の支援隊が活躍しているところから始まる。ロシヤからの救助隊は、地下にいるドイツ人の女を助ける際に父親の話になる。自分には5人の父親がいると救助のロシヤ人は言う。ドイツ人の女にその経緯を話す。

スターリングラード攻防戦によって破壊された街で、ドイツ軍と戦ったロシヤ兵たちがいた。兵達は少女を見つける。少女もドイツに対して戦いたいと言う。ロシヤ兵たちの立てこもるアパートは廃墟のようになっていた。そこからドイツ軍に度々攻撃をしかけ、倒していた。ドイツ軍の将校はロシヤ人の女を囲っており、ロシヤ兵攻撃の司令官である。ロシヤ兵たちは少女を守ろうと、また誕生日なので祝おうと努力する。しつこいロシヤ兵たちにドイツ軍司令官は総攻撃をしかける。露独双方とも斃れる。

少女と結婚し、話し手の父親になったのはその中の一人だが、息子は兵士たち全員を父と見なしていた。

2021年11月17日水曜日

ファイブ・イージー・ピーシーズ Five easy pieces 1970

ボブ・ラフェルソン監督、米、98分。ジャック・ニコルソン主演。

ニコルソンは音楽一家の出である。今は家を出て工事現場で働いている。恋人がいる。妊娠したと告げられる。現場の友人は女の面倒見るよう忠告するが、ニコルソンにはその気はない。ある日、警察がやって来て友人を逮捕する。過去の犯罪のせいである。ニコルソンは現場を止める。
ピアノ奏者の姉を録音スタジオに訪ねる。父の容体が悪いと聞かされる。久方ぶりに帰郷する。恋人もついてきた。途中でヒッピーを乗車させる。
兄弟たちはニコルソンと久闊を叙する。義理の姉妹に好意を持つ。モーテルに置き去りにされた恋人もやって来る。ニコルソンは実家でもうまくやっていけず、去る。サービスエリアに停まった際、トラックに乗車させてもらい、恋人を置き去りにする。

2021年11月16日火曜日

ザ・ネゴシエーション 협상 2018

イ・ジョンソク監督、韓国、114分。

警察の女交渉係と男の悪人の対決が映画の主要部分。映画の初めに女主人公(交渉係)は犯人との交渉中、警官隊の突入で人質は殺されてしまう。責任を感じ、辞表を提出した。その時タイのバンコクで韓国人の二人が囚われ、犯人から交渉役として女主人公を指名してきた。テレビの大型画面で外国の犯人と交渉する。犯人から次々と要求が出る。
要求に応じて出てきた者ののうち、大物は犯人と知り合いであり、交渉によって実は犯人が被害を受けていたと分かる。女主人公は相手がタイでなく、実は韓国内にいると悟る。犯人は「巨悪」たちの集りに行き要求を通そうとする。女主人公も後から駆けつける。その場で犯人は狙撃手によって射殺される。しかし巨悪たちの悪事が明らかになったので、映画の最後では女主人公が裁判で罪を追及しようとする。

2021年11月14日日曜日

39 刑法第39条 平成11年

森田芳光監督、松竹配給、133分。

若い夫婦が殺された。容疑者(堤真一)が捕まる。裁判で奇矯な言動をする。弁護士を演じる樹木希林は精神鑑定を要求する。鑑定人の助手が女主人公の鈴木京香である。精神鑑定を進めていくうち、容疑者の過去を探っていく。堤の、親との関係がよく分からない。また被害者の一人である夫の、少年時代の犯罪を知る。幼い少女の殺人である。被害者の兄がいた。その兄を訪ねる。情報は得られなかった。精神鑑定では二重人格とした。もっとも鈴木京香は疑問視していた。
その疑問は映画の展開で分かる。犯人である堤真一は実は別の人間だった。実際には、あの妹を殺された兄だったのである。犯人である少年は精神鑑定で刑法39条により罪を問われなかった。その犯人が今回の犯罪で殺された夫だった。
映画ならではの錯綜した筋で、いろんな要素がある。気になったのは登場人物が声を小さくしてよく聞き取れない。これも演出だろうが、字幕で観る場合は普通の映画と変わりなくなる。刑事役の岸部一徳がいつもガムをかんでいて見ていて不快だった。自分の妹を殺されて何がなんでも復讐しようとする心理は理解できるが、結婚なんかする余裕があったのかと思った。

青幻記 遠い日の母は美しく 昭和48年

成島東一郎監督、青幻記プロ、117分。

田村高廣は鹿児島で友人と再会する。故郷である奄美の沖永良部島に行く。過去の母との回想になる。映画は成人した田村が過去を回想し、子供時代の自分と同じ場面に出てくるところがある。父が亡くなり、母は再婚する。祖父が孫の自分を可愛がり、幼いうちは祖父に育てられる。母の再婚相手は自分を引き取ることを好まず、祖父は離さない。祖父の死後、母と幼い自分が舟で沖永良部島に帰る。母は自分を手もとに置けなかったためか、すごく自分に対して控え目で丁寧な対応をする。病気で先が長くないと知っている。海に行き、潮が満ちてきた時、母は自分だけ早く帰す。それが最後の別れとなった。

何よりも島の自然の美しさ、幼い日の回想で今と違う世界、を観る映画だろう。

2021年11月11日木曜日

前坂俊之編『阿部定手記』中公文庫 1998

阿部定の事件の一次資料集である。今でも犯罪実録などに掲載される、おそらく近代史上、最も有名な犯罪、少なくともその一つであろう。阿部定という当時31歳の女が情人の男を殺し、その局部を切り取り持ち去った。数日後逮捕されたが、当時の社会を大興奮させた事件である。2.26事件の3か月後、昭和11年の5月に起こった。内容は次のとおり。

「はじめに」(編者による)

「事件発生から逮捕まで」昭和115月の新聞報道。当時犯罪がどのように報道されたかの一例にもなる

「誌上緊急特集『婦人公論』昭和117月号より」

畳屋のお定ちゃん               少女時代の友人の回顧

平塚らいてう、石原純(物理学者)、杉山平助(評論家)による評論

「艶恨録」-予審訊問調書、本書の中心部分である。訊問に対する阿部の答え。かなり踏み込んで子供時代、事件に至った経緯、更に犯罪の実際について話している。外に出す資料ではないから報道できるはずもない細部まで明らかにしている。

「判決全文」昭和111221日、懲役6年、栃木刑務所で服役、恩赦などで昭和16年出所

「出所そして戦後」昭和16年と22年の新聞報道

「二度目のブームの中で」

              阿部定・坂口安吾対談

              阿部定さんの印象(坂口安吾)

昭和22年の雑誌に掲載された。戦後阿部の事件を元にかなり事実を歪曲し、読者の興味に迎合した書籍が出版された。阿部は名誉棄損で告訴した。それを受けての対談。坂口は阿部に対してあなたは何も悪くないと言っている。

「阿部定手記 愛の半生」は昭和23年に出された阿部の自伝。これは出版物なので「艶恨録」と比べてかなり抑えた淡々とした口調である。殺した情人に対する愛情を綿々と綴っている。自分の物にしたくて殺したのだから。また事件まで阿部の他の情人(というより面倒をみた)であった、名古屋の校長、市会議員に対して感謝の言葉を書き連ね聖人扱いである。

事件が起きてから80年以上経ち、完全に歴史になっている。あまりにも有名な事件であるが、阿部と同じ行為をした女は他にもそれなりにいる。(『猟奇の社怪史』唐沢俊一著2006年、という本に書いてあった)阿部定の事件が有名になった理由は当時の社会事情などが影響しているであろう。ともかく本書は文庫で手頃ながら阿部定を考える際の基本書である。

2021年11月9日火曜日

日本沈没 昭和48年

森谷司郎監督、東宝、140分、小松左京原作の映画化。

日本列島が沈没し、どのように国民を海外諸国に避難させるか、できるかが課題の小説が元になっている。日本の近くの海で島が消えたので、探りに潜水艇で潜るところから始まる。学者役が小林桂樹で怒鳴ってばかりいる男である。身体を動かし行動する役が藤岡弘である。
日本が沈没すると予測が出た。その前触れとして大地震が起こる。日本沈没まで時間が限られている。政府首脳は外国に移民受け入れを頼みに行く。国連でも話題になる。藤岡はいしだあゆみを恋人にした。大地震が頻発する中、捜しに行く。命令する総理役が丹波哲郎で、いつもながらの調子である。
映画の見どころは日本が破壊する東宝特撮による場面であろう。

2021年11月8日月曜日

怒号する巨弾 昭和35年

石川義寛監督、新東宝、84分、白黒映画。

天知茂演じる主人公が戦時中の恨みをはらすため復讐する。宇津井健の刑事が追い、対決する。政治家、大会社社長が誘拐される。遺体となって発見された。宇津井の上司は戦時中、被害者たちの上司であった。それで戦時中の出来事を思い出す。スパイ容疑で獄中死した男がいた。その息子が天知であった。
現在、天知と宇津井は旧知の間柄となっている。銃の腕を競っていた。更に宇津井の上司の娘、三ツ矢歌子が天知と恋仲だった。最後は車を運転し、お互い突進して銃を放つ決闘になる。
新東宝お得意の戦中の因縁による復讐劇である。

2021年11月5日金曜日

ウォッチメン Watchmen 2009

ザック・スナイダー監督、米、163分。

集団ヒーローものの映画は多い。本作はその集団ヒーローの成れの果て、または逆説を突きつける映画である。集団から成る特殊能力を持つヒーローたちはかつて大活躍した。映画の時代設定は1980年代で、活躍時期からかなり後である。ヒーローの一人が殺された。簡単に殺されるような男ではない。この謎を解くべく残りのメンバーは調べる。
仲間の一人は地球防衛に疑問を抱き、火星へ恋人と行き過ごすつもりだった。しかし恋人は地球の安全を心配する。最終的に地球に戻るが、それまでに殺人犯は分かっていた。
かつての仲間のヒーローの一人で、世界の大都市に向けて核攻撃を仕掛ける。止めようにも既に発射の秒読みになっていた。世界の主要都市は破滅した。しかしそのせいで米ソが同盟化し、平和が保たれるようになった。ヒーローたちが核攻撃から救えなかったからこそ、平和になったという話になるのである。

牯嶺街少年殺人事件 1991年

エドワード・ヤン監督、台湾、236分。

1960年の台湾が舞台。優秀な筈の主人公の中学生(くらい)は点数が良くなく、夜間部にしか入れない。父親は激怒する。結局夜間部に行くのだが、この主人公、真面目そうで不良のような生活を送る。途中で生徒同士の喧嘩が幾つもある。最後は退学させられた主人公は、自分の好きな女子を勝手に悪く思い込み、弾みで刺し殺してしまう。
実際にあった事件を元に映画化したらしい。まず恐ろしく長い映画である。当時の台湾の生徒生活に関心があればともかく、もっと編集すべきであろう。主人公にも全く感心しないし。これほどまでに長く、意味不明の映画を観たのは『旅芸人の記録』以来である。結構有名な映画なので観たいと以前から思っていたが、こんな映画とは知らなかった。惰性で受動的に観ていたが、いつまで経っても終わらないのでうんざりした。

2021年11月4日木曜日

ジャック・リーチャー Never go back 2016

リチャード・ズウィック監督、米、118分。トム・クルーズが一匹狼の退役軍人で暴れまわる映画。

クルーズはいきなり暴力事件に巻き込まれる。知り合いの女の少佐に連絡する。後にその少佐を訪ねるとスパイ容疑で捕まったと聞く。クルーズも少佐も陰謀にはまったのである。クルーズは少佐を拘置所から助け出し、逃走する。二人はお尋ね者になるが真相を究明すべく協力する。少佐の部下がアフガンで仲間から殺された。背後にある謎は何か。
またクルーズは自分の娘ではないかと思われる女子に会う。母親がクルーズを訴えていたからだ。殺し屋がクルーズ、少佐、娘を追い、何とかして亡き者にしようとする。娘は映画のお決まりのごとく全く言うことを聴かず、自分達を危険に陥れる行動をやってのける。
最後は陰謀の首領で、隠蔽を図った軍首脳を逮捕させ、殺し屋も倒す。娘はクルーズの実の娘ではなかったようだ。クルーズはまた放浪の旅に出る。

ラスベガス万才 Love in Las Vegas 1963

ジョージ・シドニー監督、米、86分、エルヴィス・プレスリー主演。

プレスリーはレーサーである。レースに出るため車が必用だが、エンジン費用を賄うためラスベガスにやって来る。そこでアン・マーグレットに会う。すっかりマーグレットに参ったプレスリーは誤って金をなくしてしまう。友人とマーグレットに会うため、ラスベガス中のホテルを捜す。プレスリーはホテルの従業員となって働く。マーグレットに再会できる。レースのライバルである相手もマーグレットに恋する。ホテルのコンテストでお決まりのプレスリーとマーグレットのダンスがある。プレスリーはレースでも優勝。
古き良き時代の楽しむだけの映画である。

ウォーズ・オブ・ギャラクシー Battle Star Wars 2019

ジェームズ・トーマス監督、米、86分。

アサイラムの制作で原題を見ても分かるように、『スター・ウォーズ』のパクリである。といってもお笑い系のつくりではない。例えば『スペース・ボールズ』のような映画ではない。真面目に作ってある。それで普通に観ていると筋が分かりにくい。
主人公は金髪の若い女の子で、これが原作のレイア姫とルークの役を兼ねている。父親が惑星連合を支配する独裁者でその娘である。惑星連合と反乱軍の戦いがある。マナという万能物質の取り合いとなる。女海賊が現れ、自分の利益のためにどちらにもつく。主人公の女にはヘルパーと称するこれまた若い女の恰好のロボットというか万能の家来がいる。どこへでも瞬時に移動できる。主人公の娘は父親の独裁者にたてつく。後に自分の母を殺したのが父の独裁者と分かる。娘は独裁者の娘という特権で命令したり指図する。闘いはしない。万能ロボットのヘルパーがついているからである。
映画は筋がよく分からないスター・ウォーズのデフォルメである。見どころは主人公の娘が可愛い、また従者の万能ロボット、ヘルパーである。ヘルパーおよそこれまで空想科学映画に出てきた最強の人造人間ではないか。