2020年12月31日木曜日

シャンプー Shampoo 1975

 ハル・アシュビー監督、米、111分。

ウォーレン・ビーティが主演で実際の本人のごとく、プレイボーイを多くの女相手に演じる。映画の役は美容師である。ハリウッドの高級婦人たちを担当しているうちに、その女たちと関係を持つ。女優志望の女役のゴールディー・ホーンと同棲し同じ家に住む。ビーティの相手のうち一人の女が、独立したいなら主人と話せと誘う。その主人は事業家である。主人が今、情人にしているのが、ビーティのかつての恋人だった。パーティで、自分の妻の眼を気にする主人は情人の世話を、ビーティに押し付ける。知った仲で久しぶりに会った二人はよりを戻す。ホーンは監督と来ていてたまたま、二人の情事を見つけ、驚き直ちに帰る。ビーティはホーンを追いかけるが捕まらない。戻ってみるとかつての恋人も姿を消していた。

明くる日、ホーンから家を出て行けと宣告され、かつての恋人に結婚を申し込むが、主人と結婚が決まったと言われる。プレイボーイのビーティが女たちから振られる話である。また後にスターウォーズのレイア姫役で有名になった、キャリー・フィッシャーも出ている映画である。

ソーセージ・パーティ Sausage Party 2016

 コンラッド・ヴァーノン監督、米、88分、漫画映画、ただし年齢制限付きの映画。

スーパーで買われて、楽園と思われている外の世界に行く夢をみている食材たち。お喋り、歌を歌い人間と同じである。映画はソーセージが男で、女のバンズ(パン)と恋人同士で相思の間柄で、二人が中心に話が進む。外の世界は実際のところ天国ではない、逆だと言う意見があった。買われて行った食材は、料理される様を見、大虐殺だと分かる。もし実写映画で人間なら残酷過ぎる場面、エログロ極まりない、差別用語の氾濫、有名人のパクリといった展開が続く。最後はスーパーマーケットの店員を食材たちが一致団結して退治する。かなりメッセージの強い映画である。日本なら絶対に作成されるはずもない映画であると確実に言える。

2020年12月30日水曜日

ウェスト・オブ・メンフィス West of Menphis 2012

 エイミー・バーグ監督、米、147分。実際に起きた殺人事件の基にした記録映画。

1993年にアーカンソー州で8歳の子供3人が行方不明になる事件が起きた。3人は川に裸の死体で発見された。容疑者はカルト(悪魔崇拝)に凝っている男とその仲間、計3人だった。いずれも十代後半の若者であった。裁判結果は主犯が死刑になり、他2人は終身と有期刑だった。しかし映画の中心はその後である。被告たちは冤罪ではないかとの疑問から、身内、弁護士など有志により再調査が行われる。DNA鑑定の結果、被告いずれのDNAが発見されず、合致したのは一人の被害者の義父だった。映画ではこの義父にも面接を行っている。義父は否定するばかりである。DNA鑑定を提出しても、裁判所は再審を認めない。ようやく最高裁が取り上げ、再び裁判の対象となった。被告たちは既に18年刑務所に入っており、司法取引を弁護側から持ち掛ける。有罪を認め、執行猶予で釈放されるという内容である。被告の一人は無罪なのに有罪を認めるのは嫌だと言ったが最終的に受け入れ、3人とも釈放された。10代後半だった被告たちは30代半ばになってから自由を取り戻した。

なお事件のウェスト・メンフィスはアーカンソーにあり、プレスリーで有名なミズーリ州メンフィスとは別の場所である。この事件を基にした映画「デビルズ・ノット」も制作されており、本記録映画を観始めたら、以前観たその映画と同じ事件と分かった。

クライム・シティ Dias de gracia 2011

 エベラルド・ゴウト監督、メキシコ、133分。

メキシコの犯罪とそれに立ち向かう警官が大きな枠だが、時が複数時代に渡っている。同時並行的に複数期が進行するので、初めて観ると混乱する。いずれもサッカーW杯の時期、2002年、2004年、2008年に起きる。テレビがサッカー中継をしており、その年や開催場所の名で違う年と分かる。

悪に立ち向かう熱血警察官、悪党に使われている少年が主な登場人物で時代が移り変わると役割が異なってくる。誘拐時間が複数時期に行なわれており、解放の時もあれば悲劇に終わる時もある。最初から複数時期の話であると知っておいた方が理解しやすい映画である。ともかくメキシコの犯罪のひどさが背景である。

2020年12月29日火曜日

ツヴァイク『女の二十四時間』 Vierundzwanzig Stunden aus dem Leben einer Frau 1927

 


ツヴァイクの中編小説。ホテルで真面目に見えた夫人が若い男と逃げる。夫は茫然、周囲の者は夫人をとやかく言う。語り手は夫人を弁護する。そういう場合もあると。賛成は得られなかったが、60過ぎの老婦人は関心を持ち、語り手に自室に呼ぶ。二十数年前の出来事を話し、これが小説の本体になる。以下がその内容。

夫を亡くした。息子たちは成人している。婦人はやることもなく無為の日々を過ごす。モンテカルロの賭博場である青年を見つける。賭けに負け去ろうとする青年は、自殺しそうに見える。婦人は青年の手を取り、金を渡し賭博から手を切り、思い直すよう説得を試みる。いきなり青年は婦人の手を取りホテルの部屋に連れ込む。明くる日、青年と別れた婦人は激しい恋の虜となっていると気が付く。夜、また賭博場で青年を見つける。諌める婦人に対し青年は邪魔者と突き放す。その後長い間青年が忘れられなかった。かなり経ってから賭博で負け自殺したと知る。これで区切りがついた。

女の思い、感情の動きを詳しく延々と書いている。感心した。小説そのものはあまり感心しなかったが。何度も映画化されている作品。ツヴァイク全集第2巻、辻訳、1973

2020年12月27日日曜日

ある殺人に関するテーゼ Tesis sobre un homicidio 2013

 エルナン・ゴルドフリード監督、アルゼンチン、スペイン、107分。

主人公は大学教師で弁護士、刑事法の講義をしている最中、外が騒がしいので覗くと女の死体がある。警察が来ており、殺人事件らしい。主人公は自分の関心からこの事件にのめり込む。はっきりとした証拠はないが自分の知識や勘で、教え子の一人の学生が犯人ではないかと疑う。自分の旧友の息子でスペインから来ている男である。被害者の妹に会い、話を聞き、その妹に関心を抱く。自分と男が話している時、この妹が来て男を紹介する。そのうち男と妹は仲が良くなる。主人公は男が今度は妹を殺害するのではないかと疑い、確信に変わる。満場の会場で、男が妹を刺すかのように見え、男に飛びかかり殴り倒す。主人公は捕まる。弁護士から主人公の妄想と言われる。尤も男が無罪か、本当に犯人だったか、はっきりせず不明のまま映画は終わる。

橋爪大三郎、大澤真幸『ふしぎなキリスト教』講談社現代新書 2011


 二人の社会学者によるキリスト教の解明本。橋爪はルター派の信者だそうだ。会話形式で話を進めるので読み易い。基本的に年下の大澤が橋爪に質問する形である。キリスト教は宗教で理屈で割り切れるものではない。しかしながら理屈で割り切れない部分をどう解釈すべきかを議論しており面白い。ためになる本という感じである。さて本書は聖書の内容の解釈部分が当然ながら多い。その限りでは読んでいて見方、理解の一つの例であろうと思う。本書に対し批判が多いのも、これまた当然という気がする。キリスト教の歴史はどう解釈すべきかの歴史でもある。異なった見方、解釈があるのは当然過ぎる。異見を持つ人は自分の意見を言えばよい。

それにしても最後の方、政治や経済の実際、また芸術に関するキリスト教の影響は、あまりにキリスト教帝国主義というか、宗教帝国主義のようにしか見えない。世の中なんでもキリスト教や宗教で裁断できるものではない。そういう影響もあろうとは思うものの、世の中凡てを宗教で説明しようとは、あまりにやり過ぎでないか。全然説得的でない。

2020年12月26日土曜日

田中靖浩『会計の世界史』日本経済新聞社 2018

 


会計の発達を世界史の中で記述する。講演で話すかのごとく易しい内容である。読者の興味を引き、関心を持たせるために昔の出来事を沢山書いている。正直、歴史上の出来事の記述が多すぎるくらいだ。例えばルイ・アームストロングの挿話などどういう意味で必要か分からない。まつわる話を少し削ってその分、会計について詳しく書いてほしいと思う。記述に枚数を使っている出来事も正確を期すというより、説教師、見てきたような嘘を言いの典型と言っていい。会計の本だからその辺りは適当でいいというのなら、こんなにページ数を使って適当な話をするのか分からない。読者を引き付けようとの意図は分かるが、これは講演でのやり方である。講演なら正確より聞く気になる話をした方がいいだろうが、これは書籍である。書籍、すなわち書かれた文では何よりも正確さが要求される。著者の関心事であろう、歴史の話の多さにうんざりさせられた。

2020年12月25日金曜日

クリスティ Kristy 2014

 オリヴァー・ブラックバーン監督、米、85分。

恐怖映画、殺人鬼どもに襲われた女学生の奮闘記。冒頭、若い女が襲われる場面が続く。連続殺人があった様子が記録映像のように映し出される。

田舎の大学が舞台である。感謝祭でみんな帰るが、主人公の女学生だけ一人、大学に残る。買い物に行ってコンビニで変な女に会う。帰りも道を車に邪魔される。大学に戻って来て、受付の男におかしな様子だと告げる。殺人鬼たちが大学構内に来る。受付ほかの男達を殺す。主人公は逃げ回る。恋人の男が心配して戻ってくる。その男まで殺される。怒り心頭に発した主人公は、殺人鬼どもに逆襲していく。

題名のクリスティとは主人公の名ではなく、犠牲者たちをそう呼んでいた殺人鬼たちの呼称である。

2020年12月24日木曜日

バイオハザードV リトリビューション Resident Evil: Retribution 2012

 ポール・WS・アンダーソン監督、米英独、96分。

前作の終わりにジョヴォヴィッチらの乗る船舶にアンブレラ社の戦闘機が攻撃をしかける画面があり、その続きでジョヴォヴィッチは海に落ちる。目覚めると子供と夫のいる普通の家庭になっていたが、そこでもゾンビたちとの戦いになる。また後に気がつくとアンブレラ社の施設に囚われており、そこから逃げだす。模擬施設として作られた、渋谷、ニューヨーク、モスクワの街でジョヴォヴィッチ側とアンブレラ側の格闘が続く。最後はカムチャツカにある旧ソ連の軍事施設跡に作られたアンブレラ社の基地で戦い、破壊した後、雪上でも交戦がある。映画の終わりは崩壊したワシントンのホワイトハウス屋上からアンブレラ社の新兵器群を眺める。

サウスパーク South Park: Bigger, Longer & Uncut 1999

 トレイ・パーカー監督、米、81分、漫画映画である。

サウスパークと呼ばれる田舎町、子供は映画を観に行きたい、それで親を説得したりして、友達と一緒に行く。上映している映画は子供が鑑賞できない映画だった。浮浪者を使って入る。禁止用語が飛び交うカナダの映画である。他の観客は不快になり退席する。鑑賞後、他の友人にも話し、それらも観に行く。映画で覚えた差別語を使って親を仰天させる。親たちPTAは映画に出ているカナダの芸人を非難し、運動を起こして捕まえさせる。カナダ側から文句が来る。全米的にカナダへの抗議が広がる。子供たちは処刑が決まったカナダの芸人を助けようとする。カナダからも軍が押し寄せ戦争になる。その前に子供たちの一人は犠牲になり死ぬ。地獄へ行くとそこにサダム・フセインや地獄の鬼がいて地上への進出を狙っている。最後は戦争は終結する。
ともかく禁止用語が多く出て、本作は「無修正映画版」という副題がついている。元々はテレビのシリーズでそれの映画化である。

2020年12月23日水曜日

オリバー! Oliver! 1968

 キャロル・リード監督、英米、145分。ディケンズ原作の『オリバー・ツイスト』のミュージカル映画化。主演オリバーを演じたのは9歳だったマーク・レスター、後に『小さな恋のメロディ』にも出て一時期は有名な子役俳優だった。

前半は原作とわりと忠実、後半は脚色が多くなるが、基本的な線は原作に沿っている。ミュージカル映画である。いきなり登場人物が歌い出す様は、最近ミュージカル映画を観ていないのでちょっと昔懐かしい感じがした。画面もリマスターではなく、最初、一瞬昔のVHSのような画面に見えた。

2020年12月22日火曜日

スターシップ・トゥルーパーズ Starship Troopers 1997

 ポール・バーホーベン監督、米、129分。空想科学小説家ハインラインの小説の映画化。虫と人間との戦いを描く。

虫と言っても巨大な蟹と蜘蛛の合いの子のような怪物。映画はまず主人公の男、その好きな女などの学校生活から始まる。未来の話で市民権を得るために軍務に就く必要がある。卒業後大学進学を考えいた両親に反対を押し切って入隊する。好きな女も志願していたからである。訓練中で自分の不注意で仲間を死なせてしまい、失意のうちに帰郷しようとしたら、虫の攻撃を受け、故郷が破壊される。直ちに軍隊に復帰して虫退治の攻撃に歩兵で加わる。しかし敵は予想より遥かに強力で、甚大な被害を人間軍は受ける。攻撃方法を変える。好きな女は飛行士として巨大な宇宙艇を操り、同僚の男と仲良くなっていた。元から主人公を好きだった女は歩兵の同士として戦ったが、命を落とす。最後に飛行士の女を助け、敵の中枢の虫を捕まえて今後の人間軍の展望は明るいとして終わる。

『ロボコップ』と同じ監督で、かなり残酷な場面が多く、上映の制約が課され収入も良くなかったようだ。

2020年12月21日月曜日

バイオハザードIV アフターライフ Resident Evil: Afterlife 2010

 ポール・WS・アンダーソン監督、米英独、97分。

東京渋谷の交差点でゾンビになった女が通行人に嚙みつく。地下にあるアンブレラ社の組織をミラ・ジョヴォヴィッチ扮するアリスがそのコピーたちと共に襲撃する。ボス格は逃げる。

アリスはアルカディアと呼ばれる安全な地がアラスカにあると聞き、プロペラ機で行った。そこでは先発の仲間の一人、記憶を失った女がいるだけで何もなかった。女と共に南に向かい、廃墟と化したロサンゼルスのビルの一つに人間を見つけ着陸する。てっきり自分たちを救いに来たと思った連中はがっかりするが、アルカディアとは沖にある船舶だと教えられる。ゾンビの大群や巨大なゾンビと戦い、くぐり抜けて船に向かう。占領していたアンブレラ社のボス格を倒し、人質を解放する。その頃、アンブレラ社の戦闘機が船を襲うべく、船に向かっていた。

知りすぎた女 La Ragazza che sapeva troppo 1963

 マリオ・バーヴァ監督、伊、84分、白黒映画。

推理小説好きのアメリカ人の若い女がローマへ向かう。飛行機で隣席の男から煙草をもらう。これがマリファナ煙草だったとは空港に着いてから分かる。

伯母の屋敷に招かれてきたが、伯母は病気が進んでいるらしい。若い医師から不安を与えないよう注意される。しかし夜に伯母は死ぬ。衝撃を受けた女はスペイン階段の所でひったくりに会い、更にその後、殺人を目撃する。背中にナイフが刺してある女が倒れ、男が後から来てナイフを抜く。女は気を失い雨が降っても気が付かずに横たわっている。朝、晴れてから、警察に目撃した殺人を話すが血もなく信用してもらえない。

伯母を診ていた若い医師は女を気に入り、励ましローマ観光に連れ出す。死んだ伯母の知り合いという婦人に気に入られ、スペイン階段そばの家での留守を頼まれる。そこで10年前に起きた連続殺人事件を聞く。一つがまさに女が目撃したと言う殺人と同じと気がつく。被害者の頭文字が、ABCと来ていて、女に脅しの電話がかかってくる。女はディヴィスという名なので自分が次かと怯える。部屋中に引っ掛けるように縄をめぐらし、これにはあの医師が間違って転倒する。その後、女は医師の協力のもと、真相を探る。映画全体がもしかしたら女のマリファナによる幻想かと思わせるよう作られている。

2020年12月19日土曜日

バイオハザードⅢ Resident Evil: Extinction 2007

 ラッセル・マルケイ監督、米英独、94分。

T-Virusと呼ばれる黴菌が世界中に蔓延、人類のゾンビ化が進んでいた。砂漠でミラ・ジョヴォヴィッチ演じるアリスは鴉の大群に襲われていた生き残りの人々を助ける。アリスはアラスカが安全らしいとの情報を人々に知らせ、多数決でそこへ向かうと決まる。まずラス=ヴェガスに行くと砂に埋もれた中からゾンビの大群が押し寄せてくる。ゾンビとの戦いで多くの仲間を失う。監視していたアンブレラ社の科学者はアリスを制御しようとするが、うまくいかない。他の仲間はヘリコプターで脱出し、アリスはアンブレラ社のアジトを目指す。アリスがそこに入るとアリスを制御しようとしていた科学者はT-Vitusとアリスの血によって巨大な能力を持つ化物になっていた。戦い、科学者が研究していたアリスの複製の助けもあって化物を倒す。多くの複製がそこに眠っていた。

砂漠が舞台でマッドマックス2を思い出す作りだが、実際そこから影響を受けて作成されたらしい。

2020年12月18日金曜日

バイオハザードⅡアポカリプス Resident Evil: Apocalypse 2004

 アレクサンダー・ウィット監督、米英独、94分。ミラ・ジョヴォヴィッチ主演の第2作。

多数のゾンビが徘徊する街で、脱出のためアンブレラ社の科学者の娘を捜す。ゾンビとの戦いが主になっている映画。また前作で生き残ったジョヴォヴィッチの仲間は怪物にされ、最後にはジョヴォヴィッチと戦う。ゾンビの蔓延する街を完全に破壊するため、核ミサイルが撃ち込まれる。その直前にヘリコプターで脱出したが、爆風で墜落する。ジョヴォヴィッチはアンブレラ社に捕まえられ血液を採取されるが、最後は仲間と逃げ出す。

2020年12月17日木曜日

福田恆存『私の幸福論』 ちくま文庫、1998年


 題名だけだと分かりにくいが、本著は女性週刊誌に連載された幸福論である。だからまず女を対象にした議論なのである。更に連載は昭和30年から翌年にかけて。65年前の議論である。当時の環境、特に女を巡る社会状況を前提としている。読んでいて、どの辺りが時代状況を前提とした意見で、どの程度普遍的と言っていい議論が展開されているかといった点を考えさせる。著者は男なのに、女も同じように感じるなどといった断定調で書かれており、どの程度本当なのかと思った。正直あまり面白い本だとは思わなかった。

2020年12月16日水曜日

ターミネーター4 Terminator Salvation 2009

 マックG監督、米、114分。

これは他のターミネーターシリーズとは、別系統の作品とみなすべきであろう。ターミネーターシリーズでは未来からサイボーグ、あるいは人間がやって来て、サイボーグ同士、ないし人間との現在の戦いが描かれる。それは将来の戦いで勝利を得るため、または惨事を避けるため過去を変えようとするのである。ところが本「ターミネーター4」では、もう核戦争が起こっており、その後の人間対機械軍の戦闘の映画なのである。だから確かに他のターミネーターと筋はつながっているが、内容は例えばマッド・マックスとかバイオハザードとか、スター・ウォーズなどと近い映画なのである。

人間軍の指導者ジョン・コナーを抹殺するために、機械側が送り込んだ武器は自分でさえサイボーグにされたと気が付いていない男だった。男は人間として機械と戦っているつもりだった。それが自分がサイボーグにされていたと後から分かる。知らずに機械軍の手先になっていた訳だが、事実を知った男は機械軍に対して戦いを始める。またジョン・コナーが瀕死の重傷を負ったので、最後は自分自身を犠牲にする。シュワルツェネッガーは途中CG処理によって、若い時の顔をしたサイボーグとして登場する。あまりシュワルツェネッガーの「顔」の出番もない。

『アリエリー教授の「行動経済学」入門』 Heated Discussion Classroom 2014

 


行動経済学は人間行動の不合理面に焦点を当て、その行動原理を解き明かそうとする。伝統的な経済学ではまずモデルとして(したがって現実性はさておき)合理的な人間(経済主体)行動の仮定から出発する。完全競争を仮定し、そこで合理的な経済主体の行動が効率的な結果をもたらすと示す。これはあくまでも「モデル」であり、短期的には成立しない。短期的には成立しなくとも長期的にはそちらの方向に向かうはずである。そうでないと長期的にも経済行動で合理的でないとなってしまうから。次に現実に近づけるため、仮定を一つずつ外していくとどうなっていくのかを見る。伝統的方法は演繹的と言える。抽象的な原理から出発して少しずつ現実に降りていくと言った感じである。

これに対し行動経済学は帰納的である。現実から出発し、一見非合理に見える行動でもやっている以上、なんらかの理由があるはずであり、それを探る。このような方向は、経済学が現実の問題を解決していく方法として期待されているからである。伝統的方法は研究がしつくされ、新しい方向が必要だった理由もあろう。

本書はアリエリー教授が学生(社会人)に対して行なった講義の記録で、事例を挙げて、学生とのやり取りがあって読んでいて分かりやすい。経済学の範疇に留まらない対象を扱っている。目次は次のとおり。

第1回 人間は“不合理”な存在である/第2回 あなたが“人に流される”理由/第3回 デート必勝法教えます!?―人々の感情をどう動かすか/第4回 ダイエット成功への道!―自分をコントロールする方法とは/第5回 “お金”の不思議な物語/第6回 私たちは何のために働くのか?―仕事のモチベーションを高める方法

NHK白熱教室制作チーム訳、ハヤカワノンフィクション文庫、2017

2020年12月15日火曜日

バルザック『ラブイユーズ』 La Rabouilleuse 1841~1842

 

全部で3部に分かれる。そのうち第1部は、イスーダンという仏中部の町の出身の女がパリに来て、その息子フィリップと弟ジョゼフの物語。兄フィリップは見栄えが良く、軍人として出世し母親の愛情と期待を一身に集める。弟ジョゼフは容姿が劣っていて、母からの愛が乏しく画家志向である。フィリップは戦争での活躍は目覚ましかったものの、戻ってからは放蕩に身を持ち崩し、家族等から金を盗み出すなど悪行を平気でする。優しいジョゼフや母、伯母は一生懸命、フィリップを助けようとするが、とうとう最後はブタ箱行きになる。

2部はフィリップを助けるためイスーダンに帰り親族の協力にすがろうとする母、弟だが、その前に田舎で起きた事件とその後が語られる。ラブイユーズと呼ばれる少女を見つけた祖父は家に引取り、育てようとする。ラブイユーズとはあだなで、少女は初めて祖父に見つけられた時、川で漁のため小枝付の枝で川を叩いていた。これを川揉みといい、ラブイユーズとは川揉み女の意。老年だった祖父はラブイユーズを育て上げるが手をつけなかった。やがて祖父は死ぬ。息子は、これがフィリップ、ジョゼフの母の兄で、ラブイユーズを親父同様、好きになる。最初は従順だったラブイユーズだったが、そのうち権力を持つようになる。町に伊達男の軍人マックスがいて徒党を組み、乱暴狼藉を働いていた。この男がラブイユーズを好きになり、相手も同じ気になる。二人で何とかボケ化している家の主人から財産を巻き上げようと企んでいた。そこにジョゼフと母親が帰ってくる。これら邪魔者に財産を取られてはなるものかとマックスはジョゼフに無実の罪を押し付けた。その頃、パリで囚われていた兄フィリップが釈放され、イスーダンでの母と弟の災難を知るとやって来る。第1部ではどうしようもない悪人だったフィリップはここでは軍人の素質を発揮し、悪人マックスを退治する英雄になる。一度、伯父とラブイユーズを結婚させる。まもなく伯父が亡くなると今度は自分がラブイユーズと結婚する。

その後は第3部で、また元のようにフィリップは悪人になるが、出世して高い地位を得る。母の死も期待しているくらいだ。ジョゼフとその仲間たちがフィリップを懲らしめようとする。革命騒ぎで財産を失い、アフリカに行く。アラブ人相手の戦いで、捕えられ死刑になる。ラブイユーズは夫から見捨てられ、惨めな最後を遂げる。ジョゼフは資産家の娘と結婚し、画家を続ける。

吉村和明訳、藤原書店、2000

2020年12月14日月曜日

福田恆存『演劇入門』 昭和56年



 評論家、翻訳家、演出者として有名だった福田恆存の演劇に関する論考を集めたもの。目次は次のとおり。

Ⅰ劇と生活/演劇の特質/劇場への招待、Ⅱ戯曲読法/ことばの二重性/シェイクスピア劇のせりふ、Ⅲ演技論、Ⅳ演出論/シェイクスピア劇の演出、Ⅴ日本新劇史概観、(増補)醒めて踊れ、あとがき

演劇とは他の芸術とどこが違うかなどについて福田の考えを書いている。福田の反対者を想定して持論を述べるという形式が多い。例えば、小説に比べ戯曲は苦手だろうという相手を想定するなどである。自分は戯曲が好きだからそういう相手ではない。演劇に関心のない者に対して、こんな良さがあるといった論である。元々こういう本を読もうとする者は演劇に関心があると思われるので、いらぬ論を展開しているようなところがある。

ほとんどの論が昭和30年前後という古い時代の執筆であり、時代の反映があると思われる。時代を超越した部分と制約されている部分の違いがどの辺だろうかと思いながら読んだ。

中公文庫、2020

2020年12月13日日曜日

ケーガン『「死」とは何か』 Death 2012


 イェール大学で23年連続でされている講義の書籍化。本書は死というものを色々な角度から分析する、言葉を変えて言えばあれこれいじり回して、死とは一体どう理解すべきを探る哲学的な書である。だから誰でも避けられない死というものに如何に向き合うかといった人生論の類でない。

人生訓的なところは、常識の記述である。例えばなぜ死と言うものが悪いのかの章の結論は、死んだら生きていたら、味わえた楽しみが享受できなくなるからとある。当たり前、とうから知っているという感想がほとんどだろう。

本書が大学の講義とは何を意味するのか。それは若者、青年向きの書ということである。つまり死というものを身近に感じられず抽象的な理解しかできない。そういう者たちに対して哲学的な論を展開しているのである。年齢を重ね、死があまり遠くない時期になってきた者が読めば人生論の部分はもう知っているところばかりで、死の分析的議論に興味ある者が読める書である。

本書は前半が省略されている。日本人的な潔癖さからか全部ないと全く受けつけない、許せないと思っている人が多いらしい。自分にとっては前半が省略されていてありがたかったと思っている。前半では人間は身体の他、魂があるという説と身体しかないという考えの比較検討らしい。著者は後者らしく自分もそうなので、魂論など聞きたくない。魂があると思っている人は、身体の他、魂という透明の雲みたいなものがその辺にプカプカ浮かんでいると思っているのか。人間の思考、感情凡ては脳の活動に他ならない。

本書が冗長に見えるのはアメリカの本だから。アメリカの教科書が日本人の基準からすれば、全く何も知らない者も対象に含め初歩から書いているので分厚くなる(ページ数を稼いで値段を上げようとする以外に)。きちんと書かないせいで、分かりにくくなっている難解な書ほどありがたがる日本人と対照の世界だから。

柴田裕之訳、文響社、2018

コンスタンティン Constaintine 2005

 フランシス・ローレンス監督、米、121分。

宗教的怪奇映画で、キアヌ・リーヴスが悪魔退治を行なう、特殊能力の持ち主。かつて自殺を図り今では地獄界からやってくる悪魔退治をしている。それによりかつての罪を赦されようとする。もう癌で死が近い。女刑事の双子の妹は飛び下り自殺した。女刑事はリーヴスが悪魔退治を出来ると知り、妹の魂の救済を依頼する。人間の身体に入り、この世にやって来ようとする悪魔とリーヴスの戦いが主の映画である。

かつての『エクソシスト』よりも宗教臭く、キリスト教の人生観やあの世の考え方を基礎としているから、やや分かりにくいというか縁遠い感がある。

2020年12月12日土曜日

勝手にしやがれ À bout de souffle 1959

 ジャン=リュック・ゴダール監督、仏、90分、白黒映画。

ジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグの共演で有名な映画。有名と言ったら映画技法的に新鮮だったとか、新しい波の記念碑作だとか、映画史的な意味合いは重要だが、観ていて楽しい映画かと言ったら評価は分かれるだろう。分かれなければかえっておかしい。もう既に評価が確立されています、だから評価しなくてはいけません、では何も言う必要がない。

1950年代の終わりという、今になって見れば良かった時代のパリ、移民で占領されていない時代のパリ、意外とこんなんだったのかと思わせるところがある。ベルモンドとセバーグの間で、またその他の人間のお喋りが良くでてきて、それは西洋人だから当然なのだが、お喋りというものは内容より喋っている、それが重要であると改めて思った次第。

2020年12月11日金曜日

フェア・ゲーム Fair Game 1995

 アンドリュー・サイプス監督、米、90分。

刑事と女弁護士が、KGBからの襲撃を逃れて、刑事は反撃していく。女弁護士演じるのはシンディ・クロフォード、ジョギング中に狙撃され刑事であるウィリアム・ボールィンに事情を聞かれる。シンディが関わっていた案件の船に膨大な金があり、案件を停止するためKGB残党はシンディを殺そうとした。ボールドウィンがシンディ宅を訪ねると爆破が起こり、二人で逃げ出す。その後もKGBの連中は、コンピューターを駆使し、クレジットカードの使用や車に取り付けた追跡装置から、二人の行方を追っていく。ボールドウィンの仲間の刑事や親戚の分析官など次々と殺される。映画ならではの間一髪で危機を脱する場面多く、最後はKGB残党の船で対決、相手方は全滅し、二人は生還する。

シンディ・クロフォードと言えばかつてスーパーモデルとして君臨した有名人であり、その映画というので興味を持ってみた。金を多くかけているいかにもアメリカ的なアクション映画だった。

2020年12月10日木曜日

スーパーガール Supergirl 1984

 ヤノット・シュワルツ監督、米、126分。

スーパーマンの少女ヒーロー版。主人公カーラはスーパーマンの従妹という設定。元の星でピーター・オトゥール演じる科学者の作成した星のエネルギー源となる球が宇宙に飛び出てしまう。カーラは責任を感じ宇宙船で飛び立つ。地球に来る。球は魔術を操る悪女の手に陥り、カーラは地球に来て女高生として生活する。

悪女の薬を飲んだ色男は、目が覚めて最初に見た女に恋するはずである。悪女の謀略で暴走した車に乗っていた自分を助けてくれたカーラを見て、男は恋するようになる。悪女は自分が持つ球の威力でカーラを倒そうとする。からくもカーラは相手を倒す。しかし悪女は元から知っている悪人の男の助けを借り、カーラをガラス板に入れ宇宙の最果てに追放する。落ちたところでガラスは割れたが、超人的能力は無くなっており途方にくれる。あのピーター・オトゥールも追放されてここにいた。オトゥールと力を合わせ、苦労してその追放地から抜け出す。元の場所に戻り、悪女を成敗する。

本映画は製作当時に観た。面白い映画だと思ったが、何故か当時のアメリカでは評判が悪く入りも悪いと聞き驚いた記憶がある。そのためスーパーマンと違いシリーズ化もされずこの一作で終わった。今見直しても主人公カーラを演じたヘレン・スレーターは魅力的である。

2020年12月9日水曜日

ニンジャ・アサシン Ninja Assassin 2009

 ジェームズ・マクティーグ監督、米、99分。

忍者が主人公である。外国人のイメージで自由に作り上げた忍者で、超人たちの集まる殺人集団というものである。

世界の要人を忍者集団が殺しており、それを阻止しようとする警察。主人公の忍者は雷蔵という名が与えられており、韓国人俳優が演じる。警察側では女捜査官が出てきてこれが副主人公扱い。ともかく特撮を多用した格闘、殺害のやり放題といった感じの映画で、まともに筋など論じる必要は感じない。

ザ・バニシング 消失 Spoorloos 1988

 ジョルジュ・シュルイツァー監督、蘭、仏、106分。

失踪した妻を捜す男の物語。高速パーキングエリアで、妻が失踪する。夫は捜し続ける。3年経ってテレビ等に出て妻を捜している旨、視聴者に訴える。合わせて犯人と思われる男の家庭生活も描かれる。犯人は男に接近する。前から男は犯人を知っていたと言う。男は妻がどうなったか、好奇心の塊となり、犯人が妻失踪の謎を聞かせてやるというと犯人の車に乗って遠くまで一緒に行く。その車中で、どうやって妻を誘拐したかを犯人は聞かせる。停車の後、犯人がコーヒーを飲めと言う。何が入っているかときく。睡眠薬入りだと答える。最初は飲まなかったが妻の行方が分かると言うので好奇心の強い男は飲む。眠りに落ちる。目を覚ますと真っ暗で棺の中にいると分かる。棺に入れられ土中埋められていた。もがいてもどうにもならない。その後、妻を捜していた男が失踪したと新聞が出る。

ずいぶん前に観て、その際驚いた映画である。簡単な作りなのに観客に印象を残す映画と思った。久しぶりの再見で結末を知っているので、そこまで行くところを思い出しながら観た。

2020年12月6日日曜日

血ぬられた墓標 La maschera del demonio 1960

 マリオ・バーヴァ監督、伊、86分、白黒映画。

17世紀、魔女とされた女は棘が多く出ている仮面をかぶせられ死ぬ。その前に呪いの言葉を吐く。火刑は雨が降りできなかった。19世紀に移る。学会に行くため馬車に揺られる医師と弟子の青年。馬車の故障で近くの廃墟に行く。そこで見つけたのは映画の初めに出た魔女の死体が入る棺桶。後にその魔女は蘇った兄の妖怪と共に復讐を始める。

医師と青年はある屋敷に泊まる。そこは魔女やその兄が復讐の的としている家だった。その令嬢と青年は相思になる。令嬢役と魔女は一人二役。復讐でまず屋敷の父親が殺される。医師を呼びに行く。しかし医師は妖怪によって同類にされ、屋敷の主人を殺す。以下、青年と令嬢及びその兄と、蘇った魔女や妖怪との戦いになる。令嬢はあやうく魔女に乗っ取られるところだったが、青年が助ける。

登場人物がロシヤ名なのは原作がゴーゴリ『ディカーニカ近郷夜話』中の「ヴィイー」であるため。

危険がいっぱい Les félins 1964


 ルネ・クレマン監督、仏、97分、白黒映画。アラン・ドロン主演。

ドロンは米のギャング団のボスの妻との情事のせいで、ギャングの手下どもが追いかけてくる。フランスに戻り、あるきっかけで未亡人とメイド(ジェーン・フォンダ)と称する若い女しかいない屋敷に運転手として雇われる。美人の未亡人が一人でいるのは不自然だった。住むうちにフォンダに好かれ、また未亡人とも満更でなくなる。未亡人は2年前、夫が殺された事件にあっていた。実はそれは未亡人の愛人の仕業で、その男は屋敷内の秘密の部屋に匿われていた。運転手を捜し、男は運転手に化け、未亡人と海外へ高とびする予定でいた。当然ドロンは消されるはずだった。事情を知ったドロンは未亡人と通じ、逆に男を殺し二人で逃げようと企むようになった。フォンダは自分を相手にしてくれないドロンをものにするため、未亡人に他の恋人がいる内容の偽の電報を打つ。それをドロンに見せる。怒ったドロンは未亡人に問い詰める。匿われていた男も自分が騙されたと思い、ドロン、未亡人ともに殺す気になった。未亡人は殺される。男は丁度その邸にやってきたギャング団の手下どもに殺される。

ドロンは男と未亡人の死体を始末するためトランクに入れ、車を出す。その時フォンダも同乗した。フォンダは街中で車をパンクさせ、警官が替えのタイヤを出すのを手伝うためトランクを開けると死体が見つかる。ドロンはその間逃げ出していた。ドロンは隠れ部屋にこもっていたが、ギャング団の手下どもが来たので逃げだそうとする。

2020年12月4日金曜日

『マリス博士の奇想天外な人生』 Dnacing Naked in the Mind Field 2004


 著者キャリー・マリスは米の化学者、1944年生まれ、会社就職中に発明したPCR(ポメラーゼ連鎖反応)によりノーベル化学賞を受賞する。ただ普通の科学者ではない。極めて行動的、何でもやってやろう、自分の意見は堂々と言うなど、いかにもアメリカ的である。特に通説となっている科学的意見に対し、納得できないものは真っ向から反対する。エイズがHIVによるとか、地球温暖化、Drugの影響など通説を痛烈に批判する。エイズ対策として開発された薬が効かないと公言し、当初招かれていた会議に、後になって断りの連絡があり、抗議して(行っていない)航空費等数千ドルをもらった。全く物おじせず、正直に人生を送っている姿には、理屈では考えてもなかなか実行できない普通の人間は感心する。

原著は1998年、福岡伸一訳、ハヤカワ文庫

2020年12月3日木曜日

湯川秀樹『本の中の世界』 2005年


 湯川秀樹が本について書いた随筆を集めたものである。いずれも60年くらい前の執筆になる。

湯川はまず子供の時から読んできた本を挙げている。荘子を初め中国の古典が多い。学者一家の出身だから本に触れる機会があったのは当然である。中国の古典にまず親しんだのは当時の知的状況のせいもあろう。わが国は長い間、中国の古典が知識人の共通の教養だった。また続く章でも「文章軌範」という古い中国の名文を集めた書を挙げている。そのあとは近松の浄瑠璃や山家集などの詩歌である。ともかく湯川は本を読み始めた時から文語文になじみ、読んでいるのである。正直現在となっては羨ましい気がしないでもない。文語は形式が整っており、音楽的である。もちろん今さら文語の復活などできるはずもない。口語文への移行は完全に望ましいとして行なわれた。ただ世の中ある一つの選択が完全に他に勝ることはないだろう。

本書は元は岩波新書として昭和38年に出た。

2020年12月2日水曜日

ダーク・スター Dark Star 1974

 ジョン・カーペンター監督、米、83分。

宇宙船ダーク・スター号には乗組員4人がいる。ある日異常を感知した乗組員が調べに行く。それと並行して、星を爆破する作戦が遂行されていた。異常を調べに行った乗組員に、爆破準備用の光線が当たり、負傷する。またそれにより爆破装置も異常をきたした。爆弾が宇宙船の下から出てきて、それを投下する予定だった。しかし投下指示を出しても投下しない。この爆弾は高性能コンピューターで管理されていた。乗組員がコンピューターを説得しても言うことをきかない。時間通り爆破する予定で、宇宙船から切り離されていないため、宇宙船自体が一緒に粉微塵になる。宇宙船から出て宇宙でコンピューターに向かい説得する。それには冬眠している船長から聞いた、現象学の議論を使った。コンピューターは問答のうちに再思考し、爆弾は格納される。これで爆破の心配はなくなった。外にいた乗組員が船内に入ろうとすると開いた口から負傷していた乗組員が吐き出される。それを乗組員は追う。格納された爆弾は船内の乗組員の指示に従わず、爆破する。宇宙船は吹っ飛ぶ。その残骸に乗ってサーフィンよろしく惑星に接近するが燃え尽きる。

コンピューターの自主的判断など『2001年宇宙の旅』を思い出させる。70年代の映画なので特撮は幼稚である。