2022年11月30日水曜日

水戸黄門漫遊記 怪猫乱舞 昭和31年

伊賀山正徳監督、東映、59分、白黒映画、月形龍之介が黄門。

黄門一行が上州沼田の街道で、多くの侍に襲われている若い一人の侍を見つける。助さん格さんは若い侍に助太刀し救う。その侍が言うには沼田城は側室、家老が家を乗っ取ろうとし、姫を古寺に閉じ込め、主君自体は病の床にある。家老が毒をもっているのではなかろうか。
黄門は話を聞き、姫を寺から救い出し沼田城に乗り込む。城の者は凡てかしこまるが、側室と家老は黄門一味を何とか始末しようとする。
黄門一行には元女掏りの千原しのぶも一緒だった。千原は城に来て主君の味方である中臈と仲良くなる。中臈が言うには自分には妹がいたのだが、幼い時に攫われその後どうなっているのか。中臈が可愛がっている猫は千原にすぐなつく。千原は自分が妹と理解した。
黄門等に眠り薬を盛り、穴の開いた舟に乗せ利根川に流す。後に助かる。
一方主君の味方である中臈は側室らの手にかかり最後を遂げる。しかし愛猫が死体に寄り添い、後化けて側室、家老を脅かす。いわゆる化け猫で中臈に化けて特撮を利用した立ち回りをする。この化け猫の活躍が映画の見物であろう。黄門一行は城に戻り悪徳家老等、成敗し城には平和が戻る。

ゴヤ・マーダー El asesino de los caprichos 2019

ヘラルド・エレード監督、西、白、95分。

スペインを舞台にした女刑事2人が猟奇殺人を追う話。
殺人があった。奇妙な姿勢で殺されている。続いて起こった殺人も変わった殺され方だった。何が無くなっているか、家政婦に確かめるとゴヤの版画だった。しかもその姿勢はゴヤの版画のとおりだった。被害者は美術の蒐集家だった。前の殺人もやはりゴヤの版画の持主で、版画の姿勢で殺されていたと分かる。
版画の持主を特定したいが、隠れて取引されているので全体は不明である。マドリードで版画の持主の人数は限られている。ただ警察の人員では監視等には足りない。前の殺人で向かいの店の監視カメラが白いバンをとらえていた。このバンの持主が犯人だろうと見当をつける。女刑事の一人が犯人と思われるバンの後を追う。逃がす。後に犯人が分かり格闘になるが、逆に殺されてしまう。その際の手がかりを基に犯人逮捕にもう一人の女刑事が外国に向かう。
本映画は謎を解くとか、筋を追うとかよりも二人の女刑事が関心の対象になろう。一人は独身で、上司と寝たり、ジャーナリストと寝て情報を漏らし失敗する。よく刑事物にあるアウトロー型の刑事の女版である。もう一人は家族持ちで夫子供がいる。独身刑事は家族を表面的には軽蔑している。主人公は独身刑事の方だろうが、映画の終わりの方で殺されるのは意表をつく。

ダイハード2 Die hard 2: die harder 1990

レニー・ハーリン監督、米、124分、ブルース・ウィリス主演。

吹雪のダラス空港でブルース・ウィリスは妻の到着を待っている。同じ頃、テロリストの首領である将軍を囚人として運送する飛行機もダラス空港に向かっていた。
テロリストの軍団がやってくる。将軍を救い出し、別の飛行機で逃げるためである。このテロリストの一味をウィリスは見つけ、荷物運搬庫で一人を倒す。しかし空港警察はウィリスに露骨に敵意を示し、余計なことをするなと命令するだけである。
テロリストたちはダラス空港を制覇する。管制塔から飛行機への通信を自分たちのものにする。テロリストは逃げるための飛行機の用意を命じる。空港側が抵抗を示すので、空中で待機していたイギリスの飛行機に誤った高度の指令を出し、飛行機を滑走路に激突させる。
テロリストに対処する特殊部隊のグループがやってくる。テロリストらと銃撃戦をし、テロリストは隠れ家から逃げる。追ったウィリスが敵方の機関銃を取り、相手を撃つが空砲であると分かった。つまり特殊部隊は実はテロリストの仲間だったのである。テロリストは将軍を迎え、用意させた飛行機で空港から飛び立とうとする。
ウィリスはヘリコプターから飛行機の翼の上に飛び降りる。その際、翼の一部にパラシュートが引っ掛かり離陸できない。滑走路を行く飛行機の翼の上でウィリスとテロリストの闘いになる。ウィリスが翼から落とされる際に燃料の蓋を外しておいた。燃料は飛行機の滑走に従い漏れてくる。ウィリスがライターで火をつけると滑走路に火が走る。離陸する飛行機にその炎がつき大爆破となる。

ウィリーズ・ワンダーランド Willy’s wonderland 2021

ケヴィン・ルイス監督、米、88分、ニコラス・ケイジ主演。

ケイジが車を飛ばしていると、針が飛び出た車止めでパンクする。会った男は遊園地の掃除をすれば車のタイヤを取り換えてやるとケイジに言う。連れて行かれた遊園地がウィリーズ・ワンダーランドである。
閉園している。過去に人が死ぬ事故があったとか。ケイジは一心不乱に荒廃した遊園地を掃除する。ケイジはロボットである遊園地の見世物人形に襲われると反撃し壊す。
若者たちが遊園地に侵入しにくる。ロボットを破壊しようとしていた。過去の不幸を繰り返さないためである。しかし若者たちはロボットの犠牲になる。
保安官がこの遊園地と契約し、生贄を差し出す約束だったのだが、今回のケイジにはロボットを退治されて怒る。保安官もロボットの犠牲になる。一人の女の子は、ケイジによってロボットから助けられる。
翌朝にあの約束した男が車に乗ってやって来る。てっきりケイジが殺されていると思った。しかしケイジは生きており、女の子と車で去る。騙すつもりだった男は残っていたロボットで爆破される。

2022年11月29日火曜日

コンティニュー Boss level 2020

ジョー・カーナハン監督、米、100分。

主人公が何度も死に、元に戻ってやり直す繰り返し映画の一種。
主人公が繰り返し経験するのは、愛人といるアパートにヘリコプター攻撃され、トラックで逃げるが追手に銃撃され、それを振り切っても最後には殺されるというものである。
この繰り返しのうち、別れた妻が関わっている研究に問題を解く鍵があると分かる。その元妻は殺されたと知る。また元に戻ってなんとか、妻を救い出そう、犯罪を暴こうとする展開になる。
繰り返し映画は何度も作られているため、枠組みとしては陳腐だが映画そのものは普通に面白く見られる。

メン・イン・ブラック インターナショナル Men in black: International 2019

F・ゲイリー・グレイ監督、米、115分。

宇宙人を倒す組織の話であるが、以前とは全く違った配役、一人は黒人の女で、男の方も若い者が演じている。
宇宙人退治の組織メン・イン・ブラックに黒人の女はなんとか採用される。ロンドンで若い男と組まされ、ある男の護衛につく。しかしその男は殺されるという失態。
汚名返上で任務につくが、組織に宇宙人のスパイがいるのではないかと疑う。それは上司のリーアム・ニーソンと思われる。
最後には宇宙人の奴隷だったニーソンをやっつけ、黒人の女は本部勤務、若い男の方もロンドンの長になる。

フランシス・ハ Frances Ha 2012

ノア・バームバック監督、米、86分、白黒映画。

主人公のフランシスはニューヨークでプロのダンサーになるべく修行している。親友がいる。同居していたその女の子が結婚するというので、一人になる。
パリに短期間旅行したり、田舎の両親の元に帰ったりする。
主人公は、教師からダンサーになれないと宣言される。それでも夢を諦めないでいるので、バイトで偶然会った知り合いには嘘をつく。
結婚した親友は日本に赴任した夫と行ったが日本が大嫌いになり戻ってくる。
主人公は27歳という設定で今の日本では独身で全く不思議でない年齢だが、若くないと自認している。自分の生き方を考え、迷いながら生活している。

黄龍の村 2021

 阪元裕吾監督、66分。キャンプに向かう若者たちが山中で車が故障、近くにある村に行く。そこの村人たちは愛想よく迎えてくれた。

しかしそのうち、村人はやって来た人間を襲って暮らしていると分かる。若者と村人の決闘が始まる。殺し合いの闘いである。最後に村の連中を倒し、生き残った若者らは引き上げる。

迷い込んだ外部の者を襲う田舎の人間の話は映画で時々作られる。この映画では対決場面が見物である。

2022年11月23日水曜日

ルナン『イエスの生涯』 Vie de Jesus 1870

19世紀に書かれた著作に、このルナン著のイエス伝は度々引用されている。かなり革新的というか過激なイエス像を描いている本なのかと思っていた。しかし実際に読んでみると、そんな内容ではない。ごく真っ当な伝記である。

思うにこの伝記が1860年代に出る前は、イエスの生涯の記述といったら福音書が当然基本なのだが、それを基にしてイエスの偉大さ、その教えを説く宗教的なものばかりだったのだろう。それがこのルナンの著は実証的というか、ドライな書き方である。現代人にとっては普通の記述である。それが当時の信仰深い人々にとっては驚愕を通り越して冒瀆的に映ったのであろう。そうなら当時のキリスト教徒と現代の我々の宗教に対する感覚というか常識があまりに隔たっている証左になる。

歴史記述として現代に通じる書き方だから、イエスの行なった奇蹟についても、病気の治癒などは、病は気からといった理解である。キリストの死後3日目の復活などは書いていない。歴史的な価値を別にしても本書を読むと、福音書に書いていないところが解説してあるので役に立つ。

ルナンが科学的態度でイエス伝を書いたのだが、それにしてももう170年も前の本である。現在から見れば客観的な記述でも修正の要がある箇所が結構あるだろう。現代の知識によってこの本くらいやさしく書いてあるキリストの伝記があれば良いと思う。本書はやさしく書いてあるのも特徴である。現代のキリスト教の本やキリスト者の意見などを見るとパリサイ人が書いているのかと思う難解なものがある。(忽那錦吾、上村くにこ訳、人文書院、2000年)

2022年11月22日火曜日

ダイ・ハード Die hard 1988

ジョン・マクティアナン監督、米、132分、ブルース・ウィリス主演、シリーズ第一作。

ニューヨークの警官ブルース・ウィリスはクリスマスの日、ロサンゼルスにやって来る。妻子と会うためである。妻は日系企業、中富商事の取締役である。その会社のある高層ビルに行く。丁度クリスマス・パーティの最中である。
ウィリスは妻が結婚前の姓を使っているので不快になる。妻と会う。以前から不仲である。自分の姓を使っていないのを質すと、妻は日本の企業は結婚していると歓迎されないと答える。もっとも机の上には夫婦と子供二人の写真を飾ってある。
その間、テロリスト集団が地下からパーティ会場に侵入し社員を人質にとる。社長は射殺された。ウィリスは別の部屋にいてテロリストたちに気づかれていない。一人でテロリストに立ち向かい、一人づつ片付けていく。
テレビ局がニュースでウィリスの妻、子供などの情報を流すので、テロリストはウィリスの妻を知り、特別な人質にして逃げようとする。妻はローレックスの腕時計を褒美として会社からもらっていたが、最後にテロリストに引かれた時にその時計を腕から離すので助かった。
日本企業とは縁が切れて良かったという結末。製作が90年代なので日本企業が優秀と言われていた時代。今なら日本企業を舞台にする設定は有り得ない。

2022年11月20日日曜日

座頭市物語 昭和37年

三隈研次監督、大映、96分、白黒映画、座頭市映画の第一作である。

座頭市は下総の飯岡助五郎親分を訪ねてくる。親分は留守で、その間座頭市は博打に加わる。壺を振らせてくれと頼む。座頭市が振ったら賽子が壺の外に出る。みんな面白がって賭ける。当然みんなの勝ちである。これを数回続けた後、まともにやって座頭市が一人勝ちをする。みんなは文句を言う。座頭市は賽子が壺の外に出たと言うならそれはインチキではないかと反論する。帰ろうとする座頭市を子分たちはやっつけようとしたが、親分が帰って来て座頭市を歓迎する。
座頭市は釣りに行って天知茂演じる平手造酒に会う。天知は敵方、笹川に雇われていた用心棒だった。お互い気が合い親友となる。
その天知は肺病で寝込む。これで相手方を攻める好機と判断した飯岡は殴り込みを仕掛ける。座頭市は喧嘩に関わりたくないと前から言っていたので飯岡は怒っていた。
座頭市は天知が寝込んでいると聞き、見舞いに行こうとする。天知は喧嘩と聞いて自分も参加すると言い出す。
座頭市は天知が闘いに出かけたと聞き、自分も行く。天知と座頭市は一対一の決闘をする。天知は破れ、お前に斬ってもらいたかったと言い死ぬ。笹川方を全滅させ飯岡方は祝杯をあげている。座頭市はまだ死んでいる者がそのままなのに何が祝杯だと言い怒り、去る。座頭市を慕う若い女が街道で待っていたが、座頭市は女の避け、脇道から去っていく。

2022年11月18日金曜日

亀山郁夫『ドストエフスキー 黒い言葉』集英社新書 2021

ドストエフスキーの翻訳で名を成した亀山郁夫によるドストエフスキー解説本。これまでもドストエフスキー関連書をずいぶん出しているが、これもドストエフスキー論の一種である。

作品別に論じるのではなく、話題毎に論じているのが特色である。金、サディズム、苦痛の愛、疚しさ、美が世界を救う、父親殺し、その他様々な話題が取り上げられている。該当するドストエフスキーの著作からの引用や、他の論者のドストエフスキー論を広く渉猟し、議論を進める。

ドストエフスキーの入門書、あるいはすすめ、といった本ではなく、ある程度ドストエフスキーに親しみ、深く知りたいと思う者向きであろう。

グリーン・ホーネット The Green Hornet 2011

ミシェル・ゴンドリー監督、米、119分。

かつてアメリカのテレビ番組として放送した冒険活劇の映画化。主人公の少年時から始まる。父親は銀行家であまり子供に構ってやれないが、息子は問題児のようである。
20年後、子供は大人になる。家が金持ちなので遊び惚けている。その父親が急死する。放蕩息子が銀行を仕切る必要が出てきた。主人公はコーヒーにうるさい。ある時家で飲んだコーヒーがまずく、うまいコーヒーを炒れてくれる男がいた。その男がアジア系のケイトーだった。この男、元々の設定は日本人の加藤だったらしい。Katoとローマ字で書くとアメリカ人はケイトーとしか読まない。この映画でもケイトーという発音で全部とおっている。この加藤役をテレビで放送した際、有名になる前のブルース・リーがやったらしい。映画『ワンス・アポンナタイム・イン・ハリウッド』でブラッド・ピットがブルース・リー役の俳優をコテンパンに熨していた。この時もケイトーと呼んでいた。
ケイトーの才能を感心した主人公はその男に色々命じる。異様な才人であるケイトーは万能自動車を初め、多くの機器を作る。二人で変装して悪党をやっつけた。これから悪党を引き続き退治しようとなる。それがグリーンホーネットである。
主人公が社長を勤める銀行に若い女(キャメロン・ディアス)がやって来てその才能を認めた主人公は重役に任命する。ディアスに気がある主人公、またケイトーの才能に嫉妬する主人公は、ケイトーと仲違いする。このグリーンホーネットという二人による喜劇的活劇映画である。

2022年11月15日火曜日

赤毛のアン(紅雀) Anne of green gables 1934

ジョージ・ニコルズJr監督、米、78分。

『赤毛のアン』の映画化としては2度目。邦題は『紅雀』だった。まだ翻訳が出ていなかったからである。
最初の無声映画版より、原作者のモンゴメリーはこちらを気にいったそうである。主役の女の子はこの映画以降、主人公の名のアン・シャーリーを芸名とした。
80分に満たない映画化であるため、当然ながら大幅に短縮されている。ただアンが緑の切妻屋根の家に来るまでは、描写せずにはいかない。あとは学校でギリバートと知りあい、最初は乱暴を働くが、後に仲良くなる様子が描かれている。

ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』 Au Bonheur des dames 1883

ルゴン・マッカール叢書の第11巻である。パリの百貨店の隆盛を描く。主人公はドゥニーズという若い女で故郷にいられなくなったため、弟二人と上京する。頼って来たのは叔父の店。実際に来てみるとパッとしない。叔父一家もいきなりの上京にとまどったが、姉弟を迎えてくれる。向かいに百貨店がある。それが題名の百貨店。そのまばゆさに驚く。後にドゥニーズはこの百貨店に勤めるようになり、そこでの奮闘というか働きが小説の主な筋を作る。

女主人公が善人として描かれ、最後に至るまで大波乱はない。それが少し単調感をもたらすかもしれない。悪人だと、特に癖のある悪人が小説や映画に登場するとよく描けている、名演だと感心される(絶対にそうである)のだが、善人を書いて感銘を与えるのは物凄く難しい。

また何と言っても当時の百貨店の実際について詳しく書いてあり、勉強になる。その百貨店に押しつぶされていく中小小売店の悲哀がある。昔の大店法騒ぎを思い出す。大型スーパーなどの商業施設進出に対して従来の小型小売店が、売上を奪われるので来るなと訴えた。後には来てくれと懇願した。大型商業施設があれば客が来て自分たちの売上も増えるだろうと。消費者が買うかどうか決めるのである。それを大型商業施設を悪者にして、中小小売店は被害者だといって弱者の味方のつもりでいるのは呆れる。
昔の日本人は着物を着て草履や下駄をはき、障子や襖で区切られた畳のある家に住んでいた。そんな生活は今はなくなった。着物や畳など作っていた人を同情する声があったのだろうか。

それにしても今では百貨店はかつての輝きはないように思える。文字通り百貨店が小売の花形で、消費を牽引していた時代に本書を読んだらまた違った感想をもっただろうか。(吉田典子訳、藤原書店、2004

2022年11月13日日曜日

周遊する蒸気船 Steamboat around the bend 1935

ジョン・フォード監督、米、82分。

19世紀末、ミシシッピ川が舞台。そこで蒸気船を操る船長のところへ甥がやって来る。逃げてきたという。好きな女が出来て結婚したい。その邪魔をする者がいて襲ってきたので逆にその男を殺してしまった。伯父の船長はそれは正当防衛だと言う。結婚したい女を紹介される。
後にその女の出身である沼地の者たちがやって来て娘を返せと要求する。船長はもう結婚したからだめだと追い返す。これで娘も船長に好意を持つようになった。沼地の者と川の者(船長ら)に分かれ、対立していた。船長は甥を連れて保安官に出頭する。裁判で無罪になると思っていたら有罪になり絞首刑だと言う。
船長と娘は何とかして男を救い出したい。知事に掛け合うべきだとなる。州都まで川で行きたいと思っていたら、蒸気船のレースで通行止めになると言われる。それならレースに参加して州都まで行けばよい。
それでライバルの蒸気船らと競争になる。速度を上げるためどんどん燃やす。船にある物はほとんど燃料にしてしまった。もうないのかと思っていたら酒が積んであった。この酒を釜に放り込み、速度を上げる。ライバルの蒸気船を追い越す。
州都に着いた。甥が絞首刑にされる直前だった。船長らは駆け込み、証人を出して無罪を分からせ、刑の執行を取りやめさせる。

ケープタウン Zulu 2013

ジェローム・サル監督、仏南ア、107分。

南アのケープタウン。子供たちが誘拐される事件が頻発している。植物園で少女の撲殺死体が見つかった。刑事の聞き込みで被害者が麻薬の売人と会う予定だったと分かる。その売人を刑事たちは追う。
某海岸から電話が来ていたと分かる。そこへ刑事3人で赴く。いた連中は、最初は知らぬ存ぜぬで通していたが、刑事が建物の中に入ろうとするといきなり銃を突き付けてきた。一人の刑事は刀で腕を切られた後、殺される。残りの刑事が発砲し、連中は逃げた。
アジトで操っている男が売人を問い詰めている。売人は女が急に暴力を振るい始めたので殴り殺したと白状する。後にこの売人の頭が警察に送られてくる。
後に刑事たちがより深く探ろうとしていたら、建物の外から機関銃で銃撃があった。軽トラックの上から撃っているのである。トラックを刑事たちは追いかけ横転させる。
新型の麻薬を作っていた科学者がいた。その薬は飲み過ぎると狂暴になり最後は死ぬ。黒人だけを殺す薬のつもりで開発してきたらしい。その麻薬を服用したので少女は狂暴になり、相手の売人が殺した。子供たちが失踪していたのは、その薬の試験に使うためだった。
黒人の刑事(ズールー系)の母親が捜査に協力して、相手に捕まり殺される。これによって黒人刑事は怒り狂い、私憤を晴らすため、ランボーみたいに相手方に乗り込み手下どもを片付けた後、首領を砂漠に追い、撲殺する。自分もそこで死ぬ。

2022年11月6日日曜日

少年探偵団(エーミールと探偵たち) Emil und die detective 1931

ランプレヒト監督、独、73分、発声映画。

ケストナーの小説の映画化。「探偵少年団」は日本で公開された時の邦題。主人公のエーミールは公園の像に友達といたずらをしていた。帰宅する。
母から祖母に渡す140マルクを貰い、ベルリンに向けて出発する。列車の中で同乗者たちに親切にしてもらっていた。他の客が途中で降り、エーミールは変な男と二人きりになる。
その男からお菓子を貰うと意識朦朧となる。ベルリンに着いて目を覚ますと140マルクがない。あの男が奪ったのだ。駅から降りてベルリンの街を男の後をつけていく。
知り合った少年に事情を話すと仲間たちを集め、男の後をつける手伝いをしてくれる。男はタクシーでホテルまで行く。その後を少年たちはつける。ホテル前に隠れ家を見つけそこで見張る。
エーミールはホテルのボーイの少年に制服を貸してもらい、男のホテル内の部屋を突き止める。部屋に忍び込み財布を奪ったのだが、中身は空だった。明くる日、大勢の少年たちが男の後をつける。
男が100マルク札を両替しようとしたところにエーミールは駆け込み、それは自分の金だと言う。その証拠はあるかと問われ、ポケットにピンで留めておいたので穴が開いているはずだと言い、調べると実際そうだった。
男は捕まり、エーミールは金を取り戻す。それだけでなく、男が指名手配犯で賞金が出ていたので、それを燃えることになった。故郷に帰り歓迎され、母親には欲しかった製品を買ってあげる。

2022年11月4日金曜日

サン=テグジュペリ『ちいさな王子』 Le petit prince 1943

『星の王子さま』は岩波書店が版権を持っていて、それが切れると各社から大量の新訳が刊行された。もとより岩波の翻訳は誤訳が指摘されていた。この翻訳では題名を直訳にしている。『星の王子さま』は浸透した訳名なので、無理して邦題は変えず、解説で原題はこういう意味だとか書く手もあったはずである。新しい今までにない題にして目を引こうとしたか、自己顕示が強いのか。

内容はよく知られている。それにしてもメッセージ性が強いというか、端的に言えば説教調の本である。
なぜこんな説教臭い本が称賛されるのか。目に見えるものが大切でない、その他大人の価値観を批判している。だからといってこの本の訳者を初め出版関係の人間、あるいは読んで感心する読者が金銭等に執着がないとか、この本の小さい王子に気にいれられる生き方をしているとは思えない。
この本に出てくる俗物どもを馬鹿にして、自分はもっと高尚な人間だと思えるからか。読者はこの本を読んで満足し、それで社会が安定するという機能を持っているかもしれない。本当にあくせくした生活しかしていないと、世の中に不満をぶつける可能性が高くなる。それを抑えている。(野崎歓訳、光文社古典新訳文庫、2006

バッド・ティーチャー Bad teacher 2011

ジェイク・カスダン監督、米、99分、キャメロン・ディアス主演。

中学教師であるディアスは結婚直前に婚約者の家に呼ばれる。ディアスの名で先月16千ドルも使ったと言われ、相手の母親だけでなく婚約者からも金が目当ての結婚かと言われて破談になる。学校に戻るしかない。学校の授業では映画を観させているだけである。

臨時の教師として魅力的な男が来る。家も資産家らしい。早速この男をものにすべく画策する。胸がないので、ディアスは豊胸手術をしようとする。しかしその費用は1万ドル近くする。
洗車のバイトを生徒にさせている。かなりの儲けが出ると聞く。それで早速自分のその担当となり露出の多い姿で男の運転手たちを引き付け、大量の売上が出る。それを着服しようとする。
テストで良い点を取った級には6千ドル近い報奨金が出ると聞いて、俄然やる気を出し、生徒たちに猛勉強を強いる。それでも不安なのでテストの答えを盗みに、教育委員会の男を誑し込み、正解のコピーを取る。
めでたくディアスの級が最高点を取り、報奨金が出る。しかしディアスのライバルで男も争っている同僚の女教師がディアスの悪事を暴く。ばれそうになる前にディアスは手を打つ。これでばれずに済んだ。同僚の女教師を陥れる。
最後はあの魅力的な臨時教師でなく、前からディアスに言い寄っている体育教師を選ぶ。

脱獄の掟 Raw deal 1948

アンソニー・マン監督、米、79分、白黒映画。

服役している男のところに女(恋人)が面会に行く。今晩だと脱獄計画を知らせる。夜、女は刑務所脇で車を止めて待っている。男が逃げてきた。車を走らす。
刑務官が銃を撃つ。車は撃たれたせいでガソリンが漏れている。予定とおり行けない。もう一人、男の彼女がいる。そこの家に行き、新しい車に乗る。男と女二人で。逃走を警察は躍起になって追う。
その頃、悪党のボスが脱獄劇をラジオで聞いて知っていた。男はボスから5万ドルもらう約束がある。男が刑務所に服役したからである。ボスは男が捕まってくれればいいと思っている。車の乗り換えなどで男はやって来る。ボスが差し向けた手下はやっつける。
女のうち一人と外国に行く約束だった。船の手配も済んでいる。もう一人の女はボスの一味に捕らえられた。女と引き換えに来いと電話連絡があった。初めの女が電話を取り、何でもなかったと男に告げる。女は船に乗ってから良心の呵責で男にもう一人の女が捕らえられたと告げる。男が本当に好きだったのはもう一人の方だったから。
男は乗り込み、銃撃戦をやる。ボスも倒す。しかし自らも二人の女のそばで亡くなる。

2022年11月2日水曜日

偉大なるアンバーソン家の人々 The magnificent Ambersons 1942

オーソン・ウェルズ監督、米、88分、白黒映画。

19世紀後半、田舎のアンバーソン家は町一番の富豪だった。ジョゼフ・コットンが演じる男の若い時、好きな女に求婚するが、楽器を壊したので拒絶される。相手の女はアンバーソン家に嫁ぐ。一人息子が生まれる。わがまま放題に育てられたため自己中心的な男になる。
パーティで成長した一人息子は母や叔母が知っている男(コットン)に不快感を持つ。魅力的な若い女に会う。後に自分が悪くいっていたコットンの娘と知る。コットンは振られてから町を離れ結婚して生まれたのが娘である。妻は亡くなっていた。久しぶりに故郷に帰り自分の思いの人だったアンバーソン夫人に会ったのである。
アンバーソン家の主人が亡くなる。コットンと夫人は元より相思の間柄だったので、二人とも結婚を考えている。しかし内心コットンを好きだった叔母が一人息子に二人の仲を告げると怒り、コットンを家に寄せ付けようとしない。夫人と一人息子は旅に出る。旅先で夫人が病気になる。帰宅し寝込む。コットンが見舞いに来るが一人息子は会わせない。夫人は会いたがっていたが、会えず終いで死ぬ。一人息子はコットンの娘が好きだったが、これも縁が切れる。
コットンは自動車会社を興しており、時代に乗って発展していく。アンバーソン家は没落していく。一人息子と叔母はもう金がないと言い合う。自動車産業も発展すれば問題が起きてくる。一人息子は自動車事故に会った。
映画は初めと最後にオーソン・ウェルズによる説明、出演者、スタッフの紹介がある。

コズミック・シン Cosmic sin 2021

エドワード・ドレイク監督、米、88分。

空想科学映画。宇宙人が地球を侵略するのでそれを撃退する映画。ブルース・ウィリスが出ている。
26世紀。宇宙の彼方の地球の殖民地で、宇宙人に襲われる。地球人の身体を乗っとり、地球(宇宙基地)に侵略して来る。戦闘で相手を倒したが、こちらにも被害が出る。Q爆弾という破壊力が凄まじい爆弾で宇宙人に立ち向かおうとする。数人の兵士(宇宙飛行士)が向かう。その中に引退していたブルース・ウィリスもいた。数千光年先の相手のいる星へ行く。敵方と戦う。最後にやっつける。
あまり面白いとは言えない映画である。ブルース・ウィリスは客寄せパンダか。出番はあるが活躍するわけでもない。