2019年8月27日火曜日

西鶴一代女 昭和27年

溝口健二監督、新東宝=児井プロダクション、136分、田中絹代主演。

街娼たちがたむろする。その中で年増の田中は多くの羅漢像を見て、過去の男達を回想する。御所に出ていた若い頃。青年武士から付け文を贈られる。最初は相手にしなかったが、男の熱心な懇願にほだされ、愛し合うようになる。これが上に知れて田中の一家は京から追われ、相手の武士は首切りにされる。

東国の藩主は嫁を捜していた。京なら美人が多いだろうと老家臣が早籠で京まで来る。王子のシンデレラ捜しのように美人が集められ、藩主の好みの基準に合う女を選ぶ。なかなか見つからない。その時通りかかった田中に目が行きこれこそ理想の女だという。東国へ行く。
藩主にはいたく気に入られるが、周りの者は嫉妬する。世継ぎが誕生しこれで地位が安泰かと思いきや、もう世継ぎが生まれたから用無しだと、お払い箱になる。

故郷の父親は落胆しカネの都合のため遊女に売り飛ばす。花魁になった田中に田舎の男が大金を使って身受けしようとする。しかし贋金作りと分かり、田中も遊郭から出た。
その後東国の藩の嫁捜しを手伝った商人の家に、田中は仕えるようになる。そこの女将は田中を気に入り、禿になっている髪の手入れもさせる。この家にかつて田中が遊女だった時、遊郭で会っていた男が来る。それで田中の前歴がばれてしまい、女将は旦那を取りに来たのだろうと怒る。夜、猫に髪の毛のにおいをかがせ、寝ている女将のかつらを取り、禿だと旦那にわからせる。

また家に戻った田中に今度は実直な商人から結婚の話が来る。つかの間の幸せを味わったが、夫が追いはぎに殺される。世をはかなんだ田中は尼寺に行き仏に仕えたいと申し出る。その寺に以前の商店の番頭が来て、田中に入れ揚げた若い者が納めた生地を返せと要求する。もう着物にしてしまっている。だったら着物を返せと。田中が着物を脱ぐと男は襲いかかる。尼がやってきて田中をボロクソにけなし、寺を出て行けと命令する。
店を追われた若い男は田中に一緒に逃げようという。店のカネを拐帯してきた。二人で逃げるが、追手に男は捕えられる。

田中は三味線弾きをしていた際、二人の街娼に助けられ、自分もその仲間になる。これが映画冒頭になる。
あの東国では殿が死に、自分が生んだ若君が藩主となった。田中は捜しだされ、藩邸に行く。世継ぎを産んでおきながら遊女に身を落とすとは何事かとどやされる。幽閉を命じられたが、からくも逃げ出し、放浪の旅に出る。

数十年ぶりの鑑賞である。むやみやたらにシーンが移り変わり、次々と新しいシーンになる映画だった。
映画の初めの方で、自分の好きな男と結婚したいとえらく近代的な考えを述べる。後の方になれば受け身でされるままになる。
評価は確定しているが、それほど名作かと思った。

2019年8月23日金曜日

曾根崎心中 昭和53年

増村保造監督、行動社=木村プロ=ATG112分、宇崎竜童、梶芽衣子主演。

近松門左衛門原作を映画化するにあたり、原作の多くの挿話を取り入れている。もっともその順序は異なる。原作では大阪三十三か所の観音巡りが冒頭に出てくるが、映画では中ほどである。映画は道行の場面が過去の各場面と交互に変わる。

宇崎演じる主人公が友人に騙されてカネを返せと迫るが、却って友人とその仲間にコテンパンにされ、池の中へ放り投げられる。この散々な目に会うところは、元の浄瑠璃なら別に気にならないだろうが、映画で人が演じているのを見ると滑稽な感じさえした。
映画で原作と違う点は、悪者の友人が懲らしめられることである。

ともかく悲劇の原因は友人が悪党であった、に尽きる。近代的な創作でない特徴と言える。
映画では主演の二人の鬼気迫る自害の場面は印象に残る。

2019年8月22日木曜日

残菊物語 昭和14年

溝口健二監督、松竹京都、143分。花柳章太郎、森赫子主演。

明治十年代後半の東京から始まる。歌舞伎役者の花柳は名人の父の七光りでもてはやされている。陰では演技が酷いと散々な評判である。たまたまその悪評を耳にして腐って色茶屋から帰る途中、森に会う。森は花柳のまだ赤ん坊である弟の乳母をしている。森は花柳の演技に対し、正直な感想を述べ、精進の必要を説く。初めて真摯な意見を言ってくれた森に感謝する。森に好意を持つようになった花柳は、花火開きにも行かず家で森と西瓜を食べていた。
花柳と森の仲を見た親は森を解雇し、花柳を近づけないようにする。花柳は大阪へ行って芸の修行をすることになった。森はついていくことは叶わなかった。

大阪でも花柳は十分な上達が出来ず、贔屓にしてくれた叔父が亡くなると大阪の劇場を馘になる。森は後から大阪に来て花柳を支えていた。花柳と共に地方回りの旅に出る。数年しても苦境が続く。花柳のいとこが名古屋の劇場で公演するとわかった。森は花柳にいとこに話すよう説得する。花柳は落ちぶれた身で会いに行けないと言う。森が一人で会いに行き、花柳を舞台に出させてくれるように頼む。承知してもらうが、森が花柳と別れるという条件の下だった。
花柳の舞台は大成功をおさめる。これなら東京へ戻り父親にも許してもらえると折り紙がついた。東京へ行く列車で森がいないので花柳が捜す。親戚の者は自分が森にそうさせたと告白する。花柳は怒るが、芸に上達し成功するのが森への恩返しになるのではないかと諫められる。
東京でも成功し、親とも和解した花柳は大阪へ凱旋巡業する。

森は花柳と別れてから、大阪でかつて住んでいた家に世話になる。しかし病が高進していた。大阪へ花柳が来る。森のいる家の親爺は、森が止めたのに花柳のところへ行き、森の病状を話す。直ちに花柳は森に会いに行く。親も許してくれ晴れて結婚できるという花柳の言葉に、森は感激する。早くお披露目へ行けと花柳を急かす。早く戻ってくるからと言い残し花柳は出る。花柳は船の舳先でお披露目の挨拶をする。その間、森は亡くなっていた。

昭和14年作で画面が古く音も聞き取りにくいところがある。同じ年の「風と共に去りぬ」や「オズの魔法使い」とはえらい違いである。
全体として感情を刺激する出来になっているのは戦前の映画らしい。
今回の鑑賞は三回目でいづれも旧フィルムセンター、現国立フィルムアーカイブである。

2019年8月20日火曜日

未亡人セックス――熟れ盛り―― 平成4年

渡辺元嗣監督、新東宝、63分、成人向き映画。
映画会社(新東宝)の営業男と、映画館(成人向き)を経営する男が未亡人を巡って起こる結婚騒動。

営業男はある未亡人と知り合いである。未亡人は何くれと男の世話をする。面白くて優しい男を憎からず思い、結婚してもいいと思っている。その男の友人が映画館経営者である。娘と二人で住む。
男は未亡人と友人を結婚させようと目論む。実際は男から結婚の申し込みをされると思った未亡人は見合いと聞いて内心ガッカリする。しかし見合いをする。友人の映画館経営者は事情を知る。未婚の娘が早く相手を見つけられるよう、自分は結婚すると言った方がいいと思ってである。
お互い相手を思う友情から素直になれない男同士を描いている。

2019年8月19日月曜日

宙ぶらりん 平成15年

堀禎一監督、国映、64分。成人向き映画。

同棲を続ける男女。女は結婚を迫るが、男はぬらくらしている。女は弁当屋のバイト、男はコールガールを車に乗せて運ぶ運転手をしている。いつも弁当屋に同じ時刻に来る男がいる。女に結婚の申し込みを告白する。
同棲相手の男はコールガールを好きになる。どこかに一緒に逃げて行きたいなどと言う。同棲する女は弁当屋に来る男とデートする。デート中に同棲相手の男の食事を作らなくてはと帰る。同棲相手の男はコールガールと一夜を共にして帰らなかった。

女の方は相手が嫌になり家を出ると言い出ていく。男はコールガールをある家に送っていく。そこは弁当屋に来る男の家だった。コールガールの女は相手と意気投合し、仕事は止めると言い出す。
弁当屋で仕事をしていると男が弁当を買いに来る。あのいつも来ていた男と同じ時刻である。しかしかつての男でなく、同棲相手の男だった。一緒に弁当を食おうと言い、よりが戻る。

成人向き映画なのでそういう場面もあるが、別にそんなところは映さず普通の映画でもよいのでは思った。

南の風と波 昭和36年

橋本忍監督、東宝、90分、白黒映画。
高知の西南の漁村が舞台、貧しい村を襲った悲劇と人々の対応。

漁船が漁から戻ってくる場面から映画は始まる。夏木陽介と星由里子は相思の仲である。船長は西村晃で、妻が新珠三千代、子供が3人いる。やくざ映画で活躍した小池朝雄は若い妻がいる。弟の田中邦衛は乱暴者で困っている。
鉄屑を大阪まで運ぶ話が出る。後家の家ではまだ子供に近い長男を船乗りにしたいと申しでる。後家は男を連れ込む際、大きい子供を邪魔に思う場合があった。
鉄屑を運ぶ船は出港する。雨が強くなり何日も続く。大阪から連絡がある。まだ着いていないと。あちこちの問い合わせ、捜索したが遭難したらしい。

星は夏木の子供を宿していた。夏木の父、藤原釜足に話す。藤原は喜ぶ。しかし後に星は子供を堕し藤原は怒る。新珠は三人の子供を抱え、二人は兄の家にもらってもらう。小池の妻は弟の田中と一緒になることになる。星は結婚の話が来ても一顧だにしない。子供を無理矢理船に乗せた後家は後悔していた。
残った人らはともかく仕事に精を出して働くしかなかった。

結構有名な俳優たちが貧しい漁民を演じていて少し普段とは趣が異なる映画だった。

2019年8月17日土曜日

弾丸ランナー 平成8年

サブ監督、にっかつ、81分。

主人公の男(田口トモロヲ)は何をやってもダメだと言われる。仕事ではヘマ続き。女からも何かやってみろと言われる。一発奮起した男は銀行強盗を企む。周到な用意をする。事前に銀行へ行ってどの位時間がかかるのかも計算する。当日、銀行前に止まり銃を用意し帽子を被り、色眼鏡をかける。マスクはしなくてもよいのかと観ていて思った。銀行の入口に着く。と、マスクがないと気づく。近くのコンビニに入る。マスクは見つかったが子供用である。他の品物も万引きしようとしたところ、店員に見つかる。銃を出して脅す。おもちゃだろうと店員は高を括る。引き金をひく。弾が出て店員の腕を傷つける。あわてた男は銃を落とし逃げ出す。銃を拾い店員は男の後を追う。店員は薬でハイ状態であった。

この追いかけっこに途中から一人の男が加わる。加わったのはやくざ(堤真一)で、自分の組長を刺客から守れなかったので落ち込んでいた。店員に貸しを持つやくざは店員を追う。この三者の追いかけっこが映画の中心らしい。商店街の中を駆けるが、映画の最後に出た情報によると中野の商店街か。
やくざが対立している最中に三人はなだれ込む。やくざの戦いがあってほとんどの者が死ぬ。

正直いってあまり面白いとは思えなかった。銀行強盗をしようとしてドジをやる。また組長のため命を張ると言っておきながら、組長は殺され自分は助かるやくざの堤。そういうこともあろうと思いそこは少し面白かった。
追いかけっこでは途中、ぶつかって誤って女を銃で撃つ。その辺は気になった。最後のやくざ間の戦いなど必要性はよくわからない。
国立フィルムアーカイブでの上映では英語の字幕が出ていたが、外国人にみせたい映画とは思えなかった。

2019年8月16日金曜日

告白的女優論 昭和46年

吉田喜重監督、現代映画社、124分。
浅丘ルリ子、岡田茉莉子、有馬稲子の三女優が、映画女優を演じる。三人が同じ映画に出るという設定なのだが、それよりも三人夫々の話が進むといった映画である。しかも『イントレランス』のように話が交互に進む。女優の過去の秘密が順次明かされていくといったミステリー風の映画でもある。映画というより全体に舞台を観ているような感じである。

夫々の女優には友人や付き人といったもう一人の女が出てくる。例えば浅丘の友人がいて、彼女の高校生時代の醜聞の実情が次第に明らかになっていく。
岡田には三國連太郎がマネージャーとして出ている。夢の分析によって岡田と夫、更に愛人と思われる者の関係を明らかにしようというフロイト風の治療が出てくる。三國は最後に悲劇的な結末を迎える。
有馬は以前から自殺を何度も試みる女であって、相手は死ぬが自分は生き延びてきた。若い時の相手が実は義理の父親だったということで、母親との関係が緊張を持つ。

三人の女優は最後にインタビューを受ける、女優とはどんなものか、等々。これは台本でなく自分の言葉であろうか。
映画製作時の年齢は、浅丘が31歳、岡田が38歳、有馬が39歳である。
浅丘が映画の初めの方で、年齢は20数歳と言われる。観ている時は随分若い歳を言ったものだと思ったが、実年齢に近かったのである。そのためか唯一、後ろ姿だがヌードをさらしている。
有馬は一番老けた感じで、そのせいか演技も十分に見えなかった。浅丘、岡田は戦後を代表する女優と言えるだろうが、有馬は自分でも代表作がないと言っているし、昭和30年代に人気のあった美人女優というのが映画史的評価だろうか。

ジャン・ティロール『良き社会のための経済学』 Economie du Bien Commun 2016

現代を代表する経済学者の一人、ティロールが経済学を解説して書いた啓蒙書である。

経済学とはどのような学問であるのか、経済学者は何をしているのか、また現実の経済問題に対してどう対処できるか。具体的な事項に即して随筆的、例示的に説明する。何かと批判の多い経済学を一般から弁護し、あるべき経済学者につき論じる。
第二部で「経済学者の仕事」と題し、経済学者が実際に何をしているかを書いているところなどあまり例を見ない。もっとも内容は結構常識的である。ともかくこういった章を設け解説しているのは面白い。

4部で「マクロ経済の課題」と称し、気候変動、失業、岐路に立つヨ-ロッパ、金融は何の役に立つのか、2008年グローバル金融危機を論じる。続く第5部の「産業の課題」では競争政策と政治、デジタル技術とバリューチェーン、デジタル経済と社会的課題、イノベーションと知的財産権、産業規制を取り上げる。このような具体的問題に対して経済学的理解と処方箋の提示は極めて有益であろう。

ティロールは、経済学者は経済に対して積極的に発言し社会の改善に努力すべきであると説く。ティロールはMIT教授として世界的な名声を得ていたが、祖国フランスに戻り、経済問題の解決に取り組んでいる。事例の多くがフランスないしヨーロッパから撮られ、それに疎い者にとっては目新しい。
村井章子訳、日本経済新聞社、

2019年8月14日水曜日

伝説の舞姫 崔承喜 金梅子が追う民族の心 平成12年

藤原智子監督、崔承喜の映画をつくる会=日本映画新社、96分。
戦前人気のあった朝鮮生まれの踊り手、崔承喜の生涯の跡を、現代韓国の舞踏家金梅子がたずねていくという映画である。現在のほか、過去の写真や映像で構成される。

崔は日韓併合当時、ソウルで生まれた。大正の終わり、日本の舞踏家、石井漠の弟子になるため東京に向かう。石井が朝鮮に来た際の踊りに感銘を受け、自らも踊り手となるためであった。朝鮮政治活動家と結婚し、子供も生まれた。その後朝鮮に戻ったこともあったが、崔は有名な舞踏家になる。日本だけでなく、世界公演旅行をするまでになる。世界中で評判を取り、真珠湾攻撃直前に日本へ戻ってくる。終戦前年には20日間に渡る崔の公演が東京で開催された。

日本の降伏時には中国で公演中だった。ソウルに戻っても日本で育った崔は受け居られず、北朝鮮に家族共々住む。朝鮮動乱の際には、慰問団として北朝鮮軍と共にする。
後に中国に行き、朝鮮舞踏を初め、踊りの権威となる。しかし夫が政治で失脚し、崔は家族共々捕えられた、という情報が最後となった。その後の消息は不明である。

映画は金梅子が崔の芸術を受け継ぎ、韓国で舞踏を指導発展させようとする様もある。
ともかく戦中まで非常に高名であった崔、今では一部の者を除いて忘れられているというしかない舞踏家であろう。日本支配下、日本で育ち、有名になったなども戦後の評価に影響しているのであろう。

2019年8月12日月曜日

高校生番長 深夜放送 昭和45年

帯盛迪彦監督、大映東京、81分。深夜放送の投稿が一人の女高生や仲間に波乱を起こす。

深夜放送の司会は聴視者から電話のリクエストを受けた。相手は女高生で妊娠したのでこれから自殺するという。実際にその直後に飛び込み自殺をした。
次の週の深夜放送では、商売で売春をしていると告白する女高生の投稿が読み上げられる。名前、高校名は明記してあったがわざと頭文字で読み上げた。高校生の売春という内容に興味を持ったラジオ局は、署名が実際の人物か確かめに行く。高校へ行って投書の名前を言うと早速、生徒たちはその女生徒が投稿者と騒ぎ出す。

その本人、本映画の主人公(八並映子)は、他人と距離を置いている女生徒である。二年前に山奥で暴行を加えられた経験が未だに尾を引いている。
女生徒は自分でないとラジオ局に抗議に行くが相手にしてもらえない。
同級生で彼女と幼馴染み、真面目な青年の篠田三郎は、女生徒を信じている。深夜放送で聴視者の集まりがあった。女生徒はそこへ行き、居合わせた篠田が声をかけばれてしまう。責任を感じた篠田はミンチ用の挽肉機に指を入れて指先を削る。

女生徒は自分の潔白を証明するために真実を投稿するが、読んでもらえなかった。
女生徒は不良生徒らの集まりに行く。そこは集団売春の巣だった。カネを払えば責任なしの約束で、冒頭の自殺した女高生はそこで妊娠したのである。不良生徒と寝た女生徒はまだ自分がそれまで処女だったと知る。以前の暴行は思い込みだった。
女生徒は篠田に告白し、彼は不良生徒のリーダー格の男と決闘する。深夜、ダイナマイトを手にし、先に離した方が負けというチキンゲームであった。緊張ある対決が続き、最後にはお互いの度胸を悟った男二人は好意を持ち始める。

観客動員のためか随分過激な展開が続く。偽の投稿かどうか調べるなら筆跡を比べればすぐ分かるのではないか。その時せずに数週間後の没投稿の際に、前の投稿は無くなってしまったと局は言っている。

2019年8月10日土曜日

どろ犬 昭和39年

佐伯孚治監督、東映東京、92分、白黒映画。破滅していく刑事の物語。
大木実演じる、主人公の刑事は生温い捜査方法に飽き足らない。映画冒頭、若い女を雨の中、車に乗せてやり暴行を働いた男がいた。その取り調べで大木の脅迫的な態度は警察の上司からたしなめられる。更に被害者の親が示談金を受取り、訴追を取り下げたので怒る。

このような捜査事情に憤懣やるかたない大木はやくざの西村晃を使い、警察の手を逃れた悪党どもを懲らしめる。西村もカネが手に入るので得になる。悪党をゆすって手に入れたカネの分け前を、大木に渡そうとすると大木は怒って西村を殴る。カネのためにやっているわけではないからだ。
大木は自分が刑務所に入れたやくざの妻と今は関係を持っている。以前の妻には逃げられ独身である。

警察署では悪党どもがゆすられていると知る。司法の手を逃れた事情は外部には分からないはずである。署から秘密が流出したのではないか、調べ始める。まさか署の誰も仕事一途で正義感の強い大木だと思わない。大木は自分の罪を隠すため、殺人という大きな罪に犯していく。同僚や西村、その仲間と次々と手にかける。さすがに気づく刑事がいた。何とか逃げ、女と一緒に九州への旅に出る。しかしその列車には同じ署の刑事たちが乗り込んでいた。手錠をかけられもはやこれまでと悟った大木は列車から飛び下りた。

観ていて特に二点ほど気になった。若い刑事が大木を犯人と確信し、捕まえるため夜、跨線橋へ呼び出す。大木は刑事を殺しかけて逃げる。今まで何人も殺している男を夜誰もいない所へなぜ呼び出すのか。大木に殺されるのではないか、観客はみなそう思う。この刑事馬鹿か。
最後に刑事たちが総出で列車内の大木を捕まえる。隙を見て逃げ出し自殺されてしまう。この署の刑事どもは無能の集まりかと思った。

2019年8月8日木曜日

乾いた湖 昭和35年

篠田正浩監督、松竹大船、87分、総天然色映画。
安保騒動を背景に、一人のひねくれた大学生の生き様を描く。

まだ大学の自治会で政治を盛んに論じていた時代。主人公の男は大学生の議論や行動など役に立たないと見下す。自分はバーのマダム(高千穂ひづる)の男妾になってカネをせびっている。更に自治会の経費を遊興に流用して何とも思わない。自分が妾の子なので、社会に復讐しているつもりなのか。
男の友人の一人は家が貧窮している。男が知っているブルジョワの御曹司に仕事を世話してくれるよう頼んでくれと言う。ブルジョワのドラ息子はにべもなく断る。

ヨットなど大学仲間での遊びの集まりでも、男たちは女を性的関心の対象としてしか見てない。
この大学生仲間の一人が岩下志麻で、父親は最近自殺した。それは汚職絡みとされ、政治家(伊藤雄之助)をかばったためらしい。岩下の姉は婚約相手から婚約破棄を申し渡される。汚職をした家の娘と結婚できないと。岩下は怒って相手のところへ行くが性的嫌がらせを受けるだけである。
主人公の男は何人もの女子学生と関係を持っているが、岩下に目をつけ近づく。姉の婚約破棄を聞き、知り合いの健闘家崩れをその男の家に連れていく。ただ暴力をふるうだけでなく、刃物で傷つけたらしい。男は岩下に詩を聞かせ、その後自分のものにする。

伊藤雄之助は岩下の家が困窮しているから、姉の世話をすると言って妾にする。岩下は怒って家を出、自活しようとする。あの貧しい学生は自殺した。
岩下は主人公の、以前からの彼女から男から手を引けと言われる。男と会った岩下は軽蔑した口調で二度と会いたくないと言う。
安保反対のデモが激化するなか、男は爆弾をつくって世の中をあっといわせようと目論む。爆弾を作り、出かけようとしたところを刑事たちに傷害容疑で捕まってわめく。
岩下はデモの中、他の者たちと進んでいた。

安保騒動当時の東京の風景が色付きで見られる。ブルジョワと貧しい者の二分法が通じた時代である。爆弾を作る男は実行あるのみという発想で、約十年後の連合赤軍事件の犯人たちの原型とも言える。
学生たちの政治議論を見ていると本当に昔の話だと感じる。

2019年8月4日日曜日

日本妖怪伝 サトリ 昭和48年

東陽一監督、青林舎、100分、緑魔子主演。

緑が精神科医、佐藤慶の診察を受けている。サトリという昔話に出てくる妖怪、サトリのせいで自分の恋人が二人も亡くなった。サトリとは人間の心を読める妖怪で最後には人間を破滅させる。佐藤は緑の話は理解できず、また診察に来いという。
後に緑はサトリに会う。パッとしない男である。更に若い男と付き合うようになる。男が緑のために路上で乞食をしていると、男たちがやって来て乱暴し殺す。緑は妊娠していた。肉屋で普段より肉を多めに買い帰る。

以上のあらましでは何かなんだか分からないであろう。観ていても分からなかった。訳の分からない映画という分野がある。その一つである。昭和40年代後半、映画制作側がより制作者の意図する映画を作るといった方向になり、観客は置いてけぼり、映画館から離れていった。それらの映画の一つにみえる。芸術志向の者なら評価するかもしれない。自分はそうでない。

ダグラス・マレー『西洋の自死』 The Strange death of Europe 2007

著者はイギリスのジャーナリストで、内容は移民によって浸食されつつあるヨーロッパの現状の説明と著者の意見表明である。

ニュース等でお馴染みの、移民が欧州に押し寄せている現状、これを著者は政治家等、支配的な層の意向であり、一般の国民はそう思っていないと言う。人道主義的な発想からは難民を救済すべきであろう。しかし実際に移民があまりに多くなり、それだけでなく犯罪を多発させている。これでは国民が嫌になり移民排斥の動きが出ても不思議でない。しかし移民受け入れに反対すると人種差別主義者と攻撃され、政治家は避けている。また実際に移民の受入を問題ないと思っている人もいる。

著者は欧州人の発想や感覚を述べている。罪悪感が強い、精神的に疲れているなどは欧州人でない我々には目新しい。
著者に言わせると回教徒は、欧州を攻撃する、破壊させようする連中である。もちろん多くの回教徒はそんな者でないのだろうが、目の前で回教徒から成る移民がテロを繰り返していると、こういう発想になってしまうかもしれない。
いづれにせよ、今後の欧州は大きく変化するだろう。回教徒の占める割合は増大していく。従来の欧州は死んでしまう。

現在グローバル化の時代と言われるが、外国人居住者の割合が今までになく高まるのが、その一つの現れである。日本でも移民の増加を認める法律が成立し、ほっておけば欧州の後を追いかけるのだろう。移民居住の阻止、これができたら本当に望ましい。低開発国への援助は移民の受け入れだけでない。資金や技術の援助でその国が発展するよう助けるのが本道である。
町田敦夫訳、東洋経済新報社、2018

2019年8月3日土曜日

華麗なる追跡 昭和50年

鈴木則文監督、東映東京、83分、志穂美悦子主演。
志穂美が、父の冤罪による死亡の真相を探り復讐する活劇。

映画はカーレースの場面から始まる。志穂美が優勝する。父殺しの真相が分かりかけ、敵の会社へ乗り込む。給仕の婆さんに化けて秘密の包みを盗み出す。結構笑える場面である。この志穂美が様々に変装する(女多羅尾伴内)もまた本映画の面白さの一つである。ばれて逃げ出す。男装に変わり逃げるが敵も気づく。相手をやっつける。たまたま入った部屋が楽屋で、そこにいたマッハ文朱(当時有名だった女子プロレス選手)と戦うことになる。ともかく逃げ出した。

盗んだ物は映像のスライドでそこに志穂美の父親が刑務所内で拷問にあって死んだ様子が写っていた。元刑務所所長らが直接の下手人とわかったが、背後のボスである黒幕が不明である。
ゲテモノ類を食わす店に行くとそこの娘がマッハであった。敵どもがやって来て、二人で片付ける。マッハは志穂美に気づく。

志穂美が敵の元刑務所官を追い詰めてボスを聞こうとすると、車から女が狙撃し敵の男はたおれる。敵は志穂美と同居するきょうだいのうち、妹を攫う。
敵の落とした十字架から教会名を知った志穂美は、きょうだいの兄とその教会に赴く。教会内にシスターに化けて入りこむ。箱の中に女の死体があり、それの腹を切り裂き、麻薬を取り出す。一人余分なシスターがいると気づき、志穂美はここでも格闘して逃げ出す。

止めてあった車にはきょうだいの兄はいなかった。兄は捕まえられ、その目の前で、妹が敵方のボスである政治家に暴行されるのを見せつけられる。あくまで反抗する兄は殺される。志穂美は敵のアジト(旧古河庭園の屋敷)で、兄の方の死体と甲冑に閉じ込められた妹を見つける。志穂美は妹を助け出そうとしたが敵方に殺された。志穂美も捕まり縛られ、鞭打ちの拷問を受ける。志穂美の旧友で、麻薬のため敵の手先になっていた女は志穂美を助け出そうとするが針の矢を目に受け殺される。逃げる志穂美を、敵方の一人が助ける。

敵のボスは麻薬をアジア各国に売ろうとし、代表を集める。カンボジアの代表は婆さんで、もちろん志穂美の変装である。敵どもと戦う。あの志穂美を助けた敵方の一人が麻薬捜査関係と分かる。志穂美は父の仇である敵のボスを追う。岩場に何故か爆弾が沢山仕掛けられてあって、敵は爆弾を爆破させる。志穂美はかわし、敵と戦いたおす。ボスはロープウェイで逃げた。志穂美はそれに縋り付き、空中で志穂美を蹴り落とそうとするボスとの戦いになる。最後にはボスを落とす。

娯楽映画に徹しており、志穂美の活躍や変装だけでなく、映画に求められるというエロと暴力に事欠かない。きょうだいは暴行を受けた上、残虐に殺される。女の裸体から麻薬を取り出す、針で目をつぶすなど、文部省推薦とはなりがたい場面が多い。
これらは当時の映画がかなり斜陽化していたので、観客が求める作りにしたのであろう。評論家に受ける作りではない。映画史に残る名作ではないし、つっこみどころ満載とか言っていい気になっている者を十分満足させるつくりである。
観客に対するサービス精神だけでも評価したくなる映画である。

さよならはダンスの後に 昭和40年

八木美津雄監督、松竹大船、91分、白黒、桑野みゆき主演。

バスが故障した際、桑野は車に乗せてもらい駅まで弟を見送りに行く。その際乗せた男は桑野に好意を抱き、桑野も好きになる。面倒見てもらってきた家はうるさく、桑野は出ていく。東京に着き、男に再会し、友人の倍賞千恵子に会う。倍賞は歌手で「さよならはダンスの後に」をクラブで歌っている。桑野が男に惚れているのを見て、男なんかやめろと諫める。

相手の男は部長に見込まれ、その娘と婚約していた。桑野を好きなので婚約破棄を申し出る、大阪の支社へ行って頭を冷やせと命令される。大阪に着いて早々支社長に辞めたいと言う。部長は桑野に会い、事情を話す。その後桑野は男に会って一日過ごし、そこから身を隠す。男は桑野を捜しまわる。桑野は隠れて会わない。何年もして、たまたま賠償は男がタクシーの運転手に身を落とし、すさんだ生活をしていると知る。賠償は桑野に知らせ、恋人同士は再会を果たす。

いつまでも女が忘れられない男は、あまり映画では見ない、現実にも少ないだろう。
この年倍賞千恵子の歌う「さよならはダンスの後に」は大ヒットし、それで本映画がつくられたのだろう。

2019年8月2日金曜日

新雪 昭和17年

五所平之助監督、大映、84分、白黒。
月丘夢路、美鳩まりが、水島道太郎を巡って当時らしい恋の鞘当てをする、とも言える映画。

神戸の六甲が舞台。小学校が国民学校と改称された当時、水島道太郎は熱血教師ともいえる理想に燃えた教師である。子供たちからは慕われているが、大人からは苦情が出るくらいである。ある児童の父親は子供の評価が下がったと文句を言いに来るが、水島は負けず禿の相手をチャーチルと罵る。当時、禿親爺の悪口がチャーチルだったとわかる。

月丘は女医、また美鳩は水島の恩師の娘で、共に内心では水島を慕っている。二人だけで相手の気持ちを確かめ合う場面がある。もちろん言葉に出さず忖度するのみである。
美鳩の父親は語学教師である。教え子の一人が、美鳩をもらいたいと申し出る。父親は美鳩の意を尊重すると言うが、美鳩は内心困る。
その相手が南方へ赴くようになる。たまたま相手が書いたモンゴル文字の文を美鳩は読み、結婚を決心する。

水島のところへは教育招集が来る。水島と南方へ赴く男の壮行会が開かれる。美鳩は月丘に水島と仲直りするよう説得する(この前に水島と月丘のいさかいの場面があるはずだが、フィルムが欠損している)。しかし言えない。後に水島から手紙が来て、招集が終わったら相談があるとあり、月丘は期待で嬉しくなる。

本映画は戦時中、大映初期の映画として製作、当時は大ヒットしたとか。しかしフィルムが無くなってしまい、数十年後、ソ連が保管している短縮版(元は2時間以上)が見つかり現在はそれが観られる。

一見すると全く戦時中に見えないほど明るい雰囲気の映画である。もちろん時局を表わす言動などは出てくる。しかし例えば女はみんな普通に着物を着ている。戦後、戦時中を舞台にした映画をつくるとみんなモンペをはいているが。実際にその時に作った映画だからこちらが本当である。制作された昭和17年は前年末に真珠湾攻撃が行なわれ、もうこの年のミッドウェイ海戦で日本の海軍は壊滅状態になり、後は敗戦へまっしぐらという時代である。しかし登場人物らは(そして当時の国民も)日本の聖戦を信じていられた時である。明るい雰囲気だったからこそ当時ヒットし、戦争の重苦しさを押し付けることこそあるべき姿と妄信していた軍部はフィルムを抹殺したのかもしれない。

神戸が舞台だが主な登場人物は標準語を喋り、脇役は関西語を喋る。今ならみんな関西語にすると思うが、普遍的な意図の映画なら標準語にしてもいいのではないか。

2019年8月1日木曜日

女の花道 昭和46年

沢島忠監督、東京映画=日本コロムビア、103分、美空ひばり芸能生活25周年記念映画。
時代は幕末、出雲の海辺で育った美空は、踊りが好きと自覚し、舞いの道に進むという映画である。

本映画で美空ひばりは少女時代から大人まで自分で凡てこなしている。昭和12年生まれの美空はこの年、34歳。今なら30過ぎても若々しい顔つきの芸能人は珍しくないが、美空は老け気味の顔である。この歳で少女を演じるのは苦しい。

美空ひばりの記念映画というだけあって有名な俳優が出ている。
歌手だけでなく戦後の代表的な女優の一人に数えられる美空の最後の劇映画となったそうだ。本映画以降は、美空の芸能界での地位は下がっていく時期である。よく知らないが、興行的にもそれほどでなかったろうと空想する。

十六歳の戦争 昭和51年

松本俊夫監督、サンオフィス、92分。
地方都市に住む秋吉久美子のところへ若い男が来る。家族共々暮らすようになる。かつての戦争末期の空襲の悲劇との関連が明らかになる。

若い男がヒッチハイクしてある町(愛知県豊川)で降りる。河原に行くと心中の死体があった。それを見ているうち、近くにいた秋吉久美子に気づく。
男は実は妊娠した恋人を捨てて逃げてきたのである。

男と秋吉は仲良くなる。秋吉は自分のうちに男を招く。会社の社長宅である。そこに男は同居するようになる。不思議な家で、頭のおかしいように見える中年男がいる。叔父だと紹介される。秋吉は特に母親(嵯峨美智子)と仲が良くない。
居座った男は家族旅行の能登へもついてくる。そこでも秋吉は異常な行動をとる。

元の家に戻ってからも、秋吉は男が母親を好いていると喝破する。
戦争の慰霊の精霊流しが行なわれる。終戦の年に工廠に空襲があり、二千人以上が犠牲になった。その日、男は嵯峨とかつての工廠跡に行く。嵯峨が自分の母ではないかと男は尋ねる。いや自分の親友の子だと告白する。場面は戦争時の空襲の場面になる。嵯峨の若い時の友人は秋吉が二役でやっている。空襲の際、子供を産んで亡くなったと。

本映画は昭和48年に製作されたが、難解との理由で公開が延期され、51年になった。もっと難解な映画がいくらでもあると思うが。
製作年でみれば秋吉の初主演作。秋吉と嵯峨の母と娘の確執だけ見ると多くの家庭で似た例があるだろう。