2022年4月30日土曜日

善き人のためのソナタ Das Leben der Anderen 2006

フォン・ドナースマルク監督、独、132分。

1984年の東ドイツが舞台。国家秘密警察に勤める役人が主人公。反体制活動をしているとみられる作家宅に盗聴装置を仕掛ける。それで凡てを盗聴し、報告するのが主人公の役目である。主人公は組織の長が国に裏切り行為をしていると分かる。直属の上司に話しても伏せておくよう言われるだけである。自分たちの身に不利が生じる可能性が高いからだ。主人公は自分の仕事の責任者たちの言動に痛く失望する。

見張っている作家の愛人の女優は国家に秘密を売り、高官の情人となっている。それを主人公は作家に間接的に知らせる。それでも作家は女優を愛し続ける。作家の愛情を知った主人公は同情し、盗聴監視をやっているように見せかけ、実際は盗聴で知った事実を上司に知らせなくなる。愛人の女優が逮捕され、タイプライターの隠し場所を主人公は吐かせる。作家宅に乗りこんだ警察は隠し場所にはないと分かる。女優は家から飛び出し、トラックに轢かれる。主人公は、タイプライターは自分が隠しておいたのに、と死に際の女優に告げる。流石の無能の警察上司も主人公を職から外し、閑職に追いやる。

4年後、ベルリンの壁は崩れる。数年後、作家はなぜ自分が監視されていなかったか、と高官に尋ねると、凡て監視していたという返事である。過去の自分に関する資料を見た作家は、ある人物が自分を庇っていたと知る。今は配達夫をしている主人公を車から見る。後に作家は本を上梓し、そのはしがきに主人公のコード名を書き、謝辞を捧げている。

東ドイツの監視社会のあり様が分かってよい。ただ主人公の描き方には疑問を感じる。組織の長や上司の不正を見てショックを受けるようにあるが、もう中年になっている主人公は世の中、不正が多いとは先刻承知してはずである。特に社会主義では特権階級の不正がひどかったので余計分かっていたと思われる。また後半から主人公は作家を助けるため、スパイ映画なみの大活躍をする。スパイの映画ではないか、と言われそうだが、今言ったスパイ映画とは実行不可能な離れ業で主人公が活躍する映画を指す。もう少し現実的な映画にしてもよかったと思う。

2022年4月29日金曜日

SADA 戯作・阿部定の生涯 平成10年

大林宣彦監督、松竹、132分、黒木瞳主演。

猟奇殺人事件の犯人、阿部定を描いた映画だが、事件よりむしろ阿部の生涯の映画化と言うべきである。少女時代を過ぎてまもなくの頃、大学生から暴行を受ける。助けてくれた別の大学生に好意を持つが、その大学生はもう会えないだろうと言ってどこかに去ってしまう。癩病だったのである。
芸者になる。あちこち居場所を変える。地方の有力者に好かれ、後々まで援助を受けるようになる。料理屋に勤めた際、そこの主人であった被害者と会い、相思の二人は一緒に逃げ出す。待合にいた時、阿部は事件を起こす。
全体として阿部が供述で過去を振り返る形で、ところどころ、事件後の阿部(黒木)の姿が出てくる。被害者をお笑い芸人が演じているので興ざめした。
癩を映画中、ハンセン氏病と言っているが、これは戦後の呼び名である。昔を映画化するならその時代の言葉を使うべきである。

2022年4月28日木曜日

デイズ・オブ・サンダー Days of Thunder 1990

トニー・スコット監督、米、107分、トム・クルーズ主演。

トム・クルーズがカーレーサーになって栄光をつかむまでの成功物語。クルーズはテストの走行で観る者を感心させ、コーチがつき腕を磨き上げていく。次々とレースで優勝し、名が上がる。ライバルのレーサーとぶつけ合いをし、二人とも事故を起こす。二人の怪我を担当した医師をニコール・キッドマンが演じる。愛し合うようにある。クルーズが療養中に若いレーサーが活躍で有名になる。クルーズが復帰し、目標だった大レースで二人が競い合う。

よくある青春ものの映画と言えばそうであり、レースでの競り合いが興味をそそる。ともかくこの頃のクルーズは若い。キッドマンとの結婚前である。幼いと言ってもいいくらいだ。

みじかくも美しく燃え Elvira Madigan 1967

ボー・ヴィーデルベリ監督、瑞、130分。

19世紀末近くに実際に起こった事件を元にしている。妻子ある貴族の中尉と綱渡りの女芸人が恋に落ち、悲劇の結末を迎えるまで。

映画開始の時点で、既に二人は恋の逃避行をしており仲良くしている。軍の友人が中尉を捜しに来る。友人は中尉の正妻が自殺未遂をしたと話す。聞いた踊り子は耐えられなくなり逃げる。追って捜し出した中尉は、友人の嘘だと言う。その後、二人は生活をしようにもお金もなく食い物に事欠く。ある時、踊り子が中尉に仕事をして欲しいような、ほのめかしをすると中尉は怒り出す。仕事をしろだと。後から中尉は謝る。最後に二人は銃で自殺する。

悲劇には違いないが、仕事を全くできない、やる気のない当時の貴族の実態が分かる映画でもある。音楽にモーツァルトのピアノ協奏曲K467の第2楽章が使われていて有名になった。他にヴィヴァルディの音楽も出てくる。

2022年4月27日水曜日

刑事物語 兄弟の掟 昭和46年

稲垣俊監督、東宝、92分、田中邦衛主演。

田中は刑事である。若い弟がいて、その何をやっているか分からない行動にいつもイライラし、説教を垂れている。弟の方ではそれが嫌で兄に反抗している。田中は麻薬関係と思われる殺人事件を外事課の加山雄三と一緒に捜査することになる。外国人が絡んでいるからである。

田中は弟の知り合いの者たちが事件と関係がありそうだと知り、弟を問い詰めるが弟は怒ってますます兄を嫌うようになる。弟は知り合ったバーの経営者の女と、関係を持つようになる。実はその女は兄、田中のかつての恋人だった。女が弟に事情を漏らし、それでバーを仕切る男を尋ねる。黒幕の外人外交官やバーを仕切る男は女が秘密を漏らしたと考え、女を殺そうとする。間一髪で田中が駆けつけ、女を救う。逃げる外交官と銃の撃ち合いになり、相手を倒す。弟は外国に勉強に行くことになり、その出発前に兄と和解する。

ゴーストマスター 令和元年

ヤング・ポール監督、91分。

廃校で映画撮影をしている。恋愛映画でいわゆる壁ドンの場面がある。ところが恋愛映画の男役がなぜ壁ドンが必要か、納得できないと言い出す。どこかに行ってしまい、他のスタッフ等も現場から去る。主人公である助監督は、なんとかまとめようとする。この助監督は恐怖映画が好きで自分が台本を書いた「ゴーストマスター」なる作品を将来撮りたいと思っている。
助監督は校舎のコンクリートの壁に向かい、壁ドンの練習をしている男役を見つけた。手が血まみれになっている。そこに行った助監督は、「ゴーストマスター」の台本とその男役が一体になるところを見る。
男役は撮影現場に戻り、壁ドンをするが相手役の女の頭を手で潰してしまう。みんなパニックに陥り、逃げ出す。どうしたらこの悪魔がとりついた男を倒せるか、が映画の展開となる。
過去の恐怖映画の要素を多く取り入れており、恐怖映画のオマージュと言うべきか。ただしよく分からないところなどもあり、あまりすっきりした映画ではない。

2022年4月24日日曜日

男性・女性 Masculin, feminine: 15 faits precis 1966

ジャン=リュック・ゴダール監督、仏、103分、白黒映画。

主人公は、トリュフォー映画でもおなじみのジャン=ピエール・レオーとその恋人の若い歌手。副題に15の明白な事実とあるように、二人の会話、目撃する他人、行動などが次々と現れる。有名人のカメオ出演が多いことでも有名。1965年のパリを描写した映画と言われる。

人肌孔雀 昭和33年

森一生監督、大映、99分、総天然色映画、山本富士子主演。

山本が自分の商家を破滅させた悪徳商人や武士たちに復讐する話。映画としての展開、出来は必ずしも良いとは言えないかもしれない。そんなことよりこの映画は山本が若武士、芸者、町娘と変装して現れるので、その山本を見る映画である。山本が服装を変えているだけで、すぐに同一人物と分かるのに、登場人物は気が付かない。多羅尾伴内の女版である。

かつて家に勤めていた若者が陰ながら助ける。また市川雷蔵が山本を助ける役で出ている。当時の時代劇の美男美女を楽しむ映画である。

ウィンド・リバー Wind River 2017

テイラー・シェリダン監督、米、107分。

ワイオミングのインディアン居留地が舞台、一面の雪原である。若い女がその中を裸足で駆けている。倒れる。その死体を主人公である狩猟者が見つける。田舎なので知り合いである。FBIから担当が来るのを待っている。やって来たのは若い女の捜査官でみんな失望する。死体の現場に行く。FBIは地理が全く分からないので、狩猟者に案内を頼む。二人は丘の上の雪の中に男の死体があるのを見つける。主人公は死んだ少女の親であるインディアンのところへ知らせに行く。死体となって発見された男が、死んだ女と恋人同士だったと分かる。時間が遡り、犯行時の映像になる。住居用車両に恋人といた被害者の若い女のところへならず者どもがやって来る。若い女は逃げた。冒頭の場面につながる。相手の男は殺され、それが雪に埋もれていた死体である。FBI捜査官や保安官たちは容疑者たちのいる居住用車両に行く。向こうからぶっ放してくる。銃撃戦になる。一人逃げた悪漢は主人公が追い、殺された女と同様に靴を脱がせ、雪原を走らせる。すぐに悪漢はくたばる。

本映画を観るとアメリカの広大さが良く分かる。雪に覆われた文明的な場所からは離れた舞台。これもアメリカの一部である。

2022年4月20日水曜日

内村祐之、吉益脩夫監修『日本の精神鑑定』増補新版 みすず書房 2018

本書は過去の重要な事件の裁判での精神鑑定を集めたもの。以前出版された『日本の精神鑑定』(みすず書房、1973)と『現代の精神鑑定』(金子書房、1999)の合本である。若干の変更がある。「連続幼女殺人事件」を除いたなど、凡例参照。本の大きさはA5判(15×21cm)であるが、1243ページもあるため、暑さは5cmにもなる。造りは洋書風に言えばペーパーバックである。

本書の構成、事件は次のとおり。

日本の精神鑑定(1936年から1969年まで)

監修のことば/大本教事件/阿部定事件/電気局長刺殺事件/若妻刺殺事件/聾啞者の大量殺人事件/大川周明の精神鑑定/俳優仁左衛門殺し事件/小平事件/帝銀事件/金閣放火事件/メッカ殺人事件/「間接自殺」としての強盗未遂事件/杉並の「通り魔」事件/ライシャワー大使刺傷事件/愛妻焼殺事件/横須賀線爆破事件/あとがき

現代の精神鑑定(1969年から1994年まで)

まえがき/「連続射殺魔」少年事件/妻子五人殺人事件/ピアノ殺人事件/日航機ハイジャック事件/新宿西口バス放火事件/深川の通り魔事件/悪魔祓いバラバラ殺人事件/47XYY男性による反復殺人事件/女子中学生殺害事件

裁判時の精神鑑定をすべて収めているわけでない。容量の制限の他、プライバシー保護等から縮小などの編集をしている。人名は小平義雄や永山則夫など有名な被告はそのままであるが、登場人物名は仮名が原則。日時、場所なども比較的最近の事件は平成〇年とか、AB市などとの表記がある。内容に関する若干の説明と感想は以下の通り。

まず「大本教事件」と次の「阿部定事件」の鑑定書は文語体である。ただし新字、平仮名表記で句読点はある。「阿部定事件」は供述の部分が多く、それは口語なのでまだ読み易いが、「大本教事件」は地の文が多く、漢字の割合が高く、今では使わない字を多く使っている。「大本教事件」は逮捕された幹部の一人、出口元男の鑑定書であるから事件の概要は冒頭の「解説」にあるが、なぜ治安維持法等の違反になったか、などの説明はない。

「阿部定事件」は事件の性質上、性的猟奇的また凄惨な記述が多く驚く。阿部定事件は『阿部定手記』(中公文庫)にある「艶恨録」(予審訊問の調書で、阿部定が生い立ちから事件まで語っている)が基本と思っていたが、ここには「艶恨録」にない事件の客観的情報もある。

「電気局長刺殺事件」とは鉄道省電気局長が被害妄想を持った元部下に殺された事件。阿部定事件よりほんの少し前の出来事。

「若妻刺殺事件」とは配偶者による犯罪でなく、たまたま上京し、同じ家にいた中学生(旧制中学、今の高校生の年齢)に、20歳の若妻が刺殺された事件。

「聾啞者の大量殺人事件」は真珠湾攻撃の年に起きた、障碍者によって行われた、数度にわたる大量殺害という陰惨な事件。

「大川周明の精神鑑定」は映像にも残っている東京裁判の際、大川が東条の頭を後ろから叩いたので精神鑑定が行われた、その記録。

「俳優仁左衛門殺し事件」は次の「小平事件」と共に、戦中戦後の飢えが大きな原因となっている。脱線だが戦争の記録、歴史と言ったら軍の戦闘、銃後では空襲はよく説明されているが、食べ物がなく国民が腹を空かせており、特に戦後はそれがひどくなったとはあまり書かれていない気がする。当時はみんな経験しており、何も書くまでもないと思ったからか。こういう事情は時代が経つとさっぱり訳が分からなくなる。当時の歌舞伎役者片岡仁左衛門の一家が、同居していた狂言台本の見習いの者によって殺害された。被害者は5人に及んだ。元々不穏な関係だったらしいが、特にあまりに食事が違いすぎるので、それが直接のきっかけとなった。

小平義雄は、戦中から戦後にかけて10人(小平は7人殺害と主張)の婦女を暴行殺害している。何しろ渋谷駅であった横浜在の女を、農家があるからと言って栃木の田舎まで連れ出し犯行した例もある。いかに食糧入手が死活であったかの証左である。

ところで刑法39条に疑義を持つ人がいるだろう。そういう立場からは精神鑑定は原理的に意味がないように思える。それでも精神鑑定によって犯人がどういう人間か、犯行時の心理などが明らかになる。小平義雄は「わしの罪は助かりませんよ。(中略)わしは七人もやってますからね。」(本書p.228)と覚悟している。

「帝銀事件」では被告平沢貞通に甚だしい虚言癖があると分かった。

「金閣放火事件」は有名な事件。この事件については、小説家の著作を元に云々する場合が多いようだが、この鑑定書がやはり基本になるだろう。

「メッカ殺人事件」は戦後8年目に新橋のバー、メッカで起きた殺人事件。犯人が慶応出のインテリ青年でアプレの犯罪と言われた。

「「間接自殺」としての強盗未遂事件」でいう、間接自殺とは自殺願望はあってもできない者が、犯罪をして処刑され、自殺を叶えるやり方である。欧州ではキリスト教で自殺が禁じられ、公開処刑は宗教的雰囲気で行なわれるというので、流行った時期があったらしい。日本で起こった珍しい例である。

「杉並の「通り魔」事件」は昭和30年代後半、高校生が年下の男子たちに対し行なった、連続猟奇傷害事件である。

「ライシャワー大使刺傷事件」は駐日米大使が、大使館に侵入した少年によって大腿部を刺された。その被告の精神鑑定。

「愛妻焼殺事件」は上司に腹を立てた工員が、殺そうとしてガソリンをまいて火をつけたところ居合わせた妻を焼殺してしまった。

「横須賀線爆破事件」は自分を振った女に仕返しをするため、女がよく利用するという横須賀線の電車に爆弾をしかけ、1人死亡、13人重軽傷を負わせた。

「「連続射殺魔」少年事件」は被告永山則夫の生い立ちが詳しい。極端な貧窮生活を幼少期に強いられているが、肉親からの愛情の欠乏が一番大きい問題に見える。兄たちからいつも殴られていたので、代わりに妹を殴っていた。例えば家出をして警察に保護された永山を母が引き取りに来て、事情を話した。警官は永山を殴り「叩かれれば痛いだろう」と説教した。永山はこん畜生と内心復讐を誓った。帰宅後、誓い通り妹を殴りつけた。(本書、p.731から732

これが永山及び他の犯罪者たちの理屈である。社会からひどい目に会わされたので、社会に復讐する。それは復讐しやすい者に復讐する、を意味する。米兵宅から拳銃を窃取していた被告は、その拳銃で4人射殺した。うち2人は20歳代であった。

精神鑑定はこの本に書かれているとおり科学の立場で行なうもので、結果的には被告に情状酌量を与えない場合がある。この事件の解説を読むと、鑑定人は被告に感情移入しているかに見えるのだが。

「妻子五人殺人事件」は自分の妻子5人を殺害した事件。北大路欣也の出た映画の元となった事件ではない。

「ピアノ殺人事件」は階下のピアノの音がうるさいと言うので、母親と娘2人を殺害した事件。集合住宅での騒音が元の犯罪はその後も起きている。抽象的には騒音被害者たちの同情を誘うが、これを読むと被告はかなり問題があるように見える。

「日航機ハイジャック事件」で、大阪発の日航機をハイジャクした犯人は、成田空港への強制着陸の後、取り押さえられた。

「新宿西口バス放火事件」では、むしゃくしゃしていた犯人が止まっていたバスの入り口からガソリンと火を投げ入れてバスを炎上させ、5人殺害、13人に重軽傷を負わせた。

「深川の通り魔事件」では、犯人は母親と3歳、1歳の幼児のほか、通行中の一人を刺殺し、その他2人に重傷を負わせ、人質をとって飲食店に立てこもった。被害者は1歳の乳児を除きすべて女である。

「悪魔祓いバラバラ殺人事件」は、被害者が従兄と妻によって殺害、バラバラにされた事件である。起訴状や鑑定にあった宗教的性格を判決では一切否定し、痴情による犯罪とした。

47XYY男性による反復殺人事件」とは、特異な染色体を持つ者の割合が、犯罪者では一般に比べ非常に高いという研究が外国であった。わが国でその特異な染色体を持つ者が、15年をおいて2件の殺人を犯した事例。

「女子中学生殺害事件」はエリート進学校の高校生が犯した、中学生に対する暴行(未遂)殺人事件。

実際に起きた犯罪の叙述が続いており、気が滅入りそうになる。過去の事件や犯罪一般に関心があれば何をおいても読むべきであろう。

2022年4月17日日曜日

ビッグ・シティ 1963

サタジット・レイ監督、印、135分、白黒映画。

1950年代のカルカッタが舞台、主人公は夫が銀行員、義父母と子供二人で住んでいる。夫の給料では十分な生活ができないので、主人公は外に働きに行こうかと相談する。夫は外聞が悪いように思っているが背に腹は代えられない。義父母は嫁が外に出ることを嫌がった。

面接に行く。合格した。仕事は編み機の販売員である。各家庭を回り売っていく。主人公は成績が良く、社長の覚えめでたい。義父は元教師だったので、かつての教え子たちを訪ねていく。来られた方からすれば物乞いである。夫は内心妻が儲けているのが不愉快で、アルバイトを自分が始めたら妻の仕事はやめさせるつもりだった。ところが自分の勤める銀行が破産する。妻を辞めさせるわけにはいかなくなる。夫が失業したと知った妻は社長に昇給を要求する。

販売員仲間にイギリス人の女がいる。社長は働きが良くないと言って馘にする。そこへやって来た主人公は、仲間を侮辱した、彼女に謝れと要求する。社長はお門違いと反論する。主人公は怒り、その場で辞表を出して立ち去る。建物の入口で夫に会う。夫は社長に別の場所で働く口を捜してもらうはずだった。妻は泣き、事情を話す。夫は理解する。自分を理解してくれる夫に感謝する。こんな大都会だから仕事は他にもあると言って二人は去っていく。

最後の主人公が社長に抗議するところはやや非現実的に見える。かつての支配者であるイギリス人にもインド人は味方するといいたいのか。主人公は理想的過ぎに描かれていると思う。

2022年4月16日土曜日

アンチ・クライスト Antichrist 2009

ラース・フォン・トリアー監督、丁独仏瑞伊波、104分。ウィレム・ダフォーとシャルロット・ゲインズブールが夫婦役で出演。

プロローグ、エピローグを挟んで4つの部分から成る。最初は雪の降るモノクロ場面。夫婦二人は抱き合っている。その間、幼児が窓を開けそこから落ちる。
映画の残りは子供を亡くした夫婦の後悔、それが昂じておぞましい行為に出る妻と、夫の対処である。精神が異常をきたしたかと思われる妻に夫は治療を試みようとする。妻は夫をつなぎ留めておく狂気の所業に出る。夫のすねに穴を開け、そこに丸い砥石を金属製のねじで留めるのである。
更に夫を殺そうとするのだが、夫は逆に妻を倒す。強烈な場面が続くのが夫婦の営みの中で行なわれ、二人の局所は平気で映し出される。もちろん日本の上映ではぼかしである。
ヨーロッパの映画では日本では絶対に映さない、局所を平気で出すが、映画全体が異常な狂気の世界であるから、余計驚いてしまうのである。

チャルラータ 1964

サタジット・レイ監督、印、117分、白黒映画。

19世紀後半のカルカッタ。裕福な家の夫人であるチャルラータは、当時の上流階級の主婦がそうであったように専ら夫に仕え、家に閉じ込められている。主人は新聞発行に熱中しており、妻を顧みることはほとんどない。
そこへ主人の弟の、やや軽薄な感じさえする男が家に来る。文学を勉強していて、チャルラータも同じ関心がある。弟との話しでチャルラータは生きがいを感じるようになる。そそのかされて文をしたためる。後に弟は仕事で家を去る。チャルラータは痛く失望する。
また主人は信頼していた新聞発行の会計担当が金を拐帯して逃げたと知る。打撃ですっかり気落ちする。チャルラータから励まされて気を取り直す。
弟から手紙が来る。それを盗み見た主人は、チャルラータと弟の間に何かあったのではないかと疑心暗鬼になる。映画の最後の場面は主人がチャルラータに対面し、お互いの手が差し出されるところ。

2022年4月14日木曜日

海底47m 古代マヤの死の迷宮 47 meters down: uncaged 2019

ヨハネス・ロバーツ監督、英米、97分。

若い女4人が陸地の底にある洞窟を探検する。そこで古代の遺跡を見つける。しかし洞窟に入りこんで、いついている鮫がいた。鮫から海底で逃げまとう姿が映画の中心である。
洞窟で会った知り合いの若い男は、最初に鮫の餌食になる。一人の女の父親に会う。父親に導かれ、高い崖に囲まれた水上に出る。崖の上まで綱を投げ、それが引っかかって綱を登っていく予定だった。最初に登った女を押しのけ、他の女も綱に捕まるので重さで引っかかりが取れ、落ちてきた女は鮫に食われる。続いて父親も犠牲になる。
残った女3人は再び海の底に潜り、出口を捜す。海底の潮の流れが激しく、これによって一人が死ぬ。残り2人は苦労してなんとか海上に出る。船が見える。大声を上げ救助してもらう。これで終わりかと思ったらその船は鮫を観光で見せる船で回りに鮫が一杯である。女の一人が鮫にさらわれたのでもう一人は救助に向かう。助けた後、自分も鮫に嚙みつかれるが、からくも脱出する。
最後の方の活劇はあまり現実的ではないが、映画なのでひねりを加えたのであろう。

モンスター Monster 2003

ジェンキンス監督、米独、109分、シャリーズ・セロン、クリスティーナ・リッチ主演。

実在の女連続殺人犯を元に、シャリーズ・セロンが演じる。殺人犯には一時期、恋人、友人がいてそれをクリスティーナ・リッチが演じる。
映画は、二人の友情というか感情のからみ合いを描いていて犯罪そのものは副次的である。セロンは娼婦でこれまですさんだ生活を送ってきた。リッチの方は家族があるものの、放浪者に近いセロンとお互いに惹かれ合い、一緒に行動、住むようになる。リッチの家族は反対するが、友人を得られたので、セロンに付いて行く。
生活するためにセロンは車を止めて商売するだけでなく、相手を射殺し現金のほか車などを盗む。これを繰り返していくうちにさすがに二人はお尋ね者として手配される。リッチは最後に警察に協力し司法取引をする。セロンの死刑執行の場面はない。
連続殺人は弁解のしようがないが、セロンの置かれた幼少期からのひどい扱い、人生には同情したくなるだろう。

2022年4月12日火曜日

追撃者 Beyond the Reach 2014

レオネッティ監督、米、91分、マイケル・ダグラス等出演。

マイケル・ダグラスと若者の、砂漠を舞台にした一騎打ち。若者の恋人は都会に立っている。砂漠の案内役をしている若者は、ダグラスを砂漠に連れて行く。ダグラスは砂漠で動く物を見つけ発砲する。近くに行って確かめると、若者の知り合いの老人が倒れていた。間違って殺してしまったのである。
ダグラスは若者に話を持ち掛ける。黙っていれば学校に行く金を出してやろうと、そうすれば恋人に会えると。当初は受け入れた若者だったが、考えを変えるとダグラスは若者に上着と靴を脱げと命じ、砂漠に追放する。焼け付く太陽の下、若者の身体や足はやけどする。若者は老人のすみかを知っていたので、そこに逃げる。ダグラスはダイナマイトで爆破する。ダグラスと若者の砂漠での駆け引き、これが映画の中心である。
映画の最後の方に若者の幻想や、話を完全につける挿話が入っている。

サイキック・ウォリアーズ Doctor Mordrid 1992

バンド監督、米、75分。

地球を支配とせんとする悪の魔術師と、地球を守る主人公モードリッド博士の対決。モードリッドも同様に超能力者である。悪の超能力者は封印してある悪魔どもを蘇えさせる寸前まで行く。しかしモードリッドの抵抗にあい、博物館の恐竜の骨を生き返させ動かす。モードリッドも別の恐竜の骨を動かしで立ち向かう。

おなじみの話である。モードリッドに関心を持つ、警察に協力する女専門家が出てくる。

2022年4月7日木曜日

LAギャングストーリー Gangster squad 2013

ルーベン・フライシャー監督、米、113分。

1940年代末期のロサンゼルスを牛耳るギャング一味を壊滅に追い込むべく、警察の特別チーム」の活躍が描かれる。主人公の刑事は戦後、ロサンゼルスに戻って見ると、ギャングのボス(ショーン・ペン)が支配する犯罪都市になっていた。警官の多くもボスに買収されていた。
主人公は若い女を騙してビルに連れ込んだのを追い、ならず者どもから女を救い、悪漢たちを逮捕する。しかしボスの手が回り、すぐに釈放される。憤懣やるかたない主人公は上司に呼ばれ、ギャング組織を壊滅させる特別チームを編成するよう命令される。釈放された悪漢どももボスによって消された。

特別チームはギャングの経営する酒場や運搬する資金源を次々と襲い、ギャングに打撃を与えていく。当初は敵方のギャングの仕業と思い、敵のボスを虐殺する。並行してボスの女と若い刑事が恋仲になる。到頭、警察の仕業と嗅ぎ付けたボスは警察の一味に復讐を始める。最後は主人公とボスの一騎打ちとなり、ボスをのして逮捕する。

1940年代末期のロサンゼルスが風俗、街が映画の大きな要素になっている。

2022年4月3日日曜日

赤い闇 スターリンの冷たい大地で Mr. Jones 2019

アグニェシュカ・ホランド監督、波・宇・英、118分。

1930年代初頭、大恐慌に苦しむ西欧諸国と比べ、ソ連は順調な経済発展をしていると西側の人間の多くは思っていた。記者のジョーンズは、ソ連経済がどのようにうまくいっているか、それを確かめたくソ連に赴く。ジョーンズを手引きしてくれた記者が暗殺されたと知る。
制約の多い中、ジョーンズは公式の予定から抜け出し、ウクライナに潜入する。そこで見たのは、いわゆるホロドモールで、飢餓で多くの人間が餓死している様であった。子供たちだけいる家で、肉を振る舞われた。その後、自分が今食べた肉は死んだきょうだいの身体であったと知り、吐く。
ジョーンズは事実を報道する必要があると決意する。しかし捕らえられ、もし報道したらイギリスの数人の技師を殺すと脅される。イギリスに戻ってソ連の実情を話しても誰も信用しない。どうすべきか迷っていたが真実を伝えるべきと決断し、活字になる。
主人公のジョーンズは実在の記者。映画の始まりは、豚の群れが映され、原稿をタイプしているオーウェルが出る。オーウェルも作中に登場する。ソ連の実態を動物の話にした『動物農場』の執筆中という描写である。

シンシナティ・キッド The Cincinnati Kid 1965

ノーマン・ジュイソン監督、米、103分、スティーヴ・マックィーン主演。

マックィーンは賭博師で、ポーカーでは街で叶う者のいない腕前だった。好きな女がいてそこの家を訪れた際、両親から胡散臭い目で見られる。もっとも食事の後、トランプを使った手品を見せ、面白がらせる。
街に大物賭博師の男がやって来る。何十年もの長い間、ナンバーワンの座を守ってきた。マックィーンはその大物賭博師に勝負を挑むようになる。
何人かで始め、次々と脱落していき、最後は二人の差しの勝負になる。実はマックィーンに賭けている男は、トランプの配り手にマックィーンが勝てるよう細工をしろと命令する。マックィーンはやっているうちに細工が行なわれていると知る。配り手や指示した男に怒り、自分の実力で勝ってみせるという。配り手を交替させるようマックィーンは要求する。
最後の最後になってマックィーンの勝ちかと見ている誰もが思った。しかし結果は相手の勝ちだった。茫然となり、回りから非難されて賭博場を出る。街のガキからも馬鹿にされた。しかし好きな女が待っており、抱擁する。