2019年11月30日土曜日

ローマ・オリンピック1960 La Grande Olimpiade 1961

ロモロ・マルチェリーニ監督、インスティトゥート・ナッチヨナル・ルーチェ、147分。1960年第17回夏季オリンピック ローマ(イタリア)大会の記録映画。

映画は永遠の都ローマの代表的風景が映し出される。バチカン、コロッセオ、パンテオン、聖天使城などの他、イタリア文明館も映される。昔の映画にはよく出てきた建物である。
選手入場では、日本選手団の時、次回が東京開催と決まっているので、日本が試されると言っている。本作は東京大会を控えているせいか、日本人が良く映る。特にこの映画ではそれまでのオリンピック記録映画にあまり取り上げられていない(そもそもなかったのか?)室内競技が多く記録されている。重量挙げの他、体操も尺を取り日本人選手が良く出ている。

オリンピックの一大種目はマラソンであろう。本作でも最後に長尺で取り上げているが、やはりアベベである。全く無名だったエチオピア人の裸足の走行をカメラは追いかける。まさに一躍英雄になったアベベの栄光の記録が映されている。
最後の閉会式では電光掲示板にTOKYOの文字が浮かび上がる。

次回開催という他に日本が良く取り上げられる理由として次のように勘ぐってしまう。前の戦争でイタリアは当初は枢軸同盟国であった。それに対してオーストラリアは敵国である。それがメルボルン大会記録映画での日本のほとんど無視と、本映画で良く取り上げられている理由であろうかと。全くの妄想に過ぎないと思うが。

2019年11月29日金曜日

美と力の祭典 メルボルン・オリンピックの記録 Rendez-vous à Melbourne 1957

ルネ・リュコ監督、プロダクションズC. S. A.106分。
1956年 第16回夏季オリンピック メルボルン(オーストラリア)大会の記録映画。英語国での開催であるが、フランス語の解説である。本映画も解説が喋りまくる。

機械文明の批判から始まり、人間が復権するのがオリンピックと告げ、開催地のメルボルンの説明、描写が続く。メルボルン在住の選手が各国選手の到来を待っている様子が映し出される。オリンピックを観ようと集まってくる観衆。オーストラリアが白豪主義を取っていた時代なので住民は白人ばかりである。

開会式はエジンバラ公が出席し、開会を宣する。英連邦だからであろう。
選手団の入場、日本は参加している。前大会のヘルシンキから。日本人選手団を映すが何も説明なし。その後、少人数のリベリア選手団は説明が入る。本映画はリベリア選手団に焦点を当てて後からも出てくる。他に選手村を映すときにも日本人選手団は何も説明なし。リベリアは説明が入る。
日本選手に関しての説明は、棒高跳びで失敗し苦笑しているのを、笑うしかないと言うくらいである。後は最後のマラソンでこの時5位になった日本人選手の名(川島)を言う時だけである。リベリアは浜辺で寝ころび休んでいる場面など登場回数は多い。
戦前からのオリンピック映画を観ると、まさにオリンピックは白人だけの大会だと感じる。それがこの頃になると少しは有色人種にも配慮の必要を認めたのか。それもリベリアのように小国で活躍しない国を重点にしている。

室内競技では重量挙げは出てきた。体操はない。この頃は競技種目でなかったのか。最後のマラソンではフランスのミムン、チョコのザトペックが出てくる。

それにしても、国立フィルムアーカイブのオリンピック映画特集では、ヘルシンキ大会の映画はない。パンフレットを見ると「歴代の記録映画の中から厳選された、1912年ストックホルム大会から1998年長野冬季大会までの23作品(22プログラム)を一挙に上映します。」とある。ヘルシンキ大会の映画は大した出来ではなかったらしい。

ロンドン・オリンピック The Glory of Sport 1948

キャッスルトン・ナイト製作、オリンピック・ゲームズ〔1948〕・フィルム、総天然色、138分。1948年 第5回冬季オリンピック サン・モリッツ(スイス)大会(冒頭の40分ほど)、1948年 第14回夏季オリンピック ロンドン(英国)大会の記録映画であり、何よりカラー版、総天然色映画である。戦後初のオリンピックを冬、夏と記録する。夏のロンドン大会が主である。

映画はギリシャから始まる。古代の衣装を着けた女による聖火の点火、男に渡されスイスへ向かう。スイス、サンモリッツ大会の様子は「憎しみなき闘い」(1948)でも記録されており、本作の扱いは長尺ではない。
ロンドン夏季大会では、各競技の記録が主であり、まさにニュース映像を観ているかのようである。この特徴は、国立フィルムアーカイブで続いて鑑賞したメルボルン大会の記録映画も同様で、説明者(アナウンサー)は喋りまくり、どこの誰が優勝したかなどを伝える。

この大会は日本、ドイツは招待されておらず(敗戦国というより過去2回大会中止の責任として)、ソ連も参加していない。戦後間もない頃でアメリカの一人勝ちの感がある。
それにしてもほとんど(全部?)の競技を記録しているかと思うが、体操など室内競技がない。ボートやヨットといった水上競争はあるが。乗馬の障害物競走はドジが多く観ていて面白い。

2019年11月28日木曜日

憎しみなき闘い Combat sans haine 1948

アンドレ・ミシェル監督、チュリコップ、白黒、91分。
1948年 第5回冬季オリンピック サン・モリッツ(スイス)大会の記録映画。

1940年、1944年が戦争のため中止となった、戦後初(夏のロンドンと並ぶ)のオリンピック映画。日本とドイツは招待されていない。韓国がアジア唯一の参加だそうで、建国間もない時期の参加である。
まず近代オリンピックの歴史を振り返る。19世紀末のクーベルタン男爵等の提唱に始まったオリンピック大会の各回の概要が簡単に触れられる。

本映画の特徴は、競技の凡てに入る説明である。軽妙な語り口で直接競技に関係ないところまで喋り、日本では考えられない。それだけでない。途中から説明者の妻と称する女が口出しし、選手のファッションがいいとか、自分にもああいう服を買ってくれなど言い出す。更に記者が会話に入り込み、妻と仲良くなり、夫である説明者がやきもきするといった展開になる。これらのお喋りが競技と並行して進み、もちろんその解説もするのである。先に言ったように謹厳実直な日本では考えられない作りである。

1936年オリンピック映画の製作風景Autour des travaux effectués pour le film des Jeux Olympiques 1936 / Behind the Scenes of the Film about the Olympic Games 1936 1937

ルードルフ・シャート監督、オリンピア・フィルム、白黒、34分。

1936年第11回夏季オリンピック ベルリン(ドイツ)大会の記録映画である「民族の祭典」「美の祭典」に先立って公開された予告映画というか、いかに撮影されたかを記録した映画。
男女二人の説明が英語、仏語で入る。撮影風景のほか、実際のオリンピックの模様も少しは入っている。例えば男子100mの準決勝と決勝など。

世界の若者たち Jugend der Welt 1936年

カール・ユンハンス、ヘルベルト・ブリーガー監督、帝国映画院、白黒、38分。
1936年 第4回冬季オリンピック ガルミッシュ=パルテンキルヒェン(ドイツ)大会の記録映画である。

雪の降る中、開会式に臨むのはヒトラーである。選手団の中にはいわゆるローマ式敬礼をする国がある。戦後では考えられない。日本も参加。日本選手団の入場では先頭の小さい女子が目立った。フィギアスケートでは君が代を曲としてゆっくり滑る日本選手がいた。拍手は少ない。
スキージャンプでは、空を飛ぶ選手と鷲の飛翔が何度も変わりばんこに出てくる。形が似ているからか、少しくどい気がした。

2019年11月26日火曜日

『南原繁 聞き書 回顧録』丸山眞男、福田歓一編、東大出版会、1989

政治思想史家で東大教授、総長を勤めた南原に、教え子の二人の教授が聞き手となり、必要に応じて他も加わった南原の回顧録。

聞き書きは1960年から始まり、断続的に67年頃まで続いた。一高時代から始まり、大学時代、卒業後は内務省に入省する。富山県で郡長を勤める。内務省では労働組合法の立案に携わる。大学に戻り、ドイツへ留学する。戦前の東大の受難時代の回想。ファシズムとの戦い、津田講師事件、教授間の確執が語られる。
戦後は総長に就任、憲法制定問題など。
聞き書きの回顧録の他、戦後の教養教育を教養学部の教員と話し合う(1967年)、南原没後の追悼式の3教授の演説(1974年、岡義武、丸山眞男、福田歓一)が収録されている。

南原自身が分かるだけでなく、昔の東大の事情、また今はない郡長の話など興味深い。

スイス・アーミー・マン Swiss Army Man 2016

ダニエル・シュナイナート監督、97分。

無人島で自殺しようとしていた男は浜に流れ着いた死体を発見する。その死体はガスを出して海に出航できる。男はその上に乗り島から脱出する。
別の浜に到着する。男は死体と思っていたもう一人が喋り出すので驚く。記憶は失っているが二人の間で会話が始まる。いろいろその擬似死体に教えてやる。自分がバスで見つけた好きな女の話になる。擬似死体は超能力的なことが出来、熊の来襲も追い返す。

あの好きだった女の家に着く。小さい娘もいる。女と娘は死体を発見し、身分証明書からそれをもう一人の男と間違える。警察や男の父親もやって来る。父親は死体を見て自分の子でないとわかる。隠れていた男が出てくる。男は死体をどうするかを訊くと共同墓地に葬ると。そんなことをさせないと言い出す。今まで一緒に旅してきた無二の親友だからだ。
男は死体を浜辺に連れてくる。擬似死体はまたガスを発射して海の彼方に去っていく。呆れて見守る人々。

全体におとぎ話的でメッセージ性の強い映画と言えよう。擬似死体の役はハリー・ポッターの俳優が演じている。

2019年11月25日月曜日

仮面の米国 I Am A Fugitive From A Chain Gang 1932

マーヴィン・ルロイ監督、米ワーナー、93分。些細な犯罪で刑務所送りとなった男の人生。

第一次世界大戦から帰還した男は今までの工場勤めに飽き足らなく、新しい仕事を求めてあちこちへ行く。しかしどこでも仕事はない。たまたま声をかけられた者について行く。ハンバーガー店で恵んでくれと連れは頼む。その後、銃を出してカネを出せと脅す。カネを持っていたところを警察がやって来て連れは殺され、男は逮捕される。
刑務所に入れられる。長期間懲役に耐えられず脱走する。警察は追うがからくもシカゴへ着く。仕事を見つけ精を出すので次第に昇進していく。下宿屋の娘に惚れられる。男はその気がなかったが、彼が脱走犯と知っていたのでやむなく結婚する。男は管理職に就くまでになるが、浮気な妻に手を焼く。若い女と相思の仲になる。

男は遂に警察に捕まったが、これまでの男の社会への貢献がある。善処が出来ないか、弁護士その他、彼を支援する者たちの声が世論となる。警察は半年間だけ刑務所に服役すれば、完全に晴れて自由になると約束する。男は恋人と相談し、その条件を飲む。
刑務所に戻る。ところが半年経っても釈放の許可は下りず、その後もだめで、とうとう無期を言い渡される。男は再度脱走する。
かなりの期間が経ってから男の恋人は夜、声をかけられる。あの男である。男は別れを言いに来た、これまで危険で来られず、今後も逃げ続けるしかないと言って去る。

随分、米映画にして暗い終わり方である。当時の警察や司法への批判もあるかもしれない。男が逃げて社会に貢献し出世するあたりは、ユゴーの『レ・ミゼラブル』を思い出す。

2019年11月21日木曜日

女盗賊プーラン(上下) 草思社文庫、2011

インドの田舎に生まれた女プーランがいかにして盗賊になったか自ら語る。また自首するまでの経緯を述べる。その後の刑務所内の生活、及び出所してからは簡単に触れられている。

ともかく読んで驚くのは女に生まれた、それだけでいかに酷い目に会うか、の事実である。いや女が劣等な境遇に置かれているのは世界共通ではないかと言われそうである。
しかし、このプーランは1958年頃の生まれ(頃というのは生まれた時から何も教えてもらっていないため)なのである。今生きていれば60歳くらいで、まさに現代の話なのである。19世紀の話ではない。戦前の話でもない。生きていればと言ったのは更生後、政治家になったが、40歳頃暗殺されたのである。

インドは遅れた国という印象が長い間続いていた。最近は経済成長が目覚ましい。そういう国全体の話でなく、今でも個々の人々の生活を見れば貧しい人も多く、偏見は抜きがたいのであろう。ともかくあまりに理不尽な男達の、勝手気ままな暴力に読んでいて呆れるばかりである。

2019年11月17日日曜日

ユダヤ人のいない街 Die Stadt ohne Juden 1924

ハンス・カール・ブレスラウアー監督、オーストリア:ヴァルタースキルヒェン&ビトナー/モンディアル、91分、無声映画。
架空の国の設定で、ユダヤ人を追い出したらどうなったか、それが元に戻る話。

第一次世界大戦後のオーストリア、ウィーンを思わせる町。戦後の経済の混乱、失業の高まりで人々の間にはユダヤ人が元凶だ、ユダヤ人を追い出せという声が高くなる。
首相は暴動等の防止のために、ユダヤ人追放の法令を提出し、議決される。ユダヤ人は国を出ていかざるをえなくなる。首相の娘の婚約者もユダヤ人であったため、国外に出た。
為替は暴落し、経済は混乱に陥る。フランス人と称する男がやって来て、ユダヤ人を元に戻すよう奔走する。最終的にはユダヤ人は帰って来られるようになる。フランス人とは娘の婚約者が化けていたのである。通貨も上昇し経済は回復する。

比較的最近発見され、復元された映画である。上映の初めにこの復元に関わった、オーストリアの映画アーカイヴに勤める女性の解説が15分ほどあった。
すぐに後のナチスのユダヤ人迫害を思わせるのがわかる。こういう政治的な主題の映画は評価されるのであろう。

エル・ドラドオ El Dorado 1921

マルセル・レルビエ監督、フランス:ゴーモン、108分、無声映画。
山の麓にある酒場エル・ドラドオ、そこの人気踊り子シビラが主人公。心が重い。幼い息子が病気で臥せっている。かつての恋人(元夫)に援助の手紙を書く。にべもない返事しか来ない。元恋人には娘がいる。貴族と結婚させようと親は企む。しかし娘には恋人がいた。スウェーデン人の未亡人の一人息子である。画家志望である。二人はアンハンブラ宮殿で逢引をしていた。シビラは陰で居合わせ、夜9時にまた落ち合うと言っているのを聞く。

元恋人の家では婚約の宴をはっている。シビラはその家に行き、元恋人に面会を申し入れる。全く聞き入れられない。会えず、叩き出される。復讐に燃える。
恋人たちが9時に会うはずである。宮殿に行き、中に入った二人の後ろからシビラは扉を閉めてしまう。出られなくなる二人。婚約の宴は娘が居ず、失敗に終わる。

シビラは朝になって扉を開ける。
宮殿を出た画家は恋人の親のところへ行く。娘との結婚の許可を求める。激怒し、全く取り合わない。その間、娘はシビラの家にいて幼い息子の世話をしていた。実は息子は弟になる。娘が知っている医者に来てもらい診てもらう。医者は栄養をつけ、いい空気のところでの療養を勧める。画家と娘は二人で、山上で生活することにする。幼い息子を連れていく。シビラは息子との別れは辛いが、息子のためと思い辛抱する。
残ったシビラは再びエル・ドラドオで踊る。彼女に恋慕する道化に襲われそうになる。
最後にシビラは短剣で自害する。

大昔の無声映画なので、展開でよく理解できないところがある。

2019年11月13日水曜日

紅い剣士 紅侠 1929

文逸民監督、中国:友聯影片公司、132分、無声映画。
1920年代中国で武侠映画がブームになり、残存しているフィルムである。女主人公が復讐する物語。

主人公の娘は盲目の祖母と一緒に住んでいた。戦争が始まり軍隊がやってくる。早く避難すべきである。祖母は、自分はいいから娘だけ逃げろという。娘はきかない。従兄がやって来て祖母をおぶり一緒に逃げる。避難民で混雑する中、娘ははぐれてしまう。軍隊が娘を捕まえる。台車で運ばれる途中、祖母を背負った従兄を見つける。叫ぶが娘は連れていかれ、群衆に倒された祖母は軍隊に踏み潰される。従兄は何とか逃げた。
軍隊の首領のところへ連れていかれた娘、そこでは何人かの他の娘も囲われていた。抵抗する娘。仙人侠客の白猿老人が現れ、娘を助ける。娘は老人の下で修行を始める。

従兄は知りあいの一家と住み、戦禍が収まったので村に戻る。しかしあの悪人首領は言いがかりをつけ、主人を引き立てる。その娘(女主人公ではない)が代わりになるという。娘は首領のところへ行き妾となる。しかし主人を釈放するとの約束だったが、既にお上に処分の伺いを立てていた。その返事は主人の処刑命令だった。約束が違うと怒る娘。

娘を差し出し、主人も帰ってこないので主人の妻は悲嘆にくれる。従兄といたが身投げを図ろうとしたところ、仙人が来る。主人公の娘は修行を終わり、もうすぐ助けにやってくると告げる。空を飛んで、孫悟空のような衣装の女主人公(紅い剣士)が来る。
紅い剣士と仙人は軍隊へ行き、処刑寸前の主人を助ける。また囚われていた娘も助け、悪徳首領を成敗する。時あたかも隣国と戦火が開かれ、隣国の兵士たちも軍隊を襲ってきた。
助けた娘は従兄といい仲になっている、と紅い剣士は仙人から告げられる。娘と従兄を一緒にさせる。

映画として特に優れた作品でもなかろうが、当時の武侠映画であり価値がある。

2019年11月12日火曜日

テンビ Tembi:A Story of the Jungle 1929

チェリー・キーアトン監督、イギリス:チェリー・キーアトン・フィルムズ、93分、無声映画。
アフリカのジャングルの生態を描いた記録映画と言っていいが、登場人物の黒人家族に旅をさせそこでの経験を記録したという体裁になっている。
アフリカの象、ライオン、鰐、その他の動物類が映し出される。現代の映画でより鮮明な映像を見られるが、無声映画時代としてはかなり撮影に凝った方法をとったそうである。

ハリエット・アン・ジェイコブズ『ある奴隷少女に起こった出来事』新潮文庫 2017

19世紀の前半に北カロライナ州で奴隷だった黒人少女が書いた一種の自伝である。

当時の米南部は奴隷制の時代だった。北部は自由州であって奴隷制はなかった。南部に生まれ育ち、両親もなく祖母を頼みとして育つ少女。主人の医者は何とか隙を見て、少女を我が物にしようと企む。女主人も夫の気を引く少女に恨みを持つ。少女は密かに男と通じ、子供を産む。それが主人の怒りに油を注ぐ。逃亡するしかない。しかし捕まったらどんなひどい目が待っているか。少女は逃亡後、納屋の屋根裏というか、屋根の斜面の下の狭い空間に7年間住む。主人らは北部に逃げたと思い込んでいる。7年後、ようやく機会が出来、北部へ行ける。北部でははるかに恵まれた生活が送れた。逃亡奴隷を取り締まる規則が北部でも適用されて、危うくなる。それも何とか逃げられ、子供や弟との暮らしが可能になった。

本書は19世紀に発刊された際、創作だと思われたそうである。その後忘れられ、ようやく最近になって事実の記録と認められ、広く読まれるようになった。
記述されている境遇は悲惨なものである。しかし19世紀前半の白人による黒人奴隷に対する仕打ちならこんなものであろうという想定内である。

奴隷制度と人身売買は違う。人身売買なら日本だって戦前には公然とあった。非人間な制度を何でも一緒くたにして論じては問題をあいまいにしてしまう。批判も弱くなる。
近代社会、19世紀以降の大国の奴隷制度としてすぐ思い浮かぶのは米国の奴隷制度とロシヤの農奴制度である。ともに1860年代に廃止された。

米の奴隷制度は次の特徴がある。白人による黒人奴隷の支配である。当時の白人は黒人など人間と思っていなかった。だから人間的な扱いを期待できなかった。もちろん当時も善人の白人はいた。本書にも描かれている。
現代でも白人の一部は有色人種(含む日本人)を劣等種族と思っている。公然に言いにくい時代になっているが。そんな偏見を持たない白人もいる。
現代は地球化の時代と言われ、外国人と接する機会が非常に多くなっている。西洋人から不快な思いをさせられた経験を持つ者も多いのではないか。
だから本書は19世紀の米の黒人奴隷制という縁遠い話でなく、身近に感じられるところがあった。白人の読者なら黒人に対して偏見を持ってはいけないと思うだろう。それに留まらない感想を持ってしまうのである。

2019年11月11日月曜日

キング モンゴメリーからメンフィスまでの記録 King: A Filmed Record… Montgomery to Memphis 1970

イーリー・ランドー、リチャード・カプラン製作、コモンウェルス・ユナイテッド・エンタテインメント、182分、白黒映画。黒人解放運動家として名高いマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の記録映画。

人種隔離バスへの拒否運動から、全国で人種差別撤廃を叫び、最後はメンフィスで倒れるまでの記録を残っている映像を組み合わせ作成した。
ワシントンでの有名な「私には夢がある」演説は、映画半ばの休憩の前にあった。全体として長い演説で、私には夢があると繰り返し文句の出てくるところはその途中である。大観衆を前にした演説である。
映画は人種差別の強い南部の運動から始まるが、後にシカゴへ行った際には住民の激しい野次、怒号「ジャングルへ帰れ」などに会う。こんなひどい攻撃は初めてだと言う。
殺された瞬間のフィルムはない。演奏会の練習をしているところへ、キングが襲撃に会い、20分前に死亡したと知らせが入る。絶句するみんな。

キングの葬列はまるで国葬級である。沿道を多くの民衆が埋め、有名人が顔を見せる。
20世紀を代表する偉人の一人の戦いの記録である。

クール・ワールド The Cool World 1963

シャーリー・クラーク監督、ワイズマン・フィルム・プロダクションズ、106分、白黒映画。60年代前半のニューヨークのチンピラ黒人少年の生き様。

黒人が差別や解放を叫んで演説をしている。主人公の黒人少年は、チンピラ集団の中でボスになりたい。それには拳銃が必要である。兄貴分の黒人から銃を手に入れるため、カネが欲しい。
紹介された女の子を好きになる。海を見たことがない、というのでコニーアイランドに連れていく。女の子を見失う。
兄貴分は愛人の白人女と共に殺された。少年は敵方のチンピラ集団とやりあい、ボス格を刺す。後にパトカーが少年宅へやってくる。

記録映画風で、背景にジャズが流れる。当時のニューヨークの一面が流れていく。

2019年11月8日金曜日

三島由紀夫『戦後日記』 中公文庫 2019

三島に戦後日記という名の著作があるわけではない。『小説家の休暇』『裸体と衣装』など多くの作品から、日記に当たるところを集め、歴史順(昭和23~42年)に編集したものである。

三島自身の日常の記録ももちろん興味がある。しかしながら本書は三島の芸術論、演劇論などが特に面白く、別に三島のファンでなくても読む価値は十分ある。評論家として三島がいかに優秀であったか、よくわかる。『文化防衛論』のような政治主張にはついていけない人も本書なら興味深く読めるだろう。
三島の著作を全く読んだことがない者に面白い作品を訊かれたら、本書を推薦してもいいかもしれない。本書読了後、三島の小説を読んだら(作品によっては)本書ほど面白くないと言われそうである。
最近の読書の中でも読む価値があると思った著作である。

ウィリーが凱旋するとき When Willie Comes Marching Home 1950

ジョン・フォード監督、20世紀フォックス、82分、白黒映画。
日米開戦当時、出征を希望するが叶わぬ青年の焦燥、それが巡って思いがけない形での殊勲を立てるまで。

田舎町の青年は真珠湾攻撃による開戦の知らせを聞き、町で一番の志願兵となる。町では英雄扱いにし出征パーティまで開かれる。入隊し訓練を受ける。戦場へ軍隊が向かうと思ったら故郷に帰ってくる。そこに新設された基地に配属される。射撃に長けた青年は訓練係となり、いつまでも経っても出撃命令が出ない。それが何年にもなる。隣家の恋人の弟は太平洋で活躍し、町に凱旋して英雄歓迎パーティが開かれる。青年はもう町では邪魔者扱いである。何度出撃を願い出ても却下される。

ある日、基地から飛び立つ爆撃機の射手が病気になる。代理に出撃命令が出た青年は勇んで乗りこむ。大西洋をイギリスに向かう。悪天候でどこへも着陸できず、燃料切れで飛行機は落ちるはずである。乗組員に脱出命令が出る。青年は眠っていた。起きた後誰もいない機から落下傘で飛び降りる。独占領下のフランスに降りた。仏の抵抗部隊に捕まり、訊問の後、友軍とわかってもらう。抵抗部隊はドイツの新型ロケットの写真を撮る。
それを青年はイギリスに届ける役目を仰せ使う。何とかイギリスに到着、そこでも理解されず散々苦労し、気違い扱いされる。理解してもらえた後、アメリカへ運ばれる。米軍でも説明するものの、疲労困憊した主人公は気違い扱いされる。そこを抜けだし、故郷の町へ帰る。家族や恋人はてっきり脱走してきたものと思い込む。憲兵がやってくる。何とか息子を隠そうとする。軍は説明し青年は重要な任務を果たした英雄であると知らせ、家族や恋人は驚く。
大統領直々に叙勲するというので青年は飛行機に乗り、飛び立つ。

喜劇の約束事が見られる。青年は仏から英に行く際、着付け用で酒を散々飲まされ、それで気分が悪くなっていく。米へ戻っても故郷へ帰っても酒攻めで倒れる。
勝手な思い込みから相手に全然喋らせようとしない人物たち、いずれも映画でお馴染みの展開である。