2018年9月30日日曜日

愛の嵐 Il Portiere di notteまたはThe Night Porter 1974

カヴァーニ監督、イタリア映画、117分、ダーク・ボガード、シャーロット・ランプリング主演。

1957年のウィーン、ホテルのフロントを勤めているボガード。かつてはナチスの親衛隊員であり、収容所で囚人の管理をしていた。
そこへ有名な指揮者の妻としてランプリングが泊りにやってくる。二人とも驚く。なぜならランプリングは収容所にいたユダヤ人で、それだけでなく二人は倒錯的な関係にあった。

ボガードは、今は身分を隠している。元ナチス党員の間で連絡組織がある。自分らの安全を守るためであるが、同時に監視機構ともなっている。
二人は最初、避けあうようにしていた。しかし再び禁断の間となった。元ナチスの組織がランプリングを狙っている。ボガードは彼女と共に逃げようとする。しかし組織が追ってきて・・・。

いわゆるナチスの戦後を扱っているが、むしろ退廃的な雰囲気と離れられない男女の間を描いた映画といえよう。

ドストエフスキー『未成年』講談社世界文学全集第44巻、北垣信行訳 1977

ドストエフスキーが1875年に公表した小説で、『カラマーゾフの兄弟』の4年前、『悪霊』の3年後の公表である。
カラマーゾフと同じく、家庭小説という面が強い。また本作は主人公、未成年アルカージイの手記という形をとった一人称小説である。

私生児で長い間、実の親にほっておかれた主人公がペテルブルグやって来て、自分の家族や同年配の知人たち、あるいは仕事で知った老公爵、あるいはその娘である美貌の未亡人などと知り合う。その中で様々な事件が起き、主人公は巻き込まれていくし、自ら画策するといった行動をとる。

ドストエフスキーの他の長篇小説のような殺人が起こるなどの劇的な展開はなく、その代わりに自分の親や知り合いに対して主人公アルカージイがどう向き合うかに興味を持てる。

ドストエフスキー『白痴』河出文庫、望月哲男訳、2010

1868年に発表されたドストエフスキーの長篇小説。作者は真に美しい人間を描きたく、この作品を書いた。美しい人間とは主人公のムイシュキン公爵を指す。

ムイシュキンは精神病を病み、スイスで療養生活を送っていた。そのムイシュキンがロシヤのペテルブルクへ帰る列車の中から小説は始まる。そこでもう一人の主要人物、ロゴージンに会う。ペテルブルク到着後は、エパンチン家に向かい、そこでアグラーヤ他の三人姉妹に会う。下宿するイヴォルギンに行き、運命の女性、ナスターシャに会う。
ナスターシャにムイシュキンは夜会で求愛するが、彼女はロゴージンと共に逃げてしまう。
その後、かなり長い間がおかれる。この間、ナスターシャはロゴージンの元を逃げて行方がしれないなど事件は起こる。

小説が再開してからは、ムイシュキンが相続した財産を請求する若者たちが来る、その中の一人、肺病病みのイッポリートという青年の思想開陳と自殺失敗の茶番が起こる。
最後はロゴージンがナスターシャを殺し、ムイシュキンはまた精神がおかしくなって病院に戻される。

全体としては恋愛小説の体をなしている。ムイシュキンとロゴージンとナスターシャの三角関係、ムイシュキン、ナスターシャ、アグラーヤの三角関係が小説全体の背景として進行する。
その間、色々な人間たちが入り乱れ、各々自己主張をする。
『白痴』という小説は、ドストエフスキーのどの小説でもそうといえるものの、特に個性豊かな人間を描いた作品という感が強い。あまり思想を前面に打ち出していない。それだけ登場人物の人となりに関心がいく。

クオ・ヴァディス Quo Vadis 1951

マーヴィン・ルロイ監督、アメリカ映画、171分、総天然色。
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シェンキエビチの原作を基にした壮大な歴史劇である。ネロ皇帝時代のキリスト教徒の苦難が背景にあり、キリスト教徒である美女(デボラ・カー)とローマの軍団長(ロバート・テイラー)の恋物語が進む。といっても、ロバート・テイラーはローマ人なので全くキリスト教に無関心で、軍人らしく常に高圧的な態度で臨む。

ネロの暴政、というよりあまりに自分勝手で脳が足りない、善意に解釈すれば無邪気ともいえる態度は映画として観ていて面白い。
最後にキリスト教徒がローマに放火したという冤罪で、闘技場でライオンの餌食になる。デボラ・カーも危うい状況になるが、映画らしく処理している。

こういう映画を観ると、つくづく1950~60年代のアメリカ映画の全盛期というものを感じる。深い思想、難しい理屈でなく、ただスペクタクルな映像でエンターテインメントをつくるといった姿勢はこの時代のアメリカ映画ならではと思う。

2018年9月29日土曜日

夏目漱石『明暗』 大正5年

漱石の絶筆となった小説。

主人公の津田は30歳で会社員、ただ胃が悪く手術の要がある。少し前に結婚している。津田は京都にいる両親からカネを定期的に貰っていた。しかし返す約束を守っていなかったため、両親はカネを送ってこなくなり、津田らは困る。両親と津田の中に立ってカネの送付をまとめた男は津田の妹の夫である。そのため津田の妹、お秀も迷惑な立場になる。

津田の妻、お延は夫が入院する日に前から約束してあった、義理の親との観劇が気になっている。それを察した津田はお延に行ってこいと言う。お延が行くと実は義理の妹の見合いが兼ねられていて、その相手の見定めを頼まれる役目だったとわかる。
津田の妹であるお秀は、勝気な女であり、見舞いに行った兄に対して容赦なく意見を言う。お秀は津田の妻、お延を浪費家と見なしていて好感情を抱いていない。後から病室にやってきたお延の前でも兄に意見する。

津田には小林と言う友人がいる。不快な男と描かれており、津田にカネを要求する。津田は自分もカネがないくせに、この朝鮮へ行くという友人に無理してカネを都合する。
また津田が世話になっている吉川夫人という上司の妻がいる。実は津田はお延と結婚する前、清子という相思の女がいた。しかしいきなり別の男と結婚した。今でも津田は清子が気にかかっている。その清子が湯治に行っている温泉へ、津田も行けと吉川夫人は勧める。病気療養として行く。清子に会い、会話を交わす。

漱石の死によって未完に終わった小説であるが、それでも漱石としては最も長い小説である。病室でのやりとりは日本文学史上で稀有の議論の場になっている。女の心理をよく描いている。

2018年9月28日金曜日

回転 The Innocents 1961

クレイトン監督、イギリス映画、1961年、100分、白黒、デボラ・カー主演。
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ヘンリー・ジェイムズ原作の『ねじの回転』が原作。
主人公は田舎にある屋敷に家庭教師として赴任する。幼い少女と使用人だけの屋敷である。少女の兄は寄宿学校へ行っていたが、素行不良で返される。
使用人から以前、勤めていた男女が不慮の死を遂げたと知らされる。女は自分の前任者である。

主人公は成人の男はいないはずなのに、塔の上で人影を見つける。それだけでなく、窓の向こうや部屋の中に、男だけでなく女も見るようになる。使用人に確かめると、事故死かと思われた男を、前任の家庭教師は激しく恋をしていたので、後追い自殺をしたとわかる。怪しい人影は彼らだった。
幼い兄妹は不審な行動をし、家庭教師には見えている人を見えないというので、家庭教師は彼らが自分をだまし、男と女に操られていると確信する。
それを激しく問い詰めるので、少女は怯え泣き出すまでになる。主人公は男女から兄妹を守ろうとする。まず妹と使用人たちは屋敷から出す。少年と二人になった主人公は、彼を詰問し、操っている男の名を言わせようとする。追い詰め、最後に死んだ男の名を言わせる。もうこれで追い回す男女はいなくなった、と主人公は安心するが、見ると少年は死んでいた。

家のどこかにいる人か幽霊かが主人公を脅かす、古典的な恐怖映画の設定である。
あまりにも主人公が自分の知覚や信念に自信をもっていたので、起きた悲劇とも言える。かつて英米人は自分たちが絶対正しいと信じ、世界を植民地にし、また他国に干渉した。それらの行動に相通じるものを感じた。

ハイテンション Haute Tension 2003

アジャ監督、フランス映画、91分、恐怖映画。
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主人公の女は友人と一緒に田舎のある、その友人宅に行く。
その夜、男が押し入り、一家のほとんどを虐殺する。しかし友人である娘だけは捉えられ、車で運び去られようとする。主人公は殺人鬼の眼をからくも逃れ、友人を助けるため、動き出す車に同乗する。ガソリンスタンドで車は止まる。主人公は店員に警察へ連絡してくれるよう頼むが、その時、殺人鬼が店に入ってくる。今回も主人公は隠れる。殺人鬼はその店員も惨殺する。

殺人鬼は店を出る。主人公は警察に電話する。なかなか理解してもらえない。そういう中、殺人鬼は発車して去ったので、主人公は駐車してあった車で追いかける。
車による追っかけ。見失ったと思ったら犯人の車が後ろから追ってきた。車は転倒。主人公は這い出し、殺人鬼と一騎打ち、運よくやっつける。その後友人を助けだすのだが、友人を恐怖でおおのき、主人公から逃げだそうとする。
また、あのガソリンスタンドに到着した警察が見た監視カメラに店員殺人の場面が出ていた。

最後に映画のからくりがわかる。このからくりはほかの映画でも使われていたので、初めてではない。ただ本作は全体として観ると工夫された映画と言ってよい。フランス映画らしく、あるいは最近の映画らしく、
結構衝撃的な映像が出てくる。

2018年9月26日水曜日

ハネムーン・キラーズ The Honeymoon Killers 1970

カッスル監督、アメリカ、115分、白黒映画。

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1940年代後半に実際に起きた殺人事件の、二人の犯人Raymond FernandezMartha Beckを描いた映画。二人がグルになり、結婚詐欺を重ね、殺人まで犯すようになる。
犯人の名、レイとマーサは映画でもそのまま実名で使われる。映画冒頭に記録のみによって製作されたと字幕が出る。
マーサはかなり太った看護婦である。恋人ができず親の出した交際クラブでレイを知る。ラテン系の女好みの男である。

二人はカネ持ちで男を捜している中年以上の女を見つけ、そのカネを奪う計画を立てる。マーサはレイの姉妹だということにする。騙されたとわかり怒って去る女もいるが、中には疑問が生じ、そのため殺された女も出てくる。最後は幼い娘のいる未亡人の事件。未亡人が妊娠しているとマーサは知り、殺して、更に娘まで手にかける。その後、マーサは警察に通報する。その心の中で何が生じていたかの説明はない。

実際の二人の写真を見ると、死刑になった際、36歳と30歳だったそうだが、男は50過ぎ、女も中年のおばさんにしか見えない。

2018年9月24日月曜日

マーターズ    Martyrs 2007

ロジェ監督、フランス映画、103分、恐怖映画の一種。

1970年代初め、監禁されていた少女が逃げる場面から始まる。
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15年後、ある一軒家に若い女が来る。四人一家を皆殺しにする。かつての監禁の復讐である。女の友人が来る。二人で死体の処理などする。最初やってきた女は自殺する。残った女は地下室で、目隠しされて鎖に繋がれた女を発見する。その女の精神がおかしい。助けてやろうとするといきなりその女の頭が撃ち抜かれる。警察隊のような一味が家にやってきて、女を捕まえる。殺された女が監禁されていた地下室に今度は、自分が繋がれる。

映画の後半はその監禁された女が拷問、といっても殴られるだけと食事を与えられる場面が続く。最後には昇天する。死後を見てまだ死なない、その状態を「殉教者」とみなして数少ない出来事なので、何やら金持ち等が車で集まってくる。全体を仕切る女ボスは死んだ女から何か聞く。映画の最終場面は銃で女ボスが口中を撃ち抜く。

恐怖映画に分類され、中身は監禁映画、殺人映画というべきで残酷な場面が多い。超自然は扱っていない。ともかくよくわからないところが多い映画である。
そういう意味でフランス映画らしい。

2018年9月23日日曜日

キャビン   The Cabin in the Woods 2011

ゴダード監督、アメリカ映画、2011年、95分。

恐怖映画である。最初観ていたら『死霊のはらわた』の再映画化か、と思った。更に他の映画の設定も使っている。まるで過去の映画のパロディ的なものかと思ってしまった。

若い男女5人が山中の小屋へキャンプに出かけ、そこで死霊を呼び覚ます。この辺り『死霊のはらわた』と同じだし、そもそも小屋の外見自体があの映画そのままなのである。

次々と若者たちが犠牲になるのは当然である。それにはからくり、仕掛けがあった。ユル・ブリンナーが出た『ウェストワールド』(1973)と同じなのである。
しかしこの映画の価値は、破滅へと向かうまで、かなり残酷な場面が出てくるが、冷静に観られるし、コメディではないのに面白いと感じてしまうところではないか。