2021年7月31日土曜日

ろくでなし 昭和35年

吉田喜重監督、松竹、87分、白黒映画。

やる気のない、しかし青春のエネルギーのはけ口のない若者4人。そのうち一人が津川雅彦で、川津祐介は社長のドラ息子である。社長の命令で金を引き下ろして歩いている秘書の高千穂ひづるを4人は車に連れ込む。金を取るより何かして気分転換をしたかったのである。後に社長は息子の川津に金が欲しかったら直接言えと命令する。金のある川津にしても、川津にたかって金をせびろうとする仲間もみんな倦怠感であてのない生活を送っている。このうち、津川は高千穂からろくでなしと言われるが、お互い内心惹かれ合うところがあった。世話焼きの姉のように津川に忠告する。あんな仲間と付き合ってはいてはだめだ。自分の会社のアルバイトの世話までしてやる。しかし素直になれない津川はそっけない態度しかとれない。もう川津はこんな付き合いをやめようと言う。金のない、しかも金が必要な仲間は、今度こそ本当に高千穂から金を奪おうとする。しかも拳銃まで入手していた。その男が高千穂から金を奪おうとすると津川は止める。拳銃を出し撃つ。津川は男を轢き、傷を負いながら高千穂と口論する。

2021年7月30日金曜日

ウォーリー Wall・e 2008

ピクサー、ディズニーのコンピューター・グラフィックスによる漫画映画。97分。

題になっているウォーリーとは未来の地球でゴミあるいはガラクタを片付けるロボットである。人類は荒廃した地球を後に宇宙船で飛び立っている。廃墟の建物が並ぶ土地で一人ガラクタの処理をしている。ゴキブリだけが他にいる。そんなところへ宇宙船が降り立った。中から出てきたのは白いロボットでイーヴァという名である。イーヴァは地球に植物の採取に来た。つまり人間が住める土地に戻っているかの調査である。なぜかウォーリーとイーヴァは感情を持っていてお互いを好きになる。この展開では、ウォーリーにしろイーヴァにしろ本当にロボットかと思いたくなる。実は掃除専門の奴隷がロボット化されたのが、ウォーリーではないかと思えてくる。それはともかく後に宇宙船がイーヴァを回収に来る。ウォーリーはイーヴァを追って宇宙船にしがみつき宇宙に出る。宇宙船の中では人間たちが車椅子と同等の機械に乗り運動不足で寝ながらの生活をしていた。船長も同様である。イーヴァは地球から採取してきた植物の鉢を持っているので大騒ぎになる。またドクター・スミスよろしく不正乗船のウォーリーも追われる。植物が地球にある、これは地球に戻れるという意味ではないか!と船長は判断し地球に舵をとろうとした。ところがHALよろしく舵形のロボットは阻止しようと、船長から見ると叛乱を始める。ロボットや住民たちの協力で舵形ロボットをやっつけ地球に帰郷する。

社会批判のメッセージ性が強烈で、宮崎駿も同様だが、最近は社会批判すなわち説教調が受けるのか。

パラダイン夫人の恋 The Paradine Case 1947

ヒッチコック監督、米、114分。グレゴリー・ペックが弁護士役で法廷中心劇。

パラダイン未亡人(アリダ・ヴァリ)に夫の殺害容疑がかかり逮捕される。グレゴリー・ペックが弁護士になる。果たして実際の犯人か。亡夫は英雄的な軍人だったが、盲目であった。映画の中心はペックがヴァリに恋をし、何としてでも無実にしたいという思いに駆られる様である。それには亡夫の自殺か、その世話役の比較的若い男の仕業にするしかない。実際に弁護士が依頼人に特別な感情を持ったとしても、それを隠して弁護に当たるのが普通であろう。ともかく弁護士は被告の無罪を勝ち取るのが目的なのだから。ところが本映画では、ペックは夫人に対する恋情のため、恐ろしく感情的になり、自分の夫人への思いを露わにして裁判の場でも言動する。辣腕弁護士という設定のはずだが、およそ現実的でない。裁判の最後の方になって真相が分かり、ペックは赤っ恥をかかざるを得なくなる。

本映画は「パラダイン夫人の恋」と邦訳されているが、原題は「パラダイン事件」である。観てみるとそれほどパラダイン夫人の恋が中心の話かと思ってしまう。パラダイン夫人演じるアリダ・ヴァリは『第三の男』や『夏の嵐』などでも名が知られている。ただ本作のヒロインはペックの妻(アン・トッド)ではないかと思わせる。世話好きで夫のために口出しなどをする、どこにでもいる妻役である。そういう意味では個性的な役ではないが、最後まで夫を支える夫人を演じている。全然ありふれた役で中心になる女というのは珍しい。映画好きは悪人や奇人をやたらと称賛し、個性的な俳優を持ち上げるのが常なので書いておきたい。ヒッチコックの映画の中であまり評価されていないのは分かる出来ではある。

2021年7月29日木曜日

人生模様 O.Henry’s Full House 1952

ヘンリー・コスター、ヘンリー・ハサウェイ、ジーン・ネグレスコ、ハワード・ホークス、ヘンリー・キング監督、米、117分。O・ヘンリーの短篇5作を映画化。いずれも原作が有名な掌篇の短篇映画化であるから、脚色等の余裕はあまりなく、原作の味を伝えようとしている。話はたいてい知っているので誰がどう演じるかに興味がある。

まず第一話は「警官と聖歌」で、浮浪者(ロートン)が刑務所で寒い冬を過ごそうとするがなかなかうまくいかない。最後はO・ヘンリーらしいどんでん返しで終わる。端役でマリリン・モンローが出ている。当時は端役女優だったから不思議でないが、超有名女優として記憶されているので、観ている者の目に留まる。

第二話は「クラリオン・コール新聞」でこの話だけ映画の前には知らなかった。久方ぶりに会った友人同士。一方は刑事で、もう一方(ウィドマーク)の犯罪を追っている。しかしウィドマークは貸しがあるから逮捕できまいと言う。その借りを返す方法でひねっている。

第三話は「残った葉(最後の一葉)」で、あまりに有名過ぎて映画化しなくても良かったのではないかと思う。この話を知らない者がいるのだろうか。第四話は「酋長の身代金」でこれまた超有名であり、原作の方が坊主のいたずらがひどかった。第五話は超絶有名な「賢者の贈り物」である。O・ヘンリーの有名な話を三つ挙げるのなら、この3~5話になるだろう。この話を読んだ時思ったのは、映画内でも言うが毛ならすぐ伸びるだろう、それから題名がなぜ「賢者の贈り物」になっているかである。後者は以下のように理解している。原題はthe Gift of the Magiでこのmagiを賢者と訳している。マギには色々意味があるようだが、キリスト誕生の際、訪れた東方三博士もマギである。その贈り物が黄金、乳香、没薬であった。キリスト生誕に贈られたように価値がある贈り物、という意味であろう。

2021年7月27日火曜日

悲恋の王女エリザベス Young Bess 1953

ジョージ・シドニー監督、米、112分、総天然色映画。エリザベス女王一世の若き日の映画化。ジーン・シモンズがエリザベスを演じる。

映画の前半は父王ヘンリー八世が妻を取り換える度に、幼いエリザベスは田舎に追いやられたり、王宮に戻ってきたりする。デボラ・カー演じる新妻はエリザベスの味方となった。ヘンリー八世が亡くなる。この後、映画では護国卿の伯父が悪役を一手に引き受け、その弟海軍卿はみんなに好かれ、シモンズ扮するエリザベスが恋する相手となる。ところが海軍卿は未亡人となったデボラ・カーと相思の間柄であり、それを知ったシモンズは弟の新王を働きかけ二人を結婚させる。映画はシモンズが海軍卿を慕うが、叶わぬ恋であり幾度かその恋情を訴えるものの、極端なところまでいかない。映画はエリザベス一世が戴冠するまで。

細部は作り物とは言え、実在の女王を描いた映画なので歴史の制約がある。シモンズは若い日のエリザベスを毅然たる姿で演じている。有名な俳優が多く出ており、観る価値はあるが、起伏はあまりない感じの映画である。

2021年7月26日月曜日

魔獣星人ナイトビースト Night Beast 1982

ドン・ドーラー監督、米、80分。恐怖空想科学映画。

ある田舎町に宇宙人の船が墜落する。そこから出てきた宇宙人は醜悪で、人間を手当たり次第に殺していく。醜い面構えで大きさは人間と変わりなく銀色の服を着ている。光線銃で次々と人間どもを殺していく。町の保安官らは宇宙人退治に出るが、なかなか倒せない。住民に避難を命じる。町長は政治で名を上げるしか考えていない。後に愛人ともども宇宙人に惨殺される。映画の途中で保安官と女の補佐との情事の場面がある。筋には全く関係ない。

映画に求めるものは暴力とエロという。この映画はそれに応えるべく、残酷な殺しやエロで観る者に対するサービス満載である。それらの個々の出来はそれほど良くないが。真面目なSFファンには顰蹙を買うだろうが、世の中ふざけた映画が好きな者も多いので、そういう手合いには向いている。

2021年7月25日日曜日

謎の下宿人 The Lodger 1944

ジョン・ブラーム監督、米、84分。切り裂きジャックを素材にした映画。

1888年のロンドン。女を狙った連続殺人事件が起きて、市民は恐怖におののいていた。下宿を金のため始めた老夫婦の家に大柄の男がやってくる。下宿したいと。部屋を見て屋根裏部屋も併せて借りる。老夫婦の姪は女優で、地方巡業から帰って来て同居する。不気味な下宿人は夜中に裏口から出て帰ってくる生活を送る。医学の勉強で生活が不規則になると言う。その間も女たちは殺されていた。舞台関係の女が標的だった。姪の楽屋に以前いた女優が来て、その帰りに殺された。家に警察が来て姪から事情を聞く。その若い刑事は姪が気にいったようだ。

下宿人の不審な行動は以前からだったが、犯人と思しき特徴も見られた。当初は偶然だろうと一笑に付していた。しかしながら疑いは深まり、女優が殺されているので、姪の身を老夫婦や刑事は案じるようになる。下宿人に初舞台に来てくれと姪は頼む。姪が舞台を終えて楽屋に帰ると下宿人がいた。悲鳴を聞き、警官らが下宿人を追う。追っかけ劇がそれなりにある。最後に追い詰められた下宿人は窓を破り下のテームズ川に落ちる。

昔の映画なのでなぜ殺人を犯したかの謎解きがある。下宿人の弟がかつて女優に破滅させられた、だから女優に復讐するのだと。犯罪に理由を求めるのは映画だからしょうがないのか。これまでの実際の連続殺人犯には殺人の理由などない。しいていうなら殺してみたかった、くらいである。あるいは殺人犯に生まれついていたから、しか言えないと現代の我々は知っている。

2021年7月24日土曜日

アベンジャーズ The Avengers 1998

チェチック監督、米、89分。

イギリスで異常気象が続く。この謎を解明すべく、諜報機関のレイフ・ファインズが派遣される。ユマ・サーマン演じる科学者(兼スーパーウーマン?)と組み真相を探る。異常気象の背後には世界征服を狙うショーン・コネリーがいた。話は諜報員らとショーン・コネリー一味の戦いである。色々面白いしかけが出てきて楽しませる。もちろん全く現実的ではないのだが、それが映画である。公開当時は不入りだったそうだが、その理由は分からないし分かりたいとも思わない。自分が観て楽しければいい。楽しい映画である。

ウィンナー・ワルツ Waltzes from Vienna 1934

ヒッチコック監督、英、81分。

ワルツ王ヨハン・シュトラウスがいかにして『美しき青きドナウ』を作曲したかを自由に描く映画。史実とはかけ離れている。ウィーンの街を駆ける消防自動車、行き先はレストラン。その二階でシュトラウスがそこの娘に音楽を教えていた。相思の間柄である。シュトラウスは父の率いる楽団で演奏を担当している。作曲家志望だが、レストラン(パン屋)の娘と結婚するには、パン屋を継ぎ職人になる必要がある。パン作りの実際を見て曲想が浮かぶ。『美しき青きドナウ』の旋律は近くにいた伯爵夫人にも聞こえ、シュトラウスを励まし楽譜を出版させようとする。父親のシュトラウスは頑固で自分が優れた音楽家と認められているので、息子を全く評価していない。パン屋の娘と伯爵夫人の間でシュトラウスは悩む。伯爵夫人はシュトラウスの父親を演奏会に遅らせ、シュトラウスに指揮の機会を作る。大成功となる。シュトラウスはパン屋の娘に職人になると約束しているので、娘に理解してもらいたい。伯爵夫人はシュトラウスの後を追う。シュトラウスの家で伯爵夫人といるときに、伯爵がやって来た。見つかったらことである。裏口から逃げる。そこでシュトラウスとパン屋の娘を見つけた伯爵は夫人に会い帰る。シュトラウスとパン屋の娘は結ばれるであろう。

いわゆるヒッチコックらしさは全くない。良くある恋愛劇である。ヒッチコックが好んで作った作品ではない。ヒッチコックの作品ということで残っているのか、それを抜きにしても佳作と評価できるのか。人により異なるであろう。

2021年7月21日水曜日

黒猫 The Black Cat 1934

ウルマー監督、米、65分。

欧州で新婚旅行中の二人の男女。列車の箱にベラ・ルゴシが入ってきて同席する。ルゴシは新婦に興味を示す。知っている女に似ているからと。列車が着き、そこからやはり同じ車で新婚夫婦とルゴシは別々の目的地に向かう予定だった。しかし事故が起きる。しょうがないので、新婚夫婦はルゴシが訪ねる予定だった屋敷に同行する。そこの主人がボリス・カーロフである。カーロフも新婦に興味を示す。ルゴシとカーロフは因縁があった。かつて戦争でカーロフはルゴシ等を置き去りにし、自分は逃げてルゴシの妻を奪ったのである。しかもルゴシ夫妻の娘とカーロフは夫婦になっていた。これはルゴシも知らずにいた。新婦はその妻と似ていた。カーロフは新婦を奪い、秘密の儀式の生贄にしようとする。ルゴシが阻止しようとする。新婚夫婦が逃げ出した後、屋敷は爆発する。

ポーの短篇名を使い、映画の最初にもポーの名が出てくるが、内容は『黒猫』と全く似ても似つかない作品である。黒猫と名付けられるのは、映画の途中、カーロフの屋敷で度々黒猫が出てくるからで、それだけである。誰でも知っている名を題に使えば少しは客が入るとの見込みだったのか。

ハロルドとモード/少年は虹を渡る Harold and Maude 1971

ハル・アシュビー監督、米、91分。

少年から成人になりたてのハロルドは母と一緒に住む。自殺(のぶり)が趣味で、いつも自殺しているので母は驚かない。そんな変人のハロルドに結婚相手を捜して結婚させようとする。やってくる若い女たちはハロルドに驚き、呆れる。また霊柩車が趣味でそれを乗り回している。たまたま葬式(知らない人の)で、モードという老婦人を知る。モードも変わっており、人の物(車など)を盗んで勝手に使いなんとも思わない。人生好きなように生きるべきだという哲学の持ち主である。変わり者同士の二人は意気投合し、仲良しになる。最後にはハロルドはモードに結婚を申し込もうとする。周囲は呆れ止めようとする。モードの80歳の誕生日に結婚の申し込みをしようとしたら、モードは薬を飲んでおり、今日中に死ぬと聞かされる。モードの死後、ハロルドは霊柩車に改造したスポーツカーに乗って、崖から車は落ち炎上する。崖の上ではハロルドが踊っていた。

2021年7月19日月曜日

ブラック・サバス/恐怖!三つの顔 I tre volti della paura 1963

マリオ・バーヴァ監督、伊、90分。

三つの話から成る恐怖映画。第1話は「電話」。若い女のところへ電話がかかってくる。自分が陥れた悪人からで復讐すると脅しの電話。恐れた女は知り合いの女、仲は良くないのだが、に電話で助けを求める。女がやってくる。あの復讐者もやって来たようだ。映画は最後の方でどんでん返しがある。もっとも映画では度々みるしかけだが。

2話「ヴルダラーク」は夜、若い旅人の男は途中で死体を見つける。家がある。泊めてもらう。夫婦と幼い少年、更に若い女がいる。父親は悪党ヴルダラークを退治に行ったままだと言う。父親が戻ってくる。悪党を退治したらしい。不気味な家である。父親は孫の少年を連れ出す。後に少年は家に入れてくれと戸を叩く。若い男は女を好きになり、連れて逃げる。廃墟の城のような場所に行く。家の父親やその息子らが来る。不気味な感じは3話中随一だが話が良く分からない。

3話「水滴」、出来心で臨終の女から指輪を盗んだ看護師が被る災難。看護師は貴族の婦人が死にそうだと連絡を受ける。行ってみる。臨終になって死んだ女の指の指輪が目に入る。それを取る。帰宅するが、水滴の音が止まない。最後に窃盗の罰が当たる。

2021年7月18日日曜日

越境者 Il Commino della Speranza 1950

ピエトロ・ジェルミ監督、伊、102分、白黒映画。

シチリアの鉱山が閉山になり鉱夫たちは失業した。そこへフランスに行けば仕事があると言う男がやって来た。その男に金を払い故郷を後にする多くの家族。一人の女は、ならず者の男が途中で待っていて合流する。本土から列車で北上する。実は案内役は詐欺師で逃げるところだった。一旦ならず者が捕まえるが、ローマで騒ぎ出し逃げる。ならず者も追われる。残りの連中は警察に連れて行かれ、即刻帰郷しろと命令される。歩いていく途中で仕事があると誘いを受ける。その農場に行く。仕事を始めるとストをやっている連中が来て、スト破りだと騒ぐ。やむやくそこから出る。もう田舎に帰るしかないと言う者と、あくまでフランスを目指す者たちに分かれる。あのならず者の女だった女は子供を世話しその父親と親しくなる。フランスを目指す。国境でならず者がやって来て女に来いと命令する。しかし女は乱暴なならず者でなく子供の父親と行くと言う。ならず者は父親と格闘し、刺される。フランスに行くため吹雪の山を越える。仏の国境警備隊が来た。どこからと問われシチリアと答えると、去っていく。

2021年7月17日土曜日

甘い夜の果て 昭和36年

吉田喜重監督、松竹、84分、白黒映画。

上昇志向の強い青年を津川雅彦が演じる。百貨店の店員である津川はある飲食店で働く若い女を知る。オートバイに乗せてスピードを出し憂さ晴らしをしている。ある日店に買い物に来た嵯峨美智子演じるバーのホステスを知る。飲食店の若い女を紹介し、バーで女は働く。女は金持ちで実力者の老人(滝沢修)に気に入れられ、マンションに住むようになる。津川はバーに来たアル中もどきの老人の世話をしてやり、その娘である未亡人を知る。未亡人と懇ろになり、結婚して親が経営する製作所を自分のものにする気でいた。結婚の約束をして有頂天だったが、嵯峨美智子から製作所は吸収合併されると聞かされる。絶望する津川。一方津川が世話した女は津川がつれないので、他の男とドライブに行き事故死する。

金が凡て、出世が凡てだという価値観の持ち主の青年はいつの世にもどこにでもいようが、まさに高度成長期只中の日本で、金儲けの機会が多かった社会が影響しているのだろうか。

2021年7月16日金曜日

窓 The Window 1949

テズラフ監督、米、73分、白黒映画。

都会の下町のぼろいアパートに、両親と住む少年が主人公である。よく嘘というか法螺を吹く。それで親に叱られたばかり。夜暑くて寝苦しいので、非常階段で寝ようとする。一階上の方が涼しいのでそこに行って室内の殺人事件を目撃してしまった。翌朝両親に告げるがまた嘘だろうと信じてもらえない。警察に言っても信用されない。親が子供を連れて上の階に謝りに行くので感づかれてしまう。親がいない間、上の階の夫婦は子供を亡き者にしようとする。犯人が子供を追っかけるところが最後の方の見せ所。

全く米映画そのもので、登場人物は信じてもらえそうもないのに、主張をやめない。またみんな自分の思い込み、信念に頑なで他人に耳を貸さない。韓国映画ではないし、昔のアメリカの映画なので子供が殺されるわけはない。最後の方の見せ場もどう展開するかを観る映画である。この映画の父親は極めて理想的に描かれているかのようだが、子供は自分の自慢になるかだけが関心事項らしい。

2021年7月15日木曜日

未知への飛行 Fail Safe 1964

シドニー・ルメット監督、米、112分、白黒映画。

アメリカとソ連の核戦争が起こるか、を扱った映画。まさに冷戦のさなかの制作であり、いろいろ気になるところがあるが、ともかくこういう事態を当時は恐れていたとわかる。キューバ危機の経験を踏まえているのだろう。米ソの軍拡競争の果てに大量の核兵器を共に抱え、何らかのきっかけでいつ核戦争が起こってもおかしくないと考えられていた。

映画は何らの手違いで、ソ連攻撃の使命を受けたと判断した米爆撃機隊がモスクワへの核攻撃に向かっていく。これは間違いであり、いくら中止の連絡しようとしても米本土から爆撃機隊に連絡がつかない。ヘンリー・フォンダ演じる大統領は爆撃機を撃墜すべく命令を出す。失敗する。ソ連とのホットラインで事情を相手側に話す。撃墜してくれと。これもうまくいかない。モスクワが実際に爆撃されれば報復攻撃で全面戦争になる。フォンダはソ連に次の様な提案をする。もしモスクワが攻撃されれば、ニューヨークに核爆弾を落とすと。ソ連側からの連絡が途絶えた。大統領はニューヨークへの核投下の命令を出した。

これほど緊張感あふれる映画はめったにないだろう。しかしながら最も重要な点で、あまりに非現実的である。こちらの手違いの代償として、ニューヨークを核攻撃するから許してくれと米大統領はソ連に言うのである。こんな提案が受け入れられるはずもない、というかアメリカの大統領が自分の国に核攻撃をしかけるなど正気の沙汰でない。自分が相手に迷惑をかけた、自罰するから許してくれなど個人の喧嘩の話である。国家間の戦争に適用できるはずもない。もちろんありえない。これは映画だからこんな展開になっているのである。ヘンリー・フォンダは映画史上、最も狂った大統領を演じている。

実際にはウォルター・マッソー演じる現実主義者の学者の意見とおりの措置がとられるに決まっている。しかしこれは映画である。ありえない「理想」を描こうとした。真珠湾攻撃をしかける日本軍のような野蛮人ではない。アメリカ人は崇高に自己犠牲を払っても、平和のために尽くすのである。アメリカ人の自己陶酔にしか見えない、ええかっこしいは嫌になるほど映画で見せつけられているが、これもその一つである。

2021年7月14日水曜日

殺しのドレス Dressed to kill 1980

ブライアン・デ・パルマ監督、米、106分。

アンジー・ディキンソン演じる人妻は欲求不満を抱えている。通っている精神分析医がマイケル・ケインである。ディキンソンはケインにも挑発するような言動を取る。美術館に行ってある男を会い、その男と一緒にタクシー内で行為に及ぶ。男の部屋で書類を見ていたら性病患者と分かり驚いて逃げる。エレベーターで背の高い女はいきなりディキンソンに剃刀で切りつける。エレベーターが開いた際、血まみれの姿をたまたま見たナンシー・アレン演じる娼婦は驚愕する。見えない扉の陰に殺人者がいると知る。

殺人事件でアレンは参考人となる。警察で知ったディキンソンの息子と犯人捜しをする。アレン自身も背の高い女に襲われる。ケインのところに来ている患者だろうと息子とアレンは見当をつける。カルテを調べに患者然としてアレンはケインのところへ行く。ケインを挑発してカルテを捜す。その時外で監視していた息子は襲われそうになる。あの背の高い女が現れアレンに剃刀で切りかかろうとする。銃声が鳴り女は倒れる。警察によって救われた。犯人は女装したケインだった。後に専門家がケインは性障害で精神に男と女が同居していると説明する。自分が魅力を感じた女をもう一人の人格である女が、殺しに行くのである。映画では最後にヒッチコックの『サイコ』にならった場面が出てくる。

久しぶりの鑑賞で残酷な場面もさることながら、性的な会話が随分多いと思った。

2021年7月13日火曜日

蛇の穴 Snake Pit 1948

リトヴィク監督、米、108分、主演はオリヴィア・デ・ハヴィランド。

ハヴィランドはベンチに座っている。他の女と共に列を作れと命令が来る。訳が分からず、歩いて行くと、門が閉ざされ建物に入れられる。そこにいる大勢の女たち、建物の作りを見て、これは刑務所だと気づく。実際ここは精神病院だった。ハヴィランドは過去の記憶があやふやである。誠実な医師の努力で少しずつ、過去を思い出していく。思い出せない過去がどういうものだったかを追っていくところが映画の中心である。その辺はスペイン映画『オープン・ヨオ・アイズ』に似ている。興味津々で観る者を引き付けていく。ただし最後の種明かしは当時のアメリカの精神分析を支配したフロイト理論によっているので、いっぺんに古さを感じさせてしまう。医師が話す背後の壁にフロイトの肖像がかかっていた。

他に無暗と煙草を吸う場面が出てくる。戦後とは言え、まだ肺癌と煙草の関連が指摘されていなかった時代と分かる。気になったところは、最初の退院審査で尋ねる医師がハヴィランドの眼の前で指を回し続け、きれさせるところや、看護婦がハヴィランドの作家業などくだらないと嫌味をわざわざ言うところである。こんな医師や看護具がいるかと思った。いるかもしれないが。

気になる点を挙げたが、観る者にどう展開していくかを期待させる優れた映画と言える。

2021年7月12日月曜日

クリスマスの休暇 Christmas Holiday 1944

ロバート・シオドマーク監督、米、92分、白黒映画、ディアナ・ダービン主演。

士官学校の卒業の日、婚約者から婚約破棄の電報を受け取った士官。サンフランシスコの婚約者に会いに行くため飛行機に乗る、天候不順でニューオーリンズに着陸する。そこの酒場で歌うディアナ・ダービンを知る。教会のミサに二人で行く。その後、士官はダービンから過去を聞く。ダービンの夫は殺人罪で服役していると。その夫をジーン・ケリーが演じる。映画の中心はこのダービンの回顧の部分である。まず馴れ初め。ケリーはダービンを母に会わす。南部の伝統ある一家の女主人は息子を溺愛し、その欠点もそれ故に愛情の対象である。人間としてダメな男である息子をダービンが直してくれると思い結婚を祝ったのである。ダービンはケリーを盲愛し尽くそうとする。ある日を境にケリーと義母の様子がおかしくなったと気づく。殺人を犯していたのである。警察がやって来る。裁判になる。有罪判決だった。義母はダービンにお前が息子を殺したと宣言する。

士官に話す現在時点に戻る。服役中のケリーが脱獄したと新聞に出た。ケリーは邪心の塊りでダービンを責めるためにやって来た。弁明するダービンを聞こうとしない。拳銃を振り回しているうちに後ろから警官に撃たれる。士官はダービンにこれで自由になったと告げる。

ダービンが真面目な役に取り組もうとした映画らしい。相手役がジーン・ケリーで、いい加減な男を演じている。それが何かケリーの本性を見ているかの気分になる。あまり評判が良くなかったとは観ていて分かるが、ディアナ・ダービンとジーン・ケリーが場違いな感じの役を演じているのは貴重である。

マンハッタンの二人の男 Deux hommes dans Manhattan 1958

ジャン・ピエール・メルヴィル監督、仏、84分、白黒映画。

マンハッタンを舞台にしたフランス映画。フィルム・ノワールというのだろう。国連総会の重要な会にフランス代表が出席していなかった。この理由を探るためニューヨークに支社を置く仏報道機関は記者に調査を命じる。その記者が主人公で、監督メルヴィルが演じている。メルヴィルが選んだカメラマンは評判の良くない男だった。代表と関係ある女たちがいる。女たちを二人で訪ねていく様は黒澤明の『野良犬』を思い出した。捜していた男は死んでいた。ところがここで同行のカメラマンは金と名声のため、とんでもない所業に出る。映画の最後の方は、このカメラマンを何とかしようとするメルヴィルらの苦労である。

筋はあまり面白いものでなく、だからこそ通を自認する者らは評価しなければならない映画らしい。

2021年7月11日日曜日

死霊の盆踊り Orgy of the Dead 1965

AC・スティーヴン監督、米、91分。

ドライヴしていた男女は事故を起こし、墓場で捕えられる。死人たちにである。縛り付けられる。その前で冥府の王といった黒マントの男が女(女王格)に命じて死人の女たちに踊りをさせる。次々と現れる死人の女は裸踊りをする。それなりに死人に躍らせたので、女王は捕えた人間の女を自分のいいようにしたい。おののく女に女王が迫ると、夜が明けて陽が射し王、女王その他の死人は破滅する。

原題をそのまま訳すと死人のバカ騒ぎとなるのか。バカ騒ぎにしろ盆踊りにしろ、集団で何かやるイメージがあるが、実際は死人の女が順繰りに出て露出度の高い、つまり裸踊りをする映画である。観に行く者はエロ映画のつもりで観るだろう。エド・ウッドの原案ということで有名になっている映画である。

2021年7月10日土曜日

帽子から飛び出した死 Miracles for Sale 1939

トッド・ブラウニング監督、米、71分。

主人公は奇術師、というより奇術の仕掛けを考えたり、詐欺を見破ったりする方が熱心と思われる男。その男のところに偶然の成り行きで若い女が助けを求めてやってくる。女の問題点がよく分からない。有名な奇術師の見世物があり、そこに行く。奇術や交霊術をやっている連中も押しかけている。後に有名な奇術師のところに関係者が呼ばれているので、行ってみると殺されていた。犯人は誰か。犯人と思しき男を追うが逃げられる。容疑者の家に行ってみるとこれも殺されていた。更に死体がいつの間にか消えている。

最後は劇場で奇術を主人公がやる。それによって犯人が分かる。奇術が中心であるため、映画の進行中、次々と奇術が現れて、最後の謎解きも十分理解できたか、心もとない。監督は『怪物団』のブラウニングである。

2021年7月9日金曜日

獣人島 Island of Lost souls 1932

アール・C・ケントン監督、70分。ウェルズの『モロー博士の島』の映画化。

主人公の男は難破して漂流の最中、運よく船に助けられる。その船は多くの動物を運んでいた。喧嘩早いので船長と喧嘩し、動物らを下す際に一緒に降ろされてしまう。その動物たちはモロー博士の島に運ばれる。主人公の男はモロー博士から歓待を受け、その島に留まる。何かおかしな人間どもが目につく。実はそれらはモロー博士が獣を人間に変えようと実験した結果で、これまでは中途半端な獣人しか出来なかった。主人公は若い女を知るが、それも博士の成果の一つだった。主人公の婚約者が、相手が着かないので調べて船乗りと一緒に舟に乗って島まで来る。再会を喜ぶ男女。最後には島から逃れるが、モロー博士はフランケンシュタインがたどった同じ運命に会う。

原作は19世紀末の作品で、科学のおぞましい道の一つを描いており、後まで示唆を与える小説となった。

2021年7月8日木曜日

ロミオとジュリエット Romeo and Juliet 1936

ジョージ・キューカー監督、米、125分。普通に鑑賞されているこの劇の映画としては特に古い。

この映画ではロミオをレスリー・ハワード、ジュリエットはノーマ・シアラーが演じている。ハワードは40歳代、シアラーは30歳代である。原作では共に十代という設定なのに、最も高年齢者が演じたロミオとジュリエットと言えるか。共に当時の人気俳優であったが、なぜこのような年齢の役者が演じたか、知らない。

それにしても映画の話でなく、この原作について言うと、シェイクスピア中、特に有名な悲劇であろう。ただし四大悲劇には入っていない。正直なところ、恋人二人の悲劇は手違いから起こったのに過ぎない。余計な深入りをするローレンス神父のせいとも言える。両家がそれほど争っていたように見えない。ロミオを見つけたティボルトがいきり立つと、キャピュレット家の当主は諫めているのである。シェイクスピアの喜劇でThe comedy of errorsという作があるが、本作はThe tragedy of errorsと名付けてもよさそうである。

2021年7月6日火曜日

オペラ座の怪人 The Phantom of the Opera 1925

ルパート・ジュリアン監督、米、75分、ロン・チェイニー主演の無声映画。

パリのオペラ座の歌手クリスティーヌは、謎の怪人の指導を受けている。クリスティーヌはラウルから求婚されるが、歌手としての人生の方をより魅力的に思っている。オペラ座のプリマ・ドンナを交代せよとの怪人からの脅迫がある。無視して興行が行なったら、劇場天井のシャンデリアが落下してきた。

クリスティーヌは仮面をした謎の怪人に導かれ、鏡を通り抜けて劇場地下の怪人の住居まで降りていく。そこで怪人から自由にしてよいが、仮面の下を見てはいけないと言われる。しかし好奇心で後ろから仮面を外すと恐ろしい顔が表れる。ラウルや劇場の連中が怪人を追って地下に降りていく。ラウルと探偵は怪人の計略で溺れるところだったが助かる。怪人を追って群衆がパリの街を駆ける。最後には川へ怪人を落とし寄ってたかって暴行する。

2021年7月4日日曜日

ガボリオ『ルルージュ事件』 L’affaire Lerouge 1866

仏の作家エミール・ガボリオによる長篇探偵小説の第一作。ポーに始まる近代推理小説は英のコリンズと仏のガボリオに受け継がれた。共に長篇探偵小説を創始者である。ガボリオは本作であり、コリンズは『月長石』(1868)が名高い。コリンズの『月長石』は創元推理文庫で昔から読めた。それに比べ、ガボリオは翻訳に恵まれてこなかった。コリンズでも『月長石』以外では『白衣の女』が岩波文庫で出たものの、他の長篇小説は傑作選が出るまで完訳がなかった。ガボリオは更にひどく、戦後では抄訳なのだが『ルコック探偵』(旺文社文庫)くらいが読める本だった。

なぜこうもガボリオ(及びコリンズ)は冷遇されていたのか。推理小説の歴史が書いてあると、その名は必ず言及されている。だから推理小説の愛好家は、名は良く知っていても、翻訳がない。その理由は自分の理解では、「本格」推理小説の偏重という以前の我が国の風潮のせいではないか。本『ルルージュ事件』にしても謎解き、犯人の意外性などはもちろんあるが、他のロマンス的、冒険小説的な要素が大きく、「純粋な」推理小説から逸脱している。しかしこれが19世紀長篇推理小説の主流だったのである。まず犯罪が起きる。その謎解きだけでなく、なぜこんな犯罪が起きたかの過去の経緯が延々と書いてあり、こちらの方が主ではないかと思わせるほどである。つまりホームズで言えば『緋色の研究』や『恐怖の谷』のような形式である。

この小説は田舎で起きたルルージュ夫人という未亡人の殺害事件の謎解きが中心である。探偵はルコックでなく、その師であるタバレ親爺が活躍する。ただし探偵が快刀乱麻を断つように解決する話でない。推理小説的な謎と19世紀ならではの浪漫的要素が一体であり、楽しめる。同時代のデュマは昔から読まれているが、あんな感じである。

本格推理小説を大人になってから読み返したら、理屈は合っているものの、こんなこと実際に可能なわけないだろ、と思ってしまった。別に本格推理小説をけなすつもりはない。色々な楽しみ方がある。かつての価値観で高く評価されなかった、本作のような作品が翻訳されるようになったのは喜ばしい。

太田浩一訳、国書刊行会、2008

2021年7月3日土曜日

ブルース・ブラザーズ The Bruce Brothers 1980

ジョン・ランディス監督、米、133分。

ジョン・ベルーシとダン・エイクロイドの2人が兄弟役で、全編音楽が流れる喜劇で、ミュージカル映画の要素も多く含んでいる。兄役のジョンが刑務所を出所するところから始まる。弟と自分が世話になった孤児院に行くと税金が払えないため、閉鎖の危機にあると分かる。知人の示唆で教会に行く。踊り歌い狂う説教師や聴衆を見ていて啓示にうたれる。バンドを作って稼げばいいと。かつてのバンド仲間を誘いに行く。警察に交通違反過多で逮捕されそうになった時、逃走するのでそれ以降お尋ね者になる。パトカーに追われる車の追っかけは映画の結構な部分を占める。とうとうホテルの会場で演奏会が開かれる。大成功のうちに終わり、金を手にした兄弟は市役所税務課に向けて逃走する。大量のパトカーが追っかける。市役所に着いた頃は、警察だけでなく、州兵なども大量に出動して包囲する。ようやく税を支払い、大軍の警察等に逮捕される。映画の最後は囚人ともども監獄でのロックである。

2021年7月2日金曜日

原爆下のアメリカ Invasion U.S.A. 1952

アルフレッド・E・グリーン監督、米、74分、白黒映画。

アメリカに敵(共産主義国)が侵略し、原爆を大都市に落としていくという映画。ニューヨークの酒場で、記者がみんなに聞いて回る。徴兵制をどう思うかと尋ねる。ほとんどの意見は反対である。そうこうするうちにニュースが流れる。敵国が西海岸に侵攻した。米軍基地を破壊し、原爆を落としていると。みんなは自分の家や仕事に帰る。その先でアメリカに侵攻した敵軍の犠牲になる。記者は若い女と恋人同士になる。放送している最中、女の家(高層アパート)に敵軍兵士が男を連れてやって来る。ニューヨークに敵は原爆を落とす。その瓦礫落下で男と女は巻き込まれたが、無事だった。男は敵に殺され、女は身を投げる。次の瞬間、映画は初めの酒場に戻る。実は敵によるアメリカ侵攻は、魔術にかかったための幻想だった。みんなは改めて防衛の重要性を悟る。

本映画の製作は、朝鮮動乱の最中で、また悪名高いマッカーシズム、つまり赤狩りの只中でもある。だから完全に反共宣伝と防衛の必要を訴える映画となっている。敵国は何回もアメリカに原爆を落とす。ニューヨークにも落とす。RACビルと思しきビルの一部が壊れる場面はミニチュアの模型を使っているが、後は第二次世界大戦中の記録映像の流用である。ロンドン空襲による被害映像を使っているので、英国兵がよく映っている。また神風特攻隊が軍艦に体当たりしようとして撃ち落される映像まで出てくる。原爆も程度のやや大きい爆弾扱いで、日本に原爆投下したアメリカの認識が分かる。紙と木で出来た日本の家屋なら被害が大きいかもしれないが、強固なアメリカの建築なら大丈夫と言っているかのようである。

2021年7月1日木曜日

プラン9 フロム・アウター・スペース Plan 9 from outer space 1959

エド・ウッド監督、米、79分、総天然色映画。

ドジな宇宙人が地球を占領しようとする映画。かつて史上最低の映画と評され、それがこの映画を語る際に必ず持ち出され、有名になっている。しかし観てみると史上最低の映画とはほめ過ぎではないかと思ってしまう。有名だから一見してもいいだろうが、見なくても何ら惜しくない。

この映画の見どころは何だろうか。地球侵略の宇宙人の映画は多いが、この宇宙人が持っている能力は、死人を蘇らせて人類を脅すという他に例を見ないものである。普通は地球よりかなり高度な技術、能力を持っているのに、この宇宙人(普通の西洋人の恰好をしている)は地球の人間と喧嘩で負けるし、これで地球征服など無理だろと思わせる。ゾンビとして蘇った妻が『アダムズ・ファミリー』の母親役アンジェリカ・ヒューストンを初め思い出したが、顔は全然違う。

大怪獣ヨンガリ 대괴수 용가리 1967

キム・ギドク監督、韓国、74分。韓国製の怪獣映画。

新婚旅行先でパイロットの夫に出頭命令が下る。中東で核実験があるそうだ。偵察してこいと。その後、地震が起こり移動して朝鮮半島まで来る。これが怪獣ヨンガリであった。口からガメラのような炎を吐き、角からギャオスのような光線を発し切断する。制作に大映の協力があったからである。子供が活躍するのもガメラシリーズと同様。韓国軍は戦車やミサイル攻撃をしかけるが無力。主人公一家の思い付きで、個人的に開発したアンモニアガスのヘリコプターからの散布でヨンガリは倒れる。国家存続の危機に軍隊は役立たず、私的一家の働きによって救われた。なぜか英語吹き替え版であった。海外に売るための策であろう。