2021年3月30日火曜日

牙狼 Red Requiem 2011

雨宮慶太監督、東北新社、96分。黄金騎士といって、化物を退治する役目の騎士がいる。普段は男だが、戦う際は仁王像みたいに変身する。相手の化物はホラーといい総元締めはカルマという女の化物。相手方との戦いが主な場面になっており、CGの多用で漫画映画を観ているようなものである。続篇がいくつも作られていて、いずれも同工異曲であろう。TVゲームを見ているかのようであり、実際にゲームがあってもおかしくない。監督はかつての『ゼイラム』の監督で、懐かしく思った。 

2021年3月28日日曜日

松本清張『突風』中公文庫、1974年

 短篇集である。「金庫」「突風」「黒い血の女」「理由」「結婚式」「「静雲閣」覚書」「穴の中の護符」の七編が収録されている。題名に採用されている『突風』は、夫の浮気を知った妻が収拾のため、情人のそのまた情人にかけ合おうとする。その後の展開は容易に想像される。その通りになるが、最後はあっけなく終わる。

『黒い血の女』についてはやや詳しく述べる。これは実話を基にした小説である。基になった実話の概要は、犯罪実話を集めた井上ひさし『犯罪調書』(中公文庫)の中にある「入婿連続殺人事件」に書いてある。この題から『黒い血の女』を指すと分かるであろう。井上の文は数ページで『黒い血の女』の要約になっている。清張と井上が同じ資料で事件を知ったか不明である。もしそうなら清張は想像を広げ、会話などを創作したのだろう。更に若干違いを述べると時期は清張の小説では昭和初期になっているが、井上の文では大正末期である。更に人名も例えば東を南に変えるような感じで少し変えてある。ただし小説冒頭にある何々県何々郡何々町は同じである。かつて何々村といったその名も同様である。この見かけない字を使っていた名は地図で調べると、少しは残っているようである。小説の初めの方に「蜜柑畑の段丘を背景にしたこの村の海岸の眺めは美しい」とあるが、今地図を見ると海岸は埋め立てられ工場地帯になっている。タンクなどが並んでいる。経済成長期に日本のいたるところで見られた風景の変更がここでもあった。時代の移り変わりを感じる。

『「静雲閣」覚書』は、かつてお城だった屋敷を東京の者が買う。その男が語る屋敷にまつわる過去。封建時代の遺制で、近代になっても主従関係から悲劇に陥った男の話である。これを読んで内容は全く異なるが『尊厳』を思い出した。皇族視察の際、緊張で道を間違えた先導役の警官の話である。共に今では考えられない慣習や思考が生み出す悲劇という意味で。『尊厳』は元の実話があるようだが、『「静雲閣」覚書』はいかにも清張的な話なので創作に思える。

最後にある『穴の中の護符』は半七捕物帳の枠組みをそのまま使った作品である。不思議な出来事、女芸人が出てくるなど元の捕物帳を彷彿させる作りになっている。なぜ清張がこの作品を書いたか。きっかけは何だったか、捕物帳の名作である半七捕物帳の話を自分でも書いてみたかったのか、あるいは外的な事情があるのか。解説ではその辺の事情を明らかにしてほしい。また解説で、発表年代を大まかにしか書いていないが、それぞれの作品の発表年、掲載媒体を明記すべきである。この文庫と限らない。こういった基礎情報を何も書かず、解説者の読書感想文など書いていてもしょうがない。読者が判断する事である。インターネットで調べても分からない事柄について書いてほしい。

2021年3月27日土曜日

なぜジョージ・セルはあれほど人気なのか

 指揮者ジョージ・セルが20世紀の偉大な指揮者の一人であることは誰も異存はない。しかしながら昨今のセルの人気はどうか。セル=クリーブランドが超人気であることは、日本のクラシック・ファンの常識である。熱狂的ともいえる人気ぶりである。20世紀最大の指揮者と評価している人も多いようである。その原因はどこにあるのか。

再度断っておくと、セルが優れた指揮者である点については全く反対するつもりはない。セルの指揮は端正であり、正攻法、楷書的でまさに音楽そのものを説得的に再現する。音楽を鑑賞するには極めて望ましい。そのセルが評価されるのは当然である。しかしながら、昨今のセル・ファンの文を読むと、熱狂的に傾倒し絶賛の言葉が書き連ねてある。他人がどう演奏家をほめようがとやかく言う筋合いでないと言われそうである。反対しているのではない。この超人気の理由を自分として知りたい。以下は自分の理解である。

最近のセルへの熱狂ぶりを見ていると、かつての指揮者、カルロス・クライバー、カール・ ベームの人気を思い出す。カルロス・クライバーはさておいて、ベームへの人気ぶりにやや似た所を感じる。ベームもセルも熱狂的なファンが多くつくとは自分は思っていなかった。もっと落ち着いた大人に人気がある指揮者という印象である。なぜベームはあれほどまでに日本で人気があったのか。ベームがウィーン・フィルと共に来日した時の演奏を聴きに行った。記憶として残っているのはどんな曲目だったか、演奏はどうだったかではない。演奏が終わるや否や、興奮した聴衆が舞台に駆け寄って、いわば押し寄せてきたのである。自分たちの興奮を伝えたかったのであろう。呆れて見ていた。アイドルも顔負けであった。

思うにカラヤンの対抗馬としてベームが担ぎ出されていた影響ではないか。当時、帝王カラヤンはクラシック・ファンのみならず一般的にも知られていた。クラシック・ファンたるものカラヤンなぞ評価していては沽券にかかわる。そう思っている人が結構いたようだ。クラシック音楽に造詣のある者ならカラヤンでなく、ベームを評価している方がもっともらしく見えると。当時非常に影響力のあった某評論家がカラヤンを「実力以上の人気」とけなし、ベームを持ち上げていた。この評論家にいたく心酔し、盲従追随していたクラシック・ファンが多かった。これも影響していると思う。カラヤンが死んで30年以上経つ。もしカラヤンの人気が表面的なものにとどまっていたら今頃消えていたはずだ。しかしベームの方が、かつてほどの人気がなくなっている。ベームが日本では実力以上の人気だったように見える。

さてセルの問題に戻る。セルが熱狂的な人気を得るようになった原因を探っていた。それがセルの日本公演の記録CDLIVE IN TOKYO 1970」の解説書を見て分かったような気がした。音楽評論家吉田秀和が次の様に書いているのである。「ジョージ・セルは今世紀で最も高潔な指揮者ではなかったろうか?」その後もセルの絶賛は続き、最後に大阪公演の「英雄」の出来をこの上なくベタ褒めしている。何しろ文化勲章を受章した、最高に評価されている評論家なのである。その評論家のお墨付きをもらえればどれだけ絶賛しても構わない。

それにしても昔宇野、今吉田と日本のクラシック・ファンは評論家に極めて影響されるらしい。

2021年3月23日火曜日

宇宙大怪獣ギララ 昭和42年

 二本松嘉瑞監督、松竹、88分、松竹が作った唯一の怪獣映画。

世はあげて怪獣映画ブームの時代であり、東宝、大映に続けとばかりに松竹も制作したのがこの作品である。名前の通り、宇宙からの怪獣で、それも宇宙ロケットが採取してきた謎の物質が怪獣になったのである。その姿は鶏から来たのか、足跡は鶏のまま、全体の体形も鶏に似ているところがある。街を破壊しつくすギララ。エネルギーを食べ大きく狂暴になる。ギララに対してはいかなる在来兵器も歯が立たない。これは東宝の怪獣などと同様である。最後の手段、宇宙から来たのだから宇宙に帰すしかない。そのギララを包む特殊液を月まで行って作る。ようやく出来た液を投下しギララを縮小、液体化させる。それを宇宙へ飛ばす。

特色としては外国への売り込みを考えて外人2人を登場させ、特に女の登場人物は出番が多い。更に松竹的と言うか、その外人女と日本人女共に、機長に恋するという設定して恋愛要素を持ち込んでいる。出来は大絶賛とはいかないが、怪獣映画なんてこんなものではないだろうか。

2021年3月22日月曜日

この天の虹 昭和33年

 木下恵介監督、松竹、106分、総天然色映画。

当時の九州、八幡製鉄所を舞台にして、そこでの恋愛、若者の希望などが描かれる。まるで八幡製鉄の宣伝映画かと思う始まりである。延々と八幡製鉄所の説明が続く。説明というより宣伝である。「~が完備されている」などといった言い方である。紹介される中で、八幡製鉄の設備より、よほど福利厚生施設の充実に感心してしまう。当時これだけ福利厚生施設に恵まれている企業はどのくらいあったかと思ってしまう。スーパーマーケットもあり驚く。スーパーと地元商店の問題が背景の成瀬巳喜男『乱れる』は6年後の映画である。更に病院もあって事故を起こしたら治療が受けられる。この頃はまだ国民皆保険の前で、治療は自前の時代である。製作当時本映画を鑑賞した日本人には『この世の天国、八幡製鉄』と思った人がいたはずである。

映画の実質的な主人公は映画初出演の若い川津祐介で、新人の工員である。尊敬する先輩(高橋貞二)が久我美子に求婚するが断られる。これに納得がいかず怒る。その久我はエリートの田村高廣を内心好いている。しかし田村はあまり気のない態度しかしない。川津は久我を問い詰めるのである。自分の尊敬する高橋と結婚してくれなくては自分の夢が叶わない、と意味不明な文句を言う。自分の好きな相手に触れられてもまだ諦めない、ならまだ分かるが自己満足のために結婚を他人に迫るのである。川津は入社しても夢がないと思っている。ただ映画の中でも言われるように何百人に一人しか入社できない企業で、当時としては川津は超エリートなのである。久我は後に田村がブラジルに赴く前に求婚される。映画の描き方は何となく久我が後ろめたく思うような感じである。当時は貧しい時代で左翼思想が強く、エリート対労働者では労働者側につかなければならなかった。木下にしろ黒澤にしろ左翼映画と言える映画を作っていた時代である。田村はブラジルへ製鉄所建設のために派遣されるわけであるが、実際にブラジルに日本の協力で製鉄所建設が始まった頃である。またブラジルへ移民が多く渡っていた時代である。ブラジルに赴任とは今と全くイメージが違い、ロンドンかパリに行くようなイメージである。今観るとていろいろ思わせる映画である。

2021年3月21日日曜日

魔の家 The Old Dark House 1937

 ジェイムズ・ホエール監督、米、72分。

嵐の夜、車が立ち往生したので乗っていた三人(夫婦と友人の男)は、そこにあった屋敷の扉を叩く。出てきて対応したのは不気味な感じの中年男。泊めてもらうことにした。屋敷の住人は、男、その姉という老婆、更に召使いか執事かボリス・カーロフ演じる大男。後から嵐の難を逃れた別の男女二人が避難してくる。不気味な雰囲気の中で食事が始まる。避難してきた者たちの間で恋愛が始まる。二階が怪しい。そこには狂人の兄が匿われていた。

夜の間、それらの男たちとの戦いがある。そして夜が明ければ解決し、好き合った者同士は去る。古典的映画であり、後の同様な枠組みの映画のもとになった作品らしい。ただそういう映画史的な興味を除けば単純に映画を観ている限りではそれほど面白い作品でない。

2021年3月19日金曜日

大川周明『安楽の門』 昭和26年

 思想家大川周明(明治19~昭和32年)の自伝である。初めに「安楽の門」とは宗教を指し、宗教的生活の回顧であると言っている。戦後の大川の印象と言ったら、民間人なのに戦争思想の鼓吹で極東軍事裁判にかけられ、ただし裁判中、前の席の東条英機の頭を叩き、精神異常で不起訴になり釈放された右翼思想家といったところか。ただし戦前はその盟友であった北一輝以上に名の知られた存在だったらしい。

執筆当時に近い、精神病院に収容されていた頃の思い出から始まる。精神病院でも安楽に暮らせると言っている。また拘置所で世話になった者を記している。一般的に本書は大川が尊敬した人物の名が良く出てきて、どう影響を受けたかの記述が目に付く。西郷隆盛、押川方義、八代六郎、頭山満などである。偉人を議論する場合、その業績、この大川のような場合は思想によって判断されるのであろうが、一人の人間としてどのように生きたかは同様に興味が深い。

近代日本思想大系第21巻、筑摩書房、1975

2021年3月18日木曜日

呪いの家 The Uninvited 1944

 ルイス・アレン監督、米、99分、白黒映画。

イギリス、コーンウォール地方の海岸近くに立つ屋敷。旅行でやって来た兄と妹はその家が気に入り購入して住むようになる。しかしいわくつきの家で怪しい声が聞こえる。幽霊が出る家なのである。元の持ち主の老人に事情を聞こうとしても無駄だったが、そこの孫娘は協力的だった。家に招く。元々その娘が住んでいた家である。母親は亡くなっている。その死はやや謎である。屋敷に来た娘はいきなり崖の方へ走り出す。男が止めなかったら、海に落ちて死ぬところだった。これには死んだ親の霊が関係あるらしい。娘に恋した男は、妹ともどもその謎を解明していく。最後は謎が解け、幽霊は出なくなり、男は娘と結婚する。

2021年3月17日水曜日

シグナル100 令和2年

 竹葉リサ監督、松竹、88分。

高校を舞台にした怪奇映画。教師があるDVDを生徒たちにみせる。内容は意味不明の映像が続くだけ。実はこれは見た者は催眠をにかかる。その催眠によって、ある事をすると自殺衝動が起こり、実際に自殺するという効果がある。携帯をかけようとしたり、外部に知らせたり、泣いたりなどをすると自殺する。自殺を起こさせる事が100もあり、これがしてはならない禁止行動になる。催眠を解けるのは、他がみんな死んで最後に残った者だけだという。してはならない行為がどんなものか教師は例示以外、教えない。こんなことをするのはしょうもない生徒たちを罰するためだという。次々と生徒たちは奇怪な方法で自殺していく。教師自身も自殺した。ともかくこういう滅茶苦茶な設定の映画である。真面目に観る映画ではない。

主演は元アイドルの人気女優橋本環奈である。最後に残る者が助かると映画の初めの方にあり、これを聞くと誰かになるかすぐに分かる。主人公が映画の途中で自殺してしまえば新規なつくりになるのにと思った。それにしても、最近は『バトル・ロワイヤル』や『悪の経典』や『リアル鬼ごっこ』シリーズなど、どうしてこうも若者がひどい方法で死んでいく映画が多いのだろう。

2021年3月16日火曜日

サイレント・ナイト 悪魔のサンタクロース Silent Night 2012

 SC・ミラー監督、加、米、94分。

田舎町で起きる連続殺人事件、それもクリスマス・イヴに起こる。町はクリスマスのパレードなど騒ぎの最中。犯人はサンタクロースの衣装をしている。町中サンタの衣装を着た男が一杯である。主人公の女警察官は事件の現場を次々と周り、調べていくが手遅れになる。間違えた男を逮捕する署長。何と言っても本映画の特徴はその殺し方が残酷極まるところである。斧で身体を斬ったり、火炎放射器で相手を丸焼きにする。残酷な場面が多く出てくるところが特徴の映画である。

2021年3月14日日曜日

デッド・ゾーン Dead Zone 1983

 クローネンバーグ監督、加、103分。

クリストファー・ウォーケン演じる主人公の教師は同僚の教師と間もなく結婚する予定である。ある雨の日、恋人を送りその帰り道でタンクローリーに衝突する。目覚めてみと5年も経っているという。かつての恋人は他の男と結婚していた。いたく消沈する、ただそれだけでなく、自分に新たな症状が出ていると気づく。人の心が読めたり予言ができるようになっているのである。その者の手など身体に触ると分かる。この特殊能力を使って犯罪事件の捜査にも協力する。人と付き合わない生活をしていたが、ある日やって来た男の相談にのる。子供が自閉的なので治して欲しい。子供と会い、仲が良くなる。子供の事故の予想をして助ける。上院議員候補と会い、その手を触わる。将来大統領になり、核ミサイルを発射する男と分かる。今のうちに阻止するため候補を亡き者としようとする。演説会に乗りこみ射殺を図るが失敗し護衛に撃ち殺される。候補は自分の身を守るため、子供を抱えて防ごうとしたためマスメディアに載り、完全に政治家としての信用がなくなり自殺する。

朝を呼ぶ口笛 昭和34年

 生駒千里監督、松竹、61分、白黒映画。

新聞配達で高校へ行くための費用を稼いでいる少年とそれを取り巻く人々の物語。主人公役は加藤弘がやっており、加藤は連続テレビドラマ『まぼろし探偵』の主役をしていた。この映画の後だそうである。加藤の家は父親が事故で稼ぎが出来なくなり、高校へやる余裕がない。それで自分で金を作り夜間高校に行くつもりでいた。ところが母が病気になり、胆石と分かり手術が必要で一万円かかるという。加藤はやむなく自分の進学用にためていた金を母の手術代として差し出す。加藤の先輩格で田村高廣が出ており、大学の二部に通い、卒業後は就職してバスガールをしている恋人と一緒になるつもりだった。しかし田村は面接に落ち、恋人との将来を危ぶむ。加藤が配達している家の中で吉永小百合の家から新聞が届いていないと苦情が来る。加藤は入れた筈だと思い、誰かが盗んでいるのではないかと待ち伏せする。すると吉永の飼っていた犬が新聞をくわえて持って行ってしまっていたと分かる。

加藤は高校へ進学出来ないのに悩む。先輩の田村は誤解してなぜ高校へ行かないのか、新聞配達を辞めて町工場に勤める気になったのか、加藤を問いただすが、後に理由を知る。それで自分の本を売って加藤の資金の足しにしたいと思い、また新聞配達の仲間たちもカンパを出す。これを加藤に渡し、また高校進学が叶うようになる。田村は自分が一流会社に落ち、秋田の鉱山へ行くしかないので、恋人とその兄の前で自分は一人で行く、恋人は新しい人を見つけてくれと言って去る。しかしその後、兄や来て話し、また恋人も秋田に連れて行ってと頼む。

貧しい中、助け合って生活していく様子が見られる、かつての日本を描いた映画。吉永はそれほど出番はないものの、後の大女優なので本映画の紹介の際には必ず紹介される。本作は吉永の映画初出演だそうだ。

2021年3月13日土曜日

デューン/砂の惑星 Dune 1984

 デヴィッド・リンチ監督、米、136分。

何万年先、宇宙を舞台とした空想科学映画で、難解な筋である。大まかには敵と味方が争う映画である。その原因は貴重な香料で、宇宙でここだけが算出するという星、アラキス、別名デューンが題名になっている。後にリンチ作品の顔というかよく出るカイル・マクラクランの初登場作だそうだ。このマクラクランが実質的な主役でプリンス役といってよい地位である。

元々長篇の原作を2時間強の映画にしたため、普通に観ていると筋が追えない。映像そのものを見る映画と言える。全体に暗い色彩で、難解さは商業的な失敗につながったが、そのためカルト的と言える映画になり、ファンが多いようだ。個々の場面を観ていると、後の空想科学映画に影響を与えたと分かる。映画中に出てくる巨大な砂虫は、同じ年に公開された宮崎駿監督の漫画映画『風の谷のナウシカ』の王虫と同じような造形である。

2021年3月10日水曜日

原子怪獣現わる The Beast from 20,000 Fathoms 1953

 ユージーン・ルーリー監督、米、80分、白黒映画。怪獣映画の走り、翌年の『ゴジラ』にも多大な影響を与えた。

北極の核実験の影響を調べるため調査隊が派遣される。吹雪の中、隊員の一人は恐竜を目撃し、崖から落ちる。動けなくなったので救助を求める。来た学者は見つけるが自分も恐竜を見、雪崩で埋もれそうになる。更に救助隊が来て学者のみ助かる。学者は米の病院で自分の見た恐竜の話をするが誰も信じてもらえない。古生物学の権威に会いに行く。古生物学教授も恐竜が生きているはずがないと言う。女の助手が学者に自分は信じると言い、恐竜の絵を沢山見せてどれが似ているか問う。学者が指した絵があった。他でも恐竜を見たという船乗りからの報告があったが、やはり信じてもらえず気違い扱いであった。その中でカナダの船乗りの所まで行き、連れてくる。船乗りが選んだ恐竜もやはり学者と同様であった。これらを古生物学教授に話し納得してもらい、何らかの措置を当局に頼むがなかなか理解は難しい。怪獣を調べるため潜水艇に乗り、古生物学者は海底近くまで行くが怪獣にやられる。

そうこうしているうちに、怪獣は船を沈め、灯台を破壊する。ニューヨークに上陸し、建物破壊や人の殺傷など怪獣映画的な場面になる。バズーカで傷つけるが、その血は有毒であり人を倒れさせる。最後はコニーアイランドで、アイソトープ弾を撃ち込み、殺す。

π pi 1998

 ダーレン・アロノフスキー監督、米、白黒映画。

主人公はオタクを絵に描いたような人物で、うちこんでいるのは数学である。世の中の凡て、数学で表せるという考えの持ち主である。アパートの部屋に閉じこもり、自作のコンピューターを使い色々な計算をしている。喫茶店で同じユダヤ人を名乗るよく喋る男と知り合いになる。また株屋の女からしきりに電話がかかり、会いたいと言ってくる。近くの部屋に住む幼い少女と知り合いである。ある日コンピューターがおかしくなったのか、多い桁の数字を打ち出す。てっきりシステムの故障と思って打ち出しを捨てる。しかし後にその数字が極めて重要と分かる。彼の師である数学者からヒントをもらう。株屋は最新の高性能チップを貸してくれるがそれは彼から株の予想を引き出すためだった。追われて逃げる。更にユダヤ人の友人を通じて、ラビの前に連れて行かれる。長い桁の数字はユダヤ教の古代の神殿で唱え、至福の時代を呼び寄せる数字であり、教えろと迫られる。

主人公は幼い時、太陽を見つめて目を痛め、今は頭痛の持病がある。それがひどくなり、ついには頭に電動ドリルで穴を開けようとする。場面が変わって、知り合いの少女と一緒にいて以前なら計算できた複雑な計算が出来なくなっている。

イギリスから来た男 The Limey 1999

 スティーヴン・ソダーバーグ監督、米、89分。

中高年の男が飛行機でイギリスから米カリフォルニア州にやって来る。服役していた。その間、娘が死んだ。事故死と言われていた。その真相を探りに来た。ボスのような男がいる。その男が関与しているらしい。調べ回る。最後にその邸を襲撃する。用心棒、手下は片付ける。男を追い詰め、娘の死の理由をただす。娘は男と一緒にいて男の犯罪を警察に通報しようとした。止めようとして、はずみで娘は死んだ。事故死に見せかけた。男はそのままにしておいて、真相が分かったのでイギリスに帰る。

2021年3月3日水曜日

アンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』 Magpie Murders 2017

 

古典的な構成の推理小説の体裁をとる。田舎の屋敷で起きた事故または殺人の、典型的な探偵に見える登場人物が謎解きに挑む。もっとも下巻ではその小説を担当する編集者の話になる。つまり上巻の小説の結末が紛失し、捜していくうちに事件に巻き込まれる。上巻の小説の外側の世界になるのである。小説の作者が下巻で死亡し、その死に不審なところがあって編集者である素人探偵の語り手の物語になるのである。二つの世界の謎解きがあって構成的には凝っている。

推理小説だからこんなものだろうと思う出来である。感激する人もいればあまり評価しない人もいるであろう。

山田蘭訳、創元推理文庫、2018

2021年3月1日月曜日

ニーチェ『善悪の彼岸』 Jenseits von Gut und Böse 1886

 

まさにニーチェならではの箴言に満ちた書。本著は『ツァラトゥストラはかく語りき』がほとんど話題にならなかったので、その内容を言わば「普通」の論を進める形式で書いた本だそうだ。善悪の彼岸とは従来からの善悪といった常識的な判断基準を乗り越えたところにニーチェの主張があるからだ。もちろん常識を批判するだけの書ではない。哲学者としてのカントの認識それ自体のとらえ方を初めとして、西洋哲学のこれまでのあり方を批判している。

素人が読んでいて面白いのは女やエリートなどを論じたところであろう。現代の人権感覚に照らして大問題の記述が多く、それが痛快とも言える気分にさせる。

中山元訳、光文社古典新訳文庫、2009

世界怪奇実話集 屍衣の花嫁 平井呈一編訳、創元推理文庫 2020

 

以下の怪奇実話が収められている。

I「インヴェラレイの竪琴弾き」、「鉄の檻の中の男」、「グレイミスの秘密」、「ヒントン・アンプナーの幽霊」、「エプワース牧師館の怪」、「ある幽霊屋敷の記録」、II「死神」、「首のない女」、「死の谷」、「女好きな幽霊」、「若い女優の死」、「画室の怪」、「魔のテーブル」、「貸家の怪」、「石切場の怪物」、「呪われたルドルフ」、「屍衣の花嫁」、「舵を北西に」、「鏡中影」、「夜汽車の女」、「浮標」、III「ベル・ウィッチ事件」

実話であるため、小説のようなびっくりする話が入っているわけではない。ただ本集は全く小説みたいに書かれている。実話だから報告書風かと思い込んでいたら、会話や人物の心の動きなどが書いてあり、どうして分かったのかと思ってしまった。

先にびっくりするような話でないと言ったが、どこにでもありそうな話と言ってもよい。例えば初めの方は古い城だか館で不思議な音がするとか、幽霊もどきが出てくる、といった話なのである。おかしな音がするとは集合住宅に住んでいれば誰でも経験する。子供か何かのバタバタ走り回る音でない。不思議な気味の悪い音が夜中に聞こえてくる、など珍しい経験でない。だから本書に他にない怪奇話を求めると拍子抜けする向きがあろう。こういう西洋の話好きとか編者のファンが多いらしいので、そういう人向けである。

元々、昭和34年に東京創元社から出された世界恐怖小説全集の一巻として出されたそうだ。

キャプテン・マーベル Captain Marvel 2019

 アンナ・ボーデン&ライアン・フレック監督、米、124分、マーベル漫画の実写版映画。

女主人公ヴァースはクリーという星の防衛部隊の隊員。以前の戦闘で記憶を失っているが、腕から光線を発射するような特殊能力を持っている。敵方スクラルに囚われている仲間を救出に他星に他の隊員たちと向かう。しかし罠でヴァースは捕えられる。その知識を引き出すため機械にかけられる。そのせいで昔の話が出てくる。敵スクラルは特殊エンジンを狙っていた。その開発に携わった博士とヴァースが同乗した事故で、博士が亡くなりヴァースが記憶を失ったと分かる。途中覚醒したヴァースは敵方宇宙飛行船で暴れまくり、地球にスクラルどもと落ちていく。そこで警察官に会う。最初はヴァースの話を信用していなかった警察はヴァースとスクラルの戦いを見て、またその争いに巻き込まれる。ヴァースは自分と関係があると思われる元女飛行士の家に行く。そこで自分が元同僚の飛行士であったとヴァースは知る。更に敵方のスクラルが迷って困っていた連中とも分かる。ヴァースは元女飛行士や警察、スクラルと共に宇宙に向かう。後にミサイルその他宇宙船などを、宇宙一強力な存在として漫画なみに破壊しまくる。