2019年10月29日火曜日

渋沢栄一『雨夜譚』 明治27年

明治の一大事業家である渋沢栄一が、自らの一生を生まれから大蔵省を辞めるまで語った記録。
武州血洗島村に生まれた。当時受けた教育が書いてある。中国の古典による。家は農業だけでなく藍や養蚕もしていた。藍の買い入れで親の代わりにあちこちの家に行き、上手く商売したという。
天保年間の生まれである渋沢の物心つく頃は幕末である。攘夷の風潮に乗り、友人らと外国人襲撃を企てたが、従兄弟の諌めで取りやめる。

百姓では何も出来ないので、京都へ出て活動しようとする。尊王討幕の立場であったが、あるきっかけで一橋慶喜に仕える。その慶喜が15代将軍になり、渋沢らは慶喜の従弟で水戸家の公子に随行し、欧州へ行く。パリ万博の見学や知識を得る予定であった。それが滞欧中に幕府は瓦解し、カネの都合などあり帰朝する。慶喜に従うつもりで静岡へ行く。ところが静岡藩の連中は渋沢を藩で雇い使うつもりでいた。渋沢は藩に仕えるつもりはなく、金融の整備に尽くす。東京では大蔵省に仕え、明治初めの政府が整備される時代に活躍する。大蔵卿の大久保利通と意見が合わず辞める。それ以降は実業界で活躍するが、これは語った当時につながる話というのでしていない。

ともかく明治の偉人である渋沢の生涯は歴史の教科書に出ている名が次々と出てき、それらの実際が分かり読んでいて面白い本である。
土曜文庫、2019

悪童日記 A nagy füzet 2013

サース・ヤーノシュ監督、ハンガリー映画、フンニア・フィルムステュディオ/インテュイット・ピクチャーズ/アムール・フ・ウイーン/ドルチェ・ヴィタ・フィルムズ、112分。
アゴタ・クリストフの有名な小説の映画化。

第二次世界大戦中に双子の兄弟が辿る運命。両親は子供が双子で目立ちやすい、戦禍を避けるためには、母方の祖母へ預けるのがいいと判断する。田舎の一軒家である農家、そこには祖母が一人で住んでいた。数十年ぶりに娘を見て悪態をつく。二人の息子を預ける。母親は子供たちに勉強するよう、また日記を書くよう帳面を渡していた。母との別れを惜しむ子供たち。
祖母は業突婆あで、仕事をしないと食事はさせないと言い渡す。薪割りその他家事を手伝う。双子の二人は今後の困難に備えるため、マゾ的な訓練を始める。叩かれても耐えるよう、お互いに殴り合う。空腹対策でろくに食事をとらない。二人は母との再会のみ待ち望んでいた。

ある戦士が近くで亡くなる。その死体から銃器を盗む。
ドイツ軍が駐屯する。(ハンガリーはドイツ側で戦っていた)そのうちの一人の将校と仲良くなる。
牧師のところで働いている若い娘がいる。双子は知り合いになる。世話をしてもらう。双子は靴が欲しくて町の靴屋に行く。そこの爺さんは二人に只で靴をやる。
ユダヤ人狩りが始まる。銃で突き立てられ行列で進むユダヤ人たち。あの若い娘が靴屋もユダヤ人だと軍人に叫ぶ。軍人らは靴屋に押入った。後に双子が入ると靴屋は殺されていた。
娘への復讐のため双子は以前手に入れていた手榴弾を娘のストーブに入れておく。娘が火を入れると爆発した。
双子は牧師に捕えられ、訊問される。娘の顔は目茶目茶になった。お前らのせいだろうと拷問が始まる。そこへドイツ軍の将校がやって来て二人を救い出し牧師は殺す。

ある夜、母親が再婚した相手の車でやって来た。赤ん坊を抱いている。訊くと妹だと母は言う。一緒に行こうと息子たちを誘うが二人はここにいると返事する。なおも誘う母親の所へ空襲の爆弾が落ちた。祖母は母と娘を庭に埋葬する。後に祖母も病気で亡くなる。

父親が帰ってきた。国境を越えて向こうへ行こうとする。国境辺りは地雷原である。双子は父に言う。国境へ父と来た双子、父は越えようと地雷で爆死する。安全に行くためには誰かが犠牲になる必要がある。双子は最後の試練に直面する。二人は別れなければならない。一人が爆死した父を踏み台にして向こう側に行く。もう一人は戻る。

昔小説を読んだ時の驚きは今でも覚えている。映画は小説ほどにないにしても心に残る作ではないか。

2019年10月27日日曜日

もうひとりの人 A másik ember 1988

コーシャ・フェレンツ監督、ハンガリー映画、マフィルム・オブジェクティーブ・フィルムシュトゥーディオー製作、219分。
第二次世界大戦とハンガリー動乱で、親子が同じような悲劇に会うという長篇映画。国立フィルムアーカイブでは真ん中に10分の休憩をおき上映された。

第二次世界大戦末期、ハンガリーはドイツと組んでソ連相手の戦争をしていた。もう敗戦間近で廃墟の中、男が部下と共に脱走兵と間違われ捕えられる。しょうもない将校の命令で死刑にされそうになる。別の将校は二人を助け、持論を展開し偉そうなことを言うが情け容赦なく人殺しをする。それを見て男はその将校を穴に落とし、逃げる。
田舎にある男の実家。男の父親は軍に捕えられていた。男の妻と少年の息子がいる。あの部下がやってくる。軍が男を捜していると告げる。銃を置いていく。男は帰って来て息子に銃に触るなと命じる。元部下は軍の手先となって来たのだと言う。戦争による殺戮を嫌悪していた男は丸腰のまま、軍が待っている森へ歩いていく。映画の場面には出ないがここで殺された。

第二部は1956年のハンガリー動乱時期。大学生になった男の息子は、ソ連の弾圧に仲間が立ち上がっているのに銃を取ろうとしない。恋人も非常時にと説教するが、心を変えない息子は仲間から裏切り者扱いされる。息子を追ってきた恋人が、どこからかの銃撃によって死亡する。

その後、誰がどこから撃ってきたのかを捜しに、息子は教会の塔に登る。そこにいた秘密警察の者に脅され服を取り換える(秘密警察は嫌われていて危険だったからである)。二人で下に降りたら秘密警察の者は車から撃たれた。息子は彼を近くの家に運んでいき、手当を頼む。
後に仲間たちと共にやはり恋人殺害現場近くにいると銃撃があり、仲間は斃れる。息子もそれらしき方へ歩いていくが銃声がする。場面には出ないがここで撃たれたと分かる。
最後は実家の母親に親戚の者が、息子の死を暗示し、母親は分かって悲鳴を出そうとするところ。

非武装主義を貫いたため、親子共々非業の死を遂げた。戦争で無抵抗主義では死を覚悟するしかない。戦争を起こさない努力が一番大切である。

メリー・ゴー・ラウンド Körhinta 1955

ファーブリ・ゾルターン監督、ハンガリー映画、フンニア・フィルムジャール製作、93分、白黒映画。
田舎町のカーニバル(遊園地でのお祭り)から映画は始まる。相思の若い男女が主人公である。女の父親は娘を有力者と結婚させるつもりでいる。

女は親の言う相手との結婚は嫌がっている。男は父親に娘と結婚したいと申し出るが、身分の違いで相手にされない。女は結婚が無理な相手から離れざるを得ない状況になる。しかし最後には二人で抱き合い決心する。男は今度は父親のところへ宣言に行く。当初の婚約者はコケにされたのでやはり父親に腹を立てる。呆然とする両親を残し、二人は旅立つ。

映画は1950年前半が舞台で、この頃はまだ親が娘の結婚を決めるという封建的な時代だったと分かる。もちろん凡てがそうでなかったと思うが。

2019年10月26日土曜日

白川方明『中央銀行』東洋経済新報社 2018

日銀に入行し総裁まで勤めた著者が自らの経験に沿って、日銀の任務とそれを遂行する方法、よって立つ理論的背景を説明する。著者の解釈も分かりやすい。
750頁以上の大著ながら論述は平易で、興味を持って読み進められ、理解しやすい。強調すべき本書の特色である。

優れた書であると前提したうえで個人的に気になったところをあげたい。
著者は政府からの、金融政策に対する発言に非常に不快感、苛立ちを抱いている。日銀の専管事項である金融政策に、上は総理から下っ端役人に至るまで政府からの発言があれば、それは政府の見解となる。
大物学者でもあるいは民間のエコノミスト、評論家だろうと、どんな間違った発言や反日銀の言論であろうとも所詮外部からの雑音である。それに対して政府からの発言は、協力して経済政策にあたるべき部門からの発言であるから、嫌がるのである。政策決定会合での政府の発言権や経済財政諮問会議で説明しなくてはならないのに対しても嫌悪を隠さない。
日銀総裁としての著者の不快感はよくわかる。しかし正当化できるのだろうか。

日銀の独立性について章を設けて議論している第22章では役人的優等生的に論じている。
ただ総裁の任命権について、法的形式的な話でなく、具体的に候補の名を挙げるのは誰か。国会で承認するかしないかはその候補がいるからで、候補自体を挙げる主体はどれか。それは政府である、という回答であろう。それなら日銀の政府からの独立性はどうやって確保できるのか。トップの選任権が政府に握られているなら、政府の支配下にあるのではないか。
会社の社長の一番重要な仕事は次期社長を決めることと以前読んだ。日銀総裁には次期総裁を決定することはもちろん、指名する権限さえない。

最後に細かいところながら、著者は日銀職員の任務に対する献身、奮闘ぶりに感傷的ともいえる感謝の気持ちを表明している。組織の長として当然であろう。しかしながら客からの怒号に耐えたり、休日出勤して業務を遂行することは民間の会社でも中小を含めみんなやっている。政府の職員でもそうである。日本最高のエリートである日銀職員だけでない。
日本経済が回っていき、日本が住みよい社会と言えるなら、それはこういう国民全体の貢献によっているのである。

ともかく中央銀行や金融政策に関心のある者にとって必読の書であると再度強調したい。

2019年10月22日火曜日

映画に必要なのは女と銃だけだ Film Ist. a Girl & a Gun 2009年

グスターフ・ドイチュ監督、オーストリア映画、101分、白黒、無声映画。

過去の無声映画のフィルムを繋げて作った映画。表題の主張を表わすフィルムを集めたという感じ。知らない映画ばかりだった。夫々の映画の一部を使っており、当然ながら男と女が出てくるものがほとんど(みんなだったか?)。掴み合いになり銃で女を撃ってしまうとか、文字通り男女の絡みのフィルムなど。性行為を映しているところなど、これは私的なフィルムだったのだろう。日本では国立フィルムアーカイブ以外では上映できない場面が出てくる。
ともかく変わった映画には違いない。

ミュラー探偵事務所 Müllers Büro 1986年

ニキ・リスト監督、オーストリア映画、ヴェガ・フィルム、104分。
ハードボイルド映画の一種であるが、有名な映画のパクリというか戯画化の面を持つ。

ミュラー経営する探偵事務所へ美女が訪ねてきてイングリッド・バーグマンと名乗り、失踪した恋人の捜査を依頼する。ところがその依頼人の死亡記事が出る。名も違う。
ミュラーは相棒とこの事件を解明しようとする。そうしていくうち、情報を得ようとした黒人の女は殺される。あの死んだはずの依頼人は生きており、ミュラーと情事をするが、その直後訪ねてきた者に射殺される。その殺人者をすぐ殺す。
最終的に黒幕のボスらと銃撃戦になる。多くを片付けた後、ミュラーはボスに撃たれる。さんざん御託を並べた後、こときれる。
相棒は恋人とスポーツカーで新しい生活に向かっていた。大木が倒れており、降りて調べようとしたら銃弾の雨、恋人ともに蜂の巣にされる。映画の最後ではミュラーと相棒が出てきて、面白かったかと観客に尋ねる。否の返事が多いので二人は機関銃で客たちを撃ち殺す。

途中の経過はよく理解できないところがあったが、普通の映画とは違いずいぶん、おふざけの要素が多い映画で、ユーモアの乏しい日本人なら作る気は起きず、また感心しないと思う人が多いかもしれない。国立フィルムアーカイブのパンフレットによれば上映当時のオーストリアではヒットしたそうだ。

2019年10月21日月曜日

未完成交響楽 Das Dreimäderlhaus 1958年

エルンスト・マリシュカ監督、オーストリア映画、アスパ・フィルム/エーリナ製作、93分、総天然色映画。作曲家シューベルトの映画であるが、有名な戦前の映画(フォルスト監督)とは別物。
原題「3人娘の家」が示すように、3人の姉妹、その末娘とシューベルト及び友人の恋を描く。

映画はベートーヴェンの皇帝協奏曲の演奏会から始まる。シューベルトも聴衆の一人であった。友人たちと酒場で落ち合う。しかし近くの席に今の演奏会を貶す男がいる。シューベルトはその男につめより抗議する。明くる日になってシューベルトが楽譜出版社のディアベリを訪れると、あの貶してシューベルトが腹を立てた男がディアベリだった。ディアベリはすぐに理解し、シューベルトの才能を買っているので、有名な歌い手に唄わせようとする。その歌手が自分で演奏し歌っているのを聴くとシューベルトは自分の意図と違うのでイライラする。後の二人が顔を合わせた会では理解し合い、友人になる。

シューベルトには仲の良い友人たちがいて、三人姉妹の末娘を紹介した、シューベルトはそのピアノ教師となる。お互いに惹かれ合う。シューベルトはその娘と結婚したいと思っていたものの勇気がなく打ち明けられない。シューベルトの友人の一人の男爵も娘を憎からず思っていた。召使いたちが娘に、男爵が見つめていたと話す。娘もその気になる。シューベルトは娘への恋の告白の歌を作る。シューベルトの伴奏で男爵が歌ってくれた。恋の告白を歌った男爵に求婚されたと思い込み、娘はその胸に飛び込む。意気消沈するシューベルト。
結婚式の日に実はシューベルトが娘に告白するつもりだったと仲間らは告げる。結婚式の最中、悩むシューベルトで映画は終わり。

邦題は戦前の有名作と同じなので間違えやすい。交響楽とは戦前よく使われた言い方である。戦後の映画なら「未完成交響曲」とすれば良かったのにと思ってしまう。

私の20世紀 Az én XX. Századom 1989

エニェディ・イルディコー監督、ハンガリー映画、ブダペスト・シュトゥーディオー/フレイハンレア・フィルムプロデュクシオン、103分、白黒映画。

映画は19世紀末、エジソンが発明した、多数の電球による照明に人々が驚く場面から始まる。ハンガリーでは双子の女の子が産まれていた。母親は後に死亡。少女となった二人は雪の降るクリスマスの夜、マッチ売りをしている。二人が寝て夫々別の男に引き取られた。
20年後の1900年、大学では教授が女に参政権など与えるべきでない、感情的で理性的な生き物でないからと演説し、多くの女聴講者から非難を浴びていた。
双子二人のうち一人は詐欺師になってオリエント急行内でどの男をひっかけようかと物色している。もう一人は革命家となって仲間に連絡する伝書鳩を持って乗りこんでいた。
ブダペストで共に下車する。ある男が二人を好きになる。と言っても双子と知らず一人と思っていた。双子二人はその男を好きになる。
革命家の女は爆破に失敗する。双子は鏡の多い家で再会する。後に好きになった男が来る。女たちは去る。
エジソンが世界規模で通信網が完成し、ニュースが5分で届くと演説している。

白黒の幻想的な世界が流れ、筋云々よりも映像そのものを鑑賞する映画とも思えてくる。

2019年10月20日日曜日

幼な心 Kleines Herz in grosser Not 1958

アルフレート・レーナー監督、オーストリア映画、ツェニート・ベネシュ・フィルム、91分、総天然色映画、女優クリスティーネ・カウフマンの少女時代の作品。

カウフマンの母親は女優で忙しく、あまりカウフマンに構ってやれず、カウフマンはそれを寂しく思っている。父親と一緒に車で田舎に行く。母親は映画の仕事があり、行けない。
カウフマンは田舎で音楽一家に会う。特にそのうち末っ子の男の子とまず仲良くなる。その家にいくと七人兄弟でみんな音楽をやり、一家はいつも一緒にいる。カウフマンは自分の家と比べて羨ましく思う。その家の母親はカウフマンを可愛がる。父親はその地で出会ったスペイン人の女と親しくなる。カウフマンはあまりいい気がしない。

一家は演奏旅行に出かける。カウフマンは病気になり、母親の来訪を待ちわびている。また一家が早く戻って来てほしいと思っている。クリスマスには戻る予定であった。カウフマンの病気は重く、主治医はクリスマスまで持たないのではないかという。
当初は映画の仕事を優先して娘のところへ行けなかった母親も、最後は映画を振り捨てカウフマンの病室へ来る。クリスマスまで間があるがいかにもクリスマスになったと見せかけ、また父親の要請で音楽一家は早く戻ってきた。病院でクリスマスの歌を歌う一家をカウフマンは両親と聴く。

クリスティーネ・カウフマンはドイツ語圏で有名になり、ハリウッドに渡ったがそれほど名を上げなかった。登場する音楽一家はエンゲル一家といい、当時その音楽で有名な一家だったそうだ。

後藤新平『国難来』 大正13年

政治家後藤新平が関東大震災の半年後、大正13年に東北大学の学生に対して行なった講演会の記録である。ここで関東大震災を国難と言っているのではない。むしろ天啓という。当時の政治状況を批判する。政治を私物化し国際関係でも対華21か条の要求など、国難を国難と気づかず、太平楽を歌っている国民的神経衰弱こそ、最も恐るべき国難と断ずる。当時の政党は我党である、すなわち私党であると批判する。

日本の政治のあるべき姿を論じる。皇室を中心とする一大家族主義が日本の特質である。こういった観点から政治を政治固有の論理というより、倫理の方へ引き寄せて説く。かつての日本の典型的な発想に見える。民本主義など大正デモクラシーもコケにしている。
当時の代表的な政治家はこういう論調だった、という資料として読める。
藤原書店、2019

暗黒街 昭和31年

山本嘉次郎監督、東宝、98分、白黒映画。
港湾のある都市、三船敏郎が新任の警視として赴任する。犯罪の一掃を目指す。暴力団の組長志村喬は戻ってきた。留守の間、他の子分たちが大した儲けをあげていない中、キャバレー経営の鶴田浩二が業績を伸ばしているので褒める。他の子分たちは面白くない。儲けのない所で代わりにマッサージ場をやれば儲かると進言し、聞き入れられる。しかし同じ志村配下の建設会社が工事を担当すると、鶴田への嫌がらせで遅々として進行しない。

志村は自分の健康を診てもらうため、前に知り合った若い医学生の青山京子を呼ぶ。
手の早い鶴田は、志村の女と密会しているのにもかかわらず、清純な青山に惹かれる。青山が欲しがっている医療機器の購入のためにカネを志村に頼み、それで青山に貸す。青山の恋人の小泉博がこの町にやって来て暴力団と関わり合いになっている青山に手を引くよう警告する。
鶴田に嫉妬する他の子分は志村の情婦が鶴田といい仲になっていると志村に告げる。志村は気にしない。しかし情婦の嫉妬から鶴田は子分の一人に撃たれる。鶴田の手当をする青山は、続いて病で倒れた志村の看護のため監禁状態になる。国家試験も受けられなくなる。
最後には鶴田が警察に通報し、志村らは逮捕される。鶴田は三船から、青山が小泉と一緒に帰郷したと後から聞かされる。

鶴田浩二、志村喬、三船敏郎と大物スターが出演し、鶴田が主役の扱いか。しかし観ていて、本作は医学生青山京子がやくざと関わりを持ったばかりに受難する映画に思えてきた。
青山京子と言えば昭和29年の『潮騒』の映画化第一作の主人公を務め、三島由紀夫からも称賛された。しかしその後はあまり有名な役はない。本作で若き日の青山を観られた。
映画としての出来は正直言ってそれほどでない。同じ鶴田の暗黒街シリーズの顔役や対決ほど有名でないのもむべなるかなである。

2019年10月14日月曜日

マリア・ラスニッヒ作品集 Filme von Maria Lassnig 1971~1992

オーストリア人映像作家、マリア・ラスニッヒ(1919-2014)の作品集。7篇から成る短篇映画を上映した。

「アイリス」「カップルズ」「自画像」「手相」「バロックの彫像」「芸術教育」「マリア・ラスニッヒのバラッド」で、夫々10分程度の作品である。
最初の「アイリス」は女の裸体の部分をあちこちから凝った方法で映す。他の作品では漫画映画で男女の会話が続くなど。最後の「マリア・ラスニッヒのバラッド」では本人の写真が出て、歌って自分の人生を物語る。バッハのオルガン曲が流れる。

短いフィルムを上映のため繋げたので、各作品の間はある程度の黒い部分がある。

君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956 Szabadság, szerelem 2006

ゴダ・クリスティ監督、ハンガリー映画、C2/シネルギ/フラッシュバック・プロダクションズ製作、120分。1956年のハンガリー動乱を描き、若い男女の愛が巻き込まれる。

モスクワで行なわれているソ連対ハンガリーの水球試合から映画は始まる。主人公の男は水球チームのエースである。審判がソ連人なので不当にソ連よりの判定を下し、ハンガリーは敗れる。後にハンガリー選手団へ冷かしに来たソ連人と喧嘩になる。
帰国するとハンガリーはソ連に支配されている現体制への反抗運動が盛んであった。特に学生たちは行動をおこそうとしていた。その中の一人の女学生に、主人公の水球選手は惹かれる。相思の仲になる。女学生は抗議運動に身を挺しているが、水球選手は反体制的な言動をすると、選手として活躍できなくなる。メルボルン五輪が迫っていた時期である。
ハンガリーの自由化への動きに対してソ連が干渉して戦車部隊がやってくる。ハンガリー人との市街戦となる。

オリンピック参加のみを目的としていた水球選手も、恋人を助けるため抵抗運動に参加する。五輪に出られなくなったと母親は落胆する。しかしその後、選手はチームに戻って来て五輪に参加するためオーストラリアに行く。
一旦は引き揚げたソ連の戦車部隊は増強して戻ってきた。女学生は抵抗運動幹部の一人で逮捕され、仲間の名を吐けと言われる。その頃、メルボルンでは水球の決勝戦をハンガリー、ソ連でやっていた。モスクワと違い、ソ連贔屓の審判でないのでハンガリーは点を入れソ連を引き離す。怒ったソ連の選手が水球選手に暴力をふるい、目尻から出血する怪我をする。ハンガリーは優勝、その頃、ハンガリーでは女学生が死刑に連れていかれる最中だった。

ハンガリー動乱の名は知っていたものの、映画では激しい市街戦となっている。これほどの戦闘であるとは全く知らなかった。調べたら当時の左翼もソ連よりの立場が多かったらしい。当時の日本はそういう国であった。

神谷美恵子『追憶』 昭和55年

『生きがいについて』の著者として有名な神谷美恵子の自伝である。
著者は出版の前年昭和54年に亡くなっている。本書は遺稿を出版したものである。

目次は次の通り。
1.     スイスものがたり
2.     帰国
3.     ペンドル・ヒル学寮の話
4.     現実の荒波の中で

ジュネーヴでの父親の国際機関勤務のため、家族そろって移住する。美恵子は国際学校に入った。フランス語が日本語より流暢に話せた。そこでの思い出。
帰国してから癩病患者との有名な出会い。癩の仕事に一生を捧げると誓う。
ペンドル・ヒルとは美恵子が入った米フィラデルフィア郊外にあった寮である。ここで日本人もいたが米人等諸外国の者たちと付き合う。
最初はコロンビア大学の古典語学を専攻していたが、後に親を説得し医学コースに進む。
帰国後、特に戦争直後に美恵子は政府の占領軍相手の通訳を勤める。本来は東大の医局で精神医学の勉強、研究をするつもりだったが、時代がそうさせなかった。
結婚後、夫の大阪勤務に従い、関西住いとなる。子供の治療費捻出のため、英語仏語教授その他のバイトをやる。
念願叶って癩治療の長島愛生園に行く。ここでの記録が結構長い。

神谷美恵子と言えば『生きがいについて』が何と言っても思い出される。何度も読み返した本である。この自伝を読み、確かに普通人とはかけ離れた人生を送ったと分かる。もちろん恵まれていたという意味ではない。
みすず書房、神谷美恵子コレクション、2005

2019年10月13日日曜日

恋文 昭和28年

田中絹代の第一回監督作品、新東宝、98分、白黒映画。森雅之、久我美子主演。

森雅之は弟の家に居候し、翻訳などをしているが、活動的な弟に比べ覇気がない。かつてから恋い慕っている久我の行方が知れないからである。
森は昔からの友人、宇野重吉に再会する。彼に連れられ渋谷の横丁に行く。そこで宇野は女たちの恋文を代筆する仕事をしていた。帰郷した米兵の恋人あての英文による恋文である。森もその仕事に加わるようになる。

ある日、米兵宛の手紙を依頼する女の声を奥にいた森は聞きつける。それは久我の声だった。森は久我を追いかける。駅で会う。明治神宮の森で二人は話す。久我は別の男に嫁し、その男の戦死後、米軍兵士の女になり子をなしたが子供は死亡した。森は口を極めて久我を罵る。ずっと久我を慕ってきたのにと非難し、謝る久我を残し森は去る。

森の弟は久我と会った事情を宇野から聞く。内心は久我を今でも気にしている兄の代わりに、久我の家を捜し尋ねる。兄と会うと約束させ、久我はまともな仕事に就いてからと答える。
久我が宴会場の受付の仕事に就き、弟は兄に久我との再会を約束させる。
しかし日比谷公園の約束の場所で弟と久我は待っていたが森は来ない。帰ろうとしたら数人の商売女たちが久我に声をかける。久我が返事しないので女たちが絡むと弟は久我を連れてそこから去る。久我は今後とも森は久我の過去を気にするに違いないと言って自暴になり車にはねられる。
宇野は森が久我に会いに行かないと知って怒る。久我の家に二人で行く。そこで話をしていると連絡がある。久我が事故に会ったと。車で病院に急行する二人。久我は病院で手当てを受け寝ている。

戦争の生んだ悲劇で、戦地に赴く森と久我を親は結婚させなかったとなっている。夫が亡くなった後、寂しさに耐えかね優しい米軍の男に身を任せたと知り、久我を非難する森。落胆はわかるが、一方的に久我を責めるのは、森演じる男がそういう性格だからであろう。
映画の舞台である渋谷道玄坂には「恋文横丁ここにありき」という標識がある。映画製作年の昭和28年は朝鮮動乱の終結した年である。米軍の兵士が多く日本を去ったであろう。そういう時期を背景としている。当時の渋谷の風景が映し出される。

2019年10月10日木曜日

金森久雄『エコノミストの腕前』日本経済新聞社 2005年

有名なエコノミスト金森久雄(大正13年~平成30年)の自伝とかつての経済評論を集める。
第一部は日経の「私の履歴書」に連載(平成16年)した自伝、第二部は「経済論争の回想」と題され、過去の景気局面での論争を採録している。

戦後間もなく通産省に入った金森は、やがて経済安定本部、及びその後身の経済企画庁に移る。経済の調査などに携わる。更に日本経済研究センターでエコノミストとして活躍した。
金森は一貫してケインズ派経済学の立場から、政府による需要喚起を唱えた。
本書を読んで金森は恵まれた時代に活躍したと思う。即ち日本の高度成長期と重なり、金森の強気路線は、たいてい当たった。日本経済が現在からみると一本調子で成長を続けた時代であり、基本的に経済は好調だったのである。不況は短期間で終息した。

オックスフォード大学への留学にしても上から話があり、大学からの経済の口頭試験もここに書いてあるとおりかと思ってしまう。本当かと思う記述が多く、もしそうなら日本も随分のんびりした時があったのだと分かる。
日本経済が若く、経済の調査や分析も簡単でよかったのである。

2019年10月8日火曜日

渡辺佑基『ペンギンが教えてくれた物理のはなし』 2015年

著者は国立極地研究所の所員で、海洋性の動物等の研究をする生態学者である。
鳥や魚、アザラシ、更にペンギンなどの海洋性の生物がどう生きているかを研究する。どう地球を周回しているのか、速度はどの程度か、なぜそのような行動をとるのか、などこれまでよくわからなかった事実を明らかにしようとする。以下は本書の内容の一部である。

海洋性生物がどの位の速さなのか、という基本的事実もよくわかっていなかった。何しろ海に潜ってしまう。速さだけでなく、どこへ行っているのかも不明だった。マグロなどは水中を時速数十キロで泳ぐなどの通説があった。これは昔の間接的な実験からの推測値である。
現在ではバイオロギングという方法が開発された。これは小型の装置を魚等生物に着け、後に回収して調べるのである。海の中は電波が届かずGPSのような装置は使えない。
この方法により、頬白鮫、皇帝ペンギン、白長須鯨の三種が最も速い海洋性生物と判明した。時速は7~8Kmである。これまでの通説に比べ非常に遅いが、水中の抵抗を考えるとこんなものだという。

また鳥の飛ぶ原理についても解説がある。飛行機と同じ原理の流線形翼による揚力だけでは、翼を上下する鳥の飛行は説明できない。前縁渦という後退翼に沿った渦が働いているという。正直鳥の飛行の原理などとっくに解明されていると思っていたので、少し驚いたくらいである。

著者の体験、苦労も面白く、様々な知見が得られる著書である。
河出書房、河出ブックス。

本田静六自伝体験八十五年 昭和29年

著者は東大教授として林学、造園を専門としたが、むしろ蓄財等に関する著で名を残した。その著者による自伝。

慶応2年埼玉の南部に生まれた。家は裕福な農家であった。子供時代は腕白であった。後に父が死亡、家は困窮に陥るが、著者は努力して勉学に励んだ。
山林学校に入学。資産家の本多家から養子に望まれる。本人は断る。なおも請われるとドイツ留学させてくれるならと難題を持ち出したところ、了承された。ドイツに渡り、ブレンターノから経済学を教えられる。留学中、養子に行った本多家が破産する。
帰国後、山林学校の後身、現在の東大農学部の教授となる。その後は日比谷公園の造園にも関わる。

功成り名遂げてからの、いかにも成功者の回顧談といった本である。言いたいことを喋っているという感じ、成功者ならではの自伝である。
人生訓なども多く、蓄財法としては収入の四分の一を貯蓄に回せというものである。著者は蓄財等、生き方の本を残して知られた。
実業之日本社、2016