2014年12月31日水曜日

アパートの鍵貸します The Apartment 1960年

ビリー・ワイルダー監督のあまりにも有名な映画。白黒映画である。

主人公のジャック・レモンは保険会社に勤めるサラリーマン。自分の住むアパートを何人かの上司に逢引きの部屋として貸している。これでうけをよくし自分の出世を図ろうというのだ。使われている日は時間まで帰られない。日程の調整も大変である。ある日人事部の部長に呼ばれる。彼の「内職」が仄めかされるので内心慌てる。実際は部長も部屋を使いたいとわかる。

エレベーターガールのシャーリー・マクレーンにレモンは恋心を抱いていた。夕食の約束をとりつける。実はその日、彼女は愛人関係にある部長との約束があった。部長が彼女を離さず、レモンは待ちぼうけをくらう。

部長の便宜を図ったことにより出世して管理職になれる。しかしひょんなことから部長の愛人は自分が好きなマクレーンとわかり傷つく。会社でのクリスマスパーティの日、マクレーンは部長秘書から彼のこれまでの秘書自身も含めた女性遍歴を聞かされる。

妻がいる部長はマクレーンに対しきれいごとを並べ離婚するつもりだという。彼との関係に絶望したマクレーンは睡眠薬自殺を図る。レモンの部屋で。レモンは倒れている彼女に驚き隣室の医師を呼んで、一命をとりとめさせる。てっきり彼のせいで自殺を図ったと誤解される。しばらく彼の部屋で静養するマクレーン。

会社に出られることになった彼女はまだ部長が諦められない。レモンは自分がこれまでやってきたことが嫌になり一層昇進したものの、会社を辞職しアパートを移るつもりでいる。これまでの情事が馘にした秘書から妻にばれ、うちを追い出された部長はマクレーンと再出発しようとしていた。彼からレモンの献身を聞いた彼女は初めてレモンの気持ちがわかり、部長をおいてアパートを目指して駆け出す。引越しの作業をしていたレモンと再会する。

 傑作の呼び声が高い作品である。何十年かぶりに見直した。以前見たときはもちろん感心した。今回見直して実は以前ほど面白いとは思えなかった。なぜだろう。
自分の上司に情事用に部屋を貸すという気持ちがわからない。借りる方の神経もわからない。当時のニューヨークには利用できる宿とかなかったのか。安いから借りたのか。
妻子ある部長に夢中になる女もいるだろう。ただ部長はニクソン大統領みたいで魅力的には見えないし。ああも簡単に女心は変わってしまうのだろうかと思ったり。
理屈を並べてもうまく言い表せない。もっとうまい理由がおもいついたら書きます。

2014年12月24日水曜日

ホノルル・東京・香港 昭和38年

千葉泰樹監督による宝田明と香港の女優尤敏(ユーミン)の他、加山雄三などが出ている海外ロケの総天然色映画。


加山は宝田の弟役でホノルルの大学に留学している。宝田がホノルルへ来ると加山から大学仲間の星由里子や尤敏を紹介される。また宝田のかつての恋人草笛光子がここでバーの仕事をしていると聞かされる。草笛に会うと亡くなった夫を慕い日本に帰るつもりはないと言われる。加山、尤敏とドライブに行くと彼女から実は草笛は夫と離婚し、カネ稼ぎのため昼夜苦労して仕事をしていると知る。

尤敏は義理の親から香港に、幼い当時両親が決めた婚約者がいる、彼に会いに行けと言われる。彼女がミス・ハワイになりその賞として東京と香港旅行が可能になったからだ。日本語を知らない彼女のため宝田が同行することになった。また彼は草笛に東京への旅行券を贈る。

東京に着いたのち、宝田は尤敏の好奇心と冒険心の強い行ないに振り回される。香港にも宝田は仕事のため一緒に行く。香港で尤敏の婚約者が、彼女の妹と結婚する仲になっていたことを知る。妹たちの結婚を祝福し、元々内心好き合っていた宝田と尤敏も結婚することを決心する。草笛はもらった旅行券で日本へ帰り東京で二人に再会し、ハワイへ戻ると告げる。
ハワイの加山も尤敏を好いていたのでガッカリするが、星との将来がある。

この映画が作られたのは東京オリンピックの前である。当時の日本人にとって海外留学はもちろん旅行でさえ夢であった。加山がハワイの大学へ英語の勉強に来ていてドラ息子の設定である。今ならごく普通に誰でも海外の語学留学している。非常に現代的な設定である。しかし当時としては稀なケースではないか。また一層驚くのは加山にしても(宝田もそう)極めて流暢というか複雑な英会話を日本語と同様に喋っている。こんなに喋れるなら語学留学の必要もない。

更に尤敏の行動である。東京でやることは、自分勝手で自己中心の世間知らずのアメリカ人がやりそうなイメージそのままである。和式旅館に泊まりたいと言いながら靴ばきのまま上がる、風呂で石鹸を使う、寝台がないと言って騒ぐなどである。アメリカで育った中国人なのでアメリカ人(のイメージ)そのままの設定にしたのだろうか。

まだ国際化とはほど遠い、全く縁のない時代の日本人がどう外国人、中国人を描いたかの興味をもって見た。

東京の恋人 昭和27年

千葉泰樹監督が戦後の銀座を舞台に描いた人情もの。三船敏郎と原節子の共演。



 銀座で原節子は似顔絵描きをしている。その際にある宝石屋の夫婦(十朱久雄と沢村貞子)は展示用に模造ダイヤの製造を三船敏郎に頼む。彼は偽ダイヤ作りを商売にしていた。建物の上のパチコン玉製造の社長森繁久弥は二号の藤間紫にせがまれダイヤを買うことに。森繁は偽のダイヤでいいと宝石屋に言う。ところが沢村が本物のダイヤを偽と間違えて森繁に売る。藤間も貰ったものの、これを現金化したいと思い宝石屋に掛け合うとそれは偽と言われる。怒って森繁に怒鳴り込んでいる途中、森繁の妻清川虹子がたまたま社に来て聞き、てんやわんやの騒ぎとなる。偽物ならどうでもいいとそのダイヤを社の女事務員にくれてしまう。

原や女事務員、また路頭で靴磨きをしている少年たちの仲間に街娼の杉葉子がいた。体を悪くし、それを三船が助けアパートまで送る。杉は、国の母宛の手紙を原に書いてもらうがそこで自分に夫がいると書く。母を安心させるためである。その夫は三船を想定していた。病状悪化で母を呼ぶ。このあたりの展開はフランク・キャプラの映画そのままで、三船は夫役を引き受けさせられる。

杉の治療費捻出のため女事務員は偽でもいいからダイヤを売ろうと思っていると、バスから落としてしまう。更に勝鬨橋の開帳によって隙間から川へ落ちる。後に実は本物とわかって社長夫婦は手に入れるべく潜水夫を雇い必死になって捜す。

 偽ダイヤを巡るドタバタと病気の杉の看護事情が、三船と原のロマンス以前をからめて進み、詰め込み過ぎとの批判もあるようだが、随分お得(?)感がある。勝鬨橋は当時は1日5回開閉していたそうだが、いずれにせよこれほど勝鬨橋が活躍する映画もない。

2014年12月19日金曜日

妻と女記者 昭和25年

終戦後間もない時期のキャリアウーマンと専業主婦の対比が描かれている千葉泰樹監督の白黒映画。



復員してきて今は学者をしている夫(伊豆肇)は両親、妻と暮らしている。母のいいなりで従順すぎる妻(山根壽子)に飽き足らない。家族は気を使っているのだが、男からすると自分が疎外されていると思い気難しくなっている。そのため家族、特に妻にあたっている。

復員途中で亡くなった戦友の遺品をその妹に届けたい。見つかった彼女(角利枝子)は雑誌社のカメラマン、同僚の記者(池辺良)は内心彼女に恋している。彼女から家を捜していると聞いた夫は自分の家の一間を貸そうと言い出す。家族も同意する。夫は活発な彼女に惹かれる。夫もすっかり性格が明るくなる。彼女と結婚したいと思うまでになった。
 
彼女は自動車事故に会い入院する。夫の気持ちを知った彼女は手紙を書き、家を出るつもりでいた。夫は彼女と一緒になるため家族を捨てようとする。事情を知った夫の父親(菅井一郎)は病院へ行き彼女に質す。彼女は父親が誤解しているので自分の気持ちはこの中に書いたと、夫宛の手紙を渡す。退院は雑誌社の仲間が迎えに来てくれた。一足違いで病院に着いた夫は退院しているので驚き、父親が来ていたと聞き彼が追い出したと怒る。父親に家で食ってかかるとこれを読めと彼女が書いた手紙を渡される。読んで目から鱗が落ちたように改心し、以降妻にも優しくなる。

妻があまりにも何も姑や夫にいいなりで存在感が薄いような気がするが、昔はこういう人が多かったのであろう。
手紙を読んで急転直下、目が覚める夫も唐突。
雑誌社の仲間、池辺良は面白い。また同僚記者を若山セツ子が演じている。海水浴で水着姿となっているが非常にスタイルが良い。

2014年12月16日火曜日

突然炎のごとく Jules et Jim 1962

トリュフォーの映画、ジャンヌ・モローと二人の男の恋愛物語。


時代の設定は第一次世界大戦の前後。フランス人ジムとドイツ人ジュールはパリで出会い友人となる。あるきっかけでカトリーヌ(ジャンヌ・モロー)と会う。三人は仲良くなり自転車で遠出をしたりする。ジュールがカトリーヌに求婚し結婚する。大戦が始まる。男二人は夫々の祖国のために戦う。
 
戦後再会する。ジュールとカトリーヌは山荘に暮らし、女の子もできている。ただ夫婦仲は冷めていた。カトリーヌは自己の恋愛感情に忠実な女であり、以前からの知り合いである若い男とも関係を持つ。またジムも恋人がいながらカトリーヌに惹かれている。ジュールはカトリーヌを繋ぎ止められるのはジムだけだとし、彼に頼み三人の共同生活が始まる。しかしジムは彼女の奔放過ぎる生き方についていけずパリに戻る。

数か月後、ジムはジュールとカトリーヌに映画館で遭遇する。カトリーヌ運転する車で郊外に出かける。休憩の時、彼女はジムに相談があるとして二人だけ車に乗る。彼女は二人を乗せたまま川へ直進、転落する。

 自分の感情に率直過ぎるくらい自由に生きるジャンヌ・モロー演じるカトリーヌはある意味女の典型からしれない。現実の女はもっと抑えて常識的に生きているが。エキセントリックな映画であり若い日にみたときはそれなりに感心した。
原題は単純に男二人の名前を並べただけだが、邦名は誰が考えたのだろう。よくこんな題名を思いついたものだ。トリュフォーが日本に来た時邦名を聞いて変な名だと言ったとか。

大人は判ってくれない Les Quatre Cents Coups 1959

トリュフォーの長編第一作の映画であり、ヌーヴェルヴァーグの代表作でもある。



 主人公の少年は親に理解してもらえずというか疎まれていると感じ、学校ではいたずらにとどまらず、ずる休みして悪友と遊んだりしている。特に母親からは嫌われている。両親は彼の扱いにうんざりし、また夫婦仲も良くない。少年が家出をした際にはさすがに心配したようだ。悪友は金持ちであり、自分の家のおかねを盗むことになんのやましさも感じていない。そんな彼と組んで父親の会社のタイプライターを盗み、かねに替えようと計画する。持ち出したものの、換金できず会社に戻したところを守衛にみつかる。さすがに今回ばかりは両親も我慢ができず警察に頼んで少年を鑑別所に送ることとする。

 最後の場面、少年が海辺で立つ姿は随分以前みたときの印象に残っていた。改めて見直し、全体の映像のみずみずしさに感心した。
この少年のように子供時代親から好かれなかった、ただし学校のさぼりも家出もしなかったし、もちろん盗みも鑑別所送りになったことはない、そう思う人は多いだろう。しかし実際に家出や悪事をしたかどうかでなく、子供の頃のあの言いようのない不安、親から疎まれている悲しさを経験した者なら共感をもてるだろう。

主人公を演じたジャン=ピエール・レオを、その後も主人公にしてシリーズを取り続けたことは有名。ただしこの少年時代の彼が一番可愛く大人になってから(といっても若者だが)はそれほど魅力的でない。
題名は日本でつけたものであり、原題の直訳は400回の叩き、フランス語で400回叩くとは放埓な生活を送るという熟語だそうだ。

2014年12月15日月曜日

悪の愉しさ 昭和29年

千葉泰樹監督が東映でとった犯罪映画。白黒である。

主人公(伊藤久哉)は他人を騙して儲けができれば喜んでいる自分勝手なけち臭い性格のサラリーマン。女に対しても持ち前の強心臓で自分のものにするなど自らの欲望を充たすためには躊躇しない。
他人の家に間借りしていて、強気の妻(杉葉子)は立ち退きを迫る家主の未亡人と不仲。引越しを願っているものの、しがない夫の稼ぎでは叶わなく彼に厳しくあたる。
会社の女事務員(久我美子)が結婚する。以前関係を持ったことがあり今でも未練がある。女の方から口止め料、手切れ金のようなものを持ってくる。色魔のような彼は家主の未亡人、病気のため休んでいる同僚の夫人を次々と征服する。

女事務員の夫がカネを使い込みその穴埋めのため彼に借金を申し込む。体の提供を条件として了承する。ただ必要なカネはあまりにも大きい。

一方彼の友人で不動産業を営む男(森雅之)は羽振りがよく男性的である。妻は実家へカネを借りに帰郷する。同じとき友人も旅行に出かけていた。どうも二人は同行したらしい。友人が大金を服に入れるのを目撃する。その後二人で飲みに行き、帰りの自動車の中で友人を絞殺しカネを奪う。奪ったカネで女事務員をものにする。
アリバイ工作は完璧と思っていたものの、簡単に見破られ警察に捕まる。逮捕後の彼には会社からの解雇、妻が離婚届けを出したことが知らされる。検察の取り調べの際、飛び下り自殺する。

主人公が心の中で思っている独白が劇中何度かあり面白い。彼は全く同情されない悪党である。いわゆるアプレ的な人物像そのままのエゴイストを描いた映画と言える。

2014年12月13日土曜日

モーパッサン『ピエールとジャン』 Pierre et Jean 1887

モーパッサンの中編小説あるいは長編小説。


兄ピエールは医師、弟ジャンは法律家である。ある日父の友人が亡くなる。その遺産の受け取り手はジャンと指定されていた。急に金持ちになった弟、それに嫉妬する兄という話。並行してジャンの結婚話も進む。
兄ピエールは嫉妬に狂い、妄想を逞しくしていく。なんとこれが妄想ではなかったのだ。やりきれなくなった彼は外国航路の船医になろうと決意する。母親の苦悩も描かれる。弟は遺産相続についても悩むが、それより結婚したい相手への思いに筆は割かれている。劇的な結末が用意されているわけでない。

細かい詮索をしてもしょうがないが、妻が嫌悪し軽蔑しきっている夫に生涯付き合うことはあるだろう。だからと言ってかつての恋人にいつまでも執着しているものだろうか。恋愛感情はそんなに長く続かないものではなかろうか。
杉捷夫訳、新潮文庫、昭和27年、45年改版

2014年12月11日木曜日

団地七つの大罪 昭和39年

千葉泰樹と筧正典監督による総天然色映画。某大型団地を舞台とした七つの挿話、オムニバス映画的な作り。全く別々の話でなく最後には一同会する場面もある。

題名はキリスト教が元である。直接にはフランス映画「七つの大罪」からとっている。

 夫々の話には「虚栄の罪」とか「嫉妬の罪」など題名がついている。
まず小林桂樹の夫婦はようやく抽選で当たり入居できて満悦。隣の音も聞こえない。ただ隣室の夫人が詮索好き。妻は寝台が欲しいと言い出す。給料が出て注文して帰る。妻はいらないと言う。隣室でやはり寝台を購入したので、真似をしたと思われたくないから。

高島忠夫扮する大学教授は望遠鏡で他家を覗き見する悪趣味は持っているものの、妻に性的に淡泊で彼女は欲求不満。精力つけさせようと夫の嫌いなにんにく料理を良く出す。出版社の若い記者が原稿取りに来てその晩飯を相伴に預かる。他日覗き趣味を同じくする友人の部屋から望遠鏡で覗くと、自分の部屋で妻があの記者と抱擁していることを発見する。

益田喜頓は妻が大阪に別居しているのを幸いに、若い浜美枝を自分の妻と称して部屋で情事にふけっている。ところが妻が上京すると電報がやってくる。慌てて浜美枝に電話する。彼女は妻との衝突は覚悟していると言い出す。実際に妻が赤ん坊を連れて部屋に来ると自分はお手伝いとしか言えない。益田が帰って来て妻に平謝り。浜美枝は出ていく。続いて妻も別れると言い出す。益田の元には赤ん坊のみ残された。

加東大介扮する中年男は愛用の碁盤が見つからない。妻は団地の交換バザーで家電製品に替えたと言う。仰天して10万以上する非常に高価な碁盤だと言う。子供は積木が無くなったと言い出す。近所の碁好きへ差しに行くとなんと出してきたのは自分のものだった碁盤。知らない相手は儲け物だったと喜んでいる。子供も自分が持っていた積木をその家の子が持っているのを見つけ喧嘩になる。

兒玉清と妻は1DKの部屋。隣室の水洗便所の音がうるさい。子供が出来れば2DKの部屋に移れる。そこでは音が大きくない。そのために子作りに励む。夫は疲れ果てダウン。

三橋達也と隣室の妻草笛光子はエレベーターに閉じ込められる。管理室からエレベーター会社に電話するものの中々修繕に来ない。三橋の妻八千草薫と草笛の夫藤木悠は密室の妄想をして嫉妬でやきもきする。ようやく修繕会社によってエレベーターの扉が開くと二人は猛ダッシュでトイレに飛び込む。

最後の挿話では団地に自動洗濯機が導入される。夫たちは洗濯物を持って洗濯コーナーに行くことが日課となる。そこに集まった上記の夫たちは文明なんて良くない。王政復古を叫ぶ。

この映画が作られた頃は団地住まいがサラリーマンの憧れだったようだ。今では大型団地は老朽化、高齢化、過疎化に悩まされているようだが。また水洗便所の音が大きかったとか、自動洗濯機がこんな時代から使われていたとは知らなかった。

2014年12月10日水曜日

狐と狸 昭和34年

千葉泰樹監督による行商人と買い手の駆け引きを狐と狸の化かし合いに例えた喜劇。総天然色である。



 
舞台は茨城霞ヶ浦周りの田舎。大学出の夏木陽介は就職できず叔父の加東大介を頼って行商人になると言う。夏木は加東に連れられて実地訓練の行商へ出かけるが叔父の口上のでたらめぶりに呆れる。人絹を絹と言い化繊を純毛と言って憚らない。加東は商売では挨拶以外はでたらめだとうそぶく。買い手の農家の連中も海千山千の強者たちである。この行商仲間にはほかに小林桂樹、三井弘次、山茶花究、清川虹子がいる。途中からかつての加東の仲間であった森繁久弥も加わる。もちろんインチキ商品とばれることがある。その場合は宿を逃げ出し他の町へ移る。宿へ騙されたことに気がついた荒くれ男たちが怒鳴り込んできた。売人たちはびびるが清川が丸め込む。小林は子供が急病になり家族の元へ帰る。清川が妊娠する。産院へ行くのに亭主なしでは嫌だとして一晩限りの役を加東に頼む。

その後加東と清川は競輪へ行く。一同の金を預かっていた。大当たりするがスリにとられる。夏木は恋人と遭遇し今の状況を説明する。二人でやれば東京でなんとか暮らせるとして行商の生活から抜け出すつもりだった。宿へ帰ってみると皆深刻な顔つき。かねを掏られたからである。加東は発奮して問屋から大量の商品を仕入れ、みんなで協力して売ろうと訴える。

オート三輪に品物を満載して田舎のまちへ行く。大特売と宣伝中そこの「有力者」と称する男が、自分が一手に引き受けてやると言い出す。村中の者が集まった会場で、浪花節で注意を引いているうちにカネを手に入れた売人たちは会場を抜け出し、バス停留所へ急ぐ。インチキがばれないうちに逃げ出したいからだ。その停留所で森繁と会う。その間品物が偽物と気づいた村民たちが追ってくる。売人たちはちりぢりに逃げ出すが、加東はカネを森繁に預ける。逃げおおせたものの、再会すると森繁がカネを半分持ち逃げしていたことがわかる。再び落ち込む一同。加東は北海道で旗揚げしようと気焔を上げるが、今度は消沈したみんなは抜け出すと言う。しかし若い夏木が自分は参加すると言い出す。どこへ行っても苦労はあると。最後は北海道を目指す一同があった。

高度成長期の真最中であるが、まだ昭和30年代前半は、生活水準は低く地方は貧しかった。大学を出ても就職先がないとは当時としては考えにくいが景気の好不況はあったわけである。売人たちのバイタリティーには感心するがインチキ商品を売るのは抵抗がある。戦前アメリカなどでmade in Japanが粗悪品の代名詞だった時代があったそうだ。その時代とまだ繋がっている頃の話ということであろう。

2014年12月9日火曜日

女に強くなる工夫の数々 昭和38年

千葉泰樹監督の総天然色映画。妻の尻に敷かれている夫たちの「反逆」の試みを描く。

 家電メーカーの提供で「男性飼育コンテスト」なるテレビ番組が始まる。趣旨は日頃女房の仕事となっている料理等の家事を旦那がやりその出来栄えを競うというもの。
出た夫婦は加東大介と淡島千景、有島一郎と淡路恵子、フランキー堺と白川由美、高島忠夫と団令子の4組。このうち加東はスポンサーの課長なのだが予定組のドタキャンで急遽代理で出ることに。この加東の部下の宝田明、そのフィアンセでモデルの司葉子は夫婦予備軍。番組が終わった後加東が苦労した出演者の旦那たちに声をかけ飲み屋で慰労会。みんな妻に頭が上がらないようだ。これを聞いて宝田も自分の結婚に不安になってくる。そこへ後ろから現れたのが植木等。無責任男そのままのC調でみんなにもっとadventureをやれとはっぱをかける。さっそくみんな発奮するのだが、結果は想像できるであろう。

一番尺をとっているのは呉服商のフランキー堺。妻の白川と姑の浦部粂子はけちで家庭内では叱られている。集金に行ったアパートの隣室の女、草笛光子から声をかけられる。沢山売れただけでなく誘惑される。すっかり上機嫌になった彼、明くる日に集金に行くと前の晩夜逃げしたと聞かされる。
結婚に疑問を持つようになった宝田が司に熱心でなくなると、彼女はCM作曲家の平田昭彦と仲が良くなる。とうとうホテルまで連れ出そうとするので司も抵抗し、宝田も平田を張り倒し二人のよりが戻る。

高度成長期ならではの話である。家電一式が懸賞のコンテストとか、企業専属のモデルとか。呉服商という商売で家を一軒づつ回って着物を売る、また女性で普通に着物に需要があった時代。夫に家事をやらせることが番組になるなど、今の夫婦では家事の分業は当たり前が多く現代では考えられない。そもそもこの番組の名が「男性飼育コンテスト」!飼育などという言葉今なら使うはずもない。

2014年12月8日月曜日

羽織の大将 昭和35年

千葉泰樹監督、フランキー堺主演。落語家を目指す大学出の奮闘を描く。


 フランキー演じる主人公は大学を出たものの、好きな落語家にどうしてもなりたい。苦労して加東大介演じる師匠の下へ弟子入りする。兄弟子が桂小金治で色々説教するものの、筋がいいフランキーはうまくこなしていく。近所の食堂の女給、団令子は彼に好意を寄せ支援する。田舎から上京した母親は息子が落語家になっていると知り仰天するが、師匠夫婦のとりなしで渋々認める。地元有力者の会合で芸を披露したところ、テレビ関係者の目に留まり出演を依頼される。その後瞬く間に多才ぶりによってすっかり売れっ子タレントになる。多忙によって落語や師匠への義理を欠くようになる。愛人の候補(?)まで出来て食堂の女給とも縁が切れる。ところが旧友から頼まれた選挙演説がもとで逮捕されてしまう。手の裏を反したようにマスメディアから見放される。しょげきったフランキーに兄弟子が会う。同情したら反発されて怒った兄弟子ははずみで車にはねられて亡くなる。葬式の席でフランキーが悔悟し謝るので師匠夫婦も彼を許す。

 大学出がまだ価値のあった時代。フランキーの芸が堪能できる映画である。

ケラー『村のロメオとユリア』 Romeo und Julia auf Dorfe 1856

スイスの作家ゴットフリート・ケラーの短編小説。日本の感覚なら中編小説と言っていいかもしれない。


スイスの田舎。畑が隣り合う二軒の農家、領地の境界問題で争い仲が悪くなる。二つの家には青年と少女がいて小さいときから知り合う仲だった。幼い時代は男の子が女の子をいじめていた。両家とも景気が悪くなる。男の子の家は町へ出てみすぼらしい居酒屋を始める。その店もほとんど行き詰まる。一方農家を続ける女の子の家も窮していくばかりである。
大きくなって再会した若い二人はお互いに惹かれる。駆け落ちしようにも先立つものがほとんどない。しかしそれでも敢えて実行し、悲劇的な結末を迎える。

題名にはロメオとユリアとあるが、話中の青年はサリー、娘の名はヴレーンヘンである。
昭和9年初版、47年改訳の岩波文庫版。

アツカマ氏とオヤカマ氏 昭和30年

千葉泰樹監督、岡部冬彦の漫画の映画化だそうだ。サラリーマンものである。


 主人公のアツカマ氏演じるのは小林桂樹、新人だが図々しい営業課員という役どころ。課長オヤカマ氏は上原謙である。売っているのはスクーターである。

新人なので先輩に連れられて指導を受けに出る。売り込みには先輩は気が弱いというかうまくなく成績が悪い。偶然会った若い女性(久保菜穂子)が実は課長の娘とわかる。好意をもったので持ち前の図々しさを発揮して、課長宅へ押しかける。
スクーターの販売成績は彼が特に良かったものの、他の営業所と比べ東京営業所は劣っている。課長は若い支店長(森繁久弥)に呼びつけられ、成績の悪い社員は切れと言われる。課員を思って抵抗するので支店長から怒鳴りつけられる。アツカマ氏は成績の悪い先輩のため、内緒で自分の分を先輩分に回してくれと頼む。誤解した先輩は怒るが訳が分かり謝る。課長が支店長に反抗したため、課長を助けるため課員一同奮起して販売を伸ばし、課長の顔を立てる。

この映画が作られた当時はいわゆるマイカーなど一般庶民には思いもよらず、スクーターの販売、それも営業用として個人商店に売り込みに行っている姿が描かれる。いつの間にか姿があまり見られなくなったスクーターだが日本の経済成長時代の一齣として活躍していたのである。

2014年12月6日土曜日

ディケンズ『ドンビー父子』 Dombey and Son 1846~48

ディケンズが『ディヴィッド・コパーフィールド』の前に著した小説であり、彼の初期から中期への橋渡しとなっている小説だそうだ。



話は、ドンビーという傲岸な商会社長とその子供、具体的には娘フローレンスと息子ポール一家とそれを巡る人物像を描いた作品というべきか。題名のDombey and Sonというのは会社の名前である。だから『ドンビー父子商会』と本文でも訳してある。Sonというのを見て父親と息子が中心かと思うと勘違いである。父親と娘が中心人物である。大体息子は幼いうち話の三分の一くらいのところで病死してしまう。また会社の話でもない。会社に勤める人物も出てくるが業務内容が詳しく書いてあるわけでもない。ドンビー一家とでもした方がいい。しかしなぜDombey and Sonとしたのか。それは女主人公であるフローレンスが全く父親から無視され相手にされず、いや嫌われているからである。小説は息子ポールの出生から始まるが、父親はこれでドンビー父子商会と言えて自分の会社も安泰と喜ぶ。つまり娘のフローレンスは父親の眼中にない、疎外された存在であることを題名も示しているのである。

息子の出産と同時に母親も死んでしまう。フローレンスは父を慕いなんとかその愛情を得るべく努力するが邪険な扱いしか受けない。彼女は幼いうちに知った少年(のち青年)のウォルターや、その知人たちのような下層の好人物たちからは愛され好かれる。フローレンスはディケンズの小説に良く出てくるネルやドリットみたいな女の子である。純真で理想的な女性として描かれているが人形みたいな感じしかしない。
大きな山場としては、息子を亡くし気落ちした父親の社長が若くて美人を後妻として迎える、しかしながらそれも予想しない悪い方向になってしまうあたりか。

他のディケンズの小説と同じように、悪人善人がはっきりと描き分けられ、悪人は最後に罰を受けて破滅するか、改心する。善人は末永く幸福になる。
まさに19世紀の小説。こびあん書房から平成12年に翻訳が出た。絶版になっているのでなんらかの形で再版してほしい。

2014年12月5日金曜日

セヴィニェ夫人手紙抄

セヴィニェ夫人は17世紀のフランスの貴婦人。彼女の書いた書簡は文学史に名高い。この岩波文庫本(初刷1943年)では主に嫁いだ愛娘あての手紙が収録されている。



彼女は文学者と言ってよく、有名なラファイエット夫人やラロシュフコーと親交があり、手紙中にも度々それらの名が出てくる。
夫人の夫は放蕩者であり決闘に斃れ25歳で未亡人となった。その後娘と息子の成長を楽しみにし、特に娘が嫁いだ後彼女あての手紙を多くしたためるようになった。その他にも書簡は多いものの、文学として評価が高いものは私的な内容のものだそうである。
17世紀のフランス貴族社会とか今の我々にはあまりに遠く、想像のつかない世界である。しかしこれらの手紙の内容を見ると娘を気遣う母親の気持ちは時代に関わりなく不変であるとわかるし、また出来事や噂話を伝えるなど、電話も何もなく遠くへの伝達手段が手紙だけだった時代であるがゆえに些事までわかる。貴族といえ人間としての情は変わらないと思うし、またそういう社会ならではの話題もある。

2014年12月2日火曜日

彌次喜多道中記 昭和33年

何度か映画化されている有名作品、これは千葉泰樹監督によるオールスター娯楽時代劇。公開月は調べていないが、正月映画にありそうな娯楽編である。同監督初の総天然色映画だそうである。



 主人公演じるのは加東大介と小林桂樹。江戸のお調子者の二人が妻(乙羽信子と淡路恵子)に敷かれている。徳川夢声の十返舎一九から京都まで東海道を行ってその道中記を教えてくれと頼まれ旅立つ。その間に起こる失敗談等を織り交ぜた喜劇道中記である。

先に書いたように当時の東宝のオールスターが出演しており、道中をともにする女泥棒の草笛光子、三木のり平の女形役者、飴売りと見せかけた実は役人の宝田明、敵討ちの兄弟で三船敏郎と池辺良、その他、金語楼とか有島一郎、水谷良惠、雪村いづみ等々、当時の人気役者が実に大勢出ていて、彼らを見ているだけで楽しめる。
 
多分映画の名作を選ばれる際に取り上げられるような作品ではない。しかしながら映画を見る面白さはこういう映画が与えてくれる。映画の全盛期ならではの豪華な感じはその後の日本映画からは見られない。