2017年5月31日水曜日

明日、戦争の後で Eng nei Zäit 2015



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ルクセンブルク映画、クリストフ・ヴァグナー監督。
第二次世界大戦末期、故郷の町へ主人公の男は帰ってくる。フランスでレジスタンスをしていたのだ。故郷では英雄扱いになる。
酒場で働く恋人へ行く。驚きと喜びをもって迎えられるが、何年も音沙汰なかったことを恋人はなじる。彼女は今ドイツ人の家庭の家政婦としても働いている。男は嫌がるがカネのためという。
戦争が終わる。男は憲兵隊の補兵として働くことになる。

ドイツ人の一家全員が殺害される事件が起こる。憲兵隊の一員として、男はそこで働いていた、犠牲になった恋人を発見する。
ドイツへ帰っていた者が容疑者として逮捕される。恋人の従姉がやってきて、恋人とドイツ人との関係等、知らされる。家を捜索して確認する。また容疑者の単独犯行に納得できない男は単独で捜査を進める。越権行為をして真相をつきとめる。

しかしレジスタンス運動での彼の実際、すなわち自らの救命のための行為が発覚し、憲兵隊を辞めるように言われる。
彼のおかげで真犯人は捕まったが、町の者はせっかく落着した事件を蒸し返し、今後の再建の妨げとなったとなじる。自分の居場所は故郷にないと悟る。

戦争勝利国では戦後、敵方の協力者は迫害された。またこの映画に描かれているように敵国人ということだけで、憎しみの対象となった。戦争では避けられないことであろう。戦争がもたらす悲劇の一つである。

ホワイト ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ) Fehér Isten 2014



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ハンガリー=ドイツ=スウェーデン映画、ムンドルッツォ・コーネル監督。
映画は自転車に乗った少女が街中を駆けていく、犬の群れがそれを追う、という場面から始まる。
少女の母親は豪州へ新しい恋人と長期の旅行へ出る。元夫に娘を預ける。少女は雑種の犬を飼っている。父親はアパートに犬を連れてくることを嫌がる。更に雑種は税金までとられる。
少女はオーケストラでトランペットを吹いている。犬を連れていく。練習の最中、犬が吠えだし、指揮者に怒鳴られる。少女は犬と出ていく。

父親は犬を道路の途中で車から追い出す。犬は車を追いかけるがはぐれる。少女は犬を捜すが見つからない。
犬は他の野犬と群れる。野犬狩りには辛くも逃れる。しかし男に捕まって売られ、闘犬用に教育される。闘犬で勝った後、脱走する。元の野犬の仲間と会ったが、今度は野犬狩りに捕まる。闘犬化した犬は職員を襲い、他の多くの野犬どもと施設を逃げる。店や人を襲って狂暴になった犬の群れは街を恐怖のどん底に陥れる。

少女の所属するオーケストラの発表会。そこへ犬が率いる野犬の群れがやって来る。少女は自分に責任があるとして、この犬の群れに立ち向かう。映画冒頭の場面の再現。
かつての愛犬が狂暴化し自分を襲おうとする。しかし最後にお伽噺のような結末がある。

最後のあまりに幻想的な結末はともかくとして、こういう映画は日本では作られないことは確か。なお少女の楽団の演奏する曲は、リストのハンガリー狂詩曲第2番である。ハンガリー映画ならでは。

2017年5月29日月曜日

パティーとの二十一夜 21 nuits avec Pattie 2015



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フランス映画、アルノー・ラリユー、ジャン=マリー・ラリユー監督。
疎遠だった母の死の知らせを聞き、女主人公は山村に行く。そこの大きな館で亡くなった母と再会する。女管理人のパティーと会う。彼女は自らのセックスの話を、のべつまくなし喋りまくる。明くる日、母の死体は消えていた。憲兵隊に捜索を頼む。
老人がやって来る。彼は生前の母と知り合いで、たまたま来たのだが、死を知って驚く。母の蔵書から彼が有名な作家ではないかと疑う。また夫へ電話して、夫の言から、もしかしたら自分はその老人と母の間の子ではないかと思い始める。

母親の死体失踪について、憲兵隊の隊長の話でおぞましい可能性も聞かれる。更に変質者がいて、それがやって来た老人ではないかという、疑いさえ聞かされる。皆で食事の時、気味の悪い可能性の話になってもパティーは笑いにして、老人は気に入る。
 
ともかくセックスや君の悪い話など、普通には禁忌の事柄を登場人物、特に題名に使われるパティーがなんのてらいもなく話しており、随分変わっていると印象を残す。