2017年9月30日土曜日

中野並助『犯罪の通路』中公文庫 昭和61年



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著者は戦前活躍した検事、戦争中に検事総長まで上りつめた。その犯罪回想録である。
定本は昭和45年刊とあるが、著者は昭和30年に亡くなっているので、20年代の著作だろう。
戦前の犯罪のありさまがわかって興味深い。犯罪や捜査への見方は著者個人のものであるが、現代からみてどの程度変わっていないか、変わっているのか、不明である。
ここで述べられている犯罪には、現代では歴史となった津山事件とか、あるいは大正時代の連続強姦殺人魔の吹上などがある。当時どう見たか、扱ったか貴重な記録である。歴史の教科書に出てくる米騒動の鎮圧模様などは、犯罪というより広い意味での同時代史となっている。もちろん多くの事件は全く知らない。
 
今まで幸いに犯罪に関わりあわず人生を過ごしてきたが、こういう犯罪記録を読むと、被害者をはじめ、犯罪という不幸に巻き込まれた人たち(現在では多く鬼籍に入っているだろう)を思い、人生を深く考えさせられる。

2017年9月26日火曜日

谷崎潤一郎『黒白』全集第11巻 昭和57年



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原作は昭和3年、朝日新聞に連載された。犯罪小説の一つである。
主人公の作家は放埓な生活を送っている。悪魔主義の作家として、いつも小説で妻を殺しているので妻は逃げてしまった。今書いている小説もモデルがいる。知り合いの編集者である。その男を作家が殺すという話である。つい本人と同じような名前をつけてしまった。それを後から気づき、その編集者が読まないかと心配になってくる。
更に次のような妄想とも言える心配をするようになる。もしかするとこの小説の読者でモデルが誰かが分かれば、小説にならって実際にその編集者を殺すのではないか。その容疑は作中の犯人のモデルである作家自身にかかるから自分は安全と思って。

一方で自分を担当する編集者を騙して巻き上げたカネで銀座へ遊びに行く。そこで西洋風の雰囲気の女に会い、横浜本牧の彼女の家まで行く。愛人契約をして持っていたカネを全部とられる。ドイツ人と結婚していたこともある文字通り妖婦で、男を手玉に取る才能にたけ、主人公も翻弄される。

這う這うの体で家に帰るとなんと自分が心配していた、あの編集者が殺されていたと知る。それ以来原稿取りに汲々していた、担当の編集者をはじめ周りの者が作家を敬遠するようになる。自分を犯人と疑っているのではないか。そのアリバイ証明はあの妖婦である。約束の時間に行っても会えない。
刑事が家にやってくる。やはり彼に容疑がかかっていたのだ。

小説としては設定等に無理があるように思え、傑作とは言い難いのだろう。文庫に収録されたことはなく、あまり有名でない小説である。
以前読み、妙に記憶に残っていた。今回の読み直しで以前ほど感心はしなかったものの、谷崎自身がモデルであるような主人公の作家や、編集者とのやり取りは実際の体験を基にしているのではないかと思わせ、そういう意味でも一読の価値がある。

ヴァン・ダイン『グリーン家殺人事件』創元推理文庫、井上勇訳 1959年



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原作は1928年に発表された。ヴァン・ダインの推理小説の中でも傑作と言われている作品。
ニューヨークの河畔に立つグリーン家の古い屋敷。互いに憎み合う家族。膨大な遺産を相続するためにはその屋敷に住む必要がある。陰惨な殺人事件が次々と起こり、家族はどんどん減っていく。犯人は誰か。

極めて古典的な推理小説である。犯人当ても難しくないかもしれない。しかしむやみに複雑にして読者を煙に巻く作品より好む人がいるかもしれない。
より現代の推理小説は話が複雑になり、推理小説の部分よりもそれ以外が大きな要素となっている物が多い。登場人物の恋愛関係や作者の調べた知識を延々と聞かされたり。時代が変わったからそれで新しい仕掛けを作れるだろうが。

正直に言おう。「本格」推理小説ほど子供だましという言葉が似あう分野はない。子供の時は関心をもって楽しんで読めたが、大人になるとその非現実さがあほらしくなってくる。可能性としてできる、が100%できるとなって(現実には確率的に非常に低いはず)、犯人はやすやすと殺人を犯す。探偵の推理ときたら、これまた一つの可能性に過ぎないものが悉く当たる。荒唐無稽の世界である。ホームズの推理を感心して聞くワトソン、まるで漫才だと評した作家がいる。それを薄めるため推理以外の部分が大きくなってきたのだろう。
大人になってもトリックや犯人の意外性などを楽しめる人は幸せである。

この作品も子供の時に読み、何十年ぶりかの再読である。実は子供の時より今回の方が読んで感心した。なぜか。当時この小説の前にクイーンの『Yの悲劇』を読んでいた。クイーンの小説は本作の4年後の発表である。明らかに本作の影響を受けている。しかし『Yの悲劇』を先に読んでいたため、当時は似たような小説だと思って、それほど感心しなかったのである。
今回の再読は『Yの悲劇』への影響もよくわかり、推理小説としては先に書いたように、古き良き時代の単純な設定を楽しめた。