2019年4月29日月曜日

人斬り与太 狂犬三兄弟 昭和47年

深作欣二監督、東映、総天然色、86分。現代やくざシリーズの最終作。
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相手やくざを刺し6年間刑務所暮らしの後、出所した菅原文太を待っていたのは、弟分の田中邦衛だけである。組に帰ると組長は宥和政策で、敵を潰す気などなく、菅原は大いにくさる。渡辺文雄が組長の、敵方の島の賭博場で助けた蛇使いの男とは気安くなる。

バーの2階で売春を始める。田舎娘を菅原は強姦し、客を取らせるようにする。組にも内緒の売春宿で菅原らは大儲けをする。渡辺方はそれを菅原属する組に垂れ込む。激怒した組長は菅原をどやしつける。渡辺の組は蛇使いを拉致し殺す。菅原は復讐で敵の代貸を殺す。弟分の田中は、実家にいつものようにカネをせびりに行き、堪忍袋の緒が切れた兄弟、母親に殴り殺される。

菅原に我慢が出来なくなった組長は、菅原殺害を命じる。自分を組長が殺させると知った菅原は逆に組長を殺す。最後に一人となった菅原は銃撃で殺される。映画の終わりに、菅原が強姦し娼婦にさせた女が菅原の子を、その後産んだと字幕が出る。

ともかく道徳心のかけらもない菅原は自分の感情の赴くまま暴走し、最後は当然ながら殺される。弱い者いじめも気にしない。意図的にやるのでなく自覚さえない。このような菅原に嫌悪感を持っても不思議でないが、まだ少しは共感を持てたのかもしれない時代の映画である。本作は仁義なき戦いの露払いの映画と語られることが多く、それが真実だとしても夫々の映画はその映画で観られるべきである。

現代やくざ 人斬り与太 昭和47年

深作欣二監督、東映、総天然色、88分。現代やくざとはシリーズ名でその5作。
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主人公の菅原文太が生まれた川崎、母親は初めは娼婦、次に屋台引きをしていたが事故で死ぬ。愚連隊になった菅原はやくざの一人を刺し刑務所入りになる。
出所してみると経済成長による街の変貌ぶりに驚く。小池朝雄に声をかけられ、昔の仲間と共に街をのし歩く。以前刺したやくざの組と問題を起こし逃げていると、相手の組の組長(安藤昇)に救われる。他人の下になるのを嫌う菅原だが、安藤の配下の組になる。

敵方のやくざは関西から大物のやくざの組長を呼ぶ。菅原はこの組長もものとせず挑発さえする。
敵が関西勢と組んだのを見て、安藤は先手をうち、敵やくざを一掃する。関西の大物と会い、今までの敵やくざの島は渡すから、手打ちにしようと持ち掛ける。相手の会長は条件がある、それは菅原一味を処理する、と返事した。
もはやこれまでと小池は逃げるが、やられる。菅原は廃工場に残りの手下と立てこもるが、周りを囲んだ相手から、若い者を道連れにする気かと諫めされ、出てくる。その場に駆けつけた情婦と共に銃撃をくらい斃れる。

ただ反抗だけして死ぬという生き方に、共感する観客が当時は今よりいたのであろう。

2019年4月28日日曜日

脅迫(おどし) 昭和41年

深作欣二監督、東映、白黒、84分。
二人の脱獄犯が一般家庭に逃げ込み脅す。ワイラーの「必死の逃亡者」と同じ設定である。若干異なるのは、脱獄犯は赤ん坊を誘拐しており、身代金を要求してから高飛びしたい、それに家の者が協力を強いられる、という点である。

会社員三國連太郎の家に脱獄犯、西村晃と室田日出男の二人が赤ん坊を連れて押し込む。三國が西村らの身代金要求に使われ、そのあたりが見ものとなっている。
「必死の逃亡者」と比べると一家の主人の違いが際立つ。アメリカ人は必ず悪人に脅迫されると毅然たる態度で臨み、時には挑発するような言動をする。それに対し三國は全く小心者で脱獄囚の言いなりである。出かけている最中に妻が室田に暴行されそうになる。それを見つけた三國は妻を殴りつける。女を殴るくらいしかできない日本の男を表しているのか。
更に三國は言われた身代金受け取りに失敗した後、汽車に乗って逃げようとする。家族を脱獄犯の元に置いたままである。さすがに気を取り直し帰宅する。

このような三國のダメ男ぶりは、最後に活躍する場面を際立たせようとする対照を作っているかもしれない。最後の街中での活劇はまた見ものである。
どうも「必死の逃亡者」との比較が頭から離れないし、劇中にこの場面、脱獄犯から逃げられるのではないかと思うところがあったものの、それなりの出来になっている。

狼と豚と人間 昭和39年

深作欣二監督、東映、白黒、95分。
長男が三國連太郎、次男が高倉健、三男が北大路欣也という三人兄弟のカネを巡る争い。
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三人兄弟はいずれも貧民窟育ち。三國は貧民窟を飛び出し今ではやくざ組織の相当な地位にいる。高倉も飛び出し、悪事を重ね今では情人(中原早苗)と一緒にいる。北大路は母親の世話をし、その死後はチンピラどもと徒党を組んでいる。

高倉は仲間(江原真二郎)と、やくざからのカネ及び麻薬の強奪計画を立てる。ただ実行部隊として人手が必要である。北大路とその仲間たちに一人頭五万円で協力を頼む。自分を捨てた憎い兄だがカネにつられる。やくざからの強奪は成功した。しかし北大路が鞄を開けてみると四千万からの現金が入っている。驚き北大路はカネ等を隠す。

集合場所の貧民窟の小屋(地下室もある結構大きな建物)で、高倉と江原は北大路らにカネをありかを問い詰めるが、五万円で騙されたと絶対に白状しない。仲間を拷問し、北大路を追い詰めようとする。仲間の女を強姦し、万力で手を押し潰すといった残虐極まる場面が続く。北大路は目の前で仲間が拷問に会っているところを見せられ、自分の手を自ら潰し、痛くないぞと叫ぶ。

一方麻薬とカネを奪われたやくざは取り返しに来る。三國は自分の弟たちに説得を試みるが、家を捨てた三國の言葉は全くきかない。
小屋をやくざたちが銃を持って取り囲む。小屋の中では、荏原が北大路を撃とうとすると高倉は弟を守って江原を撃つ。仲が少しは改善したか、北大路と高倉。三國が最後にカネ等のありかを教えてくれと弟たちに頼みに来る。北大路は教えてやってもいい、こちら側に来るなら、仲間でなければ教えられないと答える。三國は諦め、やくざ連が一斉に銃撃し、小屋の者たちは皆殺しになる。
最後に三國がとぼとぼと貧民窟から歩いて帰ろうとするところを、後ろから住民たちがものを投げて非難の行動をする。

貧民窟は「どですかでん」の舞台のようなところである。北大路と仲間たちが指を鳴らしながら歌う。ウェストサイド物語のマネに見える。現金麻薬強奪は渋谷駅構内で行なわれる。今と同じだからすぐわかる。普通は良い役の高倉が、拷問を進んでやる残酷な男を演じているのは稀少価値がある。

迫力ある映画である。観ていて興奮する。しかし気になるところがある。
この映画は経済成長に取り残された持たざる者たちの抵抗と国立FAのパンフレットにあるが、同情できない連中にしか見えないのである。
高度成長期だから仕事はいくらでもあった。北大路と仲間たちは好き勝手なことを言っている。それが悪いわけでない。人間とはそういうものだ。しかし仕事もせずに遊んでいるような連中に同情する気は起こらない。貧民窟の人々はどうか。歳もとっていれば新しい仕事は無理かもしれない。実はこの映画で一番心に残ったのは最後、敗残者の三國に物を投げて非難するところである。彼ら貧民窟の住民たちは隙あらば自分たちでもイジメをしたいのである。三國が敗者だからみんなで、後ろから石持て投げるのである。まことに唾棄すべき連中である。
高度成長に取り残されたから同情すべきなどという論理はあまりに甘すぎる。弱いから善人、強いから悪人ではない。善人悪人の区別と良い悪いの区別は別である。ただ敗残者に同情していれば正義などとは大甘である。

さらに本映画は筋上きわめて気になるところがある。最後に白状しない連中を全員射殺してしまうのである。全部殺してしまったらカネ麻薬は回収できないではないか。やくざたちは殺人に来たのでなく、カネ麻薬を取り戻しに来たはずである。全員拘束して、高倉江原がやったようなことをするはずである。それでは長くなりすぎで映画として成り立たないのか。
巻き添えで殺されてしまった中原早苗が可哀想。ほかは死よりもカネの連中だから死んで当然。

2019年4月27日土曜日

ギャング同盟 昭和38年

深作欣二監督、東映、白黒、80分。敵方の役が多かった内田良平主演の映画。

内田が出所する。待っていたのは仲間の佐藤慶。内田入所中に東京はすっかり変貌し、もはや内田らが闊歩していた闇市時代でない。
かつての仲間を集め、再び自分たちの地位を取り戻したい。今では組織と呼ばれる大きな得体の知れない権力が裏の社会を仕切っている。仲間の戸浦六宏が勤める会社の社長は平幹二郎である。組織のボスと思われる会長とその娘である三田佳子を誘拐する。身代金として六千万を要求する。
内田一派と人質の会長、三田がこもる廃村に、平率いる悪党連中が来る。この後は「白昼の無頼漢」の後半と混同してしまいそうな銃撃戦である。

戦後の新秩序が形成され、昔からのやくざや暴力団は、何が社会を仕切っているのか、動かしいているのか、分からなくなっていた。目に見えない権力、これは当時の理解の仕方であった。製作された時代を反映している。

ギャング対Gメン 昭和37年

深作欣二監督、東映、総天然色、82分。
ギャングをやっつけるため、元やくざが警察の手先となりギャングに対抗する。

今は堅気になって運送屋を営む鶴田浩二、相手は佐久間良子である。そこへなじみの老刑事が来る。ギャングの会社に張り込ませた警察官が何人も殺された。やくざに戻ってその会社を探ってくれないかと刑事は頼む。鶴田は断る。しかしその会社にひどい目に会っている者たちを見て、刑事の頼みを聞き入れる。七人の侍なみに、なじみのやくざ者を集める。鶴田の弟である千葉真一が帰ってくる。仲間に入れてくれと頼むが鶴田は聞き入れない。千葉はこっそり相手側の会社に入り込む。

丹波哲郎が率いる相手の会社は密造酒を作っている。その輸送経路を鶴田の仲間たちは探る。ようやくわかり丹波らを痛い目に会わせる。丹波は佐久間を攫い暴力を働く。丹波と鶴田の対決の場面では、見破られた千葉が縛り付けられたまま射殺される。
その後は爆破されそうになって、からくも逃れた鶴田一派は、丹波らとお決まりの銃撃戦をやる。丹波は爆発でお陀仏になる。

Gメンという言葉は懐かしい。そういう名のアメリカ製テレビドラマがあった。本作もアメリカテレビ番組アンタッチャブルを下敷きにしている。そのため密造酒売買など日本では聞かない話になっている。初期の深作映画でむやみに銃撃戦が出てくるのは、ウィキペディアによると岡田茂社長の命だったらしい。ということは当時の観客は銃撃戦を好んでいたというわけである。どうせ作り話だから有り得ない派手な銃の打ち合いを楽しんでいたのか。
なお歌手の沢たまきが、丹波の経営するバーで歌を歌って台詞もありこれも懐かしい。

誇り高き挑戦 昭和37年

深作欣二監督、東映、白黒、89分。
鶴田浩二扮する新聞記者が社会悪を暴こうと挑戦する。

かつて大新聞に勤めていたが、反権力の姿勢を貫こうとしたため馘になった鶴田。今では鉄鋼の業界紙の記者である。某工場は武器を革命中の外国(日本に来ている)に売ろうとしているらしい。たまたま工場で丹波哲郎が車で去るのを見かけた。丹波は、戦時中は軍の機関、戦後はGHQの手先で働いていた。鶴田がGHQから痛めつけられていた時には鶴田に改心を促した。

鶴田は今でも迷宮入りになった女殺しに関心を持つ。その被害者の妹が大空真弓である。鶴田と組むカメラマンを若き日の梅宮辰夫が演じる。
丹波は武器を革命勢力と当該国の国家側双方に売りつける二枚舌を企んでいる。革命勢力の女は二重スパイをしている。

鶴田は工場で働く知り合いの中原ひとみに頼み、内情を探らせようとする。それが背後の権力側にばれて捕えられ、拷問を受け(静止写真で表現される)廃人になってしまう。
背後の権力は丹波や二重スパイの女まで容赦なく排除する。
真実を追求する鶴田は元いた大新聞に記事を載せてもらおうとするが、うやむやにされ大声で新聞社の事なかれ主義を糾弾する。
鶴田は最後には大空に言われて黒眼鏡をはずし、眩しく空を見上げる。

製作された時代の反映を感じさせる。庶民にはどうしようもない権力が凡てを支配する、松本清張の世界そのままだ。よく言えば正義真実を求めてやまない、悪く言えば青臭い鶴田は、当時は今より多かったはずである。制作側はその気がなかったろうが、正義のため事実を知るため中原を犠牲して何とも思わない鶴田は、ある意味左翼の身勝手さを表している(後に連合赤軍事件で極端に明らかになる)。

2019年4月26日金曜日

白昼の無頼漢 昭和36年

深作欣二監督、ニュー東映東京、白黒、82分。
ならず者らによる現金輸送車強奪の顛末。米軍基地からの現金輸送車を襲う話。丹波哲郎が計画を立て、実行者を集める。強姦魔の黒人兵、アメリカの白人夫婦、朝鮮人など多国籍軍である。いずれ劣らぬ悪党で、実行の前から喧嘩ばかりしている。黒人兵が米人の女に手を出しそうになり、丹波は商売宿から黒人との会いの子の娘を連れてくる。それが顔を黒くした中原ひとみである。

なんとか現金輸送車からカネは盗むものの、隙あらば仲間を出し抜いて、カネを独り占めしようとする輩ばかり。それに加え丹波が強奪に必要な資金を融通するため使ったやくざは、後からつけてきて、カネを奪おうとする。そいつらとの銃撃戦で命を落とす者。黒人兵は好きな中原を連れて香港へ逃げるつもりだった。
廃墟化した村(何かの施設だったのか)に立てこもり、やくざとの持久戦になる。最後は打ち合いが始まり、激しい銃撃戦の後、残ったのは中原一人。やけくそになったか、銃を空へぶっ放して終わる。

何しろ集めた連中が外国人の癖ある悪党ばかりで、こんな連中で強盗を企むなど非現実過ぎるとまず思ってしまう。特に昭和30年代の日本では有り得ない感が強すぎる。むしろこういう異国情緒が当時は受けたのか。現金輸送車を襲う場合は、必ずといっていいほど、工事中の看板を出し、道を変えさせる。映画ではこうしないといけない規則でもあるのか。
なんといっても最後の銃撃戦である。今回の深作映画特集、昭和30年代半ばまでは絶対に最後に派手な銃撃戦になる。こういう非現実的な銃撃戦が作り話だからこそ好まれたのか。

2019年4月24日水曜日

「ファンキーハットの快男児」シリーズ 昭和36年

深作欣二監督、千葉真一主演による、風来坊探偵シリーズに続く添え物映画である。これも2作あり「ファンキーハットの快男児」「同 二千万円の腕」、共にニュー東映、白黒、前者が53分、後者が52分である。

「ファンキーハットの快男児」で千葉は探偵事務所の息子であるが、高級スポーツカーの販売をアルバイトでしている。たまたま見かけた中原ひとみに声をかけ、ジャズ喫茶に誘う。中原は株式投資に熱心で、損したので気分転換で千葉の声に応じたのである。喫茶でもラジオで株式情報を聞いている。
一方、高級官僚の幼い息子が誘拐され身代金を要求される。中原はその官僚が公共事業の担当会社を知っていると思い、家に押しかけようとする。犯人からの連絡を待っていた官僚宅に行くと誘拐犯と間違えられ、中原は逮捕される。誤解は解け釈放される。身代金は払われ子供は帰ってくる。中原が株を新規注文した際、五百万で株を買っている女を見かけた。五百万は身代金の額である。五百万で株を買った女が誘拐犯であろう、千葉と証券会社に行く。そこで運よく換金に来ていた男に会い、車で後をつける。犯人は高級官僚の秘書であった。官僚と癒着業者はカネを取り返そうとし、工事予定地で千葉らと悪徳業者の手下連中と銃撃戦になる。警察がやって来て悪党どもを捕まえる。

「ファンキーハットの快男児 二千万の腕」はプロ野球のスカウト合戦で、不当に選手を匿い大儲けを企む悪漢どもを千葉が退治する。
ファンキーハットの快男児と同じ出演者が別の役で出ている。中原ひとみはスポーツ紙の記者である。中原に惚れた千葉が演奏会場で空いている中原の隣に坐る。そこから二人の仲は発展するが、元は見合いの場所だった。見合いの相手が現れないのは、水死していたからである。千葉は見合い相手の死に関係あるとみられ、警察に連行される。
一方、中原が関心を持つ、人気の高校球児にはプロ野球スカウトが群がる。後援会長なる男が球児を匿い、野球に疎い父親を操作して儲けを企む。
千葉の同僚が球児と知り合いの仲で、田舎にいるのではないかと赴く。後援会長を訪ねるが追いかえされる。球児も中原も沖の島(猿島でロケ)に捉えられていた。最後はお決まりの銃撃戦で悪人ばらをやっつける。

このファンキーハットの快男児シリーズは風来坊探偵シリーズより、明るくユーモアがあり観ていて楽しい映画である。若き日の中原ひとみの活躍が見られる。比べると風来坊探偵シリーズは真面目で少し暗い感じがしてしまう。

「風来坊探偵」シリーズ 昭和36年

深作欣二監督のデビュー作。国立映画アーカイブの再開は深作欣二特集で、その第一弾として「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」と「風来坊探偵 岬を渡る黒い風」が上映された。ニュー東映、白黒映画、前者が62分、後者が60分である。
共に千葉真一が主役であり、同じ俳優が出ている。シスター・ピクチャー、添え物映画と言われた映画だそうで、おまけとして同時上映で公開されたのだろう。

「赤い谷の惨劇」はセスナが冬山の間をふらついて飛行する場面から始まり、雪の斜面に激突する。飛行士の妹が現場に行こうとする。馬車をひく娘に助けられ牧場に着く。牧場で観光開発をする業者が跋扈していると聞かされる。雪の山を登り墜落現場に着いた娘。そこへならず者たちが来て娘に乱暴しようとする。千葉真一が現れ男どもを退治する。娘はセスナの中で拾ったマニキュアの小瓶を千葉に渡す。
牧場へ開発業者が来て、牧場の明け渡しを求める。セスナで事故死した社長の文を渡す。

千葉は事故の調査に来ていた探偵だった。
業者に雇われた拳銃使いと千葉の対決があったり、事故も業者側が仕組んだ企みと分かり、銃撃戦があって解決する。

「岬を渡る黒い風」は海が舞台である。
漁船が何度も難波する、その調査依頼に応じた私立探偵の千葉はその漁港に赴く。頼んできた娘の父親も事故で亡くなっていた。
その港では漁獲を上げるための研究所がある。そこが怪しい。その研究所の船関係の仕事を引き受けている海運業者が、依頼された漁業会社のライバルである。
千葉は海運業者と研究所のつながり、悪事をあばき、最後は銃撃戦で敵方をやっつける。

このシリーズは、まるで当時のテレビドラマを観ているかのような感じにさせる。むやみやたらに銃の応酬がある。まだ戦争からあまり経っていないから?「赤い谷の惨劇」ではカウボーイのような恰好の人物が出てくる。当時は西部劇が人気で、テレビドラマでも、漫画にもなっていた。

当時は景気が良かったせいか、こんな映画にも結構カネを使ったそうだが、映画として虚心坦懐にみれば大したことない出来である。深作、千葉真一の主演デビュー作ということで歴史的な価値はある。

デッカー『靴屋の祭日』 The Shoemaker's Holiday 1600

イギリス、エリザベス朝の劇作家デッカーの喜劇。

愛し合う恋人たち、親は双方ともその結婚をさせる気はない。
男は叔父である伯爵の言いつけに背き、フランスへ戦争に行かず、恋人会いたさにオランダ人に化ける。作中最も重要な人物である靴職人の親方は、諧謔に富み親分肌である。男はオランダの靴職人として、その下につく。

市長は自分の娘に結婚相手の男をあてがう。しかし娘はてんで相手にしない。その男は娘の恋人が戦争で死んだと告げる。靴職人の一人は結婚したばかりなのに、戦争へ行かなければならない。残された妻は悲嘆にくれる。
最後に愛し合う男女は結ばれる。身分の違い等で不満を言う親たちに国王が解決を与える。戦争で片輪になった靴職人は愛する妻と再び結ばれる。

靴職人の親方は、後に市長にまでなる。親方が重要な人物であるとは、ワーグナーの『ニュールンベルクの名歌手』を思い出す。徳川幕府成立頃とは思えないほど近代性のある劇である。
三神勲訳、筑摩書房世界文学大系89、古典劇集★★、昭和38

2019年4月20日土曜日

舞踏会の手帖 Un carnet de bal 1937年

ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、フランス映画、144分。
女主人公が若き日、舞踏会で踊った男たちの現在を訪ねていく。

コモ湖畔、主人公のマリー・ベルは夫を亡くしこれから何をやるか迷っている。
たまたま見つけた手帖、そこに書かれた男たちは若い時、舞踏会で踊り、自分に愛をささやいた者である。みんな今はどうしているか。訪ねていく。

最初の男の家では、母親が対応に出る。もうすぐ帰ってくるとか言うが、調子がおかしい。息子は失恋で自殺しており、母親は頭が狂っていたのだ。
次に会いに行った男(ルイ・ジューヴェ)はキャバレー経営の俗物に成り下がっており、悪事にも手を染めていた。主人公を認め、若き日の詩を思い出す。しかし警察が捕まえに来た。

神父が少年たちに合唱の練習をつけている。女主人公が来たと告げられる。かつては作曲家だった。しかし恋していた女のために作った音楽の披露の会で、彼女が聞いておらず隣の男と話笑っていたのを見て、作曲家の道は諦めたと言われる。
今、アルプスのガイドをしている男と再会し、その男と一緒にいると遭難の知らせが入り、主人公を置いて出る。
田舎の町長になっていた男を訪ねると、女中との結婚当日で披露宴に招かれる。披露宴の間、町長の義理の息子がやって来て、町長と醜い争いになる。這う這うの体で主人公は逃げだす。

堕落専門の医師になり下がっていた男は病気持ちで、彼女が来たので引き留め、食事していけと言う。しかしその間、病気の発作が起こり、妻から出て行けと怒鳴りつけられる。
故郷の町で美容師をしている男に会う。舞踏会は昔のまま今でも開催されていると聞かされる。行ってみる。散文的俗物的な舞踏会を見て、自分の記憶との落差に驚く。そこで会った娘は初めての舞踏会に胸をときめかしている。歳を聞くと16だと答える。自分が初めての舞踏会に出た歳と同じである。

屋敷に戻ってくる。もう一人近くに住んでいた男がわかった。自分が好意を持っていた男である。これまでの幻滅の経験から会うのを止めようと思ったが、執事に勧められ出かける。
会ったのは昔のままの彼である。実は息子で、本人は亡くなったばかりだと聞かされる。屋敷も人手に渡ると言う。主人公はその青年の世話をすることに決める。

本映画は何十年ぶりかの再見である。日本で絶大な人気があったデュヴィヴィエは、本国では日本のような未開国でしか人気のない監督と言われていたらしい。
非常に分かりやすい映画で大まかな流れはよく覚えていた。個々の場面が自分の記憶と異なるものがあるのはいつもの事である。
特に大傑作とは思えないが、単純な流れは昔の映画らしく良い。

からっ風野郎 昭和35年

増村保造監督、大映、96分、総天然色映画、三島由紀夫主演。
三島は頼りないやくざの二代目、事務員の若尾文子を好きになるが、最後は相手側のやくざに殺されるという筋。

根上淳扮する敵のボスを傷つけて服役中の三島のところへ面会がやって来る。たまたま代わりに出た囚人が銃で殺される。根上側の復讐だった。出所は隠れてやった。
今までの女だった水谷良恵とは縁を切るが、事務員の若尾文子と関係ができる。次第に本気で若尾を好きになる。

偶然会った根上の幼い娘を誘拐する。根上が持っている、危険な試薬を寄こせと脅す。その薬で製薬会社をゆすれるからである。その争いはより上位のボスの仲裁で、試薬は折半となる。
若尾が妊娠する。堕ろせと三島は言うが産むと言って聞かない。故郷へ帰させる東京駅で若尾を待たせ、三島は赤ん坊用の服を買いに百貨店へ行く。そこで付け狙っていた殺し屋に銃殺される。

大映の俳優らに加え、志村喬など参加し豪華な出演陣であるが、肝心の主役である三島の棒演技ぶりで散々の評判だったという。誰が観てもすぐわかる。話題性でヒットしたらしいが。
三島も酷評ぶりに落ち込んだそうで、せっかく大映と契約したにもかかわらず、主演作はこれきりだった。映画の全盛期にもかかわらず。

以前の初見ではつまらないとしか思わなかったが、再見では結構面白かった。
大学出の親友、船越英二に自分は小学校しか出ていない小学士だとおどけるが、東大法科出の三島ならではのおふざけである。外国だったら観客が笑ったろう。実際このチンピラやくざ役は三島自身の願望の現れでもある。インテリの自己嫌悪として三島は知識層の正反対である、労働者等を評価していた。目立ちたがり屋であった三島にとって映画出演は希望であった。

この三島の学芸会とも言うべき映画は、三島が主演したことによって観られるべきで、一般的な評価をしてもしょうがない。かえって大根演技によって、より価値が増しているように思える。

2019年4月19日金曜日

三島由紀夫『文化防衛論』、ちくま文庫、2006

三島の表題作を初め、昭和42から45年までの論考を収める。
内容は次のとおり。

第1部     論文
反革命宣言、反革命宣言補註
文化防衛論、橋本文三氏への公開状
『道義的革命』の論理―磯部一等主計の遺稿について
自由と権力の状況
第2部     対談
政治行為の象徴性について(いいだ・もも、三島由紀夫)
第3部     学生とのティーチ・イン
テーマ・『国家革新の原理』、於 一橋大学、早稲田大学、茨城大学
あとがき
果たし得ていない約束
付・本書関連日誌(1968)

三島は戦後文壇の寵児であり、その「劇」的な最後は小説を読んでいない人でも知っているだろう。彼の政治及び日本文化への意見書である。書かれた時代の思想を反映しており、同時代の出来事をよく挙げている。今読むと若い世代は分かりにくく、老人世代は懐かしい。

高度成長期の真最中である。昭和42年に日本のGNP(国全体の所得)は西ドイツを抜き、米国に次いで世界第2位となった。しかし先進国としての自覚は全くなかった。その十年前の日本はひどく貧しい国だったが、この頃は昭和元禄と言われる(本書中にも出てくる)くらい良くなっていた。社会の政治風潮に関しては社会主義を望ましいとする、また戦争の反省から平和志向が極めて強かった。

三島は周知のとおり保守であった。最初の方の論考でも共産主義を是とする当時の大勢へ反論している。これを読むと、例えば戦時中にアメリカ人が、日本人は軍国主義的だ、戦争好きだと批判した文を書いたとする、それを今読んでいるような感じになってくる。

3部の、学生とのティーチ・イン(大学での討論集会)は読みやすい。特に質問側の学生の意見は攻撃的教条的で、内容は先に述べた当時の風潮の典型である、というか今では戯画に見える。知識のみで人生経験のない青年の意見だけに、思想そのものは時代の大勢を純粋に反映している。それに対して三島は丁寧な対応している。

本書で三島は日本の文化を守るべきと主張し、そういう考えがあるとしても、文化の象徴が天皇であるから軍隊と天皇を名誉の絆で結ぶべしとか、理解できない、ついていけない。
防衛との結びつきを別にすれば、天皇論や文学についての論は読む価値があると思う。

自決の前、自衛隊市ヶ谷駐屯地で隊員を前にした三島の演説はここで書かれているような内容で、全く隊員たちが理解できず野次を飛ばしていたのは、むべなるからである。
本書を読めば三島の行動について理解は深まる。切腹とかは無理だが。

「『道義的革命』の論理―磯部一等主計の遺稿について」は二二六事件の参加者というより首謀者の一人である磯部浅一主計の遺書について論じている。この獄中で書かれた遺書はインターネットで見られる。面白いので一読を勧めたい。