2015年6月30日火曜日

チェーホフ『ヷ―ニャ伯父さん』 1897

チェーホフの喜劇の一つ。いわゆる三大戯曲に次ぐ作品とされる。

ロシヤの田舎の家、痛風を患う老学者、その若い後妻、先妻の娘。先妻の兄がヷ―ニャ伯父。また痛風の治療に通う医者。

老学者はヷ―ニャ伯父や医者にうんざりしている。先妻の娘は不器量ながら長年医師に惹かれている。一方で後妻は若く魅力的である。ヷ―ニャ伯父も医師も後妻に恋している。義理の娘の頼みで、医師に意思を確かめると告白され驚く後妻。

老学者が家を処分してカネに変えようという案を発表するとヷ―ニャ伯父は激昂する。長年、義理の弟が有能な学者と信じ自分の一生を捧げてきたのに、今では役立たずの病気持ちになり下がって、自分と亡き妹の家を処分するとは言語道断とわめく。挙句の果ては拳銃発砲騒ぎまでになる。戸惑う老学者。後妻はこんな家に居られないと騒ぐ。落ち着いた後、学者と妻は家を出ていく。医師も去る。

残された先妻の娘とヷ―ニャ伯父。これからの人生を耐えていこうと諦念の気持ちになる。
チェーホフらしい望みを失った人たちが生きていく姿が描かれる。
神西清訳、河出書房版世界文学全集第22巻、昭和44

田上雅徳『入門講義 キリスト教と政治』 2015

政治思想の観点からキリスト教を論じた書。

通常の政治思想史では中世がキリスト教共同体の時代であったとし、そこでアウグスティヌスとかトマス・アクィナスなどの名前が挙がる。

この書では政治思想を考える上でのキリスト教の特色として共同性や終末観を取り上げ、それが聖書のなかでどう扱われ、どう理解すべきかをまず論ずる。その後実際の思想史でどう思想家たちが考えていったかを説明する。

宗教改革のルターやカルヴァンの説明までは思想史といった体だが、最終章ではアメリカという極めて宗教的な国家を論じており、これも役立つ。

ともかく邦語では類書のない貴重な解説書である。
慶應義塾大学出版会

フリードマン 資本主義と自由 Capitalism and Freedom 1962

ミルトン・フリードマンの自由主義擁護の書。いかに政府の介入が望ましくないかを具体的な制度や政策に沿って議論していく。


抽象的な一般論でなく、当時のアメリカで実施されていた制度・制作を対象に述べていくので解かりやすく、理論の実際への応用の勉強にもなる。政策論として読んでいて面白い。

立場は徹底的な自由主義であり、政府の介入が目的とはかけ離れているとか、全く逆の効果を生んでいると次々と例を挙げて進めていく。

本書が出されたのが1962年というから驚く。ケネディ政権当時であり、経済運営にケインズ政策が、福祉についても公共の役割強化が当然視されていた時代である。出版当時に全く評判にならなかったそうだが、あまりに時代に進み過ぎていたのであろう。

それから50年以上たって、社会主義体制が淘汰された時代になって古典として見直されたのはこれも当然と言える。なにしろ現代読んでもやや過激すぎると思われる個所、提言があるくらいだから。
村井章子訳日経BP2008

2015年6月29日月曜日

夕陽に赤い俺の顔 昭和36年

篠田正浩監督、寺山修司脚本、川津祐介、岩下志麻主演の喜劇調のアクション映画、総天然色。


悪徳建設業者の常務から業界紙の女秘書(岩下)を殺してくれと頼まれた殺し屋斡旋業。8人の癖のある殺し屋のうち誰が手掛けるか決めるため、競馬場で腕を競う。たまたま居合わせた青年(川津)が勝ってしまう。
彼が殺しを頼まれたものの、岩下と会い仕事をばらす。お互いに惹かれているようである。岩下は父が悪徳業者の手にかかり自殺に追い込まれたのでその復讐を計画していたのである。

8人の殺し屋たちは仕事を奪われた川津を殺そうと相談するが、その中でも山羊を連れた少女殺し屋(炎加代子)は川津に惹かれていた。

作りは面白いものの、もう少し工夫が欲しかった気がしないでもない。ただこの映画ではあの昭和30年代の空気が総天然色で詰まっている。そして登場人物が当然ながら若い。岩下志麻も本当に綺麗だし、殺し屋演じる俳優たちも若いなと感心してしまう。それだけでも価値がある。

2015年6月28日日曜日

毒婦夜嵐お絹と天人お玉 昭和32年

並木鏡太郎監督による新東宝時代劇。主演は、若杉嘉津子と筑紫あけみ。白黒映画。


岡崎藩の放蕩者の殿が若杉を見初め、取り立てる。家老は藩の乗っ取りを企み、若杉にその手先になるよう頼む。当時評判の女形は若杉のかつての恋人。彼に裏切られ毒婦に堕ちた。自分が藩の側室となったので、彼女は役者を呼び寄せる。驚くかつての恋人。しかし恨みよりかつての恋情が蘇り、二人は離れられない仲になる。

一方江戸市中を荒らしていた義賊は、筑紫扮する天人お玉。偶然知り合った藩の若い侍に惹かれ、彼を自分たちの仲間に引き入れようとする。彼は藩の悪家老を退治し殿を諌める仕事があると言って断る。天人お玉の仲間は彼の悪家老征伐に手助けする。

毒婦夜嵐お絹とは幕末から明治初期にかけての実在の人物で、芸者から側室になり夫の死後、妾になった。役者との恋愛から主人を殺害し斬首刑になったという。この映画、またその他の小説等も凡て自由に脚色されたものだという。

2015年6月27日土曜日

タンジェリン 2013

エストニア、グルジア映画、監督ザザ・ウルシャゼ。ソ連崩壊後のカフカス(コーカサス)地方の紛争を背景に、敵味方の兵士と彼らを保護するエストニア人を描いている。

 
正直、カフカス地方の紛争についてほとんど知らない。ロシヤとチェチェンの争いは有名だがこの映画では独立しようとする勢力とその反対勢力で戦争が行われている。

主人公はエストニア人の老人。その友人と共に故郷に帰っていない。友人は、タンジェリン(みかんの一種)の取り入れがあるからである。

家の前で戦闘があり双方で怪我人が出た。老人は家に運び治療する。兵士は老人に感謝するが、敵も同じ屋根の下にいると知るとお互いにまた争うとする。老人は一喝し、自分の家で戦闘は許さないと言う。

なんとか一緒に暮らしていたものの、そこへロシヤ軍のジープがやってくると・・・

戦争で敵味方の兵士が対面するミクロ的状況を描いており、その意味では『ノーマンズランド』を思い出した。
民族が錯綜し戦闘が絶えないという、現代の日本では想像もつかない世界が描かれている。

裁判の行方 2013

ベルギー映画。司法のミスにより釈放された殺人犯人を、被害者が自ら手を下すとどうなるかを描いた映画。

将来を約束された主人公は妻と子供と一挙に失ってしまう。妻は強盗による殺人で、娘はその際の事故によって。犯人は捕まったものの、検察の署名を忘れたという手続きミスによって裁判にかけられることもなく、釈放されてしまう。

主人公は憤り自ら犯人を射殺する。そして裁判を受ける。司法制度へ挑戦するためである。

被害者が直接犯人を殺した例は以前にもあったと思う。現在の裁判制度は、どの国でも検察官と弁護士のやりとりを陪審員なり裁判官が決定するという形式をとっており、そこでは被害者は傍観者の立場である。直接裁判に関わり合いできるわけでない。

この映画によればベルギーではこのように手続きミスによって釈放される件が度々あるという。まずなぜそのような欠陥を生む制度を変えないかと思ってしまう。

主人公のとった行動は、共感できるものの私刑を認めることになってしまう。
映画は裁判の場面が多く、どのような判決が主人公に出されるか緊張をもって観た。

2015年6月26日金曜日

候補者 2012

スロヴァキア、チェコ映画、監督ヨナーシュ・カラーセク。大統領選挙に無名候補を当選させるため広告代理店が策略を巡らすという話。


主人公は大手広告代理店の主であり、スロヴァキアの情報王ともいうべき男。この男は監視されており、二人の乗るワゴンから電話は盗聴され隠しカメラで凡て行動が把握されている。映画はこの監視されている状況で進んでいく。

広告王は奇妙な依頼を受ける。近々行われる大統領選で無名の候補を当選させて欲しいというもの。引き受けた彼は策略を巡らす。彼が昔のスロヴァキアの英雄の子孫であると発見し知名度を高めるが今一つ確証が欲しい。ケネディの暗殺からヒントを受け、投票直前に暗殺の標的になるという芝居を打つことにする。ところが・・・

実際の選挙でも実に色々な戦略が行われていると思うが、ここまでするかという手段に出て映画ならではの結果となる。

特捜部Q 檻の中の女 2013

デンマーク映画。監督ミケル・ノルガード。刑事がアラブ人の部下とともに過去に失踪した女議員の行方を追う。

刑事が犯人の家に突入し罠で部下を失う場面から始まる。負傷から回復しても元の殺人課に戻れず、資料室へ追いやられる。部下はアラブ人一人だけ。過去の事件の整理が仕事だが、数年前の女議員の失踪に関心を持ち、情報を集め調査を始める。

調査中様々な目に会い、上司からは叱られ、それでもめげずことなく真相を突き止めようとする。ある意味、刑事ものの王道をいく作りであり、そういう意味で枠組みに新鮮味があるわけではないが、十分楽しませる作品になっている。

左遷用の資料室(これが特捜部Qと呼ばれている)に同時に回されてきたアラブ人の部下が飄々としており映画に面白味を加えている。

我が内なる敵 2013

ギリシャ映画。監督はヨルゴス・ツェンベロプロス。家族が暴行を受け、それに復讐しようとする男の物語。


アテネの自営業のある一家、父と母、娘と息子からなる。この家へ強盗団が入り、父と息子は縛られ娘は暴行を受ける。向かいの家のやや変人ぽい男が隠しカメラで犯人たちを映していた。実は彼も以前妻が暴行を受けたからである。

この映像を元に父親は犯人たちを捜す。犯人を運よく見つける。直接復讐を果たそうとする。しかし成し遂げたことがもたらしたものは解決でなく、更に家族の安全を脅かすものになっていった。

憤りをどのようにして納めるのか、主人公のとった行動はとっぴとはいえ感情移入できないものでない。しかし正常と言えない行動の結果がどうなるかわからないのである。

2015年6月25日木曜日

パッション 2010

ポルトガル映画。監督はマルガリーダ・ジル。男が女に監禁されるという映画である。

作家の若い男は、歌手の女と一夜を過ごす。朝起きてみると自分が一室に閉じ込められたことに気づく。食事は差し入れがあるものの、部屋から出られない。男がわめいても無駄である。寝ている間に男の手足を寝台に縛り付け、自らそばによる。

倒錯した世界である。男が女を監禁すると言えば、すぐにワイラーの『コレクター』が思い浮かぶが、これは逆、女が男を監禁するのである。

途中で男は逃げ出せる。その後女の過去の事情などもわかるが、後半はいかにもヨーロッパ映画らしく難解というか、意図するところ、筋を要約しにくい話になる。

このアイデアで別の展開は色々考えられたであろう。

ハンガリー大使人質事件 2014

ハンガリー映画、監督サース・アッティラ、1958年にスイスのハンガリー大使館で起きた事件を元にした映画。

スイスのベルンにあるハンガリー大使館に二人組の男が入り込み、大使を人質にした事件の顛末を描く。正直、当時のハンガリー情勢について詳しくないので細部まできちんと理解できたか。

この事件の2年前にいわゆるハンガリー動乱があり、ソ連侵攻によって自由化への動きは止められた。ソ連、共産主義勢力へ対抗した自由ハンガリー組織の同士二人が押し込みの犯人なのである。二人は大使を人質にとり、通信に利用する暗号帳を入手しようとする。この暗号を自由ヨーロッパというラジオ放送で欧州中に流そうとしていたのだ。金庫の鍵は外に出た大使館員(実は内務省のスパイ)が持っており、大使を人質にしても中々金庫は開けられない。

この間、事件が起こったことを知ったハンガリー人の大使館員女性が犯人の一人の恋人であり、外から警察のスピーカーで呼びかける。警察も大使館なので捜査権限がない。しかし大使の命が危ないので隙あらば突入しようとしている。

金庫が開いたものの期待していた暗号帳はない。大使へ犯人たちは放送で動乱の時の立場を放送しろと迫る。

大使と対立している内務省の職員が大使館に入り込み、大使と犯人の立てこもる部屋の外から銃撃戦を始める。さすがにこれに警察も大使館へ乗り込み、銃を大使館員から取り上げる。

最後に収拾、捕まった犯人にスイス在のハンガリー人は声援を送る。ハンガリーの体制が抑圧的になっていて亡命した人たちなのであろうと推測できる。

何十年も真相が不明になっていた事件でこの映画も、これが真実なのかどうかわからないという字幕から始まる。

ザ・レッスン/授業の代償 2014

ブルガリア、ギリシャの映画、クリスティナ・グロゼヴァ、ペタル・ヴァルチャノフの二人の監督による。

主人公の女教師が担当のクラスでお金の盗難があった。犯人は申し出るように生徒たちに言うが誰も出てこない。

家に帰ると怠け者の夫が家の返済を怠り、そのため自宅が差し押さえられそうになる。なんとかしてカネを工面する必要がある。仲が悪い父親へ頼もうと行くが後妻に我慢がならず不首尾になり、最後には高利貸しへ借金に行く。

ようやく振り込むと銀行から金額が間違えてほんの僅か足りないと電話があり、足りない分入金するため奔走する。サラ金の返済に当てにしていたバイトの翻訳会社が潰れ、返せなくなる。返済の延長を頼みに行くと卑しい欲求をされる。最後に覚悟を決めて主人公は高利貸しへ向かうが・・・

プライドの高い女教師が、そのためもあってどんどん立場が悪くなっていく。そのため真逆の行為に出るまでに至るのが見ものである。

銀行側の手落ちで金を間違えても個人に責任がかかるのかと思ったりした。日本の銀行ならどういうふうにするのだろうかと思ったりした。

ちいさなバイオリニスト 2013

オランダ映画。監督ウァイス。父に隠れて不思議な老人からヴァイオリンを習う少年の物語。


サッカーに励んでいる少年が帰り路に不思議な光景を目にする。空き家の庭でヴァイオリンを弾く老人。少年にはその音楽に合わせ亡くなった母親の幻想が映る。

ヴァイオリンを習いたくなった少年は老人に頼む。難色を示していた老人は少年の熱心さに負け教える。ただしサッカーを習っていることにして、父親には内緒でやる。少年と二人住まいの父は老人の話を聞くと、二度と会ってはいけない、空き家に行ってはいけないと申し渡したからである。

ヴァイオリンに夢中になった少年は仲良しの同級生、アジア人との混血でやや黒人ぽい顔立ち、との約束なども忘れてしまうこともある。

上達するものの、当然いつまでも秘密にしておけるはずはなく、父親にばれてしまう。しかし不思議な老人の素性、過去の謎がわかるだけでなく、話は一挙に幻想的になっていく。最後の学校でのヴァイオリン演奏の場面では更に映画的な展開になる。

2015年6月22日月曜日

コールガール 2012年

 
スウェーデン映画、マルシメーン監督による。1970年代に政治スキャンダルに発展した買春組織の摘発を描いている。

十代の少女二人、寮に住む彼女らは買春組織に関わり合いを持つようになる。様々な政府等高官の相手やパーティ参加に駆り出され、嫌になっても抜け出されなくなる。
 
一方、警察でもこの買春組織を盗聴し摘発に向かう。しかし政府の高官等、中には大臣まで買春をしていた事実が明らかになるとこれを伏せておこうとする勢力が圧力をかける。担当の若い刑事はなんとかして少女売春という重罪で告発しようとし、今は寮から隔離施設に移されている少女の一人に接近する。しかしこの刑事に・・・・・

スウェーデンなんていかにも買春とか不思議でないようなイメージ(偏見?)があったけれどこのような醜聞が起きていたとは全く知らなかった。