2018年11月30日金曜日

春の悶え Hon dansade en sommar 1951

スウェーデン映画、アーネ・マットソン監督、108分、白黒映画。
都会の青年と田舎の少女の恋、周囲の田舎の人々から理解されない。
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映画は葬式に青年が向かうところから始まる。牧師の説教の後、青年はそこから駆けて去る。回想になる。上級学校へ進む前、青年は叔父のいる田舎へ行き一時的に生活をする。そこで会った少女と相思の間柄となる。しかし牧師を初め、田舎の人々は二人が深い仲になったと噂し、少女を遠ざけてしまう。青年は彼女に会いに行く。村の青年たちで芝居をする予定であった。牧師は芝居さえけしからんと思っている。そのため稽古をする学校に青年たちが入れないようにした。青年の、理解ある叔父は自分の納屋を若者たちに提供する。

都会から青年を連れ戻しに来た友人たちに帰る気はないという。一時的に帰り、父親に少女との仲を話し、田舎に住みたいという。一生を棒に振る気かと叱られる。
田舎に青年は戻る。あの納屋は放火で燃えてしまった。しかし別の場所で芝居を上演し成功する。青年は少女をオートバイに乗せ、二人で楽しく語らいながら走っていた。車をよけそこない転倒、事故になる。
冒頭の場面に戻る。同じ映像になり、牧師の後、叔父が人を裁く者は裁かれると言う。青年は湖畔で辛い思いで佇んでいた。

国立FAのパンフレットによれば、「湖畔での全裸のラブシーンによって世界中でスキャンダラスなまでにヒットし」とあるが、現在観ると、昼間のテレビで流しても問題なさそうな映画である。全裸といっても遠景で時間短い、後は少女の上半身だけである。
映画の原題は「彼女はひと夏だけ踊った」。邦題は配給会社がつけたのであろうが、北欧の短い夏の話であり春ではない。「夏の日の恋」とか「ひと夏の経験」あたりの方が合っている。

ジード『女の学校』 L'École des femmes 1929、『ロベール』 Robert 1930


アンドレ・ジードの小説。『女の学校』は女の手記という形をとる。第一部と第二部に分かれる。第一部では、結婚を控えた若い語り手の不安と希望が綴られる。婚約者のロベールが非常に理想的に見え、自分はそれに相応しいか悩む。第二部は二十年後という設定、結婚して娘ジュヌヴィエーヴが生まれている。夫ロベールがいかに気に障る男か、不快かを述べていく。

結婚の前後で相手に対する評価、理解、好き嫌いがここまで変わるかが描かれている。『ロベール』は夫のロベールの側から見た手記。短いのは、専ら結婚後の妻への感想だからというだけでなく、ジード自身が男だからではなかったか。

なお第三作として二人の娘、『ジュヌヴィエーヴ』という小説もある。
佐藤朔訳、中公世界の文学第33巻、昭和38

道化師の夜 Gycklarnas Afton 1953

スウェーデン映画、イングマール・ベルイマン監督、93分、白黒映画。
映画の前半は小津安二郎『浮草物語』を思い出させる。行き詰った巡業サーカス団、打開しようとする団長及びその愛人の苦悩を描く。
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馬車で移動するサーカス団。馬車で目覚めた団長は御者台に乗り、かつての道化師の挿話を聞く。大砲射撃訓練をしていた軍隊の兵士に弄ばれた道化師と妻の話である。

サーカス団が着いた町。そこには団長のかつての妻が住んでいる。既にカネも衣装等道具もなく興行できるかおぼつかない。団長は、同じ町で巡業している劇団に衣装等を借りに行く。愛人にも正装させて連れていく。そこでプレイボーイの若い役者が愛人を見初め、くどく。愛人は相手にしない。

団長は以前の妻が経営する煙草屋へ行く。自分の子供に会う。妻にきくと店は順調らしい。かつて捨てたことを謝ると、かえって良かった、サーカスには耐えられなかったとの返事。団長は自分もこの家にいたい、サーカスはもうだめだという。しかし妻に拒否される。自分の生活を守りたいと。

団長が妻のところへ行く際に愛人は、自分を捨てないよう頼んでいた。しかし、にべもない返事で、愛人もサーカスに愛想をつかし、劇団へ行く。あの色男に会う。彼に劇団にいたいという。色男はさんざん弄び、愛人をものにする。くれたペンダントを店に持っていくと模造品と言われる。団長は愛人をなじる。すっかり嫌気がさす。
夜の興行もあの劇団員らがやって来る。愛人の乗馬芸は妨害で落馬する。団長はプレイボーイと戦うが完全に打ちのめされる。明くる日、サーカス団は落魄してその町を発つ。

侮辱を受けみじめになる様を描いた映画としてこれほどのものは少ない。愛人役の女優は派手な顔立ちの美人である。
なお前半の設定が酷似している小津安二郎の『浮草物語』も調べたら、米映画にならったものだそうだ。

刑事マルティン・ベック Mannen på taket 1976

スウェーデン映画、ボー・ヴィーデルベリ監督、113分。
刑事マルティン・ベックシリーズのうち、第7作、『唾棄すべき男』の映画化。
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このシリーズは警察署で事件を捜査する話であり、中年刑事マルティン・ベックは出番が多いものの、彼だけが際立った物語ではない。
入院中の警察官が短剣で惨殺される。被害者を調べていくとかなり問題ある警官と分かった。恨みを買って不思議でない。多くの問題ある過去のうち、10年前、被害者とその部下の不適切な措置で、女を死なせた。その夫が浮かび上がる。

映画の後半は、ストックホルムの市街地で、犯人が屋上から警官を標的に狙撃する。何人も被害者が出る。何とか捕えようとマルティン・ベック自身も単身でのりこむが犯人に撃たれてしまう。部下の警官が助けに行く。また他の警官が組んでようやく犯人を逮捕する。その瞬間の犯人の顔で映画は終わり。アメリカの犯罪映画ならその後、警官らが語る場面が出てくるのが普通であろう。随分ドライな終わり方である。

ヨーロッパの映画では日本では出さないような場面や部分を平気で映す。本映画でも男性器をそのまま出していた。商業上映ならぼかしていたであろう、国立FAは修正もしていなかった。

2018年11月29日木曜日

ミス・エイプリル Fröken April 1958

スウェーデン映画、ヨーラン・イェンテレ監督、100分、総天然色映画。
中年の銀行家が若いバレリーナと知り合い、歌手になる。
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銀行家は41日の朝、手紙を受け取る。白い帽子をかぶった女性に会うと書いてある。車で銀行に向かう途中、下車して歩いていく。女性が目につく。自転車に乗った女性とぶつかり落とした鞄を渡す。白い帽子をかぶっていた。銀行に着く。取締役らとの会合で鞄を開け、書類を取り出そうとする。バレエ・シューズが入っていた。鞄を間違えたのだ。銀行から出て女性を捜す。ぶつかり彼女の帽子は飛んで車に潰される。その後彼女が劇場のバレリーナと知り劇場へ行く。そこで名前を言うと同名の応募者と勘違いされ、オーディションを受ける。彼の美声は感銘させ、合格と言われる。彼女を見つける。彼女は彼に協力すると約束する。

その日以来、銀行家と歌手の二重生活が始まる。彼女はみんなのアイドルである男の人気歌手に憧れていた。その歌手は実はドンファンで母親の支配を受けるマザコンであった。
銀行家は密かに彼女に帽子や花などを贈る。彼女は憧れている歌手からと勘違いし、歌手に押しかける。歌手は好きな女との仲を邪魔されて迷惑なだけである。

銀行家は住いを追い出された彼女たちを、叔父の家と言って自分の家に住まわせ、あらぬ疑いをもたれる。更に重要書類までなくす。誤解により彼は犯罪者にされ拘置所に入れられる。そこへ訪ねてきた彼女は彼の書いた字を見て、彼が自分のパトロンと初めて知る。
ドンファン歌手がのどをいため代役は銀行家しかいない、警官の監察つきで舞台に出る。ドタバタがあって終わる。映画は銀行家とバレリーナが新婚旅行に出かけるところで終わり。

現実にはありえないが、映画ではしょっちゅう起こる勘違い、誤解で話が進む、シンデレラストーリー。

キャリア Karriär 1938

スウェーデン映画、シャミール・バウマン監督、107分、白黒映画。
若い男女が将来を誓い、共にキャリアを磨いていく。
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バスで巡業する移動劇団。製鉄所がある町に来る。かつては有名だった年配の女優は若い時、その製鉄所の社長を知っていた。社長は不在であったものの、社長の友人と仲が良くなる。また劇団の若い女優は、製鉄所の技師と知り合う。お互い好意を持ち、将来に向けてキャリアを向上させていくと誓う。

後に手紙で自分が主役を演じると技師に知らせる。技師が観に来るという。若い女優をかわいがる年配女優は劇団の中心女優に頼み、臨時で主役を交代してもらう。年配の女優は、高慢な中心女優と喧嘩、劇団を去る。若い女優を連れ上京する。知り合いだった国立劇場の支配人と掛け合う。しかし今では全く相手にされない。

技師が自分の案を売り込もうとしていた実業家が、同席していた年配女優のファンであった。それで彼女らは金を融通してもらえた。若手俳優を養成する劇団を作り公演できるようになる。しかし年配女優は久方ぶりのカネが入ったので浪費してしまう。公演の際も演技が全くできず失敗する。しかし若い女優は注目され、その後有名になり活躍する。技師は誤解をし、若い女優と連絡が途切れる。また製鉄所のある町に来た際、誤解は解ける。

観ていて、全く話は異なるが移動劇団を舞台にしているということで、小津安二郎の『浮草物語』を思い出した。昔はこういう移動の劇団が多かったのであろう。

2018年11月27日火曜日

肉体の門 昭和39年

鈴木清順監督、日活、90分、総天然色映画。
戦後の焼け跡で逞しく生きる女たちの物語。

野川由美子(映画では18歳)は、生きていくため娼婦の集団に入る。焼け跡のビル、銀座という設定なので堀が多い。その廃墟の建物をねぐらにしている。仲間の掟は縄張り荒らしをしない、只で男と寝ない、である。その掟を破った女は縛り上げられ鞭で打たれる。

宍戸錠は元兵士、進駐軍といざこざを起こし負傷して女たちの巣窟に隠れ、住むようになる。宍戸の強引さ、逞しさに女たちは惹かれていく。
いつも着物を着た落ち着いた女は、結婚を約束してくれた男と寝て、仲間から鞭うたれる。その女に宍戸は惹かれ、寝る。
身体が回復した宍戸は牛を盗んでくる。その牛を殴殺し、割いて肉を料理する。この牛を引き裂く場面は生々しく迫力がある。

野川は宍戸を好いていたので迫り二人は一緒に暮らそうとする。宍戸が隠していたカネで逃げようとしていた。しかし野川は鞭うたれ、宍戸も密告を受けた進駐軍に射殺される。ようやく仲間から逃げた野川は堀に浮かんだ宍戸の死体を発見する。

極限状況の、女の逞しさ、本性を描いた作品。

2018年11月22日木曜日

水の中の八月 平成7年

石井聰亙監督、「水の中の八月」製作委員会、118分。
青春映画と言える前半とそれがオカルト的、空想科学的になっていく後半に分かれる。
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超新星爆発のせいか、隕石落下等が起きているという説明から映画は始まる。
福岡市の高校に女高生が転校してくる。飛び込みの得意な子で、男子生徒と仲が良くなる。
期待された大会でその女高生は不調にとどまらず落下し、意識不明となる。
危ういと思われたが回復する。その後男子と女高生は山中にある不思議な石へ行く。

日照りが続き、石化病という病が流行り、多くが犠牲者になる。女高生は自分が犠牲になるとして入水する。その後雨が降る。映画の最後は男子が老人になった時代、あの石で寝ている。そこへ女高生が昔の姿のまま現れ、二人は抱擁する。

非常に映像が美しく、街の映し方や祭りの場面など凝っている。前半で何度か出てくる飛び込みも見物である。

2018年11月20日火曜日

ジード『背徳者』L’Immoraliste 1902

アンドレ・ジードの小説。ジード33歳時の作品で、有名な『狭き門』より7年前の出版。
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主人公、語り手のミシェルが友人たちに話す回想録という形式である。
語り手は妻と療養を兼ね、アフリカやイタリアに行って、例えばそこの少年たちと仲良しになる。また自分の領地をうまく管理していない連中に怒ったりする。
最後は体調不良の妻はアフリカで死亡する。自分の気ままに調子の悪い妻をアフリカや自分の領地に連れ回し省みることがない、それが背徳者という題の所以か。

本作品は随分以前に読んで、かすかな記憶しかなかった。久しぶりの再読でなぜ本作がジードの代表作の一になっているかわからなかった。若い時の読書ではそうは思わなかったはずであるが。
渡辺一民訳、中公世界の文学第33巻、昭和38