2019年5月31日金曜日

バトル・ロワイヤル 平成12年

深作欣二監督、「バトル・ロワイアル」製作委員会、113分。

未来のどこかの国、と言っても日本の未来としか見えないが、バトル・ロワイヤル法なるものが出来て、若者たちが殺し合う。
有名な映画である。しかし2回ほど時を隔てて観たが、どちらも感心出来なかった。つまり面白くなかった。なぜか。
あまりに設定が非現実的だからか。いくら経済が破滅したからと言って子供たちに殺し合いさせても意味ない。子供が邪魔だったらナチスのガス室に放り込んで皆殺しにすればいい。

本作を評価する人は多い、その理由を忖度してみた。
共感する者は、現実とは殺し合いこそしないが、殺し合いみたいなものだと思っているからか。嫌な奴が死んでくれたらいいとたいていの者が思うだろう。しかしこの映画のような状況に放り込まれたくないだろう。

また深作欣二は何を思ってこの映画を作ったのか。かつて高度成長期には悪徳権力者に対する底辺の庶民層の不満を映画に出来た。今ではそんなものは意味ない。それで不満の爆発のような映画を撮ったのか。
結局のところ自分には良く分からない(面白いと思えない)映画である。

岩田規久男『日銀日記』筑摩書房、2018年

大学教授だった著者が20133月に日銀副総裁に就任してから、2018年に退任するまでの日記が基である。日々の記録と合わせ、その主張を語っている。

黒田総裁と共に日銀幹部となり、バズーカ砲と呼ばれる大胆な金融政策を実施した。
2%の物価上昇率の達成は未だである。なぜ達成できていないのか。書中何度も著者は2014年の消費税引き上げのせいだと述べる。それまでデフレ脱却のレジームが出来ていたのに、消費税の引き上げですっかり景気に悪影響を及ぼし、デフレ・マインドに戻ってしまった。更に原油価格の低下などによって物価は低下していく。

著者は自分に反対する者たちに容赦ない。国会で民主党(民進党)の、全く理解していない質問をする議員に苛立ちをぶちまけている。主婦や国会議員にもわかるように説明できなければ経済を理解していない、とか以前読んだが、著者はそんな考えではないらしい。議員なんて庶民の代表だから大して知見はない。

また就任以前の日銀を徹底的に批判していたので、日銀出身のエコノミスト等の批判、意見に嫌悪や嫌味を述べる。更に消費税を引き上げさせた財務省とその御用学者にも我慢がならない。安倍首相も最初はまともなことを言っていたのに、消費税引き上げはアベノミクスの三本の矢にないではないかと批判する。消費税引き上げはずっと前から、いつやるかの課題としてあったのだから、織り込んでいなければならなかったと思うが。

著者は2%のインフレ実現を至高の目標としているが、経済政策、金融政策の最終目的は経済が良くなることである。書いてあるように、安倍政権下で経済は好転したと言えるであろう。だから本書もいかに日銀の政策によって経済が良くなったか、に焦点を合わせて書いた方がより説得的であった。
著者が恐ろしく攻撃的な人だとよくわかった。

ガンマー第3号 宇宙大作戦 昭和43年

深作欣二監督、東映=ラム・フィルム、77分。
日米合作で、出演者は凡てアメリカ人という空想科学映画。

岩石の星が地球に向かっている。地球に衝突してしまう。その前に爆破の必要性がある。ロケットで乗りこみ、核爆弾を3碁設置。見事、星は爆破する。話はこれからである。

星で爆弾を設置していた最中、その星に生息する緑色の液体が宇宙飛行士の服に付いた。宇宙ステーションに戻ってきてから、それが繁殖し化物になる。最初は原因不明の乗組員たちの死亡が次々と起こる。そして遂に怪物の風貌が明らかになる。半円形の頭、一つ目、触手が何本もある。オバQみたいな体形である。劇場内に失笑が起こった。
後はこの化物退治なのだが、主役の軍人と、元々宇宙ステーションを仕切っていた男、二人は以前からの知り合いだった、の確執が一つの見物となる。

人によっては馬鹿馬鹿しい映画と評価されるだろう。馬鹿馬鹿しさの故に評価したい。また化物の造形が面白かった。看護婦役の金髪の女は007シリーズにも出ていたとか。
ともかくスター・ウォーズ以前の映画で、昔の空想科学映画然としている代物だが、自分としては大いに楽しめた。

2019年5月30日木曜日

恐喝こそわが人生 昭和43年

深作欣二監督、松竹大船、89分、総天。然色映画、一部白黒。

松方弘樹主演作、3人の仲間と恐喝をするグループを作る。元々松方は社会の底辺の仕事をしていたが、ある際耳に入れた情報でゆすりを行ない、まんまとカネをせしめる。
仲間たちと次々と恐喝で儲けるようになる。売春をさせる館の主を閉じ込め乱暴するなど相手が悪い連中であるから容赦なくひどい事をやっていく。

ひょんなことから知った政界の裏の醜聞。高利貸しに官房長官が利権を約束する念書を書いた。それが暴かれると政権はひっくり返る。この念書を持つ高利貸しをとらえて、拷問で奪い取る。その間仲間の一人は殺され、一人は離脱した。
一億円で売る約束を黒幕とし、相手が裏切った場合は新聞社に流すと脅す。しかし官房長官は念書が偽物だと公表する。これによって念書自体の意味はなくなった。
約束の時間に有楽町の朝日新聞前交差点に現れた松方を、殺し屋が刺す。血を流しながら松方はよろめき倒れる。遠くから見ていた黒幕は走り去る。

昔よくあった社会の巨悪に挑み、敗れる映画である。松本清張の世界である。今はあまりないようだ。巨悪はいなくなったのか。何人かの結構有名な俳優が少しの時間だけ出ている。

小林秀雄講演『音楽について』新潮社、新潮CD講演 2004年

小林秀雄の談話記録。昭和42年、65歳の時に雑誌「ステレオサウンド」誌で五味康祐(剣豪小説家、オーディオ好きで有名だった)を対談相手(聴き手)とした音楽談義が基である。小林の語りが、話題にしている音楽の録音(小林が聴いていたSPLPの古い録音の一部)と共に収録されている。

明治35年、東京神田に生まれた小林が、今では耳にしなくなった江戸っ子で語っている。固有名詞等聞き取りにくい箇所があり添付の解説書で確認できる。

CD2枚から成り構成は次のとおり。
CD1<弦楽器を中心に>
モーツァルト レントラー第1番、エルマン等/談話/ヴィニャフスキ スケルトォ・タランテラ、ハイフェッツ等/談話/ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲、クライスラー等/談話/パガニーニ ラ・カンパネラ、フーベルマン等/談話/バッハ シャコンヌ、デ・ヴィート/談話/タルティーニ 悪魔のトリル モリーニ等/談話/ハイドン チェロ協奏曲第1番、ロストロポーヴィチ等/談話/ベートーヴェン チェロ・ソナタ第3番、カザルス等/談話
CD2<交響曲を中心に>
談話/モーツァルト 交響曲第40/談話/シベリウス 悲しきワルツ/談話/シューベルト 未完成/談話/シューマン 交響曲 春/談話/ブラームス ピアノ四重奏第1/談話/ショパン マズルカ第25/談話/ワーグナー ジークフリートの葬送行進曲(前半)/談話/ワーグナー ジークフリートの葬送行進曲(後半)

内容的にはCD1は演奏者とクレモナの3種を、CD2は楽曲そのものを論じている。
クラシック音楽ファンは演奏者論が大好きである。CD1はまさにヴァイオリン奏者論である。クレモナの3種のヴァイオリン比較もしている。
CD2では音楽そのものを語る(演奏者についての言及はなく上でも演奏者名は省略した)。

時代を感じさせる内容である(悪い意味で使っているのではない)。原音についての論があるが、レコード鑑賞が盛んになり録音と原音の比較論は当時の流行りの議題であった。
小林はバイロイトへ「ニーベルングの指環」全曲を聴きに行っているが「我慢して聴いた」「僕にはわからなかった、ほんとうによくわかりません」「ただ音楽が好きでというならね、それは退屈ですわ」などと言っている。自分のように指環全曲の鑑賞は、音楽から得られた最高の感動であった、という意見に同調する音楽ファンは今なら多いだろう。その他色々気になるところがあるが、小林自身の好み、思い入れに他人がとやかく言ってもしょうがない。
ただ一点挙げておくとアインシュタインがヴェルディを論じていると言っている。この小林の言以外全く聞いたことがない。記憶違いでなかろうか(多いのである、講演記録には)。

世に小林秀雄ファンは多い。自分はしかし、これまで小林の著に感心した記憶はない。この談義は本より分かりやすくより身近に感じられた。本は専門家を意識して書き、言質を取られないよう意識しているから分かりにくいものが多い。講演や談論はより分かりやすいという一般論はここでも当てはまる。

黒薔薇の館 昭和44年

深作欣二監督、松竹大船、90分、丸山明宏主演。
丸山明宏が妖しい魅力で男たちを破滅させる女を演じる。

小沢栄太郎扮する金持ちは黒薔薇の館と称する洋館で、パーティを開催している。そこへ来た丸山明宏。直ちに男たちを魅了し、またかつて関係のあった男たちは破滅に追い込んでいく。小沢も魅了され館の運営を丸山に一任する。
小沢の息子が田村正和、不良で犯罪者であり警察から追われている。丸山と田村は惹かれ合い、逃走する。しかし未来のない彼らは破滅に向かって突進していく。

『黒蜥蜴』の成功を受けて作成された、丸山の魅力を出させようとした映画。全体としての出来は『黒蜥蜴』ほどでない。

2019年5月23日木曜日

岡義武『転換期の大正』岩波文庫、2019

初出は昭和44年、著者自身は改定を希望していたそうだが、果たせないままに終わった。
前著『明治政治史』に続き、大正期の政治動向を記述する。

大正時代の政治は明治と比較してどのような特色があるのか。明治の政治は維新の元勲が元老として支配する時代であった。それに対して大正時代になると政党が前面に押し出されてくる。もちろん背後には山県有朋のような元老の存在が大きかったものの、少なくとも政党政治があるべき姿という認識が高まり、定着した。

もう一点は、国際情勢への対応である。明治時代の政府の大きな対外的課題は、治外法権と関税自主権であった。欧米先進諸国に対し、日本が対等な自立国であると認めさせる努力が続いた。しかし日清日露の戦役での勝利は日本の地位を向上させ、西洋の認識を新たにさせた。これは反面、日本が油断のならぬ国家であるとの思わせるに至った。中国を分割する列強諸国に伍し、中国での日本の権益を図ろうとする行為は他国及び中国自身から反撥をくらった。

原敬は平民宰相として有名だが、本書を読むとあくまで元老山県有朋に逆らうことなく、そのひきで活躍した政治家のようである。原率いる政党政治は国民から大いに期待されたものの、政治の実績は酷かったのですっかり人気をなくしていったようだ。庶民出身で当初は絶大な人気を得たが、その政治に国民をいたく失望させた田中角栄を思い出してしまった。

2019年5月21日火曜日

忠臣蔵外伝 四谷怪談 平成6年

深作欣二監督、松竹、104分。
四谷怪談の伊右衛門が赤穗討ち入り候補の一人だったという設定で、忠臣蔵と四谷怪談を混合させた映画。佐藤浩市主演。

松の廊下、内匠頭の切腹、赤穗城での会合が簡単に続いていく。赤穗城で発言する佐藤浩市扮する伊右衛門。浪人であったが最近赤穂家に召し抱えられた。
伊右衛門は浪人時代、琵琶を弾いて口過ぎをしていた。幼い日、父親が病気で寝ていた頃、辻斬りでカネを奪った経験がある。伊右衛門は知り合った少女、お岩が湯屋で働いていたと知る。その後、お岩はおしかけ女房になって住む。たまたま助けた娘が吉良家の家臣の孫娘で、頭がおかしいのだが、伊右衛門を好きになる。

忠臣蔵の方は、内蔵助の一力茶屋での遊びがあり、いよいよ決行が決まった。それまでにお岩は妊娠していた。仲間にも敵討ちに参加せず、逃げる者がいる。例の孫娘から呼ばれた伊右衛門はその屋敷に行き、孫娘の婿になる代わりに、吉良家で雇ってくれと条件を出す。

その間、孫娘の乳母は坊主に毒薬を持たせ、お岩に飲ます。この辺りは普通の筋。顔が崩れ流産の上死亡する。坊主と密通したとして戸板にはりつけになり、川へ流される。
一方、祝言をあげた後に伊右衛門が新婦を殺すなども通常とおり。斬られた乳母の首が転がるところは面白い。

その後吉良家へ討入。伊右衛門は半分幽霊のようで、お岩も幽霊で吉良方の侍を殺していく。最後に吉良が討ち取られると伊右衛門も完全に死ぬ。

今まで忠臣蔵や四谷怪談の映画は随分観てきたが、こういう融合の仕方もあるのかと思って面白く観られた。ハチャメチャなのだが、映画作りの「遊び」が感じられる。
あまり忠臣蔵や四谷怪談の普通の映画を観ていない人は混乱するかもしれない。

2019年5月20日月曜日

白痴 L’idiot 1946年

ジョルジュ・ランパン監督、98分、フランス映画、白黒。
ドストエフスキーの『白痴』の映画化である。黒澤明監督の映画が最も有名だろうが、これはジェラール・フィリップ主演の仏映画である。

映画はジェラール・フィリップ扮するムイシュキン公爵がエパンチン家を訪ねる場面から始まる。同家のやり取りは簡単に描かれ、ガーニャ宅でナスターシャが訪問、更にナスターシャ家での十万ルーブリの火中投げ込みも映画になっている。ここで初めてロゴージンが登場、小説のように最初で、ムイシュキンとロゴージンが友人同士になるというわけでない。

ロゴージンと去ったナスターシャは歓楽の日々を送る。内心ナスターシャはムイシュキンを慕っている。嫉妬したロゴージンはムイシュキンに殺したいと言うが、ムイシュキンの善良さに打たれ、十字架を交換する場面はある。嫉妬に狂ったロゴージンはナスターシャを殺害する。小説を読んでいると複雑でナスターシャ殺害がやや唐突に見えるくらいだが、本映画では簡略化してある分、わかりやすい。

イッポリートの告白などがある第2部は省略だし、小説でそれなりの役があるレーベジェフなど一瞬の登場、またムイシュキンを巡るナスターシャとアグラーヤの対決もあっさりしているが、映画であるからしょうがない。
本作はジェラール・フィリップを観る映画であり、また全体として抒情的な仕上がりになっており、これは小説『白痴』の重要な性質なので成功した映画化と言えるだろう。

上海バンスキング 昭和59年

深作欣二監督、松竹=テレビ朝日=シネセゾン、121分。
松坂慶子、風間杜夫、宇崎竜童、志穂美悦子らによる戦前からの上海を舞台にした音楽映画。

1930年代の上海、日本から駆け落ちしてきた松坂慶子と風間杜夫。元々軍国日本を逃れフランスに行く予定で松坂はいた。しかしジャズ気違い風間は、ジャズの盛んな上海で生活するつもりだった。友人の宇崎竜童と風間はジャズの演奏に打ち込む。宇崎は中国人の志穂美悦子と結婚する。しかし戦争の進展と共に宇崎は戦争にとられる、ジャズは禁止になる。
戦後になり宇崎は死亡、風間は廃人になり、松坂が世話をしている。映画の最後は、幻想によって、華やかな舞台が再現する。みんな死んだ者を含め、にぎやかに演奏、踊っている。

舞台でヒットしたミュージカルの映画化である。そのためいかにも舞台を思わせる場面がほとんどである。
松坂や志穂美が踊る場面などは見物であろう。しかし結局中国に行き、敗残した者たちの物語である。あまり楽しい気にはなれない。

2019年5月19日日曜日

解散式 昭和42年

深作欣二監督、東映、90分、総天然色映画。鶴田浩二主演。
「解散式 深作欣二」の画像検索結果
映画はやくざの解散式から始まる。鶴田浩二が刑務所から8年ぶりに娑婆に戻る。すっかり変わっている。かつての恋人、渡辺美佐子が働いている貧民窟もどきの土地にある養鶏場に行く。自分の息子がいると知る。子供自身は知らない。

鶴田が刑務所に入るきっかけとなった土地は今では化学コンビナートが出来ている。以前の盟友渡辺文雄はすっかり実業家になり、土地の買い占め等で儲けている。その対象には、養鶏場のある土地も入っている。土地の開発を競争の業者と争っている。渡辺文雄の組は代議士と結託して利権を握っている。それを知った相手方は手を回しこの代議士を抱き込む。土地の所有者である医者に、捕まえてあったチンピラとの交換で、土地売買の書類に署名させる。更に帰る医者たちをトラックでひき殺す。渡辺文雄は殺しを自白させた録音テープで、相手方に揺さぶりをかける。鶴田は土地を巡る、今は実業家面をしているやくざ連中に切り込みをかける。

この他、かつての敵だった丹波哲郎が鶴田を襲う挿話もある。鶴田、丹波は古いやくざ、渡辺文雄は堅気になっているが、あくどいやり方で時代の果実をもぎ取ろうとする役である。

時代を感じさせる映画である。高度成長期であるから8年も刑務所に入っていれば、全く社会が変わっているのは当然である。開発を巡る利権や土地代金などはこの時期の映画によく出てくる。鶴田浩二が主演した仁侠ものはもう出来ないと、この映画は語っているようである。

2019年5月18日土曜日

復活の日 昭和55年

深作欣二監督、角川春樹事務所=東京放送、156分。
「復活の日 映画」の画像検索結果
映画製作時の、近未来の設定。米が開発した細菌兵器が東側に盗まれ、更に悪党に盗まれる。それを積んだ飛行機が山に激突。細菌は世界に広がり、この風邪(大正時代に世界的に流行ったスペイン風邪を真似てイタリア風邪と称している)により大部分の人類が死ぬ。

南極基地の隊員が生き残っているのは、この最近が寒さに弱いからだという(普通、菌は寒さに強く高温に弱いのだが)事態を知った各国南極基地はアメリカの基地に集まり、南極政府をつくる。女が圧倒的に少ないので、人類存続のため、一人の女が無数の男と交わることが決定される。(この理屈はおかしい。百人の男と寝ても女が一度に産めるのは一人(双子等でなければ)だけ。男の性欲を満足させ、やる気を出させるためとかの理屈の方がいい)

草刈正雄演じる地震学者は南極にいる。妻の関根恵子は、友人が死んだ後、その息子とモーターボートに乗って沖を目指し、毒薬を飲む。
草刈はアメリカで地震が起きると予知する。もしそうなら米の核兵器が発射される。米軍人と草刈は発射阻止のため、潜水艦でアメリカに向かう。その前に細菌のワクチンの試薬を注射する。ワシントンについたものの、間に合わずミサイル群が発射される。ソ連のミサイルは南極基地も狙っている。疎開する。

風邪と核戦争で人類は絶滅。ワクチンが効き一人残った草刈はワシントンから南米先まで歩いて行く。南極基地の連中は南米最南端に避難していた。見ると草刈が歩いて向かってくるのが見える。全員で歓呼して迎える。

巨額の費用をかけ、南極を初め世界各地で長期間かけて撮影されたそうだ。当時大いに宣伝していたと覚えている。
観てみるとあまりにひどい映画としか思えない。北米ワシントンから歩いて南米の端まで歩いて、しかもその途中、高原の観光見物までして、辿り着く。運よく(!)そこに避難していた基地の連中と会える。宝くじを3回買って、全部一等賞に当たる確率よりも低い。落ち合う場所を打ち合わせでもしていたのか。
これほど非現実な映画は観たことない。

2019年5月17日金曜日

カミカゼ野郎 白昼の決斗 昭和41年

深作欣二監督、にんじんプロ=國光影業、90分、総天然色映画。
千葉真一が主演で、高倉健が助演、大部分の舞台は台湾という活劇映画。

日本の二人、台湾の一人のところへある手紙が舞い込む。
雪山の斜面、千葉はスキーをしている若い女性を見つけ後を追う。話していると銃声がした。離れた所に男が倒れている。警察からいきなり容疑者扱をされる。それは死んだ男が間際に千葉の名(御手洗みたらい)と言ったからだ。女の証言で助かる。ホテルで占い師のような男に南に行くなと忠告される。

飛行機の操縦士である千葉はいきなり飛行機を台湾に届けろと言われる。あの女性、台湾人の記者だった、が同乗する。載せてある箱を開けると、あの占い師の死体が入っている。
台北の空港に着き早速死体騒ぎで逃げだす。謎の女から孔子廟に行くように言われる。その際旅券を盗まれる。孔子廟に着くと大木実に会う。彼も呼び出されたと言う。大木は勘違いしていたと分かるが、帰る際に車が爆破炎上する。千葉は逃げるが、炎上した傍に千葉の旅券が落ちていたので、台湾当局から狙われる。

飛行機を台湾へ取り寄せた台湾人は、映画の最初に出てきた手紙を受け取った一人で、彼と大木実、更に雪山で殺された男の三人は、戦時中隠匿されたダイヤを捜していた。その秘密は千葉の父親が知っていたというので、千葉が付け狙われていた。また高倉健が謎の男として現われ、千葉を助ける。
ダイヤを見つけた後の活劇では、死んだ大木が実は生きており、千葉や高倉と銃の打ち合いをする。セスナで逃げる。その脚に千葉がつかまり空中まで上がる。実はこのあたり実際の空中かどうかわからない映し方である。なんとかセスナに這い上がり、大木を空中に落とす。
最後に高倉が、三人が狙っていた御手洗とは実は高倉であったと告白する。

全体的に筋の運びが不自然でいい出来とは思えないが、海外ロケ、及び千葉の活躍を観る映画なのだろう。
戦時中の隠された財産、という話題は昭和40年頃までの日本映画でよく使われた。

宇宙からのメッセージ 昭和53年

深作欣二監督、東映京都=東北新社=東映太秦映画村、105分。

「スター・ウォーズ」ばりの宇宙を舞台にした空想科学冒険映画。いやずばり言うと、スター・ウォーズのパクリ映画である。日本公開が米より一年遅れたため、その間にスター・ウォーズを換骨奪胎した映画を作って儲けよう、そういう東映の岡田社長の指令の元に作成された映画だそうだ。

遥か彼方の惑星は敵の星に占領されている。この惑星を助けるには八つの玉が指し示す勇士八人が必要である。八犬伝の要素を入れている。それを捜しに志穂美悦子扮する姫が地球に来る。元軍人のビッグ・モロー(テレビの戦争物で有名だった)や、真田広之、外人の若い男女などに会う。彼らに玉が降ってきて、惑星を助けに赴く。途中の星で、悪い皇帝に簒奪された王子役の千葉真一も参加。
惑星では敵方と戦う。今は荒廃し敵に占領され惑星の中央にある動力源を破壊するため真田と若い外人が宇宙艇で星の中央部へ入り込み、心臓部を爆破、星も木端微塵となる。

敵方をやっつけてしまったので、惑星を爆破する必要はないと思うが、スター・ウォーズのコピーである必要上、爆破せざるを得なかったのだろう。
よくもまあパクリで訴えられなかったと思わせる映画である。当時はこの手の便乗映画が米でも多かったようだ。
文字通り呆れる映画である。東宝の「惑星大戦争」も観るに耐えなかったが、ここまで本家のパクリといったものも珍しくそういう意味で価値がある。西洋に劣等感を持つ人は恥ずかしさのあまり憤死してしまうのではないか。

2019年5月13日月曜日

岡義武『明治政治史』岩波文庫 2019

岩波文庫の上下2冊で刊行、上の初出は昭和37年、下は何回かの推敲を経て、著者自身の最終稿は昭和61年である。著者の死後、著作集刊行時に弟子によって編集された。

明治維新の元になった幕末から稿を起こし、明治が終結し大正初めの政治動向までを中心にし、必要に応じて社会、経済にも触れている。
通常の歴史書と比べて、例えば明治維新、日清、日露の戦役で、普通ならかなり詳しく記述してあるところを簡単にしか触れていない。つまり歴史事実の単なる伝達でなく、歴史の因果関係を理解させる、のが本書の狙いなのであろう。

これはまさに歴史書に望みたい態度である。世の中には歴史好きが多いから、歴史の細かいところまで知りたい需要があるのだろう。しかし自分のようなあくまで歴史の流れの意味や因果関係を知りたいという者にとって、多くの歴史書は事実の羅列といった印象を持つ。
かつてのマルクス主義史観のような、図式に無理やりあてはめる歴史観への反動か、学術的中立的のつもりか、資料集の解説のような記述を延々とする歴史書が幅を利かせているようである。それらは退屈でしょうがない。資料を踏まえた解釈を知りたい。

まさに本書は望んでいたスタイルである。本書の内容はその後の研究を踏まえ、今なら改定の必要があるところがあるだろう。そういった歴史書を出してもらいたい。

池上英洋『西洋美術史入門』ちくまプリマー新書 2012

西洋美術史なのだが、他書とは差別化を図っている。

絵の読み方、社会的背景ほかが解説されているが、まずスケッチの技術と視覚情報の言語化が必要と説く。つまり絵を見て簡単なスケッチする、更にある絵の説明を聞きそれを絵にする、という訓練である。これらの訓練が美術史を学ぶ上で最初に必要なのだと言う。
続く絵を読むの章では、記号、イメージと象徴、アレゴリー、アトリビュート、図象、イコロジーなどが説明される。更に絵が生まれた社会的背景の説明がある。

読んで勉強になったと思わせる書である。

2019年5月8日水曜日

西岡文彦『絶頂美術館』マガジンハウス 2008年

ヌードから見た西洋美術論。

西洋絵画にヌードが多いのは周知のとおり。それが神話や宗教に関するものに、かつては限られていたのも絵画に関心があれば知っているだろう。近代ではこの発想に挑戦する絵画が現れた、などが書かれている。ある意味当然かもしれないが、古代からのヌード画も性に対する人間の興味も伴っている、と書かれている。いわば神話等に素材をとったのは、表面上覆い隠すための方便であると言える。

アカデミック派の絵画で、かつては印象派の陰に追いやられていたカバネルのヴィーナス誕生に始まり、美術史上有名な作品のどのように解釈するか、目の付け所などが興味深く記述されていて、読んでいて楽しい本である。

2019年5月7日火曜日

北陸代理戦争 昭和52年

深作欣二監督、東映、98分、総天然色。
福井を舞台にした仁義なき戦いである。仁義なき戦いという名を冠せず、主役が菅原文太でなく松方弘樹である。
「北陸代理戦争」の画像検索結果
福井のやくざ同士の争い、また福井へ大阪のやくざが乗りこんで来る、その大阪方との戦いが主題である。松方の親分の西村晃は、ずるくて臆病な男、仁義なき戦いでの金子信雄に相当する。松方の叔父貴分がハナ肇である。一途な松方に対し自分の地位をなんとか築こうとし、松方の情人の野川由美子も奪ってしまう。ハナは松方を牽制するため大阪のやくざと手を組む。大阪勢は北陸をわがものとする気であったので乗りこんで来る。

松方が一旦恭順なように見せかけ、大阪やくざの子分になる。しかし最後は啖呵を切って、さかずきより血の方が濃い(土地への愛)と怒鳴る。松方の新しい情人となった野川の妹、高橋洋子の激しい生き方は心に残る。ハナの演技もさすがである。
首だけ出し身体は地面に埋めて車で飛ばす場面は北野武のアウトレイジでも使っていた。

本作はこの映画のモデルとなった人物が殺され、という挿話が必ず語られるが、そんな話をする必要もなく映画自体が面白い。
これも再見であるが、正直仁義なき戦いシリーズより面白いと思った。