2024年1月30日火曜日

モービウス Morbius 2022

ダニエル・エスピノーサ監督、米、108分。ジキル博士とハイド氏ものの映画である。幼い日に出会った二人は共に不治の病に侵されていた。

一人が成人して天才的な頭脳を持つ科学者になった。研究を進め、身体を強靭にする薬を開発しようとしていた。成功したようで自分にうつ。すると身体は超人になったが精神もおかしくなり、知らないうちに殺人を犯していた。これは血がエネルギーで血を補給しないと薬が切れた麻薬患者のようになるからである。自分の犯罪におののく。

しかし幼い時からの親友は薬を知ると自分にもくれと言い出す。副作用を怖れ断わると、勝手に薬を自分に注射し、その男も超人になる。男は自分が超人になったので、悪さをしようとする。主人公が止めるがきかない。相手は次々と殺人を犯し、主人公の恋人まで殺す。相手と対決し倒した。最後に次回に繋げるようにして終わる。

2024年1月28日日曜日

清水幾太郎『日本語の技術』中公文庫 2022

著者は社会学者で、戦後の一時期まで進歩的文化人を代表する一人であり、平和運動を牽引した知識人である。

『論文の書き方』(岩波新書)は有名で読んだ者は多いだろう。本著は『論文の書き方』の姉妹編とも言うべき本で、口調が質問に答えて話を進めていく、ですます調なので柔らかい感じがする。また文章の書き方だけでなく、「話し、聞くための方法」、「読み、考えるための方法」の章があり、これが大きな特徴である。書き方の部分に関しては、昔読んだ『論文の書き方』と同じような話題を思い出したりするが、話し方や読み方は今回が初めてである。当然であるが、書き方指南の書であるため、極めて読みやすい。何と言っても読書上の最大の良さである。もともとは昭和51年にごま書房から出た本を改定したもの。

亀山郁夫『悪霊、神になりたかった男』みすず書房 2005年

ロシヤ文学者の亀山郁夫がドストエフスキーの『悪霊』の中の、特に「スタヴローギンの告白」の章を解説した書である。

聴衆に向かって語りかける口調で、途中で個人名を出して質問するところもあり、最後は聴衆に向かい質問を受け付けて終わる。もちろんこの形は著者の創作でそんな講演などしていない。こういった形にしたい著者の好みなのである。芝居じみたことが好きなのか。内容を読んでいくと、随分牽強付会に思われる解釈をしていると思ううちに、何か妄想を聞いているかのような気分になり、最後は著者が『悪霊』を元にした小説でも書いているのか、と思えてくる。著者の解釈は要するに少女がスタヴローギンの不道徳極まる行為の犠牲者ではなく、双方の共謀行為であると言いたいらしい(合っているか不明)。別にありうる解釈であろう。

ところが著者はこれを「ドストエフスキー自身がこの話を聴いたら、卒倒してしまうかもしれませんが、ね」(p.143~144)と言い、「かりにこれが誤読だとしても、私はこの誤読を大きな誇りとし、できるだけ多くのドストエフスキーファンに吹聴したいと思います。」(p.144)と言う。確かにどのように読もうが文学の理解に正解があるわけでないと、そこに書いてある意見はもっともである。それでも、こういう言いを読むと著者の意図は読む者を圧倒したい、アッと言わせたい、鬼面人を脅かせたいに尽きるようである。細かい点で間違いがあったり、不明な点があるのだが、そんな議論を起こす気など失せた。

2024年1月27日土曜日

ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア Knockin’ on heavens’ door 1997

トーマス・ヤーン監督、独、87分。二人の男は病院で検査を受け、余命幾ばくも無い病気にかかっていると分かる。同室になった二人は病院を抜け出そうとする。

その頃、二人組の男がボスから頼まれベンツを目的地に届けるところだった。途中で少年をはねてしまい、病院に連れてくる。少年がごねるので、銃を取り出し医師や少年を黙らせる。病院の駐車場に止まっていたベンツを病気の二人は盗み、走り去る。二人組の男はボスからどやされ、車を取り戻しに行く。病気の二人は金がないので、車にあった銃で銀行を襲い金を奪う。その後、トランクに大金の入った鞄を見つける。

病気の二人は生きているうちに好きなことをしたい、海を見ていないので海を見に行くようにする。ホテルで豪華な部屋に泊まったり、金をなさそうな人々にやっていく。銀行強盗を追う警察や車を取り返そうとする二人組の男をまきながら、最後に二人は海辺にやって来る。

ゴーゴリ『肖像画』 Портре́т 1835

二つの話がある。

第一部では売れない若い画家が画商で老人の肖像画を買ってくる。その絵を帰宅してから見ると怖いくらいである。夜中に肖像画の中の老人が抜け出てくる。老人が袖から袋を取り出すとそこには金が入っていた。こぼれた金の袋を画家は自分の懐にしまう。老人はまた絵の中に戻る。画家は寝、その後夢を見て更にそれがまた夢だったと、夢の繰り返しをする。起きて家主が警察署長を連れて家賃の催促に来る。あの老人の肖像画をいじっているとその額から金貨の入っている袋が落ちる。画家は大金持ちになる。立派な家に住み貴族の令嬢の肖像画を描いて評判になり、大先生、巨匠扱いされるようになる。後に若いイタリアで修行して来た画家の絵が評判になるが、その才能を認めたくない。いつの間にか自分の才能は枯れて凡庸な絵しか描けなくなっていた。自分の金で評判の絵を次々と買い取り、それを引き裂く。画家が死んだ後、そのアトリエで惨状が分かった。

第二部は競りで老人の絵が競売にかけられている。その絵を自分が買い取りたいと申し出た男が絵にまつわる話をする。父親が画家でその老人の肖像画を描いたのだが、老人は悪魔であったらしく次々とその絵の持主は不幸に陥った。だから自分が買い取り処分せよと父親からの遺言がある。そう話しているうちに肖像画は盗まれてしまっていた。(横田瑞穂訳、岩波文庫『狂人日記』1983年)

2024年1月20日土曜日

モーム『要約すると』 Summing up 1938

作家モームの回想録であり、芸術論であり、また人生論になっている。

いわゆる生い立ちを綴っていくという自伝らしい自伝ではない。必要に応じては自分の経歴を書いている。モームが自分の意見を吐露するといった本か。1874年生まれのモームが64歳の著である。普通の感覚で言えば自伝を書いて回想しても不思議ではない。モームは長寿で戦後20年も生き、90過ぎまで生きた。だから戦前の著である本書は人生半ばの記録にも思える。

モームの小説は面白いようにこの回想も面白い。モームの実際の晩年にまた回想録を書いたなら、随分違った内容になったろうか。(新潮文庫、中村能三訳、昭和43年)

2024年1月18日木曜日

禁じられた抱擁 La nola 1963

ダミアーノ・ダミアーニ監督、伊仏、105分、白黒映画。絵を描いていた若い男の隣の部屋に若い女(カトリーヌ・スパーク)が来て目に留める。男は絵が嫌になり、実家に行く。金持ちの母親役がベティ・デイヴィスである。家に戻る気はないと言って金をせびっていく。

自分のアトリエのある建物に戻ると葬式が出ていた。隣の画家が死んだらしい。その部屋に入っているとスパークが来る。画家のモデルをしていたのだ。モデルにすると言って自分の部屋に連れてくる。スパークが用意すると自分はもう絵を描かないという。その後、抱擁する。男はスパークに参っているのだが、偉そうにしたいという男の勝手(ガキ)ぶりを発揮して指図がましい態度である。画家の情人になっていたと分かる。それだけでなく他に男がいるとあっけらかんとして言う。

男はスパークを独占したく、最後は実家に連れてきて、金を見せびらかす。スパークが裸になるとその身体を紙幣で覆う。これだけ金をやると言って、ともかく男は金で釣ろうとする。スアークはもう一人の恋人とカプリに一週間行くと告白する。戻って来てから男に会うが、女優になるためのプロデューサーの約束があるなどと言い、家を出る。嫉妬の塊になっている男は車で後を追う。やけになって車をぶつけ怪我をする。治ってからスパークにまた会う。最後は部屋の窓からスパークが去っていくのを目で追う。

2024年1月16日火曜日

ダンケルク Week-end a Zuycoote 1964

アンリ・ヴェルヌイユ監督、仏、123分、ジャン=ポール・ベルモンド主演。ダンケルクに近いズイコートの海岸に英仏の兵士が多く集まっている。イギリスに渡れる船を待っている。ベルモンドは自分の部隊とはぐれてしまい、仏兵士に声をかけ、知りあいになる。ドイツ軍の飛行機がよく奇襲をかけてくる。

近くに家があってそこの若い娘(カトリーヌ・スパーク)と知り合う。ベルモンドは英国に渡りたく、知り合いになった英将校の教えで、将軍のところに行き証明書を書いてもらう。ところがそれを海岸で船を待っている将校に見せても英国人しかだめだと言われる。また英兵士で仏の女と数日前に結婚した男は、女しか乗せられないと言われる。独軍の飛行機の襲来で混乱しているうちに夫婦は舟で引上船に向かう。ベルモンドは知り合った将校にまた会い、証明書でもだめだと言われたと話すと将校は自分についてこいと言い、ベルモンドも引上船に乗れた。その時独飛行機が来て爆撃を行ない、英兵士と結婚した仏の女は死ぬ。また船が沈み、ベルモンドは泳いで海岸までたどり着く。

若い娘(スパーク)の家に行ったら仏人が二人で暴行を働こうとしていた。ベルモンドは二人を銃で倒す。娘と独の爆撃下、抱き合う。ベルモンドは海岸に戻ってくる、知り合いの兵士たちは歓迎する。水を取りに一人が行く。独軍の襲撃で死ぬ。ベルモンドらは埋葬する。また独軍の攻撃があり、ベルモンドもやられたのか、仰向けに倒れる。スパークが鞄を持って海岸をやって来るところで終わり。

2024年1月13日土曜日

門間一夫『日本経済の見えない真実』日経BP 2022

著者は日銀に勤務したエコノミスト。黒田元総裁の金融政策の評価を初め、日本経済について言われれている通説を批判し、読者に益するところの多い著である。

特に黒田日銀の政策についての見解は感心した。黒田元総裁はいわゆる異次元の金融政策を実施して、当時デフレ下にあった日本経済を、2年間で2%の物価上昇率を達成すると言明した。しかし10年間経っても2%の物価上昇率は実現できず(現在インフレ気味であるが、これは海外要因によるインフレであり、目指したのは賃金、物価の国内要因によるインフレである)、どう見てもその政策達成は出来なかったというしかない。それなのに、黒田元総裁の異次元金融政策について一般にあまり批判はない。なぜか。

それは黒田元総裁の政策は出来ることを凡てやった、その前の白川元総裁のように政策を出し惜しみしているような印象を与えなかった。黒田元総裁は全部やった、やり尽くした、手加減はなかった、それが評価されているという。普通、マックス・ウェーバーを持ち出すまでもなく、政策はあくまで結果によって評価されるべきであろう。ところが結果は出さなかったが、手加減ぜずやり尽くした点が評価されているという。日本では結果は出さなくともその姿勢だけで評価する国なら、努力する姿勢だけで、結果がどうでもいいというのは本当は困るのではないか。

ブッツァーティ『タタール人の砂漠』 Il deserto dei tartari 1940

主人公のジョヴァンニ・ドローコは将官に任命され、北方にある砦に勤務に赴く。初めての仕事であり、砦の防衛に期待、夢を抱いていた。

途中で同じ砦に勤務する将官に会い、連れて行ってもらう。砦の雰囲気は期待とはかなり違い、司令官以下やる気がなく随分つまらなそうな職場にしか見えなかった。もし帰ろうとすればすぐにも帰れるが、それも手続きが必要であり、医者の診断書を書いてもらって出ていった方が後のためにもいいと言われる。ただそれには四か月待たなければならなかった。砦の同僚の士官や部下と付き合う。四か月経って軍医と面会する。軍医は診断書を書いてよいと言ったのだが、なぜかその時今砦を出るのは止め、留まると答える。それから幾年か砦で過ごす。休暇がとれて故郷の町に帰る。町や友人は変わっていた。結婚するつもりだった恋人とも会うが、お互いにぎこちなく会話の後、別れる。砦に戻る。

何十年も経つ。主人公は五十代半ばになり、砦の副司令官になっている。身体の調子を崩す。寝て療養している。その時に砦の北方から敵がやって来る。主人公はこの時のために、今まで備えていたのだ。ところが身体が悪いので、司令官は町に帰って治療を受けろと言う。主人公はこの時のために何十年も待っていたのだ、敵との闘いに参加したいと希望を述べるが聞き入れられない。馬車で運ばれ、途中の宿屋の一室で身体を横たえ、死ぬのを待つばかりになる。(岩波文庫、脇功訳、2013年)

真夜中の刑事/Python357  Police Python357 1976

アラン・コルノー監督、仏西独、116分、イヴ・モンタン主演。モンタンはオルレアン警察の刑事、銃がうまく、原題のpython357はモンタンの持っている銃である。

ある若い女と知り合う。お互い惹かれる。ところがこの女はモンタンの上司である警察署長の情人でもあった。モンタンは女に恋人がいるらしいので気にしてつきまとう。女はもう一人の情人である警察署長からも浮気の疑いをかけられる。感情を爆発させた署長は女を灰皿で殴り殺してしまう。当日も女と会っていたモンタンは他人に目撃される。事件をモンタン自身が担当することとなるが、目撃者に会わないようにする。目撃者にスーパーで遭遇し、相手が警察に通報しようとするので、目撃者を殴って倒してしまう。自分の顔も火傷をし包帯で巻いて分からないようにする。死んだ女のアパートに侵入して部屋をかき回し実際の犯人の証拠品はないかと捜す。実際の犯人である署長は自分自身以外に容疑がかかっていると分かり、妻のシモーヌ・シニョレからその男を犯人にしてしまえばいいとそそのかされる。

最後にはモンタン、署長とも相手が犯人であり、情人であったと分かる。署長がモンタンを撃とうとするのでモンタンは銃で相手を倒す。シニョレは真相を知っているので、夫が死んだと知ると自殺しようとするが、自分では出来ずモンタンに頼んで殺してもらう。これをモンタンの部下が見ていて上司に報告しようとするが、その時スーパーで起こった銃を持った強盗事件に駆り出される。モンタンはその場にやって来て、自分の危険も顧みず強盗どもを倒していき、事件を解決する。負傷したモンタンは救急車で運ばれる。

2024年1月7日日曜日

ヴェンデッタ Vendtta 2022

ジャレッド・コーン監督、米、96分。将来ある娘がいて幸福な家族。その娘が父親が店に入っている隙に、悪漢どもが来て射殺される。

殺した若い男の父で悪漢どもの親玉がブルース・ウィリスである。若い息子に一人前の男となるため殺人を行なわせた。相手は誰でも良かった(のか不明)。両親は絶望し、更に犯人が刑務所に入っても数年で出てくるだろうと言われ、父親は激怒する。裁判では容疑者が殺したか見てないと証言し、釈放される。その男をつけ車ではねた後、撲殺する。悪漢どもは誰がやったか、娘の父親だろうと見当つける。

この後、父親と悪漢たちとの殺し合いになる。妻が危ないので警察に言って護衛をつけてもらう。しかし護衛警官が他所に行っている隙にブルース・ウィリスと殺された男の兄が家に侵入してくる。妻を殺し父親も撃ったが奇蹟的に助かる。手当を受けた病院から抜け出し、手下の一人を殺し敵方の本拠地に乗り込む。手下どもが捜しに行っている隙にウィリスを殺す。息子のうち兄と手下たちとの銃撃戦になる。父親も味方をつけ、最終的に相手を全滅させるが自分も死ぬ。

2024年1月6日土曜日

太陽の下の18才 Diciottenni al sol 1962

カミロ・マストロチンクェ監督、伊、92分、カトリーヌ・スパークが出ているが、主演というより多く出ているカップル役の一人である。

ナポリ近郊の観光用の島にやって来る。スパークは船で自分の席に他人の男が座っており、そこに置いてあった帽子がぺしゃんこにされる。これを映画で何回か繰り返される。相手の男が自分とほぼ同じ姓名であったため、ホテルで同室をあてがわれてしまい、部屋でのドタバタや、スパークが禁じられているヌードをしたというので、同じ名の男が警察に引っ張られるなど。外国人の女に迫ろうと何度もやって失敗する男、兄弟で巨額の借金返済のため、あれこれ試す者らなど。若者たちの休暇を過ごす様子が描かれた映画。

2024年1月5日金曜日

モーム『雨』 Rain 1921

サモアの港、パゴパゴに降りた医師夫妻、そこで宣教をしている牧師夫妻に会う。牧師は現地人の土人の教化に苦労してきた話をする。雨が降り続いている。

医師や牧師の住む白人用の宿泊施設に女が泊まっていた。その女は大きな音で音楽をかけ、騒いでいる。その女は娼婦であり、男どもを相手にしている。謹厳居士である牧師は止めさせるよう押しかける。しかし女は動じない。牧師は相手を正しい道に導こうと怯むことなく努力を続ける。このような女と一緒では耐えられない。総督に女を島から追い出してもらうよう働きかける。女はアメリカに戻りたくない。帰ると過去の犯罪で逮捕されるからだ。女は泣いて頼み込む。牧師に対して心を入れ替えたように従順になる。

その後、牧師が行方不明になる。剃刀で喉を切っている死体が見つかる。それから女は以前と同じように音楽をかけ、派手ないで立ちになる。男なんてみんな同じだと叫ぶ。本作はジョーン・クロフォードが主演した映画が1932年に作られている。

2024年1月4日木曜日

不壊の白珠 昭和4年

清水宏監督、蒲田映画、101分、八雲恵美子主演、菊池寛の小説の映画化。主人公の八雲恵美子には妹(及川道子)がいる。会社でタイピスト兼専務秘書をしている。

同じ会社に勤める高田稔を好いているが、積極的な妹は高田とデートし、八雲の手紙を誤解した高田は妹に求婚する。ひどく衝撃を受ける。ただ妹のために結婚を祝福してやる。八雲の仕える専務は男やもめで、かねてから八雲に懸想していた。亡妻の三人の子供がいるし年齢差があるが、八雲に求婚する。八雲は迷う。妹は結婚生活が退屈で以前から知っている軽薄な男に誘われ遊ぶ。八雲は専務からの誘いでその家を訪れるが、専務はゴルフに行っていて留守で待っていると、そこの子供から新しくきた女中だろうと言われる。後に専務宅に行った際も家族からからかわれる。

高田は妻とうまくいかず、ある日帰っても妻がいないので実家だろうと家を出ると妻が車に乗せてもらって帰ってくるところだった。高田は妻にあの男は何だと詰め寄る。結婚前からの友人だと答え、高田がうるさいので家出する。なかなか妻は戻らず、高田は八雲に会う。八雲は妹を取り戻してくると約束する。ダンスホールで踊っていた妹を見つけ、強制的に家に連れ戻す。妹は高田と会っても和解する気はなく、姉の諫めも聞かずまた飛び出す。後になって高田は八雲に外国に行くつもりだと話す。映画の最後の見送りで、八雲は高田に帰国した時には妹が迎えに来るだろうと言う。

2024年1月2日火曜日

プロフェショナル The professionals 1966

リチャード・ブルックス監督、米、117分。メキシコ革命まもない20世紀の初頭。テキサスの富豪は自分の妻、クラウディア・カルディナーレをメキシコの山賊に奪われたので、リー・マーヴィンに取り戻してくれるよう頼む。

仲間の二人の他、ダイナマイトの名人としてバート・ランカスターをマーヴィンは指名する。二人は以前の仲間である。山賊の名を聞くとメキシコ革命を共に戦った同志なので驚く。四人でカルディナーレを救いに行くが、山賊の基地を襲った時、実は女は山賊を好いていると分かる。それでも女を連れ出しアメリカに戻ろうとする。山賊は追ってくる。女は元から山賊と恋仲で、むしろテキサスの富豪こそ自分を攫った者だと言う。

追手の山賊を食い止めるため、ランカスターが待ち伏せし、他の者は女を連れて帰国を急ぐ。ランカスターは山賊たちを多くを倒す。マーヴィンらに後から追いつく。その時に傷ついた山賊の首領、カルディナーレの恋人を馬に乗せてくる。富豪が仲間と来て取り戻してくれたので喜ぶ。しかしマーヴィンは女を富豪に渡さず、好きな山賊の首領とともに逃がしてやる。富豪は怒るがマーヴィンらも賞金を取り損ねたわけで、四人揃って去っていく。

マーベラス The protege 2021

マーティン・キャンベル監督、米、109分。女殺し屋のアクション映画で、死んだとされていたという者が実は生きていたというトリックが2回も使われている。

1990年のベトナム、殺し屋のサミュエル・ジャクソンは殺しに行った家で人がみんな死んでおり、押し入れにいた少女を見つける。その少女を引き取り育て30年後、少女は殺し屋になる。ルーマニアの殺人王の殺人を請け負い、まず息子を誘拐し身代金を取りにいってその殺人王を殺す。

サミュエル・ジャクソンの代わりにある男を捜しに行った留守にジャクソンは殺された。その捜しに行った男がジャクソン殺害に関係があるとして女は探っていく。マイケル・キートンはその黒幕の手下であるが、女と半分相手を異性として意識するような関係になる。死んだと思われていたジャクソンは生きており、また30年前に死んだと思われていた黒幕は名を変え慈善実業家の顔を持っていた。黒幕を倒し、最後は傷ついた女はキートンとさしで銃を撃ち合い、相手を倒したように終わる。

2024年1月1日月曜日

レベル 16 服従の少女たち Level 16 2018

ダニシュカ・エスターハジー監督、加、102分。カナダ版少女版約束のネバーランドという映画。

少女たちが寄宿学校、それも病院か牢獄のような場所で教育を受けている。婦徳を教え、今時のフェミニストが聞いたら卒倒しそうな教育である。毎日、ビタミン剤として飲まされている薬は睡眠薬で、寝ている間に守衛が少女たちの身体を触りに来たりている。ビタミン剤を飲むなと友達に言われ、寝たふりをしていると夜中に担がれて別の部屋に連れて行かれた。そこにやって来た老年夫婦にもう一人の少女とどちらがいいかと品定めされ、選ばれる。

選ばれてどうなるのか。後で分かるが顔の皮を剝され、高齢者に移植し若返りをさせるという手術を受けるのである。これを知った二人の親友はみんなに報せ、逃げ出そうと企む。追いつかれるが、顔が大事なわけで顔を傷つけて追手を絶望させる。後に助けだされる。