2018年7月30日月曜日

コナン・ドイル『恐怖の谷』 The Valley of Fear 1914

ホームズ物の長篇としては最後の作品。『緋色の研究』と同じく二部形式をとっており、第二部で過去に遡り、事件の起こった原因が説明される。
恐怖の谷 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 75‐8))
ホームズは届いた暗号を解読する。そこから犯罪が示唆される場所に行く。殺人事件が起こっていた。しかし謎が多い。最後に解明され、事件が起こったいきさつが、昔のアメリカに舞台を移して説明される。

第二部は冒険小説と言っていいが謎解きがある。ホームズ物であり謎自体の新鮮さが売りではない。ただ第二部も推理小説的であり、『緋色の研究』とはその点違っている。

長篇推理小説で二部に分かれ、後半で事件が起こったそもそもの原因が説明される、といった構成は19世紀の型であった。ガボリオの小説は典型である。20世紀に書かれ、その構成をとる『恐怖の谷』は最後の例かもしれない。

客観的に見れば『恐怖の谷』は、ホームズの長篇小説の中で最も優れていると思う。

2018年7月29日日曜日

五つの夜に Пять вечеров 1979


ニキータ・ミハルコフ監督、102分、基本的に白黒であるが、最終部分は総天然色になる。

戦争以来、別れていて中年になった恋人たちの再会。

主人公の男は女の部屋にいる。泊っていけと女は言うものの、窓から見える建物。それを見て男は知り合いが住んでいるところだと言い出し、部屋から出て行く。

さてその家にはかつての恋人が住んでいた。甥と同居している。いきなり男から訪問を受ける。とまどう女は男に泊っていけと言う。甥には電話交換手の恋人がいる。その恋人を女は甥に問いただす。

男は傍若無人を絵にかいたような態度で勝手にふるまう。女に自分と来てくれと頼む。しかし断られる。駅に行く。駅で待っている最中、あの交換手の女子が来て、戻ってくれと頼む。女は男を待っているからと。男はかつて出征の際、駅で女と別れた思い出話をする。

家で女は服を着替えている。知り合いの技師がやってくる。交換手の子は戻ってきて男を見送ったと告げる。入口の呼鈴が鳴る。出てみると男だった。もう二人は別れないと誓う。

場面は総天然色になり部屋の中を映す。テレビは第一回チャイコフスキーコンクールで、一位になった米ピアノ奏者ヴァン・クライバーンを映している。1958年のことである。ショパンの夜想曲遺作嬰ハ短調を弾いている。たまたま音楽好きなので分かった。
題名の五つの夜とは第一夜、二夜と映画の最中に映し出され、五日の経過を表す。

誓いの休暇 Баллада о солдате 1959

グリゴリー・チュフライ監督、87分、白黒。

道に立ち、息子を待つ母親の姿から映画は始まる。もう戻ってこない息子を。

通信兵の主人公は、運よくドイツの戦車を2台仕留める。褒美で古郷の母の元へ数日間、帰郷が可能になった。途中で他の兵士から妻宛てに石鹸を頼まれる。

軍用の貨物列車に乗せてもらう。途中で乗ってきた少女と知り合う。それからはこの少女との旅になる。頼まれた女のところへいくと間男がいた。いったん渡した石鹸を取り上げ、不具者の父親へ持っていく。

故郷に着く。母親は狂喜し、息子を離さない。しかし息子は、休暇は終わっており戻らないといけないと言う。母親や故郷の人々に別れを告げ去る。

今回の国立FAのロシア・ソビエト映画祭では、ソ連の反戦映画の古典『僕の村は戦場だった』『人間の運命』『誓いの休暇』を久方ぶりに観ることができた。戦後の白黒映画の古典は懐かしいものばかりである。

令嬢ターニャ Интердевочка 1989


ピョートル・トドロフスキー監督、149分。
「Интердевочка  1989」の画像検索結果
主人公のターニャは、外国人相手の娼婦と看護婦の二重生活をしている。客のスウェーデン人から求婚される。喜んで応じるが、国外移住のためには煩雑な手続きが要求される。基本的に外国に移住するなという風潮が社会にある。

特に父親の承諾書が必要と言われる。何十年も前に自分と母を捨てていった男である。行って話すが、困窮している父親はカネを要求する。日本人の客をとり稼いだカネで父に承諾書を書いてもらう。

憧れのスウェーデンの生活。車を買い、立派な家で贅沢な暮らしができる。ある日たまたま、ロシヤ人のトラックの運転手に会う。母親と同じアパートの住人だった。家に招き故郷の話をし、母親への言付けを頼む。夫は後から、勝手に自分の家に他人を入れるなと注意する。
夫との仲が良くなくなっていく。ロシヤ人の女に会う。やはりこちらの男と結婚したものの、別れ外国へ行って儲けるつもりだと言う。

ロシヤ時代の友人がドル、ルーブルの換金で捕まり、その際ターニャの名を出したことから警察はターニャの母親宅を訪ねる。母親は娘が娼婦をしていたと知る。周囲から嫌がらせを受けるようになる。倒れ危篤となる。ターニャは母の元へ戻ろうとする。夫はそんな国へ行くなと止めるがターニャは振り切り空港へ向かう。

公開当時、末期のソ連では大ヒットしたとのこと。外国への思いや現実を描いたことだろうか。観ていて『リリア、4-ever』を思い出した。少女は荒廃した故郷から逃げ出し、スウェーデンへ向かうものの現実は更に苛酷であった。調べるとリリアの方は2002年の映画だった。だから本作の方が先である。脱線ながらリリア、を観た時は『魂のジュリエッタ』を思い出したものである。
邦題にある「令嬢」とは全く縁のない話。原題を調べたら英語でInter-girlが直訳だそうである。

2018年7月25日水曜日

転校生レナ Чучело 1984


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ロラン・ブイコフ監督、125分。
ロシヤの田舎町の学校でのいじめを描く。

少し前に都会から田舎の学校に転校してきた少女レナは、他の生徒たちからいじめられている。帰宅し祖父から聞かれ、そのいきさつを話す。
転校してきてから、クラスの一人の男の子に興味を示す。英雄のように見えた。
自習の時間、チンピラがやって来て、サボって映画に行くことをけしかける。みんなはその気になり、先生の見舞いとの言い訳で学校を出る。あの男の子が忘れ物を取りに戻る。少女も後をつける。男の子は先生に見つかり、映画に行ったと話す。

明くる日、先生はサボった罰として、予定されていたモスクワへの観劇旅行を中止すると生徒たちに言い渡す。子供たちは集まり、誰が先生に告げ口をしたか見つけ出そうとする。誰も手を挙げない。男の子は無言のままである。とレナが手を挙げ、自分だと言う。

これ以降レナは裏切り者として、仲間はずれだけでなく、いじめを受けるようになる。
レナがいじめを受けるようになってから、彼女は男の子に会う。男の子はみんなの前で告白すると約束する。みんなに男の子は言いかけるが、やはり自分でないと否定する。見つかったレナは縛られ、彼女を模した藁人形を火炙りにする罰を受ける。レナは暴れ出し、みんなは逃げる。
最後には真相が明らかになる。嘘をついていた男の子をみんなが制裁しようとするが、レナは止める。レナは再び転校することになった。祖父と共に町を出る。奇人として知られていた祖父は絵画の収集をしていた。その高価な多くの絵を町に寄贈して孫と去った。

まず気になったのは、そもそも自分たちが授業をサボって映画に行ったという点に、全く生徒たちは反省する気がない。ともかく裏切り者を糾弾し、制裁しようとする。他人を非難してばかりの人は日本にも当然いるが、外国ではそれが甚だしいように見える。

なお映画の原題を辞書で調べると、藁人形、醜い子といった意味らしい。レナは仇名で、かかしと呼ばれている。このかかしが藁人形、ひいては醜い子になるとは我々には分からない。映画の中でレナが自分は醜い、きれいになりたいと祖父に泣く場面がある。
邦題については、よく批判がある。最近の差別語禁止の風潮から、実際に映画の中で差別されているのに、それが映画の言いたいことなのに、当たり障りのない言葉にしてしまうのは映画に対する冒瀆ではないか。

アンナ・パブロワ Анна Павлова 1983


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エミーリ・ロチャヌー監督、134分。

有名なバレリーナ、アンナ・パブロワの生涯の映画化。
1881年に生まれ、1931年に50歳で亡くなった20世紀初頭に活躍した。
ペテルブルグのマリンスキー劇場のバレリーナとなる。20世紀初頭のディアギレフ率いるバレエ・リュス(ロシヤ・バレエ)は音楽史に残るが、そのディアギレフと共に西欧でバレエを披露する。アメリカ公演では、公演主は歌劇が好きでバレエに関心がなかったため、夜中過ぎの開演になる。それでもアメリカ人に深い感銘を与えた。

パブロワと言えば「瀕死の白鳥」、音楽はサン=サーンスの「白鳥」である。
海外巡業に出るようになる。ロシヤ革命の勃発もあり、かなり長期の海外滞在となる。日本にも大正時代に来たが、映画では描かれていない。

パブロワの伝記映画である。よくあるように自由に脚色して、映画的な展開となるといった類ではない。もちろん細部の脚色はあるだろうが、基本的にパブロワの生涯を観る映画である。