2015年5月23日土曜日

ストリンドベリ名作集

スウェーデンの作家、ストリンドベリの有名な戯曲の選集である。

収録作品は、『父』Fadren  1887、『令嬢ジュリー』Fröken Julie  1888、『ダマスカスへ』Till Damaskus 第一部1898、『罪また罪』Brott och brott  1899、『死の舞踏』Dödsdansen 第一部、第二部1901、『幽霊ソナタ』Spöksonaten  1907である。

他の作家も多くそうしているように、ストリンドベリは自らの生活、体験を題材として作品を書いている。彼の場合は離婚3回に及んだ女性との「闘争」、不信である。夫と妻の不信による争いが要素となっている作が多い。
正直言って最も有名な『令嬢ジュリー』が例外と言ってよく、ただしこれも女性に対する作者の冷やかな態度が見て取れる。

次に有名な戯曲は『父』だろうか。ここでは離婚を協議中の夫婦が娘を巡って争う。妻の嫌がらせ、娘の実際の父かどうか疑わせる発言で絶望に陥る。
他の戯曲にしても同様に配偶者の間の骨肉相食む状況がベースとなっている。

人間の普遍的な問題の一つであるだけに時代や社会を越えて考えさせるものがある。
毛利三彌他訳、白水社、2011

2015年5月19日火曜日

モーパッサン『死のごとく強し』 Fort comme la mort 1889

モーパッサン、39歳時の長編小説である。主人公の画家ベルタンと伯爵夫人の愛を軸にして、背景は世紀末のパリ上流社会である。

売れっ子画家のオリヴィエ・ベルタンはモデルになった伯爵夫人のアニーと恋愛関係になる。夫の伯爵は全く気がつかないようである。恋愛関係が続くうち、オリヴィエは夫人の娘であるアネートに惹かれるようになる。年齢の衰えを感じるようになった夫人は恋人が娘に関心を持つようになったことに気づき嫉妬する。

モーパッサンといえば短編でもよくわかるように、いかにも劇的というか興味ある展開を見せる話を書く作家という印象がある。

この長編では意外と淡々と話が進み、最後の締めくくりではやや事件が起こるものの、それまでは画家と夫人との恋愛感情のもつれや上流社会の説明などが続く。それでも読んでいて飽きさせない。
 
19世紀の貴族社会など全く縁のない世界だけに、どれだけ実態に近いのか想像もできないが、それだけに違和感も感じさせない。
田辺貞之助訳新潮文庫昭和45年改版

十七人の忍者 昭和38年

長谷川安人監督による白黒映画。主人公は大友柳太朗であろう。

反幕府を企む諸藩の連判状、老中はその奪取を伊賀の忍者に命じ、企てを阻止しようとする。
命じられた忍者の頭は大友柳太朗、全員で十人以上の忍者が駿府の城へ連判状を奪いに急ぐ。

対する城側では根来忍者である近衛十四郎を雇い、その防衛を強化する。伊賀の忍者たちは城攻めを行なうが、近衛の知恵や策略により次々と斃れていく。

頭の大友も変装を近衛に見破られ、捕まり牢に入れられ、脚を折られてしまう。捕まる直前に大友は仲間の一人、里見浩太郎にこれから指揮はお前がとれと言い残す。まだ若輩である里見を頭に抱くことを不満に思う忍者もいるが、期限も迫られ一丸となって決死の覚悟で城へ攻め入ろうとする。このときには大友の妹である女まで仲間の一味となって加わった。

策略家の近衛にかかり、残った伊賀忍者もやられていき、最後には里見と東千代之介の二人となる。東の犠牲で里見は連判状のある、倉へと急ぐ。その間囚われの身であった大友は牢を破り這って連判状を取りに行く。里見にこれを渡す。近衛は里見を倒そうとするが、今まで勘定に入れていなかった大友の妹も女忍者であり、二人して強敵近衛を破る。
大友は二人を逃がし最後の力で門を閉めて追手を阻む。

大友はいつもの磊落な雰囲気と異なり沈着冷静な忍者の頭を演じる。また敵の近衛も正直映画では一番目立つ役柄ではないかと思うくらい、一人で伊賀忍者たちを倒し防御する。しかし彼も臨時雇いの身であり仲間の侍たちからは馬鹿にされ、幕府隠密である伊賀忍者に怨念のような恨みを持つ。近衛と牢の中の大友の言い合いも対決であり迫力がある。

若手の里見と東では、里見が代理の頭になるなど上の扱いである。倉の中で潜んでいるとき、先輩である東が不満を述べるところなど、実際の東映の扱いそのままになっていて面白い。

忍者は次々と捨石となって斃れていく。最後にも彼らの活躍の記録は何一つ残されていないと字幕が出るなど忍者の無名さと犠牲が強調されている。若い男女の二人の設定はその中での救いとしてやや空想的に描いている。

2015年5月17日日曜日

丹下左膳 昭和33年

松田定次監督による大友柳太朗主演の丹下左膳である。総天然色。

丹下左膳は何人もの俳優が演じている。自分としてはまずイメージが浮かぶのは大河内傅次郎による丹下左膳である。それは戦前の山中貞雄の「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」の印象が強いせいだろう。

大友柳太朗も丹下左膳をシリーズとして何本か撮っている。

この作品は上記山中監督の映画と原作は同じである。もちろん細部は色々異なっている。
そもそも主人公が大友なのでかなり明朗豪放な感じがある。

出演はオールスターと言っていいほど豪華である。左膳の仲間となるお殿様に大川橋蔵、その恋人役に美空ひばり、将軍に東千代之介、大岡越前に月形龍之介、相手役の悪者に山形勲、そして大岡に使われる凄腕の浪人を大河内傅次郎がやっている。

左膳が世話する子供を松島トモ子がやっており、ひばりとのシーンなど随分貴重に見える。

ともかく映画にお金をかけて作っていた時代とわからせる豪華なシーンなども出てくる。
山中の映画との比較とか関係なく、これはこれで楽しめる時代劇となっている。

2015年5月16日土曜日

集団奉行所破り 昭和39年

長谷川安人監督による集団抗争時代劇の一つになるだろう白黒映画。

ならず者の集団が大阪奉行所破りを企むというやや破格の設定。単に奉行所破りのための破りというわけでなく、かつてならず者(元海賊)たちが世話になった商人の処刑への復讐と7回忌法要のためという目的があった。

映画は大阪弁で早口にまくし立てる説明から始まり、一癖も二癖もあるならず者たちが分担し、奉行所破りに向けて努力する。映画としてはならず者たちの宿敵であった奉行所の同心(佐藤慶)が意外な男であったと判明するあたりはやや驚かせる。

ハリウッド映画なら痛快な奉行所破りが展開するだろうが、そうはうまくいかない。それでもならず者たちが一定の成果を勝ち取るようになっている。

このころの東映時代劇はリアリズムを重要視するようになっていたのであまり御伽噺は作れなかったのであろう。

2015年5月12日火曜日

水戸黄門 助さん格さん大暴れ 昭和36年

沢島忠監督による、松方弘樹、北大路欣也主演の総天然色映画。

月形龍之介水戸黄門シリーズの最終作だそうだが、助さん格さんが如何にして黄門の家来となったかを描く。

まだ十代であった松方と北大路が題名通り大暴れをする痛快時代劇。そのため黄門は脇役としてか出てこない。

遊びで有名な沢島監督だが助さん格さんに負けじと、ここでは自由奔放ともいえる設定で撮っている。水戸藩登用の試験でのカンニングとか、江戸の噴水のある公園とか。

松方の幼なじみという設定の居酒屋の娘で、結構不細工な子が出ていると思ったら、この年にヒットした「東京ドドンパ娘」を歌った渡辺マリという人らしい。

松方と北大路は当時ライバルとして売り出されていたそうだ。親が共に有名な時代劇俳優で将来を嘱望されていたのであろう。この映画では松方の方が先にクレジットされ出番も多いように見える。

2015年5月11日月曜日

港まつりに来た男 昭和36年

マキノ雅弘監督、大友柳太朗主演による総天然色映画。

七夕祭りを迎える港町。船が着いて興行の一座や出稼ぎに出ていた者が帰ってくる。

興行一座の中で独眼の居合抜きの名人(大友)が目をひく。最も優れた興行を行った者には殿の前で披露を行なうとされている。漁師町でありながら城下町でもある。

評判通り居合抜きの名人に白羽の矢が立つ。名人芸を披露した後、殿が褒美をとらすと言うと殿に仕えている娘(丘さとみ)を名指す。そして眼帯をとるとかつてこの町で漁師をしていた者とわかる。彼と彼女は相思の仲であったのだが、娘は城へ召されてしまう。男は町を飛び出て侍としての修業を積み、十年経って帰って来たのである。

ここまでなら幸福終なのだが、この後また城から男に呼び出しがかかる。娘は漁師に戻って欲しいと頼み、男も侍を捨てるつもりでいた。城へ行って殿から取り立ててやると言われ、その気になって了承すると家来たちが襲いかかり斬り合いになる。

心配した町人や恋人の娘は、祭りでみんながええじゃないかを踊っている中、城へ駆けつける。門から出ていた男は斬られ息も絶え絶え、娘が駆け寄り銃でもろとも斃れる。

話はこのほか町を出たい男たちとその母や恋人との言い争いがあったり、前に亭主を大友に斬られたという女(千原しのぶ)が出てきたりするが付け足しの感がある。

武士社会の不合理の批判とも見えるが、男と女の価値観の違い(出世志向の男と家庭に止めておこうとする女)が前面に出ている。

2015年5月10日日曜日

大江戸七人衆 昭和33年

松田定次監督による市川右太衛門主演の映画、総天然色。

右太衛門主演と書いたが、そう書いてもいいか一瞬迷う。真ん中あたりは出てこないからだ。

七人衆というのは、右太衛門を中心とし、他に大友柳太朗、大川橋蔵、東千代之介、このほかにそれほど有名でない3人が加わった旗本連を言う。

相手役の悪人旗本たちは山形勲ほかで、山形は自分の好きな芸者(花柳小菊)を右太衛門に取られたと憎んでおり、奸計で右太衛門を甲府へ飛ばす。

山形の仲間の老人は若い女性をものにしようとする。この救助に向かった大友は斬られてしまう。また東千代之介の旗本はやもめの子持ちで、他の旗本や女性たちに子供の世話になる。悪徳旗本たちは図ってこの子供を誘拐する。右太衛門も甲府から駆けつけ成敗に乗りだす。

東千代之介が子持ちのやもめという設定は記憶に残る。大友が凄絶に殺されるあたりが一番の見どころかもしれない。
右太衛門が話の真ん中に出ず、若手の出番を主にしようとする作りになっている。

2015年5月9日土曜日

血槍富士 昭和30年

内田吐夢が監督し、片岡知恵蔵が主演を務めた白黒映画。


知恵蔵はここでは道中を行く殿様の槍持ちという変わった役を演じている。道中といっても殿様、知恵蔵の他は供の加東大介のみという3人だけの一行である。殿様は人はいいが酒癖が悪く酔うと酒乱になる欠点を持つ。

映画ではまず道中で知り合った旅人たちの様が描かれる。身を隠した大泥棒、人の迷惑も顧みず道で野点をする大名一行、娘を借金の形にとられる老人。その娘を取り返すため、知らぬ間に亡くなっていた自分の娘のため蓄えたカネを出す男。大泥棒を怪我の功名で捕えた知恵蔵。

いい気分になって殿様は加東大介を連れて酒屋へ行く。進められて飲んでいると侍たちがやってきて難癖をつける。斬り合いになる。それを聞きつけた知恵蔵が飛んでいくが既に殿様はやられていた。槍を振り回し、大酒樽が並ぶ中で大立ち回りとなり侍たちを倒す知恵蔵。最後は殿の遺骨を胸に旅立つ。

傑作の呼び声の高い作品である。以前見たことがあり今回再見した。
正直評判ほどには期待が高かったせいか感心しなかった。昔見た時もそれほど感銘を受けた記憶がない。

なぜ評価が高いのであろうか。一つは最後の立ち回りの迫力。ただ今ではその後の時代劇に慣れているせいもあってかそれほど凄いとも思わない。それと今言ったことと関連するが、制作された年代が昭和30年というまだ東映の様式美的な時代劇の全盛期であったのにも関わらず、リアリズム劇となっている点。立ち回りも当時はかなり迫力あったと思われる。斬新な劇として見えたのであろう。

2015年5月8日金曜日

きさらぎ無双剣 昭和37年

佐々木康監督、市川右太衛門主演による総天然色映画。

吉宗将軍を倒し幕府を握ろうとする尾張藩の陰謀がある。これを防ぐため大岡越前は播州某藩の市川右太衛門を呼びに、お尋ね者だが有能な松方弘樹を派遣する。道中尾張藩に襲われるが、剣術の使い手(近衛十四郎)が現れ助太刀する。
 
近衛は自分の相手となりうる剣客を捜しており、ここで市川を知った近衛は将来の対決を決意する。近衛は市川との対決のために尾張藩の用心棒のような役になる。

江戸で尾張方に間諜として送り込んでいた市川の恋人の女中が捕まる。その実家を襲うが、元旗本の里見浩太郎に邪魔される。

尾張方は小伝馬町の牢の新築で罪人移動の際、暴動を起こし、吉宗の責任を問おうとする計画を立てる。この陰謀に、大岡越前、市川、松方、里見、更に若山富三郎演じる侍が阻止する。最後は市川は近衛の対決となりこれを下す。

スター役者が入り乱れなかなか見応えのある作品となっている。近衛、松方の親子共演の場面もあり楽しめる映画であった。

2015年5月7日木曜日

忍者狩り 昭和39年

山内鉄也監督による忍者映画、白黒。

 豊臣に近かった外様藩を潰そうと幕府は目論んでいた。四国の松山の藩主は臨終近く交代予定である。その子を藩主と許可する幕府のお墨付きを巡って争う。潰す側は忍者を雇い、そのお墨付きを奪おうとする。また藩はかつて属する藩を潰され浪人となった、腕利きの4人を雇い奪還を防ごうとする。

主人公の浪人に近衛十四郎、また仲間の一人に佐藤慶が扮する。藩の城代家老は田村高広が演じる。
忍者たちと浪人の間で死闘が繰り広げられる。

最後にお墨付きの奪還が無理となった忍者側は、幼い次期君主を亡き者にしようとする。その争いが狭い墓(西洋の墓のような廟)の中で切迫感をもって描かれる。

当時は忍者ブームの時代だったと思い出した。

2015年5月6日水曜日

右京之介巡察記 昭和38年

長谷川安人監督、大川橋蔵主演による総天然色映画。


将軍交代時に幕府は諸藩視察の使を派遣していた。実際には巡察使は各藩で饗応を受けることが慣例化していた。

今回選ばれた三人の巡察使のうち一人(橋蔵)は堅物で通っており、各藩からの賄賂等一切受け付けない。
 
諏訪藩で自ら検地してその証拠の図面を名主宅で押収する。しかし藩の家老等は煩い彼を陥れ、名主の娘殺しの罪をかぶせる。江戸で蟄居の身となった彼は自刃する。

幼い息子は成長する。これが大川橋蔵の二役。彼を育てたのは父の家臣(大阪志郎)と、逃避先の秩父の忍者の棟梁(東野栄治郎)。棟梁の娘と橋蔵は恋仲となる。

逞しく成長した彼と家臣は父の悲劇の元となった諏訪藩へ赴く。名主の家に行くと奸計の犠牲となった女の娘が成長しており、父と瓜二つの橋蔵を襲う。秩父の里へ帰るが、ここの忍者は父の失脚を企む上層からの指示で諏訪藩の図面を奪った者であったことがわかる。すると育ての親である棟梁も敵となり、彼と対決する。

この映画はここまでで、明くる年に続編が作られたそうだ。ここまで見るとどう展開していくか続編を見たくなるのが人情というものだろう。

2015年5月5日火曜日

任侠東海道  昭和33年

松田定次監督による次郎長ものシリーズのオールスター映画。総天然色。


市川右太衛門は、今回は吉良の仁吉役で出ている。

敵討ちのため、次郎長一家が相手方を追って東海道を下る。邪魔立てする月形龍之介の一家を討った後、二手に分かれて追う。

大政(大友柳太朗)率いる一派は次郎長から叱責を受ける。意味が不明なのだが映画的には後半を市川右太衛門の吉良の仁吉の出番とするため、次郎長の知恵蔵が引っ込んだとしか見えなかった。
最後は荒神山でのチャンバラ。右太衛門が悲愴に死ぬ。知恵蔵が台詞を決める。

筋は正直それほどうまくできていると思わなかったがそんなことで判断する映画でないのだろう。ともかくオールスターを楽しむ映画。

暴れん坊街道 昭和32年

内田吐夢監督による近松門左衛門原作の映画化。白黒映画。

女主人公は山田五十鈴で、許されない相手との間にできた子は里子へ出され、自らは幼い姫君の乳母となる。

何年か後、街道で馬子をしている威勢のいい男の子がいた。彼と仲良くなった浪人(佐野周二)は自分も馬子にしてもらう。

大名の一行が通る。男の子の馬子はむずかる幼い姫君の相手役を仰せつかった。世話役の乳母は実は馬子の母であったのだ。ひょんとしたことから乳母と馬子はお互い事実を知る。

その一方、幼い馬子の世話をしてくれていた若い女の父が借金で首が回らず期限は明日である。自分の母とわかった馬子はカネを貸してくれと頼む。理由を言わないので貸さない。馬子はこっそり忍び込み小刀を盗む。小刀を馬子の親方へ持っていき換金する。
その間小刀がなくなったことを知った大名一行は大騒ぎ。

更に驚くべきことに馬子と仲良しの浪人が実の父とわかる。実の息子が盗んだ刀を返してくれと親方と交渉するが、ついに浪人は親方を斬ってしまう。
浪人は殺しの罪で極刑は免れないと、大名一行の宿の前で自害する。

あまりに偶然が重なり過ぎで作り話っぽい。その分いかにも劇的に話が展開するわけである。近松原作ならこういう話もあっても驚かないが。元となった実話があったのだろうか。

関の弥太ッぺ 昭和38年

山下耕作監督による有名な股旅映画、中村錦之助主演、総天然色。

任侠もの、股旅ものに限らずおよそ時代劇全体に範囲を広げてみても、最も良く知られた映画の一であろう。かなり前みて今回、フィルムセンターの東映時代劇特集で再見した。色が極めて鮮明であった。

話の後半は良く覚えていたが、前半は忘れているところが多く、こんな感じであったかと改めて思った。木村功扮するやくざが騙す役であることは覚えていたが、前半からこんなに出番が多いのは忘れていた。正直話の後半で悪役へ変身するあたりは必ずしも説得的でない気がした。やくざとはこんなものであろうということか。
最終場面もよく覚えていて当時の感心を再確認した。