2022年9月30日金曜日

宇宙人ポール Paul 2010

グレッグ・モットーラ監督、英米、103分。

SFオタクの二人のイギリス人がアメリカに来て、お宅ショーや空想科学映画の舞台などをキャンピングカーで回ろうとする。途中で宇宙人ポールに出会う。宇宙に帰るポールを助けるため、出会った若い女とも協力し、ポールを取り返そうとする政府関係者と争いになる。一見してETや未知との遭遇を初めとした過去の映画の戯画化、オマージュと分かる。

セヴン・サイコパス Seven Psychopaths 2012

マーティン・マクドナー監督、英、110分。

コリン・ファレルはハリウッドの脚本家。「セブン・サイコパス」という映画の脚本を書いているのだが、全く進まなくて苦労している。その頃、トランプのカードを残してマフィアを殺す連続殺人犯が跋扈していた。ファレルの友人らは犬を誘拐し、後に飼い主に返し、それで礼金を貰う悪事を重ねていた。
そのうち一人は困っているファレルを助けるため、筋の案を話しまた新聞で気違い募集という広告を出す。もう一人の仲間は黒人である妻が癌にかかっていて治療していた。
犬泥棒でマフィアのボスの犬を盗んだことから、何としてでも犬を取り返そうとするマフィアとの闘いが後半の主要部分である。
空想だか妄想だか映画の筋を考えていて映し出され、それが映画の大きな部分になっている。更に最後に連続殺人犯の正体も分かる。

2022年9月29日木曜日

フレンジー Frenzy 1972

ヒッチコック監督、英、116分。

ロンドンの街は女をネクタイで絞め殺す連続殺人事件で騒がしい。主人公の男はパブに勤めていたが主人と喧嘩して飛び出す。友人が何くれと手助けしてくれる。

今は結婚相談所を経営している元妻に会いに行く。食事をして別れる。明くる日、あの友人が元妻の相談所を訪ねる。言い合いになり、友人は元妻をネクタイで絞め殺す。友人が連続殺人犯だったのである。そのすぐ後、相談所を訪ねようとした主人公は目撃され容疑者になる。

元のパブで働いていた女給を呼び出す。二人で宿屋に泊まる。明くる日の朝、新聞を見た宿屋は警察に通報する。二人は窓から逃げていた。近くの公園で主人公は、新聞を見て自分が殺人犯と思い込んでいる女給を説得していた。そこに主人公の旧友が来て自分の家に匿おうとする。しかしその妻は猛反対する。無実なら警察へ行けばよいと。

以前働いていたパブの主人は新聞で主人公が犯人と分かり、通報する。女給が荷物を取りに来る。主人と言い合いになりパブを去る。その女を殺人犯は声を掛け、自分の部屋に連れて行く。殺害した後、トラックの芋の袋に入れて処分したつもりだった。だが自分の胸のピンを女が掴んで持っていったと分かる。取り返しにトラックに乗る。トラックが動き出し苦労してそれを取り返す。後女の死体は転がり落ち犯罪が発覚する。

主人公を匿っていた友人も外国へ行かねばならず主人公はそこを出る。主人公は、殺人犯である友人に親切に誘われ部屋に匿われる。そこに警察がやって来て逮捕される。自分の友人が真犯人と分かった。主人公は刑務所内で怪我をし入院する。病院を逃げ出した主人公は殺人犯の部屋に行き寝台を突き刺す。蒲団を除いてみると女の死体であった。刑事がやって来た。そのすぐ後に大きいトランクを持った殺人犯が入室してくる。刑事に嫌味を言われる。

ファミリー・プロット Family plot 1976

ヒッチコック監督、米、121分。

アメリカが舞台で、遺産を相続させるため行方不明の甥を捜す話とダイヤ強盗の話が最初は平行して進む。実はその甥は、今は変名して誘拐した人質との交換でダイヤ強奪を行なっている悪党だった。
インチキ霊媒師の女は老婦人から遺産を相続させる甥を捜してくれと頼まれる。連れ合いのタクシー運転手とその甥を捜す。甥は死んでいたと分かる。しかしなお調べていくと本当に死んだか怪しい。
死んだことにしている自分を捜していると分かったダイヤ強盗は、事件を嗅ぎ付けたと思い込んだ。それで手下に殺させようとする。しかし逆にその手下が死んだ。
遺産の相続する相手を見つけたとして屋敷に乗りこんだ霊媒師は捕えられる。後から来たタクシー運転手と共謀してダイヤ強盗を捕まえる。

2022年9月28日水曜日

呪いの館 Operazione paura 1966

マリオ・バーヴァ監督、伊、83分。

田舎の館で女が飛び下り、柵に串刺しになる場面から始まる。主人公の医師がやって来る。恐怖の村として誰も寄り付かない。死んだ女の解剖に来たのである。村人たちは医師を胡散臭そうに眺め敵意を持つ。早いとこ死体を埋葬してしまうつもりだった。警部に止められ医師が解剖する。その際、この村に久しぶりに帰って来た若い女が手伝う。解剖でも他殺かどうかは不明であった。
村では今までにも村人が原因不明の死を遂げていた。宿屋の娘がその犠牲になる。窓から中を眺めている少女。これが後に以前事故死した館の娘と分かる。帰って来た若い女は死んだ少女の妹であった。
結局、死んだ少女の母親が黒幕と分かるが、映画で起こる不可思議な現象は全部解明されない。多くの死が生じる映画である。

2022年9月27日火曜日

まぼろしの市街戦 Le Roi de Cœur 1967

フィリップ・ド・ブロカ監督、仏、103分。

第一次世界大戦末期、フランスのある町。占領していたドイツ軍は時限爆弾を仕掛け、撤退する。
イギリス兵が爆弾の在り処を探りに来る。残っていたドイツ兵と鉢合わせし、イギリス兵は精神病院に逃げ込む。
そこにいた狂人たちは街に繰り出し、思い思いの服装をして自分の身分を語る。問われたイギリス兵は王だと答えたので、王にされてしまう。サーカスの綱渡りの若い女に求婚される。ドイツ兵らは町を去るが、イギリス兵はどこに爆弾があるか狂人たちに命令し捜し回るが見つからない。
夜中に爆発するはずである。綱渡りの女子に言われた言葉で、街の時計塔にある、時間を告げる人形の鐘撞きがその装置と気づく。塔に登り鐘撞きを自分の身体で受け止める。これで爆破は逃れた。万歳となる。
イギリスの連隊が町に乗りこんで来る。狂人たちとも仲良くなる。ドイツの連隊も爆破したか観に来る。町の広場でかち合う。お互い銃撃戦で全滅する。
イギリス兵は後から来た連隊に配属され、別の戦闘に行かされようとするが、逃げだし狂人を装い、精神病院に入り込み仲間たちと再会する。

2022年9月26日月曜日

テッド Ted 2012

セス・マクファーレン監督、米、105分。

友達のいない8歳の男の子はクリスマスプレゼントで熊のぬいぐるみを買ってもらう。テッドと名付けたる。そのテッドが喋り出し、動き出し驚かせる。男の子の初めての友人となった。テッドは世間で有名になったが、すぐに飽きられてしまう。

男は35歳になる。レンタカーの受付を仕事としている。テッドは、見た目は全く変わらないが、不良じみた、いい加減な大人熊になっていた。未だに男はテッドと離れられない。男には恋人がいる。しかしテッドとべったりで女と結婚するつもりはなかった。女の方から自立するためテッドと別れろと言われる。テッドは乱脈な生活をし、あれやこれやで男を引き留め、女はうんざりしていた。テッドは男に女と結婚しろと勧める。その後も男とテッドは簡単に別れないが、テッドは女にも男と一緒になるよう説得する。

テッドがまだ有名だった頃、テッドのファンだった今は中年親爺になっている男が息子のためにテッドを誘拐する。テッドは逃げ追っかけで塔の上に上る。追いかけてきた親爺はテッドを引っ張り空に放り投げる。その際テッドの体は二つに割れ落ちていく。男と恋人の女がそれを拾いテッドを修復する。生き返らないテッドを見て男も女も落胆する。しかし明くる朝テッドは元通りになる。男女は結婚して幸福になる。

神経衰弱ぎりぎりの女たち Mujeres al borde de un ataque de nervios 1988

ペドロ・アルモドバル監督、西、88分。

テレビ女優はある中年男と関係がある。今の場所を引き払い旅行に行こうとなる。今の家(マンション)を売りに出す。友人の女が来て自分の情人とその仲間がテロリストだったと告げる。テレビでやっていたテロはその連中の仕業と話す。警察に電話したらと忠告するが、共犯として捕まると友人は恐れる。
家を見に来た若い男女がいた。そのうちの男(アントニオ・バンデラスが眼鏡を掛けて演じる)は、実は情人である中年男の息子と分かった。その母親は随分前に別れて別居している。バンデラスは女優の友人に、弁護士に相談しろと勧める。女優は女弁護士のところに行くが喧嘩別れをする。女優は自分の情人がいくらでも女がいるので旅行に行く気はなくなる。
テロリストたちは、今度は空港に爆弾を仕掛けると女優の友人は聞いていた。バンデラスが早口で警察に電話する。後で刑事らが来て電話したのはここかと問い詰める。飲み物に入れた催眠薬でみんな眠る。
女優は空港にタクシーを走らす。テロリストが爆弾を仕掛けたストックホルム行きの機には情人が乗る予定だった。また情人の元妻は復讐のため拳銃で女優の情人、元夫を殺すつもりだった。空港で元妻の殺人を防ぎ、情人から感謝されるが、もう情人に興味のなくなっている女優は帰る。

2022年9月25日日曜日

処刑男爵 Baron blood 1972

マリオ・バーヴァ監督、伊、97分。

オーストリアの古城。そこにかっていた男爵は拷問で人々を苦しめ殺害していた。男爵の子孫である若い男が来て、城の調査をしている若い女と知り合う。
二人で男爵を蘇えさせる儀式を行なう。それ以降城の周辺で不明な殺人が相次ぐ。
その城を競りで買った男がいる。車椅子に乗っている。ジョゼフ・コットンが演じる。城を改造して元に戻すという。実はコットンが処刑男爵の仮の姿だった。
かつて男爵に殺された女の霊で、若い女が身につけているブローチが男爵に対して効力があるらしい。男爵は城に招いた若い男、女を亡き者にしようとする。ブローチは効果がなかった。ただそのブローチが男爵によって拷問死した男に触れると蘇り、他の死体も同様でそれらの死体が男爵を滅ぼす。

フェイシズ Faces 1968

ジョン・カサヴェテス監督、米、130分、白黒映画。

倦怠期にある老人(にしか男は見えないが)夫婦やその他男女のやり取り、言い合い、なんとしても相手に対し支配権を取ろうとするいかにもアメリカらしい男女の関係を描く。主人公の男は中年の危機か、娼婦を相手に馬鹿遊びをし(アメリカでは馬鹿げた振る舞いが若いという証拠らしい)、家に帰り妻に離婚だと言い放つ。また男女のからみや娼婦がいる場所に行き、あれこれを行なう。離婚を宣告された妻の方は他の中年妻たちとディスコで見つけた若い男を家に来させる。若い男に迫る中年女。妻は最後に死にかけ、なんとか男が蘇生させるとその時、夫が戻ってきた。逃げる男を見て、離婚を宣告した妻に散々嫌味を言う夫。

中年夫婦の倦怠やいがみ合いで、人生経験の少ない若い人間は面白く観えるかもしれない。

2022年9月24日土曜日

ビッグ・リボウスキ The big Lebowski 1998

ジョエル・コーエン監督、米、117分。

ジェフ・ブリックス演じるリボウスキは自らをデュードと呼んでもらいたがっている。無精者で失業中のデュードの家にいきなり暴漢が現れ、金を返せと言う。そのうち一人は絨毯の上に小便をする。来た二人は、リボウスキは金持ちのはずだが、家の有様を見て人違いと気づき去る。

デュードはビッグ・リボウスキという自分と同じ名の金持ちの家に行って文句を言う。相手にされず追い返される。その際、絨毯を持って帰った。後に電話がかかってくる。リボウスキの若い妻が誘拐された。身代金を届け、妻を戻して欲しいという依頼であった。そのために謝礼は出すと。

デュードはボウリング仲間に話す。そのうち一人、ヴェトナム帰りの男は狂言誘拐にまともに付き合う必要はないと言い放つ。金の入ったケースを持って車でデュードが出ようとするとヴェトナム帰りが乗り込んできた。金のケースの代わりにクズのケースを渡して、その際に女を奪い返す計画を話す。ところが犯人から橋の上からケースを投げろと連絡が来た。デュードの止めるのも聞かず、ヴェトナム帰りはクズケースを放り投げる。犯人たちはそれを持って逃げた。

後に金のケースは車ごと盗まれる。デュードはリボウスキに妻の狂言誘拐だろうと話すが、指を切って送ってきたとリボウスキは言う。デュードたちは金のケースの入った盗まれた車を見つけるが、ケースはなく、高校生のテスト用紙を発見する。そこの家に行き子供を脅すが何も答えない。ヴェトナム帰りは家の傍に止めてあった高級車を金で買ったと思い込みぶち壊すがそれは他人の車であった。

その後、リボウスキの娘(ジュリアン・ムーア)が来て父親は一文無しだ、金は財団のものだから財団に返しても欲しいと言う。ケースには元々金など入ってなく、妻の濫費に怒っていたリボウスキは、妻など死んでもいいと思っていた。実際には妻は生きていた。その後家にやって来たチンピラどもが現れ、また金を要求するので真相を話してやる。デュードとヴェトナム帰りはチンピラどもを叩きのめす。その間、仲間のスティーヴ・ブシェミは心臓麻痺で死ぬ。火葬にして太平洋に灰を撒く。

アタック・オブ・ザ・キラー・トマト Attack of the Killer Tomatoes 1978

ジョン・デ・ベロ監督、米、87分。

トマトが人間を襲うようになり、全米で人間対トマトの戦争になる、という話である。
ただおよそ特撮的な場面もなく、残酷な場面もない。トマトが人を殺すと言ってもそれを見ている者が語るだけで殺害はスクリーンの外で起こる。時には巨大化したトマトが出てくる。やや大きいトマトが回転してきてそれに当たると人は死ぬというのである。
米政府で検討するが、何も効果的な施策はない。ただただ退屈な場面が続くだけである。調査する男は大統領報道官が悪役と分かる。
最後にある音楽をかけるとトマトは元の単なる野菜に戻ると分かる。みんなで元に戻った只のトマトを踏み潰す場面が最後の方にある。

ダウンタウン物語 Bugsy Malone 1976

アラン・パーカー監督、英、93分。

禁酒法時代のニューヨークを舞台にしたギャング喜劇、ミュージカルでもある。主要人物は凡て子供が演じている。二つのギャング団の抗争が全体の流れである。
武器は漆喰の機関銃で、パイを発射する。原題のバグジー・マローンという名の子供が主人公で、片方のギャングについている。もぐり酒場で歌う歌手の一人を少女時代のジョディ・フォスターが演じる。
主人公は歌手及び女優志望の女子と仲良くなる。
酒場を経営していたギャングは相手方によって壊滅寸前にまでなる。主人公が漆喰銃の在り処をつきとめ、双方のギャング団の撃ち合いになる。ただ最後に和解し合う。主人公と女の子はハリウッド目指して去る。

2022年9月23日金曜日

地獄の謝肉祭 Apocalypse Domani 1980

アントニオ・マルゲリーティ監督、伊西、98分。

ヴェトナム戦争の戦場から始まる。ヴェトナム側に捕えられていた部下を助けに来る。穴の底が牢屋になっていた。落ちてきたヴェトナム人を、飢えていた米兵2人は喰い出す。手を差し延べた上官にも嚙みつく。
帰還後のアメリカで、上官はヴェトナム時代の悪夢にうなされていた。部下の一人が病院から退院する。上官に電話し飲みに誘うが断られ、気分を害した男は不良の若者たちと軽い衝突をする。
スーパーマーケットに入った男に若者の一人がオートバイで襲いかかろうとする。男はライフルで射殺する。更に来た警備員まで殺す。パトカーが集まる。事件を知った上官は部下を説得しに来る。男は降等した。病院に入れられる。
ヴェトナムの経験から死肉喰いになっていたのである。それで次々と人を噛んでうつしていき、死肉食者が増える。あの上官も噛まれていたので、部下たちと一団になって警察に抵抗する。下水道で逃げ込みそこで銃撃戦になり、火炎放射を浴びる。
一人逃げおおせた上官も自宅に帰り、そこで妻や知り合いの医師らと悲劇の結末を迎える。

将棋面貴巳『政治診断学への招待』講談社新書メチエ 2006

著者は政治思想史専攻の政治学者。本書は政治の悪い面をどう発見し、それを直すすべはあるかを議論する。

政治思想史では理想的な政治体制や行動を議論してきたが、むしろ望ましくない政治をどう正しいものにするかの検討が必要とされていないか。かつての第二次世界大戦時の枢軸国の政治はとりわけ悪政であるが、今日でも政治の問題は山積している。

こういった問題意識から政治の病理を探るため、医学の診断学の考えを応用する。医学でも病気等が悪化する前にいち早くその原因を知って、予防措置がより効果的である。政治思想でも過去の偉大な思想家は政治の病理を、医学的な例えでしばしば説明していた。その例が紹介される。著者の専門が生きている。現代の政治の診断についてはどうしても学者なので抽象的な議論になる。

2022年9月22日木曜日

キカ Kika 1993

ペドロ・アルモドバル監督、西、113分。

作家の妻が拳銃自殺をする。駆け付けた息子は泣いてすがる。後年、メイキャップ師のキカは作家に呼ばれる。駆けつけると息子が死んだので、死化粧をしてくれと頼まれる。していると息子は息を吹き返す。
更に後になって息子はキカに求婚する。うれしいものの、キカは作家とも情事を重ねていた。作家も他の女や、さらにテレビの扇情的な犯罪報道番組を担当する女とも関係していた。
強姦魔が脱獄する。キカの家の女中の弟だった。姉を頼ってキカの家に来る。姉の女中は自分をしばり、金を取っていくよう提案する。しかしその弟は睡眠中のキカを見て劣情を催し、キカに乱暴しようとする。それを近所のビルから出歯亀していた者が警察に通報する。どうせガセだろうとやる気のない警察官たちは時間潰しに来る。強姦魔と争う。強姦魔は丁度その時、そこに来た報道担当のオートバイを奪って逃げる。報道の女は出歯亀からの通報と聞いてその出歯亀を捜す。そこから入手したビデオで階上に住む作家の犯罪まで知る。
帰宅した今は良人である作家の息子に、キカは暴行でいかにひどい目に会ったか訴える。しかし息子はあまり同情してくれなく他の女との関係も知り、見限ったキカは家を出る決心をする。一緒に出た女中を抱いて別れようとした。女中は強姦魔が弟だと告白し、キカは怒る。
ビデオで作家の悪事を知った報道の女が家に来て作家と掛け合おうとする。作家は殺していた情婦の死体を片付けているところだった。更に息子にも暴行を働いていた。作家と報道の女は闘い、結局女が殺され、作家も重傷を負う。そこにキカが来て作家から原稿を渡されこれで金になると言われる。作家も死ぬ。キカは階上で意識不明の息子の足に電気を通して蘇生させる。救急車、警察が来る。キカは息子との結婚指輪を捨て、車で町を出る。途中エンコしていた車の男を乗せ、相手が良さそうな男なので希望を持つ。

悪魔の墓場 Non si deve profanare il sonno dei morti 1974

ホルヘ・グロウ監督、伊西、93分。

イギリスが舞台である。女主人公は田舎に住む姉に会うため車を走らせていたが、事故を起し若い男を同乗させるはめになる。
慣れない場所で、男が車を下りて道を聞きに行っている間、死人のようなグロテスクな大男に襲われる。からくも男が戻って来て女は難を逃れる。
後でその大男が最近死んだ浮浪者にそっくりと知る。ゾンビだったのである。死者がゾンビになる理由は害虫駆除のための超音波を流していて、それが活性化させるというのである。赤ん坊も狂暴になった。遂に死者まで甦らせたのである。このゾンビのために姉の夫は殺される。
ゾンビのお決まりで噛まれた者もゾンビ化する。警察は全くゾンビなど信じていない。しかしその後の展開で登場人物がほとんどゾンビ化し、ゾンビなど馬鹿にしていた刑事も自分が殺した男のゾンビによって殺される。

2022年9月21日水曜日

東京アンタッチャブル 昭和37年

村山新治監督、東映、92分、白黒映画、三國連太郎、丹波哲郎、高倉健主演。

刑務所から丹波哲郎が脱獄する場面から映画は始まる。かつて宝石店の強盗を行なった犯人のうち丹波だけが捕まっていた。その捜査を担当した刑事である三國は、十分に事件の解明ができずに気になっていた。その丹波が脱獄である。部下の刑事、高倉と共に丹を追う。
某会社で大量の現金を運び出す際、丹波の一味が奪い、女をさらい車で逃げる。車の中で暴れる女を丹波は射殺し、道端に置き去りにする。パトカーが追いかけるが丹波らは逃げおおせる。奪った大金は手下たちに分けてやる。
宝石店で奪った多くの宝石がどこにあるか丹波しか知らない。奪われた紙幣の一部が見つかり、そこから丹波の仲間は捕まっていく。丹波はあるバーに夜間忍び込み、バーテンを射殺し、そこの壁に隠してあった宝石を取り出して逃げる。しかし銃声を聞きつけた警官が逃げる丹波を銃で撃ち、負傷を負わせる。
丹波は女を人質にとり、倉庫で三國、高倉と銃の撃ち合いになる。屋上に逃げるが屋根から落ちそうになり、刑事たちが手を差し延べ助けようとしたが、落ちて死ぬ。
映画では三國と恋仲のバーのマダム渡辺美佐子、高倉の恋人である三田佳子といった女優も出る。

2022年9月20日火曜日

夜の第三部分 Trzecia część nocy 1971

アンジェイ・ズラウスキー監督、波蘭、105分。

他のズラウスキー監督の作品と同様、恐ろしく重苦しく絶望的な空気に満ちた映画である。
画の舞台は第二次世界大戦中、ポーランドがナチス・ドイツに占領、蹂躙されていた時代である。冒頭、聖書の「ヨハネ黙示録」を読んでいる。「ヨハネ黙示録」は世界の終末を予言した書である。その黙示録と同様に世の終わりとも言うべき展開になる。
別荘にいた主人公はいきなり現れた連中(ナチス・ドイツと理解しておけばよい)に妻、幼い息子、母親を殺される。主人公は対独活動に身を投じようとするが、たまたまある女の出産に立ち会う。それが死んだ妻そっくりで心を惹かれていく。
またチフスが蔓延してその対症法を開発するため、虱を小箱に入れ、それを身体に巻き、血を吸わせて研究するという気味の悪い場面も出てくる。こんな世界にいたら生きるのが嫌になってくるという思いを観る者にさせる。

悪魔の植物人間 The Mutations 1974

ジャック・カーディフ監督、英、91分。

ある大学教授は人間と植物を合成した生物を作ろうとしている。部下の醜悪な面構えの男や小人は、教授の学生の一人を攫ってくる。この小人や他の畸形児たちは見世物小屋で見世物になっている。こう書くと『怪物団』を思い出すが、昔は畸形児はどこでも見世物にされていた。というより他に食っていく途がなかったのである。

学生仲間は失踪した女学生を心配している。学生たちで見世物小屋に行って上記畸形児たちを見る。新しい出し物を観ようとすると止められる。さらわれた女学生を植物にした見世物だったからで、仲間らに感づかれると心配したのである。他の男子学生もさらわれ、植物人間にされる。前にさらわれ植物人間になった女学生は死んだ。代わりの女学生が必要となってくる。植物人間にされた男は仲間のところに戻るが化物を見て女学生は失神する。新しくさらわれた女学生が植物人間にされそうになるので仲間は助けに行く。醜悪な男は仲間の畸形児たちに殺される。植物人間にされた男子学生や到着した仲間は教授をやっつけ、女学生を助け出す。車の中で喜んで助けてくれた男を抱く女学生。しかしその腕は植物に変貌していく、そこで映画は終わり。

おどろおどろしい題名だが中身は正統派英国恐怖映画である。

2022年9月19日月曜日

キャビン・フィーバー Cabin fever 2002

イーライ・ロス監督、米、93分。

キャンプに来た若者たちが被る災難の恐怖映画。殺人鬼が出てくるわけではない。恐ろしい皮膚の伝染病にかかり、無慙な最期を遂げていく。

湖の畔にある小屋に来た若い男女5人。そのうちの一人が銃を持って森を回っている最中、誤って人を撃ってしまう。相手は負傷しただけでない。ひどい皮膚病にかかっていた。男は恐ろしくなり逃げる。小屋で仲間といるとあの負傷させた男がやって来る。追い払う。
しかし男の伝染病が次々と若者たちにかかっていき、パニック状態に陥り、無慙な最期を遂げる者もいれば保安官に撃ち殺される者もいる。
キャンプに来た若者たちが出会う悲劇の映画はこれまでにもあるが、これは皮膚の伝染病という人間でない相手である。

2022年9月18日日曜日

オー! Ho 1968

ロベール・アンリコ監督、仏伊、107分、ジャン=ポール・ベルモンド主演。

ベルモンドはカーレーサーだった。同僚がレース中、ベルモンドのせいで事故を起こし死ぬ。レーサーの資格を失ったベルモンド(役名がオランで、仇名がオー)は銀行強盗の運転手となっている。
強奪が成功してベルモンドも報酬を手にする。恋人のジョアンナ・シムカスに贅沢をさせてやる。一味のボスが事故死し、ベルモンドは運転手でなく強盗の正員になろうとする。
たまたま車の窃盗を働き、現行犯で捕まる。刑務所では警察が銀行強盗に関係しているのではないかと取り調べる。ベルモンドは同じ房の男になりすまして、刑務所を「釈放」される。
シムカスと会ったが、シムカスはベルモンドが悪人で刑務所に入っていたのに何も言わずに嘘でごまかそうとしているので、素性が載っている新聞をつきつけ別れる。
ベルモンドはその後、新聞記者を誘拐し、新聞に載っているでたらめでなく、真実を書けとレースカーにまで同乗させる。
自分がスター扱いになって鼻高々だったベルモンドは刑事たちとの銃撃戦で負傷し、シムカスに助けを求める。シムカスと自宅に戻ると悪党の仲間が金を出せと脅し、結局のところ悪党たちは斃すが、シムカスを死なせてしまい、自分も満身創痍で警察に降伏する。

悪魔 Diable 1972

アンジェイ・ズラウスキー監督、波蘭、119分。

18世紀、諸国に侵略され国が崩壊したポーランド。主人公は王の殺害を企てた罪で牢屋に入れられていた。不思議な男が来て主人公を釈放させる。一緒の尼僧も逃し二人は、混乱の極みにある街を逃れ、故郷を目指す。
しかし故郷に行くと父親は死亡、自分の婚約者は他の男と結婚しようとしていた。主人公は世の中が崩壊していると絶望に陥り精神がおかしくなる。身内までも次々と手にかけ、最後は自滅に至る。
ともかく全編が絶望に覆われた映画と言える。

燃えよドラゴン Enter the dragon 龍争虎闘 1973

ロバート・クローズ監督、香港、米、98分、ブルース・リー主演。

少林寺拳法を学ぶブルース・リーは師匠から少林寺の名を汚した男の話を聞く。
その男が主催する3年に一回の武術大会に参加する。香港から船に乗り孤島に着く。外国、例えばアメリカなどから来た武人も参加する。リーは闘いの合間に島の秘密を探る。麻薬を作って巨額の富を上げていた。大会参加者のうち黒人は、主催者の悪党の手にかかって殺される。他の参加者とリーは悪党及びその手下に立ち向かう。
悪党との闘いのうち、多くの鏡が反射する間での対決は『上海から来た女』を彷彿とさせる。悪党一味を壊滅する。

2022年9月16日金曜日

戦慄病棟 Exeter 2015

マーカス・ニスペル監督、米、91分、廃墟の施設を舞台にした恐怖映画。

当該施設はかつて精神障害の子供たちの治療のために建てられた。しかし扱いに問題があり閉鎖されて時が経ち、今では廃墟である。ここを新しいセンターにしようとする神父がいて、協力する若い男がいる。その施設に若い男女が数名、あの神父に協力している青年も含み、やってきてどんちゃん騒ぎを始める。青年はやめさせようとするがみんな聞かない。

超常現象が起こり始める。まず青年の弟が異常な振る舞いをするようになる。外部から銃を持ってやって来た男は若者たちを脅す。男は弟の縛られた部屋に行き、自分の頭を吹っ飛ばして倒れる。弟に悪魔のようなものが憑りついているのである。その後、悪魔は若い女に乗り移り、暴れまくる。悪魔と化したかつての仲間を殺さざるを得ない。

恐怖に怯えて逃げ出した男女の乗った車は神父を轢き殺してしまう。施設に死体を戻しに帰ってくる。この死体がいつの間にか消える。この超常現象の元はかつてこの施設で死んだ子供の霊が関係しているのか。最後に死んだはずの神父が惨劇に関与していると分かり、またその娘が仲間の中にいたと分かる。退治し建物を焼き払い、落着したかと思いきや死んだはずの死体がないところを映して映画は終わり。

映画の中核は「エクソシスト」の展開を使い、かつて死んだ子供が操るとか「リング」を思い出す。典型的な恐怖映画である。

アルジェの戦い La battaglia di Algeri 1966

ジッロ・ポンテコルヴォ監督、伊、アルジェリア、122分、白黒映画。

アルジェリアが独立するまでの戦争(19541962)のうち、フランスと戦闘した1954年から1957年までを主に対象としている。実際の戦争に参加した者の出演や協力で迫真的な映画となっている。アルジェリアの首都アルジェのカスバ地区で、独立のための組織を作られる。支配国フランスに闘いをしかける。
当初のうちは警官を次々と倒していく。テロが収まらないので、フランス本国から空挺部隊の専門軍人が派遣されてくる。お互いに熾烈な戦闘となる。アルジェリア側は女を使って爆弾をレストランやダンスホールなどに仕掛け、爆破させる。フランス側は捕まえた組織員を拷問して相手側の情報を探り出す。
アルジェリアの組織が壊滅し、その後数年たって一般の市民が立ち上がり、独立を要求するところで映画は終わっている。

エリザベス・タウン Elizabeth town 2005

キャメロン・クロウ監督、米、123分、オーランド・ブルーム、キルステン・ダンスト主演。

ブルームは製靴会社で、自分が企画した靴が全く売れず会社を倒産に追い込む。帰宅して自殺するつもりだった。そこへ妹から電話があり、父が急死したと知る。田舎(エリザベス・タウン)に行かざるを得なくなる。飛行機でスチュワーデスのダンストから話しかけられる。乗ってくれたお陰で自分は馘にならずに済み、会社も助かったと。知り合いになる。着陸後、田舎の町に向かう。久しぶりに会った故郷の面々。ブルームは火葬にしたいと言うと、田舎の人たちは驚く。葬式には母もやって来て言いたい放題となる。ダンストとは電話をしていた。最後にダンストの指示でアメリカの町々を訪ね、最後には二人は抱き合う。

2022年9月13日火曜日

黒い罠 Touch of evil 1958

オーソン・ウェルズ監督、出演、米、95分、白黒映画。他にチャールトン・ヘストン、ジャネット・リー出演。

メキシコ国境との町。メキシコ人の弁護士役ヘストンとジャネット・リーは新婚で、前を通りすぎた車が爆発する。有力者と女の乗っていた車だった。この間、冒頭から長回しで延々と場面を追っていく。捜査に来たのはオーソン・ウェルズ扮する肥満で跛の警部である。これまで事件を解決し有能な刑事と評判をとっているが、実は意図的に冤罪を作り出してきていた。
今回の事件でも容疑者の家から爆弾を発見するが、少し前にヘストンが見て何もなかった所からである。ヘストンは検事と協力してウェルズの悪行を暴こうとする。妻のリーはホステルに一人待っていたが、経営(?)の若者たちから嫌がらせをされる。それだけでなくヘストンを煙たがっているウェルズはリーを犯罪者に仕立てあげ、それでヘストンの失脚を目論む。
ウェルズに疑惑を感じる同僚の刑事はヘストンに協力する。ウェルズの口から真相を聞きだし、それを録音するため、刑事はテープレコーダーを隠し持つ。やや離れた所からヘストンはそれを聞く。感づいたウェルズは刑事を撃つ。ヘストンとも撃ち合いになる。あわやヘストンが殺されそうになった時、まだ息があった刑事が背後からウェルズを撃つ。
真相は録音された。ヘストンはリーと共に町を去る。

2022年9月12日月曜日

意志の勝利 Triumph des Willens 1935

リーフェンシュタール監督、独、109分、白黒映画。

193494から10日にかけて、ニュルンベルクで開催されたナチス党の第6回全国大会を記録した映画。ヒトラーを初め、ナチス党幹部の連中に対し、市民は熱狂的に歓迎する。その様が描かれる。(宣伝映画なので演出はある)街中その他の行進の場面が多く、沿道等の民衆は声援を贈る。そういった似たような場面の繰り返しはやや飽きてくる。ヒトラーの演説が聞ける。ヒトラー演説場面はよく放送等されるが、ここでは演説の訳が字幕で出てきて、ヒトラーが実際にどう言っていたのか分かる。また当時の要人、必ずしもナチス党員でない、大物も演説している。

盛んにドイツの隆盛を強調しているが、その後ドイツがどうなったか我々は知っているので、歴史というものの実際というか無情というかを考えさせられる。

2022年9月8日木曜日

三匹の侍 昭和39年

五社英雄監督、松竹、93分、白黒映画。丹波哲郎、平幹二郎、長門勇主演。

当時、テレビで「三匹の侍」という時代劇連続ドラマがあり人気を博していた。それを受けての映画化であろうが、内容は3人の浪人がどのようにして出会ったかの経緯である。

代官の苛斂誅求に苦しむ農民たちは代官の娘をかどわかし、代官と交渉するつもりだった。その立てこもる小屋にたまたま丹波が来て、そこに泊まるようになる。
一方平は代官の居候になっていたが、無関心で冷ややかに経緯を見ているだけである。長門は代官の牢にいたが、寝泊まりできるというのでそこにいた。長門が剣術に長けていると分かったので、代官は手下たちと娘の救出に向かわせる。しかし長門は自分が百姓の出で、代官側に非があると知り、丹波と仲間になる。
しかしそこに来る途中、一人の襲ってきた百姓を殺していた。これを隠す必要があった。特にその殺した百姓の妻がいると知り良心の呵責に悩む。代官側は百姓の一人の娘を攫ってきて、これと代官の娘と交換しようと申し出てくる。すると百姓の娘は舌をかみ切り自殺する。怒った百姓は代官の娘を殺そうとする。
丹波は自分が鞭打ちの罰を受けるから百姓たちには手を出さないという約束を取り付けて、代官の娘を返す。丹波はひどい罰を受け、水牢に閉じ込められた。一方代官は首謀者の百姓たちを殺す。平は丹波の正義漢に呆れるが、内心好意を持つようになる。丹波は牢を手助けによって逃れる。しかもその後、代官の娘に匿われる。
長門は丹波を助けに行かなくてはならないと代官屋敷に向かおうとすると、あの自分が手にかけた男の妻に引き留められる。長門は実状を話す。
最後には丹波、平、長門が一緒になって相手側の侍たちを皆殺しにする。丹波は代官屋敷に行き、代官を成敗しようとするが、娘に止められる。藩主の行列に土下座している百姓たちに直訴しろと怒鳴る。死んだ首謀者たちに申し訳ないと思わないかと言っても誰も動こうとしない。丹波は呆れ、待ち合せた他の2人の浪人と砂塵の中に去っていく。

松本清張『眼の壁』新潮文庫 初出昭和32年

松本清張は『点と線』で有名になったが、その同じ年に発表したのが本編である。時刻表を使った『点と線』は多くの旅行好きに関心を持たれたであろう。それに対して本作は、その発端は手形詐欺という経済犯罪である。ややなじみがないという読者も多かろう。

某会社は手形詐欺により3千万円騙し取られる。今の3千万ではない。昭和32年の3千万円である。会社の名誉のためにも公に出来ない。直接かかわった課長は社長から怒鳴られ、心痛のあまり自殺してしまう。その課長の下にいた社員が本編の主人公で、自殺した課長のためにも真相を解明すべく探偵の真似を始める。知り合いの新聞記者にも協力を頼むようになる。まず直接の相手だった男の事務所に行くと、謎めいた美女の秘書がいた。この美人は事件に関係あるらしく、女としても主人公は気になる。事件の解明は会社の弁護士も実はやっており、その手先の探偵が殺される事態になる。そればかりでなく弁護士までも誘拐される。政治家が関係しているようだ。記者はその政治家を探る。名古屋から岐阜方面に事件の鍵があると分かる。警察も探偵殺害の犯人を追っており、その犯人の素性が分かったものの捕らえられない。弁護士の死体が見つかり、また岐阜の山でほぼ白骨化した死体が見つかる。どうもこれが殺害犯人らしい。しかしすっかり白骨化しているので4か月位前の死亡らしい。主人公たちが追っていた犯人であるとすれば死んだのが早過ぎる。この謎が分からない。

最後に解決するが、多くの殺人や謎の仕掛けがあり、初期の松本清張らしく張り切って書いたのであろうと思われる。

2022年9月6日火曜日

石井宏『反音楽史』新潮文庫(平成22年) 初出2004年

この本の初めに、クラシック音楽ないしその音楽史の通念を破壊し、それらについて考え直すとある。読む者の興味をそそる、いたく期待を起こさせるのではないか。ところが読み始めると呆れて読む気が続かなくなる。本書の主張は次の様らしい。つまりドイツ語圏出身の作曲家たちがクラシック音楽の中心であるかのような観念が広く行き渡っている。これはドイツ人の音楽史やシューマンのような者の著述によって生まれた。ドイツ語圏の音楽家たちが活躍していた頃はイタリア音楽こそ本流であり、ドイツ語圏作曲家など無名だった。ドイツ音楽がクラシック音楽の主流など的外れである。

著者によればクラシック音楽愛好家という者たちは、クラシック音楽こそ至高の音楽で、それ以外のポピュラー音楽など価値が低い。だから馬鹿にしている。クラシック音楽が一番価値があるから、それが偉いからという理由で聴いている。つまり権威主義者ばかりである。ドイツ語圏作曲家はその権威主義者たちが奉る、実際はそんな価値はない連中だということになる。

これは著者の頭の中にあるクラシック音楽愛好家である。実際のクラシック音楽ファンは偉いから聴いているのではなく、好きだから聴いているのである。ポピュラー音楽を馬鹿にしていない。ジョン・ウィリアムズもアンドリュー・ロイド・ウェッバー(本書中に名が出てくる)も好きな人が多い。著者は昔の人だから美空ひばりや都はるみのような名を挙げているが、今風に言えばアイドルが好きで、クラシック音楽も聴いている人も珍しくないだろう。決して価値の上下で聴いているわけでない。

こんな文を書いているのは、著者がそうだからであろう。権威主義の塊でクラシック以外の音楽を馬鹿にしていたのだろう。その(かつての)自分の価値観をクラシック音楽ファンはみんな共有していると思い込んでいる。人は誰でも自分を標準に考えるからである。

ドイツ語圏作曲家より前はイタリアが中心だったとは、ある程度クラシック音楽に親しんできた人はたいてい知っている。だからといってイタリア音楽がドイツ語圏作曲家のそれより価値があるとはどこからも出てこない。当時(昔)の常識こそ標準であるべき、と思い込んでいる点でやはりこの著者は権威主義者なのである。

つまらないことを書くと本書に「ルネッサンスはイタリアに始まり、そこで興った芸術や学問はアルプスを越えて北のほうに少しずつ波及していった。その一つとして“音楽”もまた例外でなく、ルネッサンスと共にイタリアで急速に発達し始める。」(p.62)とあり、びっくりした。次のページには「北の諸国は音楽および音楽家の輸入国とならざるを得なかった。」とある。音楽のルネサンスはイギリス人やフランドルの音楽家たちが主ではなかったのか。著者の好みや価値観でこっちの方があっちより偉いと言うのは勝手だが、こういうのはついていけなくなる。

更に言えば小中学校の音楽教室にドイツ語圏作曲家の肖像が並んでいる。それに対して美術室にはない。画家の肖像など思いつかない人が多いだろうと書いている。これは美術なら複製が可能なのでその作品の複製を見ればよく、画家自身の肖像など必要ないからである。音楽の視覚化はむつかしいので肖像で代用しているだけである。文学者や思想家だって同様である。

この文庫の解説を評論家の渡部昇一が書いている。渡辺はドイツ語圏作曲家の音楽を内心楽しめなかったらしい。それで本書で目から鱗が落ちたと書いている。つまりこういう権威主義者たち、本心は好きでもないのに、見栄で格好つけているつもりでクラシック音楽はいいとか言っている連中なら、本書を読んで感心するのだろう。

音楽が好きでその中にクラシック音楽もある、という楽しみ方をしている人が多いと思う。

著者はモーツァルトの専門家として昔から良く読んでいた人である。細かい点で勉強になるところも多いが本書は全体としてついていけないと思ってしまう。

2022年9月1日木曜日

『エフゲニー・キーシン自伝』 2017

神童のピアニストとして有名なキーシンによる自叙伝。今、神童と書いたが、1971年生まれでもう50歳を過ぎている。そのキーシンがモスクワに生まれてからの、ピアノ奏者としての訓練やデビュー後、いかなる演奏者と共演したか、その際の感想、音楽家としての心構えなどが主である。驚くべき人生を送った自叙伝があるが、本書は淡々とした記述である。ピアノ奏者としての経験が主で、突拍子もない出来事が書いてあるわけでない。その分、天才的と人から言われようが、演奏家本人がどう感じ考えているかが分かる。キーシンがこれまで知った、共演した音楽家の中には世界的に有名で、普通の音楽好きなら知っている名の他、知らない名前も沢山出てくる。

また本書を読んで特徴と言えば、キーシンはユダヤ人であり、イディッシュ語を使ったり、後にはイスラエルに国籍を移したりしている。このようなにユダヤ愛で溢れており、本人は強く意識している。ほとんどの日本人は国籍と人種の違いなど考えたこともなく、それで済んでいるから、随分異なった人生、世界だと思った。

森村里美訳、ヤマハミュージックメディア

橘木俊詔『青春放浪から格差の経済学へ』ミネルヴァ書房 2016

格差論で有名な経済学者の自叙伝である。昭和18年生まれ。灘高校を卒業し、京都大学を受験するが受からず、2年目に小樽商科大学に入学した。その後大阪大学大学院で学ぶ。ジョンズ・ホプキンズ大学大学院に留学し、その後はフランスで統計研究機関やOECDに勤務する。帰国後はまず大阪大学教養部、それから京大経済研究所、経済学部の教授となった。

このような経歴を本書の前半で紹介し、これまで出した著書の要約、言わんとするところの解説が後半である。

青木昌彦『人生越境ゲーム』日本経済新聞社 2008

著名な経済学者の自叙伝。当初日経新聞の「私の履歴書」欄に掲載され、それを拡充したものである。昭和13年生まれの著者は60年安保騒動の真っ只中に、学生運動の中心人物の一人となる。警察に捕まり留置された経験がある。それより当時の学生の精神を完全に捉えていた革命運動への思いが当事者の口から語られる。

アメリカに留学し、学者の道を進む。アメリカで活躍し、比較制度分析という新しい経済学の分野を開拓する。この制度とは今ならシステムといった方が通用しやすいかもしれない。各国の歴史的、社会的、慣習的事情が夫々の経済を形作る。保守本流の経済学では抽象的な数理志向による分析が中心であるが、それに挑戦した経済学分野の一つである。

日本に戻ってからも中央官庁の研究所の所長をしたり、中国への関心を持ち、日本とアメリカの学界を跨いで活躍した。

裸足の伯爵夫人 The barefoot Contessa 1954

マンキーウィッツ監督、米伊、130分、総天然色映画、ハンフリー・ボガード主演。

映画は墓地での葬儀の場面から始まる。亡くなった女優の過去の回想になる。ボガードは最近あまり売れていない監督役で、映画資金を出す大金持ちとスペインに来ている。そこで見つけた魅力的な、裸足の踊り子(エヴァ・ガードナー)に映画に出てもらおうとなる。しかしガードナーは肯んじない。ボガードが家族などを説得し、ようやく女優契約を結ぶ。映画女優として成功する。ただ女優生活はなじめない。ガードナーに暴力を奮おうとした男を制止したのはイタリアの伯爵であった。その男と結婚し伯爵夫人となる。しかし伯爵は戦争で不具者になっていた。子供が作れない。ガードナーは不倫をする。それによって伯爵に殺された。映画冒頭の墓地はガードナーの葬儀である。

カポネ Capone 2020

ショジュ・トランク監督、米、104分。

アル・カポネの引退後の生活を描いた映画である。逮捕、刑期を終えてフロリダにある邸宅で隠居するカポネ。財産が無くなり屋敷のものを売却するだけでない。病気ですっかり精神、身体とも衰える。カポネは48歳で亡くなっており、映画はその年が舞台だが、70歳くらいと聞いても驚かない。失禁したり完全にボケ状態となった、かつてのギャング王を描いた映画である。全体の枠は実話であるが、悪党はこんな惨めな最期を遂げるといった説教調にも見えてくる。