2015年3月27日金曜日

石川達三『日陰の村』 昭和12年

小河内ダムの建設に伴い湖底に沈んだ小河内村を描いたドニュメンタリー的な小説。

ダム即ち東京市へ水道供給のため貯水池建設で、山梨県堺にある東京小河内村は湖底に没することになった。この交渉が東京と村で始まったのが昭和6年。建設開始は13年、そして戦争による中断を経て、工事が再開したのは戦後の23年、完成は32年になった。

この小説は昭和12年というまだ工事が始まる前に発表されている。小説には建設は決まったものの、なかなか工事が始まらない状況で、村民の対応や東京との折衝が描かれている。

工事が約束とおり始まらないので村長は何度も東京へ足を運ぶ。しかし市の対応は煮え切らず、また多摩川にダム建設で影響を受ける神奈川県からの抵抗もあり、当初予定より何年も遅れていく。補償費をあてにし、また湖底に沈むというので村民は農作業もやらなくなる。しかし予定がずれにずれるので生活さえ苦しくなってくる。

村民全体で集会を開き、市へ集団交渉をしようと決定される。しかしこのような示威行動は特に戦前では許されず、駅で警察に阻止されてしまう。
示された補償は極めて低く、村へ信託会社や開発業者が出入りして生活は変わり、食えなくなった村民は自主的に離村するか若い娘を働きに出すしかない。

日本の発展の歴史の上でこのような事例は多くあったのであろう。お上の方針に従わざるを得なかった一般の庶民の苦労が良く描かれている。

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