2025年7月31日木曜日

ゴーストキラー 令和7年

園村健介監督、ライツキューブ配給、104分、高石あかり主演。ある殺し屋が殺される場面から始まる。高石はバイトをしている大学生。ある日ころんだ階段で薬莢を見つける。その薬莢は殺された殺し屋の物で、高石がそれを拾ったところから死んだ殺し屋の霊が見え、会話できるようになる。更に殺し屋の霊が乗り移り、高石の体を使って殺し屋が自分の体のごとく使えるようになる。

親友のとんでもない恋人を懲らしめ、また殺し屋が自分を殺した者を殺さない限り成仏できない、といい協力を頼まれる。結局のところ、高石は殺し屋をつけ狙う反社会組織と対決することになる。女の子と悪人の体が入れ替わる映画があったし、ミッシェル・ロドリゲスの映画で女の体に男が乗り移る映画があった。それらと枠組みは同じだが面白い映画になっている。

2025年7月30日水曜日

鴻上尚史『人間ってなんだ』講談社+α文庫 2022

演出家の鴻上が雑誌に連載したエッセイの中から「人間ってなんだ」という観点の文を集めたもの。著者は演出家だから人と付き合わざるを得ない。それでいつも相手の立場になって考える練習をしてきたそうだ。またシンパシーの他にエンパシーという言葉が出てくる。相手の立場になってその考えを推察するというか。相手に感情移入する必要はない。

エッセイの部ではイギリスの演劇学校に行った。そこでの体験がある。また無意識の差別感情を指摘する文もある。更に著者が学生時に黒澤明の『影武者』のオーディションを受けた経験。演出家蜷川幸雄の思い出もある。

2025年7月29日火曜日

金星怪獣の襲撃 新・原始惑星への旅 Voyage to the planet of the prehistoric women 1968

デレク・トーマス監督、米、79分。金星に向けて飛び立ったロケットから通信が途絶える。新しいロケットを飛ばし救出とできれば探検。

金星には白人の若い女たちが何人かいてそれらが金星人である。救出隊は行方不明になっていた先人たちを助ける。金星には守り神テラという怪獣がいて、翼竜である。海に浮かんだ探検艇を襲うが、銃で退治する。死んだテラを見て金星人らは復讐を神に祈る。火山が噴火し溶岩が流れる。大雨が降る。探検隊のロボットが何とか隊員たちを溶岩から救うがロボットは倒れ、溶岩流に流される。助かった隊員たちはロケットで金星を脱出する。

金星人は自分たちの神テラは復讐も出来なかった、だめな神だと言って破壊する。代わりに溶岩で溶けた地球人らがおいていったロボットの残骸を新しい神として崇める。

2025年7月27日日曜日

勢古浩爾『定年後に見たい映画130本』平凡社新書 2022

市井人なのだが、なぜか多くの本を出している人。映画好きには古典映画が好きな人と、新しい映画を主に鑑賞の対象とする人がいる。著者は後者である。

最後の章に著者のベスト15がある。その前に北野武のベスト10が書いてあるのだが、北野の選択した映画をコケにしているのは納得できない。北野は古典的定番映画を多く挙げており、「天井桟敷の人々」「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」 「七人の侍」などがある。この著者は北野のベスト映画の多くを見ていないと言い、「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」を愚作ではないかと断じる。愚作と感じるのは個人の勝手だが、理由を書いていない。嫌いな物を好きになる必要はないが、愚作と書くならその理由を書くべきではないか。本にして出版しているのだから。北野のベスト10の最後に「鉄道員」とあるが、ピエトロ・ジェルミか高倉健の出ている映画か明記してないのも不親切ではないか。

著者のベスト15は次のようである。「七人の侍」「切腹」「逃亡地帯」「夜の大捜査線」「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」「カリートの道」「アポロ13」「ブラス!」「グリーンマイル」「リトル・ダンサー」「アトランティスのこころ」「冒険者たち」「ワールド・オブ・ライズ」「ジャンゴ 繋がれざる者」「ラ・ラ・ランド」。「カリートの道」の階段場面で「アンタッチャブル」もその基の「戦艦ポチョムキン」についても言及がない。「冒険者たち」ではジョアンナ・シムカスが好きだと言っているのに、「若草のもえる頃」について何も述べていないのはなぜか。もし見ていないのなら、こんな本を出すべきではない。

2025年7月26日土曜日

安部公房、三島由紀夫、大江健三郎『文学者とは何か』中央公論 2024

標記三人の作家による、鼎談及びそのうち二人に対談を集める。

内容は「文学者とは」三人、1958、「現代作家はかく考える」三島、大江、1964、「短編小説の可能性」安部、大江、1965、「二十世紀の文学」安部、三島、1966、「対談」安部、大江、1990、である。

ともかく三島の頭の切れるのには感心する。最初の鼎談は本当に面白い。他の対談は理解できていないところがある。一番長いのは安部、三島による「二十世紀の文学」であるが、これなど特に難しく感じた。最後1990年の安部、大江の対談で安部が三島の思想は嫌いだが人格は好きだと言っているのが心に残る。

2025年7月25日金曜日

勢古浩爾『それでも読書はやめられない』NHK出版新書 2020

市井の読書人、勢古浩爾、なぜかやたらに本を出している(出せる)人。読書に関する本を沢山出している。本書は前半が著者の読書遍歴でそれが特徴。自伝は好きなのでこれも一種の自伝だからその点面白く読めた。今は読書人であるが、子供の時から本の虫だったわけではない。

子供時代は漫画を読んでいた、スポーツをやっていたとある。20歳を過ぎてからある日突然『チボー家の人々』を読み始めたという。その後、文芸評論、日本や世界の名作文学を読み、哲学にはまった。しかしながらほとんど全く哲学書は理解できなかった、読んでも分からかった、と書いてある。このあたり、多くの読書家も同じような経験があるのではないか。ともかく数千冊これまで読んだと書いてあるが、ある時期までは大した読書家ではない。読書歴だけでなく主張を書いている。

その後は有名な「読書人」を論じている。立花隆、丹羽宇一郎、出口治朗、齋藤孝、佐藤優、成毛眞、森博嗣、又吉直樹らである。あとは著者が勧める本の紹介である。

2025年7月23日水曜日

金星ロケット発進す First spaceship on Venus 1959

クルト・メーツィッヒ監督、東独、波蘭、78分、総天然色。制作当時より20年以上未来の時代。砂漠で発見された残骸。調べて金星から来た物らしい。中に録音機があったが何を言っているか専門家も不明。ロケットで金星まで行く。

乗組員は国際色豊か。紅一点の医者は谷洋子演じる日本人。途中で月基地からの連絡あり。流星群にぶつかり、これが途中の事故。金星に着く。探検車で探索。またオメガという戦車型の小型ロボットが電子頭脳で先導する。穴に落ちたり、小型の虫のような生物か、あるいはロボットか不明の物を発見。泥状の流体が乗組員を襲おうとする。電子銃で撃退。後にロケットに帰ってからこれはまずかったと言われる。

言語も解読できた。金星人は地球を襲うつもりだった。しかし事故が起きて自滅した。電子銃を撃ったため、爆破を引き起こすらしい。これを止めに行くが、その間、ロケットは制御がきかなくなり、発射してしまう。止めに行った3人は犠牲になる。地球に帰還して記者会見をする。

2025年7月20日日曜日

大岡昇平『無罪』小学館文庫 2016

大岡昇平が主にイギリスの、無罪となった裁判物語を13編書いている。当初の発表は1956年から1962年にかけての雑誌上である。原典は E. Villiers, Riddle of crime, 1928という、判決が無罪となった裁判読物だそうだ。原典の発表時期を見ても分かるように、かなり古い時代の事件が集められている。

知っていたのはここでは「黒い服の男」という題で収められている、マドレイン・スミスの事件と「サッコとヴァンゼッティ」事件だけである。古い時代の犯罪なので、事件そのものだけでなく、その当時の現在とは全く異なる時代状況が伺われ、それに興味を持つ。

廣松渉、五木寛之『哲学に何ができるか』Lecture books 1978

哲学者、東大助教授の廣松渉と小説家の五木寛之の対談である。哲学についてのそもそも論でもしているかと思ったら、意外と哲学史についての話が多い。普通、哲学を勉強しています、という場合と同様に、過去の哲学者はああだこうだという話である。書名のような哲学に何が出来るのか、といった議論が中心でない。

更に3部構成で、第3部は「マルクス主義の行方」である。この本が出た1978年当時はまだマルクス主義に希望あるいは幻想を持っている人が多かったのだろう。今でも幻想を持っている人はいるが、少数になっているとしか思えない。あるいは全く現実の変化を見てなく、自分の信念しか頭にない人だろう。現在ではマルクス主義は完全に破産している。だから3部に辿り着いたら読む気が失せ、止めた。この廣松渉という学者はマルクスが専門らしい。

2025年7月17日木曜日

地球最後の日 When worlds collide 1951

ルドルフ・マテ監督、米、83分、総天然色。惑星とその衛星が地球に向かっているので、ロケットを作って少数の人間が地球から脱出を図る映画。

観測した地球衝突の可能性を確かめるため、天文台の教授はニューヨークの博士にそのデータを送る。そのため飛行士を雇う。飛行士はデータを博士に渡す。博士は衝突が避けられないと確信する。博士の一人娘も父親を助けて研究しており、飛行士に惹かれる。元から婚約者の医師がいたが、そちらとは疎遠になる。

地球と他の天体の衝突という博士の発表は、当初はまるで信じてもらえなかった。しかし天体は近づいてくる。脱出用のロケットの建設には金がかかるが足りない。億万長者がお金を出すので乗組む者は自分が選ぶと言い出す。結局億万長者一人の搭乗は保証された。天体の地球接近で地震、津波その他の天災地変が起こる。ロケットの建設は全く遅れている。

発射間近になり、乗せろと群衆が襲ってくる。博士は億万長者に、若い者が乗るべきだと言い、自分らは乗り込まない。からくもロケットは発射し、その後地球は衝突で破滅する。ロケットは天体に近づき、降り立ってここに新天地を築くとなる。

第十一号監房の暴動 Riot in the cell block 11 1954

ドン・シーゲル監督、米、80分、白黒映画。刑務所での暴動を描く映画。某刑務所で第11号監房の囚人たちが複数の刑務官を捕える。刑務所長に待遇改善を訴える。刑務所長は以前より上に対し、刑務所の改善を要望していたが、予算や人員がないまま来ていた。

刑務所組織の長官が来て、強硬な手段をとるよう所長に言う。長官は囚人らと対面した時にナイフを投げつけられ、負傷した。他の監房でも暴動が起きる。刑務所側は州の警察組織に出動を要請する。警察が囚人らに催涙ガスを撃つ。一人の囚人は死亡した。囚人らは囚人を殺すなら捕えている刑務官を殺すと脅していた。囚人の代表が改善案を書き、広く知らせるため報道機関も呼ぶよう要望する。改善要求を受け入れるかどうかは所長の判断だけではできず、知事の同意も必要と言われる。

最終的に知事は同意し、捕まっていた刑務官たちは解放される。囚人たちの要求が通ったのは新聞でも報道された。しかしその後、首謀者の囚人は裁判にかけられることになり、30年の刑が下されるだろうと所長から告げられる。

2025年7月15日火曜日

誘拐報道 昭和57年

伊藤俊也監督、東映、134分、萩原健一、小柳ルミ子ほか。実際に関西で起きた誘拐事件を元に、読売新聞社が出した原作を、映画化した作品。誘拐報道という題だが犯人の萩原やその妻の小柳、更に被害者家族を巡る部分が主であり、特別報道機関に焦点をあてた作品でない。

私立の学校に通う幼い少年が誘拐される。3千万円寄こせと電話がある。犯人の萩原の家は金に窮していた。経営していた喫茶店を騙し取られた。更に娘を私立の学校に通わせている。この娘と誘拐された男子とは仲良しだった。萩原は誘拐した少年を車のトランクに入れあちこちに行く。海岸沿いの村にある実家に帰り、母親に会ったり昔の恋人と行為に及んだりする。電話をかけて金を用意させるが、警察が張り込んでいるようで萩原は逃げ、なかなか被害者家族とは会えない。最後の方でトランクにいれた男子が死んだではないかと驚き、顔をたたく。結局現実にそうであったように萩原は捕まる。萩原が犯人と知り、妻の小柳が自分が金のことばかり言っていて悪かったと泣く。また二人の娘も健気に振舞う。

2025年7月14日月曜日

大内秀明、野坂昭如『マルクスを読む』Lecture books 朝日出版社 1979

副題に「資本論講義」とあって資本論の内容を、経済学者の大内が作家の野坂に講義する書かと思った。何しろ難解な『資本論』であるから、講義形式の説明であれば分かりやすいかと期待したのである。

しかし期待は裏切られた。資本論についての議論でなく、ほとんどは野坂が疑問に思う経済の実際について質問する。それに対して大内の回答はマルクス経済学者であるから、きちんと答えられない。香港では製造業など無いのに香港ドルが強いのはなぜか、という野坂の質問に大内は、さて、難しい問題ですね、というだけで問題を逸らしている。野坂も質問するより、自分がよく喋りたいようで、戦後などの自分の経験を語ったりしている。途中で投げ出してしまった。

2025年7月11日金曜日

ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』福島正実訳、角川文庫 昭和50年

角川文庫の『不思議の国のアリス』は現在は河合祥一郎訳で出ているが、その前、昭和50年に出た福島正実訳のアリスである。一般的にいって挿絵は重要である。特にアリスについてはジョン・テニエルの挿絵が正典となっており、誰でもまず最初にこのテニエルの挿絵に親しむだろう。

しかし他の挿絵もある。本書、福島正実訳の角川文庫では、我が国の代表的な挿絵画家の和田誠が、表紙及び中の挿絵を描いている。それが本書の一大特徴である。なお福島正実訳の前の角川文庫版アリスは、岩崎民平訳であり(昭和27年のち改版)、テニエルの挿絵であった。ただ表紙絵は広みさおという人の絵であった。

なお『鏡の国のアリス』の訳も現在は河合祥一郎であるが、以前は岡田忠軒訳(昭和34年)だった。この岡田訳の挿絵はやはりテニエルだったが、表紙絵は広みさおであった。不思議の方は岩崎訳、福島訳、河合訳と変遷してきたが、鏡の方は岡田訳、河合訳と一度しか変わっていない。

福島訳の不思議の国のアリスが出た時であろうか、岡田訳の鏡の国のアリスも表紙絵だけ、和田誠のものに変えた。不思議の方は表紙も中身も和田誠の絵だが、鏡の方は表紙絵だけ和田で、中の挿絵はテニエルのままだった。訳が変わっていないせいだろう。

個人的には鏡の国のアリスは昔、岡田訳の角川文庫を買い、それで広みさおの表紙絵にずっとなじんできた。だから今でもそれが自分には懐かしい。それでわざわざ広みさおの表紙絵である、岩崎民平訳の不思議の国のアリスまで古本で購入した。

The witch 魔女 2018

パク・フンジョン監督、韓、125分。特殊研究所で超人少年少女を作っている。そこから脱走する子供たち。追うが一人の少女は追手をかわし、ある農家の夫婦に助けられる。そこの子供として育つ。大きくなる。

家は貧乏である。アイドルオーディションに出る。特技として魔術を見せる。それをテレビで見た研究所の者たちは逃げた少女だと分かった。実際には少女の方から研究所の連中をおびき寄せるため、わざと公開して見せたのだという。少女と一緒に育てられた少年、あるいは研究所の者らが戦う。少女は相手方を倒す。

2025年7月8日火曜日

女は二度生まれる 昭和36年

川島雄三監督、大映、99分、若尾文子主演。若尾は芸者である。山茶花究や山村聡といった馴染みの客がいる。寿司屋の板前のフランキー堺と好き合っている。その他、大学生の藤岡潤に時々、道で会い、惹かれている。若尾は芸者を辞め、バーに勤めるようになる。

山村の二号となり、アパート暮らしをする。山村が病気で入院すると妻子に隠れて見舞いに行く。山村が死ぬと山村の妻がやってきて指輪を返せとか百万円渡したろうとか、意味不明な文句を言うので喧嘩になる。社会人になった藤岡が客としてやってきて喜ぶが、自分に客の相手になってくれと言われがっかりする。

映画館で知り合った少年と信州に旅行に行く。列車の中で、結婚したフランキー堺が妻子を連れているのに出くわす。少年を好きなところに行かせてやり、若尾は一人で駅で佇む。

埴谷雄高、小川国夫『闇の中の夢想』Lecture books 朝日出版社 1982

小説家の埴谷と小川の映画対談である。普通このLecturee bookシリーズは専門家に素人が教えを乞うといったものが多いのだが、本書は例外的で、埴谷が昔みた映画の思い出を語り、時々、小川が自分の思い出や意見を言うという本である。映画の特色や映画の見方といった映画論の部分がないわけでもないが、ほとんど老人の思い出話である。

なぜこんな本になったのか。これは出版社の担当がぜひ埴谷と小川に対談をしてもらいたいとねばり、それで実現したのだそうだ。埴谷が昔どんな映画を見ていたのか、に興味があれば読む価値はあるのだろう。埴谷という人は昔はかなり大物というか、意見を聞きたがっている人が多かったらしい。

愛と殺意 Cronaca di un amore 1950

ミケランジェロ・アントニオーニ監督、伊、115分、白黒映画。富豪から妻の過去を洗ってくれと頼まれ、私立探偵が探る。妻は夫に飽きている。以前から好きだった男と一緒になりたく思う。ただ相手の男は貧乏で今の贅沢な生活は捨てられない。

探偵は妻の故郷で次の事実を知る。以前、隠れて会っている男は別の女と婚約中だった。ところがその婚約相手の女がエレベーター事故で死ぬ。その場に女と男は立ち会っていた。殺したのか、事故を助けなかったのか。今密会中の男と女は誰か付け回していると分かる。昔の事件を警察が調べているのか。恐れおののく。最後に探偵は富豪に妻は情事をしていると報告する。女は男と離れられない。しかし男は女から去っていく。

2025年7月6日日曜日

河野龍太郎『日本経済の死角』ちくま新書 2025

近年の日本経済はあまり好調とは言い難い。その原因は何か。本書によるとそれは実質賃金が上昇していないからだと言う。日本経済の生産性が1998年から2023年までに3割上がっている。それなのに実質賃金は横ばいのままである。つまり企業が内部留保を貯めこんで、労働者に回さない。それで賃金は上がらない。

これまではデフレで、賃金が上がらないのは正当化されていたが、企業は儲けているのに労働者に回さず、しかも近時はインフレになってきている。それで実質賃金は下がっている。日本全体が貧しくなっている。この主張が繰り返し語られ、日本経済が成長しなくなっている元凶と言っている。

2025年7月4日金曜日

山之内正『ネットオーディオのすすめ』講談社ブルーバックス 2024

著者はオーディオ評論家で、以前にもネットオーディオの入門書を書いているらしい。それは読んでおらず、本書が初めての本である。

書名はネットオーディオとあるが、むしろ最近の流行を反映してストリーム配信、定額音楽配信(よくsubscriptionの略だろうがサブスクなる言葉を見かけるが、この言葉を見ると、事前にまとまった金額を振り込むと雑誌や新聞が送られてくる制度を思い出す世代なので使いたくない。subscriptionとは事前に金を支払い、一定のサービスを受ける仕組みを指すのだろう)についての記述が主である。

書名のネットオーディオとは狭義のネットワークオーディオでなく、インターネットを利用したオーディオ全体を言っているようだ。狭義のネットワークオーディオとはNAS(音楽サーバー、外付けHDD)にCD等から音楽を放り込み(リッピング)、またはインターネットから音楽をダウンロードし、やはりNASに入れる。これをタブレット等にあるアプリで操作し、好きな音楽を選んで再生する。なりよりも簡単に音楽が聞け、ジュークボックスに例えた話があったがその通りである。後、PCオーディオなる言葉もあった。パソコンに入っている音楽を聞くのだが、そのままアンプにつないでも音が汚いので、DAC等を通してつなぎ、それからアンプで再生する。

随分昔から、先進国で音楽鑑賞の媒体としてCDがいまだに主流なのは、日本くらいだと言われていた。それでは外国では何が主流なのか。定額音楽配信らしい。そこでこの本では、今日本で聞ける「高音質」の定額音楽配信のうち、Amazon music unlimited、Apple music、Qobuzの説明が書いてある。世界的に定額音楽配信を流行させたのはSpotifyで、最初に簡単に触れているが低音質だとして一蹴である。それでこの三者の音楽配信を書いたのち、ROONについて、あと立体音楽(昔の4チャンネルもどき)や映像配信についても触れている。