2014年11月13日木曜日

喜びなき街 Die freudlose Gasse 1925

パプスト監督の1925年の映画、フィルムセンターの「フィルムアルヒーフ・オーストリアの無声映画コレクション」特集で初めて142分の長尺版を見ることができた。

 

第一次世界大戦後のウィーンの世相を背景にその中で生きようとする人々を描く。普通これはグレタ・ガルボの映画として知られている。以前みたこの半分程度の版ではこの映画のうちガルボの部分のみを取り出して編集したような感じに思える。またそもそも公開当時からあまりに社会を暗く描いており批判的ということで、大幅に検閲で削除され、縮尺版しか見られなかったようだ。フィルムセンターのパンフレットによれば資本主義を批判する材料としてソ連で削除部分が残されていて復元が可能になったとのこと。

 筋は三人の女性とその家族の様が描かれる。グレタ・ガルボの父親は退職して得た金を株につぎ込み一文無しになる。ガルボ自身も勤め先の上司から性的嫌がらせをされ辞めてしまう。収入の口を失ったので貸し間を始める。戦後ウィーンへやってきた赤十字のアメリカ青年がこの部屋を借りる。ガルボに好意を持ち住居手当の金を凡て渡す。これで一息つけると思ったら株の損失の借りを請求され右から左へ消えてしまう。やむを得ずクラブで職をみつけ働こうとするが中々慣れず逃げ出してしまう。

この映画は戦後のウィーンで金持ちや株の操作でぼろ儲けを企む成金などの享楽、退廃ぶりと、餓えに苦しみ肉を買うにも一晩中並ぶ必要があるような一般庶民の対比を軸として話は進む。

ガルボの幼い妹が米青年の部屋から缶詰を盗み出したと疑いをかけられ、それに怒った父親は青年に出ていくよう命じる。家賃収入もなくなったためガルボはクラブへ出ざるを得ない。
アスタ・ニールセン演じる娘、といってもこの映画のニールセンは老けてみえる。『奈落(深淵)』から15年程度たっており、実際にはもう30歳過ぎであったからやむを得ない。もっともこの映画が公開された当時は圧倒的に彼女が有名でスターであったはずである。
彼女の家も貧しく食い物を持たずに帰られない。肉を買えなかった彼女は帰宅をあきらめ恋人のところへ行く。ただこの恋人は不実でもう彼女に関心はないようだ。その後彼女は金持ちから好かれ何でも贅沢をできる身分になったにも関わらず、放心状態のように何事にも無関心になる。聞くと前に隣室であった殺人を目撃したからと言う。その犯人は彼女の以前の恋人だったと告白するので、彼は逮捕される。

この映画をガルボとニールセンの二人が主役と言っていいが、もう一人の家族も描かれる。若い彼女は結婚しており赤ん坊もいる。子供のため肉が必要な彼女は、強欲な肉屋に体を与え買ったこともあった。彼女はヘルタ・フォン・ヴァルターという女優が演じており、他の二人に比べ知名度は低いが、長尺版でそれなりの役を演じている。短縮版ではほとんど出てこないが。

話は次のように終結を迎える。
ニールセンは自家へ戻る。親は喜んでくれるが実は別れを告げるためであった。その後彼女は警察へ行く。実は元恋人の殺人目撃は嘘だったと言う。別の女といるのを見つけたので嫉妬で彼が出てから自分が絞め殺したのだと。
ガルボがクラブで働いていることをたまたま居合わせた米青年が見つけ驚き、なじる。自分が与えた家賃はどうしたと詰める。ふしだらな女と思ったからである。その時父親がやってきて借金の受取状を見て自分も今わかった、彼女が自分の借金を払ってくれたのだと説明する。これで青年も納得、喜んで家に帰ろうという。その時クラブの騒ぎに怒り狂った民衆たちが押し寄せ、クラブの客たちは逃げ出す。
赤ん坊に与えるものもなくなった若い母親は以前と同じように肉屋に掛け合い、肉を貰おうとする。しかし相手にされないので逆上して殺してしまう。屋根裏に逃げた若い夫婦は火を放ち心中しようとするが親の心を取り戻し赤ん坊だけは助ける。

 やはり以前の短縮版しか見ていない人はこの長尺版を改めて見るべきと思う。

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