2015年1月9日金曜日

わが半生 My early life 1930

チャーチルが56歳のとき著した若き日の自伝である。イギリス帝国主義の体現のような人物であったとわかる。


彼は貴族であり政治家であったランドルフ・チャーチルの長男としてブレナム宮殿に生まれた。ハロー校へ通う。自伝ではラテン語等の古典語や数学に対する嫌悪が書いてある。英語等を除けば全般的に成績が悪かったようだ。士官学校に行き軍人となる。

1874年という大英帝国の全盛期に生まれ、第一次世界大戦を経験した後に書かれたこの自伝で、かつての19世紀の戦争を懐かしがっている。ともかく若き日のチャーチルにとって戦争とは、まるでスポーツ選手が出たいオリンピックのようなものであった。戦争大好き人間であった。戦争は職業軍人の名誉ある戦い、騎士道華やかなりし頃の戦いと同様であった。それが第一次世界大戦では婦女子をも総動員した殺戮戦に堕してしまったことを憤慨している。

前期のように学校の成績は悪かったが文筆は冴えていた。多くの戦いで報道の特派員として報告を本国へ送り、それが彼の主な収入源となった。政治家になったのだから当然であるが、目立ちがりやであり自分の言動を正当化、美化する。これがジャーナリストとしての活動とあわせ、軍人として多くの上官に疎まれた。自伝を読んで理解できる。

戦争の体験談が多い。なかでもボーア戦争という世紀の変わり目に南アフリカで行われたイギリスとボーア人(当地へ入植したオランダ人等欧州人)との戦争で捕虜になり、そこからの脱出談は小説のようだ。
また白人やイギリスに対する絶対的な誇りをもっていた。インド人など有色人種への現代なら差別意識と呼ばれるものを当然視していた。

現在の我々はチャーチルがいかに偉大な20世紀の政治家であったかを知っている。好戦家であったが故にナチスドイツを倒せた。ただ彼の活動期にイギリスはかつての大英帝国から没落していった。時代の流れである。チャーチルほど大英帝国絶対主義に生きた男はなく、その彼がそのような時代を迎えねばならなかったのは皮肉と言えよう。
中村祐吉訳、中央公論社

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