2015年1月9日金曜日

田園交響楽 La Symphonie pastorale 1919

ジィドの有名な小説。盲目少女と牧師の物語。


村の牧師である語り手は孤児の盲目の少女を引き取る。言葉もろくに喋れない。この少女を自らの理想に沿って育てようとする。男が理想の少女を作り上げたいという願望を持つことは多いのか。文学でも光源氏の若紫を初めとして近代ならショーのピグマリオン以下いくらでもあるだろう。一から育て上げ、しかも盲目。これほど都合のいいことはない、と言って悪ければ理想的な状況であろう。知識欲があっても本を読ませないようにする牧師、自分の理想から離れてしまう危険があるから。この本は牧師の手記という体裁なので、凡て自分のやっていることを宗教的な観点から弁明しているが、読者は彼が偽善者にしか見えない。

美しく成長した娘に恋心を抱くようになる。実の子供は多く元々妻はいい顔をしていなかったのに加え娘に嫉妬する。息子のジャックも彼女に恋をするようになる。それを知った牧師はきれい事を言って離させる。少女自身も自分に献身してくれた牧師に感謝にとどまらず彼のみを愛していると告白する。

題名の田園交響楽は音楽会に連れていって聞かせた曲。その後あんなに見える世界は素晴らしいのか少女が尋ねる。目の見えない世界で想像した現実、それの比喩であり実際は異なることを知らされる。

少女の目は手術によって見えるようになる。現実が見えるようになったため悲劇となる。悲劇の原因は何か。妻の嫉妬を知ったこと、また真実自分が愛していたのは牧師でないとわかったこと、これが答えなのだが正直あまり納得できないだろう。そういうことを詮索する作品でないのだろうが。

映画ファンには戦前の若き日の原節子が演じた、山本薩夫監督の映画が懐かしい。自分が初めてみた戦前の原節子の作品であり、それも山本監督であって少し驚いたことを覚えている。
新庄嘉章訳、河出書房

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