2021年8月30日月曜日

私が生きる肌 Le piel que habito 2011

ペドロ・アルモドバル監督、西、120分。アントニオ・バンデラス主演。

バンデラスは医師である。皮膚の再生を学会では発表するが遺伝子操作で問題があると言われる。家では若い女を匿っている。年配の婦人が家政婦の役をしている。男がやって来る。婦人の息子であった。若い女が閉じ込められていると知ると、その部屋に行き襲う。その最中にバンデラスが帰って来て、男を射殺する。実はバンデラスも殺された男も婦人の息子で、父親違いであった。

時は遡りこれまでの事情が明かされる。バンデラスの妻は事故で大やけどを負った。バンデラスの手によって何とか生き延びた。しかし妻は自分の醜くなった顔を見て自殺する。バンデラスには娘がいた。知り合いの結婚式に行き、娘は服飾店の若い男と庭で抱き合う。娘は叫び、男は逃げる。娘は強姦のせいで精神がおかしくなり、最後は自殺する。バンデラスは娘の死に責任のある男を捕まえる。その男に性転換手術を施す。顔も変え、かつての妻の顔にする。その後自宅に軟禁する。

ここで映画の初めの時期に戻る。バンデラスの義理の弟は、性転換された男をかつてのバンデラスの妻と勘違いしたのである。バンデラスは性転換した男を妻と同じように可愛がりたかった。男は従順のように見えた。しかし新聞で行方不明になった、自分自身である男の写真を見た後、バンデラスを射殺する。その母親である老婦人も殺す。家を出て、元の自分の家、服飾店に行く。同僚と母親に会う。自分が息子だと名乗る。

映画でよく分からないのは、自分の娘が死んだ原因の男を、自分の妻の代わりにしようとするところである。自分の妻の面影から離れられない。自分の娘の死に責任ある男を懲らしめたい。これらは分かるのだが、なぜその男を妻にしたがるのか、理解できない。

0 件のコメント:

コメントを投稿