2025年4月30日水曜日

街のあかり Laitakaupungin valot 2006

アキ・カウリスマキ監督、芬蘭、78分。主人公の警備員に、若い女が近づいてくる。女をデートに誘う。女は実は警備員から宝石店その他の、鍵や暗証番号を盗み出すため、命令されていた。

盗難が発生し、警備員は逮捕される。女については何も言わない。服役する。警備員を慕っている売店の女は手紙を出したりするが、警備員は全く関心がない。出所してからレストランで皿洗いの仕事をする。その店にあの女がボスとやって来る。警備員も気づく。ボスは店にあの男は前科者だと言って首にさせる。後にボスや女が車に乗ろうとしていた時、刺そうとするが用心棒にやられてぼこぼこにされる。売店の女が助けに行く。ここでは死なないと警備員は呟く。

2025年4月28日月曜日

ひろしま 昭和28年

関川秀雄監督、日教組プロ、104分、白黒映画。広島への原爆投下を扱った映画。原作は新藤兼人監督の映画『原爆の子』と同じ本である。新藤作品がドラマになっているので、記録映画風に作られたのが本映画。

初めは映画製作当時の広島の学校から始まる。原爆症で入院している級友がいる。教師の岡田英次が原爆を経験した子は手を挙げてと生徒たちに言い、原爆症について話し合う。映画は原爆投下当時に戻る。原爆による被害状況が映し出される。直後の広島の惨状を映し出した映画は少ない。山田五十鈴演じる母親は子供たちを心配しながら死ぬ。月丘夢路演じる学校の教師は生徒たちと逃げるが川で倒れる。子供たちを捜す父親は原爆症にかかり寝込む。子供二人が以前のうちに戻って来たところを知り合いの婦人に連れられ、病院の父親に会いに行く。父親は死んでいた。それを見て妹は父親じゃないと叫び逃げ出す。兄は妹を捜すが見つからない。

戦後になる。戦災孤児たちが土産物を売っている。あの兄が成長して、子供たちにもっと売れる品物があると言って、島に連れていく。下を掘ると多くの白骨が出て来た。空襲の死者たちである。その頭蓋骨を売ろうしていたので、警察署で取り調べを受ける。岡田扮する先生が来る。岡田は元生徒にどうしたと聞く。もう工場はやめたと答える。なぜかというと工場が銃弾を作り出したからだと。また戦争が始まるのかと岡田に尋ねる。映画の最後は広島の平和公園の方へ、多数の人々が道一杯になって行くところを俯瞰撮影した映像である。

2025年4月27日日曜日

バービー Barbie 2023

グレタ・ガーウィグ監督、米、114分、マーゴット・ロビー主演。人形のバービーたちが住む国でバービーは身体の調子が悪くなり、原因を突き止めに、現実の世界へ恋人のケンと共に行く。

そこで自分のバービー人形を持っていた今は母親となっている女とその娘に会う。両者をバービーの国に連れてゆく。またケンは現実世界で男が権力を持っているので、バービーの国も男主導の国に変えようとする。この企みは成功しそうになる。バービーは他のバービーらと協力して、食い止める。その後、バービー人形の生みの親である老婦人の霊に頼み、自分も人形でなく、本物の人間になることを望み、叶える。

2025年4月26日土曜日

ラヴィ・ド・ボエーム La vie de boheme 1992

アキ・カウリスマキ監督、芬蘭、103分、白黒映画、仏語。プッチーニの歌劇で有名な『ラ・ボエーム』であるが、原作であるミュルジェールの作品を基にしており、歌劇とは筋にずれがある。

作家のマルセル、画家のロドルフォ、作曲家のショナールの出会いがある。アルバニア人であるロドルフォはミミと出会う。ロドルフォは肖像画を書いてほしい金持ちと会って、儲ける。出来た金でミミを食事に誘う。財布をすられ、警察に通報される。パスポートが切れており、アルバニアへの送還となる。数年後、フランスに友人らの助けで戻ってきたが、ミミには新しい恋人が出来ていた。ミミはロドルフォに会い、彼の元に戻ってくる。しかし金がない。生活できず別れざるを得ない。最後に再びロドルフォと会うが、病を得ていた。入院するが最後には死ぬ。死後、ロドルフォが病院を去っていく場面で、日本語による「雪の降る街を」が流れる。

2025年4月24日木曜日

ハムレット・ゴーズ・ビジネス Hamlet liikemaailmassa 1987

アキ・カウリスマキ監督、芬蘭、86分、白黒映画。シェイクスピアの『ハムレット』を基にして、現代の話にしている。自由にハムレットから取っており、『ハムレット』そのままの筋ではない。

社長が毒殺される。後を継いだ弟が今までの事業をやめて新規事業を起こそうとするが、死んだ社長の息子ハムレットは許さない。母親が叔父とぐるになっていると思い、父親殺害を思わせる劇を見せる。会社員の一人が戸棚に隠れていて銃で撃ち殺してしまう。その娘のオフィーリアはハムレットと相思の仲だったが、風呂で水死自殺をする。ハムレットを殺すつもりの毒薬を母親が誤って飲み、死ぬ。ハムレットは叔父を殺すが、自分も運転手が図った毒を飲んで死ぬ。運転手は恋人と一緒に逃げる。

2025年4月23日水曜日

クラース『なぜ悪人が上に立つのか』 Corruptible 2021

著者は米生まれ、英の大学で教鞭をとる政治学者。「絶対権力は絶対的に腐敗する」という命題は本当か。悪人が権力につきやすいのか。誰でも権力の座に座ると腐敗するのか。これらを数多くの事例でもって検討していく。

権力を持つと腐敗の方向に進むのは確かのようだ。どうやって良くない者を権力につかせないようにすべきか。清廉な人に権力を発揮してもらう。権力を持った者に対して監視を怠らないようにすべきである。普通は権力者が一般人を監視しているが、逆に権力者こそ監視の対象にすべきである。(柴田裕之訳、東洋経済新報社、2024)

2025年4月22日火曜日

白い花びら Juha 1999

カウリスマキ監督、芬蘭、78分、白黒映画、無声(会話の部分)、音楽などは発声。田舎に住むユハとマルヤの夫婦。

偶然やって来た男の車が故障し、修理のためユハの家に一晩泊まる。男はマルヤを口説く。一旦帰るがまた来る。再度マルヤに都会に行こうと説得する。マルヤは夫が寝ている隙に書置きを残し、男と去る。都会に着く。男はマルヤに男相手の商売をさせるつもりだった。驚くマルヤ、反抗し、男にぶたれる。マルヤは逃げ出す。駅で倒れる。妊娠していたのだ。ユハはマルヤがいなくなってから放心状態になる。最後にマルヤを捜しに行く。赤ん坊を抱いたマルヤを見つける。あの奪った男のところに行き、斧で襲い掛かる。男は銃を撃つ。それでも男を追い詰め倒す。ユハはマルヤと赤ん坊を列車に乗せる。一人立っているユハは銃の傷で倒れる。

2025年4月20日日曜日

ハンニバル・ライジング Hannibal rising 2007

ピーター・ウェーバー監督、米仏英、121分。『羊たちの沈黙』などで名高いレクター博士の生い立ちを描く。スター・ウォーズで言えば第1作、幽霊の脅威にあたる映画。

ハンニバル・レクターの幼少期、第二次世界大戦中で、独軍が襲ってくるので家族共々、別荘に逃げる。そこにやってきた軍隊同士の戦いで両親は死に、幼い妹とレクターは別荘に隠れて住む。独軍がやって来る。別荘は占領される。寒くなり食う物がない。軍人たちは兄妹に目をつけ、妹は軍人の餌食になる。後にソ連軍が来てレクターはソ連に連れていかれる。成長しソ連から逃げ出し、叔父がいるフランスに逃げる。城館に着くと既に叔父は死んでおり、その日本人の妻が世話をしてくれる。レクターは医学校に入る。自分の妹の復讐をしていく。

2025年4月19日土曜日

ラヴクラフト『ダンウィッチの怪』 The Dunwich horror 1929

マサチューセッツ州の田舎の村、ダンウィッチで起きた恐怖の物語。ある家で男の子が生まれる。成長が恐ろしく早い。身体も極めて大きくなる。父親と二人で家を閉じ、何やらやっているらしい。大学に行って古文書を見て研究してくる。

やがて村に悲劇の騒動が起きる。見えない怪物が家や人々を倒していく。大学から三人の博士が来た。その見えない怪物を粉をかけて可視化した。それを望遠鏡で見ていた村人は恐ろしさのあまり気絶せんばかりになる。怪物は博士らが倒した。一体、何であったか。この世に存在しない太古の怪物を件の家の親子が呼び出したのだと。(南條竹則訳、新潮文庫、令和元年)

2025年4月18日金曜日

猪口邦子『くにこism』西村書店 2007

国際政治学者で政治家でもある猪口邦子の自伝といってよい。まず国際政治学者になるまでの経緯がある。小学生の時、父親の赴任に伴いブラジルに行った。そこでアメリカン・スクールに通った。帰国後、桜陰学院に入り中学校の時、アメリカの高校に行った。帰国後、また学校に行かなければならなくなった。高校途中までで、受け入れてくれる上智大学外国語学部の独語科に入った。大学に入るまで外国で長く生活したわけである。

大学で国際政治を勉強しているうちに外国の大学院に留学の機会が訪れた。エール大学の大学院に行き、博士号を取得した。エール大学に行く前に夫となる猪口孝に会い、結婚した。戻ってから上智の教師になった。学者を続けているうちに、ジュネーブにある軍縮会議の日本政府全権大使になる話が持ち上がる。大使として活躍した。帰国後は内閣府の少子化・男女共同参画担当の大臣になる。ともかくこの本が出た時点まで著者は学者として、大使として、大臣として大活躍してきたわけである。これほどの活躍してきた女性は珍しかろう。

百田尚樹『至高の音楽』PHP新書 2016

小説家の百田尚樹が好んで聴いているクラシック音楽とその代表的な演奏を紹介した本。全部で25曲挙げている。更にその曲について著者が好んでいる、評価しているCDを数枚挙げている。取り上げられた曲は有名なものばかりである。

初心者を対象としているため、大部分が広い意味での管弦楽曲であるが、その他、ピアノ独奏が5曲、1曲挙げられている曲は、ヴァイオリン独奏、室内楽曲、歌曲、オペラである。好んで聴いている演奏で第一に挙げられているのは、実にスタンダードな、正直言って半世紀前、LPレコード時代からの定盤ばかりで驚く。もちろんその他数枚の名盤も書いてあるので、自分などは初めて知った演奏もある。確かにこれからクラシック音楽に親しもうとしている者には良い手引きになると思われる。

2025年4月17日木曜日

佐野洋子『100万回生きたねこ』講談社 1977

絵本である。生まれて初めて絵本を読んだ。大きい本で横書きである。見開きページの左側に文字、右側に絵が色付き(カラー)という作り。絵を描いているのも作者である。

書名のように百万回生きて、同じように百万回死んだという猫の話である。色んな人に飼われた。王様、船乗り、手品師、泥棒、お婆さん、女の子に飼われた。死ぬたびに飼い主は悲しんだ。猫は野良猫になった。猫のボスになった。白い雌猫を好きになった。一緒になり子供を沢山持った。雌猫は年を取り死んだ。猫は泣いた。後に猫も死んだ。二度と生き返らなかった。

2025年4月15日火曜日

トロイのヘレン Helen of Troy 1955

ロバート・ワイズ監督、米、118分、総天然色。ヘレン役はロッサナ・ポデスタ。ホメーロスの叙事詩に残されているトロイ戦争を、ギリシャ側でなくトロイ側から描く。主人公はヘレンの他、パリスである。

柔軟に脚色している。パリスの審判などなく、王子パリスはトロイからギリシャへ平和の使者として赴く。そこで美貌の王妃のヘレンが虐げられていると知り、ヘレンに同情を越して愛情を抱く。ヘレンもギリシャ側がパリスを亡き者にしようと企んでいるので、パリスを逃がす。相思の仲になっている二人は、ギリシャの兵士から逃げるため海に飛び込む。ヘレンは二人でどこかの島に逃げようと言うが、パリスはトロイの王子なので祖国に帰ると言い、ヘレンも従う。ヘレンはトロイで初めは歓迎されたが、ギリシャ軍がヘレンを奪い返しに襲ってきたので立場がなくなる。

戦闘が始まり難攻不落のトロイはなかなかおちない。アキレウスとヘクトルの闘いがある。トロイ側も多くの犠牲を出し、ヘレンは自分がギリシャに帰ると言い出す。しかしギリシャはヘレンを迎えてもトロイの財宝を奪うつもりだった。パリスはヘレンを奪い返し城に戻る。オデュッセウスの企みでトロイの木馬が作られ、これでトロイの城は陥落する。ヘレンは自害しパリスも後を追う。

モラレス『徳島の盆踊り』 1916

著者のモラレスはポルトガル人で1854年の生まれ、軍人としてアフリカ、マカオに赴任した。1898年に帰国命令が出た時、断って日本に赴いた。1929年に死ぬまで日本にいた。まず最初は神戸で、後徳島に移り住んだ。その徳島での随想が本書である。

まず日本の古典的随筆、枕草子だの、方丈記だの徒然草などを紹介し、日本人の物の見方、感じ方を説明する。続いて日本の生活の実際、これは現在の我々にとってももはや知らない事情なので興味深い。続いて死生観があり、当時の徳島で自分が住んで来た経験から様々な考察をする。書名となっている盆踊りは阿波踊りだろうが、これについてだけ詳しく話しているわけでない。あくまで一つの話題である。

近代初期の日本に住んだ西洋人としては小泉八雲が圧倒的に有名だが、このようなポルトガル人で日本を気に入り永住した者がいると今回初めて知った次第である。(講談社学術文庫、岡村多希子訳、1998年)

2025年4月14日月曜日

山田風太郎『甲賀忍法帖』 昭和33年

山田風太郎の忍法帖シリーズの第1巻である。甲賀、伊賀の忍者たちが死闘を尽くす。

徳川幕府三代目を竹千代にするか、国千代にするか徳川家康は迷う。休戦状態になっている甲賀、伊賀の忍者を戦わせる。二人の孫を夫々の忍者側に決めて、勝った方の忍者に決めてある孫を将軍にする。十人ずつ選び名を記す。忍者同士が闘い、相手を滅ぼし尽くした方の勝ちである。特に甲賀の頭領格の男と伊賀の主の孫娘は相思の仲で結婚する予定であった。それが甲賀伊賀の闘いが始まり敵味方になってしまった。

忍者たちは超人的な秘術を尽くし戦い合う。超能力とも言うべき非現実な能力、身体を持った忍者たちである。超能力の持ち主である忍者たちが次々と相手を倒していく。後の漫画その他の見本になった作品である。(角川文庫、平成22年)

2025年4月12日土曜日

ちくま日本文学全集『中野好夫集』筑摩書房 1993

英文学者、評論家の中野好(1903~1985)の文集。内容は以下の通り。

人間の死にかたより 「ガリヴァー」の作者の死 親鸞、その晩年と死/世界史の12の出来事より  血の決算報告書、狂信と殉教/ルネサンス人シェイクスピア/遺書について/川路聖謨/最後の沖縄県知事/蘆花徳冨健次郎 第3部より 謀叛論/悪人礼賛/私の信条/わたしの文章心得/歴史に学ぶ/現代の危機と終末観/マーク・トウェインの戦争批判/主人公のいない自伝 抄

硬派の評論集である。「人間の死に方」で取り上げているスウィフトにしても親鸞にしても歴史に名を遺す偉人である。しかしながらその晩年はかなり無残な生き方を余儀なくされた。現在までの医術の進歩や社会の改善によって今なら普通人でもまともな老年を送れるはずである。著者はいわゆる進歩派に近い文化人であるが、歴史や社会に対する議論については、やはり戦後それほど経っておらず、戦争や戦前の体験が身近な時代であったため、強い問題意識を持って進めている。現在のように終戦後80年も経ってしまうと他人事的な傍観者的な議論になるものになりやすい。本書はまだ戦後がそれほど昔のことでない時期の空気が読み取れる。

2025年4月5日土曜日

松岡圭祐『小説家になって億を稼ごう』新潮新書 2021

著者は小説家である。知らなかった。Amazonで調べたら自分の読む範囲とは全く異なる本を書く人だった。

書名は極めて刺激的である。これはもちろん売るためである。もし書名が「小説家になって稼ごう」だったら売れるにしてもそれほどでなかろう。実際「億を稼ごう」としたため、どれくらい多く売れたか想像もつかない。これは本というのは書名が極めて重要だと教えているのである。

もし自分の指導を受ければ必ず、オリンピックで金メダルを取れるようになります、とスポーツのトレーナーが言っても額面通りに受け取らないだろう。小説家の志望者はそう受け取るらしい。人気がある芸能人でも小説家でも、こうすれば必ずなれます、という秘訣は「原理的に存在しない」。なぜならそんな方法があれば、誰でも実行し他人と違わなくなるから。もう少し小説等の創作について言えば、モームが言っているように(『世界の十大小説』下、岩波文庫、1997、p.224あたり)、小説を書くには霊感と、組み立てる能力が必要である。うまく組み立てる、磨き上げ、読者を納得させ感動させる物語にする。これらは訓練や経験でものにできるかもしれない。当然だが、教えられることしか教えられないのである。霊感は教えられない。ここに書いてある「想造」といったように霊感を引き出す手助けくらいである。先ほどのスポーツのトレーナーに、全く運動神経の鈍い者が、自分が金メダル取れますか、と言ってくるとは思えない。小説家志望にはいるらしい。この本の中心は、作家と出版社から成る業界の実際が分かるという点だろう。

2025年4月4日金曜日

新井一樹『物語のつくり方』日本実業出版社 2023

題名のとおり物語の作り方を指南しようとする本である。著者はシナリオ・センターというところで講師をしている。それでこの本は講演をそのまま文字にしたような語りになっている。猫なで声の、ですます調で書いてある。正直なところ簡潔に書いてほしかった。どうしても、ですます体では冗長になる。講演ではそれが必要だろう。すぐ声は消えてしまうから冗長な説明の方がいい場合がある。それに対して文章で伝える場合は簡潔で明瞭であるべきである。

また本書には索引がない。こういった何かを説明する場合に索引は絶対必要である。物語を作る際には天地人を明らかにすべしとある。このうち地は舞台、人は人物とはすぐに連想できるが、天はこの本ではどう説明していたかを確かめようとしてもどこに書いてあるか、索引がないのですぐに見つけられない。桃太郎の話を例にとって説明を進めているのだが、桃太郎など面白くない。もっと洋の東西を問わず古典から素材をとった方がいいと思う。それにしてもこの本では有名な劇や小説などの例を例示していない。説明をしてこの作品ではこうやっていますなどとはない。なぜだろう。

更にストーリーでなく人物が重要であると強調している。これはストーリー主導と人物主導の二者択一を迫っているように見えるが、そういう話でなく、人間が描けていないと話が面白くないからである。人間を描いているのが近代小説の特徴である。シェイクスピアの悲劇も性格悲劇と言われるではないか。筋だけでは面白い話にならない。『オセロ』を歌劇化した『オテロ』を馬鹿みたいな話だと言った者がいた。確かに筋だけ聞けば、嘘による嫉妬で殺人を犯すなど馬鹿みたいである。しかしこれはオセロという人物の造形に重きがあるわけで、筋は二の次なのである。ストーリーはパターン化されているとある。装飾の部分が異なるだけで骨格は数種類あるだけである。実際の作成にあたっては起承転結で承の部分を圧倒的に長くすべきだとある。また書く順は転が初め、結が次、それから起承とすべきとある。

2025年4月2日水曜日

ダンウィッチの怪 The Dunwich horror

ダニエル・ホラー監督、米、90分。ラヴクラフトの原作を元に映画化。

大学教授のところへ稀覯書の閲覧を頼みに来た男がいる。教授は断る。もっともその男が知っている者の末裔と知り、食事を共にする。男は帰ろうとするがもう列車はない。秘書が車で送る。男の家に着くと、男は秘書を眠り薬で眠らせる。後に秘書の同僚が捜しに来るが、入ったや化物状の何かに襲われる。男は眠る秘書を横たえ、稀覯書のまじないで太古の霊を蘇らせようとしていた。それによる邪悪な霊は近隣の人々に被害を及ぼしていた。教授等が助けに来る。男は地獄に落ちる。秘書は助かった。

2025年4月1日火曜日

町山智浩『ブレの未来世紀』新潮文庫 平成29年

前著『〈映画の見方がわかる本〉ー2001年宇宙の旅から未知との遭遇まで』に続く、80年代の映画の見方を解説した本である。本書で取り上げられた映画は「ビデオドーム」「グレムリン」「ターミネーター」「未来世紀ブラジル」「プラトーン」「ブルーベルベット」「ロボコップ」「ブレードランナー」の諸作である。

いずれも以前より親しんできた映画であり、2回以上見ている作品が多い。これらが優れている映画、見るに値する映画とは思っていたが、本書でその意図するところを深く理解することができた。映画について書いてある本の中には著者は分かっているつもりでも、あるいは読者を煙に巻こうとしているのか、よく分からない本がある。本書はそれらと違って、いかにもよく分かったと思わせる本である。