2014年9月18日木曜日

淪落の女の日記

『パンドラの箱』に続くルイーズ・ブルックス、パプスト監督の作品であり、結局この2作がブルックス出演のドイツ映画すべてになってしまった。発表は『パンドラの箱』と同じ1929年、同様に無声映画である。


 この題名から連想される話の展開は、主人公が堕ちていき惨め不幸のどん底に突き落とされるようなイメージではなかろうか。前作『パンドラの箱』はそうであった。しかし本作はむしろ社会派映画というか不幸な女を生み出す社会を糾弾する体裁をとっている。

 全体の筋は次のようである。
ブルックス演じる薬局の娘が主人公。父親の薬剤師が手をつけた家政婦を家から追い出す場面から始まる。その女は自殺する。父親は後から雇い入れた家政婦とすぐに懇ろになる。ここで働く助手もとんでもない男で主人公を「淪落」させてしまう。そのせいで娘が妊娠すると親族会議を開かれる。助手と結婚しろと迫るが断わられる。勝手な父親は赤ん坊を産婆にやり娘を感化院に入れてしまう。この感化院は絵にかいたような「矯正」施設で少女たちをいじめている。友達とそこを脱出した主人公は赤ん坊が預けてある産婆へ赴く。死亡したと知らされ愕然となる。友人のつてで男を「接待する」クラブで働くようになる。そのクラブへ父親がやってきて驚愕する。父娘は話し合いもできず別れる。3年後父が死んで遺産が入り裕福になった主人公はかねてから好きだった貴族の若者と結婚しようとする。この若者は無気力で文無しであった。薬局へ戻ると父が再婚した家政婦は二人の幼い子供とそこから追い出されようとしていた。義弟妹に同情した主人公は手にした金をやってしまう。カネがなくなったとわかった無気力青年は衝動的に自殺してしまう。青年の叔父は裕福な貴族でこれまでダメな甥を見放していたが心を入れ替え主人公の世話をするようになる。上流階級の仲間入りした主人公はかつて収容されていた感化院へ他の婦人たちと訪れる。以前の仲間と会い、感化院でやっていることの偽善を非難する。

 『悲しみは女だけに』という日本映画があった。男女間の問題が起こると女が不利になる、今でもそう言われているが昔はもっとひどかったのだろう。日本だけでなく、西洋でも同様であったことには変わりない。


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