2017年11月18日土曜日

高井としを『わたしの「女工哀史」』岩波文庫 2015

商品の詳細

「女工哀史」の著者、細井和喜蔵の妻、高井としをの自伝。
高井は明治35年、岐阜県の山村で生まれた。幼い頃、父の炭焼きの出稼ぎで静岡県に行った。当時ではよくあった、幼い兄弟が相次いで亡くなる。当地の学校へ行き成績は良かったし、代表して読んだ作文では将来、お金をたくさん儲けたいなどと書く。しかし山の子ということで周りからいじめられ、学校が嫌になる。
岐阜へ帰ってから家の貧しさを援助するため、働きに行きたいと思い繊維工場で働く。これまた当時では珍しくなかったであろう「搾取」される。吉野作造の論文を読み、おおいに啓発される。その後名古屋の工場を経、大志を抱いて上京する。18歳(数え)の時である。深川の紡績工場で働く。

細井和喜蔵に会う。同棲を始める。関東大震災で関西へ行く。女給で生活を支えるが、細井は「女工哀史」出版後まもなく病死してしまう。
「女工哀史」は非常に売れたものの、内縁の妻ということで高井にはカネが入ってこなくなった。その後高井信太郎という労働運動家と再婚する。
戦争後、高井も火傷が元で死ぬ。多くの幼い子供を抱え、闇屋で稼ぐ。戦後はニコヨンの仕事に長年従事する。戦後の一人の女性の生き方の記録として貴重。

ともかく逆境にめげず、逞しく生きる姿には感心させられる。また反権力、平和主義など以前の日本で多く見られた論調が懐かしい。これらが現実感をもっていた時代なのである。
本書の原書は昭和55年に出され、著者はその3年後に死んでいる。「女工哀史」の共著者として再評価がされるようになっている。

ところで解説で斎藤美奈子が、藤森成吉という「女工哀史」の出版に関わった者を手厳しく批判している。藤森は細井の死後、高井に印税を渡さなかっただけでなく、協力者としての高井を全く抹殺していると言う。藤森はもう死んでいるのだろうが、彼の意見を聞きたいところである。

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