2019年12月8日日曜日

1912年第5回オリンピックストックホルム大会 The Games of the V Olympiad Stockholm, 1912 1912

ジークムント・ポパート製作、スヴェンスク=アメリカンスカ・フィルムコンパニエント・ストックホルム、無声映画、170分。
松浪 稔(スポーツ史、スポーツ人類学、スポーツ文化論)東海大学教授による解説が上映と同時に行なわれ、競技や当時の事情が説明された。

映像記録を正式に残した初めてのオリンピック映画。映画は残っていた映像を編集、つなぎ合わせて作成、時間の前後など以前は混乱していた模様。
本番の開会式の前の予行練習なども残っている。日本も初参加の大会で二人の役員、二人の選手が入場行進する様が少し映る。五輪旗も聖火はまだ制定されていない。

当時の競技は今と異なっている。例えば綱引きがあって、主要な競技の一つだったと解説された。また女子の参加は制限されていた。参加女子の多くは体操競技、といっても今日のそれでない。集団体操というかマス・ゲームのような、踊りのようなものである。注目すべきは競泳と飛び込みである。女子の飛び込みは尺をとって撮影されていた。女子の水着姿を映している。現在ではなんでもない恰好だが、当時は興味の対象であったであろうと。今日のような女の水着姿はあまり一般的でなかった。19世紀までの西洋の女の水着は服に近く、肌で露出しているのは前腕とすねだけである。だから今でいう普通の水着姿も関心が高くそれで映しているのだろうと。

高飛びは走りにしも棒にしても、着地が砂場である。だから降り方にも気をつけて飛ばなければならない。頭から落ちたら死んでしまうかもしれない。
鞍馬は乗馬から来た競技であり、この当時は一方が馬の頭の形をしている。
マラソンは今の様に42.195kmとはっきり決まっていたわけでなく、約42kmを走る。日本の金栗選手も参加したが途中で棄権したそうだ。

ともかく日本式に言えば明治が大正に変わった年という昔のオリンピックであり、いろんな点で興味深い。

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