2023年10月10日火曜日

『アイリッシュ短篇集1』創元推理文庫 宇野利泰訳 1972年

サスペンス作家ウィリアム・アイリッシュ(本名コーネル・ウールリッチ、1903-1968)による短篇集。以下の8篇を含む。個々の作品の発表年は書いていないが、1940年代から50年代初めにかけての発表だろう。

「晩餐後の物語」/「遺贈」/「階下で待ってて」/「金髪ごろし」/「射的の名手」/「三文作家」/「盛装した死体」/「ヨシワラ殺人事件」

まず最初の「晩餐後の物語」を途中まで読むと多くの読者はこれからどうなるか分かる。以前どこかで読んだか映画等で見たのか。これが原典かもしれない。「遺贈」はいい贈り物をしてもらったと喜んでいる悪党が別の贈り物も受けていたという話。「階下で待ってて」はアパートに物を届けた恋人を下の入口で待っているが、ちっとも戻ってこない。しびれを切らし中に入り上がってみると恋人は失踪していた。「金髪ごろし」は街の新聞売り台で売ってる、金髪美人殺しが載っている新聞を買う人々のその後の話、人生模様を描いているだけでない。「射的の名手」は徴兵拒否のため、ある事故(事件)を作り出そうと企む。この後半もdeja-vu感がある。映画でおなじみのような。「三文作家」は爆笑物。最後の落ちは一度読んだら忘れられない。実際にこれは大昔、十代の時に読んで今でも覚えていた。この短編集は初めてかと思ったが、この作品で昔読んだと思い出した。「盛装した死体」は犯罪を隠そうと凝りすぎてばれるという話。

「ヨシワラ殺人事件」は原題をThe Huntedといい、この本の中では日米相互理解史の上からいっても貴重な作品である。戦後まもないアメリカ人の日本人観の例が書いてある。明治開化の頃の話でない。朝鮮戦争時だから1950年代の初めである。主人公の米海軍水兵は休暇で横浜に上陸し東京に遊ぶ。気持ち悪い芸者に辟易し、追い払う。その時偶然にも(偶然すぎる)、若い米人の女に助けを求められる。婚約者を殺害した罪を着せられていると言う。この女の救助譚なのだが筋はどうでもいい。

主人公の水兵の意見。「けんかがはじまったようすである。ニホン人というのは、すぐ見さかいがなくなる人種のようだ。けんかでもすれば、退屈がまぎれるとでも思っているのだろうか。きっと、そうなんだろう・・・」廃墟の銀座を通りすぎる時、「木の燃えるにおいに、乾し魚のにおいがまざりあったこの国独特の臭気が、車の窓から流れこんできた。」白い旗がドアの把手に結びつけてあったと聞き「白の色は、この国では凶事を示すものです。」そうなの?昔の喪服は白だったし、今でも死装束は白だが。コオロギの鳴き声を聞いて「どこか頭の上の方で、籠に入れたこおろぎが、リズミカルに鳴いているのを聞いた。この国では、こおろぎを番犬がわりにつかっているのを、彼は以前から知っていた。怪しい者が屋内に侵入すると、それがぴたりと鳴きやむからである。」虫の鳴き声を鑑賞するのは日本人くらいだとどこかで聞いたが、番犬代わりとは「日本をよく知っている」アメリカ人に教えてもらった。警察が犯人を逮捕する様子。「ふたりの巡査が、警棒で男をたたきはじめた。その男をあおむけにして、手をうしろで縛り、足をもって、ひきずっていった。これが捕縛の東洋風スタイルである。」再度言うが、これは戦後まもない時期が舞台である。いや日本人として知らない事が多いようだ。実は殺された婚約者には日本人の妻がおり、その妻は小説の最後で自殺する。全く蝶々夫人の換骨奪胎である。しかもその死に方は切腹なのである。日本人妻の死に様。「その女は、(米人女の婚約者、日本人妻の夫)の写真を前に、繻子の祈祷枕の上にひざまずいて、死んでいた。ひとつかみの香から、糸のような煙が、渦巻きながら舞いのぼっていた。彼女の神。(改行)彼女は、作法の命ずるとおり、死を怖れぬことを示すために、前かがみになって死んでいた。からだの下に押しこまれた手が、みごとにその腹部を切り裂いたハラキリ刀を、しっかりとにぎりしめているのだった。」女なら小刀で喉を突くのではないのか。そういえばフジヤマ、ゲイシャと並んで、ハラキリ、ヨシワラは外人に良く知られた日本のキーワードだった。

この短編集の作品は今となっては古典的にさえ見えるが面白い。ただ最後の「ヨシワラ殺人事件」は米の読者にはエキゾチックで売っているのだろう。日本人からすると、アメリカ人がどう日本を理解していたかの方が関心がある。


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