2021年10月3日日曜日

黒澤明『蝦蟇の油』 1984

映画監督黒澤明の自叙伝である。明治43年に生まれた黒澤明が、『羅生門』でヴェネツィア映画祭の賞を取るまでの記録である。

明治の人間らしくきょうだいが多い(今と比べて)。これまた昔らしく、きょうだいで10代で病死する者がいた。また黒澤に大きな影響を与えた兄は20歳代で自死している。他にも成人後亡くなった兄がいる。身内が若い時に亡くなる経験を読むと身につまされる。黒澤は画家志望だったようだが、東宝の前身PCLに入社し、山本嘉次郎に仕える。監督後の活躍は誰でも知っている。

13歳の時経験した関東大震災で兄に連れられ、死体の山を見に行ったとある。兄は教育のつもりで見せようとした。酸鼻究める描写がある。自分の恩師、学校の教師や山本監督など世話になった人達への感謝の言葉がある。その一方で傲慢で不快な教師、軍事教官、映画検閲官などに呪詛を吐いている。

記述が『羅生門』で終わっているのは、自伝を書いてきて、これも『羅生門』のように色んな見方がある、人生の一つの面しか(自分の見方しか)書いていないのではないかと思ったからだと言う。誠実そうな感じを与えるが、人生の記述に「客観的」な書き方などありはしない。夫々の者の解釈しかない。人は自分をこういう人間だと認識している。しかし親友に自分をどういう人間かと叙述させればかなり違った人間像になる。どちらかが正しい、客観的だとの話ではない。『羅生門』を撮影した際、助監督が映画の意味が分からなくて、黒澤は説明したそうである。それでも分からないような者がいたと言う。まさに単細胞と言うべきで、正しいか間違っているかの二つの選択しかないと思っている者なのだろう。これまで永田雅一社長の石頭しか紹介されてきてないが、こういうところを読むと当時の理解の程度が分かる。

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