2021年10月25日月曜日

『ソーニャ・コヴァレフスカヤ』(自伝と回想)岩波文庫、1933、1978(改版)

19世紀のロシヤの女流数学者ソーニャ(ソフィヤ)・コヴァレフスカヤ(1850~1891)の自伝である若い日の回想と、その後の人生について友人であったアン・シャロト・レフラーによる伝記が収められている。

ソーニャは貴族の家に生まれ姉アンナがいた。姉に憧れる。弟がいて三人の真ん中のソーニャはあまり目立たない子だった。自伝は専ら、ロシヤにいた若い時代が対象である。その中でドストエフスキーとの家全体の交際は目に付く出来事である。作家志望だった姉がドストエフスキーの雑誌に投稿し、掲載された。それでドストエフスキーが姉を訪ねてきた。自分より30歳近く年上の作家にソーニャは憧れを抱いた。もっともドストエフスキーは姉アンナにしか関心がなかったようで、後に速記者だったアンナ・グリゴーエヴナと再婚する。数学史に残る女流数学者となる娘とドストエフスキーの邂逅は興味深い。

後半はソーニャの友人だったアン・シャーロット・レフラーによる、学者としてのソーニャの伝記である。学問に関心が強かったソーニャは勉強のため欧州行きを志すが、当時は女が一人で外国に行けなかった。それで18歳の時、学者のコヴァレフスキーと偽装結婚してドイツ、ハイデルベルクに赴く。外国へ行くための偽造結婚は当時のロシヤの新しい女たちの間でそれなりにあったようだ。後にベルリンに行き数学者ヴァイアーシュトラウスの下で研究に励む。いくらソーニャが業績を上げようが、ロシヤでは女の数学者の職はない。スウェーデンの学者レフラーの招きでストックホルムに行く。このレフラーの妹が伝記の著者である。ストックホルム大学の講師となる。後、教授になる。

数学史に名を残すが、一生は楽ではなかった。様々な苦労をし、41歳、ストックホルムで病死する。

この訳書は元々、作家の野上弥生子が英訳から大正時代末期に出された。英訳本の書名はSisters of Raefkijと筑摩の世界ノンフィクション全集第8巻にある。自伝は『ラエフスキ家の姉妹』となっている。この本では人名を変えてある。本人ソーニャはターニャとなっている。ソーニャの父親はイヴァン・セルゲーヴィチ・ラエフスキ(ー)とある。実際の父の名はヴァシーリイ・ヴァシーリエヴィチ・コルヴィン=クルコーフスキーである。このように実際の人名と異なる名を用いる例は現代でもしばしばある。

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