2021年6月7日月曜日

或る殺人 Anatomy of murder 1959

オットー・プレミンジャー監督、米、160分、白黒映画。

ジェイムズ・スチュアートが主演の裁判物。軍人が酒場で男を射殺した。妻が暴行されたと信じていたためである。弁護士をしているスチュアートに弁護の依頼が来る。スチュアートは被告、その妻、酒場の関係者などから話を聞き、何とか無罪を勝ち取ろうとする。裁判が始まる。どう見ても被告に不利な状況になってくる。裁判終結間際になって新しい証人が呼ばれる。

王道の裁判劇と言えるかもしれない。もちろん実際の裁判がどうであるか、映画制作当時はどうであったか知らない。ただ裁判に対して持っている印象そのもののように思えた。アメリカ人らしくjokeで相手に報いる場面が多く出てくる。実際にこんなにいうか知らない。ただアメリカ人的だと感じた次第。

2021年6月6日日曜日

稲垣栄洋『敗者の生命史38億年』PHP 2019

表題の敗者とは強い生物らが栄えている時には、陰に潜んで隠れるようにしていた生きものたちである。環境の変化によって強者が滅ぶと今度は地球上にはびこるようになる。ただ本書の意図は、これまで地球に生命が誕生して以来、38億年に渡る生物の進化の、分かりやすい例による説明であろう。具体的な例を多く挙げているところが本書の一番の読みどころである。

一見、退歩のように見えても、あるいは常識と異なっているように見えてもそれは意味がある。例えば草の方が木より後から進化したと例などである。古い生物の仕組みが今でも残っているのは意味がある。それで生きやすい環境があるからである。一見不思議に見えるような生命の現象をそうあらしめている理由を探っていく。本書後半でニッチという言葉が出てくる。経営戦略でいう隙間市場を思い出すかもしれない。生態系では隙間と限らず、当該生命が生存しうる場所、環境を指す。例えば鳥は空をニッチとしている。夫々の生物がいわば棲み分けの形でニッチを持っている。一つのニッチを巡っては競争、闘争が起こり、敗れた生物は滅んでいく。生命38億年の歴史で地上を支配していた生物はこれまで滅んできた。こう考えると人間の滅ぶ時はいつになるだろうと思ってしまう。

2021年6月5日土曜日

裸足のイサドラ Isadora, the Loves of Isadora 1968

カレル・ライス監督、英、133分。

モダンダンスの創始者、イサドラ・ダンカンを描いた映画。20世紀初頭のヨーロッパを舞台にイサドラの自由な生き様を映画にしている。女の気まぐれ、芸術家ならではの自由奔放、恋になど自分の欲望にあくまで忠実といった生活で、正直なところあまりに「型にはまりすぎる」とさえ感じた。こういう生き方をみて憧れる人がいるだろうが、そんなにいいものだろうかと思ってしまう。

イサドラを演じたのは通好みの女優ヴァネッサ・レッドグレイヴである。通好みの女優は、キャサリン・ヘプバーンにしろこのレッドグレイヴにしろ中性的である。男っぽいとも言える。媚びているような気配が微塵もなく、性別に関係なく俳優性そのものを評価しているというなら、それもそんなにいいのかとこれまた思った。

2021年6月4日金曜日

アンナ・カレニナ(英の映画) Anna Karenina 1948

デュヴィヴィエ監督、英、118分、白黒映画。ヴィヴィアン・リー主演。

何度も映画化されているトルストイの原作をヴィヴィアン・リーが主人公を演じ、デュヴィヴィエが監督を務めた作。非常に長大な原作を映画化するにあたって、かなりの刈り込みが必要となる。本映画ではリョーヴィンとキティの話は例によってほとんど省略である。原作はアンナとヴロンスキーの破滅過程とキティ、リョーヴィンの幸福実現過程が並行して描かれ、アンナが自滅するしかない心の様がトルストイの微に入り細を穿つ筆致によって説得的に綴られる。人妻が不倫によって破滅するという通俗この上ない話を、小説の凡てが詰まっていると言われるほどの世界文学の傑作にした。

文学を映画化する場合、上に述べたように省略や脚色があるのが普通である。だから原作のここがないから良くないなどは、ないものねだりで、あくまで映画の出来を評価すべきである。ところで本映画はどう評価すべきか。観て原作の雰囲気が比較的感じられると思った。映画としての出来を論じるべきといったすぐ後で原作云々はおかしいと言われそうである。ただ原作を何度も読み返し、他の映画化作品も観ているとどうしても原作を思い出してしまうのである。

2021年6月3日木曜日

稲垣栄洋『生き物の死にざま』草思社 2019

昆虫や魚など海洋生物、更には哺乳類に至るまで個々の生物がどのようにして死を迎えるかを綴った読み物。

空が見えない最期―セミ/子に身を捧ぐ生涯―ハサミムシ/母なる川で循環していく命―サケ/子を想い命がけの侵入と脱出―アカイエカ/三億年命をつないできたつわもの―カゲロウ/メスに食われながらも交尾をやめないオス―カマキリ/交尾に明け暮れ、死す―アンテキヌス、等々。

一般的に言って、人間以外の生物、特に下等視される生物は子孫を作るためだけに生まれ、その使命を果たしたら生を終えるという理解はあった。それを具体的な生物に即して、夫々の死に様を追っている読み物である。極めて興味深く読める。人生ははかないとは昔からよく言われる。しかしここで記述された生物に比べ、人間はなんと長生きできるのだろうかと思ってしまう。自らの人生を再考させてくれる。

アデュー・フィリピーヌ Adieu Philippine 1962

ジャック・ロジェ監督、仏伊、106分、白黒映画。

若い娘二人とテレビ局で働く男との青春映画。いわゆる新しい波の映画である。テレビ局に見学に来た仲良しの二人の娘は、そこで働く若い男と知り合いになる。男は徴兵に取られる期日が迫っている。残り少ない日々を楽しもうと女たちと付き合い、またコルシカ島に行く。そこでまた出会った同じ二人娘と付き合い、最後は船に乗って徴兵に赴く。

あまり筋らしい筋はない。当時のフランスの青春の一つの例が見られる。かつて日本はフランスに対して非常に強い憧れを抱いていた。ところが当時は日本で封切にならず70年代以降になって上映されるようになったとか。何しろヨーロッパの各国、当然フランスにも日本の配給会社が支店を置いて輸入する映画を選別していた時代である。それなのに輸入されず、当時の日本では見られなかった。思うに筋らしい筋がなく、面白い映画と配給会社は思わなかったためか。確かに「歴史的」意義を知らず単純に観ているだけでは、大して面白くないと思って不思議でない。

2021年6月2日水曜日

ニューバーン『犯罪学』 Criminology: A very short introduction 2018

著者はイギリスの大学教授、犯罪学と社会政策を担当。次の様な内容である。犯罪とは何かを考える。誰が犯罪を行なうか、時系列でみて犯罪はどう変化しているのか。犯罪を測るには犯罪統計がある。当局側の統計と被害者調査を述べる。近年、欧米では数十年単位で見ていくと、90年代がピークでその後減少している。ずっと増加してきた犯罪件数は90年代を境に減少傾向に転じている。米でも英でも同様である。これはなぜか。極めて興味深い現象であるにもかかわらず、決め手となる証拠が見つからない。ニューヨークでは警官の数を大幅に増やした事実が影響していそうである。

他にも犯罪の制御や予防いついて論じる。本書は思弁的哲学的に犯罪を論じた書ではない。実証的に数字を挙げて論を進めていく。それは考察の対象である欧米諸国の数字であり、日本のそれでない。日本について同様の考察を進めていくとどうなるか。それは日本の問題であり、方法論的に参考になるが、日本の犯罪そのものは日本人の課題である。