2017年3月16日木曜日

今野浩『スプートニクの落とし子たち』毎日新聞社 2010



 商品の詳細
数理計画法、金融工学で有名な今野教授による、仲間だった秀才たち、特にその一人に焦点をあてた伝記的な読み物である。
題名のスプートニクショックとは1957年(昭和32年)のソ連の人工衛星によって西側諸国にもたらされた衝撃を言う。世界初の人工衛星をソ連に出し抜かれたアメリカは宇宙開発に威信をかけ1960年代終わりまで人を月に送る計画をたてた。

日本では理工系の重要視が顕著になり、筆者が学んだ東大理系の定員が大幅に拡大された。筆者によれば当時の秀才は理工系学部へ進学を強要されるような雰囲気であり、この時代でなければ理系に進まなかった者も多くその道を選んだ。

この本は工学部に進んだため「不遇」の人生を送った友人の一人の伝記となっている。
もっと出世して輝かしい人物になれたのに、時代のせいで工学部に行ったため、社会に出てから十分な能力を発揮できず、意に満たない人生を余儀なくされた、が言いたいことであろう。

ただ常識的にもわかるが名門高校、トップの大学、大学院でいかに優秀であろうと、社会に出てから頂点を究めることができるかどうかは別である。大学の先生だからしょうがないかもしれないが、大学での評価を過大視している。

こういう人はいくらでもいる。東大を出て就職の後、欧米有名大学に行って優秀な成績を上げても、組織人としては全く出世できなかった、自分でも知っているし、どこにでもいるだろう。
筆者は当該人物が法学部等文系出身なら、トップ企業の社長にでもなれたろうと言っているが、こんな協調性のない人が組織人として大成するはずもない。能天気すぎる。

理系が組織の出世という点で不利な扱いを受けているのはその通りである。著者は二流官僚、三流政治家とかルサンチマンを述べるだけでなく、もう少し建設的な改善の方向などを書けなかったのか。
 
この本で興味深かったのは、工学部に優秀な人材が多く進んだため、日本の製造業は世界に冠たる優秀な成果を上げた、という記述である。もっともらしく聞こえる。データできちんとした分析ができれば面白いと思われる。

0 件のコメント:

コメントを投稿