2025年8月19日火曜日

大アマゾンの半魚人 Creature from the black lagoon 1954

ジャック・アーノルド監督、米、79分、白黒映画。アマゾンの奥地で化石の手を見つける。水かきがついている。帰国して報告し、より詳しく調べるために調査団を派遣する。留守を守っていた現地人は殺されていた。半魚人のせいである。

川を進む船、泳ぐため同行している若い女が水に入る。その女の泳ぐ下を、半魚人が並行して水中を泳いでいる。半魚人を見つけた一行は捕まえるべく、痺れ薬を流す。半魚人は一旦捕まったが、逃げその際に博士を襲った。半魚人のせいで調査団は何人もの犠牲を出していた。この半魚人は女に興味があり、女を襲って奪っていく。棲み処に連れていく。後から調査団の者たちがやって来て女を奪い返し、半魚人に発砲する。半魚人は水の底深くに逃げていく。

2025年8月18日月曜日

美しき生首の禍 The brain that wouldn’t die 1962

ジョゼフ・グリーン監督、米、92分、白黒映画。若き医者は野心家で人造の身体を作ることに情熱を燃やしている。電話があり、医者の実験室のある城館に恋人と一緒に行く。

途中で事故を起こす。医者はなんともなかったが、恋人は燃え盛る車の中で瀕死となり、医者は背広でその身体の一部(頭部)のみ持って城館に着く。そこで恋人の首は実験室の、浅い容器の液に入れられ頭を線で繋ぎ、生きている状態になる。恋人は目が覚めて変わり果てた自らの姿を見て、死なせてくれと懇願する。

医者は恋人の胴体を物色に行く。つまり適当な身体を持った若い女を捜して、恋人の胴体にしようと計画する。実験室の扉の向こうからドンドンたたく音が聞こえる。医者がかつて行なった人造人間の出来損ないがいるのである。また医者に協力する男も手を実験にされ、不自由な身体である。医者は車で街の通りを走らせながら、道行く若い女の身体をなめまわしている。会った知り合いにファッションショーに行くよう勧められる。ファッションショーで出てくる女よりも身体がいいのは、医者の知っているモデルをしている女だと言われる。モデルとして写真撮影がされているスタジオに行く。医者は眠り薬で女を眠らせ自分の家に運ぶ。

実験室では医者に恨みがある扉の向こうの怪物を、首だけ女がけしかけ、医者の仲間の男を殺す。医者はモデルの女を連れて実験室にやってくるが、怪物にやはり殺される。火事が起こる。怪物は気を失っているモデルを担ぎ上げ逃げていく。火事の中、首だけ女は周りを見ている。

宇宙戦争 The war of the worlds 1953

バイロン・ハスキン監督、米、85分。火星の生物は住めなくなった故郷の星を離れて、移住先を捜している。地球は最適だった。その火星人の宇宙船が田舎に着陸する。

見に行った三人の男は光線砲で蒸発した。軍隊等が出動してくる。火星人と和睦に出かけた牧師も光線砲でやられる。軍隊がありったけ動員されるが、火星人には歯が立たない。最後の手段として核兵器を使った。それでも火星人の宇宙船には効かない。宇宙船は世界各国にやってきて破壊を尽くす。しかしなぜか急に宇宙船が落下、墜落した。中から現れた火星人も倒れる。音声の解説が入る。地球上の細菌によって火星人は倒れたのだと。

2025年8月17日日曜日

ゴア・ゴア・ガールズ The gore gore girls 1972

ハーシェル・ゴードン・ルイス監督、米、85分。ストリッパーばかり狙う連続殺人が起こる。私立探偵は若い女の記者と共に犯人を捜そうとする。

それでも新たに別のストリッパーたちが殺されていく。殺しの場面はゴードン・ルイスばりの血を沢山使う残酷描写になっている。最後に犯人を突き止める。ストリップ・バーの女給で、主人の気が他の女に移ったので、それを根に持ち女を次々と殺していったのだった。

2025年8月15日金曜日

去年マリエンバートで L'Année dernière à Marienbad 1961

アラン・レネ監督、仏、94分、白黒映画。宮殿のようなホテルに多くの男女が集まっている。その中の一人の男がある女に向かい、去年会った。どこかは覚えていない。それに対し、女は知らないという。男は去年の女との邂逅を語ってみせる。他に女には夫がいる。全編、幻想のような雰囲気の映画である。

丸谷才一『文学のレッスン』新潮選書 2017

丸谷が2008年から明くる年にかけてインタビューを受け、それが本の大半を占めている。聞き手は編集者を経て、大学教授になった者。ジャンル別に論じている。短編小説、長編小説、伝記、批評、歴史、エッセイ、戯曲、詩、である。

短編はなぜアメリカで発達したのか、雑誌が多かったせいらしい。ポーなども雑誌の編集者だった。イギリスでなぜ長編小説が発達したのか。これは18世紀からで、19世紀の小説は有名なものが多いが、18世紀でも『パミラ』とか『クラリッサ』とか『トリストラム・シャンディ』がある。この理由については「識字率の高い中流階級が長編小説を買う余裕があり、また読むのが好きだったということでしょう。」(p.43)とあって、あまり大したことを言っていない。丸谷の言では『アンナ・カレーニナ』を高く買っていない、という意見が目についた。それは登場人物が魅力的でないからという。これは賛成するかどうかは別にして、考えさせられた。『戦争と平和』も丸谷はナポレオンは魅力的だが、それ以外は登場人物を魅力的だと思っていないらしい。ドストエフスキーは登場人物が魅力的でそこがいいらしい。

伝記のところでは例として文学者の伝記をよく挙げている。伝記は社会に名を成した者が対象になるので、政治家や軍人、あるいは実用的な貢献をした学者、下っては実業家の伝記が多く書かれていると思ったが、自分が文学者なので文学者の伝記が気になるのか。次に歴史だが、一般人は歴史を読むとき、物語を読むように読んでいるのではないかと話は始まる。これを読んでまず思うのは、西洋語、例えばフランス語やドイツ語は歴史と物語が同じ言葉である。英語にしたってhistoryとstoryで似ている。歴史を物語のように読むなどという言い方、その発想自体が仏語や独語ではありえない。これにどう触れるのかと思ったら何にも書いていない。なんだと思った。

最後に詩を扱っているが、ここで詩と酒の話になって酒が好きな人はいいが、全く酒を飲まない、嫌いな人も多いはずで、こういった酒のことなど持ち出すべきでない。昭和時代にオヤジ連中がすぐプロ野球の話を始め、野球など興味のない者はうんざりした。文学の話をしているのだから文学だけで話をしてほしい。

2025年8月14日木曜日

筒井康隆『創作の極意と掟』講談社文庫 2017

筒井による小説作法の本である。小説をこれから書こうとする人、また既に職業小説家になっている人も対象に書いたとある。

項目は、凄味、色気、揺蕩、破綻、濫觴、表題、迫力、展開、会話、語尾、省略、遅延、実験、意識、変化、薬物、逸脱、品格、電話、羅列、形容、細部、蘊蓄、連作、文体、人物、視点、妄想、諧謔、反復、幸福、と分かれ、各品目について筒井の考え、理解を述べる。これだけ良く書いたものだと思う前に知らない単語がある、揺蕩など。品目を並べるだけでなく、それについていちいち書いているのだから感心せざるを得ない。