2026年5月23日土曜日

リンカーン Lincoln 2012

スピルバーグ監督、米、150分。アメリカ大統領リンカーンの、南北戦争時を背景にした映画。1865年の初めから映画は始まり、戦争はこの年終わるが、まだ奴隷の扱いについて意見がまとまっておらず、憲法修正のための政治的駆け引きが延々と続く映画である。南北戦争やリンカーンについてあまり知らない者は、映画そのものが良く分からず面白くないだろう。

それで南北戦争やリンカーンについて勉強を始める者がいたら、そういう機会を作るのが本映画の貢献と言える。リンカーンは歴代の米大統領の中でも一番評価が高く、米にとっては英雄なのだろう。だから米国民が本映画を見る態度は他の国民とかなり異なっているのでないか。

日本で政治家の英雄と言えば、かつては豊臣秀吉が一番人気であったが、最近は晩年の朝鮮半島侵略以外何も語られなくなっている。革命児のように言われていた織田信長は、今の歴史家の評価では創造性ゼロの凡将だそうで、革命的などと言ったら笑われるらしい。前の戦争で敗戦となり、進歩派が支配的となったので、戦後の保守政治家は誰も評価されない。

トイ・ストーリー2 Toy story2 1999

ジョン・ラセター監督、米、92分。ディズニー、ピクサーの漫画映画。カウボーイの人形は片腕が取れそうになり、子供の母親に捨てられそうになる。その時、玩具収集家の男がカウボーイを見つけ、持っていく。専門家に頼み修繕してもらう。男はその他の玩具と一緒に日本にあるという玩具博物館に売りに出すつもりだった。

カウボーイが元いた家では、カウボーイがいなくなったので、みんなで捜しに行く。カウボーイは他の玩具と話していた。子供が大きくなると捨てられてしまうだけだから博物館に行かないかと誘われる。カウボーイもその気になる。みんなが苦労して助けにやってきた。カウボーイは売られる予定の他の玩具人形に一緒に行こうと誘う。しかし爺さん人形だけは反対する。最後は捨てられるだけだと。その爺さんの反対を押しきり、また売るつもりの収集家の手から逃れるのが後半の展開である。最後は元いた家に戻れる。

2026年5月22日金曜日

立花隆『死はこわくない』文春文庫 2018

著者が書いた死に対する論考や対談、講演を集めた本。著者は若いころは死がこわかったというが、今はそうでもないと言う。死とは眠っていく過程と同じであり、いい夢を見ようと思っていれば怖くないとか。死を理屈で考えると死んだらゴミになるという理解である。ただ感情的な自分の心持は理屈とは別の次元の話である。

理屈だけ言えば自分が死ぬとは確かに一切の思考も感情も、つまり自分自身がなくなってしまうわけだから、怖い。しかし自分の気持ちを落ち着けるための、死への理解なら自分が納得できるもので構わないと思う。

映画史特別編 選ばれた瞬間 Moments choisis des histoire(s) du cinéma 2002

ジャン=リュック・ゴダール監督、仏瑞、83分。ゴダールの映画史は、ゴダールが1978年、カナダで行なった映画についての連続講義が元になっている。これは現在では文庫で出ている。(ちくま学芸文庫)映画史とあるが、19世紀末以来の映画の史的展開ではなく、映画論というべき内容である。更に映像化されており、全体で全8章、DVD五枚組として発売されている。本DVDは一枚の84分で、全体からすれば、まさに瞬間といえる。

映像は映画からの引用、例えば初めの方で『狩人の夜』からの引用があって、これが一番長く、後の映画からの場面はもっと短くなっており、静止写真も多い。それらに字幕がついて、また語りが入っていて、随分せわしない映像が続く。何やら議論していたり、映画ばかりでなくマネやクリムトの絵が出てきたりする。何しろ映画だから見ている方が理解できなくとも、どんどん映像は進み、終わるとようやく終わったかという感じだった。

先に書いたDVD五枚組の全体は見ていないので、それとの比較や感想は言えない。文庫は以前買って読んだのだが、厚いし、内容も簡単でない。ただ活字だから今回のDVDと違い、意味が取れないと先に進まない。最後まで読み終えたか覚えていない。本DVDに対しては上に述べたように、自分では良いとか悪いとか評価できない。ただゴダールの映画である、ゴダールに関心があれば見たらと思う。

2026年5月21日木曜日

白き処女地 Maria Chapdelaine 1934

ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、仏、77分。カナダのフランス人の住む地区。女主人公のマリア(マドレーヌ・ルノー演)の父親は開拓に従事してきた。家も町とは離れた場所にある。マリアは三人の男から思われている。ジャン・ギャバン演じる、毛皮の取引をしている狩猟師。マリアもギャバンを憎からず思っていた。後は近くに住む青年。また都会からやってきた青年もマリアに恋し、こんな僻地でなく、都会生活を満喫しようと誘う。

ギャバンはマリアに再会を約し、別れて森へ戻っていく。冬の吹雪の中、ギャバンは苦労して進む。年が明けて、ギャバンの死体が見つかる。マリアは嘆き悲しむ。神父は嘆くマリアを婚約していたわけでもないしと諭す。母親が病気になる。医者を呼びに行くのも一苦労である。近在の青年は医者なんかあてにならないとして骨接ぎ師を呼んでくる。医者も骨接ぎも役に立たず、母親は死ぬ。マリアは近在の青年に結婚を約束する。

モスクワへの密使 Mission to Moskow 1943

マイケル・カーティス監督、米、124分、白黒映画。第二次世界大戦中に制作された映画で、反枢軸国で戦っていた同志のソ連を賛美する内容のアメリカ映画。ソ連に行った外交家の著作を元にしており、映画の初めはその著者の解説である。戦時中だから大統領に命令され、欧州各国に行き、ソ連まで行ってスターリンその他、ソ連の要人と会ってきた。欧州の政治家たちはみなソ連を脅威と見ている。実際のソ連はそのような国でないと主張する映画である。

ソ連初期の無声映画『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』(1924)をアメリカが進んで作ったような映画である。日本も敵国であったから、日本の外交官を悪く描き、中国でしている残虐行為を訴える場面もある。戦後のマッカッシー旋風による赤狩りとかけ離れている。映画中、ソ連で行われた粛清裁判の場面があって異様に生々しい。

蜘蛛男の恐怖 Horror of spider island 1960

 フリッツ・ベットガー監督、西独製のようだが、英語で米と孤島が舞台、75分、白黒映画。映画の冒頭はニューヨークで踊り子の選抜をしている。シンガポールで興行をするため、興行主はふさわしい踊り子を選定しているのである。結構長い場面で、行くべき女たちが選ばれる。

太平洋上を飛んでいる飛行機は火を吹き、真っ逆さまに海に墜落。救命ボートで興行主と女たちは海を漂う。島を見つける。上陸して小屋がある。入ると網目の向こうに老人の死体があった。ここで研究していたらしい。この小屋を棲み処とする。

興行主が一人で島を歩いていると、木の上から巨大な蜘蛛が襲いかかる。その蜘蛛を殺すものの、男は噛まれたので蜘蛛男になる。女たちは男が帰ってこないので捜しに出かける。その中の一人の女は蜘蛛男に襲われ死ぬ。残りの女たちは死骸を見つけ驚く。島にボートで二人の若い男がやってくる。ここにいた研究者の助手をしていて、戻ってきたのである。女たちが泳いで騒いでいるのを眺める。一人は女に銃で脅され捕まるが、後にもう一人の男も来て、この島から脱出できると言うので、女たちは大いに喜ぶ。夜はパーティで騒ぎ、はしゃぐ。一人の女が男と仲良くなり浜で逢引の約束をするが、蜘蛛男に襲われる。蜘蛛男を見つけた女たちは、男と一緒に蜘蛛男狩りに行く。女の一人が崖の上から落ちて死ぬ。後に蜘蛛男を退治し、女たちは船で島を出る。

2026年5月15日金曜日

秋田麻早子『絵を見る技術』朝日出版社 2019

名画の見方を説明した本である。名画と呼ばれる絵画を見て、それをどう見るのが正しいのか、深く絵画の意味を捕えるにはどうすればよいのか、よく分からないのが実際である。本書はそれを説明している。

絵の主役を捜せ、光や線の集まっている所、準主役がいる絵、角を避けるためにそれを阻止する措置をしている、ジグザグや曲線など視線を誘導する仕掛け。バランスを良くするには重要度も考える、昔は絵具は手作り、貴重だった色、左右の格、対角線と十字線、分割するパターン、横長の絵は正方形になるよう縦線を両方に立てる、などなど絵を読み解く技法の説明が書かれていて、読んでいてためになる本といった感じ。

アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』 Project Hail Mary 2021

大絶賛の空想科学小説であるが、自分には合わなかった。こういう分野に自分は興味が薄いのか。語り手、主人公は全くアメリカの映画に出てくる主人公のように自己肯定、自己主張の塊のような人間で、不愉快極まる。アメリカ映画の主人公を見ているとアメリカに生まれなくてよかったと思ってしまう。

太陽を食いつくすバイキンがあって、それを阻止するという話。主人公とその少数の仲間が地球、いや太陽系を助けるという設定で、まるでアサイラム映画だ。上巻の200頁くらいまで読んで、我慢して読み続ける必要を感じず止めた。将来読み返すことがあるかもしれない。

2026年5月8日金曜日

ストリンドベリ『赤い部屋』 1879

スウェーデンの作家ストリンドベリの処女長篇小説。ストリンドベリは戯曲が有名で『令嬢ジュリー』や『父』『稲妻』『死の舞踏』その他の劇がある。日本では戦前の方が、ストリンドベリは良く読まれていたのではないか。近代劇を先導したのは北欧の作家たちで、ノルウェイのイプセンに次ぎ、ストリンドベリの劇は評価されていた。日本でも戦前から劇団運動が盛んで、ストリンドベリが読まれていたのであろう。大正から昭和初めにその著作は独訳からの重訳で出版されていた。当時は独語読みのストリンドベルヒやストリンドベルクといった表記で出ていた。

さてこの『赤い部屋』は作家として世に出ようと決意したアルヴィッド・ファルクという青年と、その友人仲間たち、またアルヴィッドの兄夫婦という俗物らの生活、当時のスウェーデン社会を描いて、19世紀後半のスウェーデンの描写の一例となっている。ストリンドベリは自然主義と言われており、人生や社会の暗い面を辛辣に書いている。最初の方にそれまでアルヴィッドが勤めていた役所の実態が書いてあるが、まるでカフカの世界だ。そのほかの描写でも19世紀後半のスウェーデンはこんなにひどかったのかと思わせる書き方である。スウェーデンの印象と言ったら今世紀になってから移民などの話題があるが、かつては福祉の充実した先進国といったものだったので、余計驚く。ともかく19世紀のスウェーデンを対象にした文学はあまりないので、本書は貴重であろう。スウェーデンに関心があれば勧めたい。本書の書名「赤い部屋」とは当時のストックホルムに実際にあったカフェの名で、小説にも出てくる。

私的な話になるが、この小説の名を知ったきっかけとなったのは、鈴木清順が監督した『悪太郎』(1963)という映画である。大正時代が舞台であるこの映画の中で『赤い部屋』の訳本が出てきて、和泉雅子らが読んでいる。それで自分も読みたくなり、捜したのだが当然ない。図書館で古い訳本を取り寄せてもらった記憶があるのだが、ろくに読めなかった。今回の新訳で最後まで読めて幸いである。

2026年5月6日水曜日

コレヒドール戦記 They were expendable 1945

ジョン・フォード監督、米、135分、白黒映画。第二次世界大戦の初期のフィリピンから始まる。ジョン・ウェインは怪我で敵の巡洋艦攻撃に出られず、くさって病院に入る。そこの看護婦というより士官の女医師と出会い、恋に陥る。敵への攻撃はしたが、味方もやられるという風に戦争場面もあるものの、敵を倒す様子を描いた映画ではない。

上官からオーストリア方面に行くので護衛してくれと頼まれ、南方へ行く。女士官とは別れざるを得なかった。最後はウェインは帰還するため、迎えに来た飛行機に乗って去る。

2026年5月3日日曜日

陽は昇る Le jour se leve 1939

マルセル・カルネ監督、仏、93分、ジャン・ギャバン主演。映画は男が撃たれて、高層アパートの上の方の階段を転げ落ちるところから始まる。部屋の住人はギャバンである。警察がアパートを取り囲む。ギャバンは部屋で回想する。

ギャバンは工員で、ある日会った若い女に恋をする。求婚するのだが、女の方は煮え切らない。用があると言う女の後をギャバンは付けていく。興行小屋に入る。そこで犬を使った曲芸師に女は関心があるようである。曲芸師の相手役の女は舞台を降りてギャバンが座っている方に来て、曲芸師を悪く言う。口先だけで女を喜ばせるのだが、全く不誠実な男であると。その曲芸師は若い女を連れて小屋を出る。後で曲芸師だけ戻ってくる。女に色々言うとギャバンが口出しして曲芸師と言い合いになる。女は曲芸師に嫌気がさしているので、ギャバンと付き合いを始める。しかしギャバンの心は若い女にある。あの曲芸師がギャバンと女がいるところに来て、話があると言い出す。ギャバンと向かい合った曲芸師は自分は若い女の父親であると言い出す。後からそれは曲芸師の男のでたらめであると分かる。

男はギャバンの部屋にやってきて、また饒舌を弄し、ギャバンをいらつかせる。頭に来たギャバンが男の持ってきた銃で、相手を撃つ。転げ落ちるのが映画の初めである。アパートを取り囲む群衆や警察に対し、ギャバンは悪たれを放つ。警察が屋上からギャバンの部屋に催涙弾を投げ入れた。その直前に銃声がした。ギャバンが自殺して床に転がり、煙が充満する場面で終わり。

ルチオ・フルチのザ・サイキック Sette note in nero 1977

ルチオ・フルチ監督、伊、96分。主人公の女は超能力を持つ。子供の時、遠く離れた場所で母親が投身自殺するのを見た。成長して富豪と結婚する。夢で殺人事件を見る。中年の女が殺されている。他に断片的な場面を見る。夫の所有する別荘に一人で行く。ある部屋にいる時、壁の中の死体を感じ、壁を崩すと白骨があった。警察の調べでは20代の女らしい。自分が見た中年女と違う。この死体が夫の昔の恋人と分かる。

夫に容疑がかかり逮捕される。女は友人の男や義姉と共に夫の疑いを晴らそうとする。後に、女が見た幻視は予知夢ではないかと言われる。未知の女から電話がかかってきて、夫に有利な証拠を提供するという。そこに行く。すると中年女が殺されていた。あの夢で見たそのままである。女はそこの屋敷で毒牙にかかる。後に調べに来た友人の男や警察が察するところで映画は終わり。

2026年4月30日木曜日

曳き船 Remorques 1941

ジャン・グレミヨン監督、仏、ジャン・ギャバン主演。ギャバンは難破船を曳航する救助船の船長である。妻は夫のギャバンがいない日が多いので嘆いている。

嵐の夜、救助の連絡が入ったので行くのだが、救助対象の船は船長が変わった男で、救助などいらないと言い、曳き船からの綱を切ってしまう。この船長の妻は夫の横暴に嫌気がさしており、嵐の中、ボートで船を逃げだしギャバンの曳き船に助けられる。この逃げてきた妻とギャバンは愛し合うようになる。逢瀬を重ねる。ギャバンの妻は病気で亡くなる。それを女と会っている時に聞き、急いで戻る。女はその間にギャバンから去る。

顔のない悪魔 Fiend without a face 1958

アーサー・クラブトゥリー監督、英、74分、白黒映画。カナダの空軍基地近くの集落では謎の死が起きていた。また空軍の試験も原子力を上げてもうまくいかない。近所の中年夫婦は叫びを上げて二人とも倒れる。怪奇事件の続出は何か空軍が関係しているのではないか。村からはそんな声が上がる。空軍の軍人は突然死した若い男の妹宅に行く。これで知り合いになる。若い妹はある博士の元で研究の助手をしていた。

最終的に明らかになるのは、博士の研究で必要な原子力を近くの空軍基地からいわば内緒で盗む形で利用しており、それが見えない怪物を作り出し連続殺人や空軍実験の失敗を招いていた、という事実である。その見えない怪物は姿を現わす。脳みそに脊髄が尻尾のようについている。多数の脳みそが博士宅を襲い、銃等で倒す場合も多いが博士などは殺される。対応には原子力発電施設を破壊するしかない。軍人がそれに赴く。簡単に原子力施設は爆破される。怪物どもはバタバタと落下して死ぬ。

2026年4月29日水曜日

ダージリン急行 The Darjeering limited 2007

ウェス・アンダーソン監督、米、91分。父親の死をきっかけで、それまで疎遠だった男の兄弟3人が会い、インドを列車で旅行していく。

一人は係員のインド女と関係し、また毒蛇を買った男はそれを取り上げられる。三人は列車から降ろされる。たまたまインド人少年の死に立会い、その遺体を村まで運んで行く。葬式に参列しろと言われる。飛行機に乗る直前、取りやめて母親のいる場所に行く。また列車に飛び乗り、旅を続けて行く。

2026年4月28日火曜日

ハンス・ロスリングと家族『ファクトフルネス』 Factfulness 2018

人々は思い込みによって、世界を誤って理解している。実際のデータで正しい理解をすべきと説く本である。著者はスウェーデンの医者である。著者は世界中で質問をしてきた。選択肢のうちどれが正しいかという問いで、多くの誤った回答を得てきた。世界は悪い状態である、低開発国の人間は、先進国と違ってひどい生活を送っている、という思い込みである。実際はデータを見ると改善されてきており、先進国の人間が思っているほど、現在の生活は悪くない。数十年前の先進国と同じような生活をしている。

そもそも豊かな国と貧しい国という二分法が間違っている。4つの水準に分けて世界の国々を分類すべきである。世界は分断されている、どんどん悪くなっている、目の前を過大視する、単純化する、犯人捜しをする、など十の分類に分けて、誤った思い込みをする要因を探る。改善するため、今すぐ行動に移せと提言する。(上杉周作、関美和訳、日経BP社、2019)

2026年4月27日月曜日

密会 昭和34年

中平康監督、日活、71分、白黒映画、桂木洋子主演。桂木は東大教授のかなり若い妻である。夫の教え子たちが家に来る。その中の一人と不倫の関係になっていた。

ある夜、二人が繁みで会っていると、タクシーが止まり、そこから男が出てきた。後から出てきた男は最初の男を刺し逃げる。明くる日、新聞を見るとタクシーの運転手が殺されたと記事が出ている。自分たちが見た事件であった。桂木は何食わぬ顔で過ごそうとしたが、相手の大学生は警察に行って話そうと言うのである。桂木は強く反対する。自分たちの間がばれてしまうではないか。その醜聞に耐えられない。しかし大学生は運転手の家族のためにもぜひ話すべきと言い張る。

家を出て駅に向かう。桂木は後を追う。駅のホームで電車が来る直前、桂木は大学生を突き落とす。大学生は轢かれる。桂木はその場を逃げて離れ、坂道まで来て息をつく。しかしほどなく自転車を漕いだ男二人がやってきて、桂木を捕まえ見ていたぞと言い、引き立てていく。

2026年4月26日日曜日

バワリイ The Bowery 1933

ラオール・ウォルシュ監督、米、92分。19世紀末のニューヨークが舞台。バワリイとはその地区の名である。ここで大物とされているのは酒場を経営している男で、孤児の少年を息子のように可愛がり、同居させている。ライバルはにやけた二枚目で、男と張り合っている。

火事の知らせが来ると、お互いに消防団を率いているので我先に火事の現場に駆けつける。江戸時代の火消しのようなものである。現場に着いても二人が自分の方が先だと喧嘩し、消火はそっちのけで地域は全焼する。歌手希望だが仕事のない若い女と知り合い、助けるため自宅に連れてくる。すると同居の孤児はすねて出ていく。ライバルは、男の家にいる若い女を見て惚れ、女も相手を好きになる。二人で海辺へ遊びにいったりする。

ライバルがブルックリン橋から飛び込むと宣言し、話題になる。男はできたら店をライバルにやると賭けをする。ライバルは人形を作り飛び込ませた。これでライバルの勝ちとなり、男は店をとられ、一文無しになっただけでなく、人々からも無視されるようになる。米西戦争が始まり、男は志願する。男にライバルの飛び込みはインチキだと言う者がいて、男はライバルの物となっている店に殴り込みに行く。二人で決闘することになる。島で行われた決闘から戻ってきたのは男であり、勝者となったので、また人気を取り返す。男に警察が来て、相手を負傷させた容疑がかかっていると言う。ライバルの病室ではあの女が付き添っていた。そこに来た男を、警察は負傷させた相手かときく。ライバルは否定する。警察は去る。男はライバルにお前も戦争に行けと誘う。映画の最後では二人が女と別れた後、軍服で行進し、孤児が荷車の中から顔を出す。

2026年4月25日土曜日

ヒッチ・ハイカー The hitch hiker 1953

アイダ・ルビノ監督、米、71分、白黒映画。ヒッチハイクをして車の運転手等を殺す犯罪者がいた。二人の男は途中で車がエンコしているらしい男を乗せてやる。実はその男がヒッチハイク殺人犯であった。銃を取り出し、自分の言うことを聞けと運転手とその同僚に指示する。

メキシコに逃げるつもりだった。ラジオで警察の動きを聞きながら車を走らせる。メキシコに着く。メキシコの警察は米の警察からの連絡で、ヒッチハイク殺人犯を指名手配にしていた。酒場で頼み事をすると、男の一人が殺人犯だと手配の写真を見て知る。警察に連絡する。男三人が着いた先でメキシコ警察が待っていて殺人犯を捕まえる。

2026年4月24日金曜日

愚か者の船 Ship of fools 1965

スタンリー・クレイマー監督、米、150分、白黒映画。舞台は1933年でドイツの客船がメキシコから出航する。その船上で起こる様々な人間の群像劇。有名な俳優としてシモーヌ・シニョレ、ヴィヴィアン・リー、リー・マーヴィンらが出ている。

特に主人公と言える者はいないが、シモーヌ・シニョレと船医の間に恋が芽生え、それが比較的大きい要素。シニョレは伯爵夫人と呼ばれ、島に着いたら収容所に入れられるらしい。船医は重病を持ち、家族との絆は切れている。ヴィヴィアン・リーは退廃的な雰囲気の婦人で、特に大きな事件が起こすわけでない。マーヴィンは女たちを買おうとする。

芸術家の夫婦がいていつも意見が合わず喧嘩をしている。小人の物知り男、ユダヤ人などの他、妻がユダヤ人だというので差別される男がいて、大声で抗議する。金がないので叔父を脅迫して取ろうとする若い男。途中から乗ってきた何百人というラテン系の労働者たち、仕事がなくなったので帰郷するのである。その中の一人の男はナイフで彫刻を彫るのが得意だが、海に落ちた犬を助けに飛び込み死ぬ。シニョレが途中の島で降り、船医も一緒に降りようとしたが止め、後に船上で病気のため死ぬ。船が港に着き、乗客らが下船するところで終わり。

2026年4月23日木曜日

戦争と母性 Pilgrimage 1933

ジョン・フォード監督、米、96分。アメリカの田舎町。青年が老いた母親と住んでいる。青年は隣家の若い娘と相思の仲である。しかし母親は娘との付き合いも結婚も許さない。自分を捨てて行くのは許せない。おりしも戦争中である。青年は志願したいと言っており、娘も母親も最初は反対していたが、母親は娘に息子を取られるくらいならと、自分から志願の手続きをする。青年は出征する前に娘と駅で会い、妊娠していると聞かされる。フランスの戦線に行く。母親のところへ息子が戦死したと連絡が来る。

10年経つ。生まれた赤ん坊は少年に成長している。未だに母親は娘や子供と付き合いしていない。息子を戦争で亡くした母親たちに政府の事業で、フランスに行く。母親は夜に橋で酔っぱらった若い男が、身投げでもするように見えて止める。タクシーでその男のホテルに連れていく。男はアメリカ人で、フランス娘との結婚を母親が許さないので絶望していた。母親は男の母親に会いに行く。ホテルで説得し、フランス娘との結婚を承諾させる。母親は米の田舎に戻ってくる。自分が今まで付き合っていなかった、息子の相手の家に行き抱きしめ、孫からも祖母と呼んでもらえる。

2026年4月22日水曜日

吉本隆明『13歳は二度あるか』だいわ文庫 2013

評論家の吉本隆明が13歳の少年に向けて、人生の生き方を自分の体験を通して語る。まず新聞を読めと言う。世の中が分かるから。人間のあり方は「個人としての個人」と「社会的な個人」という側面がある。後者は社会と交わる時の個人の側面である。さぼっている者がいたとしても黙って自分の仕事をすべきである。人間は強制では動かせない。自由な意思だけが人を動かす。「家族の一員としての個人」という、個人と社会をつなぐ面がある。

更に宗教、法律、国家がどういうものか述べる。次いで犯罪や死について述べる。なぜ人を殺してはいけないかという問いがあれば、自分で自分を殺してみればいいと答える。死が近くなると、死は自分のものでなく、周りの者の物になる。延命治療すべきかといった判断、死を納得するかなど、自分でなく周りの人間の物になる。また死は生の最終時点でなく、生と共にあるものであると言っている。生まれた時から生を照らし出すものが死だというのである。戦争について自分の体験から語る。最後に人間は自分の生まれた時代を引き受けて行くしかないと述べている。

人はなぜラブレターを書くのか 令和8年

石井裕也監督、東宝、122分。綾瀬はるかは食事屋をやり、夫、娘がいるが癌に侵されている。昔の時代に戻る。通学列車で好きな男に毎日会っている。その男子は進学校に通い、ボクシングも練習している。ボクシングの先輩はチャンピオンになると言っている。お互いに名前も知らず、男子は地下鉄事故で死ぬ。

綾瀬は大人になってから死んだかつての恋人あてのラブレターを書く。それを死んだ男子の両親が見て喜び、返信する。ボクシングの先輩は試合に勝ち、チャンピオンになる。綾瀬の娘は医者になると宣言する。綾瀬が死んだ後、娘が医学部受験に行くところで映画は終わり。

2026年4月20日月曜日

事件記者 真夜中の目撃者 昭和34年

山崎徳次郎監督、日活、52分、白黒映画。女の郵便局員が知り合いの男からクリスマスのケーキをもらう。同僚と帰る時、都電の停車場にそのケーキを置き忘れてしまった。そのケーキを見つけたタクシーの運転手は食って、後に運転中に死ぬ。ケーキの箱を見つけた警察はそのケーキに毒物が入っていると知った。

また郵便局に夜、二人組の強盗が入った。宿直の男を殺して逃げる。女の郵便局員は二階で強盗の名を聞く。新聞でタクシー事件を読んだ、ケーキを渡した男は驚く。その男は郵便局強盗の一人で郵便局侵入のため、局員に眠り薬入りのケーキを渡したつもりだった。それが毒薬だったのだ。郵便局侵入の男の名が新聞に出ている。知らずに毒入りケーキを渡した男は警察に行くと言いだし、仲間の男から刺される。郵便局員の女が来て介護する。強盗の男は高跳びを計るが、駅で警察から追われ、列車に轢かれる。

事件記者 狙われた十代 昭和35年

山崎徳次郎監督、日活、47分、白黒映画。深夜の神宮外苑で、若者たちがオートバイの競争をしている。賭けをしている。若い男はオートバイを借りて競争に参加した。人をはねてしまった。そのオートバイの持主で賭けの胴元をしている男は、若い男に大金を寄こせと脅す。若い男は姉の貯金通帳を盗もうとして、元軍人の父親に見つかりどやされる。その隙に、胴元の男は父親の拳銃を居間から盗む。

その拳銃で駅を襲い、来た警官を射殺してしまう。拳銃から胴元である前科のある男だと犯人は分かる。父親の軍人は警察に出かけて話す。オートバイ競争仲間にもぐりこんだ新聞記者は若い男に、はねた男は死んでいないと知らせる。記者の通報で警察がやってきて悪党どもは捕まる。

燃える平原児 Flamming star 1960

ドン・シーゲル監督、米、92分、総天然色、エルヴィス・プレスリー主演。西部に住むプレスリーの母親はインディアンである。父親が白人で、兄は前妻との子供、プレスリーは父親が再婚したインディアンが産んだ子である。インディアンが町を襲う。町人はプレスリーの家はインディアンがいるから襲われないだろうと嫌味を言う。

インディアンの若者はプレスリーのところに来て、仲間であると言う。母親はインディアンの部落に行って話をつけたいと言い、プレスリーと出かける。しかしもうインディアンの部落は母親を仲間と思っていなかった。気落ちして帰る途中、白人に銃撃され母親は負傷する。その白人をプレスリーはやっつける。帰宅して町に医者を呼びに兄弟は行く。しかし町人は医者を行かせない。後からプレスリーは強硬な手段で医者を連れてくる。しかし母親はもう死んでいた。プレスリーは医者が早く来なかったからだと医者に八つ当たりする。

インディアンの仲間になると行って出ていく。部落で歓迎される。父親はインディアンに襲われ、戦って殺された。プレスリーの兄が見つけ、死体を運ぶ。その兄もインディアンとの戦いで負傷した。プレスリーはインディアンの仲間から抜け出し、怪我をしている兄を助け出す。インディアンとも戦い、何人も倒す。プレスリーは負傷した兄を馬に乗せ、町に送り治療させる。後にプレスリーが町に来る。プレスリーは兄が大丈夫かだけ確かめに来た、と言って去る。

2026年4月15日水曜日

殺人者を消せ 昭和39年

舛田利雄監督、日活、94分、総天然色、石原裕次郎主演。裕次郎はサラリーマンであるが、毎日の決まりきった生活にうんざりしている。東南アジアで戦争をしているので、それに参加したいと思っている。東南アジア行きの船に密航で行こうとしたところを捕まって降ろされる。それを見ていた海運会社の課長は驚き、裕次郎の入っているブタ箱に面会に行く。裕次郎に次のような条件を持ち出す。

東南アジアに行かせてやる、その費用は持つ。ただし条件として、ひと月会社の社長になってくれないかと。見せられた次期社長の写真は裕次郎にそっくりである。社長、副社長とも事故死し、アメリカに行っている次期社長は帰国が遅れる。重役連は会社を乗っ取ろうと画策している。それで次期社長が帰国するまでの間、社長になりすましてくれないか、という頼みだった。裕次郎が社長として会社に乗り込む。重役連は実は前の社長と副社長を事故に見せかけ殺し、裕次郎も殺そうと企む。また次期社長には婚約者の十朱幸代がいて、十朱は次期社長の性格が以前と全く変わっているので、いぶかしがる。

重役連の企みは失敗し、逆に重役連が次々と死を遂げる。最後はヨットに乗ってここで真相が分かるのだが、課長が重役連を殺していたのだ。前の社長らと共に、課長の愛人も死んだからでる。重役連は凡て殺される。しかし課長は裕次郎のような能天気の男を憎んでおり、殺そうとしたが逆に自分が事故死する。十朱は裕次郎の正体を知ったが、かえって裕次郎のような悪人が好きだと言って迫る。裕次郎は飛行機で飛び立つ。隣の席には十朱が座っていた。二人は東南アジアの戦場でなく、スイスに行ってそこで結婚式を挙げる。

2026年4月14日火曜日

アクセモグル、ロビンソン共著『国家はなぜ衰退するのか』 Why nations fail? 2012

発展する国家といつまでも低開発のままいる国家の違いはなぜか。なぜ発展できたのか、また他の国家はなぜできないのか。この疑問に取り組んだのが本書である。従来から文化的要因、地理的要因などが挙げられてきたが、著者らはそれらを退ける。ここで著者が要因としてあげるのは、政治経済法制度が包括的か収奪的かの違いである。

収奪的制度では首長が自分の利益しか考えず、国家を成長させる技術や制度があっても採用しない。それに対して包括的制度をもつ国家とはあまり聞かない用語であるが、国家内の個人や企業に自由に利益を追求させ、それを保障するような市場、法制度の整っている国家である。それにはまず中央集権国家でなくてはならない。部族等が互いに争っているような国家では無理である。著者らは自分たちの主張を実証するため、多くの数量分析を行なったそうである。ただここでは数理的な記述は一切なく、歴史記述で説明していく。この歴史記述は本書で最も量を占める。歴史書と呼んでもいい。収奪的な制度は、まず初期に国家の発展をもたらすかもしれないが、永続しないという。そうなら中国の発展は続かないとなる。(ハヤカワノンフィクション文庫、鬼澤忍訳、2016年)

2026年4月13日月曜日

蓮實重彦『映画夜話』リトルモア社 2025

蓮實重彦による、映画館(渋谷シネマヴェーラ)で行った講演の記録である。同映画館で上映した(する)映画についての情報をあれこれ説明する。また映画人(吉田喜重、岡田茉莉子、倍賞美津子、監督の鈴木則文、評論家の山根貞男ほか、との対談、鼎談もある。講演であるから分かりやすい文である。蓮實の薀蓄が聞かれる。

2026年4月11日土曜日

突然の恐怖 Suden fear 1952

デヴィッド・ミラー監督、米、110分、白黒映画、ジョーン・クロフォード主演。クロフォードは脚本家。自分の劇を見ていて、男役が女にもてそうもない面をしているので交替させる。後にそれを気にする。列車の中で男と再会する。意外とよい男と思われた。付き合い結婚する。

しかし口述用の録音機に、男は知らずに情婦との会話が録音された。クロフォードは後になってそれを聞き、男が自分を騙し、殺して財産を奪おうとしていると知る。気が動転するが、なるべく男の前では平静を装うとする。

計画を立てる。男と情婦を騙しておびき寄せ、男を射殺してその容疑が情婦にかかるようにさせるものであった。しかし実際にその場になるとクロフォードは男を撃てない。逃げるが、男はクロフォードに気づき車で追ってくる。クロフォードは情婦と同じ格好をしていた。男は間違えて情婦に車をぶつける。情婦は死に、男も車が転倒して死んだ。

2026年4月7日火曜日

サスキンド『Growth』 Growth 2024

イギリスの学者による成長論。まず過去の経済成長を概観する。人類の長い歴史の間、成長しない時期がほとんどだった。成長が始まってからその成長要因を解こうとする試みがなされた。数量的に経済を計る手段がなければそもそも議論ができない。それで発明されたのがGDPである。GDPが出来たのちはその値、変化率(成長率)を第一と考えるようになった。

経済成長のみに関心があっても解決できない問題がある。それどころか成長によって、その代価として様々な問題が出てきた。気候破壊、不平等の拡大が生じた。技術の発達は従来の雇用への脅威、大企業への集中の他、政治決定まで影響が及ぶ。自由貿易、グローバル化はコミュニティを破壊したとある。こういった代償が生じたからと言って、著者は脱成長論者には組しない。「経済成長が消えたならば、それが意味するのは悲惨以外の何物でもない」(本書p.203)成長論で、昔は外生変数だった技術進歩はアイディアによって説明されるようになってきている。このアイディアを広める方策について言及する。ただ著者の基本的態度は「さらなる経済成長をするのか、それとも人間が大事にする経済以外のものごとを守るか、二つに一つかだと迫られて、圧倒的に前者を選んできた」(本書p.261)という、これまでの選択を批判する。

技術進歩の方向性を変えて、経済成長の性質も変えていけるとしている。成長だけで問題は解決できない。成長と環境、現在と未来、どちらを優先すべきか相反関係にある。政治の場での議論が必要で、それは政治家任せというのではなく、昔のギリシャの集会のようなもの、そういう場で検討が必要であろう。(上原裕美子訳、みすず書房、2025)

2026年4月5日日曜日

事件記者 時限爆弾 昭和35年

山崎徳次郎監督、日活、49分、白黒映画。すりの女がすった物の中に、今夜10時爆破するというメモがあった。女は警察に電話するが、相手にされない。その夜10時に貨物船が爆発し沈没した。乗組員の一人が死んだ。警察は女すりを捜す。女すりは自分がすった男をよく覚えているという。

爆発した貨物船の積み荷について記者たちは会社を回る。その中のある会社が価値のない積荷を高価と申告し、保険金を騙し取ろうとして、悪党に爆破させたのだった。広告を出して、女すりにすった男を会わせ捕まえようと警察は目論んだ。しかし警察が関係ない男に関わっているうちに、女が悪党に捕まえられる。女は悪党の隠れ家から逃げてきた。

保険金を騙し取ろうとしていた会社は、危なくなったのでトンズラしようとする。爆破をしかけた悪党が金を要求するので、会社の連中は銃で殺す。死ぬ前に悪党は逃げる連中の乗った船に爆弾をしかけておいた。警察がやってきて船との間で銃撃戦をしているうちに船は爆破する。

2026年4月3日金曜日

『ジャンヌ・ダーク』 Joan of Arc 1948

ヴィクター・フレミング監督、米、145分、総天然色、イングリッド・バーグマン主演。当時33歳になるバーグマンが、13歳で神の声を聞き、18歳で兵士として戦い、19歳で処刑となったジャンヌを演じているので、それが話題(というより批判)になってきた映画である。

これは田舎で少女として育ち、神の声を聞き、皇太子に会いに行く算段をし、軍隊を率い戦闘し、捕まえられ裁判になり、処刑されるという全生涯を収めているので145分でも描き切れない感はでてくる。それに基本的に史実に忠実に作ってあるので、面白おかしくする演出などはできない映画である。ジャンヌ・ダルクは史上最も関心のもたれる女の一人であろう。先に書いたように詰め込みすぎではあるが、ジャンヌの生涯について概観するのは良い映画と思われる。

2026年4月2日木曜日

五匹の紳士 昭和41年

五社英雄監督、松竹、89分、白黒映画、仲代達矢主演。仲代は車で人を轢いてしまい、出世がパーになっただけでなく、刑務所に入れられる。出所前に同室の平幹二朗から金になる話があると聞かされる。出てから指示された女に会うと、3人の男を消してくれ、報酬は1500万円と言われる。

最初の男は元警察官の井川比佐志で、会ってから仲代がいない間に何者かに殺される。井川の娘、少女を上原ゆかりが演じている。上原が付いてくるので、仲代はお守り役になる。次は田中邦衛で、最後の男は中谷一郎、いづれも殺される。

殺したのは中国人2人組で、以前彼らの大金を盗んだ、それで取り返しと復讐に来たのである。金のありかは服役中の平しか知らない。出所した平は仲代を金のある所に連れていく。変電施設で平は仲代を殺そうとしたが感電死する。仲代も手傷を負った。中国人が上原を誘拐し、金と引き換えに渡す、となった。上原を車に乗せてきた中国人は、馬鹿みたいな事で警察につかまる。仲代は金を上原に渡し、以前轢き殺した男の妻のところへ持っていけと言った。仲代も長くない。

2026年4月1日水曜日

黒岩重吾『法王の牙』中公文庫 2024

副題に「病院サスペンス集」とあるように、医療関係の話を集めた短編集である。収録作は昭和35年から48年という高度成長期で、特にまだ昭和30年代は貧しい時代であった頃の話である。著者の黒岩が大阪出身であるため、大阪が舞台の作品が多い。

『病葉の踊り』は戦争の影を引きずっている。戦時の経験が当時にからんでくる。『深夜の競争』は身体障碍者の病人たちの陰湿な確執、争いが下敷きとなっており、殺人が起きその原因が、障碍者たちならではの勝負にあった。『法王の牙』では医学界の徒弟関係、大物の醜さが描かれる。ある医師の妻が失踪した。新聞公開で捜そうとすると師であり、妻の義理の親である大物医師は名誉にかかわるので強く反対する。最後に原因が分かる。大物医師の実態のひどさも。

『さ迷える魂』は容姿に恵まれない看護婦の話。新しい勤務先の病院で、そこの医師にひどく惹かれる。しかも向こうから誘ってくる。有頂天になる看護婦。しかし実は医師は麻薬中毒であり、それを婉曲に隠すための方策の一つに使われていたと最後に分かる。『造花の値段』ではかつて上司に背いたので出世できないサラリーマンが主人公で、癌にかかっているのではないかと疑う。残りの人生が少なければやりたいことをすべきである。会社の機密を持ち出し、妻子を捨てて以前知った、四国の温泉の旅館の女中を訪ねる。その女中にひどく惹かれていたのである。女中とともに旅行で遊び、東京に戻ってくる。機密と引き換えに大金をせしめたが、実は女中には男がいて、大金と共に夜逃げする。主人公は自殺する。『最後の踊り』は戦時中、軍医とその下働きの男が戦後に病院を起こす話である。

2026年3月30日月曜日

ストリンドベリ『幽霊ソナタ』 Spoeksnaten 1907

室内劇と呼ばれる、ストリンドベリが自分の劇場で上演するために書かれた比較的短い劇。ある家の近くに車椅子に座った老人がいる。学生に声をかける。老人は学生をその家の魅力的な若い女と娶せるつもりである。昔、老人と学生の親が敵同士であった。

老人は家に入りそこの主人に命令する。最初は怒っていた主人であるが、老人が昔の事情を知っていると分かり納得する。この家の戸棚の中にミイラとなった老婆がいる。その老婆は老人のかつての恋人だった。老婆によって今度は老人の過去の実際が暴かれる。別の部屋、時間が経っているであろう、学生と若い女が対面している。学生は女に向かい恋情を打ち明ける。二人の会話は彷徨うように続き、劇は終わる。

2026年3月29日日曜日

ストリンドベリ『死の舞踏』 Doedsdansen 1900

2部から成る劇。島にある円形の要塞塔。その住人である大尉とその妻は、長年この島に住んでおり、ストリンドベリの他の劇のように夫婦間の不和がある。そこに久方ぶりに知り合いのクルトがこの島に勤務することになり訪れる。夫婦はそろって歓迎する。大尉は島の者たちともうまくやっていけず、非常に狷介な策士である。夫とこの島にうんざりしている妻はクルトに夫についてあれこれ言う。

後にこの島にクルトの息子が赴任する。大尉は自分の思うようにクルトの息子を配属させようとし、僻地に勤務させる手配をする。大尉に娘がいる。クルトの息子もまた他の士官も娘に惚れている。大尉は島の部隊長と結婚させようとしていた。クルトの僻地への出発の日になる。大尉の娘は結婚が予定されていた部隊長に暴言を吐き、破談にさせる。大尉は死んでしまう。残った者たちはお祝いをする。

2026年3月28日土曜日

ストリンドベリ『罪また罪』 Brott och brott 1899

4幕の劇、パリが舞台。劇作家モーリスは愛人ジャンヌとの間に、幼い娘マリオンがいる。モーリスは今夜上演される自分の芝居の成功を気にかけている。モーリスの親友、画家のアドルフの愛人アンリエットにモーリスは食堂で出会う。二人は惹かれ合う仲になる。モーリスの劇は大成功となり、モーリスも名士入りとなる。

モーリスとアンリエットが二人で出会う。駆け落ちの話をする。娘のマリオンが気になり、いなくなればと口にする。後に食堂でアドルフ、ジャンヌ、アンリエットがいるところへモーリスも来る。モーリスは娘のマリオンが死んだと聞き驚愕する。

しかもその殺人容疑がモーリスにかかっているという。二人が口にしたマリオンがいなくなればという句を聞いた者がいた。モーリスは逮捕され、劇の成功も取り消される。名声から一挙に殺人犯となった。しかし後になって娘の死は病気によるもので殺人でないとモーリスの嫌疑は晴れた。

2026年3月27日金曜日

ストリンドベリ『ダマスカスへ』 Till Damascus 1898

全体で3部ある劇の第1部。「見知らぬ人」が主人公である。彼は街である婦人と知り合いになり、その世話になり、家に行く。夫は医者であった。「見知らぬ人」は奇人であり人とうまくやっていけない。彼は後に放浪で乞食に会ったり、婦人をその夫から奪うように自分の伴侶として、婦人の実家である家に行ったりする。

ストリンドベリ自身が「見知らぬ人」のモデルであり、自分の最初の妻シリとの出会いや結婚を下敷きにして書かれている劇である。後に第2部、第3部が書かれたが、第1部が有名でこれのみの上演が多いそうである。

2026年3月26日木曜日

鑑賞用男性 昭和35年

野村芳太郎監督、松竹、89分、総天然色、有馬稲子主演。デザイナーの中林洋子の随筆にヒントを得て作られた。有馬扮するファッション・デザイナーはパリから帰国する。男にも女の鑑賞に耐える服を着るべきと言い、鑑賞用と称する男服を作る。それを有馬の縁続きが社長をしている広告会社では制服にして社員に着せようとする。ステテコ風のおかしな服である。

社員の杉浦直樹は断固反対し、背広で通す。有馬と杉浦は内心は惹かれ合っていたが、服装観の相違で対立する。会社の方針に反対した杉浦は北海道支社に飛ばされる。転勤が決まり準備をしている杉浦に、有馬も自分の本当の気持ちが分かり杉浦と結婚することになった。

2026年3月25日水曜日

情欲の悪魔 Love me, or leave me 1955

チャールズ・ヴィダー監督、米、122分、総天然色。ドリス・デイ、ジェイムズ・キャグニー出演。1920~1930年代に活躍した実在の女歌手、ルース・エッティングをデイが演じる。歌は多いが、ミュージカルでなく、歌手が必要に応じて舞台や練習などの場面で披露する。踊り子だったデイを実力者のキャグニーが見出し、売り出そうとする。歌を練習するためについたピアノ弾きの若い男とデイは相思の仲になる。しかしキャグニーの強引なやり方についていくので疎遠になる。

キャグニーはどんな時でも、自分の思い通りにならないと駄々っ子のように、公衆面前でわめく漫画のような人物である。そのマネージャーであるキャグニーとデイは結婚した。実際の人物でもそうなっている。デイは成功していく。あの若い男とまた会う機会ができた。二人の仲に嫉妬したキャグニーは拳銃で男を撃つ。男は怪我をし、キャグニーは捕えられるが、自分を売り出してもらった恩があるデイはキャグニーが支配人で開いた店に、スターとして出演し花をそえる。

2026年3月24日火曜日

背徳のメス 昭和36年

野村芳太郎監督、日活、88分、白黒映画。黒岩重吾原作の映画化。大阪阿倍野にあるガタのきた病院が舞台で、患者も高級とは言い難い連中である。産婦人科の科長である山村聰をオールドミスの婦長、久我美子は慕っている。若い医師の田村高広は腕は良く治療には熱心だが、昔妻に裏切られ女不信に陥り、看護婦などを片っ端からものにしている。薬剤部の高千穂ひづるも手にかけた。

やくざの情婦が担ぎ込まれ、田村の忠告を無視して執刀した山村だが、女は死んでしまう。そのやくざが乗り込んで来て、2百万円支払えと恐喝する。山村は警察に言うぞとはねつけようとする。田村が自分の言うことを聞いていれば女は死なずに済んだと、仲の悪い山村に言う。もしやくざが騒いで裁判沙汰になった時、証言してくれるかと山村が言っても田村は良い返事をしない。病院でパーティがあり、酔いつぶれて部屋で寝ていた田村はガスの栓が開き、発見が遅ければ死ぬところだった。誰が犯人か、田村は推理する。

かなり危ない患者が来て、山村は身体が悪いと言って田村に任せる。患者は後に死ぬ。今度は山村が田村に治療ミスを非難できるようになった。病院が改築することになり、その祝いの席で、久我が山村に酒を勧め、自分も飲む。二人とも倒れ死んでしまう。久我の遺書を田村は読む。そこには久我の山村への思慕が綴られている。山村は久我の気持ちを全く察せず、魅力のない女と非難しているばかりである。山村の嫌う田村を殺して山村の気を引こうとした。毒入りの酒を山村に飲ませて殺し、直後に自分も飲んで自殺したのだった。

事件記者『影なき男』 昭和34年

山崎徳次郎監督、日活、52分、白黒映画。男の死体を車で運び海の近く(月島)に捨てるところから始まる。記者の一人の結婚式、そこに事件の知らせが入るので、記者連中は席を外して現場に向かう。死体に贋ドルがあって、最近起きた贋ドル事件との関係が疑われた。新婚旅行に行った記者は車中で四本指の男に遭遇する。以前の贋ドル事件で四本指の男が使ったとの情報があって、記者は怪しむ。戸倉温泉に着き友人の旅館に泊まるが、四本指の男を追おうとする。

東京では贋ドル一味の一人が支払いに贋ドルを使い、それを知った相手の悪党に殺される事件が起きた。この現場から贋ドルが見つかり、その被害者関係で捜査が始まる。旧華族の夫人などもからんだ贋ドル一味だったが、外国に高飛びしようとしていたところに警察隊が来て捕まる。新婚旅行中の四本指の男は事故死したが無関係の者と分かった。

2026年3月22日日曜日

倉田百三『出家とその弟子』 大正5年以降

戯曲で、大正時代に岩波書店から発行された際にはベストセラーになったとか。親鸞とその弟子唯円が主な登場人物で、唯円の方が劇では重要人物である。親鸞の思想だけでなく、キリスト教などを元にして書かれており、親鸞や浄土真宗の教えの解説などではなく、史実とも離れ、作者が自由に自分の思想を述べた劇である。

第一幕では雪の夜、親鸞と弟子らが宿を求めてある家を訪れるが、気分が悪かった主人は追い返してしまう。親鸞は石を枕に雪の中で寝る。後で主人は後悔し、家に招き入れる。この家の幼い子供が後の唯円という設定である。次の幕では京都が舞台で、成人した唯円が親鸞の弟子となっている。親鸞の子供善鸞が勘当されているので、唯円は善鸞に会い、相談にのる。後に唯円は芸者の一人と恋仲になり、悩み、僧としての勤めもおろそかになっているので他の弟子らから非難されている。唯円は親鸞に相談する。最後の幕は親鸞の臨終時である。唯円は結婚して子供もいる。善鸞も駆けつけ、謝る。親鸞は許されていると言って死去する。

2026年3月21日土曜日

火刑台上のジャンヌ Jeanne au Bucher 1954

アルチュール・オネゲル作曲、ポール・クローデル台本、フランス語によるオラトリオ(宗教的な内容の声楽(合唱を含む)曲、オーケストラ伴奏つき、オペラのような演技はない)『火刑台上のジャンヌ・ダルク』を映像化したものである。『火刑台上のジャンヌ・ダルク』は小澤征爾指揮のCDを持っており、他にも幾つもの録音が出ている。ただ映像化されているとは知らなかった。しかもイングリッド・バーグマン出演でロッセリーニ監督である。

ただ正直なところ、70年以上前の映画でカラーとはいえ画質は悪いし、元々この音楽に親しんでいない人が映画的興味だけで鑑賞すると、大して感心しないのではないか。もっともこの映画、指揮者もオーケストラも声楽関係もクレジットにない。

『火刑台上のジャンヌ・ダルク』の原題は、Jeanne d'Arc au bûcherで、bûcherは薪小屋、火刑台という意味があるので『火刑台上のジャンヌ・ダルク』は直訳である。もっともこの映画の題名については仏伊合作で、イタリア語では、Giovanna d'Arco al rogoとそのまま訳されているが、フランス語ではJeanne au bûcherと、ダルク d'Arcがない。

ストリンドベリ『父』 Fadren 1887

3幕の戯曲。家庭内が舞台で夫婦間の不和が描かれる。大尉と呼ばれる夫は、妻との間に一人娘がいる。夫婦間は険悪な仲である。言い争いの中で娘の父親が自分かどうか分からないと言い、それが題名になっている。

他の登場人物、乳母や妻の兄である牧師からも正気でないと思われている。最後は拘束衣を着せられ、発作を起こし倒れる。確かに夫である大尉は被害妄想に見えるが、作者ストリンドベリ自身の気持ちの現れなのであろう。

2026年3月19日木曜日

左ききの狙撃者 東京湾 昭和37年

野村芳太郎監督、松竹、82分、白黒映画、字幕では主演ではないが、実際には西村晃、玉川伊佐夫が話の中心。東京高島屋の近くの裏通りで、車に乗った潜入捜査をしていた麻薬取締官が射殺された。ビルの屋上から撃ったにしても左利きでないと周囲から見られるはずである。

麻薬取引を調べていき、佐藤慶演じる売人を逮捕するが、黙秘続けるので一度釈放する。この捜査の担当刑事が西村と若手であった。若手と西村の妹は恋愛関係にある。西村は追っていくうち、戦友に遭遇する。戦場では左利きの射撃手で、西村は救われた事がある。佐藤は殺され、追及していくとやはり戦友に疑いがかかる。戦友は頭の弱い女と結婚する予定だった。逮捕すべきかの判断で、西村は上司にもう一日待ってほしいと言い、西に列車で逃げる戦友を追う。列車内で西村は相手が犯人の証拠を掴んだので、手錠をかける。二人は格闘になる。戦友が列車の外に落ちる。手錠がかかっている西村は懸命に引き上げようとする。しかし列車が鉄橋にさしかかり、二人とも落ち、二人の死体が橋にぶら下がった状態で終わる。

2026年3月13日金曜日

事件記者『見えない狙撃者』 昭和34年

山崎徳次郎監督、日活、51分、白黒映画。アベックの強盗がアパートの一室に侵入し、物を捜している。たまたま引き出しの中に拳銃があって男はそれを盗む。この空き巣狙いで女の方だけが捕まった。警視庁の記者クラブに男から電話がかかってくる。女を釈放しろ、さもないと警官を銃撃するという脅しであった。捜査一課に伝えると、そこにも電話があったらしい。いたずらだろうと思っていたら、派出所が銃撃され警官が負傷した。

その薬莢の指紋からアベック強盗の片割れの男を特定した。その後、外人が銃殺される事件が起きた。同じ銃弾である。そこからアベック強盗の片割れがこの殺しもしたかとなる。新聞で読んだアベックの片割れは驚き、記者クラブに電話をかけてくる。自分は殺しなどしていない、盗んだ拳銃で脅しただけだと。受けた記者は電話をかけてきた男と会おうと言いだす。相手は銃を持っているという危惧があったが、警察も護衛に行くという。約束の場で相手に会ったが、その時悪漢どもが数人やってきて、銃を構えている。これは拳銃を盗まれた方が、盗んだ男を消そうとしたのだった。その時、警察が現れ悪人どもを逮捕する。片割れは事情がよく分からなかったが、記者があいつらが殺人の犯人だと教える。

2026年3月12日木曜日

篠原孝『花の都パリ「外交赤書」』講談社+α文庫 2007

昭和23年生まれの農林水産省の役人がパリのOECD本部に勤めた時の体験記。役人が国際機関でどう働いているのか、その一例である。国連は政治の調整が主な仕事であるから、外務省の職員だけでも足りるところが大きいが、OECDは経済の各分野の先進国間の調整が仕事であるから、当該分野の専門家でなければ対応できない。だから各省庁から職員が出向して仕事にあたる。

OECD勤務はエリートコースであり、省庁でとりわけ優秀と見なされた者が選ばれる。まず国際機関で働くための第一条件は語学、普通は英語に堪能でなければならない。各国と話し合ってするのが仕事だからだ。しかし本書にもあるように日本人で英語が出来ない者は多い。だからOECDに出張で来る者も英語が分からず苦労する場合が結構ある。また大使館などはまさにそうであるが、日本の在外公館の大きな業務は日本から来た政治家などの偉いさん、役所から出張者、また私用で来る者の接待である。これは実際の大使館などでは仕事の大半を占める業務で、それにまつわる話もある。

2026年3月11日水曜日

ジロドゥ『トロイ戦争は起こらない』 La guerre de Troie n'aura pas lieu 1935

戯曲である。ホメーロス『イリアス』を下敷きにしている。トロイのパリスがギリシャからヘレンを攫ってきて、ギリシャ軍が取り返しに来る。その直前が舞台である。ヘクトールはパリスにヘレンをギリシャに返せと言う。そうすればギリシャとの戦争は避けられる。しかしパリスは渋る。

後にオデュッセウスが交渉にやってきて、ヘクトールと話し合いをする。話し合いの結果、ヘレンを返すことでオデュッセウスは納得し、帰っていく。ホメーロスの原作に出てくる人物以外の登場人物もあり、ヘクトールが戦争回避をしようとする役目である。

2026年3月10日火曜日

青木恵子『基本は誰も教えてくれない日本人のための世界のビジネスルール』ディスカヴァー・トウェンティワン 2015

著者は世界でレストランを経営するCEOである。世界、特にアメリカで仕事をするための心得集である。ここで述べられている項目の多くは、たいていの者が聞いているか知っているだろう。知らない項目が多い人は、よほどの若年者で本を読まない人である。

もちろん新たな情報も得られた。例えば「商売相手として、世界中の人たちから信頼されているのは、アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、日本人です。」(本書p.124)といったところなどである。またちょっといただけないのは日本人について一般論をしているところで、「日本では、「週末は父親が仕事か接待ゴルフ、母親は子どもと一緒にお出かけ」というパターンが多いようですが」(本書p.207)とある。そういう話をよく聞くが、そんな日本人はごくごく少数である。話を盛っているのではないかと思わせる。

吉本隆明『今に生きる親鸞』講談社α+新書 2001

思想家の吉本隆明が親鸞の思想について語る口調でやさしく解説した本。目次は次のようになっている。「序章」親鸞との出会い「第1章」親鸞の生涯「第2章」親鸞の思想「第3章」親鸞の言葉「第4章」今に生きる親鸞、となっている。啓蒙書であり、親鸞入門として優れていると思われる。

2026年3月9日月曜日

ミルドレッド・ピアース Mildred Pierce 1945

マイケル・カーティス監督、米、111分、ジョーン・クロフォード主演。クロフォード演じる主人公ミルドレッド・ピアースがいかに生き、どういう報いを得たかの映画。映画は初めは男が銃で撃たれて倒れるところから始まる。クロフォードは友人の不動産屋を自分の家に連れてくる。不動産屋はいつの間にかクロフォードがいなくなって、外に出られず、男の死体があると気づく。なんとか外に出、パトカーが来たので家に死体があると告げる。警察の場面になり、最初の夫は自分が犯人だと言う。クロフォードはこれまでの人生を語る。過去の回想が映画の主要部分である。

最初の夫は失業したので、二人いる娘を不自由なく育てるため、クロフォードは女給になる。そのうち経営に乗り出す。以前からクロフォードに好意を持つ不動産屋が手伝う。店を出す手頃な物件があった。その持主はプレイボーイだった。店の事業は成功し発展する。クロフォードはプレイボーイと恋仲になる。しかし遊んでいるうち次女が病気になり死ぬ。初めの夫とは離婚する。長女は贅沢させるが、長女は母親とその事業を嫌っており、仲を深めた相手から妊娠したと偽り大金をせしめるようになっていた。母親と衝突し家を飛び出す。後に娘を連れ戻すため、あのプレイボーイと結婚し、上流のような生活を始める。娘をプレイボーイだった夫が連れ戻してくる。

ところが娘は母親の夫であるプレイボーイと結婚するつもりでいた。これをプレイボーイと母親の前で言う。しかしプレイボーイはそんな気はないと言いだす。娘は拳銃を取り出しプレイボーイを撃って殺す。これが映画の最初の場面になる。クロフォードは娘を助けるため自分がしたと言うのだが、警察は逃げようとしてた娘を連行してくる。娘は服役し、クロフォードは最初の夫と警察を出る。

2026年3月7日土曜日

要心無用 Safety last! 1923

F・C・ニューメイヤー、S・テイラー監督、米、73分、無声映画、ハロルド・ロイド主演。ロイドは恋人と別れ、田舎から都会に出て百貨店に勤める。恋人には偉くなったような手紙を書くが、実際は平の売り場担当である。その恋人が都会にやって来てロイドの百貨店に来る。いかに自分が偉いか見せるため、あの手この手の工夫をする。ロイドは馘を言い渡される。

社長と部下が話し、百貨店を有名にする宣伝を出来た者には大金を支払うという話を耳に挟み、さっそくそれを実行すると申し出る。百貨店の壁を屋上まで登るというのである。予め予告していたため、多くの人々が見に集まる。ロイドは高い所に登るのが得意な友人に、2階以上は代わってもらうという約束をした。ところがその友人が警官に追われ、なかなかロイドと交替できない。とうとうロイドは屋上までのビルの壁を登らざるを得なくなる。途中で時計にぶら下がる場面は有名である。屋上にたどり着き、恋人と法要接吻する。

2026年3月6日金曜日

詩人の血 Le sang d’un le poete 1932

ジャン・コクトー監督、仏、50分。前衛映画の代表作。フランス革命当時の貴族のような鬘をしている男がカンバスに顔の線画を描いている。その絵の口が動く、その部分を消す。すると今度は画家の手の平に口が現れる。女の古い胸像があってその口に手を当てると、像は生き始め、男に壁にかかっている大きな鏡に飛び込めと言う。水が張ってある鏡の枠の中に飛び込む。ホテルの廊下で鍵穴から部屋の中を除く。メキシコ人が銃で倒れ、フィルムを逆回しで元の位置に戻る。少女が部屋の上の方、天井に這っていく。銃で自分の頭を撃つ男が出てくる。最後の方では胸像から生れ出た女とテーブルに座る若い男が銃でこめかみを撃ち死ぬ。

アンダルシアの犬 Un chien Andalou 1928

ルイス・ブニュエル監督、脚本にダリ参加、フランス、21(15)分、無声映画。冒頭の女の目を剃刀で切る場面から、非現実的映像が続く、非現実主義映画の代表作。

手の平に出入りする蟻、女と男の絡み、自転車に乗る道化風の衣装を来た男の転倒、人間の片腕を杖でつつく、若い女が車道で轢かれる、男同士の部屋での争い、一人が引きずる多くの物、その中には驢馬の死体が乗ったピアノなど。海辺の男女、砂の中に埋まる等々、現実離れした画面の連続の映画である。なおインターネットには上映時間21分とあるがIVCのDVDでは15分のみだった。

2026年3月5日木曜日

事件記者『仮面の脅迫』 昭和34年

山崎徳次郎監督、日活、57分、白黒映画。警視庁の記者クラブに強盗という知らせがあって駆けつけると、家庭内の狂言強盗だった。腐って帰る途中、痴漢が調べられている事件に出くわす。映画館で女の手を握ったというのは病院勤めの薬剤師だった。この事件を派手に書いて記事にする。ところがその後これが人違いの冤罪だったと分かる。

病院の事務長は記者クラブに怒鳴り込んでくる。謝罪記事を三段抜きで書けというのである。冤罪の薬剤師は顔向けできず家族も非難されているとか。新聞社は考慮すると返事する。この事務長は冤罪の被害者になった薬剤師に会って、自分に任せとけと言う。薬剤師自身は気弱で強く主張する気もない。記者が薬剤師に会って謝罪しようとするのだが、行方不明になっている。薬剤師の恋人である看護婦に会う。彼女も薬剤師を捜している。

その薬剤師の死体が見つかる。直前に記者クラブに自殺するという電話をかけてきた。しかし調べると自殺でなく、他殺と分かる。あの事務長は看護婦に横恋慕しており、薬剤師を消すため、痴漢被害に会ったと騒ぐ女を使い、薬剤師を陥れていた。更に看護婦も自分になびかないので、殺すつもりでホテルに呼び出す。共謀した女も毒殺しようとしていて、それに気づいた女は拳銃を取り出し、事務長に何発もぶっ放したのは、警察がやってきた時だった。

2026年3月4日水曜日

アイヴィー Ivy 1947

サム・ウッド監督、米、98分、白黒映画、ジョーン・フォンティーン主演。フォンティーン扮するアイヴィーは既婚であるが浪費家で、他に好きになっている男がいる。二人いて一人は船乗りで、もう一人は医者である。医者はアイヴィーが好きでたまらず家にまで電話をかけてくる。密かに医者宅で二人は会う。

夫がいなくなればという話になり、アイヴィーは医者宅にある毒物を持ち出す。それを夫の飲料に入れる。調子が悪くなったが大事に至らなかった。後に気分が悪くなり医者(愛人でない別の)を呼ぶ。医者は夫は大丈夫だと保証する。後にアイヴィー宅に愛人の医者がやってくる。夫とも知り合いである。話した後、医者は帰る。その後、夫は亡くなる。警察は事件の疑いありと検死する。毒死と分かり、直前に会った愛人の医者に疑いがかかる。裁判になる。アイヴィーが証言し、医者に不利な発言をする。医者はそれを聞いて、自分は有罪だと宣する。

医者の私刑は明日に迫る。警察は元よりアイヴィーが怪しいと見ていて証拠品を捜していた。見つかって医者の死刑は延期になる。アイヴィーは証拠品を取りに自宅に戻るが、ない。エレベーター用の吹き抜けから誤って墜落する。

2026年3月2日月曜日

丸山眞男書簡集2 1974-1979 みすず書房 2004

丸山眞男に対する批判として時々数学者志村五郎の名が挙がる。その志村の批判の元になったのではないかと思われる、丸山の小尾俊人(みすず書房創業者)あての書簡が入っている。そこで丸山はプリンストン滞在中に世話になった志村に触れ、

「・・・非常に趣味と関心が広い反面、自信過剰で、政治=社会問題について平気でピントの狂ったことをいい、「第一級の専門家でも、一たび専門以外のことを発信する場合は一言も信用してはいけない」というレーニンの言葉を思い出しました。」(本書p.63)

と書いているのである。丸山の死後、2004年にこの書簡集が出て、それを読んだ志村は怒り、その著『鳥のように』(筑摩書房、2010)所収の「丸山眞男という人」という文で、仕返しをしている。(『鳥のように』のレビューで少し詳しく書いた)

さてこの書簡集全体を読んで気づいたところは、まず丸山が贈呈された本について御礼の手紙をいちいち書いている点である。もちろん書かなかった場合もあるだろうが、それは分からない。実は思い起こすと著書を贈呈された経験は自分にもあるが、御礼の手紙など書こうという気なぞ起きなかった。この丸山の律儀な態度(というより自分が非常識か)に感心したのである。またかねてより友人関係にある婦人方との書簡である。こういう交友もあった、と分かっても何も丸山理解に資するものでないが、自分としては面白く感じた。


2026年2月28日土曜日

ジョージ・オーウェル『リア王・トルストイ・道化』 1947

トルストイはシェイクスピアの劇に退屈と反発を感じ、『リア王』を例にとって、いかにシェイクスピアがつまらない劇を書き、過大評価されているかを論じた。それに対するオーウェルの反論である。オーウェルはトルストイの指摘が間違っているとも示しているが、そもそも論としてトルストイが言うようにシェイクスピアの劇は本当はつまらないのに、高い評価を受けているのは偉い人がほめるからただそれに従っているのだ、という考えに反論している。優れているかどうかは、多くの人に長い間、読まれ続けるかによって決まると言う。

更に面白いのは、オーウェルに言わせるとリア王とトルストイはよく似ている。外見もそうだが、自分の思うままに振舞って、それは確かに一見立派に見えるものの(王位を譲る、自分の著作権や財産を放棄する)、その行為によって周りがちっとも自分の思うように反応しないので、怒り狂う態度である。そういったリア王、トルストイの比較論をしている。(オーウェル評論集2、平凡社、2009)

ストリンドベリ『稲妻』 Ovader 1907

戯曲。あるアパートが舞台、そこで主人と呼ばれる男はかつて結婚していたが、妻は娘を連れて、情人と出奔した。今は親戚の若い娘を使って世話してもらっている。住んでいる部屋の上の階に誰かが入ってきたらしい。知り合いの菓子屋と話し合うが誰かは分からない。

後にこの部屋にはかつての妻とその情人、更に今は成長した娘がいると分かる。かつての妻は主人の兄弟と最初に会い、話し合いをする。主人に会えと兄弟は言うが、妻の方は消極的である。後に会う。主人は今では妻に執着はない。娘にその前に会ったがのだが、おじさんと言われ、自分が父親であるとは娘は知らないと分かる。

今いる情人である男とも妻はうまくいっていない。後に男は菓子屋の娘と駆け落ちしようとし、失敗する。妻と娘はその男と別れて自分の田舎の方に行ったらしい。そう聞いて主人は親戚の娘と話し合い、今までの生活を続ける。(山室静訳、筑摩世界文学大系84、昭和49年)

2026年2月27日金曜日

バーナード・ショー『ウォレン夫人の職業』 Mrs. Warren’s profession 1894

ショーの戯曲。若い女ヴィヴィーはケンブリッジ大学で優等をとって帰ってくる。ヴィヴィーには母親がいる。この家に多くの者がやってくる。母の知り合いの中年男だけでなく、昔からヴィヴィーを知っている若い男フランクは彼女に気がある。しかし女の方はその気はないようである。中年男の一人はヴィヴィーに求婚するがあっさり振られる。

ヴィヴィーの母親がウォレン夫人である。この母子家庭でヴィヴィーは、これまで母親にいい印象を持っていなかった。しかしさしで向かい合い、母親がどれだけ孤軍奮闘して人生を渡ってきたかを聞き、母親を見直し好きになる。別の日になってヴィヴィーから振られた中年男は、フランクとヴィヴィーが仲良さそうなのを見て、異父兄妹だから結婚はできないと聞かされる。それだけでなく、ヴィヴィーは母親の職業を知る。

娼婦宿を欧州のあちこちに経営していて、そこで働く女は薄給でこき使い、自分は儲けていたのがウォーレン夫人であると。ヴィヴィーは母親に知った事実でなじるが、母親は それが現実だ、大学のような奇麗事の空理空論では世の中はやっていけないと反論する。母親と仲たがいしたヴィヴィーは、自分で給料生活に入り、それで生活していこうとする。

のら猫日記 Manny & Lo 1996

リサ・クルーガー監督、米、88分。少女時代のスカーレット・ヨハンセンが主役で出ている。ヨハンセンの名はアマンダ、姉の役名がローレル、その愛称がマニーとローで題名になっている。姉妹は親がいなく、里子に出されていたヨハンセンを姉が引き取り(奪い)に来て、二人は姉の運転するバンで旅に出る。コンビニエンス・ストアでは万引きをし、ガソリンは姉が性行為で手に入れていた。

しかし姉が妊娠する。赤ん坊用の店で働いている、妊娠関係に詳しそうな女を誘拐する。前に無人の家を見つけており、そこを棲み処にして、誘拐した女を閉じ込めておく。ヨハンセンは誘拐した女と次第に親しくなる。家の持主が帰ってくる。居間でくつろいでいる最中、誘拐した女が後ろから殴り、縛って閉じ込めておく。これを姉には言わなかったので、男が逃げ出すと、この家にいられなくなり、姉妹と誘拐した女はバンに乗って去る。

姉は途中の橋の上で、誘拐した女を降ろす。コンビニで危うく警官に見つけられそうになったのは免れたが、姉が陣痛を感じるようになる。ヨハンセンはあの誘拐した女を見つけに戻る。女は姉に指図し、安全に出産ができるようにする。男の子が生まれる。4人になって(ヨハンセン、姉、誘拐した女、赤ん坊)バンで走り去る。

リアル鬼ごっこ 平成27年

園子温監督、松竹、85分、トリンドル玲奈主演、他に篠田麻里子、真野恵里菜。女子校の生徒たちがバスで遠足か何かに行く。トリンドルはメモしていてペンが落ちた際、かがむ。その時、殺人突風が起こり、バスの上半分、乗客の上半身を切ってしまう。

トリンドルは逃げる。途中出会った女子らも同様に風で身体を半分に切られる。川で血まみれの服を洗って着替える。道を歩いていると女生徒が声をかけてくる。知らない名で自分を呼ぶ。自分はその学校のクラスメイトらしい。仲間と学校をさぼって池のほとりに遊びに行く。戻ってきてから、教師は教室の生徒に向かい、機関銃で虐殺を図る。教室から学校の校舎から逃げる。後ろから教師らが砲弾を撃ってくる。一緒に逃げた女子らも風で身体を真っ二つにされる。

街中の交番に入る。そこで顔を見ると篠田麻里子に変わっている。篠田は結婚式が予定されているようで、ウェディングドレスに着替える。式場で会った新郎は豚の頭の持主だった。その豚野郎をガラス壜のかけらで殺し、列席の者たちを殺していく。そこから逃げた篠田はいつのまにか、真野に変わっている。真野はマラソンの最中である。後ろから殺人者たちが追ってくる。洞窟の中に逃げる。そこには死んだ者たちの像(人形)があった。真野はトリンドルに戻っている。現れた者から、寝台で寝ている若い男と一緒に寝ろと言われる。その男をトリンドルは殺す。その後、幻想的に謎解きのような場面になる。

2026年2月26日木曜日

高山守『ヘーゲルを読む』左右社 2016

放送大学の教科書を元にした解説書である。著者は東大教授を勤めた哲学研究者。難解をもって知られるヘーゲルであるが、この本ではヘーゲル哲学の本質は、自由の哲学であると言う。

自由気儘に生きて、欲望を充たす生活が理想的な生き方なのか。自由に生きる生活こそ望ましいのではないか。自由に生きるとはどんな生き方か。理性のもとに生きる、それが自由な生き方であると言う。それを探るのがヘーゲルの哲学なのである。著者は特に『精神現象学』を中心に、それ以外の法の哲学や歴史哲学も説明している。

2026年2月25日水曜日

キング・コング King Kong 2005

ピーター・ジャクソン監督、米、195分。1933年の初代の映画を再映画化した。時代も当時である。筋が詳しくなり、特撮に関しては当然ながら各段の高度な仕上がりとなっている。島に着いてから女がコングに攫われたので助けに行く場面や、コングと女の場面で非常に多くの怪獣の類が現れ、現代の技術で生々しい映像になっている。どうしても助かる筈のないようなところで、何度も助かるのは映画ならではである。

やはり現代の映画なので、最初の映画とは違い、コングを連れてきて見世物にするのは良くないと主張するのが主人公らである。2度目の映画が1976年に作られており、これは時代を撮影当時にしたほか、島に行くのは石油目当てとなっている点、また最後に登るのがエンパイア・ステートビルでなく、世界貿易センタービルといったところが他の映画と違う。

2026年2月22日日曜日

ブロードウェイ Babes on Broadway 1941

バスビー・バークレー監督、米、118分、白黒映画。ミッキー・ルーニー主演のミュージカル映画。邦題だけ見るとブロードウェイが舞台の映画に見えるが、ルーニー扮する少年が何とかしてスターに上り詰めようとする映画である。ルーニー含む三人組は食堂で歌と踊りを見せる仕事をしていた。そこにたまたま来ていた婦人に芸能事務所に来いと言われ、そこに行くとその婦人は仕事をしていた。大物製作者の前で内輪のオーディションをするから来たらと誘われる。三人は有頂天になってみんなにオーディションを言いふらす。

その時に会ったのが失意のジュディ・ガーランドで、ルーニーは励まし仲良くなる。オーディション会場に行くと山のような人だかりで三人は、はなから無視、落とされる。ガーランドは友人と共にセツルメントで働いており、そこの子供たちを田舎に連れて行きたいと思っているがうまくいかない。ルーニーは自分の売り出ししか考えていない男だが、子供たちを利用できるとなれば田舎行きにも協力する。これはイギリスからやってきた子供たちも同様に利用しようとするところにも現れている。イギリスの子供たちが祖国の親との国際電話による会話などの場面は、当時ドイツと戦っていたイギリスへの応援の意味がある。その後紆余曲折があって最後には舞台で成功するのはお決まりの筋。

イプセン『小さいエヨルフ』 Lille Eyolf 1894

イプセンの戯曲。三十代の夫婦の間には幼いエヨルフという子がいる。以前テーブルから落ちて脚が不自由である。夫の妹がいる。更にその妹に恋する技師がいる。エヨルフは夫婦二人にとって重荷である。そのエヨルフが湖に落ちて死ぬ。

その後の夫婦の精神的葛藤が描かれる。別れるのか、あるいは妻の方は夫がなくては生きていけないと言い、妹と夫の間にも嫉妬している。最後はやり直そうとなるが、それまでの夫婦間の心の様子が見物の戯曲である。

2026年2月19日木曜日

群狼の街 Try and get me 1950

サイ・エンドフィールド監督、米、92分、白黒映画。主人公には妻と幼い子供がいる。カリフォルニアに仕事を捜しに来たが、見つからず失業のままである。ある時声をかけられた男から持ち出されたのは犯罪の協力であった。初めは躊躇するが他に仕事もなく引き受け、運転手の役をする。

幾つかの強盗の後、若い男を誘拐して身代金をせしめようという話になる。ところが主謀者である同僚はその男を殺して池に沈めてしまう。これで主人公はすっかり落ち込みノイローゼになる。そのせいである時、自分のした犯罪を告白してしまう。聞いた者はさっそく警察に通報、逮捕される。男は自分のしたことは死刑に値すると感じている。新聞が悪事を書き立てたので、怒った多くの群衆が拘置所に押しかけ、私刑をする気になる。このような事態を招いた新聞記者は痛く後悔する。

江馬一弘『電子を知れば科学が分かる」ブルーバックス 2025

 原子の構成要素であり、素粒子である電子の観点から見た科学の解明。電子がどのような働きをしているか、分かりやすく説明している。内容の幾つかは他の本で読んだ話題であるが、それを電子の働きとして説明しており、興味深く読めた。もちろん初めて知った内容も多い。また当然ながら理解が十分できていないところがある。個人的には半導体でPNPとかNPNとかいう型があるのは従来から知っていたが、その仕組みについての説明は理解が進んだと感じた。

2026年2月18日水曜日

サブスタンス The substance 2024

コラリー・ファルジャ監督、仏英米、142分。デミ・ムーア主演。ムーアはかつては人気女優で,50歳になった今までテレビのエアロビクスダンス番組をやってきた。しかしたまたま耳にした、製作者のもう歳だから止めさせようという意見に衝撃を受ける。

配達された手紙によれば若返りが出来る薬があると言う。初めは無視していたが、それを見直し申し込む。ある建物の中の部屋に行くと自分の番号の引き出しがあり、そこに紙箱があった。帰宅し、出して注射する。すると強烈な経験をし、ムーアの背中が割れて、そこから若い女が出てくる。これが若返ったムーアであり、交替してその身体を経験する。若い女はスーと名乗り、たちまち人気が出て、新しいエアロビクス番組はヒットする。ムーアは自分の身体に戻った時、スーの活躍ぶりを見る。

評価されたスーは特番の司会者に抜擢される。忙しくなったスーは指示通りの身体を交替するための諸手続きを怠る。ムーアの身体は老化が進む。スーのずさんな管理のせいで、すっかり老婆になる。このスーを終わらせようとムーアは決めるが、最後に止める。しかし起き上がったスーは、ムーアが自分を殺そうとしていたと知り、ムーアに暴力を奮い最後には息を止める。その後テレビ局に行ったスーは、自分の身体に異変が起きていると知る。帰宅するがスーは怪物になる。それを隠してテレビ局に行き特番で現れる。その怪物ぶりを見せ、血を吹き出して場内の観客に浴びせかけるので大混乱に陥る。最後に怪物から分離したムーアの残骸は、ハリウッドの舗道にある自分の星印のところに行き果てる。その血の跡は後で清掃車が綺麗にする。

2026年2月15日日曜日

不思議の国のアリス Alice in wonderland 1933

ノーマン・Z・マクロード監督、米、77分。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』の映画化のうちの一つ。アリスは部屋の鏡の前に立ち、その中に入る。鏡の中の部屋は、凡てが反対になっている。このあたり『鏡の国のアリス』かと思ってしまうが、その家を出て庭に来ると服を着て急いでいる兎に出会う。不思議の国のアリスの世界になる。

兎を追って穴に入る。落ちた後、下の部屋で大きくなったり縮んだりするところ、その特撮が戦前なので変わっている。原作を元にした映画が続くが本映画では、ケイリー・グラントとゲーリー・クーパーが出ている。メイクアップのせいでそのつもりで見ないと分からない。この二人の有名俳優が出ているところが本映画の特徴か。

2026年2月14日土曜日

未亡人の殺人計画 A blueprint for murder 1953

アンドリュー・L・ストーン監督、米、76分、白黒映画。ジョゼフ・コットンの姪が正体不明の病気で亡くなる。数年前の兄の死と似ていた。その兄の妻である義姉は、義理の子供である二人の子供の面倒を見ていた。今一人が亡くなり、幼い弟だけとなった。姪の死についてコットンの友人夫妻は毒死ではないかと疑義を述べる。

死体を調べるとストリキニーネの反応があった。もしかしたら、亡兄の死も同じではなかったのか。それなら義姉が容疑者となる。残された子供が共に死ねば財産が一人占めできる。この疑いにコットンは悩む。義姉は残された一人息子をヨーロッパに旅に連れていくという。旅先で殺そうとするのではないか。自分を慕う甥を心配したコットンは同じ船に乗り、二人と旅を共にする。

義姉の鞄の中の薬を見たら毒薬と思われる錠剤が2,3入っていた。それを取り出す。義姉と一緒になった時にこっそり、相手の酒にその錠剤を入れる。義姉が飲んだ後、殺したのはあなたではないかと、コットンは自分の予想を言う。今、錠剤を入れたから助かるためには早く白状して治療を受けろと言うが、相手はなんともない。証拠のため居合わせてもらった刑事も拍子抜けして、コットンともども部屋を出る。自分の疑いは誤っていたのかとコットンは悩む。しかしすぐ連絡があり、義姉は医師に連絡し、すんでのところで助かったと。やはり犯人は義姉であった。義姉は裁判にかけられ、コットンは甥を引き取る。

ルチオ・フルチの新デモンズ Demonia 1990

ルチオ・フルチ監督、伊、88分。中世、修道女が多くの者に捕えられ、磔になり殺される場面から始まる。現在のカナダに飛び、交霊会で一人の女が気を失い倒れる。修道女の磔の幻想を見ていた。その女も一員である考古学者たちは、シチリアの遺跡発掘に行く。そこにある修道院の廃墟では壁の奥に部屋があり、磔の跡と知る。土地の者たちは発掘を忌み嫌う。

別の考古学者に確かめると嫌がらせをされたと言う。その考古学者は何者かに殺される。また発掘隊の二人の男は修道院跡で、落ちて串刺しになって死ぬ。また別の一人は股裂きに会い、身体が二つに引き裂かれる。女の隊員は土地の女から誘われ、過去に起きた修道院での修道女らの惨劇を教えてもらう。修道院跡で発掘隊員らがいる時、町の者が大勢おしかけ、奥の部屋の十字架に死んだ修道女を見る。火をつける。燃える。その下には女隊員が倒れて横たわっていた。

2026年2月12日木曜日

中野重治『五勺の酒』 昭和22年

中野のこの短篇は戦後の状況のもと、語り手の中学校校長が知り合いの共産党員に宛てて書いた書簡の形式になっている。共産党の行動を促すというか、共産党に質問するといった内容である。例えば、昭和天皇が戦後、一般国民に身近に接した際の挿話を取り上げて、共産党員に対応を聞くなどがある。

また自分の身内の兵隊が死んで、妻は未亡人となった。それは悲劇であるが、もっと悲惨な例があった。ともに容姿が優れていた夫婦のうち、夫は帰省できた。しかし傷によって二目と見られぬ容貌になっていた。今後の夫婦生活の苦労を思いやると、死んでしまった方がよかったかもしれないという。

『大江健三郎 柄谷行人 全対話』講談社 2018

「中野重治のエチカ」(1994)、「戦後の文学の認識と方法」(1996)、「世界と日本と日本人」(1995)の3対話を含む。

日本の戦後文学について、これまで外国に評価されてきたのは、日本の美を感じさせる、外国人が期待するところの日本的な、外国にはない、美を感じさせる文学であった。特に三島由紀夫については明瞭である。確かにここでは名が挙がっていないが、良く外国に翻訳されててきたのは、川端にしろ谷崎にしろ、極めて日本ならではの美を感じさせる文学であった。それを大江の小説は、日本文学で初めて日本と意識しない普遍的な文学であると、外国人に言われたという。日本という国の文学でありながら、普遍的な文学をたてる必要があるという主張である。

2026年2月7日土曜日

木村幹『国立大学教授のお仕事』ちくま新書 2025

著者は神戸大学国際協力研究科の教授である。神戸大に30年以上勤めており、自分の職業である大学教授がどんな毎日を送っているか、仕事をしているかを書いた本である。

昔と比べ予算は減り、それで教員数も設備もままならないが、学生数は変わらない。また時代の変化に伴って多くの業務が増えている。それでお金がないからどうやって資金を集めるかの苦労が多い。また過去に独立行政法人となって国立大学がどう変わったかの記述がある。学長の権限が強くなったそうだ。神戸大学は国内の大学の中でも上位にある大学であろう。その実情の一例であり、他の大部分の大学ではもっとひどいのであろう。

2026年2月6日金曜日

ノックは無用 Don’t bother to knock 1952

ロイ・ウォード・ベイカー監督、米、76分、白黒映画、マリリン・モンロー、リチャード・ウィドマーク出演。ニューヨークのホテルに来たモンローは、エレベーター係としてそこに勤める叔父の紹介で、ホテルの客室夫婦の子供のベビーシッターを引き受ける。同じホテルのバーにウィドマークは恋人といたが、恋人は別れたいと言いだす。

ウィドマークは部屋に帰り、反対側の窓の部屋にいるモンローを見つけ、部屋に行っていいかと電話で了解を得る。ウィドマークに会ったマリリンは調子がおかしくなり、以前死んだいいなずけとウィドマークを混同し始める。子供は起きだし、母親の服を着ているモンローを非難する。ウィドマークも真相に気づき、戻ってきた叔父といざこざを起こしているうちに、騒がしいので通報で警備員が来る。もともと精神病院に入っていたモンローは一階に行き、刃物をとって自分を傷つけようとする。従業員が見守る中、ウィドマークが来て、モンローを説得し刃物を取り上げる。救急車が来てモンローは連れ去られる。

2026年2月1日日曜日

ちくま評論選 三訂版 2024

副題に「現代高校生のための思想エッセンス」とあるように、日本の著者たちの論考を多く集めてある。現代の、人間の、考え方の諸問題、あるいは問題として意識にのぼってこないような点について、再考を促す指摘がなされる。確かに勉強になる、新しい視点を与えてくれる論文がある。びっくりさせる文章がある。

ただその一方で、一般的に言えばその通りだろうが、現代の科学、技術の進歩がもたらす問題点を説く文章を読んでいると、正直、陳腐な感じがしてしまう。いつまでも同じ指摘が繰り返されるのはそれがまだ人々に浸透していないから、繰り返すというのだろうか。でもそのような批判は役に立っていないので、今まで変わらなかった訳である。これからできるとは思えない。これは高校生向きの論集であり、高校生ならもっと素直に感心するのだろうか。自分のようなすれっからし向きでないのだろう。

SISU/シス 不死身の男 Sisu 2023

ヤルマリ・へランダー監督、芬蘭、91分。第二次世界大戦末期のフィンランド、ドイツ軍は敗退する際に町などを焼きつくしていた。犬を連れた老人に出会う。老人は金塊を発見し、それを持っていた。ドイツ軍は老人の金を見つけ、奪い取ろうとする。この老人はフィンランド最強の特殊部隊の兵士だった。

ドイツ軍人を何人もやっつける。ドイツ軍は戦車を持ち、多くの軍人がいた。老人の乗っていた馬は地雷で爆破され、バラバラになる。老人を見つけようと兵士らが行くが次々と地雷で死んだりする。老人は川に潜り逃げようとする。追って兵士が川に潜るが殺される。川の向こうに逃げられた。後になってドイツ軍のトラックに乗り込み、兵士をやっつけ、囚人となっていた女たちを助ける。

最後に残った軍人は飛行機に乗って逃げる。老人はオートバイから離陸する飛行機に飛び乗り、飛行機の腹部にしがみつく。つるはしで穴を開け、飛行機内に入る。軍人がやってきて格闘となる。軍人を飛行機から放り出す。飛行機は落下、墜落する。後に銀行に老人がやってきて金塊をぶちまけ、高額紙幣に替えてくれと言う。

2026年1月31日土曜日

矢崎美盛『ヘーゲル 精神現象論』岩波書店 昭和11年

ヘーゲルの『精神現象学』は哲学書の中でも特に難解で知られる。そのため多くの解説書が出ている。その中でも本書と金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』は分かりやすい入門書として知られる。共に古い本であり、この矢崎美盛の書は戦前、昭和11年に出版されている。戦後になって復刻版が出た。

表記が旧式であるが、分かりやすいと定評がある。ただやはりヘーゲルの初心者を対象として、やさしく書かれているため、くどい、冗長であると思うところがある。古い書であるため、今なら自明のことも書いてあるというのが利点である。しかし今ならもう少し分かっていると思う箇所でよく分からないと書いてある。

さまよえる惑星 Missione pianeta errante 1965

アンソニー・M・ドーソン監督、伊、80分、総天然色。地球に天災地変が起こっている。原因は不明の惑星のせいか。調べるため、宇宙ステーションやロケットで計画を立てる。

惑星に近づく。あるロケットは、惑星に飲み込まれてしまった。もう一つのロケットでは空から惑星に、隊員たちが降りる。ここでも犠牲になった隊員がいた。底に降りる穴が開いている。そこから降りる。一人の隊員が犠牲になって他の者を助け、爆破させる。後に地球で、犠牲になった隊員の息子に父親は偉かったと告げる。

2026年1月30日金曜日

黄金時代 L’age d’or 1930

ルイス・ブニュエル監督、仏、60分、発声白黒映画。蠍の生態の説明から始まる。岩場で蠍を採っている男。海辺の岩場にはカトリックの高僧たちがいるが、後の場面では骸骨となって同じ服を着ている。ごろつきのような男たちが出てくる。男が女を押し倒して乱暴しようとするので、人々に止められ連行される。男は犬を蹴り、虫を踏み潰し、盲目の老人を蹴飛ばし馬車で去る。

貴族たちの館。寝台の上に牛がいる。窓からいろんな物を投げ飛ばす。大人と子供がいる。子供がいたずらをする。男は逃げていく子供を中で撃つ。パーティになる。飲料をこぼされたので婦人に平手打ちを食らわせる。人々から出ていけと言われる。恋人の若い女と庭でいちゃつく。演奏中に指揮者はおかしくなり、庭にふらふら出ていく。あの恋人たちのいるところに目が見えないまま行く。女は指揮者に抱きつき、接吻する。

暗闇の悪魔 大頭人の襲来 Invasion of the saucer man 1957

エドワード・L・カーン監督、米、68分。最初は白黒だったが後にカラー化された。見ると1960年代後半の『目玉の怪物』の元の映画である。つまり本映画の再映画化(少しは変えてある)が『目玉の怪物』なのである。

田舎に円盤が着陸する。そこから出てきた宇宙人(大頭だろうがあまり画面にはっきり登場しない)を、恋人同士の乗っている車は轢き殺してしまう。てっきり子供かと思ってみると化け物である。警察に事情を話すが全く信用されない。また円盤着陸については軍は知っていた。周りを取り囲み、交渉を始めようとするが何も円盤からは反応がない。

若い男が車で円盤着陸の近くに行き、宇宙人を見てこれで一儲けしようと企む。友人に話すが全く相手にされない。一人でまた戻る。その途中で轢かれた宇宙人を発見する。これを持っていこうとするが、他の宇宙人に殺される。恋人同士は警察で逮捕される。宇宙人に殺された男を轢いて殺したと思われたからである。警察署から脱走し、元の場所に戻るが、宇宙人の死体はない。車に乗る。その前に死んだ宇宙人の手が車の中に入っていて、二人は驚いて車から逃げ出す。二人は殺された男の友人に会い、その友人を連れて現場に戻る。写真を撮ろうとして灯りをたくと宇宙人は逃げ出す。しかし友人は宇宙人に連れ去られる。また軍は円盤の中に入るため、ガスで外部を焼き開けようとしていたら、円盤は爆破する。恋人たちは他の恋人同士に声をかけ、車の集団を繰り出す。宇宙人に連れ去られていた友人を発見する。

2026年1月29日木曜日

長岡鉄男の日本オーディオ史 音楽之友社 1993

著者の長岡鉄男はかつて非常に人気のあったオーディオ評論家である。この本の中にも書いてあるが、オーディオ評論家という人種はあまりいない。オーディオ全盛期である60年代以降、この本が書かれた90年頃まで同じ評論家たちが活躍していた。長岡鉄男の特色は自作派であり、スピーカーなどは自分で作る。また日本のオーディオを贔屓にしていた。更にこの人のキーワードは、コストパフォーマンスであった。ともかく自作などであまりお金をかけず、お得な製品を推薦するという立場であった。

オーディオは趣味の世界であり、かなりお金をかけて海外製品を求める人もいたし、評論家も高級製品を使っていた。しかし若いオーディオファンにはそんな余裕がなく、長岡のような現実路線がおおいに歓迎された。また自作派を越えて、当時のオーディオ評論家の中で人気があり、贔屓とする人も多かった。

この本は副題に1950~82年とあるように、ステレオLPレコードの登場からCDの登場期までを対象とする。その間に現れた、日本のオーディオ製品、スピーカー、アンプ、プレーヤーなどのカタログ写真を載せ、紹介している。技術的な記述が中心で、その辺の知識がないと十分に読みこなせない。

ベリッシマ Bellissima 1951

ヴィスコンティ監督、伊、115分。娘を映画のオーディションに合格させようと奮闘するステージママを描く。撮影所で幼い少女を俳優として募集している。女主人公は娘を何としても合格させようとする。

いきなり家にやってきて、娘の指導をするという自称女優が現れる。写真を専門家に撮らせないとだめだと聞き、その前に床屋に連れていく。母親がいないうちに見習いの少年が勝手に髪を切ってしまう。母親は監督等に付け届けをしないと合格しないと撮影所の関係者から聞く。その金は大金であるが、母親は渡す。その男はスクーターの購入に使ってしまう。更に後に母親を口説こうとする。女は笑って相手にしない。

娘は一次審査を通り、テスト用の撮影が行われた。そのフィルムを見たい母親は担当者に掛け合う。そのうち相手がかつて映画に出ていた女優だと知る。相手は言う。都合のいい時に呼ばれただけで女優にはなれない、それで今はこんな事務の仕事をしているのだと答える。母親と娘はテスト撮影の場所にもぐりこんで、娘の映画を見る。詩の暗唱はおぼつかなく、つかえ、歌唱では途中で歌詞が出てこず、泣いてしまう。映画を見ている関係者たちは笑う。母親は怒り、その場に怒鳴り込む。娘を連れて撮影所を出て、公園で時間を過ごす。後に監督があの娘を使いたいと言って、担当は母親と娘を捜す。家に行く。父親と交渉しているところへ母親が眠った娘を抱えて戻ってくる。母親は娘を映画に出させるようなことはしない、契約しないと言って映画人を追い返す。

2026年1月28日水曜日

悪夢の家 House of dreams 1963

ロバート・ベリー監督、米、68分、白黒映画。作家はその妻と住んでいる。悪夢を見る。その中に廃屋が出てくる。夢の中で友人が死ぬ。明くる日、連絡がありその友人は交通事故を起こし、夢と同様に死んだと分かる。また夢を見る。廃屋の階段を上ると、首吊りの輪がかけてある。後日また夢の中で、その輪で首を吊っていたのは妻だった。作家は執筆に没頭しており、妻がドライブに行こうかとか遊びに誘っても応じない。妻はノイローゼになる。ある日、作家が帰宅すると妻は縊死していた。

すっかり気落ちした作家は、ドライブに行くと夢の中で見た廃屋が実際にあった。その中に入る。自分が棺に横たわっている。目を開け起き上がる。作家は悲鳴を挙げる。家の前に乗り捨てられていた車を警官が調べている。乗り手は戻っていない。

2026年1月22日木曜日

恐怖の足跡 Carnival of souls 1962

ハーク・ハーヴェイ監督、米、78分、白黒映画。交差点で若者が乗った車は、若い女たちが乗った車に競争しようと言いだす。二台の車は速度を上げ、競争していく。端の上で女たちの乗った車は川の中に落ちる。捜索するが中々落ちた車は見つからない。そのうち、一人の女だけが川の中から現れる。その女はオルガン弾きで、ユタ州の教会で職場が見つかり、そこに行く。

途中で荒廃した遊園地跡に寄ると不気味な男に出会う。下宿を決め落ち着く。夜になるとあの不気味な男の顔が窓の外に見えるので怯える。町に買い物に行く。服売り場で試着した服を買おうとしても店員は知らん顔である。誰も女に注意を向けない。音もしなくなる。まるで誰も女が見えないかのようである。下宿の女将も女がいない筈の男が見えると言うのでいぶかる。教会では想像の中、狂ったようにオルガンを弾くので、牧師は怒る。不気味な男に怯えているので、下宿の隣人の男の誘いを初めは断ったが、食事や飲む誘いに応じる。しかし恐怖に怯える女に愛想をつかす。医者に相談に行ったが、医者はあの不気味な男に変わっていた。女は寂れた遊園地跡で、死人のような者たちの踊りを見る。死人たちは女を取り囲み襲う。その頃、車が落ちた川から引き上げられていた。社内には他の者たちと共に女の死体があった。

2026年1月21日水曜日

伊藤元重『人生で大切なこと 東大名物教授がゼミで教えている』東洋経済新報社 2014

書名だけ見ると処世訓の本かと思うかもしれないが、経済学者である著者がこれまでの学者人生で、どうやって情報を入手し処理し、また成果を出してきたか(本を執筆など)、その方法を披露した本である。

ある程度本を読んできた者には、ここにある指摘の多くは周知だと思う。ただこういう知識は知っているかどうかでなく、実践できたかどうかが重要である。実践してあまり自分には合わないと思ったらそれでいいが、何もせず知っている方法が多いと言ってもしょうがない。

2026年1月20日火曜日

魔性の夏 四谷怪談より 昭和56年

蜷川幸雄監督、松竹、96分、萩原健一、関根恵子、森下愛子、夏目雅子ら出演。浪人の伊右衛門演じる萩原は妻、岩(関根)の父親から嫌がらせを受ける。後にこの父親を斬って捨てる。同じ時、岩の妹(夏目雅子)の旦那と思って、萩原の仲間が殺した男は人違いだった。顔を潰して分からないようにする。関根、夏目が来る。父親、夫が死んでいるので二人とも嘆く。萩原らは仇を取ってやると嘯く。

萩原に恋慕している森下の父親は、娘の希望を叶えてやるため関根を殺そうとする。それで薬と偽って毒薬を関根にくれてやる。関根は顔を崩し、死ぬ。不倫したとして萩原は仲間の一人を殺し、関根の死を正当化する。萩原は森下と結婚するが、初夜、関根の幽霊が出てきて、萩原は森下とその父親を殺す。家は火事になる。

関根の妹である夏目のところへ死んだとされていた夏目の亭主が帰ってくる。夏目を騙していた男は驚く。夏目は姉の関根の薬をもらって飲んでいたと言い、顔が崩れる。夏目の亭主は誤って夏目を斬り、また騙していた男も殺す。萩原は自分が殺した者たちの幽霊に怯えていた。そこに夏目の亭主が来て、斬り合いになり二人ともたおれる。

筒井康隆『ウィークエンド・シャッフル』 昭和49年

若い夫婦の息子がいなくなる。誘拐したとの電話がかかってくる。母親である女は恐慌状態になる。三百万円の身代金を要求されるが、そんな金はない。泥棒が入ってくる。無人かと思っていたのに、女がいるので驚く。泥棒は女を暴行する。

その後、女の友人3人が訪ねてくる。友人らは泥棒を見て女の主人だと勘違いする。泥棒も亭主面をして酒などもてなす。誘拐犯からまた電話があるが、泥棒が出て適当に言って切る。友人らも泥棒が亭主でないと気付き始める。そのうち一人は泥棒と一緒に寝室に入り事に及ぶ。電話がまたあり、今度は亭主の上司の課長からだった。亭主が金を使い込んでいると、妻である女に話す。この家を建てるにもその不正な金を使ったのだ。自分の名を使っているので困ると課長は言う。

警官が来る。それを見て泥棒は逆上し、友人の一人を殺す。警官は女の亭主が交通事故に会って入院していると知らせに来たのだった。更に上司の課長が来る。その課長を泥棒は殺し、泥棒も来た警官に射殺される。誘拐された子供は誘拐犯が嫌になって釈放し、帰ってきた。事故に会った亭主も帰宅し、亭主の盗みは死んだ課長にかぶせればいい、泥棒も死んだので、何もばれない。

2026年1月18日日曜日

恐怖と戦慄の美女 Trilogy of terror 1975

ダン・カーティス監督、米、74分、3話から成るテレビ用映画。いずれも同じ女優が主演を演じる。怖い女、二重人格、怖い目に会う女の話である。最初の話では英文学の女教師を、学生がものにしようと映画に誘う。飲み物に薬を入れ眠らせ、好きなようにする。それを写真にとっておく。その写真で脅し、自分のいいなりにする。ある日、女教師の態度がでかい。学生は不審に思うが、今度は逆に教師が学生の飲み物に毒を入れていた。学生は倒れる。教師はフィルムを燃やし、それで火事を起こす。別の日に別の学生が教師の元に来る。教師は常習犯だったらしい。

二番目はある女が妹(姉)の正体は悪魔のような女だと、妹を訪ねてきた男に告げる。医師に電話し、妹に虐待されていると苦情を言う。医師が訪ねると妹が出てきて帰れという。姉は妹を殺す計画を立てる。医師がまた訪問すると妹は死んでいる。救急車を呼び、死体を運び出す前に、医師は妹の髪の毛などを剝がす。現れたのは姉の顔だった。医師は二重人格の患者だったと言う。

第3話は若い女が母親に電話する。会う予定の日だが、恋人に会うため会えないと告げ、母親は怒っているらしい。女は買ってきた土人の人形を出す。悪魔を封じ込めるため鎖が巻いてあるが、後でそれが取れる。後になって女は人形が消えていると分かる。捜すが見つからない。人形は動き出し、女を襲ってくるのである。女は悲鳴をあげ逃げ回る。人形を鞄に閉じ込めるが、それも開けられる。違う部屋に走り周り逃げようとするが、人形はどこまでも追ってくる。最後はオーブンに入れて焼き殺す。焼き終わったかと開けると、炎が女を包む。女は母親に電話し、会いたい、来てくれと話す。その後、邪悪な顔つきでナイフを床に何度も突き立てる。悪魔が乗り移ったのか。

2026年1月16日金曜日

ビキニの裸女 Manina, la fille sans voiles 1952

ウィリー・ロジェ監督、仏、86分、白黒、ブリジット・バルドー出演。地中海で沈んだ船に宝物があるというので大学生は捜しに行く。船を借りた男らと行く。そこの島の燈台に住む娘がブリジット・バルドーである。大学生とバルドーは恋仲になる。見つけた宝を同行の男が攫って行くが、後にその船は嵐にあって難破した。

2026年1月12日月曜日

炎のデスポリス Copshop 2002

人里離れた警察署が舞台。殺し屋から逃れるため詐欺師は警官に捕まり、牢屋に入れられた。後に殺し屋が同じ警察署の、別の拘置部屋に入れられる。詐欺師を倒すためわざと入ったのである。ここの警察署の警官は汚職を働き、悪人の便宜を図っていた。また別の殺し屋が警察署に来て、次々と警官を殺していく。

黒人女警官はこの殺し屋に負傷させられた。どう対応するか。牢屋に入っている詐欺師と殺し屋は自分を出せ、そうすれば殺し屋を退治すると言う。詐欺師と殺し屋を出し、この連中が悪徳警官と後から来た殺し屋を倒す。警察署中、火事になり、女警官以外の警官が殺された後、女警官は二人の悪人に向かう。殺し屋は詐欺師を倒す。殺し屋は車で逃げる。女警官は後を追う。

2026年1月10日土曜日

ミーガン M3gan 2022

ジェラルド・ジョンストン監督、米、102分。幼い娘は両親と山中を車で移動していたが、事故になり両親は死ぬ。娘は叔母に引き取られる。叔母は玩具会社で新製品を開発している担当者である。作ったのは少女状のロボットで、子供の相手になる。これがミーガンだった。

ミーガンを娘はすっかり気に入り、一緒にいなくてはならない仲になる。製作者の言うことを聞くはずだったが、後に聞かなくなり、娘を守るためいかなる手段をもとろうとする。隣家の犬が邪魔だったので処分してしまう。最後には玩具会社の社長など幹部まで殺す。暴走して止まらなくなったミーガンを止めるため、最後にそれまで知らなかった家族と称するロボットが出てきてミーガンを粉砕する。

2026年1月8日木曜日

青春を返せ 昭和38年

井田深監督、日活、90分、白黒映画、蘆川いづみ主演。兄の長門裕之が殺人犯にされてしまい、裁判では死刑を宣告される。その無実の兄を救おうと奔走する蘆川いづみの物語である。

警察の拷問で自白してしまい、アリバイの証言もいいかげんで、死刑判決となる。二審も同様に死刑で、母親は絶望して自殺する。芦川は他人に頼っていてもだめだと自分で証拠集めに全時間を費やす。勤め先も死刑囚の妹では雇えないと首になる。バーのような場所で働く。そこに来た芦田伸介は芦川に同情し、助けようとする。しかし後に芦田が元刑事だと知り、芦川は怒り嫌悪するが、心を取り直して引き続き支援してもらう。証拠が集まったので、日本一の弁護士に頼むべきという芦田の助言で、弁護士を訪ねるが、多忙を口実に全く会ってくれない。芦川は何度も足を運び、7年間証拠を集めてきたというので、弁護士も納得する。

弁護士は資料を見て、警察で自白しているから、これが強制によるものだと証明する必要があると言われる。今は退職している当時の警察官を訪ねる。会っても今の自分の生活を守るため、そんなことは出来ないと断られる。自宅に行き、また会うが相手は承知してくれない。傷心して帰ろうとするとその子供がトラックに轢かれそうになる。芦川は身を挺して子供を助ける。自分は轢かれ入院する。元警官は証言してくれ、兄は釈放が間近になり、芦川に会いに来る。しかし芦川は兄に病室で再会してその場で亡くなる。

2026年1月7日水曜日

新宿酔いどれ番地 人斬り鉄 昭和52年

小平裕監督、東映、87分、菅原文太主演。基地の町、福生は米軍との関係でやくざにとって利益の多い町であったので、新宿のやくざが進出してきて、地元のやくざと抗争になった。映画は新宿やくざの菅原が、刑務所から出所する場面から始まる。10年間入っていた。

出ると組は変わっており、若い連中が幅をきかせ、親分の成田三樹夫は菅原を良く思っていないことが見え見えだった。またかつての恋人、生田悦子の消息も不明だった。成田は菅原に福生に行って、そこにいる佐藤允を助け、地元のやくざを叩けと命令する。菅原はそこに行くが、佐藤のおとなしい様子に余計怒る。相手方と派手にやり合い、こちらも死者が出たが、相手に大打撃を与えた。この最中、かつての恋人生田が敵の幹部の情婦になっていると知るが、生田は人違いと言うのみ。幹部を追って生田の店に来て、幹部と共に生田も殺してしまう。成田は佐藤に菅原を殺せと命令する。菅原の仲間を佐藤は殺すが、菅原には殺される。菅原は新宿に戻り、成田らを殺す。

水で書かれた物語 昭和40年

吉田喜重監督、日活、120分、白黒映画、岡田茉莉子、浅丘ルリ子、山形勲出演。男が浅丘ルリ子と結婚する予定である。男の母親が岡田茉莉子で、浅丘の父親が山形である。男の父親、岡田の夫は男が子供のうちに死んでいる。山形と岡田は昔から関係があった。息子が結婚する年頃になっても岡田はまだ若く、山形との関係は続いていた。

男は結婚してから、山形に母親との関係はいつからだったと質問する。もしかしたら浅丘と異母兄妹の関係にあるのではないか。自分は妹と結婚したのか。山形は否定する。男は母親である岡田にも聞く。もちろん否定される。男は岡田に一緒に死んでくれと頼む。後に岡田と山形が車に乗っていて行方不明になる。事故を起こしていた。山形は車の中で死体で見つかった。岡田の捜索が続く。湖にボートを出して捜していると、岡田の使っていた日傘が水面に浮かんでいた。

なぜ男は異母兄妹かもしれない浅丘と結婚したのか。これが不明で話としては破綻している。

2026年1月4日日曜日

サンゲリア Zombi 2 1979

ルチオ・フルチ監督、伊米、91分。ニューヨーク湾を漂う船に乗り込むと、化け物状の男が現れ、警官一人を嚙み殺した。その船の持主の娘と取材を命令された記者は、持主を見つけるため、いるはずの島に行きたい。そのため船を持っている若い男女に頼み、同乗してその島に向かう。

島の医者は娘の親を知っていた。既に死んでいた。その島では多くの者がゾンビ化し、襲ってくる。医者と看護婦だけでなく、乗せてもらった船の持主の男女も犠牲になった。命からがら島から逃げる。アメリカに戻って信用してもらえるか、心配していたが、そのアメリカもゾンビに席捲されているとニュースで知る。

2026年1月2日金曜日

大怪獣出現 The monster that challenged the world 1957

アーノルド・レイヴェン監督、米、85分、総天然色版。米の軍が行なった湖に落下する訓練で、引き上げに行った兵士及び落下した者が謎の死を遂げる。恋人たちが殺害されるなど湖周辺で事件が相次ぐ。地震があって湖中深い所にいた怪獣が起き、怪獣といっても節足動物のような高さ2,3mの化け物がその原因だった。

見つけた卵を研究所で冷所保管するが、後に子供が温度を上げて孵る。爆弾を湖の卵の沢山あるところにしかけ爆破する。しかし研究所で孵った怪獣は女子供に襲いかかろうとしていた。あわやのところで間に合った軍人が二人を逃がし、後から来た兵士らの銃で怪獣は死ぬ。