2026年8月22日土曜日

機動捜査班 東京暴力地図 昭和37年

小杉勇監督、日活、74分、白黒映画。弱小化した暴力団にいる内田良平は、湘南で勢力を持つ組に張り込もうとする。カミナリ族の連中は店で暴れていたりしたが、湘南で地域の仕切る暴力団の幹部からひどい目に会わされる。内田はこのカミナリ族を使って相手側を潰す計画を立てる。相手の幹部二人を殺し、それを仲たがいのように見せかける。これにカミナリ族の一人を使った。その男も後に内田に殺される。

内田は相手側暴力団のボスに会い、今まで死んだ幹部の仕切っていた場所をとろうとする。ボスの娘、香月美奈子にも手を伸ばしていた。内田は自分がいた弱小暴力団の今は主であるバーのマダムと通じていたが、マダムは内田が他の女、組に出て行こうとするので、カミナリ族の連中に、仲間を殺したのは内田だとばらす。これで香月と逃げた内田を捕まえるべく、カミナリ族は内田の車を追う。警察も殺人事件の犯人が内田と知り、追いかけ、最後に捕まえる。

2026年8月21日金曜日

恋するオペラ Futures vedettes 1955

マルク・アレグレ監督、仏、93分、白黒映画、ブリジット・バルドーが出た初期の映画で、ジャン・マレーなども出ている。バルドーは親友と、ウィーンの音楽学校で、歌と踊りの勉強をしている。教師のオペラ歌手をマレーがやっており、女生徒はみんな憧れている。バルドーもその友人もマレーに恋している。

バルドーはある日、マレーと寝る仲になる。その前から友人は、音楽の才能を認められていたが、母親の死で気が塞いでいる。それをマレーが慰めてやり、余計マレーに夢中になる。しかしマレーの妻も歌手で別居していたが、妻は病気で歌えなくなり、マレーの元に戻ってくる。するとマレーは妻に愛情を誓う。バルドーと友人は自分たちは遊ばれていただけと気付き、マレーに対する熱は冷め、批判的になる。

2026年8月19日水曜日

汚れた顔 昭和34年

森永健次郎監督、日活、42分、白黒映画。主人公は元公務員で汚職に関係し、行方をくらましていたが、東京に戻ってくる。かつての上司の課長が死んだという古い新聞を読んだからだ。上司の家族宅を訪ねるが、引越しており会えない。この上司の娘とは婚約していた。元の役所で関係があった会社の社長を訪ねると、婚約者だった娘が秘書をしていて驚いた。

娘は父親の死は主人公のせいだと言わんばかりである。社長が戻ってくるが、主人公が元上司の死の事情を聞き出そうとしても、ろくに返事がない。警察はこの元上司が死んだのは事故死か殺人か調べていた。大森海岸駅のそばの文字通り海岸で死んでいた。実はこの取引先の社長が悪人で元上司を殺していた。戻ってきた主人公が邪魔になり暴力団を使って消そうとしたが、主人公に警察が張り付いていたので、暴力団は逃げる。今まで悪人社長は死んだ男の娘にいい顔をしてきたが、主人公によって事情がばれそうになり、主人公と娘も亡き者にしようと常盤橋公園で企んだが、警察が乗り込み悪漢一味は逮捕される。

2026年8月18日火曜日

秋元雄史『芸術の価値とは何か』中公新書ラクレ 2026

美術、特に現代美術の取引がどのように行われ、どう価格が形成されていくかを中心に解説した本である。書名のような美術の価値とは何かを論じたと言うより、現代社会での美術のあり方を語っている。どのように金持ちが美術に巨額の金を出し、それで価格が形成されていくかの仕組みが書いてある。

資本主義の中での美術がどう扱われていくかの実態を述べる。資本主義とは人間の外にあって人間を支配翻弄する怪物のように書かれる場合がよくあるが、資本主義とは人間の欲求、欲望を実現させる仕組みなので、人間というものの本質をあらわにする。人間とは別ものとみなしては理解できない。本書でマルクス経済学の用語を使って商品の「使用価値」と「交換価値」という言い方が出てくるが、美術品の取引で成立する「交換(市場)価値」と、書名にある「美術価値」とは乖離することがないのか。そのへんをどう理解するのか。

ベティ・サイズモア Nurse Betty 2000

ニール・ラビュート監督、米、110分、レニー・ゼルウィガー主演。ゼルウィガー演じるベティ・サイズモアは田舎の食堂で女給をしている。テレビの医療ドラマの医者に恋し無仲になっている。旦那はつまらない男で、盗んだ麻薬を悪党ども(モーガン・フリーマンとその息子)に売ろうとして、頭の皮剥ぎで殺される。それを隣室で見ていたベティは頭がおかしくなる。恋する医者に会うと言って、車でロサンゼルス目指して出かける。

実はそのベティが乗っていた車に、旦那が盗んだ麻薬が入っていた。それを知った悪党二人は追いかけようとする。ただベティの行き先が分からない。それでベティの実家などに押しかけ、知ろうとする。ロサンゼルスに着いたベティは、知り合った女友達に自分が捜している恋人の医者の名を告げる。後にそれがテレビの登場人物だと知って、おかしくなり、ベティをその俳優が来るパーティに連れて行く。ベティはその俳優、自分の恋人を見つけ、近寄って声をかけ、自分が恋人と名乗る。最初驚いた俳優はそのうち話を合わせ、ベティもその気になって恋人に会えてすっかりうれしくなる。

ベティと話がはずんだ俳優は、製作者にベティをドラマに使おうと言いだす。実際のドラマの撮影現場に来て、ベティは正気を取り戻し、自分がおかしな場所に来ていると分かり、何も言えなくなる。俳優は怒り、ベティを家に連れていく。その時にあの悪党二人がやってきて銃を突きつけ、ベティに麻薬を出せと迫る。何がなんだか分からないうちに、故郷の保安官と友人もこの家に来る。保安官は悪党の一人、息子の方と撃ち合いになり、息子を倒す。モーガン・フリーマンはベティと話し、相手が何も知らないと分かる。フリーマンは逃げる。ベティはその後、ドラマに多く出演したと説明が出る。

2026年8月16日日曜日

機動捜査班 港の略奪者 昭和37年

小杉勇監督、日活、74分、白黒映画。港で荷役を仕切っている会社の社長は刑務所に入っているので、幹部の内田良平は、社長夫人の香月美奈子といい仲になり、港全体を自分の物にする気でいる。しかし新興勢力の会社がのしてきて、潰すつもりである。相手方の人夫が不正をしているので、やっつけ、警察にも連絡する。相手方の会社は不正を働いた人夫を殴って殺す。秘密裡にそれを録音した内田はその録音で相手方を脅す。

警視庁の刑事の一人は人夫に化け、港の荷役の内情を探ろうとするが、後にばれて散々な目に会う。内田は相手方がしている密輸でも儲けようとして、交換の場で向こうの人間を殺す。内田の悪行が分かった警察は、逮捕しようとする。内田は香月を連れて、モーターボートで逃げる。そのボートを水上署の船が追い、東京湾での追っかけとなる。最後には内田は捕まる。

裸で御免なさい En effeuillant la marguerite 1956

マルク・アレグレ監督、仏、100分、白黒映画、ブリジットバルドー主演。バルドーは田舎に住んでいて匿名でエロ小説を書き、ベストセラーになる。父親が頑固な将軍で、バルドーは兄がパリで成功しているので、家出しパリに向かう。途中の列車内で二人のジャーナリストに会う。切符を持っていなかったバルドーは助けてもらう。そのうち一人がプレイボーイで、女を見ると手を出す。バルドーもその対象になる。

パリに着いて兄の家に行くと大邸宅である。実はここはバルザックの博物館で、兄はそこで案内係をしているのだが、故郷に対し大家になったとほらを吹いていたのである。バルドーはお金を作るため、そこにあったバルザックの初版本を古本屋に売り、金を入手する。後に兄から実際を聞き、本を取り戻す必要が出てくるが、使ってしまいもう手に金はない。バルドーはストリップの大会があると知り、優勝すれば大金がもらえると知る。それでこれに出る。顔はベールで隠し、分からないようにする。

父親の将軍がパリに出てきて、大会で担当に捕まり審査員にされる。娘が出ていると息子から聞いていたので、恥ずかしくてしょうがない。予選で優勝した、ベールを被ったバルドーに、バルドーとは知らずに恋人のジャーナリストが迫る。バルドーは不快になる。楽屋でジャーナリストとのやり取りがある。自分を好きになってくれるというのでバルドーはジャーナリストと結婚する。ストリップ大会には他の女が出て収まった。最後に日本に新婚旅行に来る。外国人のイメージそのままの日本が映し出される。鳥居の向こうに富士山が見え、桜の中、着物の女の子が鳥居でブランコしている。

2026年8月13日木曜日

ドイル『バスカヴィル家の犬』 The Hound of the Baskervilles 1902

1901年に発表されたホームズの長篇小説である。発表の順序では『最後の事件』(1893)の次で、当時の読者にはホームズが復活した小説であり、大評判になったそうだ。『空き家の冒険』(1903)より早い公表である。ただ時代は『最後の事件』より前の設定となっている。次のような話である。

旧家に伝わる怪奇な話がある。そこに出てくる犬と関連しているのかと思わせる怪死事件が起きる。財産を相続する甥がアメリカから来る。しかしその男に危険が迫り、ホームズが乗り出す。

舞台は最初の方はロンドンだが、大部分はデヴォンシャーのダートムアという田舎である。そこの怪しい雰囲気が小説を大きく支配している。


ホームズの長編小説は、短編に比べて推理小説というより冒険小説的になる。謎解きより話そのものが関心の対象になる。本書も謎解きの観点から言えば全く面白くない小説である。登場人物は少ないから犯人はすぐ分かる。ミスディレクションというのか、読者の関心を他に逸らす書き方をしているが、現代の読者には幼稚な感じさえする。夜光怪獣の謎も子供だましもいいところである。長編小説の中ではせいぜい四番目の出来であろう。


それでは本書の特色はどういう点か。やはり異色作というところであると思われる。事件の主な舞台はロンドンでなく田舎で、そこでの怪談めいた話や活劇が出てくる小説である。また形式においては小説の真ん中にあたる部分はホームズは出てこず、ワトソンが活躍する『ジョン・H・ワトソンの冒険』とも言うべき、スピンオフみたいになっている。通常のホームズ物からすれば規格外の作品である。なぜこんな小説になったのか。それについては後に書く。

変わったホームズ物を求めるなら勧められるかもしれない。ただ典型的なホームズ物とは言えない。新潮文庫の解説で、エラリー・クイーンが本小説を高く評価しているとあるが、自分にはどこを評価しているか見当がつかない。クイーンの評価の内容を聞いたところで、自分の意見は変わらない。

この小説で一番面白かった箇所は、来訪した医師がホームズを欧州第二と言って、ホームズが気を悪くする場面である。ここを読むと『瀕死の探偵』でホームズがワトソンを「君なんか経験も資格も大したことない一般開業医に過ぎないじゃないか」と言ってワトソンを侮辱する(策略だが)ところを思い出した。


さて『バスカヴィル家の犬』の成立については興味深い経緯がある。ドイルが書きたかったのは歴史小説で、ホームズ物は請われて金のために書いていたとは周知であろう。ドイルはホームズ物が嫌になって『最後の事件』で殺したが、読者からはホームズ物への要望が激しくなった。だからといって書く材料もない。

そこで出会ったのが、ジャーナリスト兼作家のバートラム・フレッチャー・ロビンソンである。はしょって言うとこのロビンソンによって材料が提供され、それが本小説の素になる。最初この作品はロビンソンとの共著で出る予定であったが、後にドイルの単独作として公表された。そもそもの本小説のアイディアはロビンソンのものと言っていいのか、少なくともその関与、助力があったのは確かである。

そういうわけで変格物のホームズになったのも分かる。

「コナン・ドイルはロビンソンに合作を申し出たが、ロビンソンはそれを辞退した。」とシャーロック・ホームズ全集第5巻(ちくま文庫)のp.739の覚書にあるが、それで済んだわけでなく、後に色々議論を生んだ。正直なところ、本小説の成立経緯は、こんな小説よりよほど面白いというか、興味をひく。

なお小説家がアイディアを他に求めるのは珍しくない。夏目漱石も『抗夫』の案は他人から買ったし、芥川龍之介の有名な短編は『今昔物語』の書き替えが多い。太宰治の有名な小説も元の作があると言われるようになった。


翻訳は新潮文庫の延原謙訳の、昭和29年初版で読んだ。20世紀半ばの翻訳という感じがした。以下、読んでいて気になった箇所について、原著や他の翻訳との比較を書くが、あら捜しをするつもりはなく、たまたま目についた場所を書いているだけである。


第2章初め、ホームズのところに来た医師が持つ古文書の年代推定のところである。延原訳は次のようになっている。ホームズのせりふである。


「この種の書類の年代の鑑定が、十年か二十年以上もちがうようじゃ、玄人とはいわれません。」

(昭和29年版、p.13)


年代推定で二十年も違っていいのか、と思わないか。それで原著を見ると次の通り。ホームズの原著は英語なので、中学以来の勉強のせいで何とか意味が分かるのがよい。


 ”・・・It would be a poor expert who could not give the date of a document within a decade or so. You may possibly have read my little monograph upon the subject. I put that at 1730.” 


「within a decade or so」なので十年かそこら以内、くらいの意味か。


自分の持っている他の訳書、いずれも古いものだが、を見ると次のようになっている。


「古文書の年を十年からうえも読みちがえるようでは、玄人の名が泣きますからね。」

(富山太佳夫訳、シャーロック・ホームズ全集第5巻、ちくま文庫)


「文書の年代を誤差が十年くらいの範囲内で推定できないようでは、専門家として失格です。」

(大久保康雄訳、ハヤカワ文庫)


「文書がつくられた年代を誤差十年ぐらいの範囲で推定できないと、専門家の肩書が泣きますよ。」

(鮎川信夫訳、シャーロック・ホームズ大全、講談社)


延原訳でなぜ a decade or so を、倍の範囲まで広げたか。これは12年ずれていたので、それを許容範囲とするためだったのか。


また第六章の初めにある次の文も気になった。

執事夫婦を追い出したらというワトソンの提案をホームズが一蹴するところである。


「万一罪があるとすれば、虎を野に放つようなもので、先生がたは舌をだして喜ぶだけだよ。」(昭和29年版、p.83)


少し不自然さを感じたので原文をみてみた。


“if they are guilty we should be giving up all chance of bringing it home to them.” (chanceは原文のまま)


これでは捕まえる機会を逃す、くらいの意味ではないか。持っている他の訳本は次のようである。


「二人が犯人だとしたら、思いしらせてやる機会をみすみす捨てるようなものじゃないか。」

(富山太佳夫訳、シャーロック・ホームズ全集第5巻、ちくま文庫)


「もし有罪なら、それを立証する機会を逃すことになる。」

(大久保康雄訳、ハヤカワ文庫)


「もし有罪だとしたら、それを彼らに認めさせる機会を失うことになる。」

(鮎川信夫訳、シャーロック・ホームズ大全、講談社)


なぜ延原訳で虎を野に放つとか、舌を出して喜ぶなどという表現を使っているか不明である。訳者の好みなのか。


さてこの延原訳で最終ページの最後から二行目を見た時、驚き目を見はり、笑ってしまった。


「僕はユグノー座の切符をもっている。」(昭和29年版、p.263)


原文は次の通り。


“I have a box for ‘Les Huguenots.’”


Les Huguenotsとは独生まれ、仏で活躍した19世紀のオペラ作曲家マイヤーベアの代表作『ユグノー教徒』のことである。生前は大人気だったが、後に忘れられた。今では再評価され、復活し、多くのCDやDVDが出ている。この翻訳が出た当時、日本のクラシックファンでも『ユグノー教徒』を知っている者はほとんどいなかったはずである。訳者はLes Huguenotsが歌劇とは分からなかったのだろう。


更に旧版p.221の3行目に前後の文からして明らかに誤訳と分かる箇所がある。原文など見る必要はない。なぜ長年気がつかなかったのか。改訳新版では直っている。


現在、延原訳として出ている新潮文庫は改版しただけでなく、子が訳文に修正を加えている。新版p.318に「不適当と思われる訳文は修正した」とある。

その新版(平成23年)で見たら、上のユグノー座は『ユグノー教徒』(p.314)になっている。ただ「十年か二十年以上もちがうようでは、」(p.18)や、虎を野や舌を出すのところ(p.95)はそのままである。

また第二章の古文書は文語文から口語表記に変えている。当時は文語文に抵抗を感じる人は少なかったと思う。戦前の公文書はすべて文語体だった。更に新版では高齢社会に考慮し、活字が大きくなっている。

書評などで、文章または訳文が不適当と言っているだけで、それがどこか書いていない場合がある。そういうのは嫌いなので、ここでは具体的な場所及び他の訳を示した。

延原訳は非常に評価が高いそうである。だから多数意見に沿う内容でなくともいいだろうと思って書いた。もし延原訳でバスカヴィル家の犬を読むのなら、爆笑物のユグノー座がある旧訳を勧める。古銭蒐集でも瑕疵のある硬貨は価値があるそうではないか。


遠藤周作『白い人』 昭和30年

フランス人の一人称形式の小説。戦前のリヨン、語り手は斜視で容姿が醜い。宗教に厳格な独生まれの母、いいかげんな仏人の父。近所の娘の身体の一部を見て興奮する。父に連れられ、中東での旅行の際の若い娘を見た経験。大学に入る。神学生がいて、この男も醜い。この神学生から叱咤される出来事があった。神学生には恋人のような女がいる。

後、戦争になり仏はドイツに占領される。語り手は独語が出来るので独軍の協力者となる。あの神学生が、抗独の闘士だったので捕まえられ、拷問を受ける。語り手もその拷問に加わる。協力者の名を吐かないので、あの恋人だった娘を捕まえ、利用して吐かせようとした。しかし元神学生は拷問死する。

2026年8月12日水曜日

機動捜査班 東京午前零時 昭和37年

小杉勇監督、日活、71分、白黒映画。内田良平が社長の業界紙は、バーなどの広告を勝手に乗せ、後から高い広告料をふんだくる悪事を働いていた。知り合った、密輸もしているクラブの経営者が事業を拡張するため、多くのホステスを必要としていた。内田はその引き抜きの仲介をする。知っている兄貴分が女の斡旋先を捜していたからである。

内田はある店で働いていた三原葉子を、気に入り引き抜く。三原も上昇志向が強かった。内田の弟分は内田からひどい扱いをされ、内田を恨むようになる。ホステスを提供している内田の兄貴分に接し、内田が甘い汁を吸っていると告げる。その男はホステスを必要とするクラブ経営者に会い、自分も直接仕事に参加させてくれと頼む。経営者は内田に電話し、やって来た男の件で怒る。内田は兄貴分である男を、車で連れ出し殺す。クラブの経営者も三原を好きになり、店の権利を渡すと言い出していた。

その頃、弟分は経営者の指示で、内田を殺すため、取引の場所なるところで内田と会う。警察も張り込んでいて、内田を殺す前に警察が発砲し、弟分は内田に逆に殺される。警察は内田を取り逃がした。内田はクラブに戻る。経営者や仲間は内田に殺される。三原を人質にとってクラブ内で、警察官らと内田の銃撃戦になる。弾が切れ、逮捕される。

容疑者 The suspect 1944

シオドマク監督、米、85分。チャールズ・ロートンの妻はやかまし屋の悪妻で、息子は家を出ていく。ロートンが勤め先で、職を捜してきた若い女と知り合いになり、付き合うようになる。妻と離婚して若い女と結婚したいと思うようになるが、妻は絶対に離婚を承知しない。ロートンが若い女と付き合っているのも突き止めている。ロートンは妻を事故に見せかけ殺す。

警視庁の刑事は事故か、殺人ではないかと疑う。ロートンは若い女と結婚する。隣家に嫌な男がいて、それがロートンの殺人を知っているかのように言ってきて、恐喝をする。ロートンは酒に毒を入れて殺す。この家にいるのが嫌になって、息子がカナダに渡るので、夫婦も渡加を決める。出帆する日、刑事が来てロートンに隣家の男の失踪はその妻が殺したようだと告げる。ロートンはその妻を良く知っており、そんなことをするような者でないと否定する。後で刑事は警官に言う。ロートンに隣家の妻が逮捕されたと嘘を言って、ロートンは極悪人ではないから、船を降りるだろうと。ロートンは出帆せず、街に戻ってきた。

2026年8月8日土曜日

機動捜査班 無法地帯 昭和37年

小杉勇監督、日活、64分、白黒映画。暴力団の経営するキャバレーで殴り込みがあるというので、その組の前で警視庁の車は見張っている。三人いた組の者のうち二人が車でキャバレーに向かったので、警察もそれを追う。その間、残った男が侵入者に射殺された。男を殺すための偽の殴り込み情報だった。殺した男を追っていくうち、銃の件で以前の神戸の殺人事件と関連があるのではないかと疑いが出てきた。

可能性のある男はあるバーで働いていると言う。そこに行くともう辞めていた。刑事はそのバーのマダムが自分の田舎にいた女と似ていると気づく。黒幕は神戸からやって来た悪党で、東京で地盤を築くため、暴力団を潰す予定だった。それで暴力団の一人を殺させたが、下手人の男も殺す。暴力団の他の二人も、地盤と交換に金を取るつもりだったが、悪党に殺される。警察は悪党の仕業と分かったので、手入れにくる。悪党は女と一緒に車で逃げる。それを空からヘリコプターで追う。最後に捕まえる。一緒の女、刑事と同郷だった田舎へ帰させる。

2026年8月5日水曜日

機動捜査班 暴力 昭和36年

小杉勇監督、日活、79分、白黒映画。暴力団同士の相手を潰そうとする闘争というお馴染みの設定。暴力団のところに警察の手入れがあり、隠し持っていた銃を押収する。米軍基地から出たトラックは途中で襲われ、運転手は殺され、積荷にあった銃を盗まれる。

張り合う暴力団は元々は一つの組の子分同士だった。その元の組の親分は落ちぶれ、酒浸りになっている。その息子も網走刑務所で死んだ。そこで同室だった男が銃を奪って、暴力団に銃を斡旋しようとする。男は元親分宅に行き、息子と刑務所で同室だったので助けたい、元の組を盛り返したいと言う。元親分の娘(清水まゆみ)はそんな申し出を断り、もう暴力団とは関わりたくないと答える。男はチンピラを使って暴力団同士の闘いをさせるつもりだった。しかしチンピラが店の店主を脅し、警察に捕まる。警察は銃の斡旋をしている男を捕まえるべく追う。追っかけと銃の撃ち合い、逮捕というお馴染みの展開で終わる。

2026年8月4日火曜日

フローベール『感情教育』 L’education sentimentale 1864-1869

19世紀前半のフランス、主人公のフレデリック・モローは田舎からパリに出てきて、アルヌー夫人という女に激しく恋する。それだけでなく他の若い女と同棲し子供を作り、更に地位のある男が死んだ後、その未亡人との結婚を目論み、財産を手に入れようとする。また田舎にはフレデリックと結婚する予定の女がいる。友人には、若く、名を上げようとする男たちが多くいる。後半では2月革命の描写がある。

現代人には歴史である、19世紀フランスの実際を主人公が体験する諸事によって、どんな社会であったかの例を見ることが出来る。『暗夜行路』に登場する若い男の行動から大正時代の様子が分かるように。それにしても『感情教育』は『ボヴァリー夫人』以上に退屈な小説で、写実主義の大家、フローベールの作品だからその退屈さも、高い評価につながっているのだろう。

2026年8月3日月曜日

機動捜査班 東京危険地帯 昭和36年

小杉勇監督、日活、68分、白黒映画。張り合う暴力団の一つが、もう一つ組の島を乗っ取ろうと図っている。内田良平の組はあまり大した勢力ではないが、その両者の間で漁夫の利を選ろうとする。一つの組のボスが内田に働きかけ、もう一つの暴力団を潰そうとする。内田は承知したが、その相手の組に行き、今度はその暴力団と組んで、敵の暴力団を潰そうと言い出す。

その資金源として贋の株式証券を作った。印刷した会社に内田は乗り込み、相手を殺し原版を破壊する。更にこの株式の売りさばきに使った者らを車に乗せ、銃殺及び崖から転落死させる。偽の株券はすぐに発覚した。別の件で捕えていた暴力団員から、贋株式の作成した暴力団を聞き、一斉に検挙する。またもう一つの暴力団にも手が回り、内田は金を持って、情婦の香月美奈子と車で千葉方面に逃走する。この追っかけと浜辺での内田と警察との撃ち合いなどが最後にある。

ワーロック Warlock 1959

エドワード・ドミトリク監督、米、122分。リチャード・ウィドマーク、ヘンリー・フォンダ、アンソニー・クイン出演。ウォーロックという西部の町はならず者たちに支配されていた。平和を取り戻すため、放浪保安官ともいうべきヘンリー・フォンダを呼ぼうと町では考える。有能だが報酬目当てで町から町へ、保安官をして放浪している。相棒がアンソニー・クインで、良くない男である。

悪党の一味にリチャード・ウィドマークがいて、弟もその仲間で、ウィドマークは悪党連中から抜け出そうとしている。フォンダがやってきて保安官になり、クインは酒場兼宿屋を経営する。町に若い女が来る。以前、フォンダやクインと知り合いで因縁がある。この女はウィドマークと恋仲になる。フォンダは悪党一味に立ち向かい、以前のように勝手にさせない。またこの町の女と好き合い、婚約する。町ではフォンダ以外の保安官を町の中から募集し、ウィドマークが立候補して副保安官となる。町にウィドマークの弟と仲間が来る。フォンダに向かおうとする。ウィドマークは止める。しかし弟は聞かず、フォンダと撃ち合いで斃れる。

ウィドマークはかつて仲間として加わっていた悪党一味の家に行き、もうウォーロックに来るなと言う。相手のボスは怒り、ウィドマークの手をナイフで刺し、ひどい傷を負わせる。傷の手当はするが、銃がうまく使えない。フォンダが来て、悪党一味との闘いに手助けしようかと申し出るが、ウィドマークは断る。悪党一味が町にやって来た時、ウィドマークは何とか相手方を倒す。これで悪党一味は実質的になくなった。後にクインが暴れ、フォンダはやむやく殺す。相棒を失ったフォンダは抜け殻になり、婚約者を置いて町から一人去っていく。

2026年8月2日日曜日

村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』新潮文庫 平成22年

一人称小説である。不思議なエレベーターに乗ってどこかに運ばれる。初めの方は全くカフカそのままである。カフカの名を冠した小説を書いている著者であるから、大いに影響されたのであろう。そえから女に従って目的の方へ行く。この辺りはよくある空想科学映画に出てくる風景である。わたしは小説の中だけの特殊な知識があって、それを老人の学者から頼まれる。

わたしは、ソファについて蘊蓄を傾け、座って心地よいソファがあまりないという。次いでサンドイッチにも造詣が深く、これほどうまいサンドイッチはそうそうないとか言う。よほどサンドイッチを良く食ってその味にうるさい者なのだろう。こういった作者の代弁なのか、偉そうな文章を読んでいて、すっかり嫌になり、読むのを止めた。これほどつまらない小説はそうそうあるものではない。

高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』講談社学芸文庫 1997

昭和56年に公表された著者の処女作。わたしという語り手による一人称小説。以前、わたしはある女と一緒に住み、女の子が生まれた。その女の子を可愛がるが、死んでしまう。女もどこかにいってしまった。今はソングブック(S・B)という女と、猫のヘンリー四世と一緒に暮らしている。わたしは詩の学校で詩を教えている。色んな生徒が来る。またギャングたちが登場し、警察との撃ち合いで殺される。普通の小説とは異なり、軽い調子で書かれており、一読して印象が鮮明な小説である。

2026年7月31日金曜日

機動捜査班 都会の牙 昭和36年

小杉勇監督、日活、73分、白黒映画。白タクの運転手が縄張りの暴力団から暴行を受けている。白タクを仕切っているボスの内田良平は、上のボスから指示を受ける。官庁と違法取引があって、その課長を消し、名簿を奪って来いと。この仕事を白タクの運転手にやらせる。また情報屋がいて、色々内部情報を探り、売って金を手に入れている。白タクの運転手は男を轢き、鞄を手に入れたが、白バイから追われる。その時、情報屋は警官を殴り、運転手を助ける。

助けたのは運転手から情報を取り入れるためだった。運転手は内田の指示で行なったと話し、情報屋はこれをテープに録音し、内田をゆする。金か警察に売るか。しかし内田は殺し屋を使い運転手を殺し、その死体を見つけた情報屋と仲間が死体を運ぶ場面を写真に撮っていた。これで情報屋はゆすれなくなった。情報屋は、モデルの香月美奈子と知り合い、鞄を預ける。警察では上司となった課長が内田と仲が良いと聞き、刑事の一人は辞めたくなる。

情報屋は預けた鞄を見ると、中の書類がない。香月は焼いたと答える。彼女は轢き殺された男の娘で、違法行為をしている父親の名が書いてある名簿を処分したかったと言う。情報屋は内田に名簿と引き換えに大金を要求する。波止場に贋の名簿を持って現れた情報屋は、内田の部下に蜂の巣にされる。香月の情報で警察が波止場に向かい、悪漢どもを一網打尽にする。香月はバッグから名簿を取り出し、刑事に渡す。処分していなかったのだ。

原直人『アベノミクスは何を殺したか』朝日新書 2023

アベノミクスと呼ばれた安倍晋三政権の経済政策、それを金融面から支援した、というよりその主砲となった黒田日銀総裁による異次元金融緩和の開始から10年過ぎた。その成果は当初期待されていたようなものではなかった。特にデフレからの脱却をするというのが、今世紀になってから経済政策の唯一の目標となった感がある。現在から見れば成果を果たせなかったのは、そもそも目標自体とその手段の不適切さがであり、それが批判されるようになっている。そこで10年後にアベノミクス批判を行なったのが本書である。

書名が『アベノミクスは何を殺したか』となっているように公正に批判しようとするのではなく、糾弾するという姿勢である。これは編者が朝日新聞であるからそうなったのであろう。形式は編者が質問し、識者が答えるインタビューで進む。登場する論者の中には元日銀総裁や職員がいて当時の日銀内での状況を伝えている。組織の職員は基本的に上から言われたことをやるしかない。もちろん意見は言えるし、それで議論になることもあろう。しかし一国の最高責任者から降りてきた指令は、従うしかない。しかも今では誤りだと分かっているが、当時はどうなるか分からなかったわけである。日本全体の雰囲気は、アベノミクス、異次元金融緩和を支持していたのが当時の実際である。

組織の個々の職員がまるで一国、また組織と異なる方針を意見していれば、それが通ったかのように言っても意味がない。アベノミクスの評価にしてもこの編者は頭ごなしに否定しているが、これでは丸抱えでアベノミクス万歳を叫んでいる者と同じである。個々の政策について是々非々を分析しなければ、今後の政策に活かしていけない。

2026年7月30日木曜日

加太こうじ『東京事件史 明治・大正編』一声社 昭和55年

書名は事件史となっており、犯罪が主かと思わせるが、出来事史、風俗史と言った方がいいかもしれない。取り挙げられている出来事は明治編では「近藤勇処刑」「上野の戦争」「東京・横浜間電信開設」などがあり、大正編では「ジゴマ上映の禁止」「米騒動、東京に波及」「松井須磨子の死」などである。

夫々の出来事が分かりやすく書かれており、読みやすい。著者は大正7年東京浅草生まれ。


2026年7月26日日曜日

渡辺努『インフレの時代』中公新書 2026

日本経済は長い間、前世紀末からデフレの時代を経験してきた。それがようやくインフレの時代に変わろうとしている。どういう特徴があるのか、日本経済にどう影響を与えるのかを考察している。今後、インフレが続けば日本経済を正常化するために、特に賃金の引上げが必要であると強調している。これが政府として後押しすべき政策だと言っている。

また政府の負債がインフレによって目減りし、政府はインフレによる最大の利得者となるので、その利得を使って必要な支出をできると述べる。更に日銀の総裁がどのように金融政策を進めてきたか、今度の植田総裁の政策に対する姿勢はどうかも分析する。また物価統計の改善の必要性を具体的事例で述べ、日本と米国では指標としている消費者物価指数が異なる(日本では見た価格、米では実際に支出した価格)ので、調整が必要と言っている。

世界大戦争 昭和36年

松林宗恵監督、東宝、110分。世界が核戦争に突入し、破滅する様を描く。フランキー堺が主人j公で運転手をしている。娘に星由里子がいて、船員の宝田明と恋仲であり、婚約する。その間にも大国間(連邦とか同盟といった言葉を使っている)では一発触発で、いつ核戦争に突入するか分からない緊張が続いている。あわやというところで核ミサイルの発射が止められたという場面もある。

しかし最終的には戦争が始まり、東京は壊滅する。船にいて助かった宝田明その他も東京に帰ろうと言って映画は終わる。なおこの映画はキューバ危機の前年に製作されている。

機動捜査班 秘密会員章 昭和36年

小杉勇監督、日活、白黒映画。あるナイトクラブに暴漢どもが押し寄せ、店を叩き壊す。警察がやってくるが、支配人はたいしたことないと言って追い返す。来た刑事はバッジを拾う。ここを経営する組と張り合う組もクラブを経営しており、競争していた。警察は、クラブの中に秘密があるとにらんでいた。

客の一部がバッジを見せて奥へ入っていく。それで警察は拾ったバッジを見せて中に入ると賭博場になっていた。入った刑事の一人は殴られ意識を失った。警察隊が来てみると賭博場は跡形もなく消えていた。殴られた刑事が見つかったが、拳銃と警察手帳を奪われていた。後に刑事がクラブにそれらを取り返しに行くと、ボスがバッジと引き換えに銃と手帳を返すと言う。刑事は警察に戻り証拠品のバッジを取り出し、それの模造品を作ってクラブに行く。ボスは刑事に手帳等を返さない。警察なんかよりここで働かないかと誘う。クラブにいる女は、刑事が悪に染まっていくのを見るのが嫌で忠告する。

敵対するクラブを潰す。しかしこのクラブも警察の手が回っていた。車で逃げるボスと女、運転する刑事。車に追跡装置を付け、警察が追えるようにしていた。途中で車を捨て、刑事とボスは闘い、ボスを逮捕する。帰りのパトカーの中で、刑事がクラブに誘われたのは部長の指示によったと言う。主役の刑事の妹役で松原智恵子が新人として出ている。大した役ではないが、クレジットでは主役の次に名が挙がっている。

コナン・ドイル『ライオンのたてがみ』 The adventure of the lion’s mane 1926

「シャーロック・ホームズの事件簿」所収の後期の短篇。ホームズは引退し、海辺に住んでいる。ある日、友人と浜辺を歩いていると瀕死の男に出くわす。近くの学校の教師である。背中に鞭で打ったようなひどい怪我があり、ライオンのたてがみと言って息絶える。

この男と友人だったあまり人付き合いの良くない男が警察に容疑者とされる。ところがこの男も後に同様の被害に会う。今度は死ななかった。危害を加えたものはクラゲの一種と分かった。その形はライオンのたてがみに似ている。

2026年7月25日土曜日

コナン・ドイル『ソア橋』 The problem of Thor bridge 1922

「シャーロック・ホームズの事件簿」に収められている後期の短篇。アメリカの上院議員をしていたという金鉱王は傲慢な男である。その夫人の死体が見つかった。容疑者は若い女家庭教師である。夫人は南米の出身、子供たちの家庭教師として雇われた女は魅力的だった。その家庭教師と夫人が会う約束のソア橋で、夫人が死体となって発見された。容疑者は家庭教師しかいない。アリバイもない。

ホームズらは死体の発見されたソア橋に行って調べる。判明した事実は夫人が、夫を誘惑したとして若い女教師に嫉妬し、殺人に見せかけ自殺をしたのだった。殺人容疑が家庭教師にかかればいいという算段だった。

苫米地英人『スピリチュアリズム』にんげん出版 2007

スピリチュアリズムとは何か、どうして多くの人がはまるのか、それを知りたく、以前から関心があった。本書はスピリチュアリズムを批判的に論じた本である。そのからくりを解き明かそうとしている。

このテーマとなると、自らがそれを信じ、本人は人助けのつもりもあるのか、勧誘されているかのような気分になるものがある。この本に出てくる江原啓之という人の著書を絶賛している文を以前読んだ。そんないい本なのかと思って読み始めると、そのうち気分が悪くなって、というと言い過ぎか、ついていけなくなり投げ出した。世の中にはそういう本で感激する人がいるのである。ともかく精神の安定を求めている人が、それで目的を達成できればよいと言える。そういうと新興宗教とどこが違うか。組織や機構のない宗教か?しかしオウム真理教や人民寺院などはひどい例である。スピリチュアリズムはすべて、そういう方向へいくばかりではないだろう。中心人物がどういう者かによるのか。

2026年7月24日金曜日

中野京子『名画で読む「音楽の秘密」』祥伝社 令和7年

この本は、絵の中に音楽または音が鳴っていると思われるものや、楽器が見える絵画を集めている。多くの絵画があるが、有名なものはあまり多くない。ミレーの『晩鐘』とか、ホルバインの『大使たち』、マネの『テュイルリー公園の音楽会』、そしてフェルメールの『絵画芸術』などは誰でも既知であろう。それ以外では、こんな絵があったのかと思う作品が大部分である。

「はじめに」のところに、特定の絵画から霊感を得て作られた音楽はそれなりにあるのに、特定の音楽から描かれた絵画はほとんどないと書いてある。有名な音楽を絵画化しようとする意欲を画家が持っていないせいだろうとある。特定の音楽でなく、音楽が関係している絵画なら幾つもあるので、それを集め、解説している本である。

2026年7月19日日曜日

機動捜査班 罠のある街 昭和36年

小杉勇監督、日活、67分、白黒映画。あるキャバレーでは客に女を紹介する闇商売をしている。それだけでなく、内田良平扮する悪党は、その客を脅して金をせしめる悪事もやらないかとキャバレーのボスに持ち掛ける。このキャバレーの新しい接待役である香月美奈子は、何やら探っているようである。コップの指紋を取ったりしている。後に香月は店の幹部から詰問される。

女を買った客を恐喝する男は警察から目をつけられた。すると内田は男を車ごと海に沈めて殺す。警察はキャバレーを襲って責任者らを逮捕する。その頃、キャバレーのボスは内田と香月に迫られていた。香月は以前、麻薬の事件の際、キャバレーのボスによって殺された女の妹だった。更に内田と香月は夫婦だと分かった。脅迫され大金を渡したボスは殺される。大金を持って逃げる内田と香月を警察は追っかける。逃走の末、内田は逮捕され、香月も空港で待っていると警察が来て連行される。

2026年7月15日水曜日

コナン・ドイル『ササッサ谷の怪』中公文庫 2024

 本書には14編の短篇小説が含まれている。ドイルの多くの作品のうち、これまで日本で未紹介だった作品から選んで集めた短篇集。これまで未紹介だったとは、それほど傑作とは思われていなかったからであろう。実際に読み出しても、あまり面白くない。それでAmazonの読者評に従い、この中で面白いと指摘のあった短篇のみ読んだ。

『エヴァンジェリン号の運命』は海洋冒険譚と恋愛物の組み合わせ。語り手は好きだった女が別の男と婚約することになり、怒る。その女が親族、婚約者とある島に行き、一人だけヨットに乗っていると流されてしまう。行方不明になり死んだものと思われたが、実は語り手がその女を匿って、相手も自分を好きなので一緒になるという話。『やりきれない話』はぐうたらで自分勝手な亭主を持っているので、苦労して仕事を見つけてきたのに、亭主にお金を盗まれ、仕事の約束を果たすため出費を強いられた妻の話。『業師ウィルキーの思い出話』詐欺師のウィルキーが、これまでどのような詐欺をどうしてやってきたかの回顧談。

『死の航海』は歴史SFものという特殊な話。第一次世界大戦でドイツ帝国は敗れ帝政は終わったが、その終わり方に関して、ドイルは別の話にしている。まず大戦末期の皇帝と政府高官のやりとりがある。ここを読むと第二次世界大戦末の御前会議を思い出してしまう。皇帝は歴史の実際と違って、名誉の戦死を遂げるため艦隊を繰り出し、英海軍の艦隊と戦うのである。つまりドイツは負けたが、その負け方を史実でない創作によって語っているのである。(小池滋監訳、北原尚彦編)

キッスで殺せ Kiss me deadly 1955

ロバート・アルドリッチ監督、米、104分、白黒映画。主人公の私立探偵が夜、車を走らせていると、コートをまとった裸の若い女に呼び止められる。ラジオの放送では精神病院から逃げたしてきたらしいが、主人公は女を匿う。主人公と女は男どもに乱暴を受け、車ごと崖下に落とされる。

主人公は病院で目が覚めたが、女は死んだ。女の残した言葉から謎を解いていこうとする。死んだ女の同室だった女を訪ねるが、引越ししており、見つけてから助けを求められ、自分の部屋に匿う。捜査を続けているうちに友人は殺され、助手の女も攫われた。謎を解いていくと、死んだ女が隠していたのは保管庫であり、そこに行くと、放射性のとんでもない物質だったと分かる。これを悪党は盗み出した。主人公は助手を助けるため、海辺の別荘に行く。あの死んだ女の同室の女は実は悪党の一味であり、分け前の奪い合いから盗み出した物質を、一人占めしようとした。主人公は助手を助け出し、別荘の外に逃げる。物質の入った箱を開けると放射能で瞬く間に火に包まれ、別荘は爆破する。

2026年7月13日月曜日

帽子から飛び出した死 Miracle for sale 1939

トッド・ブラウニング監督、米、71分、白黒映画。ニューヨークで奇術師である主人公のところに若い女が助けを求めて来る。その女を助ける。有名な奇術師のところに行く予定だった。そのホテルに行くと、当の奇術師は死体で発見された。密室である。どうして殺したのか。この場所に集まるはずになっていた他の奇術師連中に容疑がかかる。そのうち一人はラジオ出演があるからと言って、現場を去るが、それは逃亡であった。逃亡した奇術師が怪しい。

しかしその自宅に行くと、奇術師が死体となっていた。この死体の死亡時刻は先の殺人事件より早いらしい。だったら殺せるはずもない。更にその家では死体がなくなるとか、座っていた者が消えてしまうなどの現象が起こる。これは地下室があってそこに落ちていたからだった。最終的には変装して別人になりすまし、事件を起こしたのだと分かる。

稲垣栄洋『植物に死はあるのか』SB新書 2023

植物学者の著者による植物論。形式は大学の教師である書き手のところへ、毎日、植物に関する基本的な質問が電子メールで来るので、それに答えていく形である。副題に「生命の不思議をめぐる一週間」とある。曜日毎の内容は次の様である。

月曜日:どうして植物は動かないのか? 火曜日:植物と動物はどこが違うのか? 水曜日:草って何? 木曜日:木は何本あるのか? 金曜日:木は生きているか? 土曜日:植物は死ぬのか? 日曜日:植物は何からできているのか?

2026年7月12日日曜日

亀山郁夫『謎とき悪霊』新潮選書 2012

ドストエフスキーの翻訳で名をはせた著者による『悪霊』論である。全体で446ページもある大著である。しかしながら読んでよく分からないところや、驚いたところなどがある。まずよく分からないところを書く。

たくさんの話題を取り上げ、雑学的知識は増えるが、当方が関心のある事項は書かれていない。たとえば主人公となっているスタヴローギン、美貌と怪力の持ち主とは分かるが、人となりはよく分からなかった。それで神秘的になり、魅力的に見える効果があるのだろう。このスタヴローギンについて、同じ著者による『悪霊、神になりたかった男』という本を以前読んだ。内容は忘れてしまったが、この書名である。神になりたかった男とはキリーロフかと思っていたら、スタヴローギンを指すのである。『悪霊』の中にスタヴローギンが神になりたい、なんて記述があったか。(脱線だが、この本を読んだ時に一番印象に残ったのは、この著者は読者をアッと言わせたい思いが強い、という点であり、そのせいか他は忘れてしまった)

本書でスタヴローギンがどう解明されているか興味を持ったのだが、当方の読み方が不十分であろう、よく分からないままである。本書の183ページでマリヤ・レビャートキナのスタヴローギン理解にふれて、「マリヤは、わたしたち一般読者が理解しているようなスタヴローギン像を思い描いたことは、おそらく一度としてない」とある。ここで著者は、著者と読者の間に共通の理解があるように書いているが、自分など理解できていないので読んでいるのであって、著者との間に何らかの共通理解があるわけない。本書に「スタヴローギンとはだれか」という節がある。(75ページ以下)そこにはスタヴローギンのモデルとして、バクーニン、スペシネフ、フョードル・トルストイの3人の名が挙げられている。バクーニンの名くらいは知っているだろう。スペシネフもドストエフスキーに関心があれば知っているかもしれない。フョードル・トルストイなんて誰も知らない。バクーニンもアナーキストと知っているだけで、全く未知のF・トルストイを含めてこの人がモデルなんて言われても、スタヴローギンの理解につながらない。文学の世界ではモデルとなった人物を特定できれば、分かったことになるのか。

またインターネットの記事にもよくあるが、ゲーテやルソーを下敷きにしているという指摘がある。元となったゲーテやルソーの著作等について創作ノートに詳しく書いてあるのか。似ているだけというなら、西洋の文学など新旧の聖書やギリシャ神話に、元ネタを捜そうと思えばみんなできるだろう。ドストエフスキーがゲーテやルソーを元にして書いたという証拠があるのか。

この著者のドストエフスキー理解、接近の仕方の、そもそもについて述べる。本書を読んでいると驚くべき記述に出くわす。創作ノートの記述に触れ、「ドストエフスキーの脳裏に描かれていた『悪霊』とわたしたちが現に手にしている『悪霊』とはことによるとまったく別世界なのかもしれない、いった疑問さえ浮かんでくる」(本書p.54)我々が読んでいる『悪霊』はまがい物かもしれないのだ!

この著者のドストエフスキー理解の根本思想が『ドストエフスキー共苦する力』(2009)のあとがきにあった。そこには次の様にある。「わたしの考えでは、ドストエフスキーこそは、まさに「二枚舌」の天才だった。(改行)わたしのドストエフスキー理解は一貫している。それは、書かれたテクストを絶対化しない、テクストには二重構造があるという信念である。信仰の裏に不信があり、不信の闇に神は存在する。作家というのは、そうした二重性の表現においてこそ、どこまでも真剣であり、誠実なのだ。」(同書p.261)このあとがきを読んで、これこそ謎とき亀山郁夫だと思った。つまり本文などに拘泥していてはドストエフスキーの理解はできない。その底にある「真意」を読み取る作業が必要なのである。先の本の『白痴』の項で「想像はさらに膨らみます。」とあった。このように本文を読むに留まらず、その外にあるものを掴まなければならない。そんなことどうして出来るのか。普通の人では無理だろう。この著者はドストエフスキーの翻訳だけでなく、ドストエフスキーに関する本を多く出している。だからそれらを読んで真のドストエフスキー理解に達する必要がある、ということなのか。本文を絶対としない、という発想はこの著者が創作ノートを重要視している態度につながる。著者にとって創作ノートは廃棄された過去の案ではない。本文と同等に、いやそれ以上にドストエフスキーの解明にとって重要な文書なのである。それほど創作ノートが重要なら、『悪霊』本文だけでなく、創作ノートも訳してもらいたかった。『悪霊』の創作ノートの全文は、筑摩書房から出ているドストエフスキー全集の第18巻に『罪と罰』のそれと一緒に訳されている。影印本が出ているが高価であり、文庫で欲しかった。

さて本書で最も驚いたのは、ドストエフスキーの伴侶、アンナ夫人の正体を暴いていることである。いわゆる「スタヴローギンの告白」には3種の稿がある。ドストエフスキーが初校刷に手を入れた版、そこからドストエフスキーの手入れを除いた初校版そのもの、アンナ夫人の筆写版。ここで稿の違いとか、その意図を議論しようとするのではない。このうちアンナ夫人の筆写版について、アンナ夫人が主体的にドストエフスキーの原稿を改竄していると言わんばかりに書いているように見える。いや著者は夫人が手を入れたとされる一部について「夫の意図を蔑ろにしたアンナ夫人の作為と見ることはできない」(本書p.228)とあるものの、全体からは意図的な夫人の介入があったと読めるのである。先の文と同じページに、夫人の考えからして不都合な部分は切り取る必要があったと書いている。もちろん夫人の真意を当方も知らないから、著者の解釈が誤りなどと言えるわけではない。ただ夫を尊敬していたアンナ夫人が、夫の原稿に勝手に手を加えたとは思えなかったからである。

また本書には、ドストエフスキーとアンナ夫人の間はそれほど良かったものでないと言える記述がある。「・・・「家庭内検閲者」であるアンナ夫人と作家との間におそらくは小さな対立を生んだにちがいない・・・」(p.230) ここでアンナ夫人を家庭内検閲者と呼んでいる。のちの「伝記3 検閲」では検閲との戦いとして、ドストエフスキーが囲まれていた壁に、第一にロシア報知の編集部、第二に当局の検閲委員会、第三に秘密警察の皇帝官房第三課、そして第四の壁として妻アンナを挙げているのである。(p.284)アンナ夫人はドストエフスキーにとって、検閲委員会や秘密警察と同等の戦うべき敵だったのである。

またドストエフスキー夫妻がロシアに帰国する前に、『悪霊』の原稿をロシア報知の編集部に送りつけた事情についても、編集部とだけでなく、「アンナ夫人との間に何かしら複雑なやりとりがあったのではないか、と想像されるのである」(p.285)とある。以上の記述から、アンナは賢夫人であり、その内助の功によってドストエフスキーの創作に大いに貢献した、というこれまでのイメージから、実は獅子身中の虫だった!と暴露された気分になった。ともかく本書を読んでの最大の衝撃であった。


黒魔術 Black majic 1949

グレゴリー・ラトフ監督、米、105分、白黒映画、オーソン・ウェルズ主演。カリオストロ伯(実名ジョゼフ・バルサモ)をオーソン・ウェルズが演じる。ジプシーの息子だったカリオストロは両親を幼い時、貴族に殺される。長じて病気を治すなどの術で名をはせる。名前をカリオストロと変える。

マリー・アントワネットにそっくりの女を見つけ、その女を使い、フランス宮廷に乗り込む。これには、あのカリオストロの両親を殺した貴族も(カリオストロの出自を知らずに)関わっていた。陰謀が発覚し、貴族もカリオストロも捕えられる。カリオストロは貴族に自分の事実を告げ、貴族に自殺するよう、術で仕向ける。法廷では初めはカリオストロは、民衆を虜にする弁論で魅了するが、後に自分の師でもある男に、自分の正体を暴かれる。最後は塔の上で、妻とした女の恋人と闘い、敗れて落下死する。

2026年7月9日木曜日

紀田順一郎『蔵書一代』 2017

怪奇幻想文学の専門家である著者が自分自身の蔵書について語るほか、蔵書のあり方の一般論、過去の有名人の蔵書がどう処分されたかについて述べている。一般の読書家でもそうでない人から見たら随分本を持っているのが普通であろう。著者のような文筆業であれば、蔵書は恐ろしく増えていくだろう。昔「百万円の蔵書には百万円の費用がかかる」とどこかで読んだ記憶がある。

本というものは場所を取る、しかも非常に重い。これは蔵書の物理的特性だが、質的に他の蒐集と違うところは何か。切手(昔はやった)とか人形とか時計などの蒐集、あるいは骨董品集めとの違いは、本というのはその物自体より、その中の情報が、すなわち人類の叡智や文化やもっと卑近なものでも良いが、その集積である中身が重要であり、書籍自体は情報の媒体に過ぎない。しかし本としての物自体を愛で、集める人がいる。これは個人の勝手だから他人がとやかく言う話でない。ここで著者は集めた何万冊の本を数百冊残して処分したとある。がっかり極まりないのは分かるが、そう決めたのだからしょうがない。

2026年7月7日火曜日

肉体の反抗 昭和32年

野口博志監督、日活、89分、白黒映画。神戸の銀行に勤める女主人公は、同僚の大坂志郎と結婚する予定だったが、母親が病気で妹が学校に通っている事情でまだ出来ないでいる。警察から妹が宝石を盗み捕まったと聞き驚く。このせいで大坂の親から結婚を断られ、母親は死ぬ。妹を保釈に行くが、妹は姉に反抗的で、家出をしてしまう。その後横浜の海で死体として見つかったと知らせが入り、主人公は横浜に急行する。警察は自殺扱いにしたが、殺しではないかと疑っていた。

主人公は妹の復讐を誓う。妹は合いの子の外人(岡田真澄)に騙されて死んだようだ。主人公は岡田に近づく。岡田はある女と結託し、女を娼婦として集めて金儲けしていた。主人公はその娼婦館を営む女に近づき自分もその一員となり、岡田と深い仲になる。女主の息子の大学生は母親の職業を知らない。主人公はその大学生を誑し込み、岡田を復讐しようとする。これは成功したが、大学生はそのせいで殺人犯になり、主人公は大学生の誠意に報いるため出所まで待つという。大坂志郎が神戸から出てきて、主人公に復縁を迫るが、好きであるものの、もう一緒になれないと主人公は断る。

2026年7月6日月曜日

俺はトップ屋だ 第二の顔 昭和36年

井田深監督、日活、52分、白黒映画、二谷英明主演。暴走するスポーツカーは崖から落ちる。乗っていて死んだのは流行歌手の若い男。この事件を調べることになったトップ屋、二谷は歌手が出ていたクラブに行く。死んだ歌手に代わって別の歌手が歌っていた。そこのマダムは情報収集に協力的でない。

暴漢に襲われたそこの踊り子を二谷は救ってやる。クラブにいた実業家が黒幕で、踊り子を使い、多くの者を消していた。二谷の旧友まで、実は裏切り者で二谷の名を騙り悪事を働いていた。現金を手に入れそうになる直前に警察が踏み込み、実業家は逮捕されるが、踊り子と旧友は車で逃げていた。車が崖から落ちそうになり、踊り子は助かるが旧友は落ちていった。

2026年7月3日金曜日

俺はトップ屋だ 顔のない美女 昭和36年

井田深監督、日活、52分、白黒映画、二谷英明主演。夜、都会で男が銃で殺され、持っていた仏像を奪われる場面から始まる。トップ屋(独立して週刊誌等に記事を売り込む文筆記者)の二谷はある女から外国硬貨のような物を渡される。これを欲しがるバーの他の女がいる。中に男の写真があった。警察に見せると有名な密輸業者とのこと。それを渡した女を捜す。スチュワーデスらしい。

謎の男(ジェリー藤尾)が二谷の周りをうろつき、その男にあるクラブに連れていかれる。会員制でそこに入るためにはあの硬貨状が必要らしい。その硬貨を持ってきてクラブに入り、その持主のロッカーを開けると仏像が入っている。その仏像を持って帰る。二谷の事務所では硬貨を奪いに悪漢どもがやってきて、助手の禰津良子がひどい目にあっていた。あの硬貨を渡した女に会い、その仏像の中にダイヤが隠されていると知る。その時悪漢どもがやってきて仏像を奪おうとするが、警官隊も来て一網打尽となる。高跳び用に悪漢どもが用意していたヘリコプターに乗り、二谷は記事を届けに東京に飛ぶ。

2026年6月30日火曜日

矢崎美盛『物語ヘーゲル精神現象学』明月堂書店 2022

本書は矢崎美盛著『ヘーゲル 精神現象論』岩波書店、昭和11年の現代表記版である。書名が違うため別の本かと思うかもしれない。上記の『ヘーゲル 精神現象論』はヘーゲルの『精神現象学』の入門的な解説書として評価が高く、版を重ね、戦後に岩波書店から復刻版も発売された。

しかしながら戦前の出版であるため、口語体ではあるが旧字旧仮名で、昔のことだから漢字の割合が非常に高く、今では使わないような漢字や言い回しを多く使っている。そのため内容理解の前に、読解そのものに時間を取られていた。今回の現代表記で非常に読みやすくなった。

プリースト判事 Judge Priest 1934

ジョン・フォード監督、米、80分。1890年のケンタッキーが舞台。判事を勤めるプリーストの甥が弁護士資格を取り、北部から帰ってくる。隣家の娘を好きなのだが、母親は孤児だと言い結婚を認めようとしない。

この町に偏屈そうな男がいて、床屋で娘を私生児だと他の者が言うので、言った男を殴る。居合わせたプリーストも男の味方だった。殴られた男たちは恨みのため、玉突場で男を待ち構え喧嘩になるが、かえって傷を負わされる。これで裁判になった。男の弁護は新米の甥が勤めることになった。プリーストは男の味方であると言われ、この事件では判事をできなくなった。男は何も弁解せず、このままだと有罪になる。

プリーストは甥と共同の弁護士になって、牧師を裁判に連れてくる。そこで牧師は男の過去を話す。かつて無期の囚人だった。南北戦争の際に、兵士として従軍すれば刑は免除になるので、多くの者と一緒に戦争を戦った。勇敢で抜群の働きをした。隣家の娘の父親でもあったが、秘密にしてこの町に住んでいたと。これで一躍男は英雄に祭り上げられる。

バビロン Babylon 2022

デイミアン・チャゼル監督、米、189分。1930年前後の、発声映画移行期にハリウッドほか映画界の狂騒を背景にメキシコからやって来た若者と新進女優(マーゴット・ロビー)の出世、大物俳優(ブラッド・ピット)の生き様などを描く。

メキシコの若者はハリウッドの映画界の乱痴気パーティの準備のため、象をトラックで砂漠の中を運んでくる。象が糞尿を排泄する場面がのっけから出てくる。パーティに来た無名のロビーを中に入れてやる。メキシコ人はブラッド・ピットに気に入れられ、雑用から映画の道具調達まで仕事をこなし、映画界に入っていく。代役でロビーは注目され、瞬く間に大女優となる。それを貶す映画人もいる。メキシコ人も映画の製作にかかわるようになる。

最後はロビーも没落し、賭博で膨大な借金をこしらえる。メキシコ人が用意させた大金は映画用の札で、それがばれて危うく命を落としそうになる。メキシコにロビーと車で逃げようとする。国境近くでロビーを見失う。戦後になってメキシコ人は家族と共に自分が活躍したハリウッドに戻ってくる。映画館に入り、かつての栄光の夢を見る。

2026年6月28日日曜日

バートン・フィンク Burton Fink 1991

ジョエル・コーエン監督、米、116分。時代は1941年、ニューヨークの劇作家、バートン・フィンクは評価されている。ハリウッドから映画のシナリオ作家にならないかと誘いが来る。ハリウッドに行き、映画会社の社長と会う。レスリング映画の台本を書けと言われる。

ホテルの部屋でタイプライターを前に座っていると隣室から音が聞こえる。フロントに言って注意してもらう。扉を叩く音がする。開けると隣室の男である。大男で下に何か言ったかと迫られる。フィンクはたじたじとなって譲歩した言い方をする。二人はそれから仲良くなる。フィンクは映画のシナリオが書けずに困っている。遭遇した有名な作家と知遇を得て、招かれその女秘書兼情人とも知り合う。ある日、その秘書兼情人がフィンクの部屋を訪ねてくる。朝起きたら寝台の脇にはその女が寝ていた、だけでない、朱に染まって死体となっていた。驚愕したフィンクは隣室の男に話す。男は死体をシーツにくるみ、処理しに行く。男はホテルを出るが、また戻ってくると言い、フィンクに立方体の包みを託す。

後に刑事たちが来る。隣室の男は連続殺人犯だったと聞かされる。フィンクは書いた台本を社長に見せるが、全く気に入ってもらえない。後に日本との戦争が始まり、社長は参戦する気でいる。隣室の男が戻ってきて、刑事たちを皆殺しにする。フィンクは海辺に行き、腰を下ろす。たまたまやって来た若い水着の女が、部屋にかけてあった絵と同じ格好の、波打ち際に後ろを見せて座る。

2026年6月26日金曜日

ジュリアン・シモンズ『コナン・ドイル』 Conan Doyle: Portrait of an artist 1979

シャーロック・ホームズの生みの親、コナン・ドイルの伝記兼評論である。コナン・ドイルに少し関心があれば、ドイル自身はホームズ物が好きでなく、金のために書いていた、本当に書きたかったのは歴史小説だった、晩年の心霊主義への傾倒は知っているだろう。少なくとも自分でもそれくらいは知っていた。この本でそれにとどまらず知ったのは、ドイルは書斎の人とは程遠い活動家で、スポーツ万能、体格も180cmもあった。生涯に渡って常に積極的に行動し、ともかくヴィクトリア朝精神の権化で、それは偏見や独善、傲慢、狭量であったが、それ故の自信と勇気の人、愛国主義者であった。

晩年に息子を含む近親者が次々と亡くなり、そのあたりは不幸であった。心霊主義への関心はそれ以前からあったが、これらの不幸がドイル自身をより深まらせたと思う。本書は176頁の文庫ながら写真も多く、巻末に著作一覧及び索引まで載っている。ドイルの伝記では特に優れているのではないか。

刑事グラハム/凍りついた欲望 Manhunter 1986

マイケル・マン監督、米、126分。元FBI捜査官の主人公は乞われて、連続一家皆殺し殺人事件の解明に乗り出す。手がかりを得るため、刑務所に収容されているレクター博士の元に行く。主人公につきまとう雑誌記者はそれを記事にする。殺人犯は記者を捕えて火あぶりにする。

レクターと犯人の間で通信が始まる。暗号で何を伝え合っているのか、その解明に時間を要する。犯人は勤務先の盲目の若い女と知り合い、関係を持つ。ところがこの女に恋人がいると分かり、その相手を殺して女も攫う。主人公らFBIは、犯人が殺された一家双方のホームビデオを現象した会社に通う、バンを使う白人だという事実から、照合で犯人の名と住所を突き止める。主人公らFBIの面々が犯人宅に着き、主人公は家に飛び込む。犯人から撃たれて負傷する。その後から来たFBIらも次々と犯人に射殺される。主人公は起き上がり、犯人とも撃ち合いで相手を倒す。女は救助された。

アルティメット・コマンドーCIA vs デルタフォース The 2nd 2020

ブライアン・スキーバ監督、米、99分。米陸軍特殊部隊(デルタフォース)の隊員である主人公が大学の寮へ息子を迎えに行く。息子は女子大生と仲良くなっていた。その女子大生は最高裁判事の娘で、誘拐しようとしているのがCIAの連中である。CIAの長官は自分のいうことを聞かない判事の娘を攫い、脅すつもりだった。

娘を迎えに来た者が普段と違う。息子のために来た隊員は、不審に思い、娘に父親に連絡して確かめろと言う。別の者など寄こさないという返事で、会話は切れてしまう。攫う連中が通信を操作したのである。これ以降は隊員、その息子、判事の娘を襲い、娘を攫おうとするCIAと隊員及びその息子との大学内を舞台にした戦いになる。CIAの者どもは隊員に倒される。CIA長官は一度は娘の誘拐が成功したと思ったが、そうならず内輪の者に殺される。

2026年6月24日水曜日

デモンズ 2 Demoni 2 L’incubo ritorna 1986

ランベルト・バーヴァ監督、伊、90分。高層のマンションでゾンビどもが暴れ、住民たちとの戦いになる。若い娘の誕生日で友人等が集まってパーティをしていた。当の娘はテレビを見ていた。それはゾンビが出てくる映画で、探検に来た若い男女に襲いかかる。この映画を映しているテレビの画面からゾンビが出てくる。『ビデオ・ドーム』と同じ形態。娘をゾンビは襲う。ゾンビ化した娘はパーティの面々を驚かせ逃げさせる。

夫の帰りを待っている妻にも子供ゾンビが現れる。格闘が続く。なかなか子供ゾンビは死なない。夫が帰宅して片付ける。マンション全体で、住民たちとゾンビの戦いが行われる。最後は妻は子供を産み、ゾンビもいなくなった。

2026年6月23日火曜日

鏡の中の女 Ansikte mot ansikte 1976

ベルイマン監督、瑞典、119分。主人公の女精神科医が引越しのため空になった部屋で、祖母に電話する。祖母宅に行く。祖父は寝たきりの状態。女精神科医は自分の患者がうまく治らないので気分が良くない。夫と娘がいる。夫はアメリカに行って長い間会っていない。パーティで男の医者に紹介される。女たらしと言われている。

女精神科医は何もない部屋で、自分の患者が横たわっているのを見つける。救急車を呼ぼうとしたら男二人が現れ、暴行しようとする。女の身体が反応せず男たちは諦め去る。これがきっかけで女は精神状態が一層悪化する。恋人となった男の医師の元で、寝るわけでないが、女は自分の過去の精神的外傷について語る。母親からも祖母からも愛されていなかったと。男はいたわる。自分の娘と会う。娘から母親は自分を好いていないと言われる。祖母の家で、祖母が悪化が進む祖父を看護しているのを見て愛の形を知る。

2026年6月21日日曜日

心のともしび Magnificent obsession 1954

ダグラス・サーク監督、米、108分、総天然色。金持ちのドラ息子が湖でモーターボートを飛ばしている。同乗の女は怖がって岸で降りる。その後も男は爆走し、事故を起こす。呼吸器で手当てを受けている。その時同席していた警官に電話がかかり、早く呼吸器を病院に返してくれと言われる。警官が病院に返しに行く。同じ時間に病院の院長の夫人と娘が車で帰宅の途にあった。病院に着くと院長が死んだと分かる。呼吸器が間に合わなかったのである。

ドラ息子は病院で自分が助かったため、院長が死んだと聞かされる。病院に行く。夫人に会って償いの金を渡そうとしても拒絶される。その後も夫人を追いかける。しつこい男を避けるため、車から飛び出した夫人は事故に会い、失明してしまう。医者は匙を投げた。男はヨーロッパならいい医者がいるかもしれないと捜し、夫人を自分の費用で何も言わず、会う時は偽名を使って、ヨーロッパに旅出させる。ヨーロッパの医師たちの診断でもやはり治療は無理と分かった。男はヨーロッパに行き、夫人に会い、相手が自分を好いてくれているので求婚する。夫人は自分があの男だと知っていた。明くる日、夫人と友人の看護婦は何も言わずに去る。行き先を捜しても分からない。

男はアメリカに帰り、医師の勉強を始め、医師になる。何年も経ってから夫人が医院に入院し、危ない状態と知る。早速そこに行く。直ちに手術の要がある。男は自信がなかったが執刀する。後に夫人が意識を取り戻してから、目が見えると言い出す。

2026年6月20日土曜日

発狂する唇 平成11年

佐々木浩久監督、オメガ・プロジェクト、75分。連続女子中学生殺人の罪に問われている若い男の一家には嫌がらせが相次ぎ、テレビ記者も家の前で他の報道陣と共に集まっている。

一家の残りは女ばかり、母親と姉妹である。妹が兄を捜すため心霊研究所に行き、霊媒師を招くが家族の反発をくらう。一方で宇宙から来たような不思議な二人組とも会う。家には刑事がやってきて嫌がらせをする。公園に逃げた妹は別の刑事の追及に嫌気がさし、超能力を発揮してその刑事を念力で殺す。妹は家に来た刑事に暴行される。

霊媒師の導きで離れた場所にある家屋に行く。するとそこには殺された女子中学生の首が隠されていた。実は殺人犯人は一家の女たちだった。無実の息子に容疑がかけられていたのである。殺された子供の親たちが同席して、首を見つけ怒り狂って一家を追いかける。林の中で大乱闘になり、ほとんどの者が死ぬ。

ロビンフッドの冒険 The adventure of Robin Hood 1938

マイケル・カーティス監督、米、102分、総天然色、エロール・フリン主演。戦前の作で、『風と共に去りぬ』の前年の製作だが、総天然色できれいな色である。数あるロビン・フッド映画の原典であり、標準作となっている。シャーウッドの森での義賊のロビン・フッドの活躍は定番化した内容である。

ここではマリアンがリチャード王の被後見人であり、初めは敵のジョン王弟の一家の一人であり、ロビンをならず者と思っていたが、ロビンを知るようになってから惹かれていく筋である。十字軍に行っていたリチャード王が帰還し、ロビン一味が王の臣下になるところまでであり、ロビンの最後までは映画にしていない。

2026年6月15日月曜日

サイモン・ブレット『死のようにロマンティック』 Dead romantic 1985

我孫子武丸『殺戮にいたる病』のレビューに、この作品と似ていると言っているものがあった。『殺戮にいたる病』はなぜかベストセラーになっているらしいが、単に気色の悪い描写の多い猟奇殺人犯罪小説に過ぎない。このイギリスの小説を読んで、どこが似ているんだとしか思えなかった。少し考えて、多分、作者が読者に犯人を騙そうとする書き方をしているところかと思った。推理小説好きはトリックしか関心がないので、それ以外の小説のあり様に何の興味もないらしい。小説全体に関心のある読み方であれば、全く違う感想を持つ。

次のような内容である。1980年代のイギリスのブライトンというまちが舞台。そこの語学学校の教師である女は、30台後半だが独身でかなり空想的な性癖である。この学校に男の教師が赴任してくる。既婚者だが、女と男は相思の間柄になる。この女教師の生徒である18歳の童貞の若者(子供のような感じ)は、女教師に対して熱烈に恋をしている。同年代の若い子にも少し関心があるが、良心のかけらもない友人にこの女友達を寝取られたと思い悩む。それより憧れの女教師が男の同僚と恋人と分かって怒る。

途中で娼婦の殺人事件が起こる。何も名前を書いてなくて、読者に誰かと思わせるような書き方である。若者は女教師とその恋人が一緒に泊まろうと計画してるのを知り、何としても阻止すべく女教師の車を猛スピードで追いかける。そのため警察に捕まってしまう。ホテルに着いていよいよ事に及びそうになると男は乱暴を働き、女はたまたまあったナイフで刺して殺す。実は男は連続殺人犯で娼婦殺しもしていた。独身なのに既婚のように装っていた。女教師はその後も教師を続け、何の嫌疑もかからなかった。警察も男が連続殺人犯であると分かったので、逆に娼婦に殺されたのだろうと見当をつけて終わった。

2026年6月12日金曜日

西尾幹二『国民の歴史』 西尾幹二全集第18巻 平成29年

独文学者の西尾による本書は平成11年に刊行された。日本で主流の左翼的歴史観に真向から反対するその記述は多くの議論を呼んだ。その後文庫化され、西尾の全集に収められた際には、過去の批判への対応などが書かれている。

本書は左翼的歴史書ではないが、だからと言って書名から連想されるような通史ではない。著者の歴史観を述べた書である。だから古代については多く述べられているが、その後の歴史展開を追った書ではない。これまで日本で主流だった左翼の歴史観に対する批判が非常に多い。そういうわけで本書を多くある日本史を、保守的な観点から書いた本と思わないように。

2026年6月9日火曜日

アンリ・カルティエ=ブレッソン『The decisive moment』 2024

別に写真に凝っているわけではないが、何年も前、仏の写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真集『決定的瞬間』は、古典だと聞いた。それでAmazonでかなり高価だったが注文した。英の書店で、到着まで随分時間がかかるはずだった。ところがかなり経ってから注文が一方的にキャンセルされた。理由も何もなく販売元からキャンセルされたのは後にも先にもなく、この時だけである。それからこの写真家に当時は未練があったのか、『アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集成 国際共同出版』という岩波書店から発売されていた本を買った。これも自分が買う本では高かった。

その後かなり経ち、この写真家を忘れ始めていた。ところが先月たまたまAmazonでこのThe decisive momentを売っているのを見つけた。それで注文した。昔よりは値段が安い。半月ほどして届いた。包装を開けてまず思ったのは「小さい!」であり、若干驚いた。写真集てのは大型本が多いではないか。元々この大きさだったのかと思ったりしたが、調べてみるとこれは2024年に発売された新版であり、大きさを以前の物より小さくしたと分かった。届いた本は23cm×18cmで、菊判より若干大きいくらい。元の本は37cm×27cmくらいあるらしい。横幅が今度の本の縦の長さより長い。持ち運びしやすいし、場所も取らないという利点はあるが、このコンパクト化に対して、外国のレビューを見るとカンカンになって怒っているものがある。

内容は次の様になっている。まずカルティエ=ブレッソンによる前書きがある。写真の部は西洋篇と東洋篇に分かれる。西洋篇では#1から#63まで写真があり、その後、各写真のキャプションがある。いつ、どこで撮ったかの情報の後、写真によっては説明がある。多分一番有名な、水が張っていて、梯子が横たわっているところを男が跳んでいる写真については、どういう状況での撮影か書いてある。西洋篇の後は東洋篇が#64から#126まであって、キャプションがある。その後は、写真家への注や本が出来た経緯を他の人が書いている。なお頁数が振ってあるのは写真の頁だけで(p.126 まで)、それ以外の頁には頁数はない。元々この本は70年以上前の出版で、写真が撮られたのは戦前から1950 年頃までである。共産革命直前の中国の写真が幾つかあって、それらを見ていると古い時代の撮影と、余計実感する。非西洋では服装が変わっているから。西洋は昔から洋服を着ているので今と連続している。

2026年6月5日金曜日

もしも徳川家康が総理大臣になったら 令和6年

武内英樹監督、東宝、110分、浜辺美波ほか。新型コロナ時の日本が舞台、総理大臣がコロナで急死する。代わりの総理はじめ閣僚を、AI技術によって昔の偉人たちを出現させてやらせる。総理大臣が徳川家康、官房長官を坂本龍馬、財務大臣を豊臣秀吉、経産大臣を織田信長、その他、紫式部や徳川綱吉、北条政子などが出現し、各大臣の地位につく。記者をしている浜辺は特に坂本龍馬に気に入れられ、取材をしていく。

家康内閣は新機軸で人気を博す。個人的に織田信長の人気は高かったが、突然、消えてなくなる(死ぬ)。その遺志を継いだ秀吉が今度は大人気になる。しかし信長暗殺の犯人は秀吉だったと分かる。秀吉は今のダメな日本には自分の指導が必要だと演説する。家康を牢屋に閉じ込めたが、家康は出てきて秀吉に対抗する演説し、日本人を信じたいと話す。秀吉は自ら消える。家康内閣は辞職し、閣僚凡てが消えてなくなる。

2026年6月4日木曜日

まわり道 Falsche Bewegung 1975

ヴィム・ヴェンダース監督、西独、104分。主人公の青年ヴィルヘルムは作家だが、スランプに陥り旅に出る。列車で出会った大道芸人の老人と少女。少女は口がきけず芸担当でナスターシャ・キンスキーが演じている。老人は後にナチスの軍人だったと分かる。主人公を慕う女優が出てくる。また放浪詩人の青年、これらと一緒に旅を続ける。

詩人の叔父の家と思っていくとそこは別人の家で、ただし歓迎され、留まるよう要請される。そこの主人は妻を亡くし、自殺を考えていた。後になって実際に自殺した。一行はまた旅に出て、別れる者も出てくる。主人公はまわり道をしてきたと回想する。

2026年6月3日水曜日

我孫子武丸『殺戮にいたる病』講談社文庫 1996

推理小説というより猟奇犯罪小説というべき。確かに最後にトリックが明かされるが、それより殺人の描写がスプラッター的、スラッシャー的に書かれており、その驚きに比べると、トリックなど付け足しのように思えてくる。

女が次々と殺される。しかも胸部や更には他の箇所まで切り抜かれていた。退職した刑事が世話になっていた看護婦まで犠牲になる。また犯人の家では、母親なるものが自分の家族の犯行ではないかと疑心暗鬼になる。姉を殺された妹は、元刑事と組んで犯人を捜していく。実際に犯人に捕まって、あわやという所で乱入した男と犯人が格闘する。男を殺した犯人は自宅に戻るが、そこで真相が明らかになる。初版は1992年。

2026年6月2日火曜日

女死刑囚 平成3年

高瀬昌弘監督、90分、柏原芳恵主演。映画は柏原芳恵が死刑台に連れてこられる場面から始まる。首に縄をかけられ、無実だと叫ぶ。なぜ死刑囚になったのか。恋人が車を暴走ともいえるような運転している。止まった時、警官が三人来たが、何者かに撃ち殺される。柏原が目が覚めた時、手に銃を持っていた。近くに警官三人の死体があるので、殺害容疑がかかった。死刑宣告を受ける。柏原の家では父親が病気で死に、その他の家族にも不幸が襲いかかる。

死刑台で絞首されたが、後から生きていると分かった。周りにいた連中によって、これから殺し屋になるのだと宣告される。その後は女射撃手として外国に行き、銃撃戦に参加する。最後は悪役を殺す。母親と妹が東京で歩いているところを後ろから見守り、そのまま姿を消す。

2026年6月1日月曜日

火星から来たデビルガール Devil girl from mars 1954

デイヴィッド・マクドナルド監督、英、76分、総天然色(着色版)。スコットランドの田舎にある宿屋。離れた所に隕石が落ちた。若い男が入ってくる。宿屋の娘と知り合いである。脱獄囚だった。学者とジャーナリストが車で来る。隕石を調べるためである。宿屋には前からモデルが泊まっていた。

激しい光と共に空飛ぶ円盤が近くに着陸した。電話は通じなくなるし、車も動かなくなる。これは円盤のせいだった。長身の黒ずくめの衣装の女が宿屋に来る。火星から来たデビルガールである。火星では、男女間で戦争があり、男が負けて少なくなった。それで地球に男を調達に来たのである。本当はロンドンに降りるつもりが、間違えて田舎に降りてしまった。四角型のロボットも降りてきて光線で対象を焼きつくす。宿屋には少年もいて、好奇心から近づくとデビルガールに攫われてしまう。デビルガールは健康な男が必要なので、少年と交換として脱獄囚の男が円盤に乗る。予め破壊するよう、学者から言われていて、円盤が飛び立ち上空まで行ったら大爆発を起こして吹っ飛ぶ。宿屋ではお祝いのパーティを開く。

2026年5月31日日曜日

レンフィールド Renfield 2023

クリス・マッケイ監督、米、93分。題名のレンフィールドはドラキュラの弟子。ドラキュラのいいなりになって、ドラキュラに必要な死体の調達などを命じられていた。教会の懺悔会に出席して、心を入れ替え、ドラキュラとは違う道を歩もうとする。

警察は腐敗しており、アジア系の女警官のみは、父を殺された恨みもあって悪人どもを退治しようと奮闘していた。女警官が悪人どもに復讐されそうになった時、レンフィールドが助太刀して悪人どもを一掃する。レンフィールドは英雄視され、女警官から称賛される。ドラキュラは弟子のレンフィールドが自分の言いつけを守らず、教会に通っていると知って、その教会に押しかけ懺悔会の連中を皆殺しにする。その場にいたレンフィールドに殺しの容疑がかかり女警官に逮捕される。しかし悪人どもや警察によって取り囲まれ、女警官とレンフィールドはその場を脱出する。レンフィールドと女警官がいる家に悪人どもが押しかけるが、レンフィールドは皆殺しにする。悪人どものボスに屋敷ではドラキュラに支配され、手下などがドラキュラ化していた。レンフィールドは戦い、皆倒す。ドラキュラとの戦いでも最後には封じ込める。

2026年5月30日土曜日

美女宇宙人の侵略 Invasion of star creatures 1962

ブルーノ・ヴェソタ監督、米、79分、白黒映画。宇宙人の侵略を扱っているが、喜劇、お笑い映画である。軍隊にいる、お笑い芸人のような兵士二人が主人公である。基地の近くの洞窟で放射能が検出されたので、他の兵隊と一緒に調べに行く。するとボロのような身なりの怪人、怪物が出てきて植物人間だそうだ。怪力がある。

二人の兵士は長身の美人二人に会う。異星人で地球侵略の下調べに来たのである。兵士と異星人がやり取りしているうちに、兵士が長身美女に接吻するとそれで意が通い合い、仲が良くなる。兵士たちは器械をいじって、異星人の宇宙ロケットを発射させてしまう。これで母星に連絡できなくなり、地球侵略もなくなった。二人は地球を救ったので、軍隊で表彰される。兵士のうちもう一人はもう一人の長身美女と仲良くなり、みんなで楽しくドライブに去る。

美女とエイリアン Not of this Earth 1957

ロジャー・コーマン監督、米、67分、白黒映画。異星人が地球にやってきて地球の乗っ取りを企てる。異星人は血が足りなくて、殺人で血を集め母星に送る計画である。映画はデートから別れた若い女がいきなり男に会い倒れ、血を吸い取られる場面から始まる。男は血が足りないので、ある医者のところに行く。診て医者は男が異常であると分かる。看護婦を男の要望もあって、その家に住み込ませ、血の補給をする役をさせる。

男が使っている使用人はよく分かっていないが、主人が変わり者とは知っている。男は時々通信機械を使って母星の上司と連絡をとっている。次第に看護婦も男がただ者でないと分かり、知り合いの警官の忠告もあって、警戒する。最後に男は警官に追いかけられ、音に異常に反応するので事故を起こし死ぬ。

スティーヴン・キング『刑務所のリタ・ヘイワース』 Rita Hayworth and Shawshan redemption 1982

映画『ショーシャンクの空に』の元になった中編小説。語り手は刑務所に服役中で、品物を調達する男。後から入ってきた銀行員だった男が鉱物好きで小型ハンマーを頼む。またセクシーな芸能人のポスターを頼む。リタ・ヘイワースから始まり、何人もの女芸能人のポスターを壁に貼っていた。その男と語り手は親友になる。

男は極めて有能な男で、刑務所長ほかの申告書を作ってやり、おおいに節税させてやる。株で何を買えば儲かるかを所員に教えてやる。図書室を作らせそこを管理する。語り手に将来の夢を語る。メキシコの太平洋岸にある町に住むという。金もある場所に隠してあるという。何十年もしてから男は脱出に成功する。女のポスターの裏側の壁に穴が開いていた。官憲が捜しても見つからない。語り手も出所の時が来た。金を隠してあったと聞いた場所に行く。そこには男からの手紙があった。あのメキシコの町に来いという内容だった。

2026年5月28日木曜日

リラの門 Porte des lilas 1957

ルネ・クレール監督、仏、94分、白黒映画。リラの門はパリの下町、主人公は怠け者であり泥棒もするような男で、親友の芸術家(音楽家)といつもつるんでいる。連続殺人犯が逃げてきたと連絡が入り、人々は怯える。その殺人犯が銃を持って芸術家の家に入ってきて、地下室に逃げる。主人公は人を売るのは嫌だと言って警察に通報しない。警察が捜しに来ても匿って殺人犯を保護する。殺人犯の言いつけで恋人の家に行くが、女は犯罪者は嫌だと言って協力を断る。殺人犯を逃がすため、芸術家のパスポートを作り、その写真を変えて国外に逃がすつもりだった。

知り合いの酒場の娘がたまたま、殺人犯に会って好きになる。娘は親をだまし、殺人犯と付き合うようになる。主人公は娘も好きであり、殺人犯も逃がしてやるつもりだった。殺人犯が逃げる時に娘に言付けを主人公に頼む。娘は金を渡し、自分も後から行くと殺人犯に主人公を通して伝える。殺人犯は金だけ貰えばよく、娘は捨てるつもりだった。それで主人公は怒り、殺人犯と格闘する。銃声がして殺人犯の方が殺された。

アナタハン The saga of Anatahan 昭和28年

スタンバーグ監督、大和プロダクション、92分、白黒映画。昭和19年から26年まで、南洋アナタハン島(サイパンの北)に取り残された女一人(比嘉和子)と男30人あまりで、女の取り合いが起こった出来事を元に映画にしている。

俳優は日本人なので日本語を話すが、説明の英語が常に流れる。比較的事実に忠実に作ったと言われるが、それ故に見ていてあまり面白くない映画である。

2026年5月26日火曜日

青い日記帳『いちばんやさしい美術鑑賞』ちくま新書 2018

著者は美術の専門家でないと言う。しかし永年美術鑑賞をしており、美術館に行ってそこにある作品をどう見るかの手ほどきをしている。『絵を見る技術』(秋田麻早子)がまさに絵を見る技巧を教えているのに対し、本署は絵を見る態度、心構えを説いている本と言える。

美術館に行って見るのを前提としているので、日本の美術館にある作品を取り上げている。絵ばかりでなく、工芸品や陶磁器なども取り上げ、西洋、日本、中国と多くの地域の作品が対象である。美術館とどう付き合うかについても解説があり、実際に美術品と向き合う手立てを教えてくれる本である。

2026年5月23日土曜日

リンカーン Lincoln 2012

スピルバーグ監督、米、150分。アメリカ大統領リンカーンの、南北戦争時を背景にした映画。1865年の初めから映画は始まり、戦争はこの年終わるが、まだ奴隷の扱いについて意見がまとまっておらず、憲法修正のための政治的駆け引きが延々と続く映画である。南北戦争やリンカーンについてあまり知らない者は、映画そのものが良く分からず面白くないだろう。

それで南北戦争やリンカーンについて勉強を始める者がいたら、そういう機会を作るのが本映画の貢献と言える。リンカーンは歴代の米大統領の中でも一番評価が高く、米にとっては英雄なのだろう。だから米国民が本映画を見る態度は他の国民とかなり異なっているのでないか。

日本で政治家の英雄と言えば、かつては豊臣秀吉が一番人気であったが、最近は晩年の朝鮮半島侵略以外何も語られなくなっている。革命児のように言われていた織田信長は、今の歴史家の評価では創造性ゼロの凡将だそうで、革命的などと言ったら笑われるらしい。前の戦争で敗戦となり、進歩派が支配的となったので、戦後の保守政治家は誰も評価されない。

トイ・ストーリー2 Toy story2 1999

ジョン・ラセター監督、米、92分。ディズニー、ピクサーの漫画映画。カウボーイの人形は片腕が取れそうになり、子供の母親に捨てられそうになる。その時、玩具収集家の男がカウボーイを見つけ、持っていく。専門家に頼み修繕してもらう。男はその他の玩具と一緒に日本にあるという玩具博物館に売りに出すつもりだった。

カウボーイが元いた家では、カウボーイがいなくなったので、みんなで捜しに行く。カウボーイは他の玩具と話していた。子供が大きくなると捨てられてしまうだけだから博物館に行かないかと誘われる。カウボーイもその気になる。みんなが苦労して助けにやってきた。カウボーイは売られる予定の他の玩具人形に一緒に行こうと誘う。しかし爺さん人形だけは反対する。最後は捨てられるだけだと。その爺さんの反対を押しきり、また売るつもりの収集家の手から逃れるのが後半の展開である。最後は元いた家に戻れる。

2026年5月22日金曜日

立花隆『死はこわくない』文春文庫 2018

著者が書いた死に対する論考や対談、講演を集めた本。著者は若いころは死がこわかったというが、今はそうでもないと言う。死とは眠っていく過程と同じであり、いい夢を見ようと思っていれば怖くないとか。死を理屈で考えると死んだらゴミになるという理解である。ただ感情的な自分の心持は理屈とは別の次元の話である。

理屈だけ言えば自分が死ぬとは確かに一切の思考も感情も、つまり自分自身がなくなってしまうわけだから、怖い。しかし自分の気持ちを落ち着けるための、死への理解なら自分が納得できるもので構わないと思う。

映画史特別編 選ばれた瞬間 Moments choisis des histoire(s) du cinéma 2002

ジャン=リュック・ゴダール監督、仏瑞、83分。ゴダールの映画史は、ゴダールが1978年、カナダで行なった映画についての連続講義が元になっている。これは現在では文庫で出ている。(ちくま学芸文庫)映画史とあるが、19世紀末以来の映画の史的展開ではなく、映画論というべき内容である。更に映像化されており、全体で全8章、DVD五枚組として発売されている。本DVDは一枚の84分で、全体からすれば、まさに瞬間といえる。

映像は映画からの引用、例えば初めの方で『狩人の夜』からの引用があって、これが一番長く、後の映画からの場面はもっと短くなっており、静止写真も多い。それらに字幕がついて、また語りが入っていて、随分せわしない映像が続く。何やら議論していたり、映画ばかりでなくマネやクリムトの絵が出てきたりする。何しろ映画だから見ている方が理解できなくとも、どんどん映像は進み、終わるとようやく終わったかという感じだった。

先に書いたDVD五枚組の全体は見ていないので、それとの比較や感想は言えない。文庫は以前買って読んだのだが、厚いし、内容も簡単でない。ただ活字だから今回のDVDと違い、意味が取れないと先に進まない。最後まで読み終えたか覚えていない。本DVDに対しては上に述べたように、自分では良いとか悪いとか評価できない。ただゴダールの映画である、ゴダールに関心があれば見たらと思う。

2026年5月21日木曜日

白き処女地 Maria Chapdelaine 1934

ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、仏、77分。カナダのフランス人の住む地区。女主人公のマリア(マドレーヌ・ルノー演)の父親は開拓に従事してきた。家も町とは離れた場所にある。マリアは三人の男から思われている。ジャン・ギャバン演じる、毛皮の取引をしている狩猟師。マリアもギャバンを憎からず思っていた。後は近くに住む青年。また都会からやってきた青年もマリアに恋し、こんな僻地でなく、都会生活を満喫しようと誘う。

ギャバンはマリアに再会を約し、別れて森へ戻っていく。冬の吹雪の中、ギャバンは苦労して進む。年が明けて、ギャバンの死体が見つかる。マリアは嘆き悲しむ。神父は嘆くマリアを婚約していたわけでもないしと諭す。母親が病気になる。医者を呼びに行くのも一苦労である。近在の青年は医者なんかあてにならないとして骨接ぎ師を呼んでくる。医者も骨接ぎも役に立たず、母親は死ぬ。マリアは近在の青年に結婚を約束する。

モスクワへの密使 Mission to Moskow 1943

マイケル・カーティス監督、米、124分、白黒映画。第二次世界大戦中に制作された映画で、反枢軸国で戦っていた同志のソ連を賛美する内容のアメリカ映画。ソ連に行った外交家の著作を元にしており、映画の初めはその著者の解説である。戦時中だから大統領に命令され、欧州各国に行き、ソ連まで行ってスターリンその他、ソ連の要人と会ってきた。欧州の政治家たちはみなソ連を脅威と見ている。実際のソ連はそのような国でないと主張する映画である。

ソ連初期の無声映画『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』(1924)をアメリカが進んで作ったような映画である。日本も敵国であったから、日本の外交官を悪く描き、中国でしている残虐行為を訴える場面もある。戦後のマッカッシー旋風による赤狩りとかけ離れている。映画中、ソ連で行われた粛清裁判の場面があって異様に生々しい。

蜘蛛男の恐怖 Horror of spider island 1960

 フリッツ・ベットガー監督、西独製のようだが、英語で米と孤島が舞台、75分、白黒映画。映画の冒頭はニューヨークで踊り子の選抜をしている。シンガポールで興行をするため、興行主はふさわしい踊り子を選定しているのである。結構長い場面で、行くべき女たちが選ばれる。

太平洋上を飛んでいる飛行機は火を吹き、真っ逆さまに海に墜落。救命ボートで興行主と女たちは海を漂う。島を見つける。上陸して小屋がある。入ると網目の向こうに老人の死体があった。ここで研究していたらしい。この小屋を棲み処とする。

興行主が一人で島を歩いていると、木の上から巨大な蜘蛛が襲いかかる。その蜘蛛を殺すものの、男は噛まれたので蜘蛛男になる。女たちは男が帰ってこないので捜しに出かける。その中の一人の女は蜘蛛男に襲われ死ぬ。残りの女たちは死骸を見つけ驚く。島にボートで二人の若い男がやってくる。ここにいた研究者の助手をしていて、戻ってきたのである。女たちが泳いで騒いでいるのを眺める。一人は女に銃で脅され捕まるが、後にもう一人の男も来て、この島から脱出できると言うので、女たちは大いに喜ぶ。夜はパーティで騒ぎ、はしゃぐ。一人の女が男と仲良くなり浜で逢引の約束をするが、蜘蛛男に襲われる。蜘蛛男を見つけた女たちは、男と一緒に蜘蛛男狩りに行く。女の一人が崖の上から落ちて死ぬ。後に蜘蛛男を退治し、女たちは船で島を出る。

2026年5月15日金曜日

秋田麻早子『絵を見る技術』朝日出版社 2019

名画の見方を説明した本である。名画と呼ばれる絵画を見て、それをどう見るのが正しいのか、深く絵画の意味を捕えるにはどうすればよいのか、よく分からないのが実際である。本書はそれを説明している。

絵の主役を捜せ、光や線の集まっている所、準主役がいる絵、角を避けるためにそれを阻止する措置をしている、ジグザグや曲線など視線を誘導する仕掛け。バランスを良くするには重要度も考える、昔は絵具は手作り、貴重だった色、左右の格、対角線と十字線、分割するパターン、横長の絵は正方形になるよう縦線を両方に立てる、などなど絵を読み解く技法の説明が書かれていて、読んでいてためになる本といった感じ。

アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』 Project Hail Mary 2021

大絶賛の空想科学小説であるが、自分には合わなかった。こういう分野に自分は興味が薄いのか。語り手、主人公は全くアメリカの映画に出てくる主人公のように自己肯定、自己主張の塊のような人間で、不愉快極まる。アメリカ映画の主人公を見ているとアメリカに生まれなくてよかったと思ってしまう。

太陽を食いつくすバイキンがあって、それを阻止するという話。主人公とその少数の仲間が地球、いや太陽系を助けるという設定で、まるでアサイラム映画だ。上巻の200頁くらいまで読んで、我慢して読み続ける必要を感じず止めた。将来読み返すことがあるかもしれない。

2026年5月8日金曜日

ストリンドベリ『赤い部屋』 1879

スウェーデンの作家ストリンドベリの処女長篇小説。ストリンドベリは戯曲が有名で『令嬢ジュリー』や『父』『稲妻』『死の舞踏』その他の劇がある。日本では戦前の方が、ストリンドベリは良く読まれていたのではないか。近代劇を先導したのは北欧の作家たちで、ノルウェイのイプセンに次ぎ、ストリンドベリの劇は評価されていた。日本でも戦前から劇団運動が盛んで、ストリンドベリが読まれていたのであろう。大正から昭和初めにその著作は独訳からの重訳で出版されていた。当時は独語読みのストリンドベルヒやストリンドベルクといった表記で出ていた。

さてこの『赤い部屋』は作家として世に出ようと決意したアルヴィッド・ファルクという青年と、その友人仲間たち、またアルヴィッドの兄夫婦という俗物らの生活、当時のスウェーデン社会を描いて、19世紀後半のスウェーデンの描写の一例となっている。ストリンドベリは自然主義と言われており、人生や社会の暗い面を辛辣に書いている。最初の方にそれまでアルヴィッドが勤めていた役所の実態が書いてあるが、まるでカフカの世界だ。そのほかの描写でも19世紀後半のスウェーデンはこんなにひどかったのかと思わせる書き方である。スウェーデンの印象と言ったら今世紀になってから移民などの話題があるが、かつては福祉の充実した先進国といったものだったので、余計驚く。ともかく19世紀のスウェーデンを対象にした文学はあまりないので、本書は貴重であろう。スウェーデンに関心があれば勧めたい。本書の書名「赤い部屋」とは当時のストックホルムに実際にあったカフェの名で、小説にも出てくる。

私的な話になるが、この小説の名を知ったきっかけとなったのは、鈴木清順が監督した『悪太郎』(1963)という映画である。大正時代が舞台であるこの映画の中で『赤い部屋』の訳本が出てきて、和泉雅子らが読んでいる。それで自分も読みたくなり、捜したのだが当然ない。図書館で古い訳本を取り寄せてもらった記憶があるのだが、ろくに読めなかった。今回の新訳で最後まで読めて幸いである。

2026年5月6日水曜日

コレヒドール戦記 They were expendable 1945

ジョン・フォード監督、米、135分、白黒映画。第二次世界大戦の初期のフィリピンから始まる。ジョン・ウェインは怪我で敵の巡洋艦攻撃に出られず、くさって病院に入る。そこの看護婦というより士官の女医師と出会い、恋に陥る。敵への攻撃はしたが、味方もやられるという風に戦争場面もあるものの、敵を倒す様子を描いた映画ではない。

上官からオーストリア方面に行くので護衛してくれと頼まれ、南方へ行く。女士官とは別れざるを得なかった。最後はウェインは帰還するため、迎えに来た飛行機に乗って去る。

2026年5月3日日曜日

陽は昇る Le jour se leve 1939

マルセル・カルネ監督、仏、93分、ジャン・ギャバン主演。映画は男が撃たれて、高層アパートの上の方の階段を転げ落ちるところから始まる。部屋の住人はギャバンである。警察がアパートを取り囲む。ギャバンは部屋で回想する。

ギャバンは工員で、ある日会った若い女に恋をする。求婚するのだが、女の方は煮え切らない。用があると言う女の後をギャバンは付けていく。興行小屋に入る。そこで犬を使った曲芸師に女は関心があるようである。曲芸師の相手役の女は舞台を降りてギャバンが座っている方に来て、曲芸師を悪く言う。口先だけで女を喜ばせるのだが、全く不誠実な男であると。その曲芸師は若い女を連れて小屋を出る。後で曲芸師だけ戻ってくる。女に色々言うとギャバンが口出しして曲芸師と言い合いになる。女は曲芸師に嫌気がさしているので、ギャバンと付き合いを始める。しかしギャバンの心は若い女にある。あの曲芸師がギャバンと女がいるところに来て、話があると言い出す。ギャバンと向かい合った曲芸師は自分は若い女の父親であると言い出す。後からそれは曲芸師の男のでたらめであると分かる。

男はギャバンの部屋にやってきて、また饒舌を弄し、ギャバンをいらつかせる。頭に来たギャバンが男の持ってきた銃で、相手を撃つ。転げ落ちるのが映画の初めである。アパートを取り囲む群衆や警察に対し、ギャバンは悪たれを放つ。警察が屋上からギャバンの部屋に催涙弾を投げ入れた。その直前に銃声がした。ギャバンが自殺して床に転がり、煙が充満する場面で終わり。

ルチオ・フルチのザ・サイキック Sette note in nero 1977

ルチオ・フルチ監督、伊、96分。主人公の女は超能力を持つ。子供の時、遠く離れた場所で母親が投身自殺するのを見た。成長して富豪と結婚する。夢で殺人事件を見る。中年の女が殺されている。他に断片的な場面を見る。夫の所有する別荘に一人で行く。ある部屋にいる時、壁の中の死体を感じ、壁を崩すと白骨があった。警察の調べでは20代の女らしい。自分が見た中年女と違う。この死体が夫の昔の恋人と分かる。

夫に容疑がかかり逮捕される。女は友人の男や義姉と共に夫の疑いを晴らそうとする。後に、女が見た幻視は予知夢ではないかと言われる。未知の女から電話がかかってきて、夫に有利な証拠を提供するという。そこに行く。すると中年女が殺されていた。あの夢で見たそのままである。女はそこの屋敷で毒牙にかかる。後に調べに来た友人の男や警察が察するところで映画は終わり。

2026年4月30日木曜日

曳き船 Remorques 1941

ジャン・グレミヨン監督、仏、ジャン・ギャバン主演。ギャバンは難破船を曳航する救助船の船長である。妻は夫のギャバンがいない日が多いので嘆いている。

嵐の夜、救助の連絡が入ったので行くのだが、救助対象の船は船長が変わった男で、救助などいらないと言い、曳き船からの綱を切ってしまう。この船長の妻は夫の横暴に嫌気がさしており、嵐の中、ボートで船を逃げだしギャバンの曳き船に助けられる。この逃げてきた妻とギャバンは愛し合うようになる。逢瀬を重ねる。ギャバンの妻は病気で亡くなる。それを女と会っている時に聞き、急いで戻る。女はその間にギャバンから去る。

顔のない悪魔 Fiend without a face 1958

アーサー・クラブトゥリー監督、英、74分、白黒映画。カナダの空軍基地近くの集落では謎の死が起きていた。また空軍の試験も原子力を上げてもうまくいかない。近所の中年夫婦は叫びを上げて二人とも倒れる。怪奇事件の続出は何か空軍が関係しているのではないか。村からはそんな声が上がる。空軍の軍人は突然死した若い男の妹宅に行く。これで知り合いになる。若い妹はある博士の元で研究の助手をしていた。

最終的に明らかになるのは、博士の研究で必要な原子力を近くの空軍基地からいわば内緒で盗む形で利用しており、それが見えない怪物を作り出し連続殺人や空軍実験の失敗を招いていた、という事実である。その見えない怪物は姿を現わす。脳みそに脊髄が尻尾のようについている。多数の脳みそが博士宅を襲い、銃等で倒す場合も多いが博士などは殺される。対応には原子力発電施設を破壊するしかない。軍人がそれに赴く。簡単に原子力施設は爆破される。怪物どもはバタバタと落下して死ぬ。

2026年4月29日水曜日

ダージリン急行 The Darjeering limited 2007

ウェス・アンダーソン監督、米、91分。父親の死をきっかけで、それまで疎遠だった男の兄弟3人が会い、インドを列車で旅行していく。

一人は係員のインド女と関係し、また毒蛇を買った男はそれを取り上げられる。三人は列車から降ろされる。たまたまインド人少年の死に立会い、その遺体を村まで運んで行く。葬式に参列しろと言われる。飛行機に乗る直前、取りやめて母親のいる場所に行く。また列車に飛び乗り、旅を続けて行く。

2026年4月28日火曜日

ハンス・ロスリングと家族『ファクトフルネス』 Factfulness 2018

人々は思い込みによって、世界を誤って理解している。実際のデータで正しい理解をすべきと説く本である。著者はスウェーデンの医者である。著者は世界中で質問をしてきた。選択肢のうちどれが正しいかという問いで、多くの誤った回答を得てきた。世界は悪い状態である、低開発国の人間は、先進国と違ってひどい生活を送っている、という思い込みである。実際はデータを見ると改善されてきており、先進国の人間が思っているほど、現在の生活は悪くない。数十年前の先進国と同じような生活をしている。

そもそも豊かな国と貧しい国という二分法が間違っている。4つの水準に分けて世界の国々を分類すべきである。世界は分断されている、どんどん悪くなっている、目の前を過大視する、単純化する、犯人捜しをする、など十の分類に分けて、誤った思い込みをする要因を探る。改善するため、今すぐ行動に移せと提言する。(上杉周作、関美和訳、日経BP社、2019)

2026年4月27日月曜日

密会 昭和34年

中平康監督、日活、71分、白黒映画、桂木洋子主演。桂木は東大教授のかなり若い妻である。夫の教え子たちが家に来る。その中の一人と不倫の関係になっていた。

ある夜、二人が繁みで会っていると、タクシーが止まり、そこから男が出てきた。後から出てきた男は最初の男を刺し逃げる。明くる日、新聞を見るとタクシーの運転手が殺されたと記事が出ている。自分たちが見た事件であった。桂木は何食わぬ顔で過ごそうとしたが、相手の大学生は警察に行って話そうと言うのである。桂木は強く反対する。自分たちの間がばれてしまうではないか。その醜聞に耐えられない。しかし大学生は運転手の家族のためにもぜひ話すべきと言い張る。

家を出て駅に向かう。桂木は後を追う。駅のホームで電車が来る直前、桂木は大学生を突き落とす。大学生は轢かれる。桂木はその場を逃げて離れ、坂道まで来て息をつく。しかしほどなく自転車を漕いだ男二人がやってきて、桂木を捕まえ見ていたぞと言い、引き立てていく。

2026年4月26日日曜日

バワリイ The Bowery 1933

ラオール・ウォルシュ監督、米、92分。19世紀末のニューヨークが舞台。バワリイとはその地区の名である。ここで大物とされているのは酒場を経営している男で、孤児の少年を息子のように可愛がり、同居させている。ライバルはにやけた二枚目で、男と張り合っている。

火事の知らせが来ると、お互いに消防団を率いているので我先に火事の現場に駆けつける。江戸時代の火消しのようなものである。現場に着いても二人が自分の方が先だと喧嘩し、消火はそっちのけで地域は全焼する。歌手希望だが仕事のない若い女と知り合い、助けるため自宅に連れてくる。すると同居の孤児はすねて出ていく。ライバルは、男の家にいる若い女を見て惚れ、女も相手を好きになる。二人で海辺へ遊びにいったりする。

ライバルがブルックリン橋から飛び込むと宣言し、話題になる。男はできたら店をライバルにやると賭けをする。ライバルは人形を作り飛び込ませた。これでライバルの勝ちとなり、男は店をとられ、一文無しになっただけでなく、人々からも無視されるようになる。米西戦争が始まり、男は志願する。男にライバルの飛び込みはインチキだと言う者がいて、男はライバルの物となっている店に殴り込みに行く。二人で決闘することになる。島で行われた決闘から戻ってきたのは男であり、勝者となったので、また人気を取り返す。男に警察が来て、相手を負傷させた容疑がかかっていると言う。ライバルの病室ではあの女が付き添っていた。そこに来た男を、警察は負傷させた相手かときく。ライバルは否定する。警察は去る。男はライバルにお前も戦争に行けと誘う。映画の最後では二人が女と別れた後、軍服で行進し、孤児が荷車の中から顔を出す。

2026年4月25日土曜日

ヒッチ・ハイカー The hitch hiker 1953

アイダ・ルビノ監督、米、71分、白黒映画。ヒッチハイクをして車の運転手等を殺す犯罪者がいた。二人の男は途中で車がエンコしているらしい男を乗せてやる。実はその男がヒッチハイク殺人犯であった。銃を取り出し、自分の言うことを聞けと運転手とその同僚に指示する。

メキシコに逃げるつもりだった。ラジオで警察の動きを聞きながら車を走らせる。メキシコに着く。メキシコの警察は米の警察からの連絡で、ヒッチハイク殺人犯を指名手配にしていた。酒場で頼み事をすると、男の一人が殺人犯だと手配の写真を見て知る。警察に連絡する。男三人が着いた先でメキシコ警察が待っていて殺人犯を捕まえる。

2026年4月24日金曜日

愚か者の船 Ship of fools 1965

スタンリー・クレイマー監督、米、150分、白黒映画。舞台は1933年でドイツの客船がメキシコから出航する。その船上で起こる様々な人間の群像劇。有名な俳優としてシモーヌ・シニョレ、ヴィヴィアン・リー、リー・マーヴィンらが出ている。

特に主人公と言える者はいないが、シモーヌ・シニョレと船医の間に恋が芽生え、それが比較的大きい要素。シニョレは伯爵夫人と呼ばれ、島に着いたら収容所に入れられるらしい。船医は重病を持ち、家族との絆は切れている。ヴィヴィアン・リーは退廃的な雰囲気の婦人で、特に大きな事件が起こすわけでない。マーヴィンは女たちを買おうとする。

芸術家の夫婦がいていつも意見が合わず喧嘩をしている。小人の物知り男、ユダヤ人などの他、妻がユダヤ人だというので差別される男がいて、大声で抗議する。金がないので叔父を脅迫して取ろうとする若い男。途中から乗ってきた何百人というラテン系の労働者たち、仕事がなくなったので帰郷するのである。その中の一人の男はナイフで彫刻を彫るのが得意だが、海に落ちた犬を助けに飛び込み死ぬ。シニョレが途中の島で降り、船医も一緒に降りようとしたが止め、後に船上で病気のため死ぬ。船が港に着き、乗客らが下船するところで終わり。

2026年4月23日木曜日

戦争と母性 Pilgrimage 1933

ジョン・フォード監督、米、96分。アメリカの田舎町。青年が老いた母親と住んでいる。青年は隣家の若い娘と相思の仲である。しかし母親は娘との付き合いも結婚も許さない。自分を捨てて行くのは許せない。おりしも戦争中である。青年は志願したいと言っており、娘も母親も最初は反対していたが、母親は娘に息子を取られるくらいならと、自分から志願の手続きをする。青年は出征する前に娘と駅で会い、妊娠していると聞かされる。フランスの戦線に行く。母親のところへ息子が戦死したと連絡が来る。

10年経つ。生まれた赤ん坊は少年に成長している。未だに母親は娘や子供と付き合いしていない。息子を戦争で亡くした母親たちに政府の事業で、フランスに行く。母親は夜に橋で酔っぱらった若い男が、身投げでもするように見えて止める。タクシーでその男のホテルに連れていく。男はアメリカ人で、フランス娘との結婚を母親が許さないので絶望していた。母親は男の母親に会いに行く。ホテルで説得し、フランス娘との結婚を承諾させる。母親は米の田舎に戻ってくる。自分が今まで付き合っていなかった、息子の相手の家に行き抱きしめ、孫からも祖母と呼んでもらえる。

2026年4月22日水曜日

吉本隆明『13歳は二度あるか』だいわ文庫 2013

評論家の吉本隆明が13歳の少年に向けて、人生の生き方を自分の体験を通して語る。まず新聞を読めと言う。世の中が分かるから。人間のあり方は「個人としての個人」と「社会的な個人」という側面がある。後者は社会と交わる時の個人の側面である。さぼっている者がいたとしても黙って自分の仕事をすべきである。人間は強制では動かせない。自由な意思だけが人を動かす。「家族の一員としての個人」という、個人と社会をつなぐ面がある。

更に宗教、法律、国家がどういうものか述べる。次いで犯罪や死について述べる。なぜ人を殺してはいけないかという問いがあれば、自分で自分を殺してみればいいと答える。死が近くなると、死は自分のものでなく、周りの者の物になる。延命治療すべきかといった判断、死を納得するかなど、自分でなく周りの人間の物になる。また死は生の最終時点でなく、生と共にあるものであると言っている。生まれた時から生を照らし出すものが死だというのである。戦争について自分の体験から語る。最後に人間は自分の生まれた時代を引き受けて行くしかないと述べている。

人はなぜラブレターを書くのか 令和8年

石井裕也監督、東宝、122分。綾瀬はるかは食事屋をやり、夫、娘がいるが癌に侵されている。昔の時代に戻る。通学列車で好きな男に毎日会っている。その男子は進学校に通い、ボクシングも練習している。ボクシングの先輩はチャンピオンになると言っている。お互いに名前も知らず、男子は地下鉄事故で死ぬ。

綾瀬は大人になってから死んだかつての恋人あてのラブレターを書く。それを死んだ男子の両親が見て喜び、返信する。ボクシングの先輩は試合に勝ち、チャンピオンになる。綾瀬の娘は医者になると宣言する。綾瀬が死んだ後、娘が医学部受験に行くところで映画は終わり。

2026年4月20日月曜日

事件記者 真夜中の目撃者 昭和34年

山崎徳次郎監督、日活、52分、白黒映画。女の郵便局員が知り合いの男からクリスマスのケーキをもらう。同僚と帰る時、都電の停車場にそのケーキを置き忘れてしまった。そのケーキを見つけたタクシーの運転手は食って、後に運転中に死ぬ。ケーキの箱を見つけた警察はそのケーキに毒物が入っていると知った。

また郵便局に夜、二人組の強盗が入った。宿直の男を殺して逃げる。女の郵便局員は二階で強盗の名を聞く。新聞でタクシー事件を読んだ、ケーキを渡した男は驚く。その男は郵便局強盗の一人で郵便局侵入のため、局員に眠り薬入りのケーキを渡したつもりだった。それが毒薬だったのだ。郵便局侵入の男の名が新聞に出ている。知らずに毒入りケーキを渡した男は警察に行くと言いだし、仲間の男から刺される。郵便局員の女が来て介護する。強盗の男は高跳びを計るが、駅で警察から追われ、列車に轢かれる。

事件記者 狙われた十代 昭和35年

山崎徳次郎監督、日活、47分、白黒映画。深夜の神宮外苑で、若者たちがオートバイの競争をしている。賭けをしている。若い男はオートバイを借りて競争に参加した。人をはねてしまった。そのオートバイの持主で賭けの胴元をしている男は、若い男に大金を寄こせと脅す。若い男は姉の貯金通帳を盗もうとして、元軍人の父親に見つかりどやされる。その隙に、胴元の男は父親の拳銃を居間から盗む。

その拳銃で駅を襲い、来た警官を射殺してしまう。拳銃から胴元である前科のある男だと犯人は分かる。父親の軍人は警察に出かけて話す。オートバイ競争仲間にもぐりこんだ新聞記者は若い男に、はねた男は死んでいないと知らせる。記者の通報で警察がやってきて悪党どもは捕まる。

燃える平原児 Flamming star 1960

ドン・シーゲル監督、米、92分、総天然色、エルヴィス・プレスリー主演。西部に住むプレスリーの母親はインディアンである。父親が白人で、兄は前妻との子供、プレスリーは父親が再婚したインディアンが産んだ子である。インディアンが町を襲う。町人はプレスリーの家はインディアンがいるから襲われないだろうと嫌味を言う。

インディアンの若者はプレスリーのところに来て、仲間であると言う。母親はインディアンの部落に行って話をつけたいと言い、プレスリーと出かける。しかしもうインディアンの部落は母親を仲間と思っていなかった。気落ちして帰る途中、白人に銃撃され母親は負傷する。その白人をプレスリーはやっつける。帰宅して町に医者を呼びに兄弟は行く。しかし町人は医者を行かせない。後からプレスリーは強硬な手段で医者を連れてくる。しかし母親はもう死んでいた。プレスリーは医者が早く来なかったからだと医者に八つ当たりする。

インディアンの仲間になると行って出ていく。部落で歓迎される。父親はインディアンに襲われ、戦って殺された。プレスリーの兄が見つけ、死体を運ぶ。その兄もインディアンとの戦いで負傷した。プレスリーはインディアンの仲間から抜け出し、怪我をしている兄を助け出す。インディアンとも戦い、何人も倒す。プレスリーは負傷した兄を馬に乗せ、町に送り治療させる。後にプレスリーが町に来る。プレスリーは兄が大丈夫かだけ確かめに来た、と言って去る。

2026年4月15日水曜日

殺人者を消せ 昭和39年

舛田利雄監督、日活、94分、総天然色、石原裕次郎主演。裕次郎はサラリーマンであるが、毎日の決まりきった生活にうんざりしている。東南アジアで戦争をしているので、それに参加したいと思っている。東南アジア行きの船に密航で行こうとしたところを捕まって降ろされる。それを見ていた海運会社の課長は驚き、裕次郎の入っているブタ箱に面会に行く。裕次郎に次のような条件を持ち出す。

東南アジアに行かせてやる、その費用は持つ。ただし条件として、ひと月会社の社長になってくれないかと。見せられた次期社長の写真は裕次郎にそっくりである。社長、副社長とも事故死し、アメリカに行っている次期社長は帰国が遅れる。重役連は会社を乗っ取ろうと画策している。それで次期社長が帰国するまでの間、社長になりすましてくれないか、という頼みだった。裕次郎が社長として会社に乗り込む。重役連は実は前の社長と副社長を事故に見せかけ殺し、裕次郎も殺そうと企む。また次期社長には婚約者の十朱幸代がいて、十朱は次期社長の性格が以前と全く変わっているので、いぶかしがる。

重役連の企みは失敗し、逆に重役連が次々と死を遂げる。最後はヨットに乗ってここで真相が分かるのだが、課長が重役連を殺していたのだ。前の社長らと共に、課長の愛人も死んだからでる。重役連は凡て殺される。しかし課長は裕次郎のような能天気の男を憎んでおり、殺そうとしたが逆に自分が事故死する。十朱は裕次郎の正体を知ったが、かえって裕次郎のような悪人が好きだと言って迫る。裕次郎は飛行機で飛び立つ。隣の席には十朱が座っていた。二人は東南アジアの戦場でなく、スイスに行ってそこで結婚式を挙げる。

2026年4月14日火曜日

アクセモグル、ロビンソン共著『国家はなぜ衰退するのか』 Why nations fail? 2012

発展する国家といつまでも低開発のままいる国家の違いはなぜか。なぜ発展できたのか、また他の国家はなぜできないのか。この疑問に取り組んだのが本書である。従来から文化的要因、地理的要因などが挙げられてきたが、著者らはそれらを退ける。ここで著者が要因としてあげるのは、政治経済法制度が包括的か収奪的かの違いである。

収奪的制度では首長が自分の利益しか考えず、国家を成長させる技術や制度があっても採用しない。それに対して包括的制度をもつ国家とはあまり聞かない用語であるが、国家内の個人や企業に自由に利益を追求させ、それを保障するような市場、法制度の整っている国家である。それにはまず中央集権国家でなくてはならない。部族等が互いに争っているような国家では無理である。著者らは自分たちの主張を実証するため、多くの数量分析を行なったそうである。ただここでは数理的な記述は一切なく、歴史記述で説明していく。この歴史記述は本書で最も量を占める。歴史書と呼んでもいい。収奪的な制度は、まず初期に国家の発展をもたらすかもしれないが、永続しないという。そうなら中国の発展は続かないとなる。(ハヤカワノンフィクション文庫、鬼澤忍訳、2016年)

2026年4月13日月曜日

蓮實重彦『映画夜話』リトルモア社 2025

蓮實重彦による、映画館(渋谷シネマヴェーラ)で行った講演の記録である。同映画館で上映した(する)映画についての情報をあれこれ説明する。また映画人(吉田喜重、岡田茉莉子、倍賞美津子、監督の鈴木則文、評論家の山根貞男ほか、との対談、鼎談もある。講演であるから分かりやすい文である。蓮實の薀蓄が聞かれる。

2026年4月11日土曜日

突然の恐怖 Suden fear 1952

デヴィッド・ミラー監督、米、110分、白黒映画、ジョーン・クロフォード主演。クロフォードは脚本家。自分の劇を見ていて、男役が女にもてそうもない面をしているので交替させる。後にそれを気にする。列車の中で男と再会する。意外とよい男と思われた。付き合い結婚する。

しかし口述用の録音機に、男は知らずに情婦との会話が録音された。クロフォードは後になってそれを聞き、男が自分を騙し、殺して財産を奪おうとしていると知る。気が動転するが、なるべく男の前では平静を装うとする。

計画を立てる。男と情婦を騙しておびき寄せ、男を射殺してその容疑が情婦にかかるようにさせるものであった。しかし実際にその場になるとクロフォードは男を撃てない。逃げるが、男はクロフォードに気づき車で追ってくる。クロフォードは情婦と同じ格好をしていた。男は間違えて情婦に車をぶつける。情婦は死に、男も車が転倒して死んだ。

2026年4月7日火曜日

サスキンド『Growth』 Growth 2024

イギリスの学者による成長論。まず過去の経済成長を概観する。人類の長い歴史の間、成長しない時期がほとんどだった。成長が始まってからその成長要因を解こうとする試みがなされた。数量的に経済を計る手段がなければそもそも議論ができない。それで発明されたのがGDPである。GDPが出来たのちはその値、変化率(成長率)を第一と考えるようになった。

経済成長のみに関心があっても解決できない問題がある。それどころか成長によって、その代価として様々な問題が出てきた。気候破壊、不平等の拡大が生じた。技術の発達は従来の雇用への脅威、大企業への集中の他、政治決定まで影響が及ぶ。自由貿易、グローバル化はコミュニティを破壊したとある。こういった代償が生じたからと言って、著者は脱成長論者には組しない。「経済成長が消えたならば、それが意味するのは悲惨以外の何物でもない」(本書p.203)成長論で、昔は外生変数だった技術進歩はアイディアによって説明されるようになってきている。このアイディアを広める方策について言及する。ただ著者の基本的態度は「さらなる経済成長をするのか、それとも人間が大事にする経済以外のものごとを守るか、二つに一つかだと迫られて、圧倒的に前者を選んできた」(本書p.261)という、これまでの選択を批判する。

技術進歩の方向性を変えて、経済成長の性質も変えていけるとしている。成長だけで問題は解決できない。成長と環境、現在と未来、どちらを優先すべきか相反関係にある。政治の場での議論が必要で、それは政治家任せというのではなく、昔のギリシャの集会のようなもの、そういう場で検討が必要であろう。(上原裕美子訳、みすず書房、2025)

2026年4月5日日曜日

事件記者 時限爆弾 昭和35年

山崎徳次郎監督、日活、49分、白黒映画。すりの女がすった物の中に、今夜10時爆破するというメモがあった。女は警察に電話するが、相手にされない。その夜10時に貨物船が爆発し沈没した。乗組員の一人が死んだ。警察は女すりを捜す。女すりは自分がすった男をよく覚えているという。

爆発した貨物船の積み荷について記者たちは会社を回る。その中のある会社が価値のない積荷を高価と申告し、保険金を騙し取ろうとして、悪党に爆破させたのだった。広告を出して、女すりにすった男を会わせ捕まえようと警察は目論んだ。しかし警察が関係ない男に関わっているうちに、女が悪党に捕まえられる。女は悪党の隠れ家から逃げてきた。

保険金を騙し取ろうとしていた会社は、危なくなったのでトンズラしようとする。爆破をしかけた悪党が金を要求するので、会社の連中は銃で殺す。死ぬ前に悪党は逃げる連中の乗った船に爆弾をしかけておいた。警察がやってきて船との間で銃撃戦をしているうちに船は爆破する。

2026年4月3日金曜日

『ジャンヌ・ダーク』 Joan of Arc 1948

ヴィクター・フレミング監督、米、145分、総天然色、イングリッド・バーグマン主演。当時33歳になるバーグマンが、13歳で神の声を聞き、18歳で兵士として戦い、19歳で処刑となったジャンヌを演じているので、それが話題(というより批判)になってきた映画である。

これは田舎で少女として育ち、神の声を聞き、皇太子に会いに行く算段をし、軍隊を率い戦闘し、捕まえられ裁判になり、処刑されるという全生涯を収めているので145分でも描き切れない感はでてくる。それに基本的に史実に忠実に作ってあるので、面白おかしくする演出などはできない映画である。ジャンヌ・ダルクは史上最も関心のもたれる女の一人であろう。先に書いたように詰め込みすぎではあるが、ジャンヌの生涯について概観するのは良い映画と思われる。

2026年4月2日木曜日

五匹の紳士 昭和41年

五社英雄監督、松竹、89分、白黒映画、仲代達矢主演。仲代は車で人を轢いてしまい、出世がパーになっただけでなく、刑務所に入れられる。出所前に同室の平幹二朗から金になる話があると聞かされる。出てから指示された女に会うと、3人の男を消してくれ、報酬は1500万円と言われる。

最初の男は元警察官の井川比佐志で、会ってから仲代がいない間に何者かに殺される。井川の娘、少女を上原ゆかりが演じている。上原が付いてくるので、仲代はお守り役になる。次は田中邦衛で、最後の男は中谷一郎、いづれも殺される。

殺したのは中国人2人組で、以前彼らの大金を盗んだ、それで取り返しと復讐に来たのである。金のありかは服役中の平しか知らない。出所した平は仲代を金のある所に連れていく。変電施設で平は仲代を殺そうとしたが感電死する。仲代も手傷を負った。中国人が上原を誘拐し、金と引き換えに渡す、となった。上原を車に乗せてきた中国人は、馬鹿みたいな事で警察につかまる。仲代は金を上原に渡し、以前轢き殺した男の妻のところへ持っていけと言った。仲代も長くない。

2026年4月1日水曜日

黒岩重吾『法王の牙』中公文庫 2024

副題に「病院サスペンス集」とあるように、医療関係の話を集めた短編集である。収録作は昭和35年から48年という高度成長期で、特にまだ昭和30年代は貧しい時代であった頃の話である。著者の黒岩が大阪出身であるため、大阪が舞台の作品が多い。

『病葉の踊り』は戦争の影を引きずっている。戦時の経験が当時にからんでくる。『深夜の競争』は身体障碍者の病人たちの陰湿な確執、争いが下敷きとなっており、殺人が起きその原因が、障碍者たちならではの勝負にあった。『法王の牙』では医学界の徒弟関係、大物の醜さが描かれる。ある医師の妻が失踪した。新聞公開で捜そうとすると師であり、妻の義理の親である大物医師は名誉にかかわるので強く反対する。最後に原因が分かる。大物医師の実態のひどさも。

『さ迷える魂』は容姿に恵まれない看護婦の話。新しい勤務先の病院で、そこの医師にひどく惹かれる。しかも向こうから誘ってくる。有頂天になる看護婦。しかし実は医師は麻薬中毒であり、それを婉曲に隠すための方策の一つに使われていたと最後に分かる。『造花の値段』ではかつて上司に背いたので出世できないサラリーマンが主人公で、癌にかかっているのではないかと疑う。残りの人生が少なければやりたいことをすべきである。会社の機密を持ち出し、妻子を捨てて以前知った、四国の温泉の旅館の女中を訪ねる。その女中にひどく惹かれていたのである。女中とともに旅行で遊び、東京に戻ってくる。機密と引き換えに大金をせしめたが、実は女中には男がいて、大金と共に夜逃げする。主人公は自殺する。『最後の踊り』は戦時中、軍医とその下働きの男が戦後に病院を起こす話である。

2026年3月30日月曜日

ストリンドベリ『幽霊ソナタ』 Spoeksnaten 1907

室内劇と呼ばれる、ストリンドベリが自分の劇場で上演するために書かれた比較的短い劇。ある家の近くに車椅子に座った老人がいる。学生に声をかける。老人は学生をその家の魅力的な若い女と娶せるつもりである。昔、老人と学生の親が敵同士であった。

老人は家に入りそこの主人に命令する。最初は怒っていた主人であるが、老人が昔の事情を知っていると分かり納得する。この家の戸棚の中にミイラとなった老婆がいる。その老婆は老人のかつての恋人だった。老婆によって今度は老人の過去の実際が暴かれる。別の部屋、時間が経っているであろう、学生と若い女が対面している。学生は女に向かい恋情を打ち明ける。二人の会話は彷徨うように続き、劇は終わる。