2026年10月6日火曜日

血まみれ農夫の侵略 Invasion of blood farmers 1971

エド・アドラム監督、米、80分。古代のドルイド教が復活するため、血を集め、また女王復活に必要な生贄になれる女を捜している。映画の初めでは血まみれの男がヨタヨタ歩き、食堂に入って倒れて死ぬ。病理学者が調べてみると、血が増殖しているらしい。その学者の助手には恋人がいる。ドルイド教は農夫を使って血を集めている。その一人が助手の恋人が飼っている犬に襲われて、これを殺し、血を抜く。犬の死骸を見た恋人は失神する。

ドルイド教は女王を復活させる儀式を執り行いたい。それには生贄の若い女が必要で、その資格に助手の恋人が当てはまり、病理学者と共に攫われる。儀式の最中、やってきた助手は学者の指示で開発した液を女王にふりかけると、女王もドルイド教徒も凡て倒れる。恋人と学者は助かった。啞然とするほどつまらない映画である。

2026年10月5日月曜日

気分を出してもう一度 Voulez-vous danser avec moi? 1959

ミシェル・ボワロン監督、仏伊、92分、ブリジット・バルドー主演。バルドーは歯科医と恋愛結婚をする。仲違いして一時的に離れていた時、夫はダンス学校の女講師に誘惑されてその家に行く。その際に写真を撮られ、恐喝される。バルドーがそのダンス学校に行くと、女講師は殺されていた。夫に容疑がかかる。バルドーが夫を救うべく活躍する映画である。ダンス学校に雇われて忍び込むバルドー。ダンス場面があってバルドーのダンスが楽しめる映画。

2026年10月4日日曜日

発情アニマル(悪魔のえじき) I spit on your grave (Day of the woman) 1978

メイル・ザルチ監督、米、101分。田舎の湖畔に休暇で来た都会の女小説家が地元の若者4人に暴行を加えられ、復讐する話。田舎にある戸建休暇施設に来たニューヨークの女の小説家は、地元の若者4人から、暴行の限りを受ける。気の弱い男が、倒れている女を殺して来いと命じられたが、出来ずにそのままにしておく。

後に回復した女は復讐を始める。いかにも男に気があるように見せかけ、初めは首に縄を巻き、木から首吊りにする。次の男は風呂に誘い、気分を良くさせているうちに刃物で急所を刺し、風呂場に鍵をかけて閉じ込める。後に男は出血多量で死ぬ。残りの二人はボートの上から水につかっている中で殺される。

2026年10月2日金曜日

松本清張『断線』 昭和39年

銀行に勤めていた若い女は、証券会社の若い男と結婚する。女の親はいい顔をしなかったが、数ヶ月一緒なので認めざるを得なくなり、娘のために家を建ててやる。女は妊娠した。男は金で穴を開けたといい、娘の父親から百万以上せしめる。その後九州の支店に行くと言っていなくなり、その後連絡がなくなる。銀行に問い合わせると、男はもう辞めているという。女は中絶せざるを得なくなった。

男はナイトクラブに勤めている女の世話で遊んで暮らしていた。女からナイトクラブで仕事をしないかと言われる。遊んでばかりでは退屈するので男は承知し、別のナイトクラブで働く。そこに大阪から来ている婦人は男をいたく気に入り、大阪に来ないかと誘う。今の女にも飽きていたので、今の女から金をせしめるつもりだった。ところが今の女が意外と金を持っていないと分かると腹を立て、殺してしまう。偽名を使っていたので、足はつかないだろう。

大阪に行く。女の世話で家を持ち、ある製薬会社に勤めるようになる。口のうまい男はとんとんと出世する。ところが大阪の女はもう金がなくなったと言う。実は2号だったので、その主人が仕事で失敗し金を寄こさなくなったのである。こんな邪魔な女は殺すしかない。死体の始末をどうするか。社長は俳句に凝っている。それで社長に句碑を建ててはどうかと勧める。風光明媚なところがいいと言うのだが、社長はかつて師事していた有名な俳人のゆかりの地である鎌倉にしたいと言う。そこにせざると得なかった。邪魔な女をそこまで誘いだし殺して、句碑の立つ場所の地下に埋めた。ところが後に社長が句碑の立っている一帯に別荘を作ることになった。その別荘の設計上、句碑の場所を少し移動した方がいいとなり、句碑を動かすとその下に異様な臭いのするものがあるらしいと分かった。

JA750号機行方不明 昭和34年

山崎徳次郎監督、日活、63分、白黒映画。映画の初めはセスナ機が飛んでおり、それが落下して墜落する場面である。山梨の新聞社支局、ここに東京から来た(左遷された)新聞記者、待田京介がいる。地元の名士の令嬢が自殺したので、取材に行く。そこから帰る時、中年の地元紙記者に呼び止められる。中年記者は勝手に盗んできた写真を返せと言う。待田は断る。中年記者の娘と待田と恋人同士である。待田は特ダネを取って東京に帰りたくてしょうがない。

後に中年記者は仲間と居酒屋で飲んでいる時に偶然、待田に出くわす。泥棒記者と待田を罵る。二人で言い合いになる。工夫らの会話で、飛行機が落ちるのを見たと言っているのを耳にし、そこへ行く。まず待田が先に行ったが、後に中年記者も出かける。山中をよじ登って、現場と思しき方へ行く途中、後ろからついてきた待田は足をすべらせ、急斜面を落下する。中年記者はそれに気づき、下りていく。

待田はかなりの怪我をして動けない。包帯等で応急措置をした後、伝書鳩を籠から取り出し、手紙に怪我の様子を書き、鳩を放す。鳩が帰ってきて、手紙を読んだ娘は早速救助の手配をする。救急車が来て待田は運ばれるが、その際、中年記者は事故の特ダネを待田に譲る。中年記者は娘に、人生の特ダネが取れたかもしれないと言う。

2026年10月1日木曜日

松本清張『陸行水行』 昭和38~39年

語り手は東京の、日本史を専門とする私立大学講師で、九州に調査に来ている。そこである男に会う。愛媛の役場の吏員と言う。郷土史家で、彼から魏志倭人伝にある、邪馬台国への道筋の説を聞く。その見解は面白く、語り手は感心する。一緒の宿に泊まったが、明くる日、郷土史家は先に宿を立ち、それ以来会っていない。東京に戻り、先輩に郷土史家の説を話すと面白いと言った。

ところがその後、あちこちから講師に問い合わせが来た。いずれも古代史に興味を持って勉強している素人である。あの愛媛の郷土史家が来て講師の名刺を出し、東京の学者と面識があると言って、興味を持っている相手に魏志倭人伝の話をし、相手から宿泊や金をもらっているとある。語り手は驚く。更にある婦人から夫が郷土史家と会って大金を持って出かけ、いつまで経っても連絡もなく、帰ってこないと、知らせが来る。警察に届を出した。ついに九州の国東半島の半島の海岸で、失踪していた二人の死体が見つかったと連絡が来た。魏志倭人伝に従って、川を舟で下っているうちに遭難したものであろう。

2026年9月30日水曜日

血の唇 House of dark shadows 1970

ダン・カーティス監督、米、96分。ニュー・イングランドの古い館。この地下に眠る吸血鬼の棺を使用人が宝物と勘違いして開け、吸血鬼は復活する。吸血鬼はこの家の親戚と称し、イギリスから帰ってきたと言い、館を訪れる。壁に掛かっている古い肖像画と生き写しである。吸血鬼の毒牙にかかり、何人かが死ぬ。そのうち一人は女主人の娘で、自分も吸血鬼に変身する。

吸血鬼は家の家庭教師である女が、大昔の結婚が叶わなかった恋人にそっくりなので、自分のものにせんとする。犠牲者の血を調べていた女研究者は、そこに人間にはない成分があると知り、これを使えば吸血鬼を普通の人間にできると知る。吸血鬼を吸血鬼と知った女研究者は、人間に戻れて昼間でも生活できるようになると言って、その治療を進める。自分のかつての恋人に生き写しの女を吸血鬼は攫って、結婚式を挙げようとする。女研究者は、吸血鬼に恋していたのだが、他の者から吸血鬼が愛しているのは、生き写しの女だけだと言われ、嫉妬で吸血鬼の人間化の薬を大量に入れ、完全に老人にするが、吸血鬼から絞め殺される。老人となった吸血鬼が結婚式を挙げようとしている時に、女の恋人は殴り込み、吸血鬼を倒し、女を助ける。

松本清張『事故』 昭和38年

住宅街のある家に運送トラックが突っ込み、玄関などを壊した。運転手は居眠りをしていたと言う。会社の事故処理係がその家に赴くと、賠償は驚くほど少なくて済んだ。事故を起こした運転手は後に、山梨県で運送途中にいなくなり、死体で発見される。調べると殺されていた。しばらくして女の死体がやはり山梨県で見つかる。探偵社の調査員だった。この両事件の捜査は警察でも別の事件として扱い、調べたが共に迷宮入りになりそうだった。

小説後半で、探偵社の所長による説明がある。ある女から夫の浮気調査を依頼された。その夫は確かに他の女と関係があった。所長自ら調べたのは、依頼の女に興味があったからだ。実際にホテルで夫と情人が密会しているところを見つけ、所長は依頼した女(=妻)に電話で知らせ、女はそのホテルに来る。所長は女に会い、そこでかねてから関心のあった相手と関係を持ってしまう。これ以降、女と所長は密会を重ねていた。後になって、その女の夫、つまり所長が調べた男が探偵社に来る。所長は驚き、妻との関係がばれ殴りこんできたのかと思った。しかし実際は妻の素行調査だった。所長は男から自分がその相手である妻の浮気調査を頼まれたわけである。この調査を所長は部下の女調査員に命じた。

所長は女と会う時、ばれないよう余計に気を付けた。ホテルで会うと、女調査員に見つけられやすい。それで夫は家を留守にしていることが多いから、家で会おうと申し出た。その女の家に所長がいる時に、トラック事故が起こったのである。これは実は女調査員が企んだもので、近所に住む運転手にその家に突っ込むようにさせた。その際に驚いて隠れていた所長は飛び出し、近所の者らと共に張り込んでいた女調査員に見つかったわけである。女調査員は辞職を申し出る。真相が分かったからだろう。この女と運転手を亡き者にしようと、所長と今は情人になっている女で計画を立て、離れた場所で死体が見つかるように工夫し、殺害したのだった。

2026年9月27日日曜日

井上靖『黯い潮』 昭和25年

中年(当時の感覚)の新聞記者が主人公で、発表前年に起きた下山国鉄総裁怪死事件を背景とする。下山怪死事件を扱った書籍は多く出ているが、基本的にその謎を解くという意図で著者の考えが書かれており、小説の形で出ている物が他にあるか知らない。更に本書は、事件後1年しか経っていない時点での発表であり、過去の歴史となっていない当時に書かれた。

これは下山怪死事件だけを扱っているのではない。主人公の恩師の娘との縁談があり、以前の妻の、芸能人との心中が書かれている。周知のように著者は当時、毎日新聞に勤めていた。毎日新聞が他の新聞と違い、自殺説を支持していたのも知られているだろう。この小説で、当時から一般の国民の大部分が他殺に違いないと信じ、そういう情勢だったと読めば分かる。下山怪死事件の途中経過までしか書いていないが、新聞記者としての、また個人としての苦悩が描かれている。

2026年9月24日木曜日

井上靖『補陀落渡海記』 昭和36年

那智にある補陀落寺の住職金光坊は、61歳近くになると渡海を意識せざるを得なくなった。渡海とは南方にあるという観音浄土を目指して、住職が小さな舟で海に乗り出す行事である。古い歴史があり、何も61歳と決められているわけでないが、最近、三代続けて過去の住職が61歳で渡海を果たしたので今の就職金光坊も、当然そうすると期待されていた。本人はまだ心構えが出来ていないので、もっと先にするつもりでいたが、その歳以前から周囲がそう当然視していたので、引くに引けない。過去に渡海した色んな師や、まだ若く十代や二十代で渡海した者などを思っていた。

実際にその日が来る。金光坊の乗った舟は嵐で難破し、近くの島に金光坊は打ち上げられた。周囲はまた舟を作り、それに金光坊を入れて、海に出した。後の時代になると渡海は形式化し、住職の死後、その遺体を舟に乗せ出すような例もあったとか。

2026年9月23日水曜日

ダニー・ケイの天国と地獄 Wonder man 1945

ブルース・ハンバーストーン監督、米、98分、総天然色映画。ダニー・ケイは人気のある寄席芸人で、婚約者の女と一緒に舞台で歌い踊っている。このケイが以前、殺人現場を目撃したので、そのための証言を阻止しようと、悪人どもは楽屋でケイを殺し、公園の池に捨てる。

一方ダニー・ケイの二役で、学者のケイがいる。図書館に勤める女と仲良くなり、その家に招待される。食材のサラダを買いに行った学者ケイは、店で音楽が聞こえ、声が聞こえる。それに連れられて公園に行く。そこで双子の兄弟のケイの幽霊に出会う。芸人ケイから殺された経緯を聞き、学者ケイに芸人ケイの魂が乗り移る。これで芸など出来る。しかしいつも学者ケイの中に入っているわけでない。学者ケイは劇場に行き、そこで婚約者や仲間から色々言われ困惑する。舞台に出される。すると観客席にいたケイを殺した悪人どもがいて、悪人らは驚く。

学者ケイの帰りを待っていた図書館の女は、行方不明になったケイを捜している。悪人どもは今度こそケイを殺そうと追いかける。芸人ケイの幽霊はもう学者ケイの身体に入れなくなったと言って去る。学者ケイは図書館の女の家に行き、事情を話すと相手は呆れ、信用しなくなる。しかしその後に悪人たちが学者ケイを追いかけているので、女も事情が分かった。逃げるケイは検事が観劇中のオペラの劇場に行く。そこで主役の扮装を盗んだので、舞台に出される。観ている検事にケイは歌を歌いながら呼びかける。悪人どもは舞台にケイがいるのに見て、殺そうとするが、警官がやってきて悪人どもは捕まる。ケイの証言で、殺人事件の犯人は有罪になった。その後、ケイは図書館の娘と結婚する。

2026年9月22日火曜日

松本清張『草』 昭和35年

病院が舞台の話である。語り手がいて入院している。某病院は最近流行っており、病棟も新築した。ここの院長は創立者の2代目である。その院長がある日失踪する。また看護婦長も同日にいなくなった。堅いと思われていた二人だが、駆落ちかと思われ、どこかで心中するのではないかと噂された。更に薬剤師が首を括って自殺する。語り手の隣室の男は活動的な男で、院長がいなくなったのだから、入院費をまけろと病院側と交渉を始める。その交渉相手で、この病院を切り盛りしていた、やり手だった事務長は飛び降り自殺をした。

更に看護婦長の死体が山中で発見された。院長の方は不明のままだったが、後に別の所で死体が見つかった。最後になって明かされる真相は次の通り。この病院は麻薬の取引に使われていた。それを病院長が嫌がったため消された。院長も婦長もその組織に攫われたのである。薬剤師はそれに関わっていたので自殺した。隣室の男は、組織の者で監視するため入院していたのだった。事務長との交渉はその隠れ蓑だった。事務長の自殺はそのせいだった。語り手は当局の者で、部下の社員と称する男が見舞いに来ていたのは連絡のためだった。

松本清張『濁った陽』 昭和35年

劇作家は放送局からシナリオを頼まれる。役所などの汚職で全貌が明らかになる前に、中核となる課長補佐などが自殺して犯罪がうやむやになる場合がある。最近でも某公団汚職の際もそうだった。この件について若い女助手に、亡くなった補佐の未亡人について調べてくるよう命じる。ところがその未亡人は、公団の者かと思われる連中によって、隠されているような状態だった。

これに女助手も作家も不審を感じる。更に調べていくと、役所に影響力を持つ、大物と言われる男がいて、これが補佐の自殺に関与しているのではないかとなった。推理を進めると補佐の死は自殺ではなく、その大物によって殺害されたのではないかと思われた。しかし大物には鉄壁の現場不在証明がある。

またこの大物に使われていたと思われる公団の職員、女助手が調べている際に立ちふさがった男であるが、が死体となって発見された。作家は補佐を偽装自殺に見せかけた、大物による殺害可能を証明するトリックを発見する。これに結構ページを使っている。女助手は自分を妨害した公団職員の死は、自分らが捜査していたためではないかと悔やむ。

殿方ご免遊ばせ Une Parisienne 1957

ミシェル・ボワロン監督、仏、88分、総天然色、ブリジット・バルドー主演。バルドーは首相の娘で、首相の秘書をしている男に恋している。その男はもてまくりで、他にも結婚を迫られている女がいる。首相やその政敵の政治家などと狩りに行った際、男の部屋に政敵の妻のみならず、バルドーも潜り込む。男の部屋で政敵の妻は逃げることが出来たが、バルドーは見つかってしまい、結婚を親から命じられる。

男は結婚しても、依然として他の女からもてるので、バルドーは不快になる。夫に嫉妬させてやれと、折から訪仏中の他国の女王の夫(王配)と浮気してやろうと思いつく。その王配はシャルル・ボワイエが演じており、バルドーを気に入ったボワイエは高速ジェットで、彼女をニースに誘う。そこでマフィアのボスと間違えられ騒動を起こす。またジェットでパリに戻る。バルドーの夫はバルドーが王配と浮気しており、その証拠をつかもうと女王の滞在する施設に行く。運よく王配は戻ってこられ、バルドーの夫の疑いは晴れる。女王と王配が仏を去る飛行機のタラップで王配はくしゃみをする。ニースで風邪をひいたためである。夫と見送るバルドーも同じようにくしゃみをする。

2026年9月21日月曜日

松本清張『凶器』 昭和34年

九州の田舎で冬に殺人事件が起こる。被害者は商人でこの辺り一帯を対象として、よくこの地にもやって来た男である。丸太のような鈍器で頭部を殴られ死んだ。最後に被害者が会ったのは若い未亡人で、被害者が熱を上げていたと分かった。容疑者であるが、証拠がない。

何度かその家に赴くうち、近所の者たちにぜんざい餅を振舞っている時に出くわし、刑事たちも馳走になった。凶器を捜したが見つからない。結局犯罪は未解決で終わった。3年の後、刑事は思い当たった。凶器は硬い餅だったのだ。それを自分らは食ってしまった。凶器のアイデアはロアルド・ダールの『大人しい凶器』によっている。

松本清張『寒流』 昭和34年

主人公は某銀行の支店長、融資をした料亭の女将、若い未亡人に惹かれている。自分の女(二号)にしたく思っていた。しかし入行は同期だが、今は上司になっている、女に手の速い男が女将を横取りしてしまう。主人公は更に田舎の支店に飛ばされる。これで出世の目はなくなった。書名の『寒流』は出世コースの暖流でなく、落ち目の寒流になったという意味がある。

憤懣やるかたない主人公は、上司を引きずり下ろすため、私立探偵社に、女将の逢引の実際を調べさせる。更に写真も撮らせる。これらの材料で、大物である古株の男に摘発を頼む。ところが後にその男は主人公が渡した資料は偽物だと怒鳴り、顔を潰されたといって大金をせびる。実は相手からも金を取り、主人公からもまたふんだくったのである。主人公は探偵社の男と打合せ、上司を潰すため、高級車を泥棒したように見える工夫をする。警察がそれを発見したところで小説は終わり。

2026年9月20日日曜日

松本清張『証言』 昭和33年

主人公は丸の内に勤める課長、二号を囲っている。そのための家が西の方にある。会社と自宅の通り道ではない。この二号宅に行っていて、そこから帰る時、自宅の近くに住む保険員に会った。相手が頭を下げたので、ついこちらも下げた。なんであんな所にいるのだろうと思った。

後から保険員が殺人事件の容疑者にされていると分かった。事件は遠く離れた東の方で起きた。容疑者となった保険員は、近所に住む課長にその時間に西の方で会ったと主張し、それが通れば現場不在証明になる。しかし課長は警察に対し、それを否定する。言ったら自分の二号について話さなければいけなくなるからだ。しかし、二号に若い恋人がいて、その恋人に二号が真相を告げたため、その恋人から警察に通報し、あっさりばれてしまう。短篇だから簡単に済ませている。本編を元にした映画『あるサラリーマンの証言』では、更に後半に話を追加し、全体として面白い話にしている。

2026年9月19日土曜日

クシュナー『なぜ私だけが苦しむのか』 When bad things happen to good people 1989

本書は息子を年少で失ったユダヤ教のラビ(教師兼指導者)が、苦悩の中で神について考え直し、学び取った理論を書いている。かなり前から本書の存在は知っていたものの、読むには若干のためらいがあった。まず一つは邦訳名である。原題はWhen bad things happen to good people、であり、直訳では、ひどい事が善人に起きる時、か。本文p.4に「なぜ、善良な人が不幸にみまわれるのか?」とあってこちらの方が自然な日本語だろう。それが邦訳では「なぜ私だけが」とあって、これは我々の周りにいる、「他の連中は好き勝手なことばかりやって幸せでいるのに、自分だけが全世界の不幸を背負っている!」などと叫ぶ人を思い出してしまう。(分かりやすくするため大袈裟な言い方にした)こういう人はジコチューにしか見えない。それで抵抗を感じたのである。なぜ自分「だけ」が不幸、などという発想になるのか分からない。世の中を見れば、本を読めば本当に不幸な人がいる。

もう一つ抵抗を感じた理由は、なぜ神がいるのに、という問いである。神は全能である、世の中のすべて、人間の運命のすべてを支配している、何事も神のおぼしめしと子供の時から教えられ、そうだと思ってきた人がいる。だからこの著者のように子供を亡くすといった最大限の不幸を経験すると、なぜこのような目に会うのか。本当に神はいるのか。いるならなぜこんな目に会うのか。信じていたからこそ、騙された、詐欺にあったと思うわけである。本書はそういう問いに対して答えをだそうとしている本である。そういう本であるから、自分のように元々神など信じていない、だから「全能の神がいるのに」という問い自体、発しない。それで自分には縁のない本ではないかと思っていたのである。実際、本書は極めて宗教的な本である。著者は神を否定しない。神に対して疑問を発する者に対して、神を擁護している。それが本書の目的である。だから自分には関係ない議論を延々としているように思え、実際に読んでもそうだった。正直、日本人で神を信じている者がそんなにいるのかと思っていた。神を信じる、とは特定の宗教、キリスト教でも仏教でもイスラム教でもいいが、その教えを信じている、に留まらず、世の中のすべてを支配する超常的な力があり、自分の運命もそれによっていると思っている人も含めていいかもしれない。それなら結構いると思う。自分は一切そういったものを信じていない。神が存在していると思っていないから。だから読む気が起きなかった。しかし日本人でも神はいるのかと問い、神を信じている、信じようとしているのなら、本書は読む価値がある。

さて自分には縁のない本でも、読んだので本書のメッセージを書いておく。本書の真ん中あたりにある聖書の「ヨブ記」の解釈である。神は信心深いヨブの信仰を試すため、ヨブに対し残虐極まる目に会わせる。それでもヨブの信仰は揺るがないのか。聖書の神は信者の信仰心を度々試す。本ヨブ記だけでなく、聖書の初めの方にあるイサクの犠牲もそうである。全能の神がいるならなぜこんなひどい目に会うのか、に対する著者の答えは次のようである。神はいる。しかし全能ではない。不幸をもとより起こすわけでない。しかしその不幸、災難を止める力は神にはない。それでは神の存在意義は何か。それは不幸に会った人に対し、より添い不幸に耐える力を与える、忍耐力を与える。信仰があればこそ、苦難を乗り越えられると説く。

2026年9月16日水曜日

松本清張『天城越え』 昭和34年

短編集『黒い画集』所収。語り手が三十数年前の少年時代を回顧し、後半は現在(発表当時)が舞台となっている。大正最終年、語り手の少年は下田の鍛冶屋だった家を飛び出し、静岡に勤めている兄を頼うつもりで伊豆半島を北上する。南から天城越えをした。家出は家が面白くなかったからである。途中で商人などに出会う。到底向こうに着けないと悟り、元の道を戻る。

途中で若い女に出会う。少年にはたいそう魅力的に見えた。二人で一緒に歩いていると、土方風の男に会う。女は少年に向こうに行っていろと言い、土方と草叢に消える。後日、土方の死体が見つかった。警察は犯人を捜したが、迷宮入りとなった。この事件の記録を大人になった当時の少年が、今は印刷所に勤めている、読むのである。昔事件を担当した老年になった刑事がやってくる。語り手と会話を交わす。語り手は事件の実際を語る。当時の少年が犯人だったのである。氷室で一晩過ごした方法について、そのトリックの説明がある。

松本清張『紐』 昭和34年

短編集『黒い画集』所収。岡山の津山で神主をやっていた男が儲けを企んで、上京する。しかし考えていた計画はうまくいかなかったらしい。姉の家に泊っていたのだが、行方不明になる。何日経っても消息が分からない。岡山の妻も呼び出す。分からないまま日にちが過ぎ、妻が帰る日に男が見つかった。多摩川の河川敷で、死体となっていた。当時の多摩川の近くは寂しい場所だったようだ。

小説は死体を子供たちが発見するところから始まる。警察の見立ては、他のところで殺し、そののちここへ運んで来たのではないか、というものだった。タクシーその他車関係を調べるが不明である。死体もどこのだれか分からなかったが、新聞で見た姉が弟ではないかと警察に来て確認する。最後に判明する事実は、家族による殺人で、よそで殺して死体を運んで来たのではなく、被害者と妻と義理の兄が鉄道の駅で降り、この寂しい多摩川沿いの場所に来て殺したのだった。動機は高額の生命保険が被害者にかけてあり、受取人が妻となっていたという事実であった。

2026年9月15日火曜日

ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ Joker folie a deux 2024

トッド・フィリップス監督、米、138分。『ジョーカー』の続編。前作で犯罪の限りを尽くしたジョーカーが刑務所に入り、裁判を受ける様を描いている。ジョーカーに恋する女をレディー・ガガが演じる。ジョーカーは裁判でも弁護士を解任し、自分で弁護すると言う。陪審員たちによる評決は有罪、有罪の繰り返しだった。その時、爆破が起こって法廷は破壊される。ジョーカーは恋人と逃げるが、また刑務所に戻る。最後はジョーカーの礼賛者だった他の者にナイフで刺され、倒れる。

2026年9月14日月曜日

松本清張『坂道の家』 昭和34年

短編集『黒い画集』所収。下町で小間物屋を営む中年男は、吝嗇で勤勉でお金を貯めていた。しかしたまたま知り合ったキャバレー勤めの若い女に入れあげ、大金を費消してしまう。女は上辺は従順だが陰には若い男がいて、中年男から金を巻き上げる。男は自分が騙されていたと分かっても女を諦めない。赤坂の坂上にある瀟洒な家まで購入して女に与える。最後には男も金が尽きた。店を飛び出し、女とそこで同居する。

しかし女は口先と違い、いつまでも若い男と陰で付き合っている。とうとう男は殺意を抱き、女を亡き者にしようと考えるが、男の方が先に死んでしまう。それは事故死らしい。そう見えたが、これには氷を使った殺人方法の目くらましがあって、自然死と見せかけたのだった。最後に女と若い男は捕まる。

2026年9月13日日曜日

松本清張『遭難』 昭和33年

短編集『黒い画集』所収。山での遭難を扱った小説。3人の男が鹿島槍ヶ岳に登る。そのうち一人が遭難死する。生き残った者の一人が雑誌に書いた、その体験談から小説は始まる。

書き手は初心者で指導者は山登りに慣れた男、もう一人は幾らか経験がある者。新宿から寝台車に乗ったのは、指導者が初心者に配慮しての措置だった。実際に登り始めると、経験がある筈のもう一人がひどく疲れたように元気がない。天気が悪くなり、指導者は道を間違え、とうとうへたばった男は動けなくなり、最後は死んでしまう。以上の経過が掲載された雑誌を遭難者の姉が読み、指導者のところに連絡してくる。死んだ弟の場所に行きたい、もっとも女の身で登山は無理だから、従兄に行ってもらう、案内を頼めるかと。指導者は承諾する。冬山に登る。

相手は登山に慣れている模様である。遭難した時と同一の経路を辿り、遭難場所に着いた後、相手は指導者に計画して殺したのではないかと問い詰める。遭難者を精神的に疲れさせ、一見親切そうに見えるが、疲れさせる工夫を色々したのではないか。ただ動機が分からないと言う。指導者はクレバスを密に作り、そこに相手が落ち込んでから、動機を教える。自分の妻と密通したからだと。それを列車の中でほのめかしたのでノイローゼになったのだと。相手はクレバスに押し込まれた。木乃伊取りが木乃伊になったわけである。

2026年9月12日土曜日

白い閃光 昭和35年

古川卓己監督、日活、49分、白黒映画。警視庁中庭に白バイが並び、そこから街中に出ていく。時間になっても戻ってこない白バイがある。事故を起こしていたと分かる。スピード違反のダンプカーを追っていたが、急停車されぶつかり、警官は重傷を負った。

この警官の弟が小高雄二で主人公、兄をひどい目に合わせたダンプを警官はもちろんだが、自分も仕事を休んで追う。自分がダンプカーの運転手になって情報を聞きまわる。また小高の恋人、香月美奈子の弟がオートレースに出ており、危険だから辞めさせるよう、香月から頼まれる。弟はオートレースで良い成績をあげていたが、八百長が嫌になり、抵抗したら暴力団から叩きのめされる。小高と香月の諌めを振り切って去る。

小高は探っているうち、怪しい男を見つけ出す。その男がいる採掘の山に行く。そこには香月の弟がいて、男からひどい目に会わされ縛られる。小高は怪しい男が東京に向かうダンプに同乗するが、自分を疑っていると男は気づいていたので、殴られ気絶する。香月の弟は自由になった後、警視庁に電話する。ダンプカーを追って、警視庁のヘリコプター、白バイ隊が繰り出す。気づいた小高は男と格闘し、警官が逮捕する。映画の最後は白バイ隊が列を組んで、絵画館前、道路を行進する場面である。白バイの宣伝映画として警視庁の協力のもと製作された。当時の神風ダンプカーを取り締まる意図があった。

2026年9月11日金曜日

山本有三『はにかみやのクララ』 昭和12年

書名にあるクララとはクララ・バートン(1821~1912)を指す。バートンはアメリカ赤十字の設立者であり、永年看護婦として活動した。これは雑誌『主婦の友』に連載された話で、バートンの生涯を著者がやさしく書いている。バートンの幼児時代から書かれており、幼い頃から少女の時期は、臆病でおくてな子供であったという。それが書名のはにかみやの、になっている。それが兄が重病になった時、看病し回復させた。長じて教師になり、その後、南北戦争の時から戦時の看護婦として活躍し、その後も色んな救援活動をし、またヨーロッパでは普仏戦争の際にも戦時の看護婦として従事した。いずれも先駆的な業績である。

同時期のフローレンス・ナイチンゲールは誰もが知っている有名人であるが、わが国でバートンはどのくらい知られているだろうか。ナイチンゲールに比して、知名度が劣っているのはなぜかよく分からない。今、クララ・バートンでAmazon検索したら、和書は一冊も出ていなかった。もちろん英語の本は多く出ている。山本による本書はそういう意味でも貴重である。

2026年9月7日月曜日

特捜班5号 昭和35年

野村孝監督、日活、49分、白黒映画。銀行ギャングが6千万円もの金を強奪し、車で逃走したが列車と衝突、ギャングどもはみんな死ぬ。しかし金が見つからない。これに脚の悪い男が関係しているらしい。キャバレーの支配人は悪党で、手下にそのビッコの男をつけさせるが逆に殺された。風来訪の一匹狼の男が現れ、取り戻してやるから分け前を寄こせと言う。風来坊はたまたまバーで見つけた男が盗んだ一味の一人と分かって捕まえ、その案内でアジトに行く。しかし既にビッコは殺されており、捕まえた男も支配人の手下に殺される。更に、後をつけてきた刑事を別の手下が殺していた。

支配人のところに取引先が見つかったと連絡があり、風来坊と手下が行ってみると殺されそうになり、逆に相手を倒すと、支配人の情婦と別の手下だった。こいつらが金を盗んだだろうと見当をつけ、情婦がやっている店で大金を発見する。支配人と風来坊らは取引先の外人と会う。しかし外人はだますつもりで、双方で銃の撃ち合いになる。警察が来て悪党どもを捕まえる。風来坊は特捜班5号だった。『機動捜査班』シリーズで主役の扱いだった青山恭二が風来訪の役をしている。

2026年9月3日木曜日

ブリガドーン Brigadoon 1954

ヴィンセント・ミネリ監督、米、108分、ジーン・ケリー主演のミュージカル映画。ケリーはスコットランドへ友人と二人で旅行に来たが、道に迷う。下の方に人家の灯りが見える。降りていく。民族衣装を着た者に会う。聞いてもろくに返事もくれず逃げられる。若い娘に会い、この村の名がブリガドーン、食事が出来るところは広場だと教えてもらいそこに行く。ここでも多くの者から奇妙な対応をされるが、今日結婚式を挙げる若者に、目出度い日なのでもてなされ、ビールを振舞われる。しかしこの若者が結婚する相手に、熱をあげていた他の男が不快な顔をしている。

結婚する娘の姉が途中で会った娘で、ケリーは好きになる。その娘にこの村の事情を聞くと賢人のところに案内される。賢人が言うにはこの村は百年に一度だけ現れて、その間は眠りにつき、よその者には見えない。これは魔女から守るための仕掛けだと言う。もしこの村から出ていく者がいれば、村は消滅してしまうという。あの結婚出来なかった男は、結婚式の最中に殴り込みをかけるが阻止される。男はこの村から出てやると言い、逃げるのでみんなが追う。男が村から出るとブリガドーンが消滅する。男は隠れていたが、ケリーの連れが鳥と間違えて銃を撃つと当たって死ぬ。

ケリーは娘が好きになったので、この村に残るつもりだと言う。しかし後に友人に説得され、考え直し、娘に別れを告げる。ニューヨークに帰ったケリーは文明社会の喧噪に嫌気がさし、また友人を連れてスコットランドに飛ぶ。あのブリガドーンのあった場所に行く。するとブリガドーンは再び現れる。愛があれば凡て可能の証。ケリーは娘に再会し終わり。

2026年9月1日火曜日

モダン・ミリー Thoroughly modern Milie 1967

ジョージ・ロイ・ヒル監督、米、138分、ミュージカル映画。1922年のニューヨーク、田舎から出てきたジュリー・アンドリュース扮するミリーは、街で他の女の服装を見て自分のなりが気になる。宿泊予定の女専用ホテルの前で、タクシーが止まり、客の若い女は現金を持っていないようだ。アンドリュースはタクシー代を払ってやる。その女もこのホテルに滞在予定。二人はエレベーターに乗るが、すぐに動かない。踊り子が使ってから調子が良くなくなったと言う。足で床をける必要がある。エレベーターの中でダンスを始めると動き出す。アンドリュースと若い女は向かいの部屋になる。最近、ニューヨークでは若い女の失踪事件が相次いでいた。実はこのホテルの女主人が犯人で、中国人を使って身寄りのない女子を攫っていたのだった。

アンドリュースは仕事を捜す。ある会社に応募すると、そこの社長は二枚目ですぐにアンドリュースは参ってしまう。合格し、秘書として働く。アンドリュースは仲の良くなった若い男から飛行機乗りに誘われる。向かいの若い女も同乗する。空中で別の飛行機に出くわす。着陸すると年配の婦人で、ここに住む大金持ちと知る。その年配婦人は何でも挑戦し、アンドリュースは感心する。二人は意気投合する。夜、そこの館に泊っていると、若い男の部屋に向かいの若い女が入っていく。男を気に入っていたアンドリュースはいたく失望する。ホテルに帰ってからも、アンドリュースは若い女につっけんどんになる。アンドリュースの上司である社長はたまたま、若い女を見て一目ぼれ、共に相思の仲となる。高級レストランに誘った。それなのに若い女が現れず、社長はがっかりする。実はホテルの女主人が中国人に、若い女をさらわせたのだった。

アンドリュースと若い男と社長は若い女を取り戻すべく作戦を練る。若い男が女装して、ホテルに泊り、誘拐させるという手だった。偽装で誘拐させるつもりが、若い男は睡眠薬で眠ってしまい、実際にさらわれる。中華街に連れていかれる。アンドリュースは若い男と女を捜すが、どこか不明である。たまたま他の女の真似をして煙草を吸ったが、むせかえり、それを投げ捨てると、火薬工場だったので大爆発し、火事になる。若い女は起き、アンドリュースと共に寝ている若い男を助けて逃走する。ホテルの女主人が追いかける。あの年配婦人の屋敷に来て、女主人や中国人はとっちめられる。最後に、年配婦人は実は若い男と若い女はきょうだいで自分の子供であり、金めあてを避けるためにしていたと明かす。アンドリュースは若い男と、若い女は社長と結婚する。


2026年8月31日月曜日

機動捜査班 警視13号応答なし 昭和38年

小杉勇監督、日活、76分、白黒映画、「機動捜査班」シリーズの最終作。羽田空港近くで内田良平は悪人が集金してきた金の入った鞄を奪い、悪人を殺す。後、羽田空港では米に研修に行く刑事の見送りがあった。連絡が来て死体が空港近くの水路で発見されたというので、そこに行く。

金を奪われたボスは大ボスからどやされる。ボスには張り合うやくざがあった。内田はそこの子分で、自分の親分と相手のボスを戦わせ、漁夫の利を狙っていた。内田の親分は相手のボスに殺される。親分が仕切っていたクラブのマダムと組んで、自分のものにすべく画策する。大ボスの配下の他の者も、自殺に見せかけ殺す。その妹役が松尾嘉代で、内田は松尾に近づき交際する。これを知ったクラブのマダムは内田が自分の物だと思っていたので、怒り、松尾にお前の兄を殺したのは内田だと告げ、内田の敵に回る。

大ボスや相手のボスがマダムと共に内田に迫るが、内田はそれらを倒し逃げる。丁度、警視庁の車が内田を捕まえに来たので、内田は刑事らが降りた隙に、パトカーを乗っ取り逃走する。警視13号(パトカー)応答せよと警視庁が呼んでも無視して逃げる。警察が追う。多摩川河川敷で、内田と刑事らによる銃撃戦がある。最後は泥だらけになった内田を逮捕する。上の鉄橋をこだま(東京大坂間を6時間で結んだ当時の最速列車、この映画の翌年に新幹線が開通)が通り過ぎる。

2026年8月30日日曜日

黒い画集 あるサラリーマンの証言 昭和35年

堀川弘通監督、東宝、95分、白黒映画。松本清張の短編集『黒い画集』の中の『証言』を元にした映画である。小林桂樹は、丸ビルにある繊維関係の会社の課長を演じる。部下の原佐知子を2号として囲っている。ある夜、2号の家から出てきたところ、路地で自宅の近所に住む中年男に出会って、挨拶されこちらも返した。自宅と遠く離れたこんなところでなぜ会ったのか。

後日、この男が殺人の容疑者とされていると分かる。小林が会った時間に離れた場所で殺人事件が起こり、その容疑者となっているのである。男は小林と会ったと言い、それがアリバイとなる筈だが、小林は警察に会っていないと言い張る。なぜそんなところにいたのか聞かれれば、2号について話さなければならなくなる。裁判の証人として出ても知らぬ存ぜぬである。男は殺人容疑で死刑を求刑される。

2号宅を引越しさせる。2号は新しいアパートに住む大学生と仲良くなる。大学生は2号の身体を求める。その際、小林が入ってきて、逃げ去る。大学生は金が必要だと言い、2号を通じて小林に要求する。小林の名、会社名まで知っており、恐喝である。しょうがなく金を工面し、払う約束をする。映画を見ていて時間に遅れた。部屋に行って見ると、大学生は殺されていた。小林は殺人の容疑者となる。最後は真の犯人が捕まり、小林も、あの中年男も釈放される。警視庁から出た小林は、家も滅茶苦茶だしと言い、人生が壊れてしまった身を嘆いて映画は終わる。

この神聖なお転婆娘 Cette sacree gamine 1956

ミシェル・ボワロン監督、仏、83分、総天然色。バルドーの父親はクラブを経営しているのだが、娘には内緒にしている。その父親が偽札事件に巻き込まれそうになる。父親はクラブで歌っている男性歌手にバルドーを連れて外国に行ってくれと頼む。その歌手には学者の婚約者がいる。

歌手はバルドーが今いる学校に行く。ダンスの練習中である。教師にバルドーの身内だと言って引き取りたいと申し出る。警官がやってきて来ているのは悪人だと教師に告げるので、仰天する。歌手はバルドーを連れて逃げ出す。警官や教師などが追いかける。歌手は車に乗せて自分の家に連れてくる。召使がいて外国の偉い人に仕えたというが嘘である。この召使にバルドーの世話を頼む。

バルドーは歌手のいない間にドジをやらかし尽くし、最後は火事を起こして家のかなりの部分を焼いてしまう。歌手の許嫁である女教師が来る。バルドーを隠そうとするが、ばれ自分の妹とか言って嘘をつく。この時、歌手がバルドーを大きな赤ん坊と言って寝台に連れて行くのだが、赤ん坊を仏語ではbebeといい、バルドーの頭文字と同じなのが笑える。この他、婚約者の授業に出ている歌手は眠って夢を見、そこでバルドーほかのミュージカル的な場面が続く。最後はクラブでハチャメチャのどたばたがあってバルドーも父親に再会し、歌手も婚約者と結ばれ幸福結末で終わる。

2026年8月29日土曜日

顔のない眼 Les Yeux sans visage 1959

ジョルジュ・フランジュ監督、仏伊、88分、白黒映画。夜間、車を駆けるのはアリダ・ヴァリ演じる中年の女。川辺に車を止め、後部座席から外套を着せた女(脚で分かる)を引きずり出し、川に投げ入れる。女の死体が見つかったので、心当たりのある者は警察に来る。高名な医師は死体を見て自分の娘だと言う。後から来た老人には警察はもう身元が分かったと言って帰らせる。この医師は再生治療で有名だった。

実は医師の娘は死んではおらず、郊外の広壮な屋敷の奥深くに伏せている。ひどい怪我で顔面が失われ、目だけ残っている。仮面をつけている。父親の医師は犬の実験で、何度も皮膚移植を行なってきた。それが成功しているので、娘の顔面を他の女から移していた。しかしこれまで失敗ばかりだった。顔面を取られた女は死に、それを冒頭の場面で、医師の助手をしているヴァリが処分してきたのだった。ヴァリは新しい若い女を物色する。連れてきて顔の皮を剝ぐ場面がある。剥がれた女はヴァリの隙を見て逃亡を図るが、塔の上から落ちて死ぬ(自殺か)。今回の皮膚移植も初めはまともだったが、段々崩れていく様子が映し出される。

ヴァリはまた女を捜してくる。実は警察もこの医師を怪しみ、囮として使った女だったのだが、医師に言いくるめられて帰る。その頃、寝台に寝かされていた女の所に医師の娘がやってきて逃がす。ヴァリが来ると娘はナイフで刺す。更に実験用に飼っていた多くの犬を逃がす。犬の群れは孵ってきた医師に襲い掛かり食い殺す。仮面をつけた娘は夜の闇の中へ歩き去る。

2026年8月28日金曜日

機動捜査班 裸の眼 昭和38年

小杉勇監督、日活、75分、白黒映画。交通事故を起こした当事者間に立ち、法外な金を巻き上げる示談屋の手入れが警視庁によってなされた。内田良平が仕切る示談屋はなかなか捕まらない。悪徳示談屋の事務所に泥棒が入り、金と手帳を奪われた。これは社長の秘書、香月美奈子が企み、男にやらせたものだった。実行した男は、社長が使っている集金屋の弟分だった。社長はその集金屋を怒鳴りつける。

奪った男は車にはねられる。その時、内田良平が居合わせ、運転していた女の代わりに自分がはねたと言ってやり、男を病院に運ぶ。奪った男は意識が回復してから病院を逃げ出す。しかし金を入れたロッカーの鍵が見つからない。この鍵は病院に運ばれる途中、車の中で落としたのだった。後に内田良平はそれに気づき、鍵を渡す代わりにその場所を教えろと男と交渉する。駅の操車場で、内田と男は撃ち合いになり、男とその兄貴分を殺す。

内田は香月と手を組んで、金を入れた東京駅のロッカーに向かう。それを警視庁の車が追跡していた。東京駅の構内で、内田と警察の追っかけがある。さすがに駅での撮影なので、他の映画のように銃の撃ち合いはない。内田を逮捕し、桜田門に向かう警視庁の車を空中から撮影する場面で終わり。

2026年8月26日水曜日

花嫁はあまりにも美しい La mariee est trop belle 1956

ピエール・ガスパール=ユイ監督、仏、94分、白黒映画。田舎に住むブリジット・バルドーは親がいなく二人の伯母と住んでいる。ここに婦人雑誌が撮影に来る。モデルがいなくなり、急遽、バルドーは代わりのモデルになる。雑誌では新人の俳優と組んでバルドーを、結婚式の特集に抜擢する。

婦人編集長は一緒に仕事をしている、プレイボーイの色男と結婚したく思っていたが、今の夫が離婚を承知しない。相手の俳優からバルドーは結婚してくれと打ち明けられる。しかしバルドーにはその気がなかった。傷心の俳優は夜中に逃げてしまう。相手がいないので、写真がとれない。そこで色男が代役として、バルドーと結婚する相手役になる。結婚式で教会から出てくる時、婦人編集長は色男に駆け寄り、抱きついて夫が離婚を承諾してくれたと話す。これで色男と結婚できるわけになった。バルドーはその場で失神する。バルドーは色男を愛していた。新人俳優から愛しているなら告白せよと忠告される。バルドーは色男に愛を言うが、相手は結婚する気になれないと答える。バルドーは気を紛らすために、夜中に次々と男の部屋を訪ね、抱いてほしいと言う。それは叶わず、また色男も編集長に向かい結婚する気はないと伝える。結局のところ、バルドーと色男は本物の結婚をする。

2026年8月25日火曜日

機動捜査班 群狼の街 昭和37年

小杉勇監督、日活、78分、白黒映画。男たちが都会の建物から出てきて車に乗り、走り去る。原っぱのようなところで、右左に分かれた男たちが銃撃戦をする。警視庁のパトカーが現場に向かうが闘いが終わった後で、残された死体は某暴力団の組長だった。相手方は競争相手の別の組だろうと推測された。殺された組の一人が内田良平で、相手方の組を乗っ取ろうと策を弄する。

まず警察に組長を殺したのは、幹部の某だとたれこむ。その某は敵方の暴力団に自分の組の権利を売り渡して、自分を敵方に取り込もうとしていた。内田はその某より格下だったが、敵のボスに取り入り、秘書役になる。またそのボスは箱根で療養している。世話をしているのが香月美奈子で、元はバーのマダムをしていたが、今はボスの心が移り他の女がバーを仕切っている。内田は香月を口説き味方につける。内田はかつての組の幹部某を殺す。

元敵の幹部連中とバーのマダムは、内田を成り上がり者として下に見ている。内田は箱根のボスに、今のバーのマダムは幹部の一人と出来ていると知らせ、激怒するボスは亡くなる。建物等の権利を自分のものとするため、死んだボスのハンコを勝手に自分で押し、自分名義にする。バーのマダムと幹部には、氷に毒を入れたウィスキーを飲ませ殺し、心中に見せかける。金持ちの娘と婚約し、自分の物となったバーで披露の宴を開くつもりが、来たのは警察だった。香月が警察に知らせたのである。その場で銃の撃ち合いをした後、内田は車で逃げる。警察のパトカーが後を追う。最後に捕まえる。

2026年8月22日土曜日

機動捜査班 東京暴力地図 昭和37年

小杉勇監督、日活、74分、白黒映画。弱小化した暴力団にいる内田良平は、湘南で勢力を持つ組に張り込もうとする。カミナリ族の連中は店で暴れていたりしたが、湘南で地域の仕切る暴力団の幹部からひどい目に会わされる。内田はこのカミナリ族を使って相手側を潰す計画を立てる。相手の幹部二人を殺し、それを仲たがいのように見せかける。これにカミナリ族の一人を使った。その男も後に内田に殺される。

内田は相手側暴力団のボスに会い、今まで死んだ幹部の仕切っていた場所をとろうとする。ボスの娘、香月美奈子にも手を伸ばしていた。内田は自分がいた弱小暴力団の今は主であるバーのマダムと通じていたが、マダムは内田が他の女、組に出て行こうとするので、カミナリ族の連中に、仲間を殺したのは内田だとばらす。これで香月と逃げた内田を捕まえるべく、カミナリ族は内田の車を追う。警察も殺人事件の犯人が内田と知り、追いかけ、最後に捕まえる。

2026年8月21日金曜日

恋するオペラ Futures vedettes 1955

マルク・アレグレ監督、仏、93分、白黒映画、ブリジット・バルドーが出た初期の映画で、ジャン・マレーなども出ている。バルドーは親友と、ウィーンの音楽学校で、歌と踊りの勉強をしている。教師のオペラ歌手をマレーがやっており、女生徒はみんな憧れている。バルドーもその友人もマレーに恋している。

バルドーはある日、マレーと寝る仲になる。その前から友人は、音楽の才能を認められていたが、母親の死で気が塞いでいる。それをマレーが慰めてやり、余計マレーに夢中になる。しかしマレーの妻も歌手で別居していたが、妻は病気で歌えなくなり、マレーの元に戻ってくる。するとマレーは妻に愛情を誓う。バルドーと友人は自分たちは遊ばれていただけと気付き、マレーに対する熱は冷め、批判的になる。

2026年8月19日水曜日

汚れた顔 昭和34年

森永健次郎監督、日活、42分、白黒映画。主人公は元公務員で汚職に関係し、行方をくらましていたが、東京に戻ってくる。かつての上司の課長が死んだという古い新聞を読んだからだ。上司の家族宅を訪ねるが、引越しており会えない。この上司の娘とは婚約していた。元の役所で関係があった会社の社長を訪ねると、婚約者だった娘が秘書をしていて驚いた。

娘は父親の死は主人公のせいだと言わんばかりである。社長が戻ってくるが、主人公が元上司の死の事情を聞き出そうとしても、ろくに返事がない。警察はこの元上司が死んだのは事故死か殺人か調べていた。大森海岸駅のそばの文字通り海岸で死んでいた。実はこの取引先の社長が悪人で元上司を殺していた。戻ってきた主人公が邪魔になり暴力団を使って消そうとしたが、主人公に警察が張り付いていたので、暴力団は逃げる。今まで悪人社長は死んだ男の娘にいい顔をしてきたが、主人公によって事情がばれそうになり、主人公と娘も亡き者にしようと常盤橋公園で企んだが、警察が乗り込み悪漢一味は逮捕される。

2026年8月18日火曜日

秋元雄史『芸術の価値とは何か』中公新書ラクレ 2026

美術、特に現代美術の取引がどのように行われ、どう価格が形成されていくかを中心に解説した本である。書名のような美術の価値とは何かを論じたと言うより、現代社会での美術のあり方を語っている。どのように金持ちが美術に巨額の金を出し、それで価格が形成されていくかの仕組みが書いてある。

資本主義の中での美術がどう扱われていくかの実態を述べる。資本主義とは人間の外にあって人間を支配翻弄する怪物のように書かれる場合がよくあるが、資本主義とは人間の欲求、欲望を実現させる仕組みなので、人間というものの本質をあらわにする。人間とは別ものとみなしては理解できない。本書でマルクス経済学の用語を使って商品の「使用価値」と「交換価値」という言い方が出てくるが、美術品の取引で成立する「交換(市場)価値」と、書名にある「美術価値」とは乖離することがないのか。そのへんをどう理解するのか。

ベティ・サイズモア Nurse Betty 2000

ニール・ラビュート監督、米、110分、レニー・ゼルウィガー主演。ゼルウィガー演じるベティ・サイズモアは田舎の食堂で女給をしている。テレビの医療ドラマの医者に恋し無仲になっている。旦那はつまらない男で、盗んだ麻薬を悪党ども(モーガン・フリーマンとその息子)に売ろうとして、頭の皮剥ぎで殺される。それを隣室で見ていたベティは頭がおかしくなる。恋する医者に会うと言って、車でロサンゼルス目指して出かける。

実はそのベティが乗っていた車に、旦那が盗んだ麻薬が入っていた。それを知った悪党二人は追いかけようとする。ただベティの行き先が分からない。それでベティの実家などに押しかけ、知ろうとする。ロサンゼルスに着いたベティは、知り合った女友達に自分が捜している恋人の医者の名を告げる。後にそれがテレビの登場人物だと知って、おかしくなり、ベティをその俳優が来るパーティに連れて行く。ベティはその俳優、自分の恋人を見つけ、近寄って声をかけ、自分が恋人と名乗る。最初驚いた俳優はそのうち話を合わせ、ベティもその気になって恋人に会えてすっかりうれしくなる。

ベティと話がはずんだ俳優は、製作者にベティをドラマに使おうと言いだす。実際のドラマの撮影現場に来て、ベティは正気を取り戻し、自分がおかしな場所に来ていると分かり、何も言えなくなる。俳優は怒り、ベティを家に連れていく。その時にあの悪党二人がやってきて銃を突きつけ、ベティに麻薬を出せと迫る。何がなんだか分からないうちに、故郷の保安官と友人もこの家に来る。保安官は悪党の一人、息子の方と撃ち合いになり、息子を倒す。モーガン・フリーマンはベティと話し、相手が何も知らないと分かる。フリーマンは逃げる。ベティはその後、ドラマに多く出演したと説明が出る。

2026年8月16日日曜日

機動捜査班 港の略奪者 昭和37年

小杉勇監督、日活、74分、白黒映画。港で荷役を仕切っている会社の社長は刑務所に入っているので、幹部の内田良平は、社長夫人の香月美奈子といい仲になり、港全体を自分の物にする気でいる。しかし新興勢力の会社がのしてきて、潰すつもりである。相手方の人夫が不正をしているので、やっつけ、警察にも連絡する。相手方の会社は不正を働いた人夫を殴って殺す。秘密裡にそれを録音した内田はその録音で相手方を脅す。

警視庁の刑事の一人は人夫に化け、港の荷役の内情を探ろうとするが、後にばれて散々な目に会う。内田は相手方がしている密輸でも儲けようとして、交換の場で向こうの人間を殺す。内田の悪行が分かった警察は、逮捕しようとする。内田は香月を連れて、モーターボートで逃げる。そのボートを水上署の船が追い、東京湾での追っかけとなる。最後には内田は捕まる。

裸で御免なさい En effeuillant la marguerite 1956

マルク・アレグレ監督、仏、100分、白黒映画、ブリジットバルドー主演。バルドーは田舎に住んでいて匿名でエロ小説を書き、ベストセラーになる。父親が頑固な将軍で、バルドーは兄がパリで成功しているので、家出しパリに向かう。途中の列車内で二人のジャーナリストに会う。切符を持っていなかったバルドーは助けてもらう。そのうち一人がプレイボーイで、女を見ると手を出す。バルドーもその対象になる。

パリに着いて兄の家に行くと大邸宅である。実はここはバルザックの博物館で、兄はそこで案内係をしているのだが、故郷に対し大家になったとほらを吹いていたのである。バルドーはお金を作るため、そこにあったバルザックの初版本を古本屋に売り、金を入手する。後に兄から実際を聞き、本を取り戻す必要が出てくるが、使ってしまいもう手に金はない。バルドーはストリップの大会があると知り、優勝すれば大金がもらえると知る。それでこれに出る。顔はベールで隠し、分からないようにする。

父親の将軍がパリに出てきて、大会で担当に捕まり審査員にされる。娘が出ていると息子から聞いていたので、恥ずかしくてしょうがない。予選で優勝した、ベールを被ったバルドーに、バルドーとは知らずに恋人のジャーナリストが迫る。バルドーは不快になる。楽屋でジャーナリストとのやり取りがある。自分を好きになってくれるというのでバルドーはジャーナリストと結婚する。ストリップ大会には他の女が出て収まった。最後に日本に新婚旅行に来る。外国人のイメージそのままの日本が映し出される。鳥居の向こうに富士山が見え、桜の中、着物の女の子が鳥居でブランコしている。

2026年8月13日木曜日

ドイル『バスカヴィル家の犬』 The Hound of the Baskervilles 1902

1901年に発表されたホームズの長篇小説である。発表の順序では『最後の事件』(1893)の次で、当時の読者にはホームズが復活した小説であり、大評判になったそうだ。『空き家の冒険』(1903)より早い公表である。ただ時代は『最後の事件』より前の設定となっている。次のような話である。

旧家に伝わる怪奇な話がある。そこに出てくる犬と関連しているのかと思わせる怪死事件が起きる。財産を相続する甥がアメリカから来る。しかしその男に危険が迫り、ホームズが乗り出す。

舞台は最初の方はロンドンだが、大部分はデヴォンシャーのダートムアという田舎である。そこの怪しい雰囲気が小説を大きく支配している。


ホームズの長編小説は、短編に比べて推理小説というより冒険小説的になる。謎解きより話そのものが関心の対象になる。本書も謎解きの観点から言えば全く面白くない小説である。登場人物は少ないから犯人はすぐ分かる。ミスディレクションというのか、読者の関心を他に逸らす書き方をしているが、現代の読者には幼稚な感じさえする。夜光怪獣の謎も子供だましもいいところである。長編小説の中ではせいぜい四番目の出来であろう。


それでは本書の特色はどういう点か。やはり異色作というところであると思われる。事件の主な舞台はロンドンでなく田舎で、そこでの怪談めいた話や活劇が出てくる小説である。また形式においては小説の真ん中にあたる部分はホームズは出てこず、ワトソンが活躍する『ジョン・H・ワトソンの冒険』とも言うべき、スピンオフみたいになっている。通常のホームズ物からすれば規格外の作品である。なぜこんな小説になったのか。それについては後に書く。

変わったホームズ物を求めるなら勧められるかもしれない。ただ典型的なホームズ物とは言えない。新潮文庫の解説で、エラリー・クイーンが本小説を高く評価しているとあるが、自分にはどこを評価しているか見当がつかない。クイーンの評価の内容を聞いたところで、自分の意見は変わらない。

この小説で一番面白かった箇所は、来訪した医師がホームズを欧州第二と言って、ホームズが気を悪くする場面である。ここを読むと『瀕死の探偵』でホームズがワトソンを「君なんか経験も資格も大したことない一般開業医に過ぎないじゃないか」と言ってワトソンを侮辱する(策略だが)ところを思い出した。


さて『バスカヴィル家の犬』の成立については興味深い経緯がある。ドイルが書きたかったのは歴史小説で、ホームズ物は請われて金のために書いていたとは周知であろう。ドイルはホームズ物が嫌になって『最後の事件』で殺したが、読者からはホームズ物への要望が激しくなった。だからといって書く材料もない。

そこで出会ったのが、ジャーナリスト兼作家のバートラム・フレッチャー・ロビンソンである。はしょって言うとこのロビンソンによって材料が提供され、それが本小説の素になる。最初この作品はロビンソンとの共著で出る予定であったが、後にドイルの単独作として公表された。そもそもの本小説のアイディアはロビンソンのものと言っていいのか、少なくともその関与、助力があったのは確かである。

そういうわけで変格物のホームズになったのも分かる。

「コナン・ドイルはロビンソンに合作を申し出たが、ロビンソンはそれを辞退した。」とシャーロック・ホームズ全集第5巻(ちくま文庫)のp.739の覚書にあるが、それで済んだわけでなく、後に色々議論を生んだ。正直なところ、本小説の成立経緯は、こんな小説よりよほど面白いというか、興味をひく。

なお小説家がアイディアを他に求めるのは珍しくない。夏目漱石も『抗夫』の案は他人から買ったし、芥川龍之介の有名な短編は『今昔物語』の書き替えが多い。太宰治の有名な小説も元の作があると言われるようになった。


翻訳は新潮文庫の延原謙訳の、昭和29年初版で読んだ。20世紀半ばの翻訳という感じがした。以下、読んでいて気になった箇所について、原著や他の翻訳との比較を書くが、あら捜しをするつもりはなく、たまたま目についた場所を書いているだけである。


第2章初め、ホームズのところに来た医師が持つ古文書の年代推定のところである。延原訳は次のようになっている。ホームズのせりふである。


「この種の書類の年代の鑑定が、十年か二十年以上もちがうようじゃ、玄人とはいわれません。」

(昭和29年版、p.13)


年代推定で二十年も違っていいのか、と思わないか。それで原著を見ると次の通り。ホームズの原著は英語なので、中学以来の勉強のせいで何とか意味が分かるのがよい。


 ”・・・It would be a poor expert who could not give the date of a document within a decade or so. You may possibly have read my little monograph upon the subject. I put that at 1730.” 


「within a decade or so」なので十年かそこら以内、くらいの意味か。


自分の持っている他の訳書、いずれも古いものだが、を見ると次のようになっている。


「古文書の年を十年からうえも読みちがえるようでは、玄人の名が泣きますからね。」

(富山太佳夫訳、シャーロック・ホームズ全集第5巻、ちくま文庫)


「文書の年代を誤差が十年くらいの範囲内で推定できないようでは、専門家として失格です。」

(大久保康雄訳、ハヤカワ文庫)


「文書がつくられた年代を誤差十年ぐらいの範囲で推定できないと、専門家の肩書が泣きますよ。」

(鮎川信夫訳、シャーロック・ホームズ大全、講談社)


延原訳でなぜ a decade or so を、倍の範囲まで広げたか。これは12年ずれていたので、それを許容範囲とするためだったのか。


また第六章の初めにある次の文も気になった。

執事夫婦を追い出したらというワトソンの提案をホームズが一蹴するところである。


「万一罪があるとすれば、虎を野に放つようなもので、先生がたは舌をだして喜ぶだけだよ。」(昭和29年版、p.83)


少し不自然さを感じたので原文をみてみた。


“if they are guilty we should be giving up all chance of bringing it home to them.” (chanceは原文のまま)


これでは捕まえる機会を逃す、くらいの意味ではないか。持っている他の訳本は次のようである。


「二人が犯人だとしたら、思いしらせてやる機会をみすみす捨てるようなものじゃないか。」

(富山太佳夫訳、シャーロック・ホームズ全集第5巻、ちくま文庫)


「もし有罪なら、それを立証する機会を逃すことになる。」

(大久保康雄訳、ハヤカワ文庫)


「もし有罪だとしたら、それを彼らに認めさせる機会を失うことになる。」

(鮎川信夫訳、シャーロック・ホームズ大全、講談社)


なぜ延原訳で虎を野に放つとか、舌を出して喜ぶなどという表現を使っているか不明である。訳者の好みなのか。


さてこの延原訳で最終ページの最後から二行目を見た時、驚き目を見はり、笑ってしまった。


「僕はユグノー座の切符をもっている。」(昭和29年版、p.263)


原文は次の通り。


“I have a box for ‘Les Huguenots.’”


Les Huguenotsとは独生まれ、仏で活躍した19世紀のオペラ作曲家マイヤーベアの代表作『ユグノー教徒』のことである。生前は大人気だったが、後に忘れられた。今では再評価され、復活し、多くのCDやDVDが出ている。この翻訳が出た当時、日本のクラシックファンでも『ユグノー教徒』を知っている者はほとんどいなかったはずである。訳者はLes Huguenotsが歌劇とは分からなかったのだろう。


更に旧版p.221の3行目に前後の文からして明らかに誤訳と分かる箇所がある。原文など見る必要はない。なぜ長年気がつかなかったのか。改訳新版では直っている。


現在、延原訳として出ている新潮文庫は改版しただけでなく、子が訳文に修正を加えている。新版p.318に「不適当と思われる訳文は修正した」とある。

その新版(平成23年)で見たら、上のユグノー座は『ユグノー教徒』(p.314)になっている。ただ「十年か二十年以上もちがうようでは、」(p.18)や、虎を野や舌を出すのところ(p.95)はそのままである。

また第二章の古文書は文語文から口語表記に変えている。当時は文語文に抵抗を感じる人は少なかったと思う。戦前の公文書はすべて文語体だった。更に新版では高齢社会に考慮し、活字が大きくなっている。

書評などで、文章または訳文が不適当と言っているだけで、それがどこか書いていない場合がある。そういうのは嫌いなので、ここでは具体的な場所及び他の訳を示した。

延原訳は非常に評価が高いそうである。だから多数意見に沿う内容でなくともいいだろうと思って書いた。もし延原訳でバスカヴィル家の犬を読むのなら、爆笑物のユグノー座がある旧訳を勧める。古銭蒐集でも瑕疵のある硬貨は価値があるそうではないか。


遠藤周作『白い人』 昭和30年

フランス人の一人称形式の小説。戦前のリヨン、語り手は斜視で容姿が醜い。宗教に厳格な独生まれの母、いいかげんな仏人の父。近所の娘の身体の一部を見て興奮する。父に連れられ、中東での旅行の際の若い娘を見た経験。大学に入る。神学生がいて、この男も醜い。この神学生から叱咤される出来事があった。神学生には恋人のような女がいる。

後、戦争になり仏はドイツに占領される。語り手は独語が出来るので独軍の協力者となる。あの神学生が、抗独の闘士だったので捕まえられ、拷問を受ける。語り手もその拷問に加わる。協力者の名を吐かないので、あの恋人だった娘を捕まえ、利用して吐かせようとした。しかし元神学生は拷問死する。

2026年8月12日水曜日

機動捜査班 東京午前零時 昭和37年

小杉勇監督、日活、71分、白黒映画。内田良平が社長の業界紙は、バーなどの広告を勝手に乗せ、後から高い広告料をふんだくる悪事を働いていた。知り合った、密輸もしているクラブの経営者が事業を拡張するため、多くのホステスを必要としていた。内田はその引き抜きの仲介をする。知っている兄貴分が女の斡旋先を捜していたからである。

内田はある店で働いていた三原葉子を、気に入り引き抜く。三原も上昇志向が強かった。内田の弟分は内田からひどい扱いをされ、内田を恨むようになる。ホステスを提供している内田の兄貴分に接し、内田が甘い汁を吸っていると告げる。その男はホステスを必要とするクラブ経営者に会い、自分も直接仕事に参加させてくれと頼む。経営者は内田に電話し、やって来た男の件で怒る。内田は兄貴分である男を、車で連れ出し殺す。クラブの経営者も三原を好きになり、店の権利を渡すと言い出していた。

その頃、弟分は経営者の指示で、内田を殺すため、取引の場所なるところで内田と会う。警察も張り込んでいて、内田を殺す前に警察が発砲し、弟分は内田に逆に殺される。警察は内田を取り逃がした。内田はクラブに戻る。経営者や仲間は内田に殺される。三原を人質にとってクラブ内で、警察官らと内田の銃撃戦になる。弾が切れ、逮捕される。

容疑者 The suspect 1944

シオドマク監督、米、85分。チャールズ・ロートンの妻はやかまし屋の悪妻で、息子は家を出ていく。ロートンが勤め先で、職を捜してきた若い女と知り合いになり、付き合うようになる。妻と離婚して若い女と結婚したいと思うようになるが、妻は絶対に離婚を承知しない。ロートンが若い女と付き合っているのも突き止めている。ロートンは妻を事故に見せかけ殺す。

警視庁の刑事は事故か、殺人ではないかと疑う。ロートンは若い女と結婚する。隣家に嫌な男がいて、それがロートンの殺人を知っているかのように言ってきて、恐喝をする。ロートンは酒に毒を入れて殺す。この家にいるのが嫌になって、息子がカナダに渡るので、夫婦も渡加を決める。出帆する日、刑事が来てロートンに隣家の男の失踪はその妻が殺したようだと告げる。ロートンはその妻を良く知っており、そんなことをするような者でないと否定する。後で刑事は警官に言う。ロートンに隣家の妻が逮捕されたと嘘を言って、ロートンは極悪人ではないから、船を降りるだろうと。ロートンは出帆せず、街に戻ってきた。

2026年8月8日土曜日

機動捜査班 無法地帯 昭和37年

小杉勇監督、日活、64分、白黒映画。暴力団の経営するキャバレーで殴り込みがあるというので、その組の前で警視庁の車は見張っている。三人いた組の者のうち二人が車でキャバレーに向かったので、警察もそれを追う。その間、残った男が侵入者に射殺された。男を殺すための偽の殴り込み情報だった。殺した男を追っていくうち、銃の件で以前の神戸の殺人事件と関連があるのではないかと疑いが出てきた。

可能性のある男はあるバーで働いていると言う。そこに行くともう辞めていた。刑事はそのバーのマダムが自分の田舎にいた女と似ていると気づく。黒幕は神戸からやって来た悪党で、東京で地盤を築くため、暴力団を潰す予定だった。それで暴力団の一人を殺させたが、下手人の男も殺す。暴力団の他の二人も、地盤と交換に金を取るつもりだったが、悪党に殺される。警察は悪党の仕業と分かったので、手入れにくる。悪党は女と一緒に車で逃げる。それを空からヘリコプターで追う。最後に捕まえる。一緒の女、刑事と同郷だった田舎へ帰させる。

2026年8月5日水曜日

機動捜査班 暴力 昭和36年

小杉勇監督、日活、79分、白黒映画。暴力団同士の相手を潰そうとする闘争というお馴染みの設定。暴力団のところに警察の手入れがあり、隠し持っていた銃を押収する。米軍基地から出たトラックは途中で襲われ、運転手は殺され、積荷にあった銃を盗まれる。

張り合う暴力団は元々は一つの組の子分同士だった。その元の組の親分は落ちぶれ、酒浸りになっている。その息子も網走刑務所で死んだ。そこで同室だった男が銃を奪って、暴力団に銃を斡旋しようとする。男は元親分宅に行き、息子と刑務所で同室だったので助けたい、元の組を盛り返したいと言う。元親分の娘(清水まゆみ)はそんな申し出を断り、もう暴力団とは関わりたくないと答える。男はチンピラを使って暴力団同士の闘いをさせるつもりだった。しかしチンピラが店の店主を脅し、警察に捕まる。警察は銃の斡旋をしている男を捕まえるべく追う。追っかけと銃の撃ち合い、逮捕というお馴染みの展開で終わる。

2026年8月4日火曜日

フローベール『感情教育』 L’education sentimentale 1864-1869

19世紀前半のフランス、主人公のフレデリック・モローは田舎からパリに出てきて、アルヌー夫人という女に激しく恋する。それだけでなく他の若い女と同棲し子供を作り、更に地位のある男が死んだ後、その未亡人との結婚を目論み、財産を手に入れようとする。また田舎にはフレデリックと結婚する予定の女がいる。友人には、若く、名を上げようとする男たちが多くいる。後半では2月革命の描写がある。

現代人には歴史である、19世紀フランスの実際を主人公が体験する諸事によって、どんな社会であったかの例を見ることが出来る。『暗夜行路』に登場する若い男の行動から大正時代の様子が分かるように。それにしても『感情教育』は『ボヴァリー夫人』以上に退屈な小説で、写実主義の大家、フローベールの作品だからその退屈さも、高い評価につながっているのだろう。

2026年8月3日月曜日

機動捜査班 東京危険地帯 昭和36年

小杉勇監督、日活、68分、白黒映画。張り合う暴力団の一つが、もう一つ組の島を乗っ取ろうと図っている。内田良平の組はあまり大した勢力ではないが、その両者の間で漁夫の利を選ろうとする。一つの組のボスが内田に働きかけ、もう一つの暴力団を潰そうとする。内田は承知したが、その相手の組に行き、今度はその暴力団と組んで、敵の暴力団を潰そうと言い出す。

その資金源として贋の株式証券を作った。印刷した会社に内田は乗り込み、相手を殺し原版を破壊する。更にこの株式の売りさばきに使った者らを車に乗せ、銃殺及び崖から転落死させる。偽の株券はすぐに発覚した。別の件で捕えていた暴力団員から、贋株式の作成した暴力団を聞き、一斉に検挙する。またもう一つの暴力団にも手が回り、内田は金を持って、情婦の香月美奈子と車で千葉方面に逃走する。この追っかけと浜辺での内田と警察との撃ち合いなどが最後にある。

ワーロック Warlock 1959

エドワード・ドミトリク監督、米、122分。リチャード・ウィドマーク、ヘンリー・フォンダ、アンソニー・クイン出演。ウォーロックという西部の町はならず者たちに支配されていた。平和を取り戻すため、放浪保安官ともいうべきヘンリー・フォンダを呼ぼうと町では考える。有能だが報酬目当てで町から町へ、保安官をして放浪している。相棒がアンソニー・クインで、良くない男である。

悪党の一味にリチャード・ウィドマークがいて、弟もその仲間で、ウィドマークは悪党連中から抜け出そうとしている。フォンダがやってきて保安官になり、クインは酒場兼宿屋を経営する。町に若い女が来る。以前、フォンダやクインと知り合いで因縁がある。この女はウィドマークと恋仲になる。フォンダは悪党一味に立ち向かい、以前のように勝手にさせない。またこの町の女と好き合い、婚約する。町ではフォンダ以外の保安官を町の中から募集し、ウィドマークが立候補して副保安官となる。町にウィドマークの弟と仲間が来る。フォンダに向かおうとする。ウィドマークは止める。しかし弟は聞かず、フォンダと撃ち合いで斃れる。

ウィドマークはかつて仲間として加わっていた悪党一味の家に行き、もうウォーロックに来るなと言う。相手のボスは怒り、ウィドマークの手をナイフで刺し、ひどい傷を負わせる。傷の手当はするが、銃がうまく使えない。フォンダが来て、悪党一味との闘いに手助けしようかと申し出るが、ウィドマークは断る。悪党一味が町にやって来た時、ウィドマークは何とか相手方を倒す。これで悪党一味は実質的になくなった。後にクインが暴れ、フォンダはやむやく殺す。相棒を失ったフォンダは抜け殻になり、婚約者を置いて町から一人去っていく。

2026年8月2日日曜日

村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』新潮文庫 平成22年

一人称小説である。不思議なエレベーターに乗ってどこかに運ばれる。初めの方は全くカフカそのままである。カフカの名を冠した小説を書いている著者であるから、大いに影響されたのであろう。そえから女に従って目的の方へ行く。この辺りはよくある空想科学映画に出てくる風景である。わたしは小説の中だけの特殊な知識があって、それを老人の学者から頼まれる。

わたしは、ソファについて蘊蓄を傾け、座って心地よいソファがあまりないという。次いでサンドイッチにも造詣が深く、これほどうまいサンドイッチはそうそうないとか言う。よほどサンドイッチを良く食ってその味にうるさい者なのだろう。こういった作者の代弁なのか、偉そうな文章を読んでいて、すっかり嫌になり、読むのを止めた。これほどつまらない小説はそうそうあるものではない。

高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』講談社学芸文庫 1997

昭和56年に公表された著者の処女作。わたしという語り手による一人称小説。以前、わたしはある女と一緒に住み、女の子が生まれた。その女の子を可愛がるが、死んでしまう。女もどこかにいってしまった。今はソングブック(S・B)という女と、猫のヘンリー四世と一緒に暮らしている。わたしは詩の学校で詩を教えている。色んな生徒が来る。またギャングたちが登場し、警察との撃ち合いで殺される。普通の小説とは異なり、軽い調子で書かれており、一読して印象が鮮明な小説である。

2026年7月31日金曜日

機動捜査班 都会の牙 昭和36年

小杉勇監督、日活、73分、白黒映画。白タクの運転手が縄張りの暴力団から暴行を受けている。白タクを仕切っているボスの内田良平は、上のボスから指示を受ける。官庁と違法取引があって、その課長を消し、名簿を奪って来いと。この仕事を白タクの運転手にやらせる。また情報屋がいて、色々内部情報を探り、売って金を手に入れている。白タクの運転手は男を轢き、鞄を手に入れたが、白バイから追われる。その時、情報屋は警官を殴り、運転手を助ける。

助けたのは運転手から情報を取り入れるためだった。運転手は内田の指示で行なったと話し、情報屋はこれをテープに録音し、内田をゆする。金か警察に売るか。しかし内田は殺し屋を使い運転手を殺し、その死体を見つけた情報屋と仲間が死体を運ぶ場面を写真に撮っていた。これで情報屋はゆすれなくなった。情報屋は、モデルの香月美奈子と知り合い、鞄を預ける。警察では上司となった課長が内田と仲が良いと聞き、刑事の一人は辞めたくなる。

情報屋は預けた鞄を見ると、中の書類がない。香月は焼いたと答える。彼女は轢き殺された男の娘で、違法行為をしている父親の名が書いてある名簿を処分したかったと言う。情報屋は内田に名簿と引き換えに大金を要求する。波止場に贋の名簿を持って現れた情報屋は、内田の部下に蜂の巣にされる。香月の情報で警察が波止場に向かい、悪漢どもを一網打尽にする。香月はバッグから名簿を取り出し、刑事に渡す。処分していなかったのだ。

原直人『アベノミクスは何を殺したか』朝日新書 2023

アベノミクスと呼ばれた安倍晋三政権の経済政策、それを金融面から支援した、というよりその主砲となった黒田日銀総裁による異次元金融緩和の開始から10年過ぎた。その成果は当初期待されていたようなものではなかった。特にデフレからの脱却をするというのが、今世紀になってから経済政策の唯一の目標となった感がある。現在から見れば成果を果たせなかったのは、そもそも目標自体とその手段の不適切さがであり、それが批判されるようになっている。そこで10年後にアベノミクス批判を行なったのが本書である。

書名が『アベノミクスは何を殺したか』となっているように公正に批判しようとするのではなく、糾弾するという姿勢である。これは編者が朝日新聞であるからそうなったのであろう。形式は編者が質問し、識者が答えるインタビューで進む。登場する論者の中には元日銀総裁や職員がいて当時の日銀内での状況を伝えている。組織の職員は基本的に上から言われたことをやるしかない。もちろん意見は言えるし、それで議論になることもあろう。しかし一国の最高責任者から降りてきた指令は、従うしかない。しかも今では誤りだと分かっているが、当時はどうなるか分からなかったわけである。日本全体の雰囲気は、アベノミクス、異次元金融緩和を支持していたのが当時の実際である。

組織の個々の職員がまるで一国、また組織と異なる方針を意見していれば、それが通ったかのように言っても意味がない。アベノミクスの評価にしてもこの編者は頭ごなしに否定しているが、これでは丸抱えでアベノミクス万歳を叫んでいる者と同じである。個々の政策について是々非々を分析しなければ、今後の政策に活かしていけない。

2026年7月30日木曜日

加太こうじ『東京事件史 明治・大正編』一声社 昭和55年

書名は事件史となっており、犯罪が主かと思わせるが、出来事史、風俗史と言った方がいいかもしれない。取り挙げられている出来事は明治編では「近藤勇処刑」「上野の戦争」「東京・横浜間電信開設」などがあり、大正編では「ジゴマ上映の禁止」「米騒動、東京に波及」「松井須磨子の死」などである。

夫々の出来事が分かりやすく書かれており、読みやすい。著者は大正7年東京浅草生まれ。


2026年7月26日日曜日

渡辺努『インフレの時代』中公新書 2026

日本経済は長い間、前世紀末からデフレの時代を経験してきた。それがようやくインフレの時代に変わろうとしている。どういう特徴があるのか、日本経済にどう影響を与えるのかを考察している。今後、インフレが続けば日本経済を正常化するために、特に賃金の引上げが必要であると強調している。これが政府として後押しすべき政策だと言っている。

また政府の負債がインフレによって目減りし、政府はインフレによる最大の利得者となるので、その利得を使って必要な支出をできると述べる。更に日銀の総裁がどのように金融政策を進めてきたか、今度の植田総裁の政策に対する姿勢はどうかも分析する。また物価統計の改善の必要性を具体的事例で述べ、日本と米国では指標としている消費者物価指数が異なる(日本では見た価格、米では実際に支出した価格)ので、調整が必要と言っている。

世界大戦争 昭和36年

松林宗恵監督、東宝、110分。世界が核戦争に突入し、破滅する様を描く。フランキー堺が主人j公で運転手をしている。娘に星由里子がいて、船員の宝田明と恋仲であり、婚約する。その間にも大国間(連邦とか同盟といった言葉を使っている)では一発触発で、いつ核戦争に突入するか分からない緊張が続いている。あわやというところで核ミサイルの発射が止められたという場面もある。

しかし最終的には戦争が始まり、東京は壊滅する。船にいて助かった宝田明その他も東京に帰ろうと言って映画は終わる。なおこの映画はキューバ危機の前年に製作されている。

機動捜査班 秘密会員章 昭和36年

小杉勇監督、日活、白黒映画。あるナイトクラブに暴漢どもが押し寄せ、店を叩き壊す。警察がやってくるが、支配人はたいしたことないと言って追い返す。来た刑事はバッジを拾う。ここを経営する組と張り合う組もクラブを経営しており、競争していた。警察は、クラブの中に秘密があるとにらんでいた。

客の一部がバッジを見せて奥へ入っていく。それで警察は拾ったバッジを見せて中に入ると賭博場になっていた。入った刑事の一人は殴られ意識を失った。警察隊が来てみると賭博場は跡形もなく消えていた。殴られた刑事が見つかったが、拳銃と警察手帳を奪われていた。後に刑事がクラブにそれらを取り返しに行くと、ボスがバッジと引き換えに銃と手帳を返すと言う。刑事は警察に戻り証拠品のバッジを取り出し、それの模造品を作ってクラブに行く。ボスは刑事に手帳等を返さない。警察なんかよりここで働かないかと誘う。クラブにいる女は、刑事が悪に染まっていくのを見るのが嫌で忠告する。

敵対するクラブを潰す。しかしこのクラブも警察の手が回っていた。車で逃げるボスと女、運転する刑事。車に追跡装置を付け、警察が追えるようにしていた。途中で車を捨て、刑事とボスは闘い、ボスを逮捕する。帰りのパトカーの中で、刑事がクラブに誘われたのは部長の指示によったと言う。主役の刑事の妹役で松原智恵子が新人として出ている。大した役ではないが、クレジットでは主役の次に名が挙がっている。

コナン・ドイル『ライオンのたてがみ』 The adventure of the lion’s mane 1926

「シャーロック・ホームズの事件簿」所収の後期の短篇。ホームズは引退し、海辺に住んでいる。ある日、友人と浜辺を歩いていると瀕死の男に出くわす。近くの学校の教師である。背中に鞭で打ったようなひどい怪我があり、ライオンのたてがみと言って息絶える。

この男と友人だったあまり人付き合いの良くない男が警察に容疑者とされる。ところがこの男も後に同様の被害に会う。今度は死ななかった。危害を加えたものはクラゲの一種と分かった。その形はライオンのたてがみに似ている。

2026年7月25日土曜日

コナン・ドイル『ソア橋』 The problem of Thor bridge 1922

「シャーロック・ホームズの事件簿」に収められている後期の短篇。アメリカの上院議員をしていたという金鉱王は傲慢な男である。その夫人の死体が見つかった。容疑者は若い女家庭教師である。夫人は南米の出身、子供たちの家庭教師として雇われた女は魅力的だった。その家庭教師と夫人が会う約束のソア橋で、夫人が死体となって発見された。容疑者は家庭教師しかいない。アリバイもない。

ホームズらは死体の発見されたソア橋に行って調べる。判明した事実は夫人が、夫を誘惑したとして若い女教師に嫉妬し、殺人に見せかけ自殺をしたのだった。殺人容疑が家庭教師にかかればいいという算段だった。

苫米地英人『スピリチュアリズム』にんげん出版 2007

スピリチュアリズムとは何か、どうして多くの人がはまるのか、それを知りたく、以前から関心があった。本書はスピリチュアリズムを批判的に論じた本である。そのからくりを解き明かそうとしている。

このテーマとなると、自らがそれを信じ、本人は人助けのつもりもあるのか、勧誘されているかのような気分になるものがある。この本に出てくる江原啓之という人の著書を絶賛している文を以前読んだ。そんないい本なのかと思って読み始めると、そのうち気分が悪くなって、というと言い過ぎか、ついていけなくなり投げ出した。世の中にはそういう本で感激する人がいるのである。ともかく精神の安定を求めている人が、それで目的を達成できればよいと言える。そういうと新興宗教とどこが違うか。組織や機構のない宗教か?しかしオウム真理教や人民寺院などはひどい例である。スピリチュアリズムはすべて、そういう方向へいくばかりではないだろう。中心人物がどういう者かによるのか。

2026年7月24日金曜日

中野京子『名画で読む「音楽の秘密」』祥伝社 令和7年

この本は、絵の中に音楽または音が鳴っていると思われるものや、楽器が見える絵画を集めている。多くの絵画があるが、有名なものはあまり多くない。ミレーの『晩鐘』とか、ホルバインの『大使たち』、マネの『テュイルリー公園の音楽会』、そしてフェルメールの『絵画芸術』などは誰でも既知であろう。それ以外では、こんな絵があったのかと思う作品が大部分である。

「はじめに」のところに、特定の絵画から霊感を得て作られた音楽はそれなりにあるのに、特定の音楽から描かれた絵画はほとんどないと書いてある。有名な音楽を絵画化しようとする意欲を画家が持っていないせいだろうとある。特定の音楽でなく、音楽が関係している絵画なら幾つもあるので、それを集め、解説している本である。

2026年7月19日日曜日

機動捜査班 罠のある街 昭和36年

小杉勇監督、日活、67分、白黒映画。あるキャバレーでは客に女を紹介する闇商売をしている。それだけでなく、内田良平扮する悪党は、その客を脅して金をせしめる悪事もやらないかとキャバレーのボスに持ち掛ける。このキャバレーの新しい接待役である香月美奈子は、何やら探っているようである。コップの指紋を取ったりしている。後に香月は店の幹部から詰問される。

女を買った客を恐喝する男は警察から目をつけられた。すると内田は男を車ごと海に沈めて殺す。警察はキャバレーを襲って責任者らを逮捕する。その頃、キャバレーのボスは内田と香月に迫られていた。香月は以前、麻薬の事件の際、キャバレーのボスによって殺された女の妹だった。更に内田と香月は夫婦だと分かった。脅迫され大金を渡したボスは殺される。大金を持って逃げる内田と香月を警察は追っかける。逃走の末、内田は逮捕され、香月も空港で待っていると警察が来て連行される。

2026年7月15日水曜日

コナン・ドイル『ササッサ谷の怪』中公文庫 2024

 本書には14編の短篇小説が含まれている。ドイルの多くの作品のうち、これまで日本で未紹介だった作品から選んで集めた短篇集。これまで未紹介だったとは、それほど傑作とは思われていなかったからであろう。実際に読み出しても、あまり面白くない。それでAmazonの読者評に従い、この中で面白いと指摘のあった短篇のみ読んだ。

『エヴァンジェリン号の運命』は海洋冒険譚と恋愛物の組み合わせ。語り手は好きだった女が別の男と婚約することになり、怒る。その女が親族、婚約者とある島に行き、一人だけヨットに乗っていると流されてしまう。行方不明になり死んだものと思われたが、実は語り手がその女を匿って、相手も自分を好きなので一緒になるという話。『やりきれない話』はぐうたらで自分勝手な亭主を持っているので、苦労して仕事を見つけてきたのに、亭主にお金を盗まれ、仕事の約束を果たすため出費を強いられた妻の話。『業師ウィルキーの思い出話』詐欺師のウィルキーが、これまでどのような詐欺をどうしてやってきたかの回顧談。

『死の航海』は歴史SFものという特殊な話。第一次世界大戦でドイツ帝国は敗れ帝政は終わったが、その終わり方に関して、ドイルは別の話にしている。まず大戦末期の皇帝と政府高官のやりとりがある。ここを読むと第二次世界大戦末の御前会議を思い出してしまう。皇帝は歴史の実際と違って、名誉の戦死を遂げるため艦隊を繰り出し、英海軍の艦隊と戦うのである。つまりドイツは負けたが、その負け方を史実でない創作によって語っているのである。(小池滋監訳、北原尚彦編)

キッスで殺せ Kiss me deadly 1955

ロバート・アルドリッチ監督、米、104分、白黒映画。主人公の私立探偵が夜、車を走らせていると、コートをまとった裸の若い女に呼び止められる。ラジオの放送では精神病院から逃げたしてきたらしいが、主人公は女を匿う。主人公と女は男どもに乱暴を受け、車ごと崖下に落とされる。

主人公は病院で目が覚めたが、女は死んだ。女の残した言葉から謎を解いていこうとする。死んだ女の同室だった女を訪ねるが、引越ししており、見つけてから助けを求められ、自分の部屋に匿う。捜査を続けているうちに友人は殺され、助手の女も攫われた。謎を解いていくと、死んだ女が隠していたのは保管庫であり、そこに行くと、放射性のとんでもない物質だったと分かる。これを悪党は盗み出した。主人公は助手を助けるため、海辺の別荘に行く。あの死んだ女の同室の女は実は悪党の一味であり、分け前の奪い合いから盗み出した物質を、一人占めしようとした。主人公は助手を助け出し、別荘の外に逃げる。物質の入った箱を開けると放射能で瞬く間に火に包まれ、別荘は爆破する。

2026年7月13日月曜日

帽子から飛び出した死 Miracle for sale 1939

トッド・ブラウニング監督、米、71分、白黒映画。ニューヨークで奇術師である主人公のところに若い女が助けを求めて来る。その女を助ける。有名な奇術師のところに行く予定だった。そのホテルに行くと、当の奇術師は死体で発見された。密室である。どうして殺したのか。この場所に集まるはずになっていた他の奇術師連中に容疑がかかる。そのうち一人はラジオ出演があるからと言って、現場を去るが、それは逃亡であった。逃亡した奇術師が怪しい。

しかしその自宅に行くと、奇術師が死体となっていた。この死体の死亡時刻は先の殺人事件より早いらしい。だったら殺せるはずもない。更にその家では死体がなくなるとか、座っていた者が消えてしまうなどの現象が起こる。これは地下室があってそこに落ちていたからだった。最終的には変装して別人になりすまし、事件を起こしたのだと分かる。

稲垣栄洋『植物に死はあるのか』SB新書 2023

植物学者の著者による植物論。形式は大学の教師である書き手のところへ、毎日、植物に関する基本的な質問が電子メールで来るので、それに答えていく形である。副題に「生命の不思議をめぐる一週間」とある。曜日毎の内容は次の様である。

月曜日:どうして植物は動かないのか? 火曜日:植物と動物はどこが違うのか? 水曜日:草って何? 木曜日:木は何本あるのか? 金曜日:木は生きているか? 土曜日:植物は死ぬのか? 日曜日:植物は何からできているのか?

2026年7月12日日曜日

亀山郁夫『謎とき悪霊』新潮選書 2012

ドストエフスキーの翻訳で名をはせた著者による『悪霊』論である。全体で446ページもある大著である。しかしながら読んでよく分からないところや、驚いたところなどがある。まずよく分からないところを書く。

たくさんの話題を取り上げ、雑学的知識は増えるが、当方が関心のある事項は書かれていない。たとえば主人公となっているスタヴローギン、美貌と怪力の持ち主とは分かるが、人となりはよく分からなかった。それで神秘的になり、魅力的に見える効果があるのだろう。このスタヴローギンについて、同じ著者による『悪霊、神になりたかった男』という本を以前読んだ。内容は忘れてしまったが、この書名である。神になりたかった男とはキリーロフかと思っていたら、スタヴローギンを指すのである。『悪霊』の中にスタヴローギンが神になりたい、なんて記述があったか。(脱線だが、この本を読んだ時に一番印象に残ったのは、この著者は読者をアッと言わせたい思いが強い、という点であり、そのせいか他は忘れてしまった)

本書でスタヴローギンがどう解明されているか興味を持ったのだが、当方の読み方が不十分であろう、よく分からないままである。本書の183ページでマリヤ・レビャートキナのスタヴローギン理解にふれて、「マリヤは、わたしたち一般読者が理解しているようなスタヴローギン像を思い描いたことは、おそらく一度としてない」とある。ここで著者は、著者と読者の間に共通の理解があるように書いているが、自分など理解できていないので読んでいるのであって、著者との間に何らかの共通理解があるわけない。本書に「スタヴローギンとはだれか」という節がある。(75ページ以下)そこにはスタヴローギンのモデルとして、バクーニン、スペシネフ、フョードル・トルストイの3人の名が挙げられている。バクーニンの名くらいは知っているだろう。スペシネフもドストエフスキーに関心があれば知っているかもしれない。フョードル・トルストイなんて誰も知らない。バクーニンもアナーキストと知っているだけで、全く未知のF・トルストイを含めてこの人がモデルなんて言われても、スタヴローギンの理解につながらない。文学の世界ではモデルとなった人物を特定できれば、分かったことになるのか。

またインターネットの記事にもよくあるが、ゲーテやルソーを下敷きにしているという指摘がある。元となったゲーテやルソーの著作等について創作ノートに詳しく書いてあるのか。似ているだけというなら、西洋の文学など新旧の聖書やギリシャ神話に、元ネタを捜そうと思えばみんなできるだろう。ドストエフスキーがゲーテやルソーを元にして書いたという証拠があるのか。

この著者のドストエフスキー理解、接近の仕方の、そもそもについて述べる。本書を読んでいると驚くべき記述に出くわす。創作ノートの記述に触れ、「ドストエフスキーの脳裏に描かれていた『悪霊』とわたしたちが現に手にしている『悪霊』とはことによるとまったく別世界なのかもしれない、いった疑問さえ浮かんでくる」(本書p.54)我々が読んでいる『悪霊』はまがい物かもしれないのだ!

この著者のドストエフスキー理解の根本思想が『ドストエフスキー共苦する力』(2009)のあとがきにあった。そこには次の様にある。「わたしの考えでは、ドストエフスキーこそは、まさに「二枚舌」の天才だった。(改行)わたしのドストエフスキー理解は一貫している。それは、書かれたテクストを絶対化しない、テクストには二重構造があるという信念である。信仰の裏に不信があり、不信の闇に神は存在する。作家というのは、そうした二重性の表現においてこそ、どこまでも真剣であり、誠実なのだ。」(同書p.261)このあとがきを読んで、これこそ謎とき亀山郁夫だと思った。つまり本文などに拘泥していてはドストエフスキーの理解はできない。その底にある「真意」を読み取る作業が必要なのである。先の本の『白痴』の項で「想像はさらに膨らみます。」とあった。このように本文を読むに留まらず、その外にあるものを掴まなければならない。そんなことどうして出来るのか。普通の人では無理だろう。この著者はドストエフスキーの翻訳だけでなく、ドストエフスキーに関する本を多く出している。だからそれらを読んで真のドストエフスキー理解に達する必要がある、ということなのか。本文を絶対としない、という発想はこの著者が創作ノートを重要視している態度につながる。著者にとって創作ノートは廃棄された過去の案ではない。本文と同等に、いやそれ以上にドストエフスキーの解明にとって重要な文書なのである。それほど創作ノートが重要なら、『悪霊』本文だけでなく、創作ノートも訳してもらいたかった。『悪霊』の創作ノートの全文は、筑摩書房から出ているドストエフスキー全集の第18巻に『罪と罰』のそれと一緒に訳されている。影印本が出ているが高価であり、文庫で欲しかった。

さて本書で最も驚いたのは、ドストエフスキーの伴侶、アンナ夫人の正体を暴いていることである。いわゆる「スタヴローギンの告白」には3種の稿がある。ドストエフスキーが初校刷に手を入れた版、そこからドストエフスキーの手入れを除いた初校版そのもの、アンナ夫人の筆写版。ここで稿の違いとか、その意図を議論しようとするのではない。このうちアンナ夫人の筆写版について、アンナ夫人が主体的にドストエフスキーの原稿を改竄していると言わんばかりに書いているように見える。いや著者は夫人が手を入れたとされる一部について「夫の意図を蔑ろにしたアンナ夫人の作為と見ることはできない」(本書p.228)とあるものの、全体からは意図的な夫人の介入があったと読めるのである。先の文と同じページに、夫人の考えからして不都合な部分は切り取る必要があったと書いている。もちろん夫人の真意を当方も知らないから、著者の解釈が誤りなどと言えるわけではない。ただ夫を尊敬していたアンナ夫人が、夫の原稿に勝手に手を加えたとは思えなかったからである。

また本書には、ドストエフスキーとアンナ夫人の間はそれほど良かったものでないと言える記述がある。「・・・「家庭内検閲者」であるアンナ夫人と作家との間におそらくは小さな対立を生んだにちがいない・・・」(p.230) ここでアンナ夫人を家庭内検閲者と呼んでいる。のちの「伝記3 検閲」では検閲との戦いとして、ドストエフスキーが囲まれていた壁に、第一にロシア報知の編集部、第二に当局の検閲委員会、第三に秘密警察の皇帝官房第三課、そして第四の壁として妻アンナを挙げているのである。(p.284)アンナ夫人はドストエフスキーにとって、検閲委員会や秘密警察と同等の戦うべき敵だったのである。

またドストエフスキー夫妻がロシアに帰国する前に、『悪霊』の原稿をロシア報知の編集部に送りつけた事情についても、編集部とだけでなく、「アンナ夫人との間に何かしら複雑なやりとりがあったのではないか、と想像されるのである」(p.285)とある。以上の記述から、アンナは賢夫人であり、その内助の功によってドストエフスキーの創作に大いに貢献した、というこれまでのイメージから、実は獅子身中の虫だった!と暴露された気分になった。ともかく本書を読んでの最大の衝撃であった。


黒魔術 Black majic 1949

グレゴリー・ラトフ監督、米、105分、白黒映画、オーソン・ウェルズ主演。カリオストロ伯(実名ジョゼフ・バルサモ)をオーソン・ウェルズが演じる。ジプシーの息子だったカリオストロは両親を幼い時、貴族に殺される。長じて病気を治すなどの術で名をはせる。名前をカリオストロと変える。

マリー・アントワネットにそっくりの女を見つけ、その女を使い、フランス宮廷に乗り込む。これには、あのカリオストロの両親を殺した貴族も(カリオストロの出自を知らずに)関わっていた。陰謀が発覚し、貴族もカリオストロも捕えられる。カリオストロは貴族に自分の事実を告げ、貴族に自殺するよう、術で仕向ける。法廷では初めはカリオストロは、民衆を虜にする弁論で魅了するが、後に自分の師でもある男に、自分の正体を暴かれる。最後は塔の上で、妻とした女の恋人と闘い、敗れて落下死する。

2026年7月9日木曜日

紀田順一郎『蔵書一代』 2017

怪奇幻想文学の専門家である著者が自分自身の蔵書について語るほか、蔵書のあり方の一般論、過去の有名人の蔵書がどう処分されたかについて述べている。一般の読書家でもそうでない人から見たら随分本を持っているのが普通であろう。著者のような文筆業であれば、蔵書は恐ろしく増えていくだろう。昔「百万円の蔵書には百万円の費用がかかる」とどこかで読んだ記憶がある。

本というものは場所を取る、しかも非常に重い。これは蔵書の物理的特性だが、質的に他の蒐集と違うところは何か。切手(昔はやった)とか人形とか時計などの蒐集、あるいは骨董品集めとの違いは、本というのはその物自体より、その中の情報が、すなわち人類の叡智や文化やもっと卑近なものでも良いが、その集積である中身が重要であり、書籍自体は情報の媒体に過ぎない。しかし本としての物自体を愛で、集める人がいる。これは個人の勝手だから他人がとやかく言う話でない。ここで著者は集めた何万冊の本を数百冊残して処分したとある。がっかり極まりないのは分かるが、そう決めたのだからしょうがない。

2026年7月7日火曜日

肉体の反抗 昭和32年

野口博志監督、日活、89分、白黒映画。神戸の銀行に勤める女主人公は、同僚の大坂志郎と結婚する予定だったが、母親が病気で妹が学校に通っている事情でまだ出来ないでいる。警察から妹が宝石を盗み捕まったと聞き驚く。このせいで大坂の親から結婚を断られ、母親は死ぬ。妹を保釈に行くが、妹は姉に反抗的で、家出をしてしまう。その後横浜の海で死体として見つかったと知らせが入り、主人公は横浜に急行する。警察は自殺扱いにしたが、殺しではないかと疑っていた。

主人公は妹の復讐を誓う。妹は合いの子の外人(岡田真澄)に騙されて死んだようだ。主人公は岡田に近づく。岡田はある女と結託し、女を娼婦として集めて金儲けしていた。主人公はその娼婦館を営む女に近づき自分もその一員となり、岡田と深い仲になる。女主の息子の大学生は母親の職業を知らない。主人公はその大学生を誑し込み、岡田を復讐しようとする。これは成功したが、大学生はそのせいで殺人犯になり、主人公は大学生の誠意に報いるため出所まで待つという。大坂志郎が神戸から出てきて、主人公に復縁を迫るが、好きであるものの、もう一緒になれないと主人公は断る。

2026年7月6日月曜日

俺はトップ屋だ 第二の顔 昭和36年

井田深監督、日活、52分、白黒映画、二谷英明主演。暴走するスポーツカーは崖から落ちる。乗っていて死んだのは流行歌手の若い男。この事件を調べることになったトップ屋、二谷は歌手が出ていたクラブに行く。死んだ歌手に代わって別の歌手が歌っていた。そこのマダムは情報収集に協力的でない。

暴漢に襲われたそこの踊り子を二谷は救ってやる。クラブにいた実業家が黒幕で、踊り子を使い、多くの者を消していた。二谷の旧友まで、実は裏切り者で二谷の名を騙り悪事を働いていた。現金を手に入れそうになる直前に警察が踏み込み、実業家は逮捕されるが、踊り子と旧友は車で逃げていた。車が崖から落ちそうになり、踊り子は助かるが旧友は落ちていった。

2026年7月3日金曜日

俺はトップ屋だ 顔のない美女 昭和36年

井田深監督、日活、52分、白黒映画、二谷英明主演。夜、都会で男が銃で殺され、持っていた仏像を奪われる場面から始まる。トップ屋(独立して週刊誌等に記事を売り込む文筆記者)の二谷はある女から外国硬貨のような物を渡される。これを欲しがるバーの他の女がいる。中に男の写真があった。警察に見せると有名な密輸業者とのこと。それを渡した女を捜す。スチュワーデスらしい。

謎の男(ジェリー藤尾)が二谷の周りをうろつき、その男にあるクラブに連れていかれる。会員制でそこに入るためにはあの硬貨状が必要らしい。その硬貨を持ってきてクラブに入り、その持主のロッカーを開けると仏像が入っている。その仏像を持って帰る。二谷の事務所では硬貨を奪いに悪漢どもがやってきて、助手の禰津良子がひどい目にあっていた。あの硬貨を渡した女に会い、その仏像の中にダイヤが隠されていると知る。その時悪漢どもがやってきて仏像を奪おうとするが、警官隊も来て一網打尽となる。高跳び用に悪漢どもが用意していたヘリコプターに乗り、二谷は記事を届けに東京に飛ぶ。

2026年6月30日火曜日

矢崎美盛『物語ヘーゲル精神現象学』明月堂書店 2022

本書は矢崎美盛著『ヘーゲル 精神現象論』岩波書店、昭和11年の現代表記版である。書名が違うため別の本かと思うかもしれない。上記の『ヘーゲル 精神現象論』はヘーゲルの『精神現象学』の入門的な解説書として評価が高く、版を重ね、戦後に岩波書店から復刻版も発売された。

しかしながら戦前の出版であるため、口語体ではあるが旧字旧仮名で、昔のことだから漢字の割合が非常に高く、今では使わないような漢字や言い回しを多く使っている。そのため内容理解の前に、読解そのものに時間を取られていた。今回の現代表記で非常に読みやすくなった。

プリースト判事 Judge Priest 1934

ジョン・フォード監督、米、80分。1890年のケンタッキーが舞台。判事を勤めるプリーストの甥が弁護士資格を取り、北部から帰ってくる。隣家の娘を好きなのだが、母親は孤児だと言い結婚を認めようとしない。

この町に偏屈そうな男がいて、床屋で娘を私生児だと他の者が言うので、言った男を殴る。居合わせたプリーストも男の味方だった。殴られた男たちは恨みのため、玉突場で男を待ち構え喧嘩になるが、かえって傷を負わされる。これで裁判になった。男の弁護は新米の甥が勤めることになった。プリーストは男の味方であると言われ、この事件では判事をできなくなった。男は何も弁解せず、このままだと有罪になる。

プリーストは甥と共同の弁護士になって、牧師を裁判に連れてくる。そこで牧師は男の過去を話す。かつて無期の囚人だった。南北戦争の際に、兵士として従軍すれば刑は免除になるので、多くの者と一緒に戦争を戦った。勇敢で抜群の働きをした。隣家の娘の父親でもあったが、秘密にしてこの町に住んでいたと。これで一躍男は英雄に祭り上げられる。

バビロン Babylon 2022

デイミアン・チャゼル監督、米、189分。1930年前後の、発声映画移行期にハリウッドほか映画界の狂騒を背景にメキシコからやって来た若者と新進女優(マーゴット・ロビー)の出世、大物俳優(ブラッド・ピット)の生き様などを描く。

メキシコの若者はハリウッドの映画界の乱痴気パーティの準備のため、象をトラックで砂漠の中を運んでくる。象が糞尿を排泄する場面がのっけから出てくる。パーティに来た無名のロビーを中に入れてやる。メキシコ人はブラッド・ピットに気に入れられ、雑用から映画の道具調達まで仕事をこなし、映画界に入っていく。代役でロビーは注目され、瞬く間に大女優となる。それを貶す映画人もいる。メキシコ人も映画の製作にかかわるようになる。

最後はロビーも没落し、賭博で膨大な借金をこしらえる。メキシコ人が用意させた大金は映画用の札で、それがばれて危うく命を落としそうになる。メキシコにロビーと車で逃げようとする。国境近くでロビーを見失う。戦後になってメキシコ人は家族と共に自分が活躍したハリウッドに戻ってくる。映画館に入り、かつての栄光の夢を見る。

2026年6月28日日曜日

バートン・フィンク Burton Fink 1991

ジョエル・コーエン監督、米、116分。時代は1941年、ニューヨークの劇作家、バートン・フィンクは評価されている。ハリウッドから映画のシナリオ作家にならないかと誘いが来る。ハリウッドに行き、映画会社の社長と会う。レスリング映画の台本を書けと言われる。

ホテルの部屋でタイプライターを前に座っていると隣室から音が聞こえる。フロントに言って注意してもらう。扉を叩く音がする。開けると隣室の男である。大男で下に何か言ったかと迫られる。フィンクはたじたじとなって譲歩した言い方をする。二人はそれから仲良くなる。フィンクは映画のシナリオが書けずに困っている。遭遇した有名な作家と知遇を得て、招かれその女秘書兼情人とも知り合う。ある日、その秘書兼情人がフィンクの部屋を訪ねてくる。朝起きたら寝台の脇にはその女が寝ていた、だけでない、朱に染まって死体となっていた。驚愕したフィンクは隣室の男に話す。男は死体をシーツにくるみ、処理しに行く。男はホテルを出るが、また戻ってくると言い、フィンクに立方体の包みを託す。

後に刑事たちが来る。隣室の男は連続殺人犯だったと聞かされる。フィンクは書いた台本を社長に見せるが、全く気に入ってもらえない。後に日本との戦争が始まり、社長は参戦する気でいる。隣室の男が戻ってきて、刑事たちを皆殺しにする。フィンクは海辺に行き、腰を下ろす。たまたまやって来た若い水着の女が、部屋にかけてあった絵と同じ格好の、波打ち際に後ろを見せて座る。

2026年6月26日金曜日

ジュリアン・シモンズ『コナン・ドイル』 Conan Doyle: Portrait of an artist 1979

シャーロック・ホームズの生みの親、コナン・ドイルの伝記兼評論である。コナン・ドイルに少し関心があれば、ドイル自身はホームズ物が好きでなく、金のために書いていた、本当に書きたかったのは歴史小説だった、晩年の心霊主義への傾倒は知っているだろう。少なくとも自分でもそれくらいは知っていた。この本でそれにとどまらず知ったのは、ドイルは書斎の人とは程遠い活動家で、スポーツ万能、体格も180cmもあった。生涯に渡って常に積極的に行動し、ともかくヴィクトリア朝精神の権化で、それは偏見や独善、傲慢、狭量であったが、それ故の自信と勇気の人、愛国主義者であった。

晩年に息子を含む近親者が次々と亡くなり、そのあたりは不幸であった。心霊主義への関心はそれ以前からあったが、これらの不幸がドイル自身をより深まらせたと思う。本書は176頁の文庫ながら写真も多く、巻末に著作一覧及び索引まで載っている。ドイルの伝記では特に優れているのではないか。

刑事グラハム/凍りついた欲望 Manhunter 1986

マイケル・マン監督、米、126分。元FBI捜査官の主人公は乞われて、連続一家皆殺し殺人事件の解明に乗り出す。手がかりを得るため、刑務所に収容されているレクター博士の元に行く。主人公につきまとう雑誌記者はそれを記事にする。殺人犯は記者を捕えて火あぶりにする。

レクターと犯人の間で通信が始まる。暗号で何を伝え合っているのか、その解明に時間を要する。犯人は勤務先の盲目の若い女と知り合い、関係を持つ。ところがこの女に恋人がいると分かり、その相手を殺して女も攫う。主人公らFBIは、犯人が殺された一家双方のホームビデオを現象した会社に通う、バンを使う白人だという事実から、照合で犯人の名と住所を突き止める。主人公らFBIの面々が犯人宅に着き、主人公は家に飛び込む。犯人から撃たれて負傷する。その後から来たFBIらも次々と犯人に射殺される。主人公は起き上がり、犯人とも撃ち合いで相手を倒す。女は救助された。

アルティメット・コマンドーCIA vs デルタフォース The 2nd 2020

ブライアン・スキーバ監督、米、99分。米陸軍特殊部隊(デルタフォース)の隊員である主人公が大学の寮へ息子を迎えに行く。息子は女子大生と仲良くなっていた。その女子大生は最高裁判事の娘で、誘拐しようとしているのがCIAの連中である。CIAの長官は自分のいうことを聞かない判事の娘を攫い、脅すつもりだった。

娘を迎えに来た者が普段と違う。息子のために来た隊員は、不審に思い、娘に父親に連絡して確かめろと言う。別の者など寄こさないという返事で、会話は切れてしまう。攫う連中が通信を操作したのである。これ以降は隊員、その息子、判事の娘を襲い、娘を攫おうとするCIAと隊員及びその息子との大学内を舞台にした戦いになる。CIAの者どもは隊員に倒される。CIA長官は一度は娘の誘拐が成功したと思ったが、そうならず内輪の者に殺される。

2026年6月24日水曜日

デモンズ 2 Demoni 2 L’incubo ritorna 1986

ランベルト・バーヴァ監督、伊、90分。高層のマンションでゾンビどもが暴れ、住民たちとの戦いになる。若い娘の誕生日で友人等が集まってパーティをしていた。当の娘はテレビを見ていた。それはゾンビが出てくる映画で、探検に来た若い男女に襲いかかる。この映画を映しているテレビの画面からゾンビが出てくる。『ビデオ・ドーム』と同じ形態。娘をゾンビは襲う。ゾンビ化した娘はパーティの面々を驚かせ逃げさせる。

夫の帰りを待っている妻にも子供ゾンビが現れる。格闘が続く。なかなか子供ゾンビは死なない。夫が帰宅して片付ける。マンション全体で、住民たちとゾンビの戦いが行われる。最後は妻は子供を産み、ゾンビもいなくなった。

2026年6月23日火曜日

鏡の中の女 Ansikte mot ansikte 1976

ベルイマン監督、瑞典、119分。主人公の女精神科医が引越しのため空になった部屋で、祖母に電話する。祖母宅に行く。祖父は寝たきりの状態。女精神科医は自分の患者がうまく治らないので気分が良くない。夫と娘がいる。夫はアメリカに行って長い間会っていない。パーティで男の医者に紹介される。女たらしと言われている。

女精神科医は何もない部屋で、自分の患者が横たわっているのを見つける。救急車を呼ぼうとしたら男二人が現れ、暴行しようとする。女の身体が反応せず男たちは諦め去る。これがきっかけで女は精神状態が一層悪化する。恋人となった男の医師の元で、寝るわけでないが、女は自分の過去の精神的外傷について語る。母親からも祖母からも愛されていなかったと。男はいたわる。自分の娘と会う。娘から母親は自分を好いていないと言われる。祖母の家で、祖母が悪化が進む祖父を看護しているのを見て愛の形を知る。

2026年6月21日日曜日

心のともしび Magnificent obsession 1954

ダグラス・サーク監督、米、108分、総天然色。金持ちのドラ息子が湖でモーターボートを飛ばしている。同乗の女は怖がって岸で降りる。その後も男は爆走し、事故を起こす。呼吸器で手当てを受けている。その時同席していた警官に電話がかかり、早く呼吸器を病院に返してくれと言われる。警官が病院に返しに行く。同じ時間に病院の院長の夫人と娘が車で帰宅の途にあった。病院に着くと院長が死んだと分かる。呼吸器が間に合わなかったのである。

ドラ息子は病院で自分が助かったため、院長が死んだと聞かされる。病院に行く。夫人に会って償いの金を渡そうとしても拒絶される。その後も夫人を追いかける。しつこい男を避けるため、車から飛び出した夫人は事故に会い、失明してしまう。医者は匙を投げた。男はヨーロッパならいい医者がいるかもしれないと捜し、夫人を自分の費用で何も言わず、会う時は偽名を使って、ヨーロッパに旅出させる。ヨーロッパの医師たちの診断でもやはり治療は無理と分かった。男はヨーロッパに行き、夫人に会い、相手が自分を好いてくれているので求婚する。夫人は自分があの男だと知っていた。明くる日、夫人と友人の看護婦は何も言わずに去る。行き先を捜しても分からない。

男はアメリカに帰り、医師の勉強を始め、医師になる。何年も経ってから夫人が医院に入院し、危ない状態と知る。早速そこに行く。直ちに手術の要がある。男は自信がなかったが執刀する。後に夫人が意識を取り戻してから、目が見えると言い出す。

2026年6月20日土曜日

発狂する唇 平成11年

佐々木浩久監督、オメガ・プロジェクト、75分。連続女子中学生殺人の罪に問われている若い男の一家には嫌がらせが相次ぎ、テレビ記者も家の前で他の報道陣と共に集まっている。

一家の残りは女ばかり、母親と姉妹である。妹が兄を捜すため心霊研究所に行き、霊媒師を招くが家族の反発をくらう。一方で宇宙から来たような不思議な二人組とも会う。家には刑事がやってきて嫌がらせをする。公園に逃げた妹は別の刑事の追及に嫌気がさし、超能力を発揮してその刑事を念力で殺す。妹は家に来た刑事に暴行される。

霊媒師の導きで離れた場所にある家屋に行く。するとそこには殺された女子中学生の首が隠されていた。実は殺人犯人は一家の女たちだった。無実の息子に容疑がかけられていたのである。殺された子供の親たちが同席して、首を見つけ怒り狂って一家を追いかける。林の中で大乱闘になり、ほとんどの者が死ぬ。

ロビンフッドの冒険 The adventure of Robin Hood 1938

マイケル・カーティス監督、米、102分、総天然色、エロール・フリン主演。戦前の作で、『風と共に去りぬ』の前年の製作だが、総天然色できれいな色である。数あるロビン・フッド映画の原典であり、標準作となっている。シャーウッドの森での義賊のロビン・フッドの活躍は定番化した内容である。

ここではマリアンがリチャード王の被後見人であり、初めは敵のジョン王弟の一家の一人であり、ロビンをならず者と思っていたが、ロビンを知るようになってから惹かれていく筋である。十字軍に行っていたリチャード王が帰還し、ロビン一味が王の臣下になるところまでであり、ロビンの最後までは映画にしていない。

2026年6月15日月曜日

サイモン・ブレット『死のようにロマンティック』 Dead romantic 1985

我孫子武丸『殺戮にいたる病』のレビューに、この作品と似ていると言っているものがあった。『殺戮にいたる病』はなぜかベストセラーになっているらしいが、単に気色の悪い描写の多い猟奇殺人犯罪小説に過ぎない。このイギリスの小説を読んで、どこが似ているんだとしか思えなかった。少し考えて、多分、作者が読者に犯人を騙そうとする書き方をしているところかと思った。推理小説好きはトリックしか関心がないので、それ以外の小説のあり様に何の興味もないらしい。小説全体に関心のある読み方であれば、全く違う感想を持つ。

次のような内容である。1980年代のイギリスのブライトンというまちが舞台。そこの語学学校の教師である女は、30台後半だが独身でかなり空想的な性癖である。この学校に男の教師が赴任してくる。既婚者だが、女と男は相思の間柄になる。この女教師の生徒である18歳の童貞の若者(子供のような感じ)は、女教師に対して熱烈に恋をしている。同年代の若い子にも少し関心があるが、良心のかけらもない友人にこの女友達を寝取られたと思い悩む。それより憧れの女教師が男の同僚と恋人と分かって怒る。

途中で娼婦の殺人事件が起こる。何も名前を書いてなくて、読者に誰かと思わせるような書き方である。若者は女教師とその恋人が一緒に泊まろうと計画してるのを知り、何としても阻止すべく女教師の車を猛スピードで追いかける。そのため警察に捕まってしまう。ホテルに着いていよいよ事に及びそうになると男は乱暴を働き、女はたまたまあったナイフで刺して殺す。実は男は連続殺人犯で娼婦殺しもしていた。独身なのに既婚のように装っていた。女教師はその後も教師を続け、何の嫌疑もかからなかった。警察も男が連続殺人犯であると分かったので、逆に娼婦に殺されたのだろうと見当をつけて終わった。

2026年6月12日金曜日

西尾幹二『国民の歴史』 西尾幹二全集第18巻 平成29年

独文学者の西尾による本書は平成11年に刊行された。日本で主流の左翼的歴史観に真向から反対するその記述は多くの議論を呼んだ。その後文庫化され、西尾の全集に収められた際には、過去の批判への対応などが書かれている。

本書は左翼的歴史書ではないが、だからと言って書名から連想されるような通史ではない。著者の歴史観を述べた書である。だから古代については多く述べられているが、その後の歴史展開を追った書ではない。これまで日本で主流だった左翼の歴史観に対する批判が非常に多い。そういうわけで本書を多くある日本史を、保守的な観点から書いた本と思わないように。

2026年6月9日火曜日

アンリ・カルティエ=ブレッソン『The decisive moment』 2024

別に写真に凝っているわけではないが、何年も前、仏の写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真集『決定的瞬間』は、古典だと聞いた。それでAmazonでかなり高価だったが注文した。英の書店で、到着まで随分時間がかかるはずだった。ところがかなり経ってから注文が一方的にキャンセルされた。理由も何もなく販売元からキャンセルされたのは後にも先にもなく、この時だけである。それからこの写真家に当時は未練があったのか、『アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集成 国際共同出版』という岩波書店から発売されていた本を買った。これも自分が買う本では高かった。

その後かなり経ち、この写真家を忘れ始めていた。ところが先月たまたまAmazonでこのThe decisive momentを売っているのを見つけた。それで注文した。昔よりは値段が安い。半月ほどして届いた。包装を開けてまず思ったのは「小さい!」であり、若干驚いた。写真集てのは大型本が多いではないか。元々この大きさだったのかと思ったりしたが、調べてみるとこれは2024年に発売された新版であり、大きさを以前の物より小さくしたと分かった。届いた本は23cm×18cmで、菊判より若干大きいくらい。元の本は37cm×27cmくらいあるらしい。横幅が今度の本の縦の長さより長い。持ち運びしやすいし、場所も取らないという利点はあるが、このコンパクト化に対して、外国のレビューを見るとカンカンになって怒っているものがある。

内容は次の様になっている。まずカルティエ=ブレッソンによる前書きがある。写真の部は西洋篇と東洋篇に分かれる。西洋篇では#1から#63まで写真があり、その後、各写真のキャプションがある。いつ、どこで撮ったかの情報の後、写真によっては説明がある。多分一番有名な、水が張っていて、梯子が横たわっているところを男が跳んでいる写真については、どういう状況での撮影か書いてある。西洋篇の後は東洋篇が#64から#126まであって、キャプションがある。その後は、写真家への注や本が出来た経緯を他の人が書いている。なお頁数が振ってあるのは写真の頁だけで(p.126 まで)、それ以外の頁には頁数はない。元々この本は70年以上前の出版で、写真が撮られたのは戦前から1950 年頃までである。共産革命直前の中国の写真が幾つかあって、それらを見ていると古い時代の撮影と、余計実感する。非西洋では服装が変わっているから。西洋は昔から洋服を着ているので今と連続している。

2026年6月5日金曜日

もしも徳川家康が総理大臣になったら 令和6年

武内英樹監督、東宝、110分、浜辺美波ほか。新型コロナ時の日本が舞台、総理大臣がコロナで急死する。代わりの総理はじめ閣僚を、AI技術によって昔の偉人たちを出現させてやらせる。総理大臣が徳川家康、官房長官を坂本龍馬、財務大臣を豊臣秀吉、経産大臣を織田信長、その他、紫式部や徳川綱吉、北条政子などが出現し、各大臣の地位につく。記者をしている浜辺は特に坂本龍馬に気に入れられ、取材をしていく。

家康内閣は新機軸で人気を博す。個人的に織田信長の人気は高かったが、突然、消えてなくなる(死ぬ)。その遺志を継いだ秀吉が今度は大人気になる。しかし信長暗殺の犯人は秀吉だったと分かる。秀吉は今のダメな日本には自分の指導が必要だと演説する。家康を牢屋に閉じ込めたが、家康は出てきて秀吉に対抗する演説し、日本人を信じたいと話す。秀吉は自ら消える。家康内閣は辞職し、閣僚凡てが消えてなくなる。

2026年6月4日木曜日

まわり道 Falsche Bewegung 1975

ヴィム・ヴェンダース監督、西独、104分。主人公の青年ヴィルヘルムは作家だが、スランプに陥り旅に出る。列車で出会った大道芸人の老人と少女。少女は口がきけず芸担当でナスターシャ・キンスキーが演じている。老人は後にナチスの軍人だったと分かる。主人公を慕う女優が出てくる。また放浪詩人の青年、これらと一緒に旅を続ける。

詩人の叔父の家と思っていくとそこは別人の家で、ただし歓迎され、留まるよう要請される。そこの主人は妻を亡くし、自殺を考えていた。後になって実際に自殺した。一行はまた旅に出て、別れる者も出てくる。主人公はまわり道をしてきたと回想する。

2026年6月3日水曜日

我孫子武丸『殺戮にいたる病』講談社文庫 1996

推理小説というより猟奇犯罪小説というべき。確かに最後にトリックが明かされるが、それより殺人の描写がスプラッター的、スラッシャー的に書かれており、その驚きに比べると、トリックなど付け足しのように思えてくる。

女が次々と殺される。しかも胸部や更には他の箇所まで切り抜かれていた。退職した刑事が世話になっていた看護婦まで犠牲になる。また犯人の家では、母親なるものが自分の家族の犯行ではないかと疑心暗鬼になる。姉を殺された妹は、元刑事と組んで犯人を捜していく。実際に犯人に捕まって、あわやという所で乱入した男と犯人が格闘する。男を殺した犯人は自宅に戻るが、そこで真相が明らかになる。初版は1992年。

2026年6月2日火曜日

女死刑囚 平成3年

高瀬昌弘監督、90分、柏原芳恵主演。映画は柏原芳恵が死刑台に連れてこられる場面から始まる。首に縄をかけられ、無実だと叫ぶ。なぜ死刑囚になったのか。恋人が車を暴走ともいえるような運転している。止まった時、警官が三人来たが、何者かに撃ち殺される。柏原が目が覚めた時、手に銃を持っていた。近くに警官三人の死体があるので、殺害容疑がかかった。死刑宣告を受ける。柏原の家では父親が病気で死に、その他の家族にも不幸が襲いかかる。

死刑台で絞首されたが、後から生きていると分かった。周りにいた連中によって、これから殺し屋になるのだと宣告される。その後は女射撃手として外国に行き、銃撃戦に参加する。最後は悪役を殺す。母親と妹が東京で歩いているところを後ろから見守り、そのまま姿を消す。

2026年6月1日月曜日

火星から来たデビルガール Devil girl from mars 1954

デイヴィッド・マクドナルド監督、英、76分、総天然色(着色版)。スコットランドの田舎にある宿屋。離れた所に隕石が落ちた。若い男が入ってくる。宿屋の娘と知り合いである。脱獄囚だった。学者とジャーナリストが車で来る。隕石を調べるためである。宿屋には前からモデルが泊まっていた。

激しい光と共に空飛ぶ円盤が近くに着陸した。電話は通じなくなるし、車も動かなくなる。これは円盤のせいだった。長身の黒ずくめの衣装の女が宿屋に来る。火星から来たデビルガールである。火星では、男女間で戦争があり、男が負けて少なくなった。それで地球に男を調達に来たのである。本当はロンドンに降りるつもりが、間違えて田舎に降りてしまった。四角型のロボットも降りてきて光線で対象を焼きつくす。宿屋には少年もいて、好奇心から近づくとデビルガールに攫われてしまう。デビルガールは健康な男が必要なので、少年と交換として脱獄囚の男が円盤に乗る。予め破壊するよう、学者から言われていて、円盤が飛び立ち上空まで行ったら大爆発を起こして吹っ飛ぶ。宿屋ではお祝いのパーティを開く。

2026年5月31日日曜日

レンフィールド Renfield 2023

クリス・マッケイ監督、米、93分。題名のレンフィールドはドラキュラの弟子。ドラキュラのいいなりになって、ドラキュラに必要な死体の調達などを命じられていた。教会の懺悔会に出席して、心を入れ替え、ドラキュラとは違う道を歩もうとする。

警察は腐敗しており、アジア系の女警官のみは、父を殺された恨みもあって悪人どもを退治しようと奮闘していた。女警官が悪人どもに復讐されそうになった時、レンフィールドが助太刀して悪人どもを一掃する。レンフィールドは英雄視され、女警官から称賛される。ドラキュラは弟子のレンフィールドが自分の言いつけを守らず、教会に通っていると知って、その教会に押しかけ懺悔会の連中を皆殺しにする。その場にいたレンフィールドに殺しの容疑がかかり女警官に逮捕される。しかし悪人どもや警察によって取り囲まれ、女警官とレンフィールドはその場を脱出する。レンフィールドと女警官がいる家に悪人どもが押しかけるが、レンフィールドは皆殺しにする。悪人どものボスに屋敷ではドラキュラに支配され、手下などがドラキュラ化していた。レンフィールドは戦い、皆倒す。ドラキュラとの戦いでも最後には封じ込める。