2026年5月31日日曜日

レンフィールド Renfield 2023

クリス・マッケイ監督、米、93分。題名のレンフィールドはドラキュラの弟子。ドラキュラのいいなりになって、ドラキュラに必要な死体の調達などを命じられていた。教会の懺悔会に出席して、心を入れ替え、ドラキュラとは違う道を歩もうとする。

警察は腐敗しており、アジア系の女警官のみは、父を殺された恨みもあって悪人どもを退治しようと奮闘していた。女警官が悪人どもに復讐されそうになった時、レンフィールドが助太刀して悪人どもを一掃する。レンフィールドは英雄視され、女警官から称賛される。ドラキュラは弟子のレンフィールドが自分の言いつけを守らず、教会に通っていると知って、その教会に押しかけ懺悔会の連中を皆殺しにする。その場にいたレンフィールドに殺しの容疑がかかり女警官に逮捕される。しかし悪人どもや警察によって取り囲まれ、女警官とレンフィールドはその場を脱出する。レンフィールドと女警官がいる家に悪人どもが押しかけるが、レンフィールドは皆殺しにする。悪人どものボスに屋敷ではドラキュラに支配され、手下などがドラキュラ化していた。レンフィールドは戦い、皆倒す。ドラキュラとの戦いでも最後には封じ込める。

2026年5月30日土曜日

美女宇宙人の侵略 Invasion of star creatures 1962

ブルーノ・ヴェソタ監督、米、79分、白黒映画。宇宙人の侵略を扱っているが、喜劇、お笑い映画である。軍隊にいる、お笑い芸人のような兵士二人が主人公である。基地の近くの洞窟で放射能が検出されたので、他の兵隊と一緒に調べに行く。するとボロのような身なりの怪人、怪物が出てきて植物人間だそうだ。怪力がある。

二人の兵士は長身の美人二人に会う。異星人で地球侵略の下調べに来たのである。兵士と異星人がやり取りしているうちに、兵士が長身美女に接吻するとそれで意が通い合い、仲が良くなる。兵士たちは器械をいじって、異星人の宇宙ロケットを発射させてしまう。これで母星に連絡できなくなり、地球侵略もなくなった。二人は地球を救ったので、軍隊で表彰される。兵士のうちもう一人はもう一人の長身美女と仲良くなり、みんなで楽しくドライブに去る。

美女とエイリアン Not of this Earth 1957

ロジャー・コーマン監督、米、67分、白黒映画。異星人が地球にやってきて地球の乗っ取りを企てる。異星人は血が足りなくて、殺人で血を集め母星に送る計画である。映画はデートから別れた若い女がいきなり男に会い倒れ、血を吸い取られる場面から始まる。男は血が足りないので、ある医者のところに行く。診て医者は男が異常であると分かる。看護婦を男の要望もあって、その家に住み込ませ、血の補給をする役をさせる。

男が使っている使用人はよく分かっていないが、主人が変わり者とは知っている。男は時々通信機械を使って母星の上司と連絡をとっている。次第に看護婦も男がただ者でないと分かり、知り合いの警官の忠告もあって、警戒する。最後に男は警官に追いかけられ、音に異常に反応するので事故を起こし死ぬ。

スティーヴン・キング『刑務所のリタ・ヘイワース』 Rita Hayworth and Shawshan redemption 1982

映画『ショーシャンクの空に』の元になった中編小説。語り手は刑務所に服役中で、品物を調達する男。後から入ってきた銀行員だった男が鉱物好きで小型ハンマーを頼む。またセクシーな芸能人のポスターを頼む。リタ・ヘイワースから始まり、何人もの女芸能人のポスターを壁に貼っていた。その男と語り手は親友になる。

男は極めて有能な男で、刑務所長ほかの申告書を作ってやり、おおいに節税させてやる。株で何を買えば儲かるかを所員に教えてやる。図書室を作らせそこを管理する。語り手に将来の夢を語る。メキシコの太平洋岸にある町に住むという。金もある場所に隠してあるという。何十年もしてから男は脱出に成功する。女のポスターの裏側の壁に穴が開いていた。官憲が捜しても見つからない。語り手も出所の時が来た。金を隠してあったと聞いた場所に行く。そこには男からの手紙があった。あのメキシコの町に来いという内容だった。

2026年5月28日木曜日

リラの門 Porte des lilas 1957

ルネ・クレール監督、仏、94分、白黒映画。リラの門はパリの下町、主人公は怠け者であり泥棒もするような男で、親友の芸術家(音楽家)といつもつるんでいる。連続殺人犯が逃げてきたと連絡が入り、人々は怯える。その殺人犯が銃を持って芸術家の家に入ってきて、地下室に逃げる。主人公は人を売るのは嫌だと言って警察に通報しない。警察が捜しに来ても匿って殺人犯を保護する。殺人犯の言いつけで恋人の家に行くが、女は犯罪者は嫌だと言って協力を断る。殺人犯を逃がすため、芸術家のパスポートを作り、その写真を変えて国外に逃がすつもりだった。

知り合いの酒場の娘がたまたま、殺人犯に会って好きになる。娘は親をだまし、殺人犯と付き合うようになる。主人公は娘も好きであり、殺人犯も逃がしてやるつもりだった。殺人犯が逃げる時に娘に言付けを主人公に頼む。娘は金を渡し、自分も後から行くと殺人犯に主人公を通して伝える。殺人犯は金だけ貰えばよく、娘は捨てるつもりだった。それで主人公は怒り、殺人犯と格闘する。銃声がして殺人犯の方が殺された。

アナタハン The saga of Anatahan 昭和28年

スタンバーグ監督、大和プロダクション、92分、白黒映画。昭和19年から26年まで、南洋アナタハン島(サイパンの北)に取り残された女一人(比嘉和子)と男30人あまりで、女の取り合いが起こった出来事を元に映画にしている。

俳優は日本人なので日本語を話すが、説明の英語が常に流れる。比較的事実に忠実に作ったと言われるが、それ故に見ていてあまり面白くない映画である。

2026年5月26日火曜日

青い日記帳『いちばんやさしい美術鑑賞』ちくま新書 2018

著者は美術の専門家でないと言う。しかし永年美術鑑賞をしており、美術館に行ってそこにある作品をどう見るかの手ほどきをしている。『絵を見る技術』(秋田麻早子)がまさに絵を見る技巧を教えているのに対し、本署は絵を見る態度、心構えを説いている本と言える。

美術館に行って見るのを前提としているので、日本の美術館にある作品を取り上げている。絵ばかりでなく、工芸品や陶磁器なども取り上げ、西洋、日本、中国と多くの地域の作品が対象である。美術館とどう付き合うかについても解説があり、実際に美術品と向き合う手立てを教えてくれる本である。

2026年5月23日土曜日

リンカーン Lincoln 2012

スピルバーグ監督、米、150分。アメリカ大統領リンカーンの、南北戦争時を背景にした映画。1865年の初めから映画は始まり、戦争はこの年終わるが、まだ奴隷の扱いについて意見がまとまっておらず、憲法修正のための政治的駆け引きが延々と続く映画である。南北戦争やリンカーンについてあまり知らない者は、映画そのものが良く分からず面白くないだろう。

それで南北戦争やリンカーンについて勉強を始める者がいたら、そういう機会を作るのが本映画の貢献と言える。リンカーンは歴代の米大統領の中でも一番評価が高く、米にとっては英雄なのだろう。だから米国民が本映画を見る態度は他の国民とかなり異なっているのでないか。

日本で政治家の英雄と言えば、かつては豊臣秀吉が一番人気であったが、最近は晩年の朝鮮半島侵略以外何も語られなくなっている。革命児のように言われていた織田信長は、今の歴史家の評価では創造性ゼロの凡将だそうで、革命的などと言ったら笑われるらしい。前の戦争で敗戦となり、進歩派が支配的となったので、戦後の保守政治家は誰も評価されない。

トイ・ストーリー2 Toy story2 1999

ジョン・ラセター監督、米、92分。ディズニー、ピクサーの漫画映画。カウボーイの人形は片腕が取れそうになり、子供の母親に捨てられそうになる。その時、玩具収集家の男がカウボーイを見つけ、持っていく。専門家に頼み修繕してもらう。男はその他の玩具と一緒に日本にあるという玩具博物館に売りに出すつもりだった。

カウボーイが元いた家では、カウボーイがいなくなったので、みんなで捜しに行く。カウボーイは他の玩具と話していた。子供が大きくなると捨てられてしまうだけだから博物館に行かないかと誘われる。カウボーイもその気になる。みんなが苦労して助けにやってきた。カウボーイは売られる予定の他の玩具人形に一緒に行こうと誘う。しかし爺さん人形だけは反対する。最後は捨てられるだけだと。その爺さんの反対を押しきり、また売るつもりの収集家の手から逃れるのが後半の展開である。最後は元いた家に戻れる。

2026年5月22日金曜日

立花隆『死はこわくない』文春文庫 2018

著者が書いた死に対する論考や対談、講演を集めた本。著者は若いころは死がこわかったというが、今はそうでもないと言う。死とは眠っていく過程と同じであり、いい夢を見ようと思っていれば怖くないとか。死を理屈で考えると死んだらゴミになるという理解である。ただ感情的な自分の心持は理屈とは別の次元の話である。

理屈だけ言えば自分が死ぬとは確かに一切の思考も感情も、つまり自分自身がなくなってしまうわけだから、怖い。しかし自分の気持ちを落ち着けるための、死への理解なら自分が納得できるもので構わないと思う。

映画史特別編 選ばれた瞬間 Moments choisis des histoire(s) du cinéma 2002

ジャン=リュック・ゴダール監督、仏瑞、83分。ゴダールの映画史は、ゴダールが1978年、カナダで行なった映画についての連続講義が元になっている。これは現在では文庫で出ている。(ちくま学芸文庫)映画史とあるが、19世紀末以来の映画の史的展開ではなく、映画論というべき内容である。更に映像化されており、全体で全8章、DVD五枚組として発売されている。本DVDは一枚の84分で、全体からすれば、まさに瞬間といえる。

映像は映画からの引用、例えば初めの方で『狩人の夜』からの引用があって、これが一番長く、後の映画からの場面はもっと短くなっており、静止写真も多い。それらに字幕がついて、また語りが入っていて、随分せわしない映像が続く。何やら議論していたり、映画ばかりでなくマネやクリムトの絵が出てきたりする。何しろ映画だから見ている方が理解できなくとも、どんどん映像は進み、終わるとようやく終わったかという感じだった。

先に書いたDVD五枚組の全体は見ていないので、それとの比較や感想は言えない。文庫は以前買って読んだのだが、厚いし、内容も簡単でない。ただ活字だから今回のDVDと違い、意味が取れないと先に進まない。最後まで読み終えたか覚えていない。本DVDに対しては上に述べたように、自分では良いとか悪いとか評価できない。ただゴダールの映画である、ゴダールに関心があれば見たらと思う。

2026年5月21日木曜日

白き処女地 Maria Chapdelaine 1934

ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、仏、77分。カナダのフランス人の住む地区。女主人公のマリア(マドレーヌ・ルノー演)の父親は開拓に従事してきた。家も町とは離れた場所にある。マリアは三人の男から思われている。ジャン・ギャバン演じる、毛皮の取引をしている狩猟師。マリアもギャバンを憎からず思っていた。後は近くに住む青年。また都会からやってきた青年もマリアに恋し、こんな僻地でなく、都会生活を満喫しようと誘う。

ギャバンはマリアに再会を約し、別れて森へ戻っていく。冬の吹雪の中、ギャバンは苦労して進む。年が明けて、ギャバンの死体が見つかる。マリアは嘆き悲しむ。神父は嘆くマリアを婚約していたわけでもないしと諭す。母親が病気になる。医者を呼びに行くのも一苦労である。近在の青年は医者なんかあてにならないとして骨接ぎ師を呼んでくる。医者も骨接ぎも役に立たず、母親は死ぬ。マリアは近在の青年に結婚を約束する。

モスクワへの密使 Mission to Moskow 1943

マイケル・カーティス監督、米、124分、白黒映画。第二次世界大戦中に制作された映画で、反枢軸国で戦っていた同志のソ連を賛美する内容のアメリカ映画。ソ連に行った外交家の著作を元にしており、映画の初めはその著者の解説である。戦時中だから大統領に命令され、欧州各国に行き、ソ連まで行ってスターリンその他、ソ連の要人と会ってきた。欧州の政治家たちはみなソ連を脅威と見ている。実際のソ連はそのような国でないと主張する映画である。

ソ連初期の無声映画『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』(1924)をアメリカが進んで作ったような映画である。日本も敵国であったから、日本の外交官を悪く描き、中国でしている残虐行為を訴える場面もある。戦後のマッカッシー旋風による赤狩りとかけ離れている。映画中、ソ連で行われた粛清裁判の場面があって異様に生々しい。

蜘蛛男の恐怖 Horror of spider island 1960

 フリッツ・ベットガー監督、西独製のようだが、英語で米と孤島が舞台、75分、白黒映画。映画の冒頭はニューヨークで踊り子の選抜をしている。シンガポールで興行をするため、興行主はふさわしい踊り子を選定しているのである。結構長い場面で、行くべき女たちが選ばれる。

太平洋上を飛んでいる飛行機は火を吹き、真っ逆さまに海に墜落。救命ボートで興行主と女たちは海を漂う。島を見つける。上陸して小屋がある。入ると網目の向こうに老人の死体があった。ここで研究していたらしい。この小屋を棲み処とする。

興行主が一人で島を歩いていると、木の上から巨大な蜘蛛が襲いかかる。その蜘蛛を殺すものの、男は噛まれたので蜘蛛男になる。女たちは男が帰ってこないので捜しに出かける。その中の一人の女は蜘蛛男に襲われ死ぬ。残りの女たちは死骸を見つけ驚く。島にボートで二人の若い男がやってくる。ここにいた研究者の助手をしていて、戻ってきたのである。女たちが泳いで騒いでいるのを眺める。一人は女に銃で脅され捕まるが、後にもう一人の男も来て、この島から脱出できると言うので、女たちは大いに喜ぶ。夜はパーティで騒ぎ、はしゃぐ。一人の女が男と仲良くなり浜で逢引の約束をするが、蜘蛛男に襲われる。蜘蛛男を見つけた女たちは、男と一緒に蜘蛛男狩りに行く。女の一人が崖の上から落ちて死ぬ。後に蜘蛛男を退治し、女たちは船で島を出る。

2026年5月15日金曜日

秋田麻早子『絵を見る技術』朝日出版社 2019

名画の見方を説明した本である。名画と呼ばれる絵画を見て、それをどう見るのが正しいのか、深く絵画の意味を捕えるにはどうすればよいのか、よく分からないのが実際である。本書はそれを説明している。

絵の主役を捜せ、光や線の集まっている所、準主役がいる絵、角を避けるためにそれを阻止する措置をしている、ジグザグや曲線など視線を誘導する仕掛け。バランスを良くするには重要度も考える、昔は絵具は手作り、貴重だった色、左右の格、対角線と十字線、分割するパターン、横長の絵は正方形になるよう縦線を両方に立てる、などなど絵を読み解く技法の説明が書かれていて、読んでいてためになる本といった感じ。

アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』 Project Hail Mary 2021

大絶賛の空想科学小説であるが、自分には合わなかった。こういう分野に自分は興味が薄いのか。語り手、主人公は全くアメリカの映画に出てくる主人公のように自己肯定、自己主張の塊のような人間で、不愉快極まる。アメリカ映画の主人公を見ているとアメリカに生まれなくてよかったと思ってしまう。

太陽を食いつくすバイキンがあって、それを阻止するという話。主人公とその少数の仲間が地球、いや太陽系を助けるという設定で、まるでアサイラム映画だ。上巻の200頁くらいまで読んで、我慢して読み続ける必要を感じず止めた。将来読み返すことがあるかもしれない。

2026年5月8日金曜日

ストリンドベリ『赤い部屋』 1879

スウェーデンの作家ストリンドベリの処女長篇小説。ストリンドベリは戯曲が有名で『令嬢ジュリー』や『父』『稲妻』『死の舞踏』その他の劇がある。日本では戦前の方が、ストリンドベリは良く読まれていたのではないか。近代劇を先導したのは北欧の作家たちで、ノルウェイのイプセンに次ぎ、ストリンドベリの劇は評価されていた。日本でも戦前から劇団運動が盛んで、ストリンドベリが読まれていたのであろう。大正から昭和初めにその著作は独訳からの重訳で出版されていた。当時は独語読みのストリンドベルヒやストリンドベルクといった表記で出ていた。

さてこの『赤い部屋』は作家として世に出ようと決意したアルヴィッド・ファルクという青年と、その友人仲間たち、またアルヴィッドの兄夫婦という俗物らの生活、当時のスウェーデン社会を描いて、19世紀後半のスウェーデンの描写の一例となっている。ストリンドベリは自然主義と言われており、人生や社会の暗い面を辛辣に書いている。最初の方にそれまでアルヴィッドが勤めていた役所の実態が書いてあるが、まるでカフカの世界だ。そのほかの描写でも19世紀後半のスウェーデンはこんなにひどかったのかと思わせる書き方である。スウェーデンの印象と言ったら今世紀になってから移民などの話題があるが、かつては福祉の充実した先進国といったものだったので、余計驚く。ともかく19世紀のスウェーデンを対象にした文学はあまりないので、本書は貴重であろう。スウェーデンに関心があれば勧めたい。本書の書名「赤い部屋」とは当時のストックホルムに実際にあったカフェの名で、小説にも出てくる。

私的な話になるが、この小説の名を知ったきっかけとなったのは、鈴木清順が監督した『悪太郎』(1963)という映画である。大正時代が舞台であるこの映画の中で『赤い部屋』の訳本が出てきて、和泉雅子らが読んでいる。それで自分も読みたくなり、捜したのだが当然ない。図書館で古い訳本を取り寄せてもらった記憶があるのだが、ろくに読めなかった。今回の新訳で最後まで読めて幸いである。

2026年5月6日水曜日

コレヒドール戦記 They were expendable 1945

ジョン・フォード監督、米、135分、白黒映画。第二次世界大戦の初期のフィリピンから始まる。ジョン・ウェインは怪我で敵の巡洋艦攻撃に出られず、くさって病院に入る。そこの看護婦というより士官の女医師と出会い、恋に陥る。敵への攻撃はしたが、味方もやられるという風に戦争場面もあるものの、敵を倒す様子を描いた映画ではない。

上官からオーストリア方面に行くので護衛してくれと頼まれ、南方へ行く。女士官とは別れざるを得なかった。最後はウェインは帰還するため、迎えに来た飛行機に乗って去る。

2026年5月3日日曜日

陽は昇る Le jour se leve 1939

マルセル・カルネ監督、仏、93分、ジャン・ギャバン主演。映画は男が撃たれて、高層アパートの上の方の階段を転げ落ちるところから始まる。部屋の住人はギャバンである。警察がアパートを取り囲む。ギャバンは部屋で回想する。

ギャバンは工員で、ある日会った若い女に恋をする。求婚するのだが、女の方は煮え切らない。用があると言う女の後をギャバンは付けていく。興行小屋に入る。そこで犬を使った曲芸師に女は関心があるようである。曲芸師の相手役の女は舞台を降りてギャバンが座っている方に来て、曲芸師を悪く言う。口先だけで女を喜ばせるのだが、全く不誠実な男であると。その曲芸師は若い女を連れて小屋を出る。後で曲芸師だけ戻ってくる。女に色々言うとギャバンが口出しして曲芸師と言い合いになる。女は曲芸師に嫌気がさしているので、ギャバンと付き合いを始める。しかしギャバンの心は若い女にある。あの曲芸師がギャバンと女がいるところに来て、話があると言い出す。ギャバンと向かい合った曲芸師は自分は若い女の父親であると言い出す。後からそれは曲芸師の男のでたらめであると分かる。

男はギャバンの部屋にやってきて、また饒舌を弄し、ギャバンをいらつかせる。頭に来たギャバンが男の持ってきた銃で、相手を撃つ。転げ落ちるのが映画の初めである。アパートを取り囲む群衆や警察に対し、ギャバンは悪たれを放つ。警察が屋上からギャバンの部屋に催涙弾を投げ入れた。その直前に銃声がした。ギャバンが自殺して床に転がり、煙が充満する場面で終わり。

ルチオ・フルチのザ・サイキック Sette note in nero 1977

ルチオ・フルチ監督、伊、96分。主人公の女は超能力を持つ。子供の時、遠く離れた場所で母親が投身自殺するのを見た。成長して富豪と結婚する。夢で殺人事件を見る。中年の女が殺されている。他に断片的な場面を見る。夫の所有する別荘に一人で行く。ある部屋にいる時、壁の中の死体を感じ、壁を崩すと白骨があった。警察の調べでは20代の女らしい。自分が見た中年女と違う。この死体が夫の昔の恋人と分かる。

夫に容疑がかかり逮捕される。女は友人の男や義姉と共に夫の疑いを晴らそうとする。後に、女が見た幻視は予知夢ではないかと言われる。未知の女から電話がかかってきて、夫に有利な証拠を提供するという。そこに行く。すると中年女が殺されていた。あの夢で見たそのままである。女はそこの屋敷で毒牙にかかる。後に調べに来た友人の男や警察が察するところで映画は終わり。