2026年3月2日月曜日

丸山眞男書簡集2 1974-1979 みすず書房 2004

丸山眞男に対する批判として時々数学者志村五郎の名が挙がる。その志村の批判の元になったのではないかと思われる、丸山の小尾俊人(みすず書房創業者)あての書簡が入っている。そこで丸山はプリンストン滞在中に世話になった志村に触れ、

「・・・非常に趣味と関心が広い反面、自信過剰で、政治=社会問題について平気でピントの狂ったことをいい、「第一級の専門家でも、一たび専門以外のことを発信する場合は一言も信用してはいけない」というレーニンの言葉を思い出しました。」(本書p.63)

と書いているのである。丸山の死後、2004年にこの書簡集が出て、それを読んだ志村は怒り、その著『鳥のように』(筑摩書房、2010)所収の「丸山眞男という人」という文で、仕返しをしている。(『鳥のように』のレビューで少し詳しく書いた)

さてこの書簡集全体を読んで気づいたところは、まず丸山が贈呈された本について御礼の手紙をいちいち書いている点である。もちろん書かなかった場合もあるだろうが、それは分からない。実は思い起こすと著書を贈呈された経験は自分にもあるが、御礼の手紙など書こうという気なぞ起きなかった。この丸山の律儀な態度(というより自分が非常識か)に感心したのである。またかねてより友人関係にある婦人方との書簡である。こういう交友もあった、と分かっても何も丸山理解に資するものでないが、自分としては面白く感じた。


2026年2月28日土曜日

ジョージ・オーウェル『リア王・トルストイ・道化』 1947

トルストイはシェイクスピアの劇に退屈と反発を感じ、『リア王』を例にとって、いかにシェイクスピアがつまらない劇を書き、過大評価されているかを論じた。それに対するオーウェルの反論である。オーウェルはトルストイの指摘が間違っているとも示しているが、そもそも論としてトルストイが言うようにシェイクスピアの劇は本当はつまらないのに、高い評価を受けているのは偉い人がほめるからただそれに従っているのだ、という考えに反論している。優れているかどうかは、多くの人に長い間、読まれ続けるかによって決まると言う。

更に面白いのは、オーウェルに言わせるとリア王とトルストイはよく似ている。外見もそうだが、自分の思うままに振舞って、それは確かに一見立派に見えるものの(王位を譲る、自分の著作権や財産を放棄する)、その行為によって周りがちっとも自分の思うように反応しないので、怒り狂う態度である。そういったリア王、トルストイの比較論をしている。(オーウェル評論集2、平凡社、2009)

ストリンドベリ『稲妻』 Ovader 1907

戯曲。あるアパートが舞台、そこで主人と呼ばれる男はかつて結婚していたが、妻は娘を連れて、情人と出奔した。今は親戚の若い娘を使って世話してもらっている。住んでいる部屋の上の階に誰かが入ってきたらしい。知り合いの菓子屋と話し合うが誰かは分からない。

後にこの部屋にはかつての妻とその情人、更に今は成長した娘がいると分かる。かつての妻は主人の兄弟と最初に会い、話し合いをする。主人に会えと兄弟は言うが、妻の方は消極的である。後に会う。主人は今では妻に執着はない。娘にその前に会ったがのだが、おじさんと言われ、自分が父親であるとは娘は知らないと分かる。

今いる情人である男とも妻はうまくいっていない。後に男は菓子屋の娘と駆け落ちしようとし、失敗する。妻と娘はその男と別れて自分の田舎の方に行ったらしい。そう聞いて主人は親戚の娘と話し合い、今までの生活を続ける。(山室静訳、筑摩世界文学大系84、昭和49年)

2026年2月27日金曜日

バーナード・ショー『ウォレン夫人の職業』 Mrs. Warren’s profession 1894

ショーの戯曲。若い女ヴィヴィーはケンブリッジ大学で優等をとって帰ってくる。ヴィヴィーには母親がいる。この家に多くの者がやってくる。母の知り合いの中年男だけでなく、昔からヴィヴィーを知っている若い男フランクは彼女に気がある。しかし女の方はその気はないようである。中年男の一人はヴィヴィーに求婚するがあっさり振られる。

ヴィヴィーの母親がウォレン夫人である。この母子家庭でヴィヴィーは、これまで母親にいい印象を持っていなかった。しかしさしで向かい合い、母親がどれだけ孤軍奮闘して人生を渡ってきたかを聞き、母親を見直し好きになる。別の日になってヴィヴィーから振られた中年男は、フランクとヴィヴィーが仲良さそうなのを見て、異父兄妹だから結婚はできないと聞かされる。それだけでなく、ヴィヴィーは母親の職業を知る。

娼婦宿を欧州のあちこちに経営していて、そこで働く女は薄給でこき使い、自分は儲けていたのがウォーレン夫人であると。ヴィヴィーは母親に知った事実でなじるが、母親は それが現実だ、大学のような奇麗事の空理空論では世の中はやっていけないと反論する。母親と仲たがいしたヴィヴィーは、自分で給料生活に入り、それで生活していこうとする。

のら猫日記 Manny & Lo 1996

リサ・クルーガー監督、米、88分。少女時代のスカーレット・ヨハンセンが主役で出ている。ヨハンセンの名はアマンダ、姉の役名がローレル、その愛称がマニーとローで題名になっている。姉妹は親がいなく、里子に出されていたヨハンセンを姉が引き取り(奪い)に来て、二人は姉の運転するバンで旅に出る。コンビニエンス・ストアでは万引きをし、ガソリンは姉が性行為で手に入れていた。

しかし姉が妊娠する。赤ん坊用の店で働いている、妊娠関係に詳しそうな女を誘拐する。前に無人の家を見つけており、そこを棲み処にして、誘拐した女を閉じ込めておく。ヨハンセンは誘拐した女と次第に親しくなる。家の持主が帰ってくる。居間でくつろいでいる最中、誘拐した女が後ろから殴り、縛って閉じ込めておく。これを姉には言わなかったので、男が逃げ出すと、この家にいられなくなり、姉妹と誘拐した女はバンに乗って去る。

姉は途中の橋の上で、誘拐した女を降ろす。コンビニで危うく警官に見つけられそうになったのは免れたが、姉が陣痛を感じるようになる。ヨハンセンはあの誘拐した女を見つけに戻る。女は姉に指図し、安全に出産ができるようにする。男の子が生まれる。4人になって(ヨハンセン、姉、誘拐した女、赤ん坊)バンで走り去る。

リアル鬼ごっこ 平成27年

園子温監督、松竹、85分、トリンドル玲奈主演、他に篠田麻里子、真野恵里菜。女子校の生徒たちがバスで遠足か何かに行く。トリンドルはメモしていてペンが落ちた際、かがむ。その時、殺人突風が起こり、バスの上半分、乗客の上半身を切ってしまう。

トリンドルは逃げる。途中出会った女子らも同様に風で身体を半分に切られる。川で血まみれの服を洗って着替える。道を歩いていると女生徒が声をかけてくる。知らない名で自分を呼ぶ。自分はその学校のクラスメイトらしい。仲間と学校をさぼって池のほとりに遊びに行く。戻ってきてから、教師は教室の生徒に向かい、機関銃で虐殺を図る。教室から学校の校舎から逃げる。後ろから教師らが砲弾を撃ってくる。一緒に逃げた女子らも風で身体を真っ二つにされる。

街中の交番に入る。そこで顔を見ると篠田麻里子に変わっている。篠田は結婚式が予定されているようで、ウェディングドレスに着替える。式場で会った新郎は豚の頭の持主だった。その豚野郎をガラス壜のかけらで殺し、列席の者たちを殺していく。そこから逃げた篠田はいつのまにか、真野に変わっている。真野はマラソンの最中である。後ろから殺人者たちが追ってくる。洞窟の中に逃げる。そこには死んだ者たちの像(人形)があった。真野はトリンドルに戻っている。現れた者から、寝台で寝ている若い男と一緒に寝ろと言われる。その男をトリンドルは殺す。その後、幻想的に謎解きのような場面になる。

2026年2月26日木曜日

高山守『ヘーゲルを読む』左右社 2016

放送大学の教科書を元にした解説書である。著者は東大教授を勤めた哲学研究者。難解をもって知られるヘーゲルであるが、この本ではヘーゲル哲学の本質は、自由の哲学であると言う。

自由気儘に生きて、欲望を充たす生活が理想的な生き方なのか。自由に生きる生活こそ望ましいのではないか。自由に生きるとはどんな生き方か。理性のもとに生きる、それが自由な生き方であると言う。それを探るのがヘーゲルの哲学なのである。著者は特に『精神現象学』を中心に、それ以外の法の哲学や歴史哲学も説明している。