2026年8月13日木曜日

ドイル『バスカヴィル家の犬』 The Hound of the Baskervilles 1902

1901年に発表されたホームズの長篇小説である。発表の順序では『最後の事件』(1893)の次で、当時の読者にはホームズが復活した小説であり、大評判になったそうだ。『空き家の冒険』(1903)より早い公表である。ただ時代は『最後の事件』より前の設定となっている。次のような話である。

旧家に伝わる怪奇な話がある。そこに出てくる犬と関連しているのかと思わせる怪死事件が起きる。財産を相続する甥がアメリカから来る。しかしその男に危険が迫り、ホームズが乗り出す。

舞台は最初の方はロンドンだが、大部分はデヴォンシャーのダートムアという田舎である。そこの怪しい雰囲気が小説を大きく支配している。


ホームズの長編小説は、短編に比べて推理小説というより冒険小説的になる。謎解きより話そのものが関心の対象になる。本書も謎解きの観点から言えば全く面白くない小説である。登場人物は少ないから犯人はすぐ分かる。ミスディレクションというのか、読者の関心を他に逸らす書き方をしているが、現代の読者には幼稚な感じさえする。夜光怪獣の謎も子供だましもいいところである。長編小説の中ではせいぜい四番目の出来であろう。


それでは本書の特色はどういう点か。やはり異色作というところであると思われる。事件の主な舞台はロンドンでなく田舎で、そこでの怪談めいた話や活劇が出てくる小説である。また形式においては小説の真ん中にあたる部分はホームズは出てこず、ワトソンが活躍する『ジョン・H・ワトソンの冒険』とも言うべき、スピンオフみたいになっている。通常のホームズ物からすれば規格外の作品である。なぜこんな小説になったのか。それについては後に書く。

変わったホームズ物を求めるなら勧められるかもしれない。ただ典型的なホームズ物とは言えない。新潮文庫の解説で、エラリー・クイーンが本小説を高く評価しているとあるが、自分にはどこを評価しているか見当がつかない。クイーンの評価の内容を聞いたところで、自分の意見は変わらない。

この小説で一番面白かった箇所は、来訪した医師がホームズを欧州第二と言って、ホームズが気を悪くする場面である。ここを読むと『瀕死の探偵』でホームズがワトソンを「君なんか経験も資格も大したことない一般開業医に過ぎないじゃないか」と言ってワトソンを侮辱する(策略だが)ところを思い出した。


さて『バスカヴィル家の犬』の成立については興味深い経緯がある。ドイルが書きたかったのは歴史小説で、ホームズ物は請われて金のために書いていたとは周知であろう。ドイルはホームズ物が嫌になって『最後の事件』で殺したが、読者からはホームズ物への要望が激しくなった。だからといって書く材料もない。

そこで出会ったのが、ジャーナリスト兼作家のバートラム・フレッチャー・ロビンソンである。はしょって言うとこのロビンソンによって材料が提供され、それが本小説の素になる。最初この作品はロビンソンとの共著で出る予定であったが、後にドイルの単独作として公表された。そもそもの本小説のアイディアはロビンソンのものと言っていいのか、少なくともその関与、助力があったのは確かである。

そういうわけで変格物のホームズになったのも分かる。

「コナン・ドイルはロビンソンに合作を申し出たが、ロビンソンはそれを辞退した。」とシャーロック・ホームズ全集第5巻(ちくま文庫)のp.739の覚書にあるが、それで済んだわけでなく、後に色々議論を生んだ。正直なところ、本小説の成立経緯は、こんな小説よりよほど面白いというか、興味をひく。

なお小説家がアイディアを他に求めるのは珍しくない。夏目漱石も『抗夫』の案は他人から買ったし、芥川龍之介の有名な短編は『今昔物語』の書き替えが多い。太宰治の有名な小説も元の作があると言われるようになった。


翻訳は新潮文庫の延原謙訳の、昭和29年初版で読んだ。20世紀半ばの翻訳という感じがした。以下、読んでいて気になった箇所について、原著や他の翻訳との比較を書くが、あら捜しをするつもりはなく、たまたま目についた場所を書いているだけである。


第2章初め、ホームズのところに来た医師が持つ古文書の年代推定のところである。延原訳は次のようになっている。ホームズのせりふである。


「この種の書類の年代の鑑定が、十年か二十年以上もちがうようじゃ、玄人とはいわれません。」

(昭和29年版、p.13)


年代推定で二十年も違っていいのか、と思わないか。それで原著を見ると次の通り。ホームズの原著は英語なので、中学以来の勉強のせいで何とか意味が分かるのがよい。


 ”・・・It would be a poor expert who could not give the date of a document within a decade or so. You may possibly have read my little monograph upon the subject. I put that at 1730.” 


「within a decade or so」なので十年かそこら以内、くらいの意味か。


自分の持っている他の訳書、いずれも古いものだが、を見ると次のようになっている。


「古文書の年を十年からうえも読みちがえるようでは、玄人の名が泣きますからね。」

(富山太佳夫訳、シャーロック・ホームズ全集第5巻、ちくま文庫)


「文書の年代を誤差が十年くらいの範囲内で推定できないようでは、専門家として失格です。」

(大久保康雄訳、ハヤカワ文庫)


「文書がつくられた年代を誤差十年ぐらいの範囲で推定できないと、専門家の肩書が泣きますよ。」

(鮎川信夫訳、シャーロック・ホームズ大全、講談社)


延原訳でなぜ a decade or so を、倍の範囲まで広げたか。これは12年ずれていたので、それを許容範囲とするためだったのか。


また第六章の初めにある次の文も気になった。

執事夫婦を追い出したらというワトソンの提案をホームズが一蹴するところである。


「万一罪があるとすれば、虎を野に放つようなもので、先生がたは舌をだして喜ぶだけだよ。」(昭和29年版、p.83)


少し不自然さを感じたので原文をみてみた。


“if they are guilty we should be giving up all chance of bringing it home to them.” (chanceは原文のまま)


これでは捕まえる機会を逃す、くらいの意味ではないか。持っている他の訳本は次のようである。


「二人が犯人だとしたら、思いしらせてやる機会をみすみす捨てるようなものじゃないか。」

(富山太佳夫訳、シャーロック・ホームズ全集第5巻、ちくま文庫)


「もし有罪なら、それを立証する機会を逃すことになる。」

(大久保康雄訳、ハヤカワ文庫)


「もし有罪だとしたら、それを彼らに認めさせる機会を失うことになる。」

(鮎川信夫訳、シャーロック・ホームズ大全、講談社)


なぜ延原訳で虎を野に放つとか、舌を出して喜ぶなどという表現を使っているか不明である。訳者の好みなのか。


さてこの延原訳で最終ページの最後から二行目を見た時、驚き目を見はり、笑ってしまった。


「僕はユグノー座の切符をもっている。」(昭和29年版、p.263)


原文は次の通り。


“I have a box for ‘Les Huguenots.’”


Les Huguenotsとは独生まれ、仏で活躍した19世紀のオペラ作曲家マイヤーベアの代表作『ユグノー教徒』のことである。生前は大人気だったが、後に忘れられた。今では再評価され、復活し、多くのCDやDVDが出ている。この翻訳が出た当時、日本のクラシックファンでも『ユグノー教徒』を知っている者はほとんどいなかったはずである。訳者はLes Huguenotsが歌劇とは分からなかったのだろう。


更に旧版p.221の3行目に前後の文からして明らかに誤訳と分かる箇所がある。原文など見る必要はない。なぜ長年気がつかなかったのか。改訳新版では直っている。


現在、延原訳として出ている新潮文庫は改版しただけでなく、子が訳文に修正を加えている。新版p.318に「不適当と思われる訳文は修正した」とある。

その新版(平成23年)で見たら、上のユグノー座は『ユグノー教徒』(p.314)になっている。ただ「十年か二十年以上もちがうようでは、」(p.18)や、虎を野や舌を出すのところ(p.95)はそのままである。

また第二章の古文書は文語文から口語表記に変えている。当時は文語文に抵抗を感じる人は少なかったと思う。戦前の公文書はすべて文語体だった。更に新版では高齢社会に考慮し、活字が大きくなっている。

書評などで、文章または訳文が不適当と言っているだけで、それがどこか書いていない場合がある。そういうのは嫌いなので、ここでは具体的な場所及び他の訳を示した。

延原訳は非常に評価が高いそうである。だから多数意見に沿う内容でなくともいいだろうと思って書いた。もし延原訳でバスカヴィル家の犬を読むのなら、爆笑物のユグノー座がある旧訳を勧める。古銭蒐集でも瑕疵のある硬貨は価値があるそうではないか。


遠藤周作『白い人』 昭和30年

フランス人の一人称形式の小説。戦前のリヨン、語り手は斜視で容姿が醜い。宗教に厳格な独生まれの母、いいかげんな仏人の父。近所の娘の身体の一部を見て興奮する。父に連れられ、中東での旅行の際の若い娘を見た経験。大学に入る。神学生がいて、この男も醜い。この神学生から叱咤される出来事があった。神学生には恋人のような女がいる。

後、戦争になり仏はドイツに占領される。語り手は独語が出来るので独軍の協力者となる。あの神学生が、抗独の闘士だったので捕まえられ、拷問を受ける。語り手もその拷問に加わる。協力者の名を吐かないので、あの恋人だった娘を捕まえ、利用して吐かせようとした。しかし元神学生は拷問死する。

2026年8月12日水曜日

機動捜査班 東京午前零時 昭和37年

小杉勇監督、日活、71分、白黒映画。内田良平が社長の業界紙は、バーなどの広告を勝手に乗せ、後から高い広告料をふんだくる悪事を働いていた。知り合った、密輸もしているクラブの経営者が事業を拡張するため、多くのホステスを必要としていた。内田はその引き抜きの仲介をする。知っている兄貴分が女の斡旋先を捜していたからである。

内田はある店で働いていた三原葉子を、気に入り引き抜く。三原も上昇志向が強かった。内田の弟分は内田からひどい扱いをされ、内田を恨むようになる。ホステスを提供している内田の兄貴分に接し、内田が甘い汁を吸っていると告げる。その男はホステスを必要とするクラブ経営者に会い、自分も直接仕事に参加させてくれと頼む。経営者は内田に電話し、やって来た男の件で怒る。内田は兄貴分である男を、車で連れ出し殺す。クラブの経営者も三原を好きになり、店の権利を渡すと言い出していた。

その頃、弟分は経営者の指示で、内田を殺すため、取引の場所なるところで内田と会う。警察も張り込んでいて、内田を殺す前に警察が発砲し、弟分は内田に逆に殺される。警察は内田を取り逃がした。内田はクラブに戻る。経営者や仲間は内田に殺される。三原を人質にとってクラブ内で、警察官らと内田の銃撃戦になる。弾が切れ、逮捕される。

容疑者 The suspect 1944

シオドマク監督、米、85分。チャールズ・ロートンの妻はやかまし屋の悪妻で、息子は家を出ていく。ロートンが勤め先で、職を捜してきた若い女と知り合いになり、付き合うようになる。妻と離婚して若い女と結婚したいと思うようになるが、妻は絶対に離婚を承知しない。ロートンが若い女と付き合っているのも突き止めている。ロートンは妻を事故に見せかけ殺す。

警視庁の刑事は事故か、殺人ではないかと疑う。ロートンは若い女と結婚する。隣家に嫌な男がいて、それがロートンの殺人を知っているかのように言ってきて、恐喝をする。ロートンは酒に毒を入れて殺す。この家にいるのが嫌になって、息子がカナダに渡るので、夫婦も渡加を決める。出帆する日、刑事が来てロートンに隣家の男の失踪はその妻が殺したようだと告げる。ロートンはその妻を良く知っており、そんなことをするような者でないと否定する。後で刑事は警官に言う。ロートンに隣家の妻が逮捕されたと嘘を言って、ロートンは極悪人ではないから、船を降りるだろうと。ロートンは出帆せず、街に戻ってきた。

2026年8月8日土曜日

機動捜査班 無法地帯 昭和37年

小杉勇監督、日活、64分、白黒映画。暴力団の経営するキャバレーで殴り込みがあるというので、その組の前で警視庁の車は見張っている。三人いた組の者のうち二人が車でキャバレーに向かったので、警察もそれを追う。その間、残った男が侵入者に射殺された。男を殺すための偽の殴り込み情報だった。殺した男を追っていくうち、銃の件で以前の神戸の殺人事件と関連があるのではないかと疑いが出てきた。

可能性のある男はあるバーで働いていると言う。そこに行くともう辞めていた。刑事はそのバーのマダムが自分の田舎にいた女と似ていると気づく。黒幕は神戸からやって来た悪党で、東京で地盤を築くため、暴力団を潰す予定だった。それで暴力団の一人を殺させたが、下手人の男も殺す。暴力団の他の二人も、地盤と交換に金を取るつもりだったが、悪党に殺される。警察は悪党の仕業と分かったので、手入れにくる。悪党は女と一緒に車で逃げる。それを空からヘリコプターで追う。最後に捕まえる。一緒の女、刑事と同郷だった田舎へ帰させる。

2026年8月5日水曜日

機動捜査班 暴力 昭和36年

小杉勇監督、日活、79分、白黒映画。暴力団同士の相手を潰そうとする闘争というお馴染みの設定。暴力団のところに警察の手入れがあり、隠し持っていた銃を押収する。米軍基地から出たトラックは途中で襲われ、運転手は殺され、積荷にあった銃を盗まれる。

張り合う暴力団は元々は一つの組の子分同士だった。その元の組の親分は落ちぶれ、酒浸りになっている。その息子も網走刑務所で死んだ。そこで同室だった男が銃を奪って、暴力団に銃を斡旋しようとする。男は元親分宅に行き、息子と刑務所で同室だったので助けたい、元の組を盛り返したいと言う。元親分の娘(清水まゆみ)はそんな申し出を断り、もう暴力団とは関わりたくないと答える。男はチンピラを使って暴力団同士の闘いをさせるつもりだった。しかしチンピラが店の店主を脅し、警察に捕まる。警察は銃の斡旋をしている男を捕まえるべく追う。追っかけと銃の撃ち合い、逮捕というお馴染みの展開で終わる。

2026年8月4日火曜日

フローベール『感情教育』 L’education sentimentale 1864-1869

19世紀前半のフランス、主人公のフレデリック・モローは田舎からパリに出てきて、アルヌー夫人という女に激しく恋する。それだけでなく他の若い女と同棲し子供を作り、更に地位のある男が死んだ後、その未亡人との結婚を目論み、財産を手に入れようとする。また田舎にはフレデリックと結婚する予定の女がいる。友人には、若く、名を上げようとする男たちが多くいる。後半では2月革命の描写がある。

現代人には歴史である、19世紀フランスの実際を主人公が体験する諸事によって、どんな社会であったかの例を見ることが出来る。『暗夜行路』に登場する若い男の行動から大正時代の様子が分かるように。それにしても『感情教育』は『ボヴァリー夫人』以上に退屈な小説で、写実主義の大家、フローベールの作品だからその退屈さも、高い評価につながっているのだろう。