2026年5月15日金曜日

秋田麻早子『絵を見る技術』朝日出版社 2019

名画の見方を説明した本である。名画と呼ばれる絵画を見て、それをどう見るのが正しいのか、深く絵画の意味を捕えるにはどうすればよいのか、よく分からないのが実際である。本書はそれを説明している。

絵の主役を捜せ、光や線の集まっている所、準主役がいる絵、角を避けるためにそれを阻止する措置をしている、ジグザグや曲線など視線を誘導する仕掛け。バランスを良くするには重要度も考える、昔は絵具は手作り、貴重だった色、左右の格、対角線と十字線、分割するパターン、横長の絵は正方形になるよう縦線を両方に立てる、などなど絵を読み解く技法の説明が書かれていて、読んでいてためになる本といった感じ。

アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』 Project Hail Mary 2021

大絶賛の空想科学小説であるが、自分には合わなかった。こういう分野に自分は興味が薄いのか。語り手、主人公は全くアメリカの映画に出てくる主人公のように自己肯定、自己主張の塊のような人間で、不愉快極まる。アメリカ映画の主人公を見ているとアメリカに生まれなくてよかったと思ってしまう。

太陽を食いつくすバイキンがあって、それを阻止するという話。主人公とその少数の仲間が地球、いや太陽系を助けるという設定で、まるでアサイラム映画だ。上巻の200頁くらいまで読んで、我慢して読み続ける必要を感じず止めた。将来読み返すことがあるかもしれない。

2026年5月8日金曜日

ストリンドベリ『赤い部屋』 1879

スウェーデンの作家ストリンドベリの処女長篇小説。ストリンドベリは戯曲が有名で『令嬢ジュリー』や『父』『稲妻』『死の舞踏』その他の劇がある。日本では戦前の方が、ストリンドベリは良く読まれていたのではないか。近代劇を先導したのは北欧の作家たちで、ノルウェイのイプセンに次ぎ、ストリンドベリの劇は評価されていた。日本でも戦前から劇団運動が盛んで、ストリンドベリが読まれていたのであろう。大正から昭和初めにその著作は独訳からの重訳で出版されていた。当時は独語読みのストリンドベルヒやストリンドベルクといった表記で出ていた。

さてこの『赤い部屋』は作家として世に出ようと決意したアルヴィッド・ファルクという青年と、その友人仲間たち、またアルヴィッドの兄夫婦という俗物らの生活、当時のスウェーデン社会を描いて、19世紀後半のスウェーデンの描写の一例となっている。ストリンドベリは自然主義と言われており、人生や社会の暗い面を辛辣に書いている。最初の方にそれまでアルヴィッドが勤めていた役所の実態が書いてあるが、まるでカフカの世界だ。そのほかの描写でも19世紀後半のスウェーデンはこんなにひどかったのかと思わせる書き方である。スウェーデンの印象と言ったら今世紀になってから移民などの話題があるが、かつては福祉の充実した先進国といったものだったので、余計驚く。ともかく19世紀のスウェーデンを対象にした文学はあまりないので、本書は貴重であろう。スウェーデンに関心があれば勧めたい。本書の書名「赤い部屋」とは当時のストックホルムに実際にあったカフェの名で、小説にも出てくる。

私的な話になるが、この小説の名を知ったきっかけとなったのは、鈴木清順が監督した『悪太郎』(1963)という映画である。大正時代が舞台であるこの映画の中で『赤い部屋』の訳本が出てきて、和泉雅子らが読んでいる。それで自分も読みたくなり、捜したのだが当然ない。図書館で古い訳本を取り寄せてもらった記憶があるのだが、ろくに読めなかった。今回の新訳で最後まで読めて幸いである。

2026年5月6日水曜日

コレヒドール戦記 They were expendable 1945

ジョン・フォード監督、米、135分、白黒映画。第二次世界大戦の初期のフィリピンから始まる。ジョン・ウェインは怪我で敵の巡洋艦攻撃に出られず、くさって病院に入る。そこの看護婦というより士官の女医師と出会い、恋に陥る。敵への攻撃はしたが、味方もやられるという風に戦争場面もあるものの、敵を倒す様子を描いた映画ではない。

上官からオーストリア方面に行くので護衛してくれと頼まれ、南方へ行く。女士官とは別れざるを得なかった。最後はウェインは帰還するため、迎えに来た飛行機に乗って去る。

2026年5月3日日曜日

陽は昇る Le jour se leve 1939

マルセル・カルネ監督、仏、93分、ジャン・ギャバン主演。映画は男が撃たれて、高層アパートの上の方の階段を転げ落ちるところから始まる。部屋の住人はギャバンである。警察がアパートを取り囲む。ギャバンは部屋で回想する。

ギャバンは工員で、ある日会った若い女に恋をする。求婚するのだが、女の方は煮え切らない。用があると言う女の後をギャバンは付けていく。興行小屋に入る。そこで犬を使った曲芸師に女は関心があるようである。曲芸師の相手役の女は舞台を降りてギャバンが座っている方に来て、曲芸師を悪く言う。口先だけで女を喜ばせるのだが、全く不誠実な男であると。その曲芸師は若い女を連れて小屋を出る。後で曲芸師だけ戻ってくる。女に色々言うとギャバンが口出しして曲芸師と言い合いになる。女は曲芸師に嫌気がさしているので、ギャバンと付き合いを始める。しかしギャバンの心は若い女にある。あの曲芸師がギャバンと女がいるところに来て、話があると言い出す。ギャバンと向かい合った曲芸師は自分は若い女の父親であると言い出す。後からそれは曲芸師の男のでたらめであると分かる。

男はギャバンの部屋にやってきて、また饒舌を弄し、ギャバンをいらつかせる。頭に来たギャバンが男の持ってきた銃で、相手を撃つ。転げ落ちるのが映画の初めである。アパートを取り囲む群衆や警察に対し、ギャバンは悪たれを放つ。警察が屋上からギャバンの部屋に催涙弾を投げ入れた。その直前に銃声がした。ギャバンが自殺して床に転がり、煙が充満する場面で終わり。

ルチオ・フルチのザ・サイキック Sette note in nero 1977

ルチオ・フルチ監督、伊、96分。主人公の女は超能力を持つ。子供の時、遠く離れた場所で母親が投身自殺するのを見た。成長して富豪と結婚する。夢で殺人事件を見る。中年の女が殺されている。他に断片的な場面を見る。夫の所有する別荘に一人で行く。ある部屋にいる時、壁の中の死体を感じ、壁を崩すと白骨があった。警察の調べでは20代の女らしい。自分が見た中年女と違う。この死体が夫の昔の恋人と分かる。

夫に容疑がかかり逮捕される。女は友人の男や義姉と共に夫の疑いを晴らそうとする。後に、女が見た幻視は予知夢ではないかと言われる。未知の女から電話がかかってきて、夫に有利な証拠を提供するという。そこに行く。すると中年女が殺されていた。あの夢で見たそのままである。女はそこの屋敷で毒牙にかかる。後に調べに来た友人の男や警察が察するところで映画は終わり。

2026年4月30日木曜日

曳き船 Remorques 1941

ジャン・グレミヨン監督、仏、ジャン・ギャバン主演。ギャバンは難破船を曳航する救助船の船長である。妻は夫のギャバンがいない日が多いので嘆いている。

嵐の夜、救助の連絡が入ったので行くのだが、救助対象の船は船長が変わった男で、救助などいらないと言い、曳き船からの綱を切ってしまう。この船長の妻は夫の横暴に嫌気がさしており、嵐の中、ボートで船を逃げだしギャバンの曳き船に助けられる。この逃げてきた妻とギャバンは愛し合うようになる。逢瀬を重ねる。ギャバンの妻は病気で亡くなる。それを女と会っている時に聞き、急いで戻る。女はその間にギャバンから去る。