2025年8月6日水曜日

魔の谷 Beast from haunted cave 1959

モンテ・ヘルマン監督、米、72分、白黒映画。スキー場に来ている悪漢集団。そこで山男なる者に出会い、集団のボスの情婦となっている女は惹かれる。悪漢どもは金塊を奪うため、目くらましに爆破を起こし犠牲者が出る。女は山男と一緒に逃げるつもりだった。

しかしこの近所の洞窟の中で別の女が怪物に襲われた。その後も怪物は山小屋にやってきて人を攫っていく。山男と逃げた女は吹雪を避けるため洞窟に入る。そこは怪物の住処だった。先に怪物に攫われた人らが囚われている。逃げた情婦を追って洞窟に来た悪漢のボスは怪物にやられる。その仲間が怪物を火炎放射器(?)か何かで怪物を焼き殺す。怪物の恰好は、布にたくさんの紐がからまっているようななりである。

川北稔『砂糖の世界史』岩波ジュニア新書 1996

「世界商品」砂糖の取引を中心にした世界史。世界商品とはそれを求めて各国で競争が生じる物。砂糖以外に茶とコーヒー、チョコレートなどがある。いずれも世界の経済の中心であった欧州では栽培できない。それで熱帯等の植民地でそれらを栽培した。

その際、労働力が必要である。その労働力はアフリカから黒人を奴隷として調達し、従事させた。奴隷の貿易と工業製品など欧米での産品との貿易が盛んに行われた。

2025年8月3日日曜日

齋藤孝『読書力』岩波新書 2002

現代は読書しなくていいといった風潮があるが、とんでもない、読書は必要だと著者は力説する。著者はいかに読書が人生に必須か、熱く語る。最近の物分かりの良いおじさんとは全く意識的にか、違う態度をとっている。著者はいかに読書が読む人に効用をもたらすかをいろんな点を挙げ、説明する。

書名の「読書力」という言葉は普通使わないだろう。どういう意味で使っているかを見ていると、読書力があるとは文庫百冊、新書五十冊読んだというものである、とある(p.8)。本書の多くの読者はもっと読んでいるだろう。改めて本書がこれから読書をしようという、普通は若い人であろう、読者を対象としていると分かる。本を読むのはそもそも読書が好きな人が多い。それで同好の士と語るのは楽しいから読書に関する本は売れる。少なくとも海辺で拾った石ころを楽しむ、というような題の本よりかは。(実はAmazonで見たらこのような本が出ていて、それなりの読者がいるとは驚いた。人間の関心は広い)

ただし、既に読書好きになっている人でなく、本書の想定する読者に、どの程度本書が届くか、本書を読む気にさせるか。そのために本書は若い人の読書の指導をする教師(役)にも向けられていると思った。最後に文庫百選として著者が勧める本の紹介がある。これを見てなぜこの本にしたのか、自分なら同じ作者のあの本にする、といったように楽しめばよい。

2025年8月2日土曜日

目玉の怪物 The eye creatures 1967

ラリー・ブキャナン監督、米、78分、総天然色映画。テレビ用の映画らしい。田舎町に空飛ぶ円盤が降りてくる。軍は調べるがパニックを避け、何も一般に知らせない。

カップルが乗っている車は何物かに衝突する。人を轢いたかと思って調べると怪物である。警察に知らせるが相手にされない。されないだけでなく、別の事故の容疑者にされてしまう。別の若者が来て、怪物が倒れているところを見ているうちに、生きている怪物が襲い、若者を殺してしまう。この若者殺しの容疑者ではないかとカップルは言われる。轢いたのは怪物でなく、若者だろうと警察は思っている。否定しても信用されない。

隙を見て警察から逃げ出し、死んだ若者の友人宅に行き、その友人を事故現場に連れていく。怪物たちが多く現れる。友人は怪物にやられそうになる。車のヘッドライトを当てると怪物は蒸発して消えてしまう。カップルはたくさんのカップルの友人を集め、車を連ねて現場に向かう。初めは暗くしておいて、怪物らが現れるとヘッドライトをつけ、怪物どもを退治する。怪物に襲われた先の友人を助ける。

題名は目玉の怪物となっており、原題もそうだが目玉の怪物でなく、全身が多くのできもの、突起物、イクラの寿司のようないでたちの怪物である。

2025年7月31日木曜日

ゴーストキラー 令和7年

園村健介監督、ライツキューブ配給、104分、高石あかり主演。ある殺し屋が殺される場面から始まる。高石はバイトをしている大学生。ある日ころんだ階段で薬莢を見つける。その薬莢は殺された殺し屋の物で、高石がそれを拾ったところから死んだ殺し屋の霊が見え、会話できるようになる。更に殺し屋の霊が乗り移り、高石の体を使って殺し屋が自分の体のごとく使えるようになる。

親友のとんでもない恋人を懲らしめ、また殺し屋が自分を殺した者を殺さない限り成仏できない、といい協力を頼まれる。結局のところ、高石は殺し屋をつけ狙う反社会組織と対決することになる。女の子と悪人の体が入れ替わる映画があったし、ミッシェル・ロドリゲスの映画で女の体に男が乗り移る映画があった。それらと枠組みは同じだが面白い映画になっている。

2025年7月30日水曜日

鴻上尚史『人間ってなんだ』講談社+α文庫 2022

演出家の鴻上が雑誌に連載したエッセイの中から「人間ってなんだ」という観点の文を集めたもの。著者は演出家だから人と付き合わざるを得ない。それでいつも相手の立場になって考える練習をしてきたそうだ。またシンパシーの他にエンパシーという言葉が出てくる。相手の立場になってその考えを推察するというか。相手に感情移入する必要はない。

エッセイの部ではイギリスの演劇学校に行った。そこでの体験がある。また無意識の差別感情を指摘する文もある。更に著者が学生時に黒澤明の『影武者』のオーディションを受けた経験。演出家蜷川幸雄の思い出もある。

2025年7月29日火曜日

金星怪獣の襲撃 新・原始惑星への旅 Voyage to the planet of the prehistoric women 1968

デレク・トーマス監督、米、79分。金星に向けて飛び立ったロケットから通信が途絶える。新しいロケットを飛ばし救出とできれば探検。

金星には白人の若い女たちが何人かいてそれらが金星人である。救出隊は行方不明になっていた先人たちを助ける。金星には守り神テラという怪獣がいて、翼竜である。海に浮かんだ探検艇を襲うが、銃で退治する。死んだテラを見て金星人らは復讐を神に祈る。火山が噴火し溶岩が流れる。大雨が降る。探検隊のロボットが何とか隊員たちを溶岩から救うがロボットは倒れ、溶岩流に流される。助かった隊員たちはロケットで金星を脱出する。

金星人は自分たちの神テラは復讐も出来なかった、だめな神だと言って破壊する。代わりに溶岩で溶けた地球人らがおいていったロボットの残骸を新しい神として崇める。

2025年7月27日日曜日

勢古浩爾『定年後に見たい映画130本』平凡社新書 2022

市井人なのだが、なぜか多くの本を出している人。映画好きには古典映画が好きな人と、新しい映画を主に鑑賞の対象とする人がいる。著者は後者である。

最後の章に著者のベスト15がある。その前に北野武のベスト10が書いてあるのだが、北野の選択した映画をコケにしているのは納得できない。北野は古典的定番映画を多く挙げており、「天井桟敷の人々」「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」 「七人の侍」などがある。この著者は北野のベスト映画の多くを見ていないと言い、「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」を愚作ではないかと断じる。愚作と感じるのは個人の勝手だが、理由を書いていない。嫌いな物を好きになる必要はないが、愚作と書くならその理由を書くべきではないか。本にして出版しているのだから。北野のベスト10の最後に「鉄道員」とあるが、ピエトロ・ジェルミか高倉健の出ている映画か明記してないのも不親切ではないか。

著者のベスト15は次のようである。「七人の侍」「切腹」「逃亡地帯」「夜の大捜査線」「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」「カリートの道」「アポロ13」「ブラス!」「グリーンマイル」「リトル・ダンサー」「アトランティスのこころ」「冒険者たち」「ワールド・オブ・ライズ」「ジャンゴ 繋がれざる者」「ラ・ラ・ランド」。「カリートの道」の階段場面で「アンタッチャブル」もその基の「戦艦ポチョムキン」についても言及がない。「冒険者たち」ではジョアンナ・シムカスが好きだと言っているのに、「若草のもえる頃」について何も述べていないのはなぜか。もし見ていないのなら、こんな本を出すべきではない。

2025年7月26日土曜日

安部公房、三島由紀夫、大江健三郎『文学者とは何か』中央公論 2024

標記三人の作家による、鼎談及びそのうち二人に対談を集める。

内容は「文学者とは」三人、1958、「現代作家はかく考える」三島、大江、1964、「短編小説の可能性」安部、大江、1965、「二十世紀の文学」安部、三島、1966、「対談」安部、大江、1990、である。

ともかく三島の頭の切れるのには感心する。最初の鼎談は本当に面白い。他の対談は理解できていないところがある。一番長いのは安部、三島による「二十世紀の文学」であるが、これなど特に難しく感じた。最後1990年の安部、大江の対談で安部が三島の思想は嫌いだが人格は好きだと言っているのが心に残る。

2025年7月25日金曜日

勢古浩爾『それでも読書はやめられない』NHK出版新書 2020

市井の読書人、勢古浩爾、なぜかやたらに本を出している(出せる)人。読書に関する本を沢山出している。本書は前半が著者の読書遍歴でそれが特徴。自伝は好きなのでこれも一種の自伝だからその点面白く読めた。今は読書人であるが、子供の時から本の虫だったわけではない。

子供時代は漫画を読んでいた、スポーツをやっていたとある。20歳を過ぎてからある日突然『チボー家の人々』を読み始めたという。その後、文芸評論、日本や世界の名作文学を読み、哲学にはまった。しかしながらほとんど全く哲学書は理解できなかった、読んでも分からかった、と書いてある。このあたり、多くの読書家も同じような経験があるのではないか。ともかく数千冊これまで読んだと書いてあるが、ある時期までは大した読書家ではない。読書歴だけでなく主張を書いている。

その後は有名な「読書人」を論じている。立花隆、丹羽宇一郎、出口治朗、齋藤孝、佐藤優、成毛眞、森博嗣、又吉直樹らである。あとは著者が勧める本の紹介である。

2025年7月23日水曜日

金星ロケット発進す First spaceship on Venus 1959

クルト・メーツィッヒ監督、東独、波蘭、78分、総天然色。制作当時より20年以上未来の時代。砂漠で発見された残骸。調べて金星から来た物らしい。中に録音機があったが何を言っているか専門家も不明。ロケットで金星まで行く。

乗組員は国際色豊か。紅一点の医者は谷洋子演じる日本人。途中で月基地からの連絡あり。流星群にぶつかり、これが途中の事故。金星に着く。探検車で探索。またオメガという戦車型の小型ロボットが電子頭脳で先導する。穴に落ちたり、小型の虫のような生物か、あるいはロボットか不明の物を発見。泥状の流体が乗組員を襲おうとする。電子銃で撃退。後にロケットに帰ってからこれはまずかったと言われる。

言語も解読できた。金星人は地球を襲うつもりだった。しかし事故が起きて自滅した。電子銃を撃ったため、爆破を引き起こすらしい。これを止めに行くが、その間、ロケットは制御がきかなくなり、発射してしまう。止めに行った3人は犠牲になる。地球に帰還して記者会見をする。

2025年7月20日日曜日

大岡昇平『無罪』小学館文庫 2016

大岡昇平が主にイギリスの、無罪となった裁判物語を13編書いている。当初の発表は1956年から1962年にかけての雑誌上である。原典は E. Villiers, Riddle of crime, 1928という、判決が無罪となった裁判読物だそうだ。原典の発表時期を見ても分かるように、かなり古い時代の事件が集められている。

知っていたのはここでは「黒い服の男」という題で収められている、マドレイン・スミスの事件と「サッコとヴァンゼッティ」事件だけである。古い時代の犯罪なので、事件そのものだけでなく、その当時の現在とは全く異なる時代状況が伺われ、それに興味を持つ。

廣松渉、五木寛之『哲学に何ができるか』Lecture books 1978

哲学者、東大助教授の廣松渉と小説家の五木寛之の対談である。哲学についてのそもそも論でもしているかと思ったら、意外と哲学史についての話が多い。普通、哲学を勉強しています、という場合と同様に、過去の哲学者はああだこうだという話である。書名のような哲学に何が出来るのか、といった議論が中心でない。

更に3部構成で、第3部は「マルクス主義の行方」である。この本が出た1978年当時はまだマルクス主義に希望あるいは幻想を持っている人が多かったのだろう。今でも幻想を持っている人はいるが、少数になっているとしか思えない。あるいは全く現実の変化を見てなく、自分の信念しか頭にない人だろう。現在ではマルクス主義は完全に破産している。だから3部に辿り着いたら読む気が失せ、止めた。この廣松渉という学者はマルクスが専門らしい。

2025年7月17日木曜日

地球最後の日 When worlds collide 1951

ルドルフ・マテ監督、米、83分、総天然色。惑星とその衛星が地球に向かっているので、ロケットを作って少数の人間が地球から脱出を図る映画。

観測した地球衝突の可能性を確かめるため、天文台の教授はニューヨークの博士にそのデータを送る。そのため飛行士を雇う。飛行士はデータを博士に渡す。博士は衝突が避けられないと確信する。博士の一人娘も父親を助けて研究しており、飛行士に惹かれる。元から婚約者の医師がいたが、そちらとは疎遠になる。

地球と他の天体の衝突という博士の発表は、当初はまるで信じてもらえなかった。しかし天体は近づいてくる。脱出用のロケットの建設には金がかかるが足りない。億万長者がお金を出すので乗組む者は自分が選ぶと言い出す。結局億万長者一人の搭乗は保証された。天体の地球接近で地震、津波その他の天災地変が起こる。ロケットの建設は全く遅れている。

発射間近になり、乗せろと群衆が襲ってくる。博士は億万長者に、若い者が乗るべきだと言い、自分らは乗り込まない。からくもロケットは発射し、その後地球は衝突で破滅する。ロケットは天体に近づき、降り立ってここに新天地を築くとなる。

第十一号監房の暴動 Riot in the cell block 11 1954

ドン・シーゲル監督、米、80分、白黒映画。刑務所での暴動を描く映画。某刑務所で第11号監房の囚人たちが複数の刑務官を捕える。刑務所長に待遇改善を訴える。刑務所長は以前より上に対し、刑務所の改善を要望していたが、予算や人員がないまま来ていた。

刑務所組織の長官が来て、強硬な手段をとるよう所長に言う。長官は囚人らと対面した時にナイフを投げつけられ、負傷した。他の監房でも暴動が起きる。刑務所側は州の警察組織に出動を要請する。警察が囚人らに催涙ガスを撃つ。一人の囚人は死亡した。囚人らは囚人を殺すなら捕えている刑務官を殺すと脅していた。囚人の代表が改善案を書き、広く知らせるため報道機関も呼ぶよう要望する。改善要求を受け入れるかどうかは所長の判断だけではできず、知事の同意も必要と言われる。

最終的に知事は同意し、捕まっていた刑務官たちは解放される。囚人たちの要求が通ったのは新聞でも報道された。しかしその後、首謀者の囚人は裁判にかけられることになり、30年の刑が下されるだろうと所長から告げられる。

2025年7月15日火曜日

誘拐報道 昭和57年

伊藤俊也監督、東映、134分、萩原健一、小柳ルミ子ほか。実際に関西で起きた誘拐事件を元に、読売新聞社が出した原作を、映画化した作品。誘拐報道という題だが犯人の萩原やその妻の小柳、更に被害者家族を巡る部分が主であり、特別報道機関に焦点をあてた作品でない。

私立の学校に通う幼い少年が誘拐される。3千万円寄こせと電話がある。犯人の萩原の家は金に窮していた。経営していた喫茶店を騙し取られた。更に娘を私立の学校に通わせている。この娘と誘拐された男子とは仲良しだった。萩原は誘拐した少年を車のトランクに入れあちこちに行く。海岸沿いの村にある実家に帰り、母親に会ったり昔の恋人と行為に及んだりする。電話をかけて金を用意させるが、警察が張り込んでいるようで萩原は逃げ、なかなか被害者家族とは会えない。最後の方でトランクにいれた男子が死んだではないかと驚き、顔をたたく。結局現実にそうであったように萩原は捕まる。萩原が犯人と知り、妻の小柳が自分が金のことばかり言っていて悪かったと泣く。また二人の娘も健気に振舞う。

2025年7月14日月曜日

大内秀明、野坂昭如『マルクスを読む』Lecture books 朝日出版社 1979

副題に「資本論講義」とあって資本論の内容を、経済学者の大内が作家の野坂に講義する書かと思った。何しろ難解な『資本論』であるから、講義形式の説明であれば分かりやすいかと期待したのである。

しかし期待は裏切られた。資本論についての議論でなく、ほとんどは野坂が疑問に思う経済の実際について質問する。それに対して大内の回答はマルクス経済学者であるから、きちんと答えられない。香港では製造業など無いのに香港ドルが強いのはなぜか、という野坂の質問に大内は、さて、難しい問題ですね、というだけで問題を逸らしている。野坂も質問するより、自分がよく喋りたいようで、戦後などの自分の経験を語ったりしている。途中で投げ出してしまった。

2025年7月11日金曜日

ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』福島正実訳、角川文庫 昭和50年

角川文庫の『不思議の国のアリス』は現在は河合祥一郎訳で出ているが、その前、昭和50年に出た福島正実訳のアリスである。一般的にいって挿絵は重要である。特にアリスについてはジョン・テニエルの挿絵が正典となっており、誰でもまず最初にこのテニエルの挿絵に親しむだろう。

しかし他の挿絵もある。本書、福島正実訳の角川文庫では、我が国の代表的な挿絵画家の和田誠が、表紙及び中の挿絵を描いている。それが本書の一大特徴である。なお福島正実訳の前の角川文庫版アリスは、岩崎民平訳であり(昭和27年のち改版)、テニエルの挿絵であった。ただ表紙絵は広みさおという人の絵であった。

なお『鏡の国のアリス』の訳も現在は河合祥一郎であるが、以前は岡田忠軒訳(昭和34年)だった。この岡田訳の挿絵はやはりテニエルだったが、表紙絵は広みさおであった。不思議の方は岩崎訳、福島訳、河合訳と変遷してきたが、鏡の方は岡田訳、河合訳と一度しか変わっていない。

福島訳の不思議の国のアリスが出た時であろうか、岡田訳の鏡の国のアリスも表紙絵だけ、和田誠のものに変えた。不思議の方は表紙も中身も和田誠の絵だが、鏡の方は表紙絵だけ和田で、中の挿絵はテニエルのままだった。訳が変わっていないせいだろう。

個人的には鏡の国のアリスは昔、岡田訳の角川文庫を買い、それで広みさおの表紙絵にずっとなじんできた。だから今でもそれが自分には懐かしい。それでわざわざ広みさおの表紙絵である、岩崎民平訳の不思議の国のアリスまで古本で購入した。

The witch 魔女 2018

パク・フンジョン監督、韓、125分。特殊研究所で超人少年少女を作っている。そこから脱走する子供たち。追うが一人の少女は追手をかわし、ある農家の夫婦に助けられる。そこの子供として育つ。大きくなる。

家は貧乏である。アイドルオーディションに出る。特技として魔術を見せる。それをテレビで見た研究所の者たちは逃げた少女だと分かった。実際には少女の方から研究所の連中をおびき寄せるため、わざと公開して見せたのだという。少女と一緒に育てられた少年、あるいは研究所の者らが戦う。少女は相手方を倒す。

2025年7月8日火曜日

女は二度生まれる 昭和36年

川島雄三監督、大映、99分、若尾文子主演。若尾は芸者である。山茶花究や山村聡といった馴染みの客がいる。寿司屋の板前のフランキー堺と好き合っている。その他、大学生の藤岡潤に時々、道で会い、惹かれている。若尾は芸者を辞め、バーに勤めるようになる。

山村の二号となり、アパート暮らしをする。山村が病気で入院すると妻子に隠れて見舞いに行く。山村が死ぬと山村の妻がやってきて指輪を返せとか百万円渡したろうとか、意味不明な文句を言うので喧嘩になる。社会人になった藤岡が客としてやってきて喜ぶが、自分に客の相手になってくれと言われがっかりする。

映画館で知り合った少年と信州に旅行に行く。列車の中で、結婚したフランキー堺が妻子を連れているのに出くわす。少年を好きなところに行かせてやり、若尾は一人で駅で佇む。

埴谷雄高、小川国夫『闇の中の夢想』Lecture books 朝日出版社 1982

小説家の埴谷と小川の映画対談である。普通このLecturee bookシリーズは専門家に素人が教えを乞うといったものが多いのだが、本書は例外的で、埴谷が昔みた映画の思い出を語り、時々、小川が自分の思い出や意見を言うという本である。映画の特色や映画の見方といった映画論の部分がないわけでもないが、ほとんど老人の思い出話である。

なぜこんな本になったのか。これは出版社の担当がぜひ埴谷と小川に対談をしてもらいたいとねばり、それで実現したのだそうだ。埴谷が昔どんな映画を見ていたのか、に興味があれば読む価値はあるのだろう。埴谷という人は昔はかなり大物というか、意見を聞きたがっている人が多かったらしい。

愛と殺意 Cronaca di un amore 1950

ミケランジェロ・アントニオーニ監督、伊、115分、白黒映画。富豪から妻の過去を洗ってくれと頼まれ、私立探偵が探る。妻は夫に飽きている。以前から好きだった男と一緒になりたく思う。ただ相手の男は貧乏で今の贅沢な生活は捨てられない。

探偵は妻の故郷で次の事実を知る。以前、隠れて会っている男は別の女と婚約中だった。ところがその婚約相手の女がエレベーター事故で死ぬ。その場に女と男は立ち会っていた。殺したのか、事故を助けなかったのか。今密会中の男と女は誰か付け回していると分かる。昔の事件を警察が調べているのか。恐れおののく。最後に探偵は富豪に妻は情事をしていると報告する。女は男と離れられない。しかし男は女から去っていく。

2025年7月6日日曜日

河野龍太郎『日本経済の死角』ちくま新書 2025

近年の日本経済はあまり好調とは言い難い。その原因は何か。本書によるとそれは実質賃金が上昇していないからだと言う。日本経済の生産性が1998年から2023年までに3割上がっている。それなのに実質賃金は横ばいのままである。つまり企業が内部留保を貯めこんで、労働者に回さない。それで賃金は上がらない。

これまではデフレで、賃金が上がらないのは正当化されていたが、企業は儲けているのに労働者に回さず、しかも近時はインフレになってきている。それで実質賃金は下がっている。日本全体が貧しくなっている。この主張が繰り返し語られ、日本経済が成長しなくなっている元凶と言っている。

2025年7月4日金曜日

山之内正『ネットオーディオのすすめ』講談社ブルーバックス 2024

著者はオーディオ評論家で、以前にもネットオーディオの入門書を書いているらしい。それは読んでおらず、本書が初めての本である。

書名はネットオーディオとあるが、むしろ最近の流行を反映してストリーム配信、定額音楽配信(よくsubscriptionの略だろうがサブスクなる言葉を見かけるが、この言葉を見ると、事前にまとまった金額を振り込むと雑誌や新聞が送られてくる制度を思い出す世代なので使いたくない。subscriptionとは事前に金を支払い、一定のサービスを受ける仕組みを指すのだろう)についての記述が主である。

書名のネットオーディオとは狭義のネットワークオーディオでなく、インターネットを利用したオーディオ全体を言っているようだ。狭義のネットワークオーディオとはNAS(音楽サーバー、外付けHDD)にCD等から音楽を放り込み(リッピング)、またはインターネットから音楽をダウンロードし、やはりNASに入れる。これをタブレット等にあるアプリで操作し、好きな音楽を選んで再生する。なりよりも簡単に音楽が聞け、ジュークボックスに例えた話があったがその通りである。後、PCオーディオなる言葉もあった。パソコンに入っている音楽を聞くのだが、そのままアンプにつないでも音が汚いので、DAC等を通してつなぎ、それからアンプで再生する。

随分昔から、先進国で音楽鑑賞の媒体としてCDがいまだに主流なのは、日本くらいだと言われていた。それでは外国では何が主流なのか。定額音楽配信らしい。そこでこの本では、今日本で聞ける「高音質」の定額音楽配信のうち、Amazon music unlimited、Apple music、Qobuzの説明が書いてある。世界的に定額音楽配信を流行させたのはSpotifyで、最初に簡単に触れているが低音質だとして一蹴である。それでこの三者の音楽配信を書いたのち、ROONについて、あと立体音楽(昔の4チャンネルもどき)や映像配信についても触れている。

2025年6月28日土曜日

海底から来た女 昭和34年

蔵原惟繕繕監督、日活、76分、白黒映画。海辺近くの別荘に帰った川地民夫はヨットに少女が乗っているのを見つける。水着姿で魚をとっているらしい。最近、海で死んだ者がいた。川地が少女に誘われて海底に潜ると死体があった。また鱶が遊泳している。そこの場所は誰にも言うなと少女の口止めで、川地はみんなに知らせるが、場所は忘れたと言うだけだった。少女を見た村人の中には怪しい目つきで眺める者がいた。

海に面した崖の上にある別荘に少女は上ってくる。同じ部屋で夜を明かす。崖の上から海に飛び降りて戻る。川地が友人らと山に行っている間、少女は別荘に来て、川地の兄に遭遇する。兄は放蕩者で、少女を口説き、明くる日海にヨットで連れていく。嵐になり兄は遭難する。川地は数日後、少女に再会する。村人たちは少女は鱶の化身だと言う。過去の災難時にも同じ少女が現れたという。川地は少女とヨットの上で再会を約束する。川地が寝すぎた間に村人たちが待っていて、現れた少女を銛で突く。川地が来た時はすでに血を船縁に残し少女は消えていた。川地は都会に帰る。帰る前に気を起こし、海に潜ってかつて少女と泳いだ場所を進んでいく。

2025年6月27日金曜日

養老孟司『バカの壁』新潮新書 2021

かつてのベストセラー、当時も読んだはずだが、再読。何でも自分で理解できる筈はない。理解できないのは、そこにはバカの壁があるから。書名は自分の知識、理解の限界を指すらしい。誰にでもバカの壁はある。だから話せば分かると思うのは間違い。分かるにしても夫々の個人毎に癖、制約がある。

個性を伸ばせという教育は誤り。他人との共通理解の方が重要。他人を理解できるようにすべき。意識と無意識がある。一元論と二元論がある。一元論は原理主義につながる。自分だけ、自分たちだけ、正しいは良くない。最後の方では経済のあり方、農業と加工業などを論じる。自然から離れている現在を批判しているように思える。正直言って十分理解できたと思えない。

2025年6月26日木曜日

妻は告白する 昭和36年

増村保造監督、大映、91分、白黒映画、若尾文子主演。若尾は夫殺しの容疑で裁判にかけられる。登山中、自分を含め落ちた者の中で、下にぶら下がっていた夫へのザイルをナイフで切り、転落死させたという疑いである。過去、夫(小沢栄太郎)と若尾は不仲だった。若尾が離婚したいと言っても小沢は聞いてくれない。

学者である小沢のところに出入りする製薬会社の川口浩は若尾と好き合うようになる。夫には巨額の生命保険がかかっており、夫を殺害したのではないかと告訴されているのである。川口には婚約者がいたが、若尾への同情、ひいては愛情から、婚約者と疎遠になる。

無罪判決が下る。若尾は釈放され、保険金も降りる。若尾からの連絡で川口が若尾の新宅に行くと豪華なアパートであった。調度品も新品を揃えている。驚く川口に若尾は保険金で買ったと言い、お祝いをしようと迫る。川口は拒絶する。若尾は小沢を殺すつもりでザイルを切ったと告白する。驚愕する川口は若尾を残してそこを去る。後日、川口の会社に若尾がやってくる。アパート関係は全部処分した。だから自分と会ってくれ、一年で一回でもとすがる若尾を振り切って去らせる。若尾は洗面所で毒薬による自殺を遂げる。

ロスト・ワールド The lost world 1925

ハリー・O・ホイト監督、米、68分、無声映画。コナン・ドイルの同名の小説を元に作られた。ロンドンでチャレンジャー教授は恐竜がまだ生存していると演説し、嘲笑を浴びる。以前、南米の台地に行った男は恐竜が現れ、そこに取り残された。その娘は父を捜しに南米に行きたいと言っている。娘のスケッチには恐竜が描かれてあった。費用は新聞社の記者が同行し、独占記事にするという条件で、その社が出す。

南米に着く。台地に上り、恐竜群を発見する。恐竜同士の戦いがある。娘の父親は亡くなっているようだ。猿人がいて邪魔をする。台地から降りる際に隊員を落とそうとするので銃で撃つ。動けなくなったブロントサウルスをロンドンに連れて帰る。劇場で見せる予定だった。恐竜を船から降ろす際、箱が落ちて壊れ、逃げ出す。ブロントサウルスは街中で暴れだす。建物を壊す。塔橋に来て橋の真ん中で橋が崩れ、ブロントサウルスも川に落ちる。そこで終わり。

スティーヴンソン短篇集(『マーカム・壜の小鬼』)岩波文庫 2011

『その夜の宿』A lodging for the night 1877  詩人で犯罪者でもあったフランソワ・ヴィヨンの物語。1456年のクリスマス、ヴィヨンは仲間が殺人騒ぎを起こし逃げる。入れてもらった家での老人との対話。『水車屋のウィル』Will O’ the mill 1878  山中に住む少年ウィルは平野に都会に出たくてたまらない。叶わぬまま成人し、牧師の娘を見染める。結婚するはずだった。しかしウィルは後に心を変え、結婚は取り止めになる。傷心の娘は他の者と結婚し、まもなく死ぬ。ウィルは生まれた場所に留まり、老年になると尊敬されるようになる。高齢で死ぬ。

『天の摂理とギター』Providence and the guitar 1878 旅回りの芸人夫婦がある町にやって来る。許可を与える警察署長から嫌がらせを受ける。その後、イギリス人の学生に会い、宿に行く。『ねじれ首のジャネット』Thrawn Janet 1881 村の牧師が若い時に遭遇した怪奇譚。みんなにいじめられているジャネットを牧師は助け、牧師館で使う。後に牧師は黒い大男に出会う。ジャネットが首を吊って死んでいた。ジャネットは魔女になり焼死する。黒い男は悪魔だった。なぜ牧師が悪魔に魅入られたか不明。

『マーカイム』 Markheim  マーカイムは骨董店に来て、店の主人を殺す。物色しようとしていたらある訪問者が来る。その男との会話が中心で、訪問者はマーカイム自身の分身、良心だった。マーカイムは後から来た女中に警察を呼ぶよう言う。『壜の小鬼』 The bottle imp 1891 はバルザックの『あら皮』やジェイコブズの『猿の手』と同列の作品。何でも願いが叶う、それには不幸が条件としてついてくる壜がある。本小説では主人公には婚約者がいて助けてくれる。

『声たちの島』The isle of voices 1893は『壜の小鬼』と同様の南海物。結婚した若者は魔術師である義父の手引きで、ある島に行く。そこではお金を入手できる。後に若者が行った島の人々は自分に親切にしてくれる。別の若い女と婚約する。その女が島の者は若者を食おうとしていると教える。逃げようとしたら声だけ聞こえる場所に行く。ここが以前、義父とお金を取りに来た場所だと知る。そこから初めに結婚した相手の家に魔法で戻る。「千夜一夜物語」に出てきそうな作品。

2025年6月24日火曜日

機動捜査班 昭和36年

小杉勇監督、日活、67分、白黒映画。覆面パトカーで街を回っている捜査班。キャバレーで暴力団の男が外から銃で撃たれる。担ぎ込まれた病院から逃げ出す。警察は暴力団同士の戦いであろうと推察する。

刑務所から釈放された男(内田良平)は一緒に出た丹波哲郎と共に妹のいる家に帰る。元いた暴力団に行くと今は勢力が落ちているらしい。病院から逃げ出した男もここの団員である。丹波がここで働きたいと言う。丹波は相手方の暴力団のところに行っても同様に、入れてもらいたいと言う。

相手方の暴力団は麻薬を扱っている男を捕まえる。ある会社の人間で、そこの会社に乗り込み、麻薬売買に関与し金をせしめようとする。最初に捕まえた会社員を殺す。警察は死体の銃弾から、暴力団が撃たれた際の物と同じと知る。暴力団はチンピラに罪を着せようと殺し、自殺に見せかけようとした。暴力団同士の対決が決まった。丹波は暴力団、警察に通報し、両者を衝突させようとしていた。警察は待機し銃撃が始まった時点で介入し、双方現行犯で逮捕する。これで暴力団は共に壊滅し、漁夫の利を得ようとしていた丹波も、双方から通報されており、警察に捕まる。

ブロードウェイ Babes on Broadway 1941

バークレイ監督、米、118分、白黒、ミュージカル映画。ミッキー・ルーニイ主演、相手役としてジュディ・ガーランドが出ている。ニューヨークのレストランでルーニイは仲間二人と歌や踊りで稼いでいる。その日来ていた女の客から大金をもらい、あくる日来いと言われる。行ってみると女は芸商売に関わっている者で、大物のプロデューサーのオーディションを受けろと言われる。内緒だと言われるが、芸能人志望が集まっている食堂で言いふらす。そのためオーディションは大勢押しかけだめになる。

食堂で泣いている女(ジュディ・ガーランド)に会う。慰め、お互いに惹かれ合う。ガーランドは貧しい子供たちの支援をしている。ルーニイは自分がデビューするのばかり考え、子供たちの支援を後回しにするので、ガーランドとやや不仲になりそうになる。ようやく古い劇場を借りて公演が出来ることになった。ところが消防法違反というので始まろうとするときに中止になる。あれやこれやで最後は大物プロデューサーにも認められ、大劇場で公演を行なう。

2025年6月23日月曜日

噓をつく男 L'homme qui ment 1968

アラン・ロブ=グリエ監督、仏伊チェコスロバキア、95分、白黒映画。舞台はチェコスロバキア、戦中と戦後が相互に入り混じる。

森の中を逃げている男。ナチスと思われる兵隊らが銃で撃つ。男は倒れる。まもなく起き上がり、ボリスと名乗る。村に着く。戦後という設定になっている。英雄ジャンの帰りを待っている。ボリスはジャンの情報を持っているという。ジャンの妻等身内のいる家に行く。そこで妻や女中といい中になろうとする。ジャンの行方は安全のために秘密にしていると当初は言っていたが、後にジャンをナチスから助け出し、匿おうとしたがジャンは殺されたと言う。映画は時間が前後する。最後にはジャンが現れ、ボリスを銃で撃つ。その後もボリスは生きているようだ。

2025年6月21日土曜日

内田舞、浜田宏一『うつを生きる』文春新書 2024

精神科医と経済学者の対談である。内田は若いうちにアメリカに渡り、今もそこで小児精神科医をしている。また浜田は経済学者として東大で教職の後、イェール大学、更に日本の経済政策にも関与した。ここで浜田は自分が鬱であり、これまでの病歴を語る。内田とは内田の母親との付き合い以来であり、通常の医師と患者よりもより親密な関係である。

浜田は有名な学者であり、日本の官庁で経済政策に携わった際に顔を知っていたが、鬱を病んでいるとは知らなかった。それだけでなく、息子が20代で鬱による自殺という不幸に見舞われているとは全く無知であった。ここで浜田が自分の病気を語り、医師である内田がそれに対して専門家として説明を加えるという形で対談は進む。医学も経済学も実際の治療、政策に不十分な知識で立ち向かう実践的な学問であるという話があった。

2025年6月20日金曜日

令嬢ジュリー Froken Julie 1951

シェーベルイ監督、瑞典、89分、白黒映画。ストリンドベリの有名な戯曲を元に映画化。19世紀のある貴族の娘ジェリー、館に仕える召使に男がいる。夏の祭りの際の踊りでジュリーは気まぐれに召使と踊ったりする。後にジュリーは召使と一夜を共にする。今後どうするか。外国に逃げてホテルでもしようかと計画を話したりする。

ジュリーの生い立ちの回想になる。父親は平民の娘と結婚した。母はかなり先端的な思想の持主だった。ジュリーは小さい時、男の子のように育てられた。館が火事で燃え、その費用の工面は母親がした。母親の金を貸してあった者から取り返したのである。母は貞淑な妻ではなかった。父親は自殺未遂をする。夜の間、夢想的な話をしていたジュリーと召使、もう夜が明け、父親が帰ってくる。もう妄想にふけっている暇はない。召使は召使に戻り、行き場のなくなったジュリーは自ら果てるしかなかった。

2025年6月19日木曜日

関心領域 The zone of interest 2023

ジョナサン・グレー監督、米英波蘭、105分。アウシュヴィッツ強制収容所に接して暮らす一家の日常が大きな割合を占める映画である。収容所に勤務する夫(ヘスという設定)を支える妻、また子供たちが多くいる家庭である。妻はここでの生活をいたく気に入っており、夫に転勤命令が出た時に抵抗する。

もっとも平和な家庭生活の描写ばかりでなく、収容所や別の場所での高官たちのユダヤ人処分を巡る会議の場面もある。映画の最後で収容所内部で、掃除する人の背後は死んだユダヤ人たちの靴などの遺物がぎっしり詰まっているなど、そういう意味で訴える場面もある。

壜の小鬼 The bottle imp 1891

ハワイの若い男がある壜を買い取る。その壜には悪魔が住んでいて、持ち主の願いを叶えてくれる。しかし不幸が訪れる。また手放す時は買った値段より安くしなければならない。壜の事情を話す必要もある。買い取った男は夢であった、立派な邸宅を手に入れる。しかしそれは叔父が死んだせいで土地がまず手に入り、更に叔父の遺産で邸宅を建てられたからであった。

男は若い女を見染める。相手も好きになってくれた。しかし男の体じゅうに斑点が多く出る。不死の病にかかったのだ。治す手だてはあの壜をまた見つけることだった。なんとか捜す。捜して治そうとするが、売り渡さなければ、不幸が襲う。しかも値段が既に最低の価格になっていた。絶望するが、妻はフランスなどではもっと低い貨幣の単位がある、そう言って仏領に渡る。

壜の悪魔で不幸になるのは嫌だから売れない。妻はある老人に頼んで低い値段で買ってもらい、自分がそれより低い値段で買い取る、という条件で夫から壜を買い取る。病気は治り、夫は狂喜する。しかし妻が今度は壜の所有者になった。他の者に売るが、その男は売らないというので、ようやく夫婦に幸せが訪れる。(岩波文庫、2011年)

2025年6月18日水曜日

霊魂の不滅 Körkarlen 1921

シェーストレーム監督、瑞典、93分、無声映画、ラーゲルレーヴの『幻の馬車』の映画化。大晦日の夜、救世軍に勤める若い女は死の床にあった。気にかかっていた男、デヴィッドを呼んでくれと頼む。デヴィッドは仲間と外で酒を飲んでいてふとした喧嘩で死ぬ。去年死んだ男の霊が、大晦日に死んだ者は一年間、死者の霊を集める馬車の御者をしなければならないと教える。その役がデヴィッドになる。

デヴィッドは放蕩者で、家族にもつらくあたっていた。死んだデヴィッドの霊は死の床にある若い娘の元に行く。娘はデヴィッドのために祈って死ぬ。デヴィッドの霊は我が家に行く。絶望した妻は自殺しようとしていた。デヴィッドの霊は妻には見えない。しかし奇蹟が起こり、デヴィッドは生き返り家族を抱きしめる。

2025年6月17日火曜日

歓喜に向かって Till Gradje 1950

ベルイマン監督、瑞典、101分、白黒映画。妻を失うところから始まり回想になる。オーケストラのヴァイオリン奏者の男と女が一緒になる。男の方は非常にひがみ根性がひどく、ともかく相手をけなさずにはおかない。指揮者の役は『不滅の霊魂』の監督、『野いちご』の俳優でもあるシェーストレームが演じる。

妻になる方はかつて結婚に失敗しており、結婚を望んでいるが、男はともかく攻撃的である。それでも一緒になる。その後、自己主張の強い夫は協奏曲で独奏をやるが間違いをやらかす。妻にあたる。また他に女を作っている。子供もできているのに、これでは夫婦生活が出来ないと言い、妻は子供を連れて出ていく。後によりが戻る。映画の最後は夫が妻の事故死の連絡を受け、その後、ベートーヴェンの第9交響曲の歓喜の合唱を演奏するところである。

2025年6月16日月曜日

女家族 昭和36年

久松静児監督、東宝、94年、総天然色。大阪郊外の家は五人の女家族である。母親が三益愛子、娘が三人で長女が新珠三千代、次女が久我美子、三女は知らない女優、更に未亡人である新玉には幼い娘がいる。

久我に見合い話がある。見合い当日、久我はどこかに失踪してしまい、ついていった三女が見合い相手の高島忠夫と意気投合し、ぜひ三女と結婚したいと高島の方から言ってくる。久我は既婚の男と恋愛関係にあった。相手は妻と別れるとこれまで口約束はあったが、全く誠意が見られない。見切りをつけた久我は男と別れ、妊娠していたので中絶する。

新玉は仕立ての仕事をしており、自分だけが家族の犠牲になっていると不満が大きい。たまたま知った若い男に口説かれ結婚して東京に行くことになる。高島は実は遊び人で、久我と三女が白浜温泉に行っていた時、芸者と戯れている高島に遭遇する。三女は高島が嫌になる。久我は高島がどんな男か見極めようとしてバーについていく。それから帰宅し、高島のような男はだめだと言明する。三女は会社の同僚から求婚され、相手が名古屋に転勤になるのでついていく。結局、家には三益と久我だけが残った。年金など全くなく年老いた親は、子供が面倒みなければならなかった時代の話である。

渇望 Torst 1949

ベルイマン監督、瑞典、85分、白黒映画。若い女が既婚の男と関係を持つ。女は最初、相手が既婚とは知らなかった。妊娠し、捨てられ中絶する。

若い男と結婚し、汽車で旅を続けている。女は昔、バレエをやっており、当時の仲間の女の話に移る。夫を亡くし、精神科医にいいようにされている。たまたま以前の別の仲間に会う。話し合い、その女の家に行く。相手が羨ましい生活を送っているように見えた。しかしすれ違いになり女は逃げる。夫と汽車の旅を続ける女は、常に夫と言い合いになる。夫が妻を絞め殺す夢を見たと言っても気にしないと答える。二人はうまくいくようである。

2025年6月15日日曜日

空飛ぶ生首 Tormented 1960

バート・I・ゴードン監督、米、75分、白黒映画。孤島の燈台の上から始まる。若い女が恋人のジャズ・ピアノ奏者に、自分を捨てて結婚しようとしているとなじる。手紙を元に脅迫できるはずだったが、燈台の手摺がはずれ女は落ちそうになる。助けてくれと手を差し伸べる女を見殺しにする。

この島で結婚式をあげる予定だが、奇妙な現象が次々と起こる。死んだ女の幽霊が男を脅かす。最後は結婚式で見えない力が式をぶち壊す。明くる日、燈台の上で事情を知っている、婚約者の妹にあたる少女まで殺そうとしたら、女の幽霊が現れ、男は落ちて死ぬ。後に男と以前殺した女の死体が同時に発見された。

2025年6月14日土曜日

岩井克人『資本主義の中で生きるということ』筑摩書房 2024年

経済学者の岩井克人がこれまでに書いた随筆や、論文といっていい文章を集めた本。最初の方は読みやすい内容の文章から成る。かつて著者が米のイェール大学で教えていた当時の学生から電子メールが来る。内容は著者の講義が面白かったので、それが学者になった理由の一端とあった。続いて幸福論では幸福とは金で買えない物とあって経済学者が言うだけ面白いと思った。続いて読書の話、『高慢と偏見』を初め、アガサ・クリスティや吉川英治の著書なども挙げてある。それも資本主義を考える上で参考になるものは、説明している。

更に著者の専門である貨幣についての分かりやすい説明がある。また会社の概念も、経済学の主流派の理解は全く間違っているとして、説明をする。後半になるとやや高度な文章も出てくるが、最後の方は著者が人生で出会った人や追悼文などがあって、これまでの経済学者としての人生の垣間が若干伺える。

2025年6月13日金曜日

灰色の男 Man in grey 1942

レスリー・アーリス監督、英、白黒映画。競売場で偶然出会った男女は惹かれ合うが、過去に映画は戻る。19世紀の寄宿女学校で女王のようにふるまっていたクラリッサは、教師になる予定でやってきた孤児のへスターを好きになる。そのへスターは軍人と駆け落ちして学校を去る。

クラリッサは卒業後、ジェームズ・メイソン演じる貴族と結婚する。メイソンは冷たい男だった。あのへスターに再会する。駆け落ちの相手に捨てられ、今は女優をしている。へスターと連れの俳優その他をやっている若い男がいる。クラリッサはへスターを自分の子供の家庭教師にして自宅に招く。メイスンとへスターは惹かれ合う。またクラリッサは連れの若い男と惹かれ合う。若い男は西インド諸島に不動産があり、そこに行こうとする。クラリッサは連れていくよう頼むが危険なので後から呼ぶと言う。

へスターはクラリッサを追い出し、自分がメイスンと結婚して後釜に座ろうとしていた。クラリッサが付いて行かなかったので、へスターはクラリッサを病気にさせ嵐の寒い夜、窓を開け放してクラリッサを死なせる。これでメイスンと結婚できるかとへスターは思ったが、嵐の夜の出来事を外の木から召使の子供が見ていた。真相を知ったメイスンはへスターを打擲する。現代に戻り、若い男は西インドに渡った男の子孫であり、若い女はクラリッサの子孫であった。二人は結ばれるであろう。

2025年6月12日木曜日

愛欲の港 Hamnstad 1948

ベルイマン監督、瑞典、100分、白黒映画。故郷に戻って来た若者は、海に身投げをした少女を助ける。後にダンス場で会い、二人は相思の仲になる。

少女は過去に施設に入っており、同居する母親ともうまくいっていない。少女は初めは自分の過去を隠していたが、若者に過去を打ち明ける。若者は悩む。少女の施設時代の知り合いの女が妊娠し、不法な治療を受け死ぬ。少女は警察から事情を話せと問い詰められる。最初は話さなかったが、刑務所に入れられると言われ、話す。若者は二人でやり直そうと外国に行く手筈をする。しかし最後は、ここで新しい人生を送ろうと言い、外国行きは取りやめる。

2025年6月10日火曜日

北村薫、宮部みゆき編『名短篇、ここにあり』ちくま文庫 2008年

以下の短編を含む。

となりの宇宙人 / 半村良 著/冷たい仕事 / 黒井千次 著/むかしばなし / 小松左京 著/隠し芸の男 / 城山三郎 著/少女架刑 / 吉村昭 著/あしたの夕刊 / 吉行淳之介 著/穴 / 山口瞳 著/網 / 多岐川恭 著/少年探偵 / 戸板康二 著/誤訳 / 松本清張 著/考える人 / 井上靖 著/鬼 / 円地文子 著

『となりの宇宙人』はアパートの隣に宇宙船が不時着し、乗っていた宇宙人をアパートの住人がみんなで助けるという話。下町の人情譚とも言うべき作品であるが、こういう助け合いがいつ頃まであったのか。今の日本では作り話の中にしか出てこない。『冷たい仕事』は冷蔵庫の中の霜取りを喜んでやるというこれまた古い時代の家電の話。『むかしばなし』は老婆が学生たちに昔の犯罪を話し怯えさせる。『隠し芸の男』はこれまた昔の会社の宴会で、腹を出して顔を描き、踊りをやるという昔の映画に出てくる芸をする男の話。『少女架刑』は死んだ少女が自分の死体がどう扱われていくかを語るという類のない話。『あしたの夕刊』は昔の新聞の夕刊は明日の日付になっていたということから始まり、不条理な展開になる。『穴』は庭にごみを捨てるために穴を掘るという話。『誤訳』はある国の作家が国際的な賞を取り、その賞金を寄付すると当初言ったが、後に撤回する。その理由をふとしたことから推測する話。『考える人』は僧侶のミイラの話で、以前、宿で見たミイラを捜しまわる。『鬼』は女に祟りついている鬼の話。

2025年6月8日日曜日

悩まし女王 Copacabana 1947

アルフレッド・E・グリーン監督、米、92分。マルクス兄弟のうちグルーチョだけ出ている。グルーチョとブラジル人の女芸人は仕事がなく宿代も払えない。ニューヨークの有名ナイトクラブ「コパカバーナ」に売り込みに行く。

支配人は全く興味がなさそうである。女芸人に妖艶な衣装を着せ、支配人の前で踊らせる。支配人は歌手が必要だと言うので、同じ女芸人に今度はベールで顔を隠し、歌い手として登場させる。雇われることとなったが二人とも必要となり出番が次々と出てくる。女芸人はしょっちゅう服装を変え、てんてこ舞いになる。

人気が出て、ハリウッドから契約をしたい男が来て、グルーチョに約束した額の10倍以上を映画で稼ぐつもりだった。後からグルーチョは分かり激怒する。女芸人の忙しさの対策で、グルーチョは会話の中で一人を殺すと言う。これを聞いた女が殺人が行われたと思い警察に連絡する。一人がいなくなっていた中、警察が来てグルーチョを容疑者として詰問する。最後には女芸人の一人二役と分かり大団円で終わる。

頭木弘樹『絶望名人カフカの人生論』新潮文庫 平成26年

小説家カフカの書簡や雑録からカフカの人生観を集め、それを解説した本。カフカは如何に自分が生きていく上でだめな人間かをこれでもかと繰り返し語っている。自分に自信が持てない者でもこれほど自分を悪し様に言う例は多くないだろう。悲観的か気が弱いかと言ったら、自分のだめさ加減を率直に語っているわけだから、気が弱いとも思えない。冷静に自分自身を観察し、言葉に出している。これでかなり気が済んだという効果を本人にもたらしたのではないかと思われる。

例えば現在の日本では太宰治はまさに国民的作家と言っていいほど人気がある。昔はこれほどの人気はなかったと思う。太宰の小説は『人間失格』に典型的に言えるようにだめ人間を描いている。それが読者の共感を呼ぶのだろう。太宰とカフカの小説は全く異なる。それでもだめな自分を語るという点は共通している。前者は小説の中で、後者は書簡等で自分自身の事柄として。(新潮文庫、平成26年)

2025年5月31日土曜日

赤い天使 昭和41年

増村保造監督、大映、95分、白黒映画、若尾文子主演。相手の軍医は芦田伸介。日中戦争の最中、若尾は中国の陸軍病院に従軍看護婦として派遣される。最初の病院では患者の兵士たちに暴行される。後に前線の野戦病院に赴く。ここで自分を暴行した兵士の一人が瀕死の重傷を負っており、軍医の芦田に頼み輸血してもらうが、兵士は死ぬ。

街の病院に戻り、両腕をなくした兵士を世話する。外出に連れ出し、旅館で相手をしてやる。これに感激した兵士は病院に戻ってから投身自殺をする。軍医の芦田は多くの傷病兵を、ただ腕や脚などを切り落としているだけだと自己嫌悪に陥っている。若尾は励まし、夜の相手をする。

激戦地に芦田が赴任する。若尾は頼んで同行させてもらった。その場所では敵との戦闘だけでなく、コレラが流行り次々と兵士は倒れていく。翌朝援軍が来る予定の夜明けに敵との激戦があった。芦田も軍医ながら戦闘を指揮した。明け方、援軍が来る前に味方は全滅した。若尾は死体を調べていく。芦田の死体も見つかり号泣する。

禁じられた遊び Jeux interdits 1952

ルネ・クレマン監督、仏、87分、白黒映画。第二次世界大戦初期のフランス。避難する人々に独軍の機銃掃射が浴びてせられ、少女の両親及び愛玩の子犬が死ぬ。助けられた者に子犬を川に投げ捨てられる。また空襲があり、少女は川に浮いた子犬を追っていく。

死んだ犬を抱いていると少年に会い、犬の埋葬について教えられる。一人(一匹)では寂しい、他の死んだ動物も埋めようとなる。また十字架を墓に植えると知り、きれいな十字架が欲しくなる。少女は少年の一家の世話になる。きれいな十字架を少女が欲しがっているので、少年はあちこちから十字架を盗んでくる。事故で死んだ少年の兄の墓からも持ってくる。少年の父親はてっきり仲の悪い隣家が死んだ息子の十字架をを盗んだと思い込み、喧嘩になる。最後に少年が盗んだ犯人と分かる。父親は少年を問い詰めるので、少年は隠れる。

警察がやってくる。十字架泥棒を捕まえに来たと思ったが、実は孤児の少女を保護に来たのだった。少年は少女を失いたくないので、条件で十字架のありかを教えると親に言う。しかし少女は連れていかれ、少年は激怒し、隠してあった多くの十字架を川に投げ捨てる。少女は人で混んでいる施設に連れていかれ、待っている。少年と同じ名を呼ぶ声が聞こえたので、自分も少年の名を呼んで人混みの中に消える。

2025年5月29日木曜日

マジカル・ガール Magical girl 2014

カルロス・ベルムト監督、西、127分。この映画を勧めたいのは、あまり類のない展開をするのでそういう映画を見たい人。勧めないのは楽しい結末を期待する人。次にどういう展開をするのか、興味を持って見られる。映画にはパターン化した筋でおおよその見当がつく物が結構ある。全部説明されておらず観客の想像に任せるところがある。

12歳の少女がいる。日本のアニメか何かの魔法少女なるものの大ファンである。白血病にかかっており余命僅かである。その父親は文学の教師であるが今は失業中の身。母親は出てこない。不治の病に侵された娘を父親は溺愛している。娘は父親にとって魔法ガールなのである。娘のノートを見たら好きな魔法少女の衣装、コスチュームを欲しがっているようだ。インターネットで調べるとかなり高額である、という設定になっている。金の工面をしようにも失業中で本を売るくらいでは追いつかない。

別の登場人物が出てくる。精神科医の夫を持つ女。身体も心の方も病んでいる。薬のせいか吐き気を催し、窓から下に向かって嘔吐する。ちょうどその時、下の街路に父親がいた。なぜいたかというと、金がないのでショーウィンドウにある品物を盗もうとして、今割らんとするところだったから。父親は汚物を浴び、女は駆け降りて来て謝り、部屋で服を洗濯して乾かせと勧める。二人は話しているうちに、父親は女を抱こうとする。女は初めは拒否するが、最後は一夜を共にする。後になって父親は自分が寝た女に恐喝をする。金を出せ、さもないと寝たと旦那にばらすぞと。女は金を工面するため、友人に頼み売春を世話してもらう。恐喝で手に入れた金で父親は娘に魔法少女の衣装を買ってやり、プレゼントとして渡す。少女はもらってから衣装の周辺で何か捜している。父親はまたインターネットで調べる。実はこの魔法少女はバトンのような物を持っており、それは別売りでべらぼうに高い、という設定である。この高額商品を買うため、また父親は女に要求する。女はそんな金は出来ないと言うが、父親はまた恐喝し、女は危険を承知で危ない橋をまた渡る。

更に別の登場人物が出てくる。刑務所に服役している眼鏡の中年男である。どんな罪を犯したのか。明示的な説明はない。女と過去に関係があり、女を愛しているので罪を犯した。女を純潔な存在と思っており、そのために刑務所に長年入っていたのである。眼鏡男にとって女は魔法ガールだったのである。出所した眼鏡男のところにけがをした女が助けを求めてやってくる。女はあなたしか頼れる相手はいないと言う。眼鏡男は病院に入れた上、女の夫の精神科医に連絡してやる。やってきた夫は眼鏡男に感謝する。女と眼鏡男が二人きりになってから、女は夫は過去を知らないから、といい自分がこんな目に会ったわけを話す。加害者はあの父親であった。眼鏡男は酒場で父親と対峙し、女との関係をただす。父親は、関係を持ったのは相手もその気だった、和姦だったと言うと眼鏡男は驚く。その後、男を射殺し、関係者を皆殺しにする。恐喝のねたに使われた、二人が寝た際の録音が入っているスマートフォンも奪う。女の病室に行く。しかし録音は渡さない。勝手に理想化していた女への幻滅のせいか。


2025年5月27日火曜日

上野千鶴子、小倉千加子、富岡多恵子『男流文学論』 1989~1990

この鼎談で俎上にのせられている作家、作品は以下のとおり。

吉行淳之介『砂の上の植物群』『驟雨』『夕暮まで』/島尾敏雄 『死の棘』/谷崎潤一郎『卍』『痴人の愛』/小島信夫『抱擁家族』/村上春樹『ノルウェイの森』/三島由紀夫『鏡子の家』『仮面の告白』『禁色』

一体この鼎談の意図は何か。どういう基準でこれらの作家、作品を取り上げたのか。あとがきで上野千鶴子が次のように言っている。これはフェミニズム批評の一つである。フェミニズム批評は一つには不当に忘れられた女性作家の発掘、他は不当に高く評価された男の作家の再検討がある。本書は後者の一つの試みである。二流、三流の作家の作品でなく、論じる値打ちのある作家だけを取り上げたいと思った、とある。上野と小倉はフェミニストだからそれでいいが、自ら作家でもある富岡は文学が時代の流れに追いついておらず、文学の内輪で評価が行われている。それへの疑問があったという。

具体的な批評の実際は読んでもらうしかない。しかし極めて男にとって面白い読み物であるのは確かである。いわば女の見方の一例が分かるから。どんなところに目をつけ、どう解釈するのか。

惜しむらくはこの鼎談自体がもう40年近く前で、取り上げられている作品も今でも読まれ、評価されているのかと思う物がある。『抱擁家族』なぞあまりに男の主人公がおかし過ぎて途中で読む気が失せた。女から見れば男はたいていおかしくて、また作品を批判するのが目的だから、おかしければ好都合なのだろう。名は昔から知っている『砂の上の植物群』も初めて読んだのだが、何しろ70年も前の作品で、ここに書かれている男女の関係などあまりに過去の話になっている。もっと新しい作品を対象にして、新しい鼎談等をしてもらいたいものだ。(筑摩書房、1992年)


2025年5月23日金曜日

ウィッカーマン The wicker man 1973

ロビン・ハーディ監督、英、88分。スコットランド西にある孤島に警官が水上飛行機でやってくる。この島で少女が行方不明になったと連絡がきた。その捜索だと言って写真を見せるが島民は誰もその少女を知らないと言う。

この島ではキリスト教でなく、古代の原始宗教が信じられている。警官はキリスト教徒でこの島の宗教や慣行を非難する。領主に会いに行く。行方不明で島民が知らぬ存ぜぬと言っている少女の墓が見つかったので、発掘の許可をもらう。墓を掘ったら棺桶の中には兎の死骸があっただけだった。警官は各家庭に乗り込み、捜索を続けるが見つからない。五月祭がある。水上飛行機が故障してこの島に留まらざるを得ない。

警官は五月祭の仮装の人物になりすまし、祭りに参加した。生贄として行方不明になっていた少女が現れる。警官は少女を保護しようと、一緒に逃げる。しかし少女が連れて来た所には領主を初め、島民がいた。実は生贄は少女でなく、警官だったのである。これまでそのための芝居を島を挙げてしてきたのである。警官は木を集めて作った巨大な人形に入れられ、人形ごと火炙りに処せられる。

吉行淳之介『驟雨』 昭和29年

主人公は大学を出て3年目の、サラリーマンをしている独身男。女との付き合いは、遊戯の段階からはみ出るようなものにしたくないと考えている。それで赤線街に行って女を買ってきた。ある女との付き合いが始まる。何回か会う。小説の最後では、女に会いに行ったら先客がいた。近くの飲み屋にいるうちに嫉妬を覚えた。

まだ赤線禁止法の前の時代、朝鮮動乱の終わった明くる年という時代である。これで吉行は芥川賞をとったそうである。

吉行淳之介『砂の上の植物群』 昭和38年

主人公の30代半ばの男は定時制高校の教師をしていたが、教え子と噂を立てられ、学校を辞める。化粧品のセールスマンになる。ある日、口紅を塗った女高生と関係を持つ。女高生から頼まれる。自分の姉を誘い、ひどい目に会わせてほしいと。妹に説教しているのに自分は男と会っていて不快だと言う。

その姉はバーに勤めていた。会い、親しくなり関係を持つ。頼まれ縄で縛ったりする。その現場に妹を連れてくる。姉妹とも驚く。主人公は知り合いの床屋から自分の父親が生ませた女子がいると聞かされる。名前があのバーに勤める姉と同じだ。主人公はもしかして腹違いの妹と関係したのかと恐れる。後に、そうでないと知る。

2025年5月22日木曜日

筒井康隆『モナドの領域』 平成27年

片腕だけが河川敷で見つかる。後に別の場所で片脚が見つかる。警察はバラバラ事件として調べる。あるパン屋に話は移る。そこで働いている美大生の男女が外国旅行で、やや長期の休暇を取りたいと言い出す。代わりの男が同じ美大にいて店に紹介する。パン作りをやらせてみるとうまい。片腕の形をしたパンを焼く。本物そっくりである。話題になり売れる。

その店に通う美大の教授がいる。ある日、それまでと感じが全く異なり、予言者めいた言辞を吐くようになる。知らない筈の他人について事実を述べ、それらが悉く当たる、真実と分かる。評判になり、予言を聞こうと公園に大勢集まる。美大の女学生が教授の助手となる。腕の形をしたパンとの関係で、警察もパン店に来ていた教授の様子を見に来る。教授は集まったうちのある若い男に触ると、男は数メートル飛ばされる。若い男は教授を利用し儲けを企んでいた。教授は暴行罪容疑で逮捕される。教授は自らを神(GOD)と呼ぶ。裁判になって検察側は精神病を装った詐欺として告発する。教授は全く動じない。判決は執行猶予付きだった。

最後の方で教授は刑事に告白する。自分は神で、初めはパン作りの美大生、次いで教授に乗り移ったと言う。別の宇宙からこの宇宙でのほつれを直すために来たと。それが片腕や片脚だった。神がどういうものか刑事に哲学的説明をする。役割は終わったので、会ったみんなの記憶を消して終わる。(新潮文庫、令和5年)

2025年5月17日土曜日

明治大帝と乃木将軍 昭和34年

小森白監督、新東宝、104分。乃木将軍を主人公にした映画。以前の『明治天皇と日露大戦争』のフィルムは戦闘場面などで使い回ししているが、乃木将軍については新しい場面が当然ある。まず西南戦争時に乃木が指揮する部隊で連隊旗を奪われ、乃木が自害しようとするところ。友人の諌めで止める。また203高地の攻撃で成果が上がらず、乃木更迭論が出るが、明治天皇はそれを許さなかったとの挿話。最後に明治天皇が崩御し、乃木夫妻が自害する直前までの場面がある。 

2025年5月16日金曜日

筒井康隆『読書の極意と掟』 2011

書名を見ると読書の仕方、読み方の手ほどきでも書いてあるかと思うだろうが、内容は著者の読書遍歴である。つまりその時々で読んだ本の解説を主にした自伝のようなものである。

全体は「幼少年期」「演劇青年時代」「デビュー前夜」「作家になる」「新たなる飛躍」と五部に分かれ、夫々の時期に読んだ本が2ページから3ページで紹介されている。著者の精神的成長が分かるだけでなく、それ以上に紹介されている本が興味深いものが多く、読書欲をそそる。中には今では古くて絶版になり、参照がむずかしい本もある。(講談社文庫、2018)

サラブレッド Thoroughbreds 2017

コリー・フィンリー監督、米、92分。二人の少女の物語。久しぶりに幼馴染の少女は出会う。一人はひどく冷静というか感情があまりないのではないかと思える。以前、怪我をした馬を撃ち殺す役目をかって出た。もう一人は感情を隠し、良く見えるよう振舞おうとしている。冷徹な友からその内部を見透かされている。

感情を隠している子は義父(継父)がいてひどく嫌っている。義父は自分を邪魔者扱いしている、憎んでいると思っている。もう一人に義父への嫌悪を打ち明けると、冷徹な友は殺せばいいと言う。そのために街のチンピラを雇ったが、チンピラは結局何もしなかった。

後になって薬を冷徹な友に飲ませ、その間に義父を殺し、罪は友にかぶせようと一人が計画する。実際に友が薬を飲んでしまうと、もう一人は起こそうとする、薬が入っているのだと教えて。友は聞いても何も言わずせず眠りにつく。その間、もう一人が義父を殺し、血だらけで戻ってきて寝ている友に寄り添う。それから後の話。殺人容疑で冷徹な友は施設送りになり、もう一人は街で今は普通に仕事をしているチンピラに会う。

2025年5月12日月曜日

花嫁吸血魔 昭和35年

並木鏡太郎監督、新東宝、80分、白黒映画、池内淳子主演。池内はダンスの学校に通っている。ある監督の目に留まり、映画の主演に抜擢される。しかしその主役をする予定だった女、池内に恋人が心を移された女など3人は池内をひどく憎む。ピクニックに行った際、池内を後ろから押して転落させ、顔にひどい傷を負わせる。

池内は母親との家庭で、借金取りに追われ池内の映画の出演に期待していたが、映画主演が無理になり、借金のかたに家中の物を持っていかれる。病院を抜け出した池内は帰宅すると、家は空っぽで母親は自殺していた。母の遺書に従い、山中に住む一族である老婆を訪ねる。その老婆によって池内は自分が突き落とされたと知る。

老婆は妖術で池内の顔の傷は治すが、容貌魁偉の化け物に変身させる。池内は新人のスターとして新しい名前でデビューする。犯人の女らは池内に似ているので驚く。この後、池内は化け物として自分を落とした女たちに復讐していく。ただ最後の時に猟銃で撃たれ、何とか逃げるが池に倒れ元の顔に戻って死ぬ。それを池内の元恋人は見ていた。

2025年5月11日日曜日

シェイクスピア『タイタス・アンドロニカス』 Titus Andronicus 1590頃

古代ローマが舞台、敵のゴートを倒した将軍、タイタス・アンドロニカスの凱旋から始まる。タイタスの娘を次期皇帝が皇后にする気でいたが、皇帝の弟が自分の恋人だと言って嫁にすべく横取りする。それで皇帝はゴートの女王を妻にする。女王の息子の一人はタイタスにより処刑された。これを女王は深く恨み、タイタス一族への復讐を誓い、これが以降の悲劇を生む。

タイタスは皇帝のためなら我が子をも手にかける。女王の二人の息子は皇帝の弟を殺し、タイタスの娘に暴行を働いた上、両手を切断し、舌も切って話せないようにする。皇帝の弟殺しは、タイタスの息子たちの仕業と見せかける。このため息子たちは処刑される。劇は終わり近くになると、タイタスを含め主要人物が次々と殺される。あまりにあっけなく、復讐で殺される連鎖になる。(松岡和子訳、ちくま文庫、2004年)

ラ・ポワント・クールト La Pointe Courte 1955

アニエス・ヴァルダ監督、仏、80分、白黒映画。寂れた漁村が舞台。ある一家に検査員二人がやってくる。違法の漁をしていないかという調べなのだが、主人は怒って追い返してしまうところから映画は始まる。

この漁村の出身の男が数日前から久しぶりに帰っていた。その妻が後からやってくる。パリの女である。男たちは珍しそうに女を眺める。男と女は4年前から夫婦なのだが、倦怠期に陥っている。女は男に離婚すべきかどうかの相談に来たのである。漁村を背景として男と女の哲学的な会話が続く。船に乗って槍で相手側を倒す競技があって夫婦で観ている。背景は街である。漁村から来たのであろう。長々と会話し、結果的には離婚しそうもないように見える。祭りが最後の場面でダンスを村の人々が盛大にやる。

2025年5月10日土曜日

セプルベダ『カモメに飛ぶことを教えた猫』 1996

鴎の一群のうち一羽が海に降りると、原油で海面が覆われ、鴎は体じゅう油でべとべとになる。飛ぼうと思っても油で重くなり、翼を羽ばたかせるのに苦労する。ようやくのこと飛ぶが、力尽きて地面に降りる。

そこに黒猫のゾルバがいて、鴎はゾルバに頼む。卵を産むが自分はもう死ぬ。卵から孵る雛の面倒をみてほしい、飛ぶことを教えて欲しい。こうして鴎は死ぬ。ゾルバは孵った鴎の雛をみんなと一緒に育ててやり、後に飛べるよう励まし、それを叶える。

著者のルイス・セプルベダはチリに1949年に生まれる。クーデターがあり、ドイツのハンブルクに移り住む。この童話も舞台がハンブルクである。(河野万里子訳、白水Uブックス、2019年)

シェイクスピア『アテネのタイモン』 The life of Timon of Athens

執筆年代ははっきりせず17世紀初頭か。主人公であるアテネのタイモンは金持ちで友人知人を宴会に招き、大盤振る舞いをしていた。困った者があれば助けてやり、ともかくみんなのために散財尽くした。

その結果、当然ながら貯金、資産は底をつき、タイモンは文無しになる。金が必要なので、かつて自分が援助した、助けてやった者たちに援助を頼むが、誰一人としてタイモンに手を差し伸べない。タイモンは怒り狂い、人の勝手さ、非情さを呪う。また宴会を催すと言うと知人友人らはやって来る。しかしタイモンは石を投げつけるだけである。人里離れ、隠者のような暮らしの末、タイモンは死ぬ。有名な武人、アルキビアデスもタイモンの友人として登場する。やはりアテネに裏切られた人間としてタイモン側ではある(河合祥一郎訳、角川文庫、令和元年)

2025年5月7日水曜日

隆慶一郎『𠮷原御免状』 昭和59年

主人公は松永誠一郎という、熊本の山中で宮本武蔵の教えを受けたという若者。江戸、吉原に来たのは師からの遺言である。そこで知り合った人々。吉原に本拠をおく侍軍団がいる。柳生家とは敵同士の仲だった。素敵な遊女との出会いがある。

ともかく主人公、誠一郎はスーパーマンのような剣の使い手に留まらない。人間として、男として全く完璧なのである。およそ邪念など微塵もない純粋な心の持ち主である。あまりに理想的に主人公が描かれているので、正直呆れてしまった。これほど理想的な主人公は今まで知らない。

強いて言えば昔読んだ『風と共に去りぬ』のレット・バトラーがものすごく男として魅力的に描かれていたので、心に残った。この小説の主人公、誠一郎はあまりに理想的な男なので、絵空事感を強く感じてしまい、途中で読む気が失せた。

2025年5月6日火曜日

十代 恵子の場合 昭和54年

内藤誠監督、東映、80分、森下愛子主演。森下は高校2年で受験勉強をしている。父親が家を顧みず、家庭内の雰囲気は良くない。誘われて喫茶店に出入りし、そこの不良生徒と知り合いになる。

ある日暴力団が森下に乱暴を働こうとした時、その兄貴分に助けられる。森下はその兄貴と付き合うようになる。兄貴分の元からの恋人から乱暴される。後に兄貴から迫られ関係を持つ。兄貴が森下を連れていると、兄貴のそのまた兄貴に当たる者から目を付けられ、森下は乱暴される。森下は妊娠する。病院で堕ろす。兄貴はそのまた兄貴を切り付け、組から逃げるため、森下を連れて田舎に行く。森下の実家ではやくざが来て隣近所に聞こえがしに怒鳴りつける。森下は逃げた先の田舎でトルコに勤める。また兄貴から薬を注射される。兄貴は一旦東京に帰るが、その際に組の者に殺される。

田舎で待っていた森下は、薬で倒れ、たまたま東京の時に知り合った若い男が居合わせ、助けてもらい薬の治療を受ける。何日かして目が覚め、助けられたと知るが、兄貴が東京で刺されたという新聞記事を目にし、気を失う。後に定時制の高校に復帰したと出て、それで幕。

2025年5月4日日曜日

ラブクラフト『インスマスの影』 The shadow over Innsmouth 1936

語り手は興味本位に、かつて栄えたが今は寂れている町、インスマスに気味の悪いバスで行く。町は多くの建物が廃屋であるようだが、人が住んでいる場所もある。それにしても人影を見ない。見かけるのは奇妙な顔つきの連中である。

古い事情を知っているという酒飲みの老人に酒を振る舞い、聞き出そうとする。昔船長がいて、海に住む住人と契約を交わした。次第に陸の人間も形が変わってくる。老人の話はまともと思えなかったが、この町は確かに異常である。夕方のバスで帰ろうとすると故障で明日にならなければ出ないと言われる。しかたなくホテルにもう一泊する。

夜中に物音が聞こえてくる。何者かが部屋に入ってこようとするのである。語り手は窓から逃げ、どうしたらこの町から出られるか考える。ここの住人たちが語り手を捕えようとしているのである。工夫してからくも逃れる。のちになって語り手は自分があの船長の子孫にあたると知る。

2025年5月3日土曜日

けものみち 昭和40年

須川栄三監督、東宝、140分、白黒映画、池内淳子主演。松本清張の小説の映画化である。

池内は料亭の女中をしていたが、池部良から誘われ、別の仕事をするようになる。その前に病気で寝ている夫が邪魔なので、火事を起こし死なせる。池部の紹介による仕事とは、寝たきりになっている、政治家に多大な影響を及ぼす老人(小沢栄太郎)の世話であった。小林桂樹扮する刑事は池内の夫の死に疑問を抱いている。池内の仕業ではないかと疑う。池内は小沢の庇護のもと、池部を慕っている。小林は池内が関係している小沢についても探ろうとする。しかし小林は小沢側からの手回しで警察を首になる。なおも調べようとしたので、闇に葬り去られる。

小沢が死んだ。これで勢力関係は一変する。池内は何もないまま放り出された格好になる。池部についていくが、風呂に入っているとガソリンをかけられ火あぶりで殺される。

2025年5月2日金曜日

過去のない男 Mies vailla menneisyyttä 2002

アキ・カウリスマキ監督、芬蘭、97分。溶接工をしていた男はならず者たちに殴られ、記憶を失ってしまう。貧しいが親切な一家に助けられる。職安に行っても自分の名前すら思い出せないので相手にされない。救世軍の仕事をするようになる。そこの女と相思の仲になる。

手先が器用な男は捨てられていたジュークボックスを直す。救世軍のバンドにジュークボックスの音楽を聞かせ、色んな音楽を演奏できるようにさせる。これで救世軍バンドは広く聴衆を集め、男はその管理者となる。銀行に行って口座を開こうとした時、銃を持った男が来て銀行から大金を出させる。行員と男は金庫室に閉じ込められる。後に助けられ、話題になる。あの銀行強盗が男をつけて会い、事情を話す。会社の経営をしていたが銀行に口座を差し押さえられ、取り戻しに行ったのだと。元の従業員に払う給料を代わりに渡してくれと男に頼む。男はそれを果たす。

男が巻き込まれた銀行強盗が新聞記事になり、それを読んだ実の妻から連絡がある。そこに戻る。夫婦仲は悪かったと分かる。離婚届が認められたと男に話す。元妻は好きな男と暮らしていた。元妻と男に別れを告げ、元の場所に戻る。救世軍の女と再会する。

尺には尺を Measure for measure 17世紀初頭

ウィーンの大公は自分が留守の間、町の支配を代理に任せる。代理は他人に恐ろしく厳格で、結婚予定の男女に子供が出来たというので、男を法令に従い死刑に処すつもりでいる。男の妹イザベラは何とかして兄を助けようと大公を説得する。大公は聞かないが、イザベラの容色に魅せられる。秘密裡に大公と関係を持てば、兄の赦免は可能という。

大公は実は代理を試すため、陰から町の実情を見ていた。大公は以前、代理と結婚する予定だったのに捨てられた女を、イザベラの代わりに代理と密会させる。代理は自分が秘密に女と関係したのに、まだ兄を処刑する気でいる。最後に大公が現れ、代理はかつての女と結婚させ、自分はイザベラと結婚すると宣言する。

以前は喜劇に分類されていたが、今は単純な喜劇でないとして問題劇に分類されているそうだ。(松岡和子訳、ちくま文庫、2016)

真夜中の虹 Ariel 1988

アキ・カウリスマキ監督、芬蘭、73分。炭鉱労働者だった主人公は閉山の憂き目にあい、父親からオープンカーのアメリカン・フルサイズカーをもらう。預金を下ろして別の町に向かう。

数人の男の殴られ、金を取られる。助けてくれた母子と仲良くなり母親とは相思の仲になる。あの強盗の一人を見つけ、やっつけていると、警察に捕まる。牢屋に入れられる。母親の差し入れの中に金属切があってそれを使い、同房の者と逃げる。偽造旅券の入手で同房の者は殺される。主人公は母子と共に船に乗り込み外国を目指す。

2025年4月30日水曜日

街のあかり Laitakaupungin valot 2006

アキ・カウリスマキ監督、芬蘭、78分。主人公の警備員に、若い女が近づいてくる。女をデートに誘う。女は実は警備員から宝石店その他の、鍵や暗証番号を盗み出すため、命令されていた。

盗難が発生し、警備員は逮捕される。女については何も言わない。服役する。警備員を慕っている売店の女は手紙を出したりするが、警備員は全く関心がない。出所してからレストランで皿洗いの仕事をする。その店にあの女がボスとやって来る。警備員も気づく。ボスは店にあの男は前科者だと言って首にさせる。後にボスや女が車に乗ろうとしていた時、刺そうとするが用心棒にやられてぼこぼこにされる。売店の女が助けに行く。ここでは死なないと警備員は呟く。

2025年4月28日月曜日

ひろしま 昭和28年

関川秀雄監督、日教組プロ、104分、白黒映画。広島への原爆投下を扱った映画。原作は新藤兼人監督の映画『原爆の子』と同じ本である。新藤作品がドラマになっているので、記録映画風に作られたのが本映画。

初めは映画製作当時の広島の学校から始まる。原爆症で入院している級友がいる。教師の岡田英次が原爆を経験した子は手を挙げてと生徒たちに言い、原爆症について話し合う。映画は原爆投下当時に戻る。原爆による被害状況が映し出される。直後の広島の惨状を映し出した映画は少ない。山田五十鈴演じる母親は子供たちを心配しながら死ぬ。月丘夢路演じる学校の教師は生徒たちと逃げるが川で倒れる。子供たちを捜す父親は原爆症にかかり寝込む。子供二人が以前のうちに戻って来たところを知り合いの婦人に連れられ、病院の父親に会いに行く。父親は死んでいた。それを見て妹は父親じゃないと叫び逃げ出す。兄は妹を捜すが見つからない。

戦後になる。戦災孤児たちが土産物を売っている。あの兄が成長して、子供たちにもっと売れる品物があると言って、島に連れていく。下を掘ると多くの白骨が出て来た。空襲の死者たちである。その頭蓋骨を売ろうしていたので、警察署で取り調べを受ける。岡田扮する先生が来る。岡田は元生徒にどうしたと聞く。もう工場はやめたと答える。なぜかというと工場が銃弾を作り出したからだと。また戦争が始まるのかと岡田に尋ねる。映画の最後は広島の平和公園の方へ、多数の人々が道一杯になって行くところを俯瞰撮影した映像である。

2025年4月27日日曜日

バービー Barbie 2023

グレタ・ガーウィグ監督、米、114分、マーゴット・ロビー主演。人形のバービーたちが住む国でバービーは身体の調子が悪くなり、原因を突き止めに、現実の世界へ恋人のケンと共に行く。

そこで自分のバービー人形を持っていた今は母親となっている女とその娘に会う。両者をバービーの国に連れてゆく。またケンは現実世界で男が権力を持っているので、バービーの国も男主導の国に変えようとする。この企みは成功しそうになる。バービーは他のバービーらと協力して、食い止める。その後、バービー人形の生みの親である老婦人の霊に頼み、自分も人形でなく、本物の人間になることを望み、叶える。

2025年4月26日土曜日

ラヴィ・ド・ボエーム La vie de boheme 1992

アキ・カウリスマキ監督、芬蘭、103分、白黒映画、仏語。プッチーニの歌劇で有名な『ラ・ボエーム』であるが、原作であるミュルジェールの作品を基にしており、歌劇とは筋にずれがある。

作家のマルセル、画家のロドルフォ、作曲家のショナールの出会いがある。アルバニア人であるロドルフォはミミと出会う。ロドルフォは肖像画を書いてほしい金持ちと会って、儲ける。出来た金でミミを食事に誘う。財布をすられ、警察に通報される。パスポートが切れており、アルバニアへの送還となる。数年後、フランスに友人らの助けで戻ってきたが、ミミには新しい恋人が出来ていた。ミミはロドルフォに会い、彼の元に戻ってくる。しかし金がない。生活できず別れざるを得ない。最後に再びロドルフォと会うが、病を得ていた。入院するが最後には死ぬ。死後、ロドルフォが病院を去っていく場面で、日本語による「雪の降る街を」が流れる。

2025年4月24日木曜日

ハムレット・ゴーズ・ビジネス Hamlet liikemaailmassa 1987

アキ・カウリスマキ監督、芬蘭、86分、白黒映画。シェイクスピアの『ハムレット』を基にして、現代の話にしている。自由にハムレットから取っており、『ハムレット』そのままの筋ではない。

社長が毒殺される。後を継いだ弟が今までの事業をやめて新規事業を起こそうとするが、死んだ社長の息子ハムレットは許さない。母親が叔父とぐるになっていると思い、父親殺害を思わせる劇を見せる。会社員の一人が戸棚に隠れていて銃で撃ち殺してしまう。その娘のオフィーリアはハムレットと相思の仲だったが、風呂で水死自殺をする。ハムレットを殺すつもりの毒薬を母親が誤って飲み、死ぬ。ハムレットは叔父を殺すが、自分も運転手が図った毒を飲んで死ぬ。運転手は恋人と一緒に逃げる。

2025年4月23日水曜日

クラース『なぜ悪人が上に立つのか』 Corruptible 2021

著者は米生まれ、英の大学で教鞭をとる政治学者。「絶対権力は絶対的に腐敗する」という命題は本当か。悪人が権力につきやすいのか。誰でも権力の座に座ると腐敗するのか。これらを数多くの事例でもって検討していく。

権力を持つと腐敗の方向に進むのは確かのようだ。どうやって良くない者を権力につかせないようにすべきか。清廉な人に権力を発揮してもらう。権力を持った者に対して監視を怠らないようにすべきである。普通は権力者が一般人を監視しているが、逆に権力者こそ監視の対象にすべきである。(柴田裕之訳、東洋経済新報社、2024)

2025年4月22日火曜日

白い花びら Juha 1999

カウリスマキ監督、芬蘭、78分、白黒映画、無声(会話の部分)、音楽などは発声。田舎に住むユハとマルヤの夫婦。

偶然やって来た男の車が故障し、修理のためユハの家に一晩泊まる。男はマルヤを口説く。一旦帰るがまた来る。再度マルヤに都会に行こうと説得する。マルヤは夫が寝ている隙に書置きを残し、男と去る。都会に着く。男はマルヤに男相手の商売をさせるつもりだった。驚くマルヤ、反抗し、男にぶたれる。マルヤは逃げ出す。駅で倒れる。妊娠していたのだ。ユハはマルヤがいなくなってから放心状態になる。最後にマルヤを捜しに行く。赤ん坊を抱いたマルヤを見つける。あの奪った男のところに行き、斧で襲い掛かる。男は銃を撃つ。それでも男を追い詰め倒す。ユハはマルヤと赤ん坊を列車に乗せる。一人立っているユハは銃の傷で倒れる。

2025年4月20日日曜日

ハンニバル・ライジング Hannibal rising 2007

ピーター・ウェーバー監督、米仏英、121分。『羊たちの沈黙』などで名高いレクター博士の生い立ちを描く。スター・ウォーズで言えば第1作、幽霊の脅威にあたる映画。

ハンニバル・レクターの幼少期、第二次世界大戦中で、独軍が襲ってくるので家族共々、別荘に逃げる。そこにやってきた軍隊同士の戦いで両親は死に、幼い妹とレクターは別荘に隠れて住む。独軍がやって来る。別荘は占領される。寒くなり食う物がない。軍人たちは兄妹に目をつけ、妹は軍人の餌食になる。後にソ連軍が来てレクターはソ連に連れていかれる。成長しソ連から逃げ出し、叔父がいるフランスに逃げる。城館に着くと既に叔父は死んでおり、その日本人の妻が世話をしてくれる。レクターは医学校に入る。自分の妹の復讐をしていく。

2025年4月19日土曜日

ラヴクラフト『ダンウィッチの怪』 The Dunwich horror 1929

マサチューセッツ州の田舎の村、ダンウィッチで起きた恐怖の物語。ある家で男の子が生まれる。成長が恐ろしく早い。身体も極めて大きくなる。父親と二人で家を閉じ、何やらやっているらしい。大学に行って古文書を見て研究してくる。

やがて村に悲劇の騒動が起きる。見えない怪物が家や人々を倒していく。大学から三人の博士が来た。その見えない怪物を粉をかけて可視化した。それを望遠鏡で見ていた村人は恐ろしさのあまり気絶せんばかりになる。怪物は博士らが倒した。一体、何であったか。この世に存在しない太古の怪物を件の家の親子が呼び出したのだと。(南條竹則訳、新潮文庫、令和元年)

2025年4月18日金曜日

猪口邦子『くにこism』西村書店 2007

国際政治学者で政治家でもある猪口邦子の自伝といってよい。まず国際政治学者になるまでの経緯がある。小学生の時、父親の赴任に伴いブラジルに行った。そこでアメリカン・スクールに通った。帰国後、桜陰学院に入り中学校の時、アメリカの高校に行った。帰国後、また学校に行かなければならなくなった。高校途中までで、受け入れてくれる上智大学外国語学部の独語科に入った。大学に入るまで外国で長く生活したわけである。

大学で国際政治を勉強しているうちに外国の大学院に留学の機会が訪れた。エール大学の大学院に行き、博士号を取得した。エール大学に行く前に夫となる猪口孝に会い、結婚した。戻ってから上智の教師になった。学者を続けているうちに、ジュネーブにある軍縮会議の日本政府全権大使になる話が持ち上がる。大使として活躍した。帰国後は内閣府の少子化・男女共同参画担当の大臣になる。ともかくこの本が出た時点まで著者は学者として、大使として、大臣として大活躍してきたわけである。これほどの活躍してきた女性は珍しかろう。

百田尚樹『至高の音楽』PHP新書 2016

小説家の百田尚樹が好んで聴いているクラシック音楽とその代表的な演奏を紹介した本。全部で25曲挙げている。更にその曲について著者が好んでいる、評価しているCDを数枚挙げている。取り上げられた曲は有名なものばかりである。

初心者を対象としているため、大部分が広い意味での管弦楽曲であるが、その他、ピアノ独奏が5曲、1曲挙げられている曲は、ヴァイオリン独奏、室内楽曲、歌曲、オペラである。好んで聴いている演奏で第一に挙げられているのは、実にスタンダードな、正直言って半世紀前、LPレコード時代からの定盤ばかりで驚く。もちろんその他数枚の名盤も書いてあるので、自分などは初めて知った演奏もある。確かにこれからクラシック音楽に親しもうとしている者には良い手引きになると思われる。

2025年4月17日木曜日

佐野洋子『100万回生きたねこ』講談社 1977

絵本である。生まれて初めて絵本を読んだ。大きい本で横書きである。見開きページの左側に文字、右側に絵が色付き(カラー)という作り。絵を描いているのも作者である。

書名のように百万回生きて、同じように百万回死んだという猫の話である。色んな人に飼われた。王様、船乗り、手品師、泥棒、お婆さん、女の子に飼われた。死ぬたびに飼い主は悲しんだ。猫は野良猫になった。猫のボスになった。白い雌猫を好きになった。一緒になり子供を沢山持った。雌猫は年を取り死んだ。猫は泣いた。後に猫も死んだ。二度と生き返らなかった。

2025年4月15日火曜日

トロイのヘレン Helen of Troy 1955

ロバート・ワイズ監督、米、118分、総天然色。ヘレン役はロッサナ・ポデスタ。ホメーロスの叙事詩に残されているトロイ戦争を、ギリシャ側でなくトロイ側から描く。主人公はヘレンの他、パリスである。

柔軟に脚色している。パリスの審判などなく、王子パリスはトロイからギリシャへ平和の使者として赴く。そこで美貌の王妃のヘレンが虐げられていると知り、ヘレンに同情を越して愛情を抱く。ヘレンもギリシャ側がパリスを亡き者にしようと企んでいるので、パリスを逃がす。相思の仲になっている二人は、ギリシャの兵士から逃げるため海に飛び込む。ヘレンは二人でどこかの島に逃げようと言うが、パリスはトロイの王子なので祖国に帰ると言い、ヘレンも従う。ヘレンはトロイで初めは歓迎されたが、ギリシャ軍がヘレンを奪い返しに襲ってきたので立場がなくなる。

戦闘が始まり難攻不落のトロイはなかなかおちない。アキレウスとヘクトルの闘いがある。トロイ側も多くの犠牲を出し、ヘレンは自分がギリシャに帰ると言い出す。しかしギリシャはヘレンを迎えてもトロイの財宝を奪うつもりだった。パリスはヘレンを奪い返し城に戻る。オデュッセウスの企みでトロイの木馬が作られ、これでトロイの城は陥落する。ヘレンは自害しパリスも後を追う。

モラレス『徳島の盆踊り』 1916

著者のモラレスはポルトガル人で1854年の生まれ、軍人としてアフリカ、マカオに赴任した。1898年に帰国命令が出た時、断って日本に赴いた。1929年に死ぬまで日本にいた。まず最初は神戸で、後徳島に移り住んだ。その徳島での随想が本書である。

まず日本の古典的随筆、枕草子だの、方丈記だの徒然草などを紹介し、日本人の物の見方、感じ方を説明する。続いて日本の生活の実際、これは現在の我々にとってももはや知らない事情なので興味深い。続いて死生観があり、当時の徳島で自分が住んで来た経験から様々な考察をする。書名となっている盆踊りは阿波踊りだろうが、これについてだけ詳しく話しているわけでない。あくまで一つの話題である。

近代初期の日本に住んだ西洋人としては小泉八雲が圧倒的に有名だが、このようなポルトガル人で日本を気に入り永住した者がいると今回初めて知った次第である。(講談社学術文庫、岡村多希子訳、1998年)

2025年4月14日月曜日

山田風太郎『甲賀忍法帖』 昭和33年

山田風太郎の忍法帖シリーズの第1巻である。甲賀、伊賀の忍者たちが死闘を尽くす。

徳川幕府三代目を竹千代にするか、国千代にするか徳川家康は迷う。休戦状態になっている甲賀、伊賀の忍者を戦わせる。二人の孫を夫々の忍者側に決めて、勝った方の忍者に決めてある孫を将軍にする。十人ずつ選び名を記す。忍者同士が闘い、相手を滅ぼし尽くした方の勝ちである。特に甲賀の頭領格の男と伊賀の主の孫娘は相思の仲で結婚する予定であった。それが甲賀伊賀の闘いが始まり敵味方になってしまった。

忍者たちは超人的な秘術を尽くし戦い合う。超能力とも言うべき非現実な能力、身体を持った忍者たちである。超能力の持ち主である忍者たちが次々と相手を倒していく。後の漫画その他の見本になった作品である。(角川文庫、平成22年)

2025年4月12日土曜日

ちくま日本文学全集『中野好夫集』筑摩書房 1993

英文学者、評論家の中野好(1903~1985)の文集。内容は以下の通り。

人間の死にかたより 「ガリヴァー」の作者の死 親鸞、その晩年と死/世界史の12の出来事より  血の決算報告書、狂信と殉教/ルネサンス人シェイクスピア/遺書について/川路聖謨/最後の沖縄県知事/蘆花徳冨健次郎 第3部より 謀叛論/悪人礼賛/私の信条/わたしの文章心得/歴史に学ぶ/現代の危機と終末観/マーク・トウェインの戦争批判/主人公のいない自伝 抄

硬派の評論集である。「人間の死に方」で取り上げているスウィフトにしても親鸞にしても歴史に名を遺す偉人である。しかしながらその晩年はかなり無残な生き方を余儀なくされた。現在までの医術の進歩や社会の改善によって今なら普通人でもまともな老年を送れるはずである。著者はいわゆる進歩派に近い文化人であるが、歴史や社会に対する議論については、やはり戦後それほど経っておらず、戦争や戦前の体験が身近な時代であったため、強い問題意識を持って進めている。現在のように終戦後80年も経ってしまうと他人事的な傍観者的な議論になるものになりやすい。本書はまだ戦後がそれほど昔のことでない時期の空気が読み取れる。

2025年4月5日土曜日

松岡圭祐『小説家になって億を稼ごう』新潮新書 2021

著者は小説家である。知らなかった。Amazonで調べたら自分の読む範囲とは全く異なる本を書く人だった。

書名は極めて刺激的である。これはもちろん売るためである。もし書名が「小説家になって稼ごう」だったら売れるにしてもそれほどでなかろう。実際「億を稼ごう」としたため、どれくらい多く売れたか想像もつかない。これは本というのは書名が極めて重要だと教えているのである。

もし自分の指導を受ければ必ず、オリンピックで金メダルを取れるようになります、とスポーツのトレーナーが言っても額面通りに受け取らないだろう。小説家の志望者はそう受け取るらしい。人気がある芸能人でも小説家でも、こうすれば必ずなれます、という秘訣は「原理的に存在しない」。なぜならそんな方法があれば、誰でも実行し他人と違わなくなるから。もう少し小説等の創作について言えば、モームが言っているように(『世界の十大小説』下、岩波文庫、1997、p.224あたり)、小説を書くには霊感と、組み立てる能力が必要である。うまく組み立てる、磨き上げ、読者を納得させ感動させる物語にする。これらは訓練や経験でものにできるかもしれない。当然だが、教えられることしか教えられないのである。霊感は教えられない。ここに書いてある「想造」といったように霊感を引き出す手助けくらいである。先ほどのスポーツのトレーナーに、全く運動神経の鈍い者が、自分が金メダル取れますか、と言ってくるとは思えない。小説家志望にはいるらしい。この本の中心は、作家と出版社から成る業界の実際が分かるという点だろう。

2025年4月4日金曜日

新井一樹『物語のつくり方』日本実業出版社 2023

題名のとおり物語の作り方を指南しようとする本である。著者はシナリオ・センターというところで講師をしている。それでこの本は講演をそのまま文字にしたような語りになっている。猫なで声の、ですます調で書いてある。正直なところ簡潔に書いてほしかった。どうしても、ですます体では冗長になる。講演ではそれが必要だろう。すぐ声は消えてしまうから冗長な説明の方がいい場合がある。それに対して文章で伝える場合は簡潔で明瞭であるべきである。

また本書には索引がない。こういった何かを説明する場合に索引は絶対必要である。物語を作る際には天地人を明らかにすべしとある。このうち地は舞台、人は人物とはすぐに連想できるが、天はこの本ではどう説明していたかを確かめようとしてもどこに書いてあるか、索引がないのですぐに見つけられない。桃太郎の話を例にとって説明を進めているのだが、桃太郎など面白くない。もっと洋の東西を問わず古典から素材をとった方がいいと思う。それにしてもこの本では有名な劇や小説などの例を例示していない。説明をしてこの作品ではこうやっていますなどとはない。なぜだろう。

更にストーリーでなく人物が重要であると強調している。これはストーリー主導と人物主導の二者択一を迫っているように見えるが、そういう話でなく、人間が描けていないと話が面白くないからである。人間を描いているのが近代小説の特徴である。シェイクスピアの悲劇も性格悲劇と言われるではないか。筋だけでは面白い話にならない。『オセロ』を歌劇化した『オテロ』を馬鹿みたいな話だと言った者がいた。確かに筋だけ聞けば、嘘による嫉妬で殺人を犯すなど馬鹿みたいである。しかしこれはオセロという人物の造形に重きがあるわけで、筋は二の次なのである。ストーリーはパターン化されているとある。装飾の部分が異なるだけで骨格は数種類あるだけである。実際の作成にあたっては起承転結で承の部分を圧倒的に長くすべきだとある。また書く順は転が初め、結が次、それから起承とすべきとある。

2025年4月2日水曜日

ダンウィッチの怪 The Dunwich horror

ダニエル・ホラー監督、米、90分。ラヴクラフトの原作を元に映画化。

大学教授のところへ稀覯書の閲覧を頼みに来た男がいる。教授は断る。もっともその男が知っている者の末裔と知り、食事を共にする。男は帰ろうとするがもう列車はない。秘書が車で送る。男の家に着くと、男は秘書を眠り薬で眠らせる。後に秘書の同僚が捜しに来るが、入ったや化物状の何かに襲われる。男は眠る秘書を横たえ、稀覯書のまじないで太古の霊を蘇らせようとしていた。それによる邪悪な霊は近隣の人々に被害を及ぼしていた。教授等が助けに来る。男は地獄に落ちる。秘書は助かった。

2025年4月1日火曜日

町山智浩『ブレの未来世紀』新潮文庫 平成29年

前著『〈映画の見方がわかる本〉ー2001年宇宙の旅から未知との遭遇まで』に続く、80年代の映画の見方を解説した本である。本書で取り上げられた映画は「ビデオドーム」「グレムリン」「ターミネーター」「未来世紀ブラジル」「プラトーン」「ブルーベルベット」「ロボコップ」「ブレードランナー」の諸作である。

いずれも以前より親しんできた映画であり、2回以上見ている作品が多い。これらが優れている映画、見るに値する映画とは思っていたが、本書でその意図するところを深く理解することができた。映画について書いてある本の中には著者は分かっているつもりでも、あるいは読者を煙に巻こうとしているのか、よく分からない本がある。本書はそれらと違って、いかにもよく分かったと思わせる本である。

2025年3月31日月曜日

冷たい水 L’eau froide 1994

オリヴィエ・アサイヤス監督、仏、92分。高校生の男女、好き合っている。レコード屋で男が万引きし、男は逃げるが女は捕まってしまう。

女は両親とも嫌っており、母親はアラブ人の男と一緒になり、父親の方ともうまくいっていない。女は父親に引き取られ、施設に入れられる。男は学校の教師からがみがみ言われる。後にダイナマイトを手に入れ知人に渡す。女は施設から逃げ出す。男ら学友が騒いでいるところに来て、男に一緒に逃げてくれと頼む。遠い地方に知り合いがいて芸術家の楽園がある、そこに行ってくれるか。男は承知する。後で女友達に、芸術家の楽園とかそこに知り合いがいるとかは嘘だと言う。男に一緒にいてもらいたいからだと。母親とその恋人が逃げた女を捜しに来るが見つからない。

女は男と逃避行の旅に出る。ヒッチハイクで遠くまで行く。その後歩きになる。川のそばの野宿で、女は裸になり男のそばで寝る。男が起きると女はいない。川の傍に女の書置きが残っていて男はそれを読む。そこで終わり。

2025年3月30日日曜日

エラリー・クイーン『エラリー・クイーンの国際事件簿』 1964

クイーンが書いた三つの犯罪実話集を収録。『私の好きな犯罪実話』(1956)、『エラリー・クイーンの国際事件簿』(1964)、『事件の中の女』(1966)であり、以上の訳が本書である。

犯罪実話と言っても、事件の記録そのままというより、事件を元に脚色し小説化しているようである。例えば初めに『エラリー・クイーンの国際事件簿』があり、これは20話あって名の通り、世界各国の事件を扱っている。第2話に「東京の大銀行強盗」とあって、これは題からすぐに想像できないかもしれないが帝銀事件を元に書いている。自分が名をつけるなら「東京の大量殺人事件」とか「東京の毒殺大事件」とかにする。

犯人は平沢でなくキヨシ・シムラと変えてあるが、帝国銀行椎名町支店とか安田銀行品川支店などはそのまま使っている。事件の内容はかなり自由に、というかデフォルメ、茶化して書いている。帝銀事件は日本の犯罪史上の重要事件であり、これまで多くの本や映画、ドラマがある。インターネットでも情報は多くある。それをここの記述は、まるである事ない事を、読者が面白ろおかしく読めるように脚色した、風俗雑誌を読んでいるようである。

実際の犯罪は事実ということで、こさえ物の推理小説より面白く読める場合が少なくない。しかしここの立場は手を入れなくてはならない、あるいは入れたい、という考えのようだ。第5話「アダモリスの詐欺師」はルーマニアが舞台で、寒気のするほど陳腐な犯罪が書いてある。今までドラマなどで何百回使われたか分からない手口である。これで読む気が失せた。(飯塚勇三訳、創元推理文庫、2005)

海獣の霊を呼ぶ女 The she-creature 1956

エドワード・L・カーン監督、米、77分、白黒映画。小屋で見世物にしている催眠術師には女の助手がいた。海岸近くの家で夫婦の死体を、心霊学の博士が見つける。警察が調べるとおかしな足跡がある。心霊学博士は顔見知りの催眠術師が、その家から出ていくところを見ていた。催眠術師は警察から尋問されるが、人間のしたことでないと意味不明の事しか言わない。

この催眠術を見世物にして儲けようと、心霊学博士が下宿している実業家は思い立つ。催眠術師の助手である女が海獣を呼び起こす女で、術をかけられ眠ると海から海獣が出てくる。殺人をしていたのは海獣で、女の祖先であるから雌である。助手は心霊学博士と相思の仲になり、催眠術師から逃げたがっている。

公開で行われた催眠術では、女はなかなか術にかからないが、海獣は海から出てきて刑事を殺し、更に実業家、また催眠術師まで殺す。海獣が海に帰ろうとするところを警官たちが銃撃するが、果たして死んだか。疑問符が出て映画は終わる。

2025年3月29日土曜日

影なき狙撃者 The Manchurian candidate 1962

ジョン・フランケンハイマー監督、米、126分、白黒映画。フランク・シナトラ、ローレンス・ハーヴェイ出演。朝鮮戦争の場面から始まる。戦闘があって、負傷者等はヘリコプターで運ばれる。アメリカの基地に着陸した飛行機からハーヴェイが降りてくる。大歓迎ぶりでカメラマンなども多い。勲章を貰ったので母親と義理の父親が来る。一緒に写真を撮られる。義父は政治家で選挙に利用する気でいる。ハーヴェイは両親とも嫌っている。

過去の場面になる。中国やソ連の軍人らに囲まれている。ハーヴェイは言われるがまま仲間の兵士を殺す。ハーヴェイは洗脳されているのである。ハーヴェイの同僚軍人にシナトラがいる。シナトラも悪い夢を見る。シナトラはハーヴェイが大した戦功もないのに勲章を貰ったと知っている。戦友を助けたとされているが、実際は殺しているのである。シナトラはハーヴェイがおかしいと知りなんとか助けようとする。ハーヴェイに相思の仲で結婚したいと思っている女がいた。その父親が義父と反対の、革新派議員なので母親は反対する。後に好き合う二人は結婚する。

しかしトランプのクイーンの札を見ると、洗脳された状態になるハーヴェイは自分の意識のないまま結婚したばかりの妻とその父親を射殺する。更に大統領選の候補者を決める大会に行ってライフルを構える。シナトラは気づき、止めに駆け上るが間に合わず射殺する。ただし大統領候補でなく義父の政治家だった。シナトラが部屋に入るとハーヴェイはライフルを自分に向けて撃つ。

2025年3月28日金曜日

ゲットアウト Get out 2017

ジョーダン・ピール監督、米、103分。白人女性を恋人に持った黒人が災難に会う映画。黒人青年は白人の彼女と共に田舎にある彼女の実家に車で行く。そこの両親は暖かく迎えてくれる。黒人の使用人がいる。

黒人は彼女の母親から催眠術をかけられ、悪夢のような体験をする。やがてその家のパーティに、知り合いの家族らが多くやって来る。中に一人だけ黒人の青年がいた。年上の白人女性の恋人である。その黒人にスマートフォンで写真を撮ると驚愕される。正常でなくなる。黒人は警察にいる友人(黒人)に連絡し、またその写真を送る。警官はその黒人青年が失踪した有名人と知る。

ことの真相は、黒人からその健康な身体をもらうために、恋人とされていたのである。恋人は過去にも黒人の彼氏を多く持っていて、身体を取っていたのである。黒人は気づくと椅子に縛り付けられ、その眼などを盲目の白人に移植される予定だった。黒人は連れに来た男を倒し、その他の家族を殺していく。車で逃げるが木に衝突し、あの彼女が殺しにくる。何とか相手を押さえる。その時パトカーが来る。女は救助を求めるが、出て来た警官は黒人の友人だった。黒人は友人とパトカーで去る。

2025年3月27日木曜日

アンダー・ザ・スキン 種の捕食 Under the skin 2013

ジョナサン・グレイザー監督、英米スイス、108分。スカーレット・ヨハンソン主演。宇宙からやってきた異星人が地球人をものにしていく。その方法は地球人の美人(ヨハンソン)になり、男たちに声をかけてその気にさせ、ものにする。

スコットランドの田舎でヨハンソンは車を運転し、男を物色する。ものにするとは具体的には、暗い中、ヨハンソンの身体に魅入られた男たちが、近づいていくと沼のような地下に沈んでしまう、という風である。もっともヨハンソンは人間の女の皮膚をかぶっているだけなので、男とは交わうわけにいかず、最後は暴行を働こうとした男によって皮膚を裂かれ、燃えてなくなる。

2025年3月25日火曜日

E・C・ベントリー『トレント最後の事件』 Trent’s last case 1913

トレントは画家で素人探偵である。今まで犯罪事件を解決してきたので、アメリカ人の富豪実業家の殺人事件に駆り出される。被害者は美人の妻とうまくいっていなかった。秘書は二人いてアメリカ人は事業上の、イギリス人は雑務をこなす仕事である。

小説半ばでトレントは事件を解決したと思い、自分を雇った新聞社宛てに事件の真相なるものを報告する文章を書く。イギリス人の秘書が犯人で美人の妻に恋慕していたと書く。実はトレント自身もその妻に恋していて、報告を書き終わった後、事件の場所から離れる。後半になって時間をおいた後、トレントは未亡人となった妻に会い、自分の恋を打ち明ける。

またトレントが犯人と断じた秘書から真相なるものを聞く。実は実業家は自殺したのだと。なぜ自殺したかというと、秘書に罪を被せるためだと。実業家は妻と秘書の間を疑い、なんとしても秘書を陥れるため、自殺したというのである。自分の殺人の犯人として、秘書が捕まり処罰されるだろうと計算してやったというのである。更に最後になって本当の真理を聞く。妻には叔父がいてトレントの旧友だった。その叔父が実業家を殺したのだと。死んだ実業家を見て秘書は自殺したのだと思ったのだ。

瀧井敬子『漱石が聴いたベートーヴェン』中公新書 2004

森鷗外、幸田露伴、島崎藤村、夏目漱石、永井荷風といった近代を代表する小説家が西洋のクラシック音楽とどう接したか、を書いている。書名の漱石は近代の文学者の代表として、またベートーヴェンはクラシック音楽の代名詞として使っているのであろう。今はどうか知らないが、自分の子供の頃、昭和時代のある時までベートーヴェンは西洋音楽の中で絶対的に抜きんでた存在のように見えた。西洋美術ならルネサンスとか19世紀のフランスとか何人もの有名な画家等がいる。それに対してクラシック音楽ではベートーヴェンの存在が圧倒的に大きかった。だからベートーヴェンを代表としていてもおかしくない。

ただ副題に「音楽に魅せられた文豪たち」とあるのは異議を感じる。文豪らはクラシックを好きになっていたようには見えない。あくまで西洋の高尚で難解な芸術として接していたと思える。例外は藤村と荷風の一時期で、好いていたと言ってもおかしくないが。鷗外はドイツでオペラを鑑賞し、その訳本を試みているが、オペラを好きになったと言うより高尚な芸術として日本に紹介を考えていたように見える。また自分の作品に利用していた。ここに引用されている短編『藤棚』でもクラシックの音楽会に、当時の上流階級が理解してもいないのに、西洋の高尚な芸術ということで聴きにいっている様が描かれ、これは長い間、日本人のクラシック音楽への接し方だった。

小林秀雄の『モオツァルト』は終戦直後に出ており、頭でっかちな観念的議論である。人から聞いたが、戦前の音楽会には楽譜を持ってきて、見ながら聴く人がいたとか。見栄の手段としてクラシック音楽を使っていたのか。今はそんなことは全くなくなったが。

2025年3月23日日曜日

池亀彩『インド残酷物語』集英社新書 2021

著者は社会人類学者でインド南部で暮らし、その経験からインドの社会の実態を書いている。最近のインドは経済の躍進として語られる場合が多いが、ここでは現代なお息づくインド社会の問題点の幾つかを洗い出している。

インドといえばカーストと誰でも思うだろう。ただこのような捉え方だけではインドの実際は分からない。インドのカーストと聞けば、バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラと答えるだろう。このような身分制は「ヴァルナ制」というそうである。これとは別の切り口で職業別とも言うべきジャーティという区分がある。土地持ち農民のカースト、商人・金貸しのカースト、職人カーストなどがその例である。またこのカーストに属さない、ダリト(不可触民)、アーディーヴァシー(山岳地域の部族民)という身分がある。

特にこのダリトと呼ばれる不可触民は、交わると穢れるという意識が持たれている。新書の初めにある挿話には、上級層の娘が好きになって結婚した相手がいた。それが後になって夫は不可触民と分かった。すると妻の家族がその夫を殺してしまったのである。不可触民とはそのように扱われているのである。同じ国民なのに驚くべき発想と実際である。

ただ本書にはそのような事例ばかりでなく、より下の層がどうやって上昇していくか、といった例もある。ともかく才覚と実行力がなければ全くどうにもならない社会である。インドの成長の中での変化が書いてある。

2025年3月21日金曜日

モスキート Mosquito 1994

ゲイリー・ジョーンズ監督、米、92分、総天然色。異星から来た宇宙船が沼に墜落し、そこが蚊の繁殖地だったため、影響を受けて巨大化した蚊が人間を襲うという恐怖・SF・アクション映画。

主人公の若い男女が運転する車に蚊がぶつかり車は故障、蚊はペシャンコになる。この巨大化した蚊は人間を襲い、血を吸う。吸うための蚊の吸取り管が人間の身体に突き刺さるところは見物。主人公たちは他に科学者、公園管理人、更には悪党と一緒になって蚊の襲来に立ち向かう。蚊に刺され血を吸うと目が飛び出てミイラになるところも見物である。

最後に閉じこもった屋敷が実は蚊の繁殖用の基地だったため、蚊の大群が押し寄せる。ここで地下に卵の大群があったので、屋敷もろとも蚊を吹っ飛ばす。先に逃げた主人公の男女の他、科学者が大爆発した屋敷の中に隠れていたため、助かったで終わる。

2025年3月20日木曜日

保坂正康『六十年安保闘争』講談社現代新書 昭和61年

本書は60年の安保改定を巡る騒動を解説した書。闘争に挑んだ英雄たちの物語といった叙述ではなく、どうして安保騒動があれほどまでに大きいものになったかの経緯、説明を目指している。以下では本書の要約でなく、本書を元にして安保騒動への自分の理解を書いた。

まず60年は安保条約の改定であった。それでは改定されるまでの安保条約があったはずだ。それは1951年サンフランシスコで調印された日本の独立時に、アメリカと結ばれた条約である。日本は独立した。しかし当時の日本は今の自衛隊にあたるような防衛組織は何もなかった。それでアメリカが日本を保護するために結んだのが安保条約である。もちろんこれはソ連を敵においた条約である。サンフランシスコでの独立調印にはソ連等は参加しなかった。この時点ではソ連は日本の独立を認めていない。米ソ対立の中で日本は米側についた。それでソ連を敵とみなす軍事条約、アメリカが軍隊のない日本を保護するのが安保条約であった。この条約を日米対等の形で条約し直す、それが60年安保条約改定であった。
しかしこれはもし米ソが戦争を起こした際、日本が巻き込まれる。それが嫌だ、避けたいという気持ち、意見が安保条約改定への国民的規模の反対運動を生んだのである。
反対運動を指導したのは、既成政党である社会党、共産党を中心とした国民会議(安保条約改定阻止国民会議)と学生自治会の連合である全学連(全日本学生自治会総連合)である。全学連の思想は共産党とは離れていた。共産党が体制内での共産主義化を目指すのに、全学連の主流はブント(共産主義同盟、同盟のドイツ語がブント)であり、共産革命を目指していた。つまり安保条約改定阻止では一致するが、ブントは究極的には革命を意図し、学生であるから過激な行動をとった。
1959年11月27日には全学連は警備を破り、国会の構内に突入する行動に出た。これは安保阻止運動で象徴的な出来事であった。
明くる1960年6月に当時のアメリカ大統領アイゼンハワーが来日することとなった。この来日の前に安保条約を成立させたい、これは自民党にとって至上命令となった。5月19日に自民党は衆議院で強行採決した。これで全国民的な反発、怒りを招き全国民的な反対運動が展開された。ただひと月経てば自動成立してしまう。だからなんとしても阻止しようと、学生らの国会への突入行動が6月15日に起きた。この時に死んだのがブントの活動家であった東大生の樺美智子である。しかし6月19日に安保改定は自動成立。
これで大いなる挫折感を抱いた者もあれば、ともかく政治への大衆行動を起こせたと意義を強調する者もいた。ここから安保改定で大いに活動したが、その後は小市民的に生きていく層と、より過激な政治運動に走る層が出た。後者がその後紆余曲折あって、12年後に起こる連合赤軍事件の当事者の、遠い源流になる。

2025年3月19日水曜日

クリーピング・テラー The creeping terror 1964

アーサー・ネルソン監督、米、76分、白黒映画。主人公は最近結婚した保安官補佐。空から宇宙船のような物が墜落した。

保安官の伯父とそれを確かめていく。宇宙船の中に伯父が入ると悲鳴や銃声が聞こえ、そのままになった。主人公の男は連絡し、兵士たちが来て宇宙船の内部を調べる。この調査はイギリスから来た男が担当することになった。宇宙船から出て来た怪物はゴミのようなものに覆われた蝸牛状の形。恋人たちを襲い、食う。女が食われ、脚が身体の下の方についた口に吸い込まれる様子の場面が何度も出てくる。その他に若い母親、一緒に釣りに来ていた親子も犠牲になる。何組かの恋人たちが集まっていた場所へ怪物は来て、オープンカーの上からのしかかり恋人たちを襲い、車をひっくり返して中の者を餌食にする。更にダンス・ホールにもやってきて、何人もやられる。兵士たちが銃で攻撃しても平気で殺される兵士もいる。指揮官は生け捕りにしたかったが、無理のようである。最後は手榴弾で倒した。

指揮官は宇宙船の方へ車で急ぐ。宇宙船の中にはもう一体、怪物がいた。共に宇宙から地球を探りに送り込まれてきた。指揮官が怪物にやられそうになったので、後から来た保安官補佐は車で衝突させ怪物を倒す。宇宙船の中の通信機器を壊す。既に情報は宇宙に発信されているだろう、それを受けて地球に攻撃に来るかもしれない。それまでに地球人が発達して迎え撃てるようになればいい、と指揮官が言って終わり。

2025年3月18日火曜日

伴野準一『全学連と全共闘』平凡社新書 2010

かつての学生運動を指導し、また大きな影響を社会に及ぼした全学連と全共闘の解説を意図して書いているようである。かつての学生指導者を務めた人たちにインタヴューをし、当時の想いなども書かれている。だから本書は当時の学生運動を担った者の視点で記述されている。

しかしながら安保騒動から半世紀経ち、終戦から65年も経った時点での総括であれば、もう少し歴史の中での、その位置づけをする書き方がありえたし、そういった記述を希望した。当時の学生たちはなぜ学生運動をしたのか。その答えは本書の中にある。学生らの国会構内乱入のニュースを聞いて、九州のある学生運動家は次のように思ったという。「ヤッターッていう感じだったね。どうしてかと聞かれても困るけど、やっぱり騒乱状態というのが夢ですからね、(以下略)」(本書p.88)これが本書中、最も感心した文章である。ともかく騒ぎたかったのである。青春でエネルギーを持て余しその捌け口にしたのである。

もちろんその目的は革命にあった。運よく革命は成就しなかった。日本史上、最大の僥倖は日本で革命が生じなかった、という事実である。もし日本が共産主義国家になっていたら今の北朝鮮のように最低、最悪の国家になっただろうから。

2025年3月17日月曜日

バリンジャー『赤毛の男の妻』 The wife of the red-haired man 1957

刑務所から脱獄してきた男はかつての妻のところに行く。妻は別の男と結婚していた。妻は男が戦争で死んだと思っていたのである。男は妻の今の夫と争い、銃を相手が出したので撃ち殺してしまう。今の夫を嫌い、昔の男を今でも愛している妻は男と一緒に逃げる。

明くる日、死体が発見される。妻がいない。妻の犯行だろうと警察は考え、妻の行方を追う。小説は逃避行を続ける妻と元の男、それを追う刑事の話が交互に出てくる構成になっている。刑事は逃げる者の心理を推理し、それによって追っていく。逃げる側は男の方は精神がやや正常でなくなり、追手の警察を恐れている。妻は冷静になってどうすればよいか考慮して男を励ます。刑事は追う先で、ここに追っている犯罪者がいるのではないかと直感し、男の方も自分を追っている警察の眼を感じる。からくも追手をくらますが、最後にアイルランドに渡って、二人で暮らせると思った家に警察がやってくる。銃の撃ち合いとなり、男は倒れる。それを希望していたと知っていた妻の企みがあった。

追う刑事が最後に台詞で自分が黒人だと明かすのがこの小説の有名なところらしい。ある一行で伏せられていた事情を明かすというのが推理小説では好まれているらしい。(大久保康雄訳、創元推理文庫、1961)

2025年3月16日日曜日

山田風太郎『人間臨終図巻』 昭和53年~62年

過去の有名人の臨終の様子、また人によってはそれまでの生き方の叙述を900人以上も書いている。死んだ歳の若い順に書いてあり、十代、二十代、百代はまとめてあるが、それ以外の年齢は1歳ごとに分けている。

死に方で自分の知識と違う記述があった。そもそもどういう人か、知らない人もいる。インターネットですぐに調べられる。勉強になった。死ぬ様は人夫々だが、随分周りに、特に配偶者(妻)に散々迷惑をかけて死んだ人がそれなりにいる。生涯に亙ってそういう関係だったのだろう。妻が死ぬと夫も死ぬ、夫が死ぬと妻は長生きできる、と言うが、まさにそれの実証のような例が幾つもある。それまでの生き方、人生の過ごし方と死に方は関係ないと(当然であるが)改めて感じた。(角川文庫、上中下3冊)

2025年3月15日土曜日

宇宙船の襲来 I married a monster from outer space 1958

ジーン・フォウラー・Jr監督、米、78分、白黒映画。結婚を控えている若い男女がいる。男の方が車で帰る途中、道に倒れている者を発見し、止まる。すると宇宙人が現れ、男に発光し煙が出て男は消える。明くる日は結婚式の日なのに男は遅れてやって来る。結婚する。

1年経つ。女の方は結婚した相手に不審を抱いている。まるで昔の男と違ってしまった。妊娠もしない。医者に診てもらうが問題はないと。結婚一周年なので女は男に贈り物として犬を買ってくる。男は犬が嫌いだと言って、後にその犬を殺してしまう。女はますます男に疑念を抱く。宇宙人に乗っ取られていたのは他にも警官などいた。女は昔から知っている警察署長に相談に行くが、その署長も宇宙人に乗っ取られていた。

女はある夜、外出する男の後をつける。林で男の身体の中から光る宇宙人が現れ、隠してある宇宙船に入っていく。女が男に近づくと男は倒れ、まるで死体だった。女は周りに分かってもらえなかったが、最後に女の言うことを信じた捜索隊が宇宙船のある林に行く。現れた宇宙人に銃は効かなかったが、犬が飛び掛かると食い殺される。捜索隊が宇宙船の中に入ると、乗っ取られていた人間たちの元の身体が吊るされていた。その下にある装置を壊すと乗っ取った宇宙人が死んでいく。元の人間たちを宇宙船から助け出す。女の夫になっていた男も消え、元の男が女のそばにやって来た。地球人を乗っ取る気でいた宇宙人は母船に連絡し、宇宙船群は地球から離れていく。

2025年3月14日金曜日

ヴァン・ダイン『グリーン家殺人事件』 The Greene murder case 1928

イースト川に面した、ニューヨークの東53番街にあるというグリーン家の古い屋敷で起こる連続殺人事件。現代までの推理小説に親しんでいる者であれば犯人はすぐに見当がつき、いつまでも悩んでいる探偵たちがもどかしく思えるだろう。

中学生の時読んで、それ以来の再読。犯人は分かっている(覚えている)し、改めてファイロ・ヴァンスの衒学癖に驚くというか辟易する。グリーン家の2階の見取り図があって各人の部屋の配置がある。なぜこの人間がこの部屋になっているか、これは小説に出てくる事件の都合上、作者が決めたのであろう。それを離れ、各人の部屋の配置について色々考えてしまう。本小説に現在では感心する者がいるか不明であるが、この小説の設定というか枠組みがクイーンの『Yの悲劇』(1932)に影響を与えたと思われる。

2025年3月9日日曜日

恐怖の火星探検 It! The terror from beyond space 1958

 エドワード・L・カーン監督、米、69分、白黒映画。火星探検隊が隊長を除いて凡て死亡した。隊長が殺したのだろうと思われた。

救助隊のロケットが火星に向かい、生存者の隊長を連れて帰る。隊長は自分が殺したのではない、いつの間にか次々と隊員が何物かによって殺されたのだと主張する。誰も信用しない。ところがいつの間にかこのロケットに火星の怪物(火星人)が乗り込んでいた。ロケットの乗組員を殺していく。隊長が無実と分かったが、この怪物をどう退治するのか。通常の方法では死なない。火炎放射器を浴びせても死なない。放射能を浴びせかけても生きている。乗組員は宇宙服を着、最後に酸素をゼロにしてやっつけた。