本集の中では1975年11月6日の小尾俊人(みすず書房創業者)あての書簡が有名だろう。丸山はプリンストンの高等研究所に1975年10月から明くる年まで滞在した。そのプリンストン滞在時に、知り合い、世話になった志村五郎教授(プリンストン大学数学科)を評している文がある。そこには次の様に書かれている。
プリンストンの数学者は日本人が多く、「・・・志村[五郎]教授はプリンストンの看板教授です。(中略)先日も志村教授のカクテル・パーティに招かれて(中略)志村教授とダべりましたが、非常に趣味と関心が広い反面、自信過剰で、政治=社会問題について平気でピントの狂ったことをいい、「第一級の専門家でも、一たび専門以外のことを発信する場合は一言も信用してはいけない」というレーニンの言葉を思い出しました。(以下略)(本書p.62~63)
ここを読んで怒り心頭に発した志村がその著『鳥のように』(2015)で、丸山の無知蒙昧ぶりを嘲り攻撃している。もっとも丸山は志村宛の書簡を書いており、1976年6月18日付けではバークレイに移った後にプリンストンで世話になったお礼とバークレイの様子を伝えている。更に帰国後、1977年7月27日付けでは、信州に来ていたらしい志村宛ての書簡で、音楽関係と贈答品の謝礼と話題、招待されていたらしい信州行きについて触れている。
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